2017年04月26日

今のWindowsPCで昔の光栄ゲームがちゃんと出来るということに、人類はもっと感動して良いのではないか

先日からお伝えしている通り、シブサワ・コウ・アーカイブスが第五弾まで出ています。


いやもうなんていうか、凄いんです。シブサワ・コウ・アーカイブス。ほんっとーーーに、昔の、PC98の頃の光栄ゲーそのまんま。武将風雲録が!!初代三國志が!!!維新の嵐が!!!太閤立志伝が!!!!Steamで出来る!!!!!

信長スクショ.png

合戦.png

織田信長の戦闘シーンのBGMかっこよすぎませんか?私普段は長曾我部使いなんですけど、これだけの為に一度は信長選んじゃうくらいめちゃくちゃかっこいい。

これは以前から光栄を批判していることなんですが、

Windows環境での光栄の過去作リメイクは基本的にひどいもん

だったんです。家庭用機への移植はそうでもなかったんですけどね。

いや、ちゃんとWindows版にリメイクされた作品も色々あったんですが、一部に「PC-98のエミュレートしただけのものを使いまわしで販売している」という作品がありまして。

例えば、私が愛してやまない大航海時代IIの定番シリーズなんて、「256色環境に画面を切り替えないと動作しない」「ウィンドウの外をクリックするとフリーズする」「2002年に発売された定番シリーズなのに、何故か以前のwin95版のexeがそのまんま入っている」といった数々のひどい点がありまして。

これがまた腹立たしいことに、98時代の光栄ゲーはめっちゃ面白いんですよね。当時のPC性能から言うとホントオーパーツかってくらい素晴らしい出来のゲームばかりで、その中には「98版じゃないと出せてない味」というのも多々あって。これも同じく大航海時代IIで言うと、やっぱ「SFC版じゃダメなんです」「PS版じゃダメなんです」っていう要素が色々あったんです。

それが、本当に、一分の文句をつける隙もなく、当時の98光栄ゲーがそのまんま今のWindowsで動くんですよ。これ現在の奇跡といってもいいんじゃないでしょうか。

ただ、シブサワ・コウ・アーカイブスは、現時点では第5弾までしか発表されておらず、「三國志V」「太閤立志伝」「大航海時代」までで止まってしまっています。いやこれはこれで超いいんですけど、買いましたけど、

大航海時代IIが!!!!

ロイヤルブラッドが!!!!

提督の決断が!!!!!

まだ出てない!!!

いやもしかすると提督の決断は時流的に難しいのかも知れないですが、少なくとも大航海時代IIはいいでしょーーー!!と。リョコウバト入れても大丈夫でしょーーーー!!!!と、強く、強く、強く主張したいわけなのです。あと大航海時代外伝もやりたい。

とにかく、もし第六弾以降が第五弾までの売り上げ動向次第、とかいう話だったら大変やばいので、是非是非皆さんにご購入を検討頂きたい次第なわけです。武将風雲録とか太閤立志伝とか蒼き狼と白き雌鹿とか超面白いですよ!!どうですか!!!!!!!


と、自分の欲望を素直に吐露したかっただけのエントリーでした。皆さんよろしくお願いします。

今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 06:26 | Comment(3) | TrackBack(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

【MHXX】最近のダブルクロスの話やら三国志大戦の話やら 17/04/25

ただの日記です。

〇モンハンのお話

色んなことの合間を縫って、ゆるゆるとソロハンター稼業を続けております。

先日は、闘技場でラージャン + イビルジョーと戦う「感動が生まれる瞬間」に挑戦してみました。相変わらずのカマキリ装備、スキルは「抜刀会心・集中・超会心・耐震・対防御低下」です。(対防御低下は別に要らないけどお守りの都合上つけられるので一応つけてる)

たまに分断柵のタイミングを間違えて阿鼻叫喚になったりしつつ、いい加減慣れ切っているラージャンをざくざく切っていき、

ラージョー.jpg

16分でラージャン撃破。闘技場でラージャンって思ったよりやりにくいですね。何かケルビステップやらデンプシーに何回か引っかかったりしました。

ラージョー2.jpg

残り13分でジョー撃破、一応無乙でクリアできました。30分くらいかかったけど。

何故かわからないんですが、私イビルジョー未だに苦手なんですよね…ラージャンも昔は苦手だったところ、4Gでひたすらギルクエやってラージャン以外の倒し方忘れる頃にはそこそこ得意になっていたので、イビルジョーももうちょっと回数をこなさないといけない感じなんでしょうか。


その後、G級オストガロアにも突っ込んでみました。だるま無効に高級耳栓を付けられればいいんですが無理なので、スキルは耐震をだるま無効につけかえただけ。

ガロア.jpg

色々あって2乙しましたがなんとかクリア。

あれですね、オストガロアは、未だに何やっていいのかよくわかりません。。。弱点はりつくとなんかスリップダメージでガンガン体力減らされるし、溜め3当てようとすると下がって外された上に突進もらうし。どうすればインダー。ブラックX作りたいので気長にやろうかと思います。

あと、最近地底火山でブラキを倒すとサブタゲ報酬でお守りがたくさんもらえるクエが配信されたと聞きまして。ちょっと様子を見に行ってみようかと思います。


〇三国志大戦の話

よーーーーやく、三品に初昇格しました。

そういえばようやく三品になりました #三国志大戦


環境も変わって、今は手腕天啓が強いらしいですね。しんざきは基本呂布ワラしか使えない人なので、「その環境で呂布ワラがどれくらい戦えるか」しか判断基準がありません。取りあえず、現バーではそこそこいけそうな感じです。

三大.png

あんまりゲーセンに行けてないので、そこまでプレイ回数も増えてません。とはいえ、4品ルーパーをやっていた頃よりは一歩前進なので、引き続きゆるゆる頑張ってまいろうかという所存。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 18:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月24日

今日のしんざきが、長男と東急ハンズ謎解きに挑戦してきた件について 17/04/24

面白かったです。


土曜日は野外ゲー音部。こちらは別途レポート書こうと思ってますが、大変に楽しかったわけです。

日曜は、長男がやりたがった東急ハンズ謎解きに挑戦する為、一家で渋谷は東急ハンズに行ってきました。

奥様は以前から東急ハンズめぐりが趣味で、長女次女を連れてハンズ探検。その間私と長男が謎解きをするというパーティ編成だったわけですが、思ってたより手応えがある謎解きでして、ハンズの店内を駆けずり回ることになりました。

ネタバレにならない程度に感想を書きますと、

・最初の謎解きは簡単だった
・その後、ハンズの店内で指定された商品を探しては謎が展開する、という形に
・これが、意外なくらい商品と謎解きが上手い具合にリンクしていて大感心
・渋谷のハンズはそれ自体迷路みたいなものなんで長男にはそれも面白かった様子
・総合的に見るとちょうどいいくらいの難しさだった
・ただ、子どもだけでやるのは結構厳しいかも

という感じでした。

謎解きキットが1000円ちょっとする為に、どんなもんかなーと思っていたらキット自体もかなり手が込んでいて、複数のキットを組み合わせたりでよく考えるもんだなーと感心しきり。調べてみたら、ハンズの謎解きイベントって最近恒例みたいですね。また同じような企画があったら挑戦してみたいです。

今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 23:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月19日

長男が二度のセーブデータ消失の悲劇を乗り越え、GBA版の「逆転裁判」をクリアした

クリアしたみたいです。

長男、9歳。小学4年生。

現代のゲームと昔のゲームのどこが最も異なるか、というと「オートセーブが一般的になったこともあり、「ふっかつのじゅもんを書き間違える」「セーブデータが消える」「セーブデータを誤って消してしまう」という悲劇が起こることが極端に少なくなった」ということが挙げられると思います。

セーブデータを誤って消してしまうことは今でもあるかも知れませんが、前者二つが発生する機会は、今となってはもう殆どないのではないでしょうか。

ファミコン時代にRPGをやっていた人達の中で、「パスワードを書き間違ってしまった」「なんかセーブデータが消えてしまった」という事態を経験したことがない人は、果たしてどれくらいいるでしょうか。我々は、時に「ゲーム内で全滅した」「めっちゃ強いボスに大苦戦、ないし敗北した」といった記憶以上に、「セーブデータ消失」という悲劇を胸に刻み込まれています。


ある時には「おきのどくですが」に始まる、ごく短いメッセージと耳に残るBGM。

ある時には、何度入力しても画面に表示される「じゅもんが ちがいます」という冷酷なテキスト。


積み重ねた時間が一瞬で吹っ飛ぶ感覚。努力が一瞬で無になる無常感。時には、とても取返しが付かないほどの、キャラクター自体の「喪失」になることも珍しくない悲劇と、我々は常に隣り合わせの状態でゲームを遊んでいたのです。セーブデータ消失と同時に、そのゲーム自体に挫折してしまった人、というのもいたでしょう。二度とRPGなんてやるもんか、と固く決意してしまった人だっているかも知れません。


今、あの悲劇を味わう機会が極端に減った、ということが、現代のゲームプレイヤーにとって大いなる福音であることは間違いない、と思うんです。それは間違いない。


ただ。

「あの経験」が自分の心の中に何かを残しているかというと、それは確かに、なにがしかの耐久力の源泉にはなってるんじゃないかなあ、と。悲劇に甚大なダメージを喰らいながら、それでも歯を食いしばってもう一度立ち上がる、そういう経験にはなったんじゃないかなあ、と。

今もう一度、ああいう経験が日常的に発生するような環境に戻りたいかというと、そりゃ「絶対ヤだ」の一言ですが、昔あった悲劇が決して無駄じゃなかった、少なくともそういう側面もあるなーとは思うんです。


ところで最近、長男が逆転裁判にハマりました。


きっかけはアニメの逆転裁判のようで。私、こっちを観測してなかったんですが、なんだか「逆転裁判2」の内容がアニメ化されたんですかね?

謎解きや推理が大好きな長男は、私のゲーム棚に「逆転裁判」の文字を見て、「ぼくもこれやってみたい!!」と言い出したんです。まだ携帯機でゲームをやらせたことはなかったもので、目を休める為の時間制限は設けた上で、やらせてあげることにしました。

1章から4章まで、一週間くらいはかかったんでしょうか。「相手の証言を読んで、矛盾を考えて、証拠品をつきつける」という流れは、長男にとってひじょーーに魅力的だったみたいです。「「異議あり!」の時さ、正解だと音楽止まるよね!あれ気持ちいいよね!!」というのは長男の言葉。

時折どうしても詰まって、一言二言アドバイスをしてあげたことはあったんですが、基本的には自分の力で、時に小中大に憤り、時にはおばちゃんに突っ込み、時には成歩堂と真宵の漫才に大笑いしながら、「逆転、そしてサヨナラ」の最終パートまでたどり着いたみたいなんです。


で、みなさんよくご存知の通り、第四章、すげえ難しいじゃないですか。一度、もう殆どクリアする直前くらいまでいってから、「有罪確定してから間違ってセーブ」ってのをやらかしてしまったらしいんですね。


逆転裁判は、コンティニューでその章パートの最初まで戻ることが出来るので、大人視点からしてみれば大した時間の喪失でもなかった、と思うんです。ただ、それでも長男にしてみれば、初めての「自分が頑張って積み上げた努力の喪失」だったんです。やってしまった後には泣きそうになって、必死に我慢していたので、しんざき奥様が抱っこしてあげたら大泣きしてしまったとか。ひさびさですよ、長男が大泣きするなんて。

で、頑張ってやり直したら今度は、「友達に「はじめから」でプレイさせてあげて、間違って(友達が、ではなく自分が)セーブしてしまう」というまた古典的な失敗をしてしまい、流石にどかーんとへこんだようなんです。



それでもその後、(寝てる間ちょっとだけ手伝ってあげたりもしましたが)めげずに長男はプレイを再開しまして、昨日ついに、「逆転、そしてサヨナラ」の最後の証拠品をたたきつけて、エンディングを迎えることが出来た、という話なんです。



私、「それがゲームであれ漫画であれ小説であれ、コンテンツを摂取して心を動かすのはいいこと」だと思っていまして。ゲーム自体を楽しむのも勿論なんですが、時には悔しさを、時には執念を、時にはこだわりを、ゲームに大して全力でぶつけるってことも、心を育てていく上で大きなプラスになるんじゃないかなーと思ってるんですね。


そういう意味では。今となっては滅多に遭うことがなくなってしまった「セーブデータの消失」という悲劇に、二度も見舞われてしまい、しかも立ち直ってエンディングまでたどり着いたということも、彼にとっては一つの、結構大きな経験になったんじゃないかなーと。逆転裁判をやらせてあげて良かったなあ、と。


ちょっと前のゲームをやらせてあげるというのも、「今のゲームとは、また全然違った経験が出来る」という点で、なかなかいいもんだなあと。是非ディスクシステムのゲームとか実機でやらせてあげたい、と思ったんですが、今我が家のディスクシステムはゴムが溶けてて動きません。アレ、ゴム変えればまた動くようになるんでしょうか。



ちなみに、二度のセーブデータ消失を経て、ついにたどり着いたエンディングは、やはり長男にとって特別なものとして映ったみたいです。「面白かった?」という私の問いに大きくうなずいた後の長男の言葉は、しみじみと一言、「ヤハリは懲りないねえ…」でした。


矢張は全く懲りないですよね。うん。「3」までプレイした後、彼の感想がこれと変わるのか変わらないのか、私としても楽しみにしたいと思います。


今日書きたいことはそれくらいです。






posted by しんざき at 12:57 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月18日

推定無罪の原則ってちゃんと常識として共有されてるんだろうか

こんな記事を読みました。


しかし、「見守り役の犯行」は、現時点では「仮定」であって「前提」ではない。大半のメディアは、この被疑者男性が「取調べに黙秘している」と報道している。しかし、男性は「逮捕された段階で否認し、その後は黙秘している」というのが正しいようだ。

ところが、この保護者会長の男性は逮捕されてただちに「有罪」の審判が下されてしまったかのごとき報道ぶりである。「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という原則を無視するどころか、捜査機関より前のめりになって、この”犯人”を社会的に懲罰せんがごときである。今回に限らず大事件であればあるほど有罪推定報道に傾きがちであるが、これでは捜査活動をチェックできず、万が一違っていたときも引き返せなくなる。そうした可能性を少しは考えないのであろうか。
ここに書いてあることは本当にその通りだなあ、と思いまして。私、スタンス的には「被害者も加害者も、同じようにプライバシーは守られるべき」という意見の持ち主でして、被害者加害者双方の実名報道に反対する立場なんですけど。下記は昔書いたエントリーです。


いや、今更の話なんです。今に始まった話ではなく、30年くらい昔からずーっと言われ続け、批判され続けていることではあるんですけど。今回の事件の報道を観測していて、改めてつくづく感じたことがありまして。

当たり前のことですが、法治国家には、「有罪判決が確定するまでは何人も犯罪者として取り扱われない」という原則があります。これは、国際人権規約にも明文化されており、日本もそれを批准しています。「無罪の推定」とか、「推定無罪の原則」と言ったりします。

そして、これも当たり前のことですが、逮捕されてから無罪/有罪が確定するまでにはそれなりの時間がかかります。少なくとも、逮捕されて即日、その日の内に有罪確定、なんてカジュアルな話では断じてない。

「結果としてその被疑者(容疑者)が犯人であるかどうか」ってことはなんの関係もなく、たとえその被疑者がどんなに「実際に犯人である」可能性が高かったとしても、被疑段階では罪がないものとして扱われないといけない、この推定無罪の原則が、昔からものすっごく軽く扱われているような気がするんです。

これ、軽く扱われているどころか、下手すると認識すらしてない人も結構いたりしねえか、と。


今回の事件は勿論痛ましいとしか言いようがない事件であって、私も人の親として、犯人が逮捕されて、厳正に裁かれることを望みます。再発を防止する魔法の一手なんて存在しないとしても、どうしたらこのような事件を少しでも減らせるか、そういったことも考えなくてはいけない。

けれど、それとは何の関係もなく、何にも矛盾せず、「罪が確定するまでは、その人は無罪である」ということは堅持されなくてはいけない。

そういう意味で。私、「被疑段階で実名が報道される」こと自体どうかと思うんですが、その人の立場、顔写真、普段の行状やら人間関係やらプライバシー的情報に至るまで、事細かに報道されている現状、ひど過ぎて物もいえないと正直思うんですよ。

これ、万一「実は無実でした」ってことになったら、だれがどう被疑者の名誉を回復するんでしょうか?断言しますが、今報道しているメディア側の人たちが、「俺たちの責任です」ということは絶対にない。昔から、何度も何度も何度も繰り返されている光景で、その度に何度も何度も何度も何度も批判されているのに何も、何も変わらない。


で、報道を受け取る側としても、今更であろうがなんだろうが、常に、しつこいように、こう言い続けなくちゃいけないんじゃないか、と思うんですよ。


何故お前らは、罪が確定もしていないのに有罪であるかのような報道を続けるんですか、と。

もし万一、誤認逮捕だったとしたら人ひとりの人生を完全にぶっ壊した責任をお前らはどう負うんですか、と。


繰り返しになりますけどこれ、「被疑者が犯人だったら結果オーライ」の話じゃないですからね。被疑段階では、そもそもその人は無罪である。これが原則です。つまり、今の報道は、現時点では「無罪の人に対する報道」なんです。

その原則の上で、こういう報道見てると「ひっでえな」と思いませんか。


「"別宅"監禁か?」って、はてなマークつけてりゃいいって話じゃねえよ、ってところなんですが。

止めっぱなしのキャンピングカーは同容疑者のいわば“別宅”。誰にも邪魔されない空間にリンさんを連れ込み、監禁でも考えていたのか。おぞましい限りだ。
「現時点で無罪」の人相手にこんな報道垂れ流すのはおぞましくないんですか、って話ですよね。せめて有罪判決が確定してから報道しろよ、と思うと有罪判決が出た時にはさらっと数行しか報道されないんだから、いかに「視聴率が稼げる、旬な内に報道しよう」というメディアの都合がまかり通ってるのか伺い知れると思うんですが。

これ、決して不要な心配ってわけじゃなく、実際に誤認逮捕、ないし冤罪だった例ってのも今までに山程ありますからね。それで人生ぶっ壊された人達のその後の報道がどうだったのかとか、ここでは長くなるんで繰り返しませんが、ちょっと調べてみると呆れる程名誉回復なんてされてないですよ。


ただ、これも多分昔からの話なんですけれど、上のような認識や疑問を共有していない人というか、被疑段階で被疑者を犯人扱いすることに違和感を感じない人、というのもたくさんいるような気がするんですよね。たとえば、冒頭挙げたエントリーに対してでも、「もう確定なのかと思ってた」というようなコメントしてる方いますしね。「容疑者」への報道についてのコメントなんてよりいっそう、ひどいもんです。


となると、たとえ常識のように思えても、出来る限りこういう声を上げていくことに意味はあると思うんです。


「罪が確定するまではその人は無罪なんだよ」と。

「あなたは今、「無罪の人に対する報道」を読んでいるんだよ」と。


犯罪者が正当に罰せられるのと同じくらい、無罪の人の名誉が傷つけられないようになることを、願って止みません。



posted by しんざき at 06:59 | Comment(30) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月17日

なんか最近「ネタにマジレス度」が上がってきているような気がする

いや、大した話じゃないんですが。

先日、こんな記事を拝読しました。

でも、そんな日々はあっけなく終わりました。
あなたが何の相談もなく会社を辞めてしまったから。
「ボノボのワッペンで食っていく」
あなたは言いました。私はまったく意味がわからなかった。
ボノボ? ワッペン? どういうこと? 

「これは売れるよ。仲間と作ったんだ。アイデアは俺。
ボノボ、知ってるだろ? サルの仲間。
これからはね、ボノボがくるよ。必ずくる。
ボノボブームはすぐそこまできてる」

まずちょっと皆さんとの感覚のすり合わせを行いたいんですが、この記事、ネタですよね?

いや、創作実話だとか釣りだとかケチをつけるって話じゃなくて、割と明確に「この記事はネタですよ」というメッセージを出しているネタ記事だ、と私は感じたんですよ。いわゆる突っ込み待ち記事。

ほら、昔からちょくちょくあるじゃないですか。「主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました」とか、「なにやっとるん?あんたのお母ちゃんよ」みたいな、そういうアレ。「そんなわけあるかーい」という突っ込みを誘う記事、「そんなわけあるかーい」と突っ込まずにはいられない記事。アレはアレで、インターネットの文化の一種だと私は思うんですけど。

標題記事を見ていると、「働かない夫」「ネト麻ばっかり」「妻が養っている」みたいないかにもなワードを並べておいて、ああ小町系かな?と思わせたところでボノボのワッペンという、「ボノボかよ」という突っ込みを誘う辺り、かなり完成度は高いネタ記事だと思うんです。乗せておいて乗せておいて、落とす。7年間ツイッターのアイコンがそのままって、2010年以前からTwitterやってる古株ユーザーがそんなことやってて捕捉されてねえ訳ねえだろ、とかそういう話もないではないですが、まあ些少な部分だと思うんです。その後の、Twitterに書き込みをして消した、みたいな部分は、まあ小町風エッセンスに戻すスパイスみたいなもんかなー、と感じました。

正直に書きますと、私もこういう「明示突っ込み待ち系ネタ記事」を匿名で書くことって時折ありまして、それなりにブックマークを頂いたりもしているんですが、言ってみれば同業として、小町系創作実話と明示ネタ記事のちょうど間隙を狙っていくこのテクニック、かなりの増田ベテランの方の仕事だと拝察しました。美しいネタ記事は心を豊かにする。

お見事。お見事です。さぞかしコメントも突っ込みの嵐であることでしょう、とコメントを確認させて頂いたんですよ。

ところが。ところがです。

この記事を「実話」だという前提でのコメント数が、私の想像よりも遥かに多かったんですよ。




あれ?と思いまして。

これも、以前ネタ記事を書いていた経験から申し上げますと、webにおける「ネタ記事感度」って結構高いものだと思っていたんです。いや、「これはネタだ!」とか野暮な指摘をするような話ではなくって、ネタということを了解した上で、それに乗る、みたいな。「ボノボかよ」と直接は言わないで、けどボノボポイントはしっかり拾う、みたいな。「アフリカスナギツネじゃない、やり直し」みたいな。

いや、勿論、ネタと承知でそれに乗る、というコメントをしている方もいらっしゃるんです。結構いらっしゃるんです。

けれど、ここで、例えば「働かないことによる夫婦関係の悪化」とか、「何故7年も放っておいたのか」みたいな、割とガチめの小町要素の部分に突っ込んでる方って、この記事は実話だという前提でコメントされているんでしょうか?それとも、ネタだということは承知の上で、敢えて小町要素に乗る、というような、いわばボケ殺し的な高度なコメント技を使われているんでしょうか?

実は最近、こういう「違和感」を感じる機会ってちょっとずつ増えてまして。

あ、あれ?これはネタの筈…。以前からの定番のネタの筈…。みたいなものが、凄い勢いで実話拡散されていく、みたいな。結果として、どう見ても明示されたネタなのに「これは釣り記事だった!許せん!!」みたいなよくわからない方向に吹き上がっちゃう、みたいな。ネタ殺しマジレス度の上昇、みたいな。


私の感覚があまりにずれているのか?いや、今まではこれで通用していた筈なんだけど…というような、妙な違和感を感じたのでちょっと記事にしてみた次第です。釣り釣られもネットの華といえばそうなんで、まあ大した話ではないんですが…。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:13 | Comment(8) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月15日

【MHXX】今日のしんざきとモンハンダブルクロスでヘビィ使い始めた話とか 17/04/15

どうもしんざきです。今日はちょっと会社行ってたんですが、その後子供たちを銭湯に連れていったりしました。

最近長男9歳は、アニメを観た影響で「やってみたい!」と言い始めたGBA版の初代逆転裁判にハマっていまして。今、4章「逆転、そしてサヨナラ」の最終盤に入っております。どうしても詰まっての2,3回ちらっとアドバイスしたんですが、それ以外は殆ど自分で頑張って進めておりまして、なかなかエラいと思います。

ところどころに仕込まれている小ネタがお気に入りのようで、オウムに尋問するところなんかでは大笑いしながら進めておりました。楽しんでもらえればいいんじゃないかと思います。

以下はちょっとMHXXの話です。

○ヘビィボウガン始めました

いやー、ブレイヴヘビィが強い強いと言われていた理由がようやくわかってきました。これアレですね。勿論ボルテージショットが強いのはそうなんですが、一番重要っていうか凶悪なのはパワーランとスライディングですね。

・リロードが長いボウガンの隙はブレイヴリロードでほぼ帳消し
・ブレイヴ状態になったら、攻撃する度にパワーランに移行して高速移動しながらモンスターの様子を観られる
・隙がありそうならスライディングから即旋回しながらしゃがみ状態に移行出来る
・しゃがみからボルテージショットが撃てそうならそのまま蜂の巣→またパワーランに移行
・読みが外れてモンスターの攻撃がこっちに来そうでも、すぐ回避からまたパワーランに移行すればそれで済む
・避けきれない攻撃がきたら抜刀待機でイナせば済む
・ボルテージショットが使えなくても、クリティカル距離から立ち射撃で十分ダメージは稼げる

こりゃー強いわ、というか、余りにもシステムに愛され過ぎじゃないか感がありますね。私、ヘビィはてんで素人なんですが、「パワーラン→様子見しながら位置取り→スライディングからしゃがむかどうかの判断」を繰り返しているだけで、でかくて動きがにぶいモンスターにはほぼ負ける気がしません。バサル、ドボル、アカムウカム辺りはお客様以外の何物でもない。もうちょっと立ち回りを練習すればグラビ、ガンキン、アグナ辺りも余裕そう。

流石に、小さくてすばしっこいモンスター、しつこくハンターを追ってくるモンスター辺りには大剣担ぎますが、かなりのモンスターはヘビィでサクサク狩れそうで恐るべしって感じです。まだまだ変なところで被弾することが多いので、もうちょっと練習してみたいなーと思っております。

今の装備はいわゆるカマキリ一式にモラクディアーカで、定番の「貫通強化・反動+1・弾道強化・裏会心」でやっております。ダオラ砲とかも作ってみたい。

現在の進捗状況としては、村の高難度一通り終わりまして、「モンスターハンター」などのいわゆる村最終を出す為にやり残しのクエを片付けているところです。こういう時は使い慣れない武器使った方が面白いですよね。


ということで、今日書きたいことはそれくらいです。



posted by しんざき at 23:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

長女次女の絵の傾向の違いが面白い、あとGoogleのお絵かきアプリの話

長女次女、5歳の双子。春から幼稚園の年長さんでして、「年少さんたちのお世話してあげないとねー」と言ってみたら、「もうおねえちゃんだからね!!」とやる気フルスロットルの答えが返ってきました。頼もしいです。

幼稚園では終わった後に希望者向けに習い事の時間があるそうで、長女と次女は「アトリエ」という習い事をしております。アトリエというとなんか仰々しいですが、早い話お絵かき教室です。

で、ちょくちょくアトリエで描いた絵を持って帰ってくるわけですが。長女と次女は二卵性とはいえ双子なので、やっぱり描く絵も似通ってくるのかなあ?と思いきや、その傾向がぜんっぜん違っていて面白いです。

こちらが、「お花」をテーマに長女が描いた絵です。

長女絵.jpg

見てすぐ思ったのが、「ちゃんと花の輪郭を描いて、その中に色を塗るという方法をとっている」ということなんですね。形をとって、それを絵として仕上げていくという手順にちゃんとなってる。小さなお花についても、「花の特徴」というものをきちんと絵に起こしているように見えます。これ、アトリエでそういう指導でもしてるのかと思ったら全然そんなことはなく、基本的にはテーマだけ決めて後は園児の好きなように描かせているそうです。

一方、こちらが同じテーマの次女の絵です。

次女絵.png

こちらは、輪郭がどうとか細部の描写とかは全く気にせず、とにかく「お花がたくさん」という構成というか、構図を絵に落とし込もうとしているなーと感じました。これはこれで、「お花!」というイメージが見た瞬間に伝わってくる、説得力のある絵だなーと思います。

傾向が全く違うんですよね。

長女の絵は、とにかく「お花の描写」というところにフォーカスしているなー、と感じました。輪郭の点もそうですが、基本的な方向性としては細部の描写に向かっている。「お花」というものを実際に絵の形に起こそうとしている、ディテール志向とでもいうんでしょうか。

次女の絵は、「イメージを表現する」というところに集中しているなー、と思います。「お花」というところからイメージを膨らませる。すると、「お花畑」「お花がいっぱい」というようなイメージになる。そのイメージを全体の構成として、細かいところは気にせずに、とにかく画用紙に表現する。

どちらがいい、どちらが悪いという話でないことは勿論ですが、二卵性とはいえ同じ環境で育った双子でも、全然違った傾向のイメージを捉えるんだなあ、と、大変興味深く思った次第なのです。

これは奥様からの聞きかじりなんですが、一卵性双生児を同じ環境、別々の環境でそれぞれ育ててみたところ、「同じ環境で育った一卵性双生児は性格が異なって成長した」「別々の環境で育った一卵性双生児は性格が似通った」というような実験があるそうです。同じ環境で育つと、お互いを意識し合ってむしろ違う人格になろうと成長するのではないか、とかなんとか。すいません、聞きかじりなんであんまり正確じゃないかも知れないですが、面白いなーと思いまして。


お互いを適度に意識しつつ、それぞれの持ち味を活かしてのびのび成長して欲しいなーと考えるばかりです。


全然関係ないんですが、なんかGoogleが「絵を描いたら、その内容を元に「こういう絵描きたいの?」と提案してくる、というサービスを始めたそうです。


こりゃ面白そう、と思ってちょっと試してみたんですが、

剣士.png


私が描いたこの「剣をもったかっこいい人」の絵が、


エビかよ.png


どういうわけかエビだかザリガニだかで提案されました。なにこれどういうことなの?

私が絵を描いてあげると「パパちゃんと描いて!!」と次女からダメ出しされるのでつらい。お絵かき道は厳しいと思いました。しんざき奥様は絵がとてもうまい(しかもかわいい)ので、絵の腕前については是非私ではなく奥様に似て欲しい。


今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 07:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月12日

中国では「兆」の単位が時代や場合によって違ったりする、という話

なんか話題になっていて昔を思い出したので、ちょこっと書いてみます。常識だったりしたらすみません。

中国での「一億以上の大きな数」についての漢字の用法は昔からえらいごちゃついていて、その混乱を今でも結構引きずっている、という話です。

Wikipediaに分かりやすくまとまっていますのでちょっと引用してみます。

Wikipedia:命数法

万より大きい数詞の示す値には3種類あり、統一されていなかった。下数、中数、上数である。

(中略)

その後、千万の次を億とし、十億(10^9)、百億(10^10)と続けていく方法が考案された。これを中数(ちゅうすう)という。ただし、初期の数学書に示されている中数は万万(10^8)倍ごとに新たな名称をつける方式であった。すなわち、千億(10^11)、万億(10^12)、十万億(10^13)と続き、億の万万倍を兆(10^16)、兆の万万倍を京(10^24)とする。これを万万進という。後に、万倍ごと、すなわち万万を億、万億を兆(10^12)とする万進に移行した。

(中略)

中国では、近代まで万万進と万進が混用されたままであった。それに加えて、メートル法の接頭辞のメガ(10^6)に「兆」(下数における10^6)の字をあてたため、さらに混乱が生じた。今日では、「億」は中数の10^8、「兆」は下数の10^6の意味となっており、兆より億の方が大きくなっている。

これ、「今日では」っていうのが中国全域での一般的な用法と考えていいのかまでは分からないんですが、少なくとも技術用語では「兆」って書くとメガ、つまり10の6乗のことなんですよね。10兆って書いてあると10M、つまり1千万だったりします。なので、冒頭引用させていただいた画像は、MB単位のDL進行具合を表示しているんだ、ということになります。

これだけでも割とめんどーくさい話ですよね。

ただこれ、昔は更にえらい面倒なことになってまして、同じ「兆」という漢字が、時代によっては10の6乗だったり、10の16乗だったり、10の12乗だったりしたんです。これ、同時代ですら表記が混乱してたりしたんですよ。

以前書いたことがありますが、私、大学時代の専門は国語学でして、奈良時代やら平安時代の文書の研究などをしておりました。卒論のテーマは「唐大和上東征伝」の研究です。唐の大和上、つまり鑑真の渡来について書かれた文書でして、「天平の甍」の元ネタにもなっているんですが、まあ本題とは関係ないんで一旦置いておきます。

で、特に日本の国語学って漢文研究と切っても切れなかったりしますんで、中国の古文書もちょくちょく資料として触れたりするんですよ。なにせ昔の文書なんで、大数が出てくることなんて滅多にないんですが、たまーに出てくると「ここで言う兆がどの数え方で記載された兆なのか」ということを調査しなくてはならず、そこではやとちりや見当違いをやらかしてしまうと数字で考えて最大10の10乗分くらいずれたりするんで、大変な目に遭うわけです。場合によってはなんとなく推測するしかなかったりするんで一層カオスです。

中国史は専門でないのでよくわからないんですが、おそらく過去の研究では、「兆の意味を取り違えたせいで数字的に壮絶なずれが生じて、文章の解釈が訳わからないことになった」みたいなケースもあったんじゃないでしょうか。もしかすると、解釈が誤ったまま現在に伝えられている話、なんてのもあるのかも知れません。

ちなみに、中国では万万進という、8桁ごとに単位が変わっていく制度が採用されていた時期もあるので、小学生が良く使うような「いちまんおく」とか「十万兆」みたいな数字も、実際に単位として使われていたりしました。現在の中国語でどうなのかはよく知らないんですが、10の16乗を「万万億」と表記するのは一般的な表記だそうです。

兆、という単純な漢字でも、意外な罠をはらんでいるというだけのお話でした。


今日書きたいことはそれくらい。


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(追記 04/12 19:37)
いくつか声が挙がっていたので追記しますが、「命数法」のページの「仏典の数詞」のところは読んでみて容易に眩暈を起こせるので読み物としてちょっとお勧めです。不可説不可説転。



posted by しんざき at 19:16 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月11日

いつかきっと、君はパパエレベーターに「いいよそんなことしないで」と言うのだろう


昨日、長男が寝ませんでした。


以下は、なんということのない、しんざき家のある一晩の話です。

長男、9歳。4月から小学四年生。長女と次女、5歳の双子。いずれも春から幼稚園の年長さん。

しんざき家は比較的タイムスケジュールが明確な家でして、子どもは基本21時には就寝します。20時にご飯を食べ終わって、皆でお風呂に入って、がーーっと寝る準備をして、21時には一家で布団にくるまって電気を消すのが理想のスケジュールです。

仕事の都合で、私が夕飯に間に合わないのはそんなに珍しいことではないのですが、幸い寝る時間に間に合わないことは余りありません。お風呂に一緒に入って、布団には5人で一緒にくるまって、子どもたちが全員寝付いてから親だけ起きてきて、ご飯を待ってくれているしんざき奥様と22時くらいに夕飯を食べる。それが、しんざき家で一番多いパターンです。


昨日、長男が寝ませんでした。


5歳の双子はなにせまだ幼児なので、パパ・ママが添い寝してくれないと寝られませんし泣きます。大体の場合、長女はママにくっついて寝たがりますし、次女は私に腕枕をしてもらいたがります。必然、親は二人とも、まずは長女次女にくっついて寝ることになります。長女は特に寝付きが良いので、長女が寝付いた後、奥様が移動して長男に添い寝してあげることもあります。

いつもは長男は、長女次女の反対側に位置して寝るか、ちょっと離れたポジションでごろごろしている内にいつの間にか寝ている、ということが常だったんですが。ここ数日、「長女 奥様 次女 私」というポジションが取られることが多く、「また(長女)ちゃんがママの横占領してるー」と長男が不平を言うことが続いていたのです。


不平を言いつつもいつの間にか寝ていることの方が多いですし、たまには私や奥様が早めに移動して添い寝してあげることもあったので、そこまで心配はしていなかったんですが。ただ、長男だってまだ9歳ですし、不公平を感じる部分もあったのかも知れません。


昨日長男は、いつも通り電気が消えてから、「また長女ちゃんがママの横占領してるー」と不平を言いました。「長女ちゃんすぐ寝るから、そしたら(長男)の横にいってあげるから」と奥様が答えました。



長男は、しばらくごろごろした後、おもむろに身を起こして、壁にもたれかかってじーっと座っていたのです。



月明かりが僅かに差し込む中、長男が身を起こしているシルエットは、私の目にはひどく印象的に写りました。いつもなら「ほら寝よう」と声をかけて寝させるところなんですが、なんだかそういうのが躊躇われました。


恐らくなんですが、長男はこの夜、「今日は絶対ママと寝る」と決意したんだろう、と思います。聞けば良かったんですが、電気が消えた中でお話をして、長女次女を起こしてしまってもいけません。

少し経った後、いつもはもうちょっとぐずぐずしている次女がすぐに寝付いたので、私は長男に声をかけました。「パパと一緒に寝る?」長男はゆるゆるとこっちに近づいてきましたが、「その前にトイレにいく」と、そっとささやき声で言いました。

しんざき家のトイレは階下にあります。長男はまだ、深夜に1人でトイレに行くのを嫌がりますので、長男がトイレにいく時は大抵私が起こされます。長男が用を足す僅かの間、私は長男に買ったてんとう虫コミックスのドラえもんを読みます。


長男がトイレから出てきてから、私は聞いてみました。「パパエレベーターする?」

長男は、ちょっと嬉しそうににやーっとして、「うん」と言いました。


パパエレベーターというのは、単に「パパが抱っこして階段を上がる」という、それだけのことです。長男の体重は、今30キロにちょっと届かないくらいです。流石に多少重いですが、まだ腰に来る程ではありません。長男をぎゅっと抱っこして、私はゆっくり階段を登りました。長男は、私の背中に腕を回していました。


子どもは皆抱っこ好きですが、しんざき家の3人はとみに抱っこ好きです。特に長女と次女は隙あらば親に抱っこしてもらいたがります。長男は流石にそこまででもないですが、今でも抱っこされると喜びます。

その後布団部屋に戻ったところ、長女は既に寝付いていて、奥様が長男と添い寝してくれました。さっきまで壁際にもたれかかっていた長男は、すぐに寝付きました。


これが、昨晩起きたことの全てです。この後私は奥様と夕飯を食べながら、長男が寝なかったことについて夫婦で情報交換しました。


長男の名誉の為に言い添えておきます。彼は確かに甘えん坊ですが、普段はとてもお兄ちゃんな甘えん坊です。私は彼に「こどもリーダー」という役職を任命しており、長女次女にも「お兄ちゃんの言うことちゃんと聞くんだよ」と言ってあります。長男が長女次女の面倒を見てくれると、私は彼に「流石こどもリーダーだな!」と声をかけます。自分がこどもリーダーであることは、長男の中では一つのプライドになっており、きちんとしたリーダーシップを見せてくれます。


ただ彼は、それと同時に、まだまだパパやママを独り占めにしたいし、抱っこされたいし、添い寝されたいのです。そしてそれは、私と奥様にとっても、大きな贈り物でもあります。まだ長男は、パパエレベーターに対してにやーっと喜んでくれるのです。


いつかきっと、長男は「パパエレベーターする?」と言われた時「いいよそんなことしないで」と言うのでしょう。「もうそんな年じゃないよ」と言うのかも知れませんし、その頃には長男の一人称は「ぼく」ではなく「おれ」になっているかも知れません。それは、5年後かも知れませんし、3年後かも知れませんし、1年後かも知れません。


だから、今、長男がパパエレベーターに喜んでくれることを、私は出来る限り大事にしたいと思っています。


子どもが甘えてくれる、という時間はいつか必ず失われますし、失われるべきです。「子どもが甘えてくれなくなる」というのは親にとって一つの喪失ですが、親は必ずその喪失を目指さなくてはいけません。だから私は、いつか長男や長女や次女が、「もう抱っこなんて年じゃないよ」と言う言葉を口にするのを目指し続けています。

それでも、まだ子どもが素直に甘えてくれる間は、親もそれに甘えてもいいものだと思っています。それも一種の助走距離になるのだろう、と思っています。


昨日、長男が寝ませんでした。


大事な時間でした。

posted by しんざき at 06:39 | Comment(4) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする