2017年12月11日

土日のしんざきとちょっとドラクエライバルズの話とか 17/12/11

12/9が、長女次女6歳、はじめてのお使いの日でした。

午前中に「バタートースト食べたい!」と言われるも食パンがなかったため、「じゃあちょっとパン買いにいかないとなあ」と話していたら、ぴょんぴょん飛び跳ねつつ「おつかいいく!」「いく!!!」と全力主張。

幸い家から徒歩3分のところにコンビニがありまして、まあつい先日6歳にもなったし、二人組だから何とかなるだろうとお使いに送り出すことに。「長女ちゃんが買うからね!」「次女ちゃんが買うの!」と喧嘩を始めたので、急きょ要求品目に牛乳も追加して「長女ちゃんが牛乳を、次女ちゃんが食パンを買う」という折衷案を導入しました。

車通りは殆どない道とはいえ、まあ時節柄若干心配ではあるので、気付かれない程度の間を空けてこっそり後方監視をしてみたんですが、まあ「ぱんーぎゅうにゅうーみーとそーすーらいおんー♪」とかよく分からない即興歌を二人で歌いながら,無事コンビニに入っていきました。大丈夫そうなので撤収。

終わってみると二人とも大満足のお使いだったらしく、きちんと袋も二つに分けてもらって、「おばちゃんにえらいねーってほめてもらった!!」との成果報告。どうもお店の人が空気を読んでくれたようです。ありがとうお店の人。

そんな長女次女ですが、土曜は奥様・長女次女ワンセットでの誕生会をやりまして。誕生日が一週間くらいしか違わないので、例年3人セットで誕生会をやってしまうわけです。

お店が上野だったので、食事会に先立って私・長女・次女の3人パーティで上野動物園にいきました。長男は家でスプラトゥーン2をやりたいということで奥様と一緒に自宅待機。一応長女次女を上野動物園に連れていくのは2回目だと思うんですが、以前はもっと小さい頃だったので、多分物心ついてからは初の上野動物園です。

動物園めっちゃ楽しんでた

動物園は二人ともめっちゃ楽しんでました。画像は、象を眺めながら「あのしっぽ、なわとびみたいだよね…」「そうだね…」みたいなよく分からない会話をしている長女次女。

「ホッキョクグマはいるのになんでナンキョクグマはいないの?」「多分南極が近くの大陸から隔離されてるからちゃうやろか」みたいな会話をしたり。

最初トラが見えなかったところ、後から戻ったら見えるところをうろついていて「得したね!」と言われたり。

ひっきりなしに肩車を要求されて流石に肩が痛くなったり。

「アイアイが現地では悪魔の使いとされていて狩猟の対象になっている」という話に軽くショックを受けていたり。

まあ、色々楽しい動物園行でした。不忍池でスワンボートに乗って撤収。

食事会は、久々の上野の自然食ビュッフェ「大地の贈り物」でした。


今ちょうどチーズフェアをやっておりまして、色んなものにチーズかけ放題の子どもたち大喜びコース。チーズリゾットやチーズ茶わん蒸しがすげー美味しかったです。あとここは昔から、何故か唐揚げがやたら美味しい。

帰りは、長男の要望でわざわざ東海道線に乗って帰宅。楽しい一日でした。


〇ドラクエライバルズの話

カードに調整が入ったので、予定通り取り敢えずレジェンドにはしました。

ドラクエライバルズ、カード調整が入ったので予定通りレジェンドにはした

2回続けて、レジェンドになった瞬間のスクショを取り損ねるクオリティ。

ゼシカが減ったんで、おそらく環境がピサロだらけになるだろうと推測して、除去てんこもりのコントロールミネアを作ってみたらこれが図に当たり。5回連続でランプピサロに当たったりしたのは笑いました。天変地異を使った時の「では少しクソゲーに付き合ってもらう」感はすごいと思います。

ブログ用

ただこのデッキ、アグロにはとことん弱く、レジェンドに上がった後は色んなデッキ出てくるので微妙かなーと。どうしようかなートルネコでも使ってみようかなーと考え中です。

今日書きたいことはそれくらいです。





posted by しんざき at 07:25 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月09日

【情報募集】お風呂での謎の水滴遊びについて

あの、すごーく説明するのが難しいんですが、皆さん子どもの頃お風呂入る時、お風呂の縁に水滴を垂らして、たまった水滴を「島」とか「大陸」とかみなして大きくしたり川を作ったり逆にこぼれないようにしたり、とかいう遊びしたことありますか?

いや、分かりにくいと思うので図示するとですね、


こんな感じで水滴をたらして、


水滴1.png

こんな感じでお風呂の縁に水がたまるわけです。ほら、あるじゃないですか。表面張力とか。表面張力は偉大。表面張力がなければ地球の光景はどうなっていたでしょうか。
水滴2.png

図があるととても分かりやすくなりましたね。

で、あまり大きくし過ぎると水が流れだしてしまうので、絶妙なところでストップさせたりであるとか。

逆に、川を流して箱庭的な情景を作ったりとか。

大きな水滴溜まりで小さな水滴溜まりを吸収したりとか。流れ出さないように、なるべく大きな水滴溜まりを作って「大陸」とか称したりとか、実際の地図を再現しようとしたりであるとか、スケールの限界に挑戦したりであるとか。

結構領土争い的な要素もあって面白かったんですよ。なんつーか、ポピュラスとかシムシティみたいな箱庭的遊びの原型というべきでしょうか。


先日、長男10歳と一緒に風呂に入っていたらですね、長男がぽたぽたと水滴を垂らしていてですね。

「何やってるの?」と聞いてみたら、まさに

「大陸作ってるの」

と言ったんですよ。彼的には、「川が出来ちゃって流れ出すと負け」らしいんですが、あーあったあったそういうルールも。

いや、私、上記みたいな遊びは別に教えてないんですよ?しんざき家、お風呂は割と早風呂というか、子供3人入れないといけないんで、ゆっくり余裕をもってお風呂に浸かれるタイミングがあんまりないんですよ。子どもたち同士ではきゃっきゃ遊んでるんですけどね。

つまり、特段伝達も伝承もしていないというのに、「お風呂の縁での島作り」「大陸作り」という謎の遊びがいつの間にか長男に伝わっていた、あるいは長男が独自でそこにたどり着いていたということで、これはもしかすると結構子どもに普遍的な遊びだったりはしないかと。

「お風呂の縁での箱庭遊び」ってやるもんなんだなあ、と軽く感動した次第なんです。

で、皆さんにお尋ねしたいのですが、上記のような遊び、子供の頃やってました?

やってたとしたら、その遊び何て呼んでましたか?軽くぐぐってみてもちょっとこの遊びが一般的かどうかよくわからなかったんですよ。

もし皆さんご存知であれば、この遊びに一般的な名前があるのかどうかも含めて知りたいと思うので、情報提供の程よろしくお願いいたします。


今日書きたいことはそれくらいです。






posted by しんざき at 08:53 | Comment(1) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月08日

しんざきにとってラヴクラフト作品は何故怖くないのか


主語小さい記事です。

いや、twitterではネタとしてこういうこと書きましたけど、

実際には触手がどうとか触腕がどうとかって、多分枝葉の問題だと思うんですよ。

だって、ラヴクラフト作品で「触手」「触腕」みたいな描写が出てくる、というか「宇宙的怪異」がある程度直接描写される話ってごくごく一部ですもんね。多分、全体の2割あるかないかってところなんじゃないでしょうか?クトゥルフ神話全体だったらもっと一杯あるんですけどね。

これはどちらかというと「ホラー」というジャンルの受け取り方とか、楽しみ方の話なんですが。


私、ホラーの肝って、「踏み外させ方」だと思うんですよ。


つまり、「さっきまで日常だったのに、いつの間にか日常を踏み外していた」という、いってみれば浮遊感。あれなんかおかしいぞおかしいぞ、と思いながら読み進めて、どこかで「既に日常を踏み外して落下していた」という感覚。後から読み返して、「ここだったのか」と気づく戦慄。

少なくとも私が、ホラーを読んで「怖さ」を感じるところってそこなんですよね。

怖いホラーって、凄く「日常」を描くのが上手いと思うんですよ。ついさっきまで和気あいあいと、ごく普通の日常を送っていたのに、ある瞬間から異様な情景に、異様な世界になる。日常描写がリアルであればある程、それが「実は壊れていた」と気付く時の恐怖感が大きくなる。

いわば、日常風景でゲージ溜めて、そのゲージで一気に超必を撃つ、みたいな話なんだと思うんです。少なくとも私は、「日常ゲージ」がある程度溜まってないとあんまり怖くない。それも、「怖くなるぞ怖くなるぞさあ怖くなるぞ」っていう前振りがある怖さじゃなくって、「あれ、なんか変だな…日常の筈なのに…あれ?あれ?」ってなる方が怖い。

要するに、物語序盤からすぐ怖い話が始まったり、「怖くなるぞ」っていうタメが明確な作品ってあんまり怖くないんです。

で、そういう意味では、ラヴクラフト作品って「日常ゲージ溜め」はあまり行われないんですよね。勿論タイトルにもよるんですが、割と早い段階で「日常」は終わるし、場合によっては最初の時点で既に日常が終わっていたりする。「怪異の存在明示」が結構早いんです。

ただ、これは決して「ラヴクラフト作品がつまらない」という訳ではないということは念押しさせてください。私にとって、「ホラーとしての」ラヴクラフト作品はあまり怖くない、というだけの話であって、「宇宙的怪異」を描いているラヴクラフト作品は十分面白いですし、楽しめます。「時間からの影」とか「宇宙からの色」とか超面白い。

ただ、飽くまで「ホラーとして」の話であれば、「冷気」とか「家のなかの絵」なんかはかなり怖いと思います。ムニョス先生こわい。あと「神殿」も結構こわいかも。

ちなみに、以下は初心者の方におススメ出来るラヴクラフト作品の記事なんで、よかったら読んでみてください。面白いですよ。ラヴクラフト。たまにSAN値は削られますけど。





ところで、全然話が飛ぶんですが、私レイ・ブラッドベリの作品って大好きで。特に大好物なのが「何かが道をやってくる」と「10月はたそがれの国」の二作なんですけど。

ブラッドベリって、そもそも別にホラー作家ではなくって、時にはSFを、時にはファンタジーを書くっていう感じの、言ってみれば「幻想作家」なんですけど。

ただ、ブラッドベリの「踏み外させ方」って物凄いと思うんですよ。正直そこらのホラー小説よりよっぽど怖い。「あれ?あれ?日常の筈なのに…」からの浮遊感がすごーーーい上手いんです。

そういう意味で、上でも挙げた「10月はたそがれの国」と「何かが道をやってくる」は超お勧めです。よかったら一度読んでみてください。



「10月はたそがれの国」については以前書きました。その時も「踏み外させ方」の話をしました。



「何かが道をやってくる」についてはまたその内ちゃんと書こうと思います。


ということで、今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 07:37 | Comment(3) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月06日

ネタバレ強度の高いジャンルと低いジャンル

当たり前のようですが、ネタバレをされると面白さが減少してしまう作品・ジャンルと、ネタバレをされても特に面白さに影響しない作品・ジャンルというものはあるよなーと思ったのです。

ネタバレの是非、みたいな話はちょくちょく見かけます。「ネタバレ勘弁して!ヘタにSNS見るとネタバレ踏むから見れない!」という人がいる一方、「私はネタバレ全然平気!むしろして欲しい!」みたいな人も時折観測出来ます。最終的には個人の好みの話です。

私に関して言えば、そりゃ作品というか、作品の作りによるんじゃないかなあ、と思いました。そこから、もしかするとネタバレ好きかそうでないかというのは、好きな作品のジャンルによっても変わってくるんじゃないかなあ、とも思いました。

まず、「作品によるネタバレ強度」という話をします。


〇前提

ここでは、ネタバレについて、「結末や作中の重要な展開について事前に知らされてしまうこと」と定義します。
多分普通の定義だと思います。


〇ネタバレ強度の低いジャンル、高いジャンルとは何か

一言で言うと、「その展開について初めて知った時の驚きが、その作品を視聴した時の面白さに占める割合」が大きければ大きい程、その作品のネタバレ強度は低い、ということになると思います。

分かりやすい例でいうと、多くの推理小説は、「ある事件に含まれる謎について、登場人物と一緒に解き明かしていく」「その謎が解けた時の心理的快感を楽しむ」という構造になっています。

勿論作品にもよるのですが、推理小説を読んだ時の「面白さ」の中では、「謎が解けた時の爽快感」というものが割と大きいです。「そうだったのか!」という納得感。「まさかそうくるとは!」という驚き。それらについては、登場人物と一緒に徐々にその謎にたどり着いていくことが、面白さの前提条件になってくるわけであって、事前に謎の中核を知ってしまうと驚きが低減してしまうことは間違いありません。勿論、受け取り手の好みとか、読み方にもよるんですけどね。

だから、多くの推理小説はネタバレ強度が比較的低い、ということになる訳です。

ただ、これは勿論、作品の作り方によっては全然変わってくる話でして。例えば「刑事コロンボ」みたいな作りのサスペンスは、近いジャンルの作品でありながら、「犯行の瞬間や犯人の正体は初めから視聴者に提示されている」という特徴を持っています。視聴者は事件の核心は既に知った上で、コロンボがその謎を解き、犯人を追い詰めていく過程を楽しむ、という構造になるわけです。

勿論、タイトルによってはこれにミスリードが加わったり、あるいは追い詰めていく過程でも色々重要な展開が発生することはあるんですが、少なくとも「別れのワインの犯人は誰誰だよ」みたいなネタバレをされても、特に作品自体の面白さが減ずることはないでしょうし、「こういうトリックで犯行を行っていた犯人を、コロンボが追い詰めて逮捕するよ」と結末をバラされても、基本的には「そりゃそうなるわな」としか思わないでしょう。コロンボのネタバレ耐性は比較的高い、ということになります。

関係ないですが、別れのワインめっちゃ名エピソードですよね。あれと祝砲の挽歌、あと「二枚のドガの絵」が個人的な三大コロンボ名タイトル。

恐らく、サスペンス、謎解き要素が強い作品、展開の起伏が激しい作品であればある程、ネタバレ強度は低くなる筈です。ジャンルとしてそういう要素が強いのは、推理もの、SF、ミステリー辺りを筆頭として、セカイ系、能力バトルもの辺りが後に続く感じでしょうか。


一方で。


逆に、「ネタバレ強度が比較的高いジャンル」というのも多分あって、例えば日常系漫画とか、あるいは料理漫画とか、話の起伏や展開にそれ程意外性がない、意外性を面白さの中核にしていない、あるいはある程度決まった定型パターンがある作品は、事前にネタバレをされてもそれ程面白さに影響を及ぼさないことが多いです。

例えば、「よつばと!」みたいな作品では、そもそもネタバレをすること自体が難しいでしょう。ネタバレをするような「結末」とか「重要な展開」というものが存在しないし、そういう楽しみ方をする作品でもないからです。「よつばが牧場で羊に喧嘩売った」とバラされたとして、よつばと!の面白さがどう減ずるか、というのは難しい問題です。

料理漫画も、勿論エピソードごとに色々な展開があるのですが、大筋「美味しそうな料理やその作成過程を楽しむ」という作品であれば、ネタバレ強度は高いことが多いでしょう。まあ、料理漫画っても千差万別なので、例えば「鉄鍋のジャン」みたいな展開の起伏が激しい漫画であれば、ネタバレのダメージも出てくるかも知れないですが。

似たような話として、実際の歴史をモデルとした時代小説、時代漫画みたいなものも、ネタバレ強度は相当高いと言っていいでしょう。仮想史みたいな例外もありますが、「信長が本能寺で死ぬ」というネタバレを聞いて怒る人は多分そんなに多くないでしょうし、作中殆どのエピソードは大体の概略をみんな知っている訳です。

そこから考えると、ジャンルの中に例外的なタイトルもあることは前提として、「このジャンルは大体ネタバレ強度高い」「このジャンルは大体ネタバレ強度低い」という話は、グラデーション的に分類出来そうな気がします。


〇私見・ネタバレ強度高いジャンル・低いジャンル

作品のジャンルは思いついたままに書いているだけであって、特に整理はしていません。

ネタバレ強度高い↑

日常系
史実系歴史もの
エッセイ系
料理系
スポーツ系
バトル系
恋愛もの
オカルト・伝奇系
SF
ミステリー/推理もの

ネタバレ強度低い↓

ざっくりした傾向はこんな感じになるんじゃないかなー、と。

で、多分なんですが、ネタバレ強度が高い作品を普段愛好している人は、そもそもネタバレからのダメージを受けること自体があまりないので、ネタバレについての意識も必然低くなる、みたいな傾向があるんじゃないかなーと思うんですよ。

勿論これは人による話であって、中には推理ものを愛好しつつもネタバレどんとこい、みたいな人も当然いると思います。ただ、ネタバレに対するスタンスを議論する上では、「その人が好むジャンルは、ネタバレに対する強度が高いジャンルか、低いジャンルか」ということは、一点計算してもいいように思ったわけなんです。


私自身の話をすれば。

しんざきが一番好んでいるジャンルは海外SFでして、ジャンルとしては相当ネタバレに対して脆弱です(勿論タイトルにもよります)。ただ、しんざき自身は、そこまでネタバレに敏感ではありません。踏んでしまったら踏んでしまったでまあしょうがないかな、くらいの感じです。

作品の魅力を語る上では、どうしても最低限のネタバレに触れてしまうことというのはありまして、そういう際は事前に断るようにはしています。ただ、面白さの核心部分に「驚き」がある作品であれば、やはり何も知らない状態でその作品に触れて頂きたいわけで、それをどこまで書くかは常に頭を悩ませるテーマであります。

厄介なことに、「「ネタバレ注意」という言葉自体が、すでにある程度ネタバレになってしまう問題」というものがあるんですよね。例えば「一見日常系なんだけど、ネタバレ注意と言われた」という時点で、ああ、その作品には何かしらの裏があるんだな、ということが分かってしまうわけで、勘がいい人だと色々推測出来ちゃうわけなんです。これはひじょーーに厄介な問題だと思います。

不特定多数に声が届いてしまう以上は、最低限のネタバレマナーには留意しないといけないなあ、と。あれこれ悩みながら作品紹介をする日々なわけです。

今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 12:39 | Comment(4) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月05日

「議論」「討論」に対する妙な偏見は、一体どこから来ているのだろう

単純な疑問であって、特に結論出してどうこうという話ではないんですが。

昨日、こんなツイートを見かけました。

討論と対話の違い、ということなんですが、これ、パッと見で違和感を感じませんか?

「声の大きい人有利」とか、「考え方が変わらない」とか、それ、明らかに討論じゃないだろ、と。それは討論もどきというか、「討論のやり方を知らない人が考える間違った討論のイメージ」でしかないだろ、と。

議論や討論というものは、根本的には「違う考え同士をすり合わせることで、新しい知見や妥当な結論を導き出す」為にやることだ、と思います。ディベートって言葉も、だいぶ一般的になりましたよね。


ゴールとして「新しい知見や妥当な結論を導きだす」ということが共有されていれば、「声の大きい人有利」だとか「気まずい雰囲気になる」とかいう話はすいません何語ですか?という程度に意味不明ワードになります。相手の話を大きな声でかき消して、一体どんなすり合わせが出来るんですかという話だし、勝つとか負けるとかいう問題ではないのだから気まずくなりようがないですよね。

ただ、この「新しい知見や妥当な結論を導きだす」というゴールが、案外共有されていないというか、もしかすると常識ですらないのではあるまいか、と。

以前、似たようなことを書きました。


手前味噌ですが、少し引用してみます。
「新しいものを見つける」という議論の目的の為には、積み上げが必要だ。Aという知見に対して、Bという知見を加えることによって新しいCという視点を見つける。前の言葉、前の論点に色んなものを少しずつ積み上げていく。それが議論だ。というか、「積み上げ」が存在しないと議論にはならない。

ところが、どうも「積み上げる議論」ではなく、その場その場で言葉を投げつけあって、その言葉の勢いのあるなしで「勝ち負け」を判断する、言ってみれば「言葉のぶつけっこ」を議論と考える人が、たまーにいる様な気がする。そういう人にとっては、何か新しい知見を導き出すことではなく、相手の弱点を探り出して、とにかく相手をへこませることが「勝ち」だったりする。

つまり、この「言葉のぶつけっこ」がまさに討論であり、議論である、という勘違いは想像以上に広かったりしねえかと思ったのです。

冒頭のツイートを見て、一つ思い出した増田がありました。これです。

はてなの中高年は今井絵理子の発言を理解できない
あいつらは「批判」をすっごい悪いことって意味で使ってるの。
「批判」は和を乱すとか喧嘩を売るって意味でしかない。ケチをつける。因縁をつける。人の気分を悪くする。
これはもちろんおそるべき低知性・低学歴の表出と取っていいと思うけど
ディベートやディスカッションの訓練をしない日本の公教育カリキュラムの悪影響も合流してると思う。
意見をぶつけ合うことは異常事態であって悪いこと。

これ、都議会議員選挙に先立つ、今井絵里子氏の「批判なき選挙、批判なき政治」という言葉に反応してた人達を評して書かれた記事なんですけど、実は私、これ見て結構「あ、妥当かも」と思ったんですよ。

ある考えに対する新しい知見っていうものは、そもそも批判とワンセットで導出されるものの筈であって、そこから考えると議論や討論に「批判」は必要不可欠なものである筈なんですけれど、確かに「批判」を「悪いもの、和を乱すもの」と捉える人は、いる。存在する。

一点この増田と私の意見が異なるところは、これは別に「低知性・低学歴」の表出ではなく、ちゃんと教育を受けて、大学を出て、うっかりすると大学でディベートの授業を受けた人の中にすら普通に存在するんじゃないか、と思っているところなんですけど。

で、この二つの、つまり「批判を悪いものと考える」向きと「討論を言葉のぶつけっこと勘違いする向き」って、もしかすると地続きなんじゃないか、と思ったんですよ。

批判というものは相手を傷つけることであって、するべきではないこと。
討論というものは相手の考えを否定すること。
議論というものは相手をやりこめること。
相手をやりこめるから、嫌な気分になる。考えが変わらない。

だから「討論ではなく対話をしましょう」などという、よく意味が分からない謎の結論に着地してるんじゃねえか、と。

当たり前のことなんですけど、批判と人格否定はイコールではないですよね?いくら相手の意見を批判したところで、その人自体を否定したことにはなりません。私はその意見に与しないけれど、あなたがその意見を言うことを否定するものではない。それは、ディベートにおける基礎のキ、レベル1の魔法使いでもメラくらい覚えてるよね、というレベルの必須事項です。


けれど、「人格否定と批判を、実施レベルで分離出来ない人」というのは、実は想像以上に多いんじゃねえか、と。


ちょっとまだちゃんと確認出来ていないんですが、冒頭ツイートの画像も、れっきとした大学教授が書かれたものである、という話も観測しております。つまりこれは、必ずしも教育や知性の問題ではない。むしろ、考え方や認識の方向性に、割と根本的なところで断絶がある層があったりするんじゃねえか、と。そんな風に思うのです。


ここで、単純な日本人論にするのはあまり妥当な結論に結びつかないような気がします。「日本人の性質」とか「和を以て貴しとなす」とかいうのは、主語をでかくし過ぎて話をぼやっとさせるワードです。個人的には、断絶があるとしたら、むしろ小中学校くらいの割と早い内に受けた教育に何か淵源があるんじゃないか、と考えています。すいませんまだあんまり根拠ないんですけど。

ただ、幾つか確実なこととして、

・批判と人格否定はワンセットではないんですよ
・だから、討論と批判が不可分だったとしても、それは「相手を否定すること」「相手をやりこめること、傷つけること」ではないんですよ
・逆に、批判という体で人格否定をしている人は、根本的に議論や討論が出来ていない人なのでそう考えて対応すれば(あるいは対応しなければ)いいと思います

ということについては、当たり前のようなんですが、ちょこちょこ確認しておいても損はなさそうだなーと考えたのです。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:09 | Comment(14) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月04日

長男の学習机を作りました

大変でしたが意外と楽しかったです。

長男が、宿題やら勉強やらを、幼稚園の頃から使っている小さなちゃぶ台でやっているので、流石にそろそろ何とかしないとなーと思いまして、机を買おうと思いました。

で、色々調べていると、LOOKING学習机4点セットとかいうのが、2万円ちょいと安いのにいい感じやん、となりました。机って結構高いの多いんですよね。デザイン系のヤツは言うに及ばないんですが、コクヨとかの実用性重視のやつでも4万5万普通にする。

商品で言うとこれです。


で、ポチってみると1週間くらいで段ボールがどかどか届きました。

desk001.jpg

ガチで一から組み上げる系のヤツ。いや、あんまり比較対象がないので分からないんですが、基本出来合いのパーツってのは一個もなくて、板を組んでくところから全部自前なので、多分割とガチのヤツなんじゃないでしょうか?よくわかんないけど、高いヤツはある程度工賃とか入ってるんだと思う。

ただ、説明書とか割と親切に書いてありまして、私日曜大工の経験とか殆どないんでそれ程スキルもないと思ってはいるんですが、途中からだんだん慣れて楽しくなってきました。仕事が終わって帰宅した後、せいぜい1,2時間しか作業出来ないんで何日かかかったんですが。

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これが机本体のパーツになります。ついてるレールは引き出し付ける為のヤツで、これもネジ止めしてあります。ネジ止めする部分はコルク状でネジが差し込みやすいようになってる。


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これに天板をはめ込むとこうなる。机っぽくなるやん!!!とそこそこ感動。右のほうに見えている掃除機は気にしないでください。基本しんざき家はパワーでしか掃除機を選ばないんですが、彼はそんな中でもなんでも調子よく吸い込んでくれるナイスガイです。

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上棚と引き出しをつけた時点で、待ちきれずに巣作りを始めた長男。上棚に載っている謎のオブジェは、彼が小1か小2くらいの時に自分でつくった貯金箱で、なんか今でも愛用しています。コンパスを何に使っているのかは知りません。

で、ほぼ出来上がった状態が以下。

desk004.jpg

私の素人くさい作業でもちゃんと机になりました。すごい。いや、実際にはこれにハンガーラックもつく筈で、目下置き場所がないのでそっちはまだ組んでないんですが、まあこれでもちゃんと机としては使える。

机本体・上棚・ワゴンラック・ハンガーラックの4つに分かれておりまして、値段的にはかなり安いと思うんですが、組み立てには6,7時間はかかったので作業費用も含めるとそこまで安くない気もする。けど冷静に考えると、私の素人時給換算なんてたかが知れている訳で、そこから考えるとやはりお得だと思います。

普段全く工具に親しんでいない私が6,7時間でこれくらいは組めたので、多分慣れている人ならもっと早いんじゃないでしょうか?ただ、重いパーツが結構あるので、女性一人でやるのは厳しいと思います。私も、一部のパーツを組む時には奥様に手伝ってもらったりしました。あとネジを巻きすぎて手が痛くなった。

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ワゴンラックも使いでがありそう。ただ長男、こちらにはまだ何も入れていないらしく、「使い道募集中」と言ってました。

まあ長男もやはり大喜びでして、子どもって「自分が自由に出来るフィールド」が出来ると物凄い嬉しいものなんですよね。「この机の責任者は長男だから、パパもママも長男許可なしで勝手に触ったりしないから、ちゃんと責任もって管理すること」っていったら凄いモチベーション上がったらしく、宿題とかもこの机で始めてます。まあ面倒くさがるのは相変わらずなんですけどね。

机なんて汚さないように大事に使う必要なんか何もなくって、これから長い学生生活、ガンガン汚しまくってくれればよいと思います。男子の机なんて大抵数カ月でカオスになるもんだと思う。


ということで、単に「机を作ったよ」というだけの話でした。よろしくお願いします。

posted by しんざき at 12:40 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドラゴンクエストライバルズの現在の状況 17/12/04

なんかちょっとぼーっとしてたら知らない内に11月シーズンが終わってました。

Screenshot_2017-12-03-01-14-40.png

結局前期は11/13に90勝くらいでレジェンドには上がりまして、その後はぽつぽつ、デッキ試したりデイリー消化したりするくらいでもっぱら闘技場を遊んでました。闘技場面白い。全クラス10勝達成を目標にしているんですが、まだピサロ・トルネコ・テリーでしか達成してなくって、残りは結構てこずりそうです。5〜6勝ならまあ普通にいけるんですけど、10勝となるとやはり相当運も絡んできそうな感じがします。

闘技場は、キャラによって「〇〇の扉」の強さが変わってくるところが一つのポイントで、例えばピサロならゾンビの扉がやたら強かったりするし、テリーなら武器と特技の扉を是非開けたかったりするし、その辺覚えてランダム性を操作するのが楽しい感じです。

で、今期は何やらカードのステータス調整が入るらしいので、ランク戦の方は調整内容が分かるまでは例によってデイリー消化程度に遊ぼうと思ってます。調整終わったらまたレジェンドくらいは目指してみようかなあ。

今主に使ってるのは奇数ミネア。

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アルカナバーストの性能が凶悪という他ありません。テンションスキルで呼び込めば3マナで大型を除去しつつドローまで出来るので、ハマったらゼシカだろうがテリーだろうが蹴散らすくらい強いんですが、相手の盤面が埋まってしまうとシドーやジャガーメイジ連打くらいしか打開の手段がないので、多少ボードクリアに拠ったプレイをします。

もう一つ使っているのはアグロテリー。

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中盤多少ダメージレースで遅れても、雷鳴の剣で全部ひっくり返せたりするのはちょっと詐欺くさいと思います。アグロ相手は奇跡の剣が凶悪の一言。ユニットは顔面狙い、武器で相手のユニット除去が基本です。

取りあえずアグロテリーもやっていて面白いので、ランクは当面この辺で進めていこうかなーと思う次第です。


一旦それくらいです。

posted by しんざき at 07:00 | Comment(1) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月01日

OTCGにおけるカードの弱体化について私の理解を書いてみます

いわゆるカードのナーフ(弱体化)の必要性について考えてみます。大した話ではないです。


例えばHearthstoneとかShadowverse、直近だとドラゴンクエストライバルズのような、

・カードを集めてデッキを作る
・デッキを作ってオンラインで対戦する

という形式のカードゲームがあります。オンライントレーディングカードゲーム(以下OTCG)と呼ばれることが多いです。トレーディング要素ないのに何でトレーディングカードゲームなん?と言われても私は知りません。カード分解して違うカード作ることもトレードと考えるからでしょうか。

大本のM:TGの頃からの一種の伝統ですが、OTCGではしばしば対戦のバランスが崩れて環境がエラいことになり、カードの強さの調整が入る、ということがあります。色々ありましたよね。MoMaの冬とかメグリムジャーとかヨーグモスの意志とか。あったあった。

今回は、その「バランスが崩れる」「だから調整する」ということについて、私の理解をなんとなく書いてみます。


〇OTCGの「望ましいバランス」とは一体どんな状態なのか

まず前提として、望ましいバランスというのは、「なるべく多くの人が「面白い」と感じるバランス」ということになると思います。全員を満足させるゲームは存在しませんが、満足している人が満足していない人よりもかなり多い、という状況は多分作れるでしょう。

もう一つ前提として、多くの人は「勝とうとする」「負けっぱなしだと面白いと感じない」という前提もあります。デッキ構築にせよカード選択にせよ、殆どの人は「勝ち」を意識して吟味するもので、本当に純粋に「好きなクラス、好きなカードだけを使う」という人はかなりの少数派である、ということですね。

その上で、つきつめると、OTCGでは下記のような状態が「望ましいバランス」の要件になることが多いような気がしています。


・勝敗の結果について、「運ではなく実力によるものだ」と納得、ないし錯覚しやすい
・極端に強いクラス・極端に強いデッキタイプというものが存在せず、環境に多くのタイプのデッキが存在している


つまり、「勝敗が極端に運要素に偏っておらず」「色んなデッキを目撃することが出来る」状態が、いわゆる「いいバランス」だ、という話です。多分一般的な話ですよね?

これが崩れるのはどんな時かというと。たとえば、

・極端に強いカード・ないし強いカードのメタカードが存在し、どのデッキもそれを意識した構築になる、ないしデッキタイプが限定されてしまう
・少数のクラスに強いカードが偏在しており、その少数以外のクラスのデッキを滅多に見かけない
・コントロールが極端に強い、あるいはアグロが極端に強いなど、デッキの傾向が制限されてしまっている
・先手/後手など、実力に関係なく運によって決定される要素が勝敗を大きく左右してしまう(先手/後手の勝敗バランスが悪い)
・極端に先出し有利なカードがあり、「先に特定のカードを引いた方が勝ち」というような状態になってしまう

上記のような時、「このOTCGはバランスが良くない」と多くの人が感じる状況になる、と思います。

上記は飽くまで「バランス」の話なので、これだけが面白さの要件になる、ということではありません。UIの快適さとか、カードを使っている時の爽快感とか、これ以外の要素も色々あるでしょう。

昔は、「強いカードがレアリティの高いカードに集中していない(つまり、課金が勝敗の上での必須要素になっていない)」ということもよく言われていましたが、最近ではそこまで見ないような気がします。「Pay to win」とか最近あまり聞かない言葉ですけど、どうなんでしょうね?まだ現役なんでしょうか?

ぶっちゃけた話、運営も利益が上がらないゲームは継続しようがないわけで、ある程度客に課金をしてもらうよう誘導するのはそりゃ仕方ないでしょーとは思わないでもないです。あまりに露骨だと色々批判されるのかも知れませんが。


〇では、運営はどんな状態を目指せばいいのか

上記「いいバランス」を目指すという話からすると、

・極端に強いカードが存在せず、様々なカードやデッキタイプを採用する、ないし活躍させる余地がある
・強いカードが少ないクラスに集中しておらず、様々なクラスで勝ちを狙うことが出来る
・先手/後手の有利不利をなるべく平準化するシステムを導入する

ということになると思います。言うだけならタダですよね。

勿論、「極端に強い」という言葉にも明確な基準があるわけでもなく。勿論使用率やら勝率やらは正確なデータが取れるとしても、必ずしも「〇〇%以上なら修正が必要」とか一概に言えるものでもないわけです。

二点、問題点として、

・デッキタイプやクラス使用率が偏る要因は、必ずしもバランスだけではない
・強いカードがなければいいという話ではなく、「ある程度強いカード」はOTCGの面白さの為に必要である

ということは言えると思います。

極端に強いカードが出るといけないから、ということで強いカードをかたっぱしから潰していては、ゲームから爽快感がどんどん失われていきます。地味なカードばっかで面白くねえ、という奴ですよね。なんだかんだで、強いカードを上手く場に着地させた時の爽快感というものは、OTCGにおいて重要なものです。「ある程度尖ったカードが多い方が面白い」という人も多いです。それに、その強いカードを軸にしていたデッキが使用されなくなってしまえば、却ってデッキの多様性が失われてしまうということになる可能性もあります。

また、現在はWebやSNSで簡単に情報が流通する時代でして、強いデッキの構成、強いクラスの情報なんかも簡単に出回ります。「他にも強いデッキはあるのに、有名な人が〇〇というクラスのデッキレシピを公開したからいきなりそのクラスに使用率が偏る」みたいなケースも、ことによるとあるかも知れません。研究が進んでいるクラスとそうでないクラスで大きく勝率が異なる、なんてことも珍しくありません。

まあなんか、単純に使用率や勝率が偏ってれば修正すればいいのかというとそういう訳でもなく、同じく単純に強いカードを弱体化してればゲームのエッジってのはどんどん失われていくもので、ゲーム自体が面白くなくなっちゃって元も子もない、みたいなことも起こり得ると考えると、OTCGのバランス調整ってのはつくづく高難度ゲーだなーと思うわけです。色々考えて調整しても、それがユーザー全員を満足させられるかなんていうと到底無理なわけで、「つまんねーー!!」と叫ぶ声が大きな人は決していなくなることがありません。大変ですよね。


〇「弱体化」によってバランスをとるのは、多分「必要悪」だということ

とはいえ、そういうことを考えあわせた上でも、「極端に強いカード」がうっかり世に出てしまうことを止めることはできませんし、そのカードが環境を席捲していたとしたら、やはりなんらか対応はしなくてはいけないと思うわけです。

上でも書いた通り、「カードを弱体化する」というのは、イコール「そのゲームのエッジをそぎ落とす」ということでもあります。ゲームの面白さを減殺することもある諸刃の剣であり、しかもそれでバランスがとれるという保証はなく、ユーザーによってまた別の強カードが発見されてそっちに人が集まって終わり、なんてことになる可能性もあります。リスクは高いのに効果は保証されていない。厳しいですよね。

ただ、実際のところカードごとに「適正な強さ」というものは本来ある筈で、適正な水準を大幅に上回っているカードであれば、やっぱそのままほっとくというわけにもいかないと思うんですよ。

カード間のバランスを調整する際には、単純にそのカードを弱体化するだけではなく、「そのカードに対するメタカードを出す」「他のカードも強くすることで一強状態をなくす」といったものも考えられますが、当然ながらそれぞれにメリット・デメリットがあります。結局そのメタカードが必須になってしまったら意味がないとか、エッジが効きすぎて余計バランスが世紀末になるとか、そういう場合ですよね。

そこから考えると、やはりバランス調整の際の最も安全な札は、「必要最低限のカード弱体化」であるということにならざるを得ないのかなあ、と思うんです。特に、リアルカードゲームと違ってエラッタが出しやすいというのは、OTCGの大きな強みの一つですしね。

リスクは大きいしリターンも不確定だし、非常に大変な仕事だとは思うのですが、ゲームを面白く維持する為の必要悪として、開発運営の皆さんには慎重にカードのナーフというものを検討していただきたいと思う次第なのです。勿論、そもそもナーフを必要とするような状況にならなければそれが一番いいんですけどね。


〇そういえばドラクエライバルズでカード能力の調整が入るらしいですね



どのカードが調整されるのかなーー。


ということで、今日書きたいことはそれくらいです。







posted by しんざき at 13:13 | Comment(3) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月30日

何故立ち抱っこでないとダメなのか、5歳女児にヒアリングしてみた

しんざき家の子どもたちは、3人そろって抱っこ星人でして、抱っこ・おんぶ・肩車を食って育ってるのかってくらい抱っこやおんぶが好きです。長男10歳は流石に、自分から抱っこして欲しがることはほぼなくなったんですが、長女次女5歳は相変わらずすげー勢いで抱っこリクエストをしてきます。


ところで、「立ち抱っこ」と「座り抱っこ」では、子どもにとっては明確な価値の差があるみたいなんです。


昔から、子どもに抱っこを求められた時、大変なので座ったまま抱っこしようとすると、「立って抱っこして!!」と怒られることがあったんですよ。輸送反応とかあるじゃないですか、運ばれる時には泣き止みやすくなるっていうアレ。ただうちの子の場合、別に歩く・歩かないにかかわらず、泣く・泣かないに関わらず、「座った状態での抱っこ」よりも「立った状態での抱っこ」の方が喜ぶし、やってもらいたがるんです。親としては座って抱っこした方が楽なんですけどね。

そういうもんだと思っていたんですが、そういえば「何故立って抱っこの方が好きなのか」というのは個人差もあるかも知れないし、感じ方の違いもあるかも知れない。それを本人にヒアリングしたことがそういえばなかったなと思い、特にピュア抱っこ星人である次女に聞いてみたんです。そしたら、ちょっと意外な回答が返ってきました。

「次女ちゃんさあ」

「なにー?(抱っこされながら)」

「ちっちゃい頃から、パパが座って抱っこするより、立って抱っこする方が好きだよね」

「うん」

「あれ何で?」

「うーーんとね、パパにしかさわってないと、安心するの

「え。それは次女ちゃんの体がってこと?」

「そう」

「けどそしたら、座り抱っこでも、パパの体に次女ちゃんの体が全部乗ってたら安心する?」

「いすが近いとなんかやだ」


なるほど。

勿論ケース数がたった1なので一般化する気は全くないんですが、少なくともうちの次女にとっては、「自分の体が、地面や椅子など、他のものから離れてパパだけに保持されていることが重要」ということみたいなんですね。座り抱っこだと、結果的に自分の体の位置が低くなって、地面や椅子が近いから安心できない、と。


ここからは単なる想像なんですが、いわゆる輸送反応と同じように、本能的に安心出来る状態というのは多分あるんじゃないかなーと。で、その条件の一つには、「周囲からの安全が確保されている」というものもあるんじゃないか、と。例えば子供って段ボール箱とか入り込むの大好きですけど、アレも周囲から隔離されている(気がする)ってことが重要な要件ですよね。

で、少なくとも次女にとっては、「自分が高い位置で抱っこされていて、パパ以外に近くに存在するものがない」というのが、安心の要件というか、立ち抱っこでより安心する理由だった、ということみたいなんです。野生動物でも、危なくなったら木に登って隠れたりしますよね。もしかするとアレと共通の何かなのかなーと。

なるほどなあ、というか、やはりこういうのは当人に聞いてみるもんだなあ、と。

繰り返しですが、ケース数たった1の話でして、そもそも一般化出来るようなことではないですが、取りあえず面白かったので書いてみました。似たようなケースが他の子であるのか、みたいな話は、気が向いたらまた調べてみます。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:41 | Comment(3) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月27日

レトロゲーム万里を往く その139 ドンキーコングJR.

いきなりで申し訳ありませんが、今から皆さんに「ドンキーコングJR.の2面が結構すごい」、という話をしようと思います。


皆さんご存知の通り、ドンキーコングJR.は「ドンキーコング」の続編として開発されたアーケードゲームであり、1983年7月15日、ファミコンの同時発売タイトルの一つでもあります。アーケードのドンキーコング時点では、まだ主人公に「マリオ」という名前がついていなかったところ、アーケードのJR.時点で正式に「マリオ」がネーミングされた、という歴史的な一作でもあります。

最近だとGCどうぶつの森のファミコン家具でも登場していたそうで、たぶん遊んだ人が多いんじゃないでしょうか。

で、ドンキーコングは勿論任天堂の大ヒット作であって、取沙汰されることも多いメジャータイトルなんですが、JR.の方はドンキーコングに隠れがちというか、あんまり目立たない立ち位置だと思うんですよね。けど、実際遊んでみるとドンキーコングとは全く違う方向性のことをやっていて、特にそれが2面に凝縮されていると私は思っているので、その話をします。


これがドンキーコングJR.の1面です。

kongjr1.png

上の方にマリオがいて、コングがつかまっていることが目を引くと思います。このゲーム、マリオが下積み時代に悪役もやっていたということで有名でして、ドンキーコングの息子であるドンキーコングジュニアがコングを助けにいく、という筋書きになっています。初代ドンキーコングですごい頑張ってコングをやっつけてレディを取り返したのに、次回作でこの仕打ちっていうのは、マリオも結構理不尽な扱いをされてると思います。ヒーローにも下積みが必要なのです。


で、ですね。「ドンキーコングJR.」を遊んでいる時のプレイヤーの体験、という話なのですが。

画面を見てもらえばわかると思うのですが、ドンキーコングJR.の1面において、プレイヤーはほとんど「ツタの上り下り」という行動に終始することになります。

ジュニアは、ツタを登ったり下りたり、横のツタに移動したりしながら、マリオがけしかけてくるケイブシャーク(これは私が勝手に呼んでいるだけであって、実際の名前はスナップジョーです。けどこいつケイブシャークじゃね?)を避け、画面上部のコングのところを目指します。

この時、「両手で左右のツタをつかむと、一本のツタをつかんだ状態より速いスピードで登れる」というギミックがありまして、ここでプレイヤーはリスクとリターンの概念を学ぶことになります。

両手を使って上るとスピードが速くなるけれど、左右に当たり判定が広がっている為に、ケイブシャークにかまれやすくなる。片手を使うとスピードがのろいけれど、ケイブシャークを避けやすい。

つまり、リスクがある行動で素早く目的地にたどり着くか、リスクを抑えて安全に目的地にたどり着くかという切り替えを、プレイヤーにごく自然に学習させる作りになっているのです。ここだけでも、ドンキーコングJR.の深さにはなかなかバカにならないところがあります。

一方、「ジャンプ」という操作は1面時点では中核ではなく、どちらかというと補助的な役割になります。ツタに飛びつくために使う、って感じですね。これは、「上り下りという操作は存在するが、飽くまで補助的な役割であり、中核となる操作は飽くまでジャンプ」というドンキーコングと通じるところがあります。

で、2面の話です。

これがドンキーコングJR.の2面です。

kongjr2.png

これですね、「画面の色んなところで、なんかごちゃごちゃしたものが色々動いてる!!」ってだけで、ドンキーコングJR.のワクワク感って凄いものがあると思ってるんですけど。


ドンキーコングJR.の特殊なところは、どういうわけかここでいきなりゲームが広がりまくるところです。別の言い方をすると、「さっきまではドンキーコングの続編だったのに、なんかいきなり新作アクションゲームになった」ということになります。


二面を見て頂けると、ステージが4つのエリアというか、4つの全く違ったギミックで構成されていることが分かると思います。

kongjr2_1.png

まず、左下にあるのがジャンプ台エリア。ここでは、ジュニアをジャンプさせて、右下のエリアに安全に移動することが第一目標になります。タイミングよくジャンプすると、中段の移動ロープエリアにショートカットすることもできます。

右下にあるのが移動する足場と鎖エリア。ジュニアは、足場から落っこちないように注意深くジャンプしながら、中段エリアの移動ロープにつかまろうとします。時々、上で飛んでいるニットピッカーが卵を落としてくるので、それを避けるというのも必要な操作になります。

中段が、移動ロープと小さな足場のエリア。移動ロープは長くなったり短くなったりするので、プレイヤーはうまいこと長くなっているタイミングで移動ロープにつかまって、左側に移動しなくてはいけません。

上段が普通のツタとニットピッカーエリア。マリオがけしかけてくるニットピッカーを上下に避けながら、最上段を目指すエリアです。ここの操作は1面に近いですが、上から襲ってくるケイブシャークに対して、ニットピッカーは横から一直線に襲ってくるという違いがあります。


お分かりいただけるでしょうか。この面、エリアごとに気にしなければいけないこと、考えなければいけないことが全く変わるという、むしろスクロールアクションに近い構成になっているのです。しかも、1面では「ツタの上り下り」という一つのアクションをひたすら突き詰める感じになっているのに、2面では「序盤はジャンプ、中盤以降はツタ」という形で、中核となるアクション自体が全く変わります。


つまり、「プレイヤーに必要なスキルが、2面の序盤でいきなり変わるうえ、一つのステージの中でも序盤と中盤以降で全く違う」ということが起きているのです。


プレイヤーは、ゲームを遊んでいる内に、その場面場面で必要となるスキルを自然と身に着けることになります。任天堂のゲームってそれが全体的にすごく巧みでして、「ゲームを普通に遊んでいるといつの間にか上手くなってる」というのが味の一つだと思うんですが、ドンキーコングJR.についてはそれがちょっと異質だなと。「1面で手に入れたスキルが、2面の当初は役に立たない」って、任天堂にしてはかなり特殊な面構造だと思うんですよ。


初代ドンキーコングもそれに近かったですが、ゲーム黎明期のアクションゲームというものは、どちらかというと「一つのギミックが画面の中に複数配置されていて、それをタイミングや限られたアクションでどんどんクリアしていく」という構造のゲームが多数派でした。

そんな中、「一つの面の中に色んなギミック、色んなバリエーションをいきなりぶち込んでくる」というドンキーコングJR.の2面は、ファミコン最初期という時期を考えると、相当特殊なことをやっていたと思うのです。ひとつの固定画面の中にバリエーションを作りこむ、という点では、任天堂が当時から得意としていた「ゲーム & ウォッチ」に近いところもあります。


ちょっと大げさな言い方をすれば、家庭用ゲームにおける「ステージの途中でのアクションの展開」というもののルーツがドンキーコングJR.にはある、とまで言えるのではないか、と私は思っているのです。


正統派固定画面アクションゲームであるドンキーコングに対して、「画面内に配置された色々なギミックを楽しむ」「ゲームのアクションが面の途中で全く変わる」というドンキーコングJR.。この二つを、ファミコンという新ハードの同時発売タイトルに両方ぶち込んでくる任天堂の戦略は、今から考えても面白いなーと思った次第なわけです。


今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 06:55 | Comment(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする