2016年08月25日

「俺の嫌いなものが褒められているのが許せない病」の人が面倒くさい

ゲームキャストさんで、こんな記事を読みました。


おっしゃっていることは首肯することしきりで、

 「あのゲーム、好きなのに人気がない!」というあなた。
「自分の好きなゲームは儲からずに消えていく」というあなた。
嘆いている暇はない。全員揃って好きなゲームのレビューを投稿したり、Twitterで面白さを語るべきだ。島本和彦先生の「シン・ゴジラ」ばりにポジティブに面白さを語れば、あなたの言葉はゲームにとってプラスになる。
大事なことだよなあ、と思うわけです。

以前から何回か書いているんですが、何かのことを「好きだ!」と表明するのって、リスクばっかり大きくって、その割に自分に対するリターンは少なくって、だからこそ大事なことだと思うんですよね。

作者さんのところに声が届くっていうのもそうですし、どこかの誰かが、それを見て「自分の好きなもの」に興味をもってくれるだけでも、それって素晴らしいことだと思うんですよ。

で、だからこそ、私は「好き」を表明するハードルなんて、低ければ低い程いいとも思っているんですが。

残念ながら、世の中には「自分が嫌いなものを、他人がほめていることが許せない」という人たちが結構いるようで。

冒頭、ゲームキャストさんのコメントを見てちょっと「うーん」と思ってしまったんですが、

さっそく悪意を増幅するような書き込みをして本当に申し訳ないのですが、さすがに書き込まずにはいられないので。

いったい、ゲーキャスさんは、いつから、Cygamesの宣伝屋に成り下がったんですか?

グラブルのことなんてなかったかのようにCygamesのゲームをひたすら持ち上げるゲーキャスさんがもう信じられないというか、スマホゲーム界の良心がまた一つ失われた気分というか、なんと言っていいのか・・・もう、もう・・・・

とか、
どんなゲームにも熱をもって接するユーザーはいるものです。

人の居ないゲームで熱を持った少数ユーザーの個々のツイート内容を出して「このゲームは熱い」なんて仰っていると、メディアとしての信頼を失いますよ。

とか。

ただたんに「このゲームが面白い!」と言っているだけの記事に、なんでこんな言葉を吹き付ける人がいるんだろうなあ、と。大変に面倒くさい人たちだなあ、と。他人の「面白い!」を、一体どういう根拠で否定しようとしているんでしょうか、と。

まあ、読んでいるとCygames憎しの人らしいですけれど、「自分が嫌いなものが褒められている」ことくらいスルーしてあげられないのかなあ、と。

自分で「嫌いなもの」を自分で批判するのは全然問題ないと思うんですよ。それは認められるべき一つの意見です。

「自分が好きなものを批判している」ことに憤ることも、それもまあ、ある程度仕方ないと思うんです。

ただ、企業ですらない一サイト運営者が、自分が嫌いなものについて「これが好き」と言っているからって、大目にみてあげられないもんなんでしょうか。それくらいの余裕ももてないもんなんでしょうか。


こういう人たちが、何かを「好きだ!」ということに対するコストを上げて、Webから「○○が好きだ!」というテキストを減らしているんじゃないか、とすら思います。それ、結果的には誰も幸せにならないと思うんですよ。

うちみたいな辺境ブログですら、ベタ褒めエントリー書くと大体20に1か2くらいは「俺が嫌いなものを褒めるな」っていうベクトルの非難が来ますからね。よくよく見逃せないんだなあと。


不倒城は、そういう「俺の嫌いなものが褒められているのが許せない病」の人にも負けずに、これからも褒めたくなったものをベタ褒めし続けたいなあ、と思います。そして、そういう人が増えていってくれればなあ、と思う次第です。

「好きだ!」ということのハードルが、可能な限り低くなることを。そして、Webに「○○が好きだ!」というテキストを気楽に放流出来るようになることを、願ってやみません。

今日書きたいことはそれくらいです。
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posted by しんざき at 23:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月24日

3DSと交通ICの連携で、ふとセンチメンタルグラフティを思い出した


むかーし昔ですね、サターンとプレステで「センチメンタルグラフティ」というゲームがありまして、「2」がいきなり「1」の主人公の葬式から始まるっていう衝撃の展開でファンを(あまり良くない意味で)驚愕させたタイトルなんですけれど、1では「全国12都市を回って12人のヒロインと会い、自分への手紙の送り主を探す」っていう設定だったんですよ。皆さん覚えてらっしゃるでしょうか。オープニングのアニメも独特な感じで味がありましたよね。


で、上記の「交通ICカードとゲームとの連携」という話を聞いて、まず最初に「センチメンタルグラフティ」を思い出しました。


この仕組みって、ああいう設定のゲームとすごーーく相性がいいだろうなーと思いまして。流石に日本全国までいくと何人か死人が出そうなので、例えば最初に自分が居住している都道府県や地域を選択して、その中でヒロインの居住駅が指定される、みたいな感じで。で、ヒロインがいる駅で実際に改札したらイベントが発生、とか。

ポケモンGOのような位置ゲーと違うところは、「改札や乗り換えを含め、鉄道インフラとの直接的な連携が可能→より「旅」という形式を強調したゲーム作りがしやすい」ということかなーと思いまして、何線を使ってどういう経由をしたかによってイベント分岐、とかあると面白そうですよね。

欠点は位置ゲーと同様地域差。有人駅の数がどうしても限定される地域とか、その辺はどうしようかなって感じですかね。

まあ、ケータイ国取り合戦みたいな「駅を回る」っていうシステム自体は今までもあったとはいえ、これもまた新しいゲーム作りが出来そうなARだなーと。18年の時を超え、センチメンタルグラフティ復活!(ただし1の主人公は列車事故で死亡)みたいなことになったら面白いなーと思ったので書いてみました。


今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 15:26 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月22日

スマホでこのブログ見る時の変な広告消したい

スマホで不倒城見ると、なんか画面スクロールするのに追随して変な広告が出まして、例えばページ内リンクとか選択する時に誤タッチしてしまうんですが、これブログ側の設定とかでなんとかならないんでしょうか。。。

どうも設定とか探して広告全部オフにしてみても消えない。seesaaにブログサービスをやめられてしまうと大変困るので、「お金払えば消せる」とかだったら払うんですが。

どなたかご存知ないですか。アレ消す方法。ご存知だったら教えてください。
posted by しんざき at 09:54 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月21日

「貧乳好き」における二つの派閥と、それに関する考察


今から始める話は、女性の胸囲に関するものすっっっごく下らない話でして、読めば読んだだけ皆さんの時間を無駄にすること請け合いです。無駄な時間の在庫がかなりあって困っている、という方以外はブラウザの×ボタンを押してください。多分右上の方にあると思います。




大変遺憾ながら、世の中には「女性の胸囲について特定の嗜好をもっている男性」という人種がいまして、早い話いわゆる巨乳好きと貧乳好きというふたつの派閥があります。


観測範囲の問題なのかも知れませんが、私が知るかぎり「巨乳好き」派閥はかなりの一枚岩に見えます。彼らは、細かい好みの差こそあれ、大筋では「女性の大きな胸は素敵ですね」という確固たる統一された価値観でまとまっており、そこに大きな分裂は見受けられません。


ところが一方、私が知るかぎり、貧乳派閥には大きく分かたれた二つの派閥があります。


つまり、「ピュア貧乳好き」と「貧乳コンプレックス好き」です。


以下、統計的な要素はぶったぎって話を進めます。


前者は、純粋に「小さな胸」ないし「小さめな胸」が好き、という派閥です。外観、美観を含め、比較的純粋に胸それ自体を追い求めているように見受けられる為、彼らには「ピュア」の称号が冠せられています(民明書房調べ)


一方、後者は「小さな胸に対して何らかのコンプレックスをもっている女性の姿」ないしそのコンプレックス自体を愛好している、という、冷静に考えるとかなり変化球な嗜好です。彼らは、女性の小さな胸それ自体というよりは、「自分の胸の小ささを気にしている女性」に対してより強く傾倒します。「自分の胸を大きくしようとして頑張っている女性」などは、彼らの嗜好の対象として非常に一般的なものです。


勿論、二つの派閥の間に完全に互換性がないわけではなく、「前者寄り」「後者寄り」「ピュアとコンプレックス好きの真ん中くらい」という層もそれぞれ存在はするのですが、この「貧乳コンプレックス」というものが、貧乳好き派閥の中でかなり大きな要素になっていることは間違いありません(私調べ)。



「巨乳に対してコンプレックスを持っている女性」に対する愛好というのは、勿論あるのですが、そこまで多く観測できるわけではありません。少なくとも、「巨乳コンプレックス」が巨乳好き陣営の中でそこまで大きな存在になっているようには見受けられません。細かな好みのうちの一系統、という風に見えます。


つまり、「コンプレックス」が大きな要素を担っているかどうか、という点で、巨乳好きと貧乳好きは非対称なのです。


これは何故なのか。


私が考える理由は、「存在と非存在の差」です。


つまり、「巨乳好き」陣営には、「大きな胸」という具体的な実体をもった嗜好の対象がある。なので、その実体自体が嗜好の中核となり得るし、実際にそうなっている。


が、「貧乳好き」陣営は、要するに「ない」ことが嗜好の中核です。「ない」ものは、その実体が嗜好の中核になりにくい。

なので、「ない」上で、その実体を確たるものとして認識している層と、認識出来ない層、ないし認識が曖昧な層がある。そして、認識出来ない層は、ある程度精神的なものにその嗜好の中核を求めざるを得ない。

なので、「貧乳を気にしている」「貧乳を恥ずかしがっている」という、あたかも精神的な特徴のような要素を嗜好の中核にしている人が存在しているのではないか、と私は考えるわけです。


要は、「貧乳」という言葉を、純粋に「胸の形状」として捉える層と、「精神的な特徴」として捉える層がいるのではないか、というのが私の自説なのです。


「巨乳好き」と「貧乳好き」は、全く同じ系統のプラスとマイナスのようにくくられがちではありますが、本来全然別の軸をもった別の好みであって、単純に比較出来るようなものではないのです。単純に比較するのであれば、「巨乳好き」と「ピュア貧乳好き」を比較しないといけない。

そこが混同され勝ちな状況は、実は結構大きな問題なのではないか、と思い今回ペンをとった次第です。皆さまのお考えはいかがでしょうか。



全っっっっ然余談なんですが、エロマンガなのかエロ小説なのか、出展がどこなのか知りませんが、「小さな胸の方が感度が良い」とかいう俗説なのか都市伝説なのか、意外とそういう信仰を持っている男性がいるように思います。あれ、なんかそういう根拠とかってあるんでしょうか。以前知人と、「単なる都市伝説だ」「いや、何らかの統計があるに違いない」「そもそも感度とは何か」といった気持ち悪い激論になったことがあるんですが。どなたか、ご存知でしたら教えてください。



ということで長々と下らない話を書いて参りました。言いたいことはだいたい言ったので、ここでは単に、このブログをしんざき奥様も観測しているという事実のみ記して結句としたいと思います。

今日書きたいことはこれくらい。

posted by しんざき at 23:34 | Comment(9) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月20日

レトロゲーム万里を往く その132 幽☆遊☆白書 (SFC版)


「キャラクターものをどうゲーム化するか」って、ファミコン時代の黎明期から、ずっとゲームメーカーの主要なテーマの一つであり続けていたと思うんですよ。


ファミコンにおける「キャラクターものゲーム」の歴史をちらっと振り返ってみましょう。

まず、キャラクターもののゲーム化における、もっともシンプルな回答は「何も考えずにアクションゲームにしてしまう」というものでした。

ファミコンにおけるキャラゲーメーカーの雄といえばバンダイとハドソンかと思いますが、特にファミコン初期、バンダイは幾つもの「キャラクターものアクションゲーム」を出しています。


たとえばキン肉マンマッスルタッグマッチ。

たとえば オバケのQ太郎 ワンワンパニック。

たとえば ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境。

たとえばドラゴンボール神龍の謎。


勿論、バンダイ以外にもアクションキャラゲーは山ほどあります。ハドソンの「ドラえもん」「忍者ハットリくん」、ジャレコの「うる星やつら ラムのウェディングベル」、コナミの「火の鳥」東映の「北斗の拳」あたりは代表的なところでしょう。

ファミコン初期はまだゲーム化の引き出しが少なかったとはいえ、「取り敢えずアクションゲーム」というのが、キャラゲー化の一つの定番だったことは間違いないでしょう。名作もあれば、「うーん?」というゲームもありましたが、何はともあれ「漫画やアニメのキャラクターが動かせる」というのが、ファミコン小僧にとって一つの喜びだったことは間違いがありません。

ただ、「原作あんまりアクションと関係ないのにアクションゲームにしてしまっている」という例もままありまして(オバQもその口だったと思います)、その極端な例が東宝による「タッチ」のゲーム化だったと思います。まさか「野球ラブコメ漫画」が「ボールを投げまくって敵を倒す」ゲームに変貌するというのは、当時想像の範囲外の出来事でした。いやホント、あのゲームなんで野球ゲームじゃなかったんでしょうか。ファミスタの丸パクリの方がまだ原作ファンは納得したと思うんですが。


もうちょっと時代を下ってみると、「ビジュアルを活かしてアドベンチャーゲームにする」というソリューションが出てきます。これは、アクションゲームよりもだいぶ「ビジュアル的な原作再現度」を上げることが出来るという点もあり、ファミコン中盤から終盤にかけて名作も生まれました。

たとえば「めぞん一刻」。たとえば「ビー・バップ・ハイスクール」。たとえば「孔雀王」。たとえば「おそ松くん バック・トゥ・ザ・ミーの出っ歯の巻」。たとえば「かってにシロクマ」。

ただ、アドベンチャーゲームの欠点は「シナリオとテキスト次第では簡単にゲームがぶっ壊れる」というものでして、「AKIRA」や「美味しんぼ」などはだいぶ賛否が別れる内容になっていました。私も正直「美味しんぼ」のアレはどうかと思います。


ジャンルとしてはアクションとアドベンチャーの比率が高いと思いますが、他のジャンルを選んだキャラゲーも色々あります。

STGというジャンルを選んだ「機動戦士Ζガンダム・ホットスクランブル」「超時空要塞マクロス」「ガルフォース」、RPGというジャンルを選んだ「ドラえもん ギガゾンビの逆襲」「悪魔くん」「天地を喰らう」、他にはSLGやボードゲーム(おぼっちゃまくんとか)なんてのもありました。あるキャラクターものを、「そう来るか」でゲーム化するのは、一つのアイディア勝負でもあります。


そんな中、サッカーゲームをコマンドRPGに近いビジュアルゲームにした、「キャプテン翼」と「キャプテン翼2」が一つの『キャラクターものの到達点』だったことは間違いありません。

レトロゲーム万里を往く その5 〜キャプテン翼〜

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「漫画的なビジュアルと、サッカーというジャンルを両立させており、ゲームとしてもちゃんと面白い」というのは一つの奇跡だったと思います。このゲームを作れたというその一点だけで、テクモというメーカーの物凄さが分かります。


で。


めちゃくちゃ前置きが長くなりましたが、スーファミにおける「幽☆遊☆白書」も、私にとっては一つの「そう来るか!!」のゲームだったわけです。


幽☆遊☆白書。ジャンルは「ビジュアルバトル」。1993年12月22日、SFCでナムコから発売。

その最大の特徴は、「アクション性を大部分オミットして、完全ビジュアル重視の対戦ゲーにした」というところでしょう。

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これが、「幽☆遊☆白書」の対戦画面です。
御覧いただける通り、ビジュアルはSFCゲーの中でも相当頑張っていた部類だったと思います。しかも結構動くんですよ、これ。

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プレイヤーは、十字キーとX/B/Y/Aのボタンの組み合わせで、そのターンの行動を選びます。選べる行動には「攻撃」「防御」「技」「霊撃(いわゆる必殺技)」の大きく4種類がありまして、更に使うボタンとキャラクターによって、ビジュアルと技は枝分かれします。

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で、技の相性や使ったタイミングによって、当たる、かする、よける、技が成功する、失敗するなど、様々な結果が出ます。これによって、最終的に相手の体力を削りきったら勝ち、というわけです。

技を使うタイミングや、相手の技との駆け引き要素などは勿論ありますが、アクション性は殆どありません。「ビジュアルバトル」の名の通り、そのゲーム内容はどこまでも「ビジュアル重視」でした。

幽☆遊☆白書は格闘マンガです。そして、当時まだ、メガドライブの名作「幽☆遊☆白書 魔強統一戦」は発売されていませんでした(あっちは1994年です)。当時が、1991年のストIIを端緒とする格ゲーブームまっさかりであることを考えれば、「幽☆遊☆白書」のゲーム化をするとき、普通に考えれば「じゃあ格ゲーにしよっか」というのが自然な流れであるように思います。

しかし、ナムコはその道を選びませんでした。ナムコは、独自の「ビジュアルバトル」というシステムを開発し、それに幽白を乗っける方を選びました。

これは私の推測なんですが、恐らくナムコは、「格ゲーファンじゃなくて、漫画の幽白ファンが一番喜ぶゲームはどんなのかな?」というところから始めたのではないか、と思います。そして、原作の格闘要素を削ることなく、幽白独特のキャラクター、独特のビジュアルが最も映えるゲームシステムを選んだ。


ここには、「キャプテン翼」でテクモが起こしたイノベーションと通じるものがあるんじゃないか、と私は思うのです。


ゲームとしては、格ゲーはかなり忙しいシステムですし、プレイヤーを選ぶ側面も正直あります。特に、当時幽白のファンに多かった女性読者の中には、格ゲーブームと無縁に過ごしていた層もかなり多かったでしょう。

それに対して、「シンプルな操作でビジュアルが楽しめる」というシステムを用意することによって、「ゲーム慣れしていないファンでも、十分にビジュアルが楽しめる」というゲームを作り上げる。これも「キャプテン翼」と同じく、ナムコの一つの大英断だったと思うわけです。


後にトレジャーが送り出した「幽☆遊☆白書 魔強統一戦」は、今でも愛好する人がいる程の、「深く、どこまでも遊べる」格ゲーに仕上がっていました。一方、SFCの「幽☆遊☆白書」は、「誰でも遊べて、ビジュアルが楽しめて、しかもちゃんと面白い」ゲームに仕上がっていました。

二つの、全く違った「幽☆遊☆白書」。これもまた、「キャラクターもののゲーム化」における好対照、歴史に残る分岐だと私は思います。




もうちょっとSFC版「幽☆遊☆白書」の話をしますと。なによりもそのキャラクターの選択にセンスを感じます。

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メインキャラクターの5人は当然として、プレイアブルキャラクターの中には六遊会チームの是流だの、魔性使いチームの吏将だの、「そいつが来るか」というキャラクターもかなり含まれています。是流なんて、原作中での戦闘シーンはめっちゃ短かったですけれど、ちゃんと技作りこまれてますよ。すばらしい。

そして、なんといってもキラリと光る「美しい魔闘家・鈴木」の存在。彼の美しい技の数々も、流石に限定されてはいますがきちんと再現されまくっており、開発者の愛を感じること大なわけです。鈴木いいですよね。このゲームではめっちゃ性能低いですけど。

キャラクターごとの性能差は結構極端でして、飛影なんて黒龍波は強力なんですけど他の技が軒並み近接なんで飛ばれると全部スカされたり、相手の行動をキャンセルする技がやたら強かったりと、対人のバランスには正直少々難がありました。あと100%戸愚呂めっちゃ強い。


このゲームの続編では「幽☆遊☆白書 特別篇」も発売されており、ストーリーモードがなくなった代わり、キャラクターバランスの改善、魔界の扉編キャラの追加などが行われています。ドクター神谷とか、刃霧要とかめっちゃいい味出してます。あと、若幻海がそのまんま使えたりします。


私の疑問は正直たったひとつで、「このゲームのシステムってキャラクターものゲーム化するのにはすごい適してると思うのに、なんでフォロワーがほぼいないんだろう?」という点です。なんでしょうね?ゲームとしても結構面白かったと思うんですが…。


と、長々書いて参りました。

結論として、

・キャプテン翼と「幽☆遊☆白書」はキャラクターものをゲーム化する際の革命児
・「幽☆遊☆白書」面白かったですよね
・ただ「剣よ伸びろ!」が強かったためにプレイヤーキャラでは桑原がやたら強かった印象
・魔強統一戦もすげー面白いですよ!!
・全然関係ないけど若幻海かわいいですよね

という5点だけを申し添えて、本エントリーの結びとさせていただこうと思います。


今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 09:00 | Comment(6) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月19日

NHKが貧困報道でねつ造をした、という件がちょっとよくわからない

(追記しました。忙しい方は最後の部分だけお読みください)

ちょっとよくわからなかったので。


「NHKが貧困の実態についての報道をして、その中で出てきた女子高生が、実際には貧困生活とはとても思えない生活についてのツイートをしていた」

その為、NHKの報道は「やらせ」ないし「ねつ造だ」、という話のようです。まとめサイト界隈でがーーっと吹き上がっており、Twitterにもそれが波及しております。まとめサイトにアクセスがいくのもなんなのでリンクは貼りませんが。

ちょっと追っかけてみたところ、元の報道はこれのようです。


当たり前のことですが、NHKの報道が「ねつ造」だというなら、この中に嘘、存在しない話が含まれていなくてはいけません。
この、今まとめサイトなどで対象として挙げられている女子高生についての記述を参照してみると、

希望する専門学校への進学を諦めた高校3年生のうららさんは「みんなが当たり前に持っているものが自分の家にはない。みんなが普通にできることが、自分の家ではとても困難。自分は貧困なのかもしれないと思った」と話しました。

うららさんは、小学5年生のときに両親が離婚し、現在は一緒に暮らす母親が働きながら家計を支えていますが、経済的に厳しい状況です。自宅のアパートには冷房はなく、夏の時期はタオルに包んだ保冷剤を首に巻き、暑さをしのぐ毎日です。自分の家が経済的に厳しいことについて実感させられたのは、中学時代の授業だったといいます。パソコンを持っていなかったうららさんは、授業で先生に「ダブルクリックして」とか「画面をスクロールさせて」などと言われても、ついていくことができませんでした。母親からは千円ほどのキーボードだけを買ってもらい、一生懸命練習したことは忘れることができない出来事でした。

進路を選ぶ3年生の夏を迎えたうららさん。絵が好きで、アニメのキャラクターデザインの仕事に就きたいと、専門学校への進学を希望していましたが、入学金の50万円を工面することが難しく、進学は諦めました。

この辺りの記述がそれに該当しそうです。

それに対して、まとめサイトなどを参照していると、

・部屋に豊富な画材や調度などがある
・2万円程度の高価なイラスト画材を保有している
・1000円以上のランチを頻繁に食べている
・7,800円のEXILEなどの舞台鑑賞(S席) をしている
・ワンピースグッズなどについての散財について記載している

といったことが、「ねつ造報道である」ということの根拠とされている、ように見受けられます。


うん。よくわからん。


少なくとも、ここまでで提示している情報からでは、私には「NHKの報道はねつ造である」という判断をすることが出来ません。

皆さんよくご存知の通り、貧困には「絶対的貧困」と「相対的貧困」の二種類があります。絶対的貧困とは、「必要最低限の生活水準を維持するための食糧・生活必需品を購入できる所得・消費水準に達していない」こと。

一方、OECDが定義している「相対的貧困率」は、「等価可処分所得の中央値の半分の金額未満の所得しかない人口が全人口に占める比率」のことを指しています。


で、これもみなさんよくご存知だと思うんですが、相対的貧困の家庭が、「目先の散財」をしてしまうことは全く珍しいことではありません。むしろ、収入的に長期的な展望が持てないからこそ、目先の短期的な散財をしてしまい、それが余計相対的な貧困の度合に拍車をかけてしまう、というのは実によくある話です。(エンゲル係数の高さが貧困と相関がある、なんて話はよく出てきます) で、これが嘘かどうかは、可処分所得が分からないと判明しません。

そこから考えると、今出てきている情報だけで、「この女子高生は貧困じゃない!!」→「ねつ造だ!!」という論理展開は、ちょっと私には意味が分からないです。


いや、分かんないですよ。実際に、この女子高生の方は上記の「相対的貧困」に当てはまっておらず、定義的な意味でも「貧困」とは言えないのかもしれません。上で紹介されているような、「夏の時期はタオルに包んだ保冷剤を首に巻き」というような記載が偽りなのかもしれません。その場合はNHK報道を「ねつ造」と呼ぶことに問題はありませんし、実際にこの後そういう事実が判明するかもしれませんし、そういう謝罪が出るかもしれません。その可能性を否定はしないです。(率直にいって、エピソードなどについて若干おおげさに報道している可能性は割と高い、とは思っています。それをねつ造と呼ぶかは別問題ですが)

ただ、それと、現時点でNHKをねつ造呼ばわりして、女子高生をたたくのが適当なのかどうか、というのは全く別の問題です。


私が言いたいことは、

・今出ている表面上の情報だけで「こんなの貧困じゃない!」「NHKねつ造!!!」とかって騒ぐのはなんか違うんじゃねえ?

ということ、それだけです。


上記の「相対的貧困」の定義がある以上、「こんな色々買ってるヤツを貧困とはいわねえ!!」と騒ぐことには、1ミリグラムの意味もありません。ある貧困な人が、他の貧困な人の足を引っ張ることほど非生産的なこともありません。絶対的貧困以外を貧困と認めないのであれば、それこそ貧困に対する対処なんてできないですよ。4畳半で、調度もなにもないような家庭しか貧困と認めないんですか?って話です。

そして、「ねつ造をしているメジャー放送局」という藁人形が怒りの対象としてあまりに魅力的であるが故にこそ、ちょっとの情報だけでがーーっとみんな盛り上がってしまう。ちょうどいい「怒りの対象」に石をぶつけまくってしまう。まさに、私が何回か書いている、「分かりやすい悪役」案件です。


私が言いたいのは、単にみなさんちょっと落ち着きませんか?っていう、それだけです。脊髄反社でがーーっと吹き上がっていたら、喜ぶのはまとめサイトばっかりですよ。


取り急ぎ、今日書きたいことはそれくらいです。


(追記:2016/08/19 21:58)
なんか面白いことになっていたので、たまには追記してみます。

上記文章を読んで頂ければわかりますが、私が言ってることはおおまかに三点でして、

1.散財しているからといって即「貧困でない」ということは出来ない
2.それも含めて、「現段階で見えている情報だけでは」「NHKの報道は捏造である」ということは出来ない
3.みんなすぐ吹き上がらないで落ち着きましょうよ

だけです。他のことは上のエントリーでは言っていないというか、例えば相対的貧困がどうとかは上の補足です。NHKの報道姿勢の話なんてしてませんし、この報道が妥当なのかどうかの話もしてませんし、件の女子高生のお金の使い方の是非についてなんて全く言ってませんのでご承知おきください。


で、いつもお手紙食べる黒ヤギさんなのも申し訳ないので、面白いブコメを拾ってお返事しようと思います。

id:Midasさん
間違ってる。もしも相対的貧困の方がブログ主のいう通り深刻な問題(世に問うべき)なら「2000円のランチおいしいですぅ」とだけ言ってればいい(わざわざ「キーボードしか買えなくて…(涙」みたいな話をする必要ない)から
「相対的貧困の方が深刻な問題(世に問うべき)」と書いた記憶がないんですが、上記文章のどの辺がそう読めたのか、後学の為に教えていただけないでしょうか。


id:fusanosuke_nさん
恐ろしいほどの浪費癖のせいで結果的に進学出来なくなっているのは確かに問題。浪費を止めれば入学金50万は出せたはず。でもこれを「貧困」と括るのはどうなんでしょうね。

id:b_taroさん 理屈としては理解できるが、浪費しまくって金がないから貧困、と言われても納得しかねる

「貧困」は単に定義の問題なので、浪費癖がどうとかは貧困かどうかとは関係ないと思いますよ。「浪費を止めれば○○」というのは確かに議論する価値がありますが、ここで書いていることとは別の問題です。


あと、twitterとか見てると、「チケットやワンピース我慢すればパソコンくらい買えた筈!」「だからねつ造!」とかいうすごい謎理論の人がいらっしゃるようですが、ちょっと思いつきませんでした。ユーモアのセンスが素晴らしいですね。元の文章はお読みだったんでしょうか。


そんな感じで。

posted by しんざき at 17:37 | Comment(453) | TrackBack(1) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

単なるパズル問題に「これが解けたらIQ○○以上」とか言って流すの正直やめて欲しい


「こういう面白い問題があるよ!」じゃ目を引きにくいからって、「IQ○○以上」とかいう無根拠なラベルつけるの、IQに対する誤解に拍車をかけそうなので正直やめて欲しいです。


と、言いたいことはタイトルと上の一行で完結してしまったんですが、一応若干補足してみます。


こういうこというと、「あんなの本気にしてるやつなんかいるの?」とか、「いいじゃん単なるお遊びなんだから」とか擁護する人、大体いるんですが、「本気にしてる人」は必ず一定数以上いるんですって。問題としては、(無根拠なものに一見科学的なラベリングをしているという意味で)血液型による性格診断とか、ニセ科学みたいなものに近いです。変な差別感情を生んでしまいかねないところとか、本来科学的に信頼できるものの信頼度を巻き添えで落としてしまったり、といったところも同じです。


今更いちいち説明するまでもないことかもしれませんが、一応念のため、念のために書いておきますと、


・IQにはいくつかの種類・いくつかの計測方法がありますが、いずれも複数の(一般的にはかなり大量の)質問に答えて統計的に結果を導くもので、「これが解けたらIQいくつ」とか言えるものではありません
・必然的に、「IQ○○の問題」「IQ××以上の問題」とかいうものもこの世に存在しません
・「IQを計測する」という場合には、「それがどんな種類のIQで」「どの計測方法を用いるのか」が必ず明確に存在する筈です(明示されているかはともかく)
・そういう基準がないものは単なるおまじない、ないし占いです


「何当たり前のこと書いてんだ」と思われるかもしれませんが、「当たり前のこと」が案外「当たり前のこと」として認識されていないことを、我々は何度も眼前に見ています。


元より、「IQ」とか「知能指数」というのは、扱っている領域が領域であることもあり、色々と誤解・混同されがちです。

たとえば、一番大きな括りでも、IQには「生活年齢に対して精神年齢がどれだけ成長しているか」を基準としたもの(いわゆる従来のIQ)と、「同じ年代の集団の中でどの程度知能が発達しているか」を基準としたもの(DIQ)の二種類があります。で、それに対して、例えばビネー式とかウェクスラー式とか、ウェクスラー式の中にも更に何種類もあったりとか、いろんな計測方法、統計基準があるわけです。細かく知りたい人は後で挙げる参考書籍でも読んでみてください。

IQが高いからといって無条件に勉強が出来るわけではありませんし、IQと相関がある分野もない分野もあります。なにせ「頭の良さ」「知性」という、ただでさえ曖昧な領域の話なので、IQの意味や概念というのは非常にデリケートなのです。


そんなところに、PVやRT数稼ぎなんて目的で、変なものを叩き込んで欲しくないなあ、と。



別に「こういう面白い問題があるよ!解いてみて!」でいいじゃん、と思う訳です。「これ解けた人すげえ!」だけで十分じゃん、と思う訳です。

それだけだとなかなかRTしてもらえなかったりブクマがもらえなかったりするからといって、「IQ」というれっきとした科学的な指数、しかも色々と誤解されがちな指数を客引きに利用するのはやめて欲しい、と思う訳です。それだけです。


単にパズル問題を楽しんでいるだけの人には申し訳ないですが、こういう指摘は継続的にした方がいいと思ったので書いてみました。いや、問題としては面白いんですけどね。ホントに。


ちなみに、もし知能指数や知能検査についてある程度まとまった情報が欲しいという方がいたら、個人的には下記の書籍をお勧めします。


新しい知能観に立った―知能検査基本ハンドブック -




特に、知能検査の毀誉褒貶や様々な問題点にまで触れた、辰野先生の「知能検査基本ハンドブック」は良書だと思います。上記で触れた、知能指数に関する様々な誤解についても触れられています。

滝沢先生の「発達心理学からみたIQ」は、元々教育心理学寄りの方ですので、教育心理学に興味がある方には面白いと思います。


今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 10:55 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月17日

【ブログ読書感想文】「プラネテス」のロックスミスさんをテーマに、「責任の取り方」について考えてみる。

プラネテスのお話です。既出話かもしれませんが、まあwebに既出はつきものなので勘弁してやってください。

この記事のお品書きは下記のような感じになります。


1.「プラネテス」の紹介とロックスミスさんの登場
2.ロックスミスさんの特殊性
3.ロックスミスさんの「責任」とは何だったのか
4.ロックスミスさんとクヌート王子の比較論



順番にいきましょう。当然ながらネタバレが含まれますので、未読の方はご注意ください。えらい長文なのでお暇な時にでもどうぞ。

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2016年08月15日

失礼な質問は失礼な質問であって、取材だからといってそれは免罪されない


何点か気になることがあったので、釣られてみます。



指摘したいことを箇条書きでまとめてしまうと、下記のような感じになります。

・「「なれ合い」の関係ではない」というのは、「失礼なだけの質問(というか揶揄)をしても許される」という意味ではない
・裏にどんな意図があり、結果があったとしても、失礼な質問は失礼な質問であってそれが免罪されたりはしないし、失礼さを指摘されるのは当然である
・マスコミが他者に対して失礼な言葉を投げかけても許されるべきである、といいたいのであれば、マスコミも他者からの失礼な言葉を許容すべきであり、それを許容しないのはダブルスタンダードである
・選手間の人間関係を切り出したいのであれば、他に適切な質問がいくらでもある
・そもそも質問自体が単なる揶揄であり、それほど優れた質問だとは思われない
・選手に失礼な質問を投げかけることで、取材嫌い・マスコミ嫌いの選手を増やし、今後の取材に支障を来す可能性を無視している
・タイトルが意味不明。なにとなにが「完全に逆」なのか本文中に記載がない


大体これくらいのことを考えました。


まず第一に、「失礼な言葉を投げかけて、それに対する反応を引き出す」ということが、非常にメディア側に偏った論理でして。「取材だから」という理由が、「人間と人間の対話における倫理」というものに優先されるとしたら、それはおかしいと思うんですよね。取材の為なら失礼なこと言っていいの?「いい」というのだとしたら、それは誰が決めたの?という話でして。


それに加えて、単純に技術的な話にしても、「マスコミの取材嫌いの人がますます増える」ことによるデメリット、リスクは考えないのかなーと、その点は単純に不思議です。

先日も、吉田沙保里選手が今後の取材に際し報酬を要求する方針、みたいなニュースが出て、これもメディア側の理屈で偉い不評寄りに書かれていましたけれど、いい悪いの話ではなく、今後もこういう話ってどんどん増えると思うんですよ。かつて、広く情報発信するルートが極めて限られていた時代であればともかく、現状「影響力」っていうものはどんどん多様化する方向に動いているわけで、その分「取材によって得られるメリット」というのは相対的に縮小していきます。それに対して、「取材によって発生するデメリット・リスク」というものがどんどん大きくなっていけば、取材を忌避する向きってますます増えていって、色々やりにくくなっていくんじゃないかなーと思うんですが。


別に法律で禁止されているわけでもありませんから、「失礼な質問をしてはならない」とまでは別に思いませんが、「失礼さは失礼さで、批判されるのは当然だし、それによって嫌われるリスクってのも勿論承知してるんですよね?」っていう話ではあります。

あと、

皆さんは「マスゴミが!」と口汚く罵りますが、どこの国の記者の質問かは分かりませんが、彼の質問によって

・内村選手は反論の機会を得て
・2位・3位の選手がどれだけ内村航平という選手をリスペクトしていて
・彼らの受け答えから、彼ら3人の競技以外の側面・人間関係まで垣間見えた

気はしませんか?

これ、内村選手は反論というか単に言下に否定しただけだし、オレグ選手がその場で明確に反論してくれたのは単にそれが「分かってない」質問だったからであって、質問自体が「良い質問」だったとは全く思わないんですが。「こいつ、分かってねーな」と思われる質問が「良い質問」とはとても言えない、ということは一般的な認識ですよね?

体操の採点基準って、例えば「芸術点」みたいな外から見て分かりにくい基準ではなく、「難度」と「実施」の二つに分かれて、極めて明確に採点基準が設けられているので、実際に「審判の好き嫌い」が割り込む余地って正直あまりないんですよね(全くないとまでは言いませんが) 。

参考までに、国際体操連盟発表の採点規則がまとまったページを貼っておきますので、興味がある方は見てみてください。


こういうことを理解した上で、更に例えばボーダーライン上の採点についての細かい突っ込みとかが出来るのであれば、それは「良い質問」「鋭い質問」と言ってもいいかもしれませんが、単に「審判の好き嫌い」くらいにしか言及できないのであれば、それは程度が低いだけの揶揄です。


あと、枝葉の突っ込みなんですが、

「海外メディアが内村選手に「失礼な質問」をしたって?いや、それは完全に逆です。」

「何」と「何」が完全に逆なのか、私の読解力ではいまいち読解できなかったんですが、本文中に記載ってあったでしょうか。読み落としていたんだったら申し訳ないですが。


まあ、気になったことはそれくらいです。

posted by しんざき at 16:13 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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2015/07/19 @場所不明



唐揚げに貴賎なし。
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