2020年09月11日

今日のしんざきのFF14進捗・あと5.3メインストーリークリアしました(後半にシナリオネタバレ感想あり) 2020/09/11

うわああああああああああああああああめっちゃよかったああああああああああああああああ。

なんつーか、FF14すげーな、と。MMOってゲーム形態的にシナリオを描写するツールとしては弱点を抱えていて、パッケージソフトに比べると恐らくシナリオを作り込みづらい部分が色々とあるんじゃないかと思うんですけど(シナリオ上の時間軸制御が難しかったり、決戦前だろうがお構いなく自由に移動できないといけなかったりとか)、その制限の中でこれだけ感動させてくれるシナリオを作って、しかもそれが過去シリーズのファンサービスと完全同期してるのって、本当にものすげーーーなーーーと思うんですよ。

なにはともあれ、FF14に戻ってきてよかったなあ…としみじみしてしまいました。

ということで、現在の進捗状況。その後、5.3までのメインストーリーの感想をネタバレアリで感情のまま垂れ流すので未プレイの方はお気をつけください。

・メインシナリオ5.3までクリアしました
・エデン共鳴と人形タチノまで終わりました
・ロールクエストはあとヒーラークエの78,80のみ
・赤魔のジョブクエ80やりました。久しぶりにシ・ルン・ティアとアリアに会えてよかった
・クラフター装備は一通り更新しました。ギャザラー装備はまだIL430
・お得意様取引エル・トゥ解放しました
・イシュガルド復興もちょっとだけかじりました

下記は今後のTodo。

・エデン共鳴とヨルハクエ・奇譚で侍・ナイトのILを上げていく
・白魔を80まで上げてロールクエを一通りクリアする
・ギャザラー装備を更新する
・久々に白魔でレベルレ叩いてみる
・アレキやオメガなど、過去の取りこぼしコンテンツもぼちぼちやっていく
・ヒルディクエもずっと放置してるのでなんとかしてあげたい
・余裕が出来たら暗黒騎士とか機工士などにもサブジョブ的に手を出してみたい
・けどアーマリーチェストがマジで足りない

アーマリーチェストどうにかなりませんかねホント…ギャザクラ更新分まで含めると本当一瞬で30枠くらいとっちゃって、残りの5枠でなんとかやりくりしてるような状況なんですが…このまま戦闘職のサブまで増やしていくと一体どうなるのか。

まあ、引き続きぼちぼちやっていきたいと思いますのでよろしくお願いします。






(注意!!ここから先は5.3のネタバレありの感情垂れ流し感想になります。未プレイの方にはここから先を読むことをお勧めしません)
(あと、漆黒秘話第七話の話も出てるのでお気をつけください)


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posted by しんざき at 14:03 | Comment(0) | FF14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月27日

FF14に久々に復帰することにしました 20/08/27

戻ってきました。久々のエオルゼアです。

復帰.png

ナイト:80
侍:80
赤魔導士:79
白魔導士:74
暗黒騎士:30
木工師:80
鍛冶師:80
甲冑師:80
彫金師:80
革細工師:80
裁縫師:80
錬金術師:80
調理師:80
採掘師:80
園芸師:80
漁師:80

以前中断したきっかけってなんだったかなーって思うと多分モンハンアイスボーン始めたからなので、一年近く中断していたことになります。一応5.1のストーリーはクリアしたんだっけ…?グランコスモスくらいまでは終わった気がするんですが…。

自分のレベル状況もよく覚えてなかったんですが、赤魔と白魔ももう70帯になっとるやん。特に赤魔はあとちょっとで上がり切るので、リハビリがてら挙げきってしまおうかと思っています。あと暗黒も上げたい。

FF14はもちろんコンテンツだらけであって、そこそこの期間中断してしまったのでちょっとやること整理しないといけないと思ったんですが、当面はやりたいこととしては

・メインストーリーを進めて5.3に追いつく
・ナイトをリハビリしてレベルレとエキルレを叩けるようにする
・赤魔をレベル80まで上げきる
・ギャザクラの装備を更新する
・クラフターのマクロを見直して最新のクラフト環境に追いつく
・蛮族クエを進めて、新蛮族クエも出来るようにする

取り敢えずこんなもんかなあと。結構ブランクがあるのでナイトの立ち回りとか出来る気がしない。今オーラムヴェイルとか往ったら速攻全滅しそうで滅茶苦茶怖いので、最初は冒険者小隊でも連れてリハビリしてこようと思います。

あと、ギャザクラだいぶ新しくなったっぽいんでちゃんと情報収集して最新環境にアップグレードしないといけない。スキル回しもだいぶ変わったっぽいですね?新スキルとか増えたんでしょうか。取り敢えずクラフターの主装備更新を目指そうかなーと思っています。

取り敢えずは以上です。
posted by しんざき at 12:12 | Comment(1) | FF14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月08日

「〇〇を許さない空気」という言葉をちょっと批判されたくらいで発してしまう率

こんな記事を拝読しました。


「売れていないのは宣伝不足」 「もっと宣伝すれば売り上げも伸びるはず」
このような理論は正しいと思いますし、作者や編集者がそう考えるのも当然だと思います。
ですが、そんなクリエイター達に言いたいことがある。

そもそも作品の質が悪いから売れないのでは、と。

宣伝は大事だと思いますが「つまらない作品は売れない」という理論も正しいはずです。


続けて、作者と編集者に言いたいことがあります。

「つまらない作品、売れなくて当然の作品を「買ってください」と宣伝してどうするのか」ということです。


もう一点、合わせて作家の皆様に言いたいことは「読者に作品をつまらないと評価する権利を与えてほしい」ということです。

「作家は思っている以上に繊細です。水を与えなければ枯れてしまいます」

「心無い読者の批判で筆を折る作家がどれだけいることか」

「ラノベを批評したら作者に個人情報を晒された」

「合わないと思った人は何も言わずにブラウザバックしてください」

「ラノベレビュー動画が削除された」

「ライトノベルに評論家など不要」


ネットで検索すると出てきたページの見出しの文章です。とにかく今は批評を許さない空気になっている。それはとても恐ろしいことだと私は思っています。


上記の辺りの引用部分を読んで私が思ったことを簡単にまとめると、

・「つまらない作品は売れない」という側面を否定はしませんが、実際には「つまらない面白い以前に、そもそも読者に届いていないし認知されていない」作品の方が圧倒的に多いです

・面白いつまらないは個人の判断ですので、ある作品について誰かが「つまらない」と思ったとしても、それが他の誰かにとって「面白い」作品である可能性は絶対に消えません

・批評を許さない空気なんて存在しますかね…??

・「批評をしたらその批評に対して批判された」「批評に対する批判を見かけた」というくらいで、「〇〇を許さない空気」と言ってしまうのはちょっと無理があるんじゃないかと思います

・けど「〇〇を許さない空気」って言う時、「〇〇っていったら特定の誰かに怒られた」っていうくらいの原因だったってこと結構あるよね

以上になります。よろしくお願いします。

さて、最初に書きたいことは全部書いてしまったので、あとはざっくばらんにいきましょう。

まず、当然の前提というか間違いないところから始めるんですが、

「絶対的に、誰が読んでも面白い作品」が存在しないのと同様、「絶対的に、誰が読んでもつまらない作品」というものも存在しません。

面白い、つまらないというのは相対的な尺度であって、しかもその尺度は人によって違います。誰の手も経ていないweb小説やらweb漫画ですら、「刺さる人には刺さる」コンテンツが多々あるのです。

まして商業のライトノベルなんて殆どがちゃんと編集さんの手を経て商業ラインにのっているわけで、「誰が読んでもつまらない作品」などむしろ稀有でしょう。大体の作品は、「面白いところもあればつまらないところもある」「刺さる人には刺さる」という程度の面白さは担保されています。

ただ、世の中には、出版はしてみても数百冊も売れないで大爆死、みたいな作品が山のようにあります。刺さる人にすら届かない作品が山のようにあります。

読まれてないので、「つまらない」という評価すらされません。けれど、売れません。なんででしょうね?

それは、単純に「刺さる人に届いてないから」です。「面白い/つまらない」の判断をする為には、そもそも手にとってある程度読まないといけない訳です。

顧客が購買行動に至るまでは、

認知→興味・感心→比較・検討→購入・申込

というルートをたどりますが、現代の出版マーケティングにおいて、まずこの最初の段階、「認知してもらう」というところまでたどり着くのが一番難しい、というのは常識中の常識です。そもそも現時点ですら届いてないんです。そこでSNSでの宣伝機会すら奪われてしまっては、誰にも認知されず人知れず埋もれる作品は更に増えるでしょう。

・つまらない/面白いは人それぞれであり、そもそも認知されなければ評価されない
・認知されるためのハードルが一番高い

上記二点から、

「つまらない作品は宣伝するな」というのは端的に暴論です。

というのが一点目の話。

で、実は二点目の方がもうちょっと気になったんですが。

「読者に作品をつまらないと評価する権利を与えてほしい」

ということなんですが…「つまらない」ということを許さない空気なんて、実際のところ存在してますかね?

そりゃまあ確かに、「ライトノベルに評論家など不要」みたいな文言はぐぐれば出てきますが、それ以上に「××という作品はクソ」という文言もぐぐればザクザク出てきます。ちょっと試しに「ライトノベル つまらない」でぐぐってみてください。作品けなしてるテキストどんだけ見つかりますか?

こういう、「つまらないと評価している記事がいくらでも存在する」環境で、「批評を許さない空気になっている」って言われてもいまいちピンとこないっていうか、正直何の話をしてるんだろうと思っちゃうんですよ。

いや、ありますよ?批評に対するカウンターってのは普通にあります。「〇〇って作品が面白くない!!!!」って大声で叫んだら、確かに〇〇好きの人が大挙してやってくることもあるでしょう。もしかするとぷち炎上する可能性だってあるかも知れません。

けど、

「批判にカウンターが帰ってくることがある」
「探せば、批判に対する批判のテキストが見つかる」

っていう状況を、「〇〇を許さない空気」みたいに言っちゃっていいのかなあ?と。

批判をする自由があるなら、批判に対して批判を重ねる自由だってあるでしょう。それを、「批判を批判するな!」って話にしちゃうと、それこそ「批判に対する批判を許さない空気」ってことになっちゃいませんかね、と。

現在のポリコレ関連くらいまでいったら、そりゃ「〇〇を許さない空気」まで言っちゃってもいい案件も出てくるかも知れませんが、実際のところ、現状日本「〇〇を許さない空気」の「〇〇」に当てはまるものって、少なくとも言論に限って言えばそうそうないような気がするんですよ。「炎上しやすい案件」「燃えやすい案件」くらいならあると思いますけど。

もちろん、表現者ってものは百の賛同よりも一の批判・罵倒の方を心に残してしまうものですから、多少賛成意見があったとしても怒られの方にばっかり意識が言ってしまう、というのはありがちな話です。結果的に、「〇〇について書くといつも怒られが発生する!」「〇〇を許さない空気だ!」って言いたくなっちゃうこともあるのかも知れないですけど。それちょっとあんまり妥当じゃないんじゃないかなあと。

私の言いたいことをまとめると、大体そんな感じになります。


コンテンツの批判も、コンテンツに対する「好き」の表明も、気軽に出来る世の中であり続けるといいなあ、と。

そう考える次第です。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 23:39 | Comment(6) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月23日

キャラゲーBGM演奏バンド「関東豪楽連」が、「ナゾゲーランド」にて演奏を配信します

ということで、今回のナゾゲーランドは、昨今の様々な事情を鑑み、オンライン配信版になりました。例によってライブあり、朗読劇あり、漫談あり、傍若無人系のなかなか楽しいイベントなわけですが、今回はどなたでもご観覧頂けることになりましたので、是非皆さまご視聴下さい。

当然のことながら、しんざきも所属している「関東豪楽連」も今回も演奏させて頂くわけなのですが、今回のテーマは「キャラゲーの概念に挑戦!!!!!」。

普段とは若干毛色を変えて、「それはキャラゲーと言っていいのか…!?」というゲームタイトルについて、「いや!!キャラゲーなんです!!!!」ときちんと理由をご説明した上で演奏するという内容になっております。解説MCでしんざきもしゃべる予定で、またいつも通りケーナを吹いたりもしますので皆さんよかったらみてやってください。

コロナ禍からこっち、様々なライブハウスやイベント会場も大変苦境に立たされていることで、我々も色々と悩んだのですが、間違ってもクラスター化など起こせないという事もあり、今回は苦慮の上このような形式になりました。皆さんよろしければ、会場のSoul玉Tokyo様への支援となるバッチ販売の方にもご協力を頂けると大変にありがたいです。

いったんそれくらいです。


posted by しんざき at 18:24 | Comment(0) | フォルクローレ・ケーナ・演奏関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月25日

ラーメンを食べた

ラーメンを食べた。

山手でゆき大盛たまご、チャーシュー盛り。染みる。。。

ゆきラーメン大盛り味付け玉子。多分、私が人生で一番頻繁に食べたメニューだと思う。今回は、それに加えてチャーシューを二枚乗せたけど。ゆきラーメンの特徴はとにかく美味いことであって、スープの表面にちりばめられたとんこつが雪の様に見えることからゆきラーメンと名付けられたそうだ。その名に反して味はあっさり風味で、いくら食べても食べ飽きるということがない。更にそのスープと味付け玉子の相性が最高だ。

山手らーめんの本郷店が閉店してしまうのはもう去年のうちに知っていて、「それでもまだ駒場本店がある」ということを希望にしていた。そして昨日、本郷店の閉店の報を知った。理由はコロナに関連しているのかも知れないし、そうでないのかも知れない。そこはよくわからない。

ここ二カ月は、私は山手に脚を向けることが出来ておらず、それは仕方ないことと言えば仕方ないことなんだけど、それでも私の本来のモットーは「好きなものには可能な限りお金を使う」「好きなものが消えてから泣かない」なので、それに反することをしてしまった、という意識は消えない。これはちょうど、殆ど足を向けなくなっていたゲーセンが閉店してしまってから、「あのゲーセンが無くなってしまうなんて!」と嘆くという構図と相似している。仮に山手の閉店が「コロナに伴って客足が途絶えたこと」だとしたら、私も山手をつぶしてしまった罪の一端を背負っているということになる。

もちろん、今、経営の危機に瀕している店というものはそれこそ数えきれない程あるだろう。これは数ある悲劇のうちのたった一つに過ぎない。たった一つの悲劇が、たまたま自分が何よりも気に入っていた店に突き当たってしまったというだけ。そして私は、それに対して何の抵抗もすることが出来なかったのだ。

悲しむくらいいいだろう、と思う。それくらいは、誰に文句を言われる筋合いもない筈だ。

奥様に山手のことを話した。すると、行っておいで、と言ってくれた。

自宅待機は、私にはそれ程嫌なことではなかった。まずなによりも、子どもたちと過ごす時間が増える。子どもたちと食べる夕飯はとても美味しく、その機会を捨ててしまうことは私にとってもかなりの罪悪感を伴うことなのだが、奥様は私の買い食いに背中を押してくれた。ありがたいという他なかった。たまにはうちのことは気にしないで行っといで、と。ラピュタに出てくる親方のおかみさんくらい男前な台詞だと思う。


2カ月振りに食べたゆきラーメンは、やはり体に染み入る美味さで。私は心ゆくまで悲しむことが出来た。

悲しい。
posted by しんざき at 22:30 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月18日

最近通販で買える有名ラーメン店のラーメンをよく食べてる

例えば桂花ラーメン。

いくか

大体、通販のらーめんって「スープと麺だけで具はお好みでどうぞ」っていうパターンが多いみたいなんだけど、うちの奥様は桂花ラーメンガチ勢で、「桂花を食べる」となると本気になって「チャーシューを仕込むので一日待ってください」って言われました。

で、これが結果。

桂花ラーメンガチ勢の奥さまによる具の本気再現

ガチだった。チャーシューに味付け玉子、くきわかめまで用意されてどっからどう見ても桂花。めちゃ美味かった。

続いてこちら。一風堂。これは麺をゆでるのとスープを作るのを一緒の鍋でやるタイプだった。

もちろん大変に美味かったです。

そして坂内。これは長男のリクエスト。彼坂内好きなので。けど、チャーシューとセットで売ってるヤツは残念ながら売り切れだったので、

今日は長男リクエスト

奥様がまたしても本気を出した。本気の炙りチャーシュー。

奥さまによる本気チャーシュー

全部載せてみたらこうなりました。

全部のせ

麺が…麺が見えない…!!坂内に全部載せなんてあったっけ?
当然のことながら優勝レベルで大変に美味しかったです。


ここ最近通販ラーメンを食べてみての感想。

・全体的に味再現レベルは非常に高い、というか麺とスープについてはほぼ店そのまんま。しかも作り方割とどれも簡単
・ただし具をちゃんと再現しようとしたらわりと本気調理が必要になる。具がポイントなラーメンに関しては再現は結構難しい
・ただし自分好みにアレンジをする楽しさもある
・しんざき奥様のチャーシューにかける情熱が凄い

次は天下一品に挑戦してみる。本当は山手らーめんのゆきらーめんが自宅で食べたいんだがさすがに通販はないっぽい…当たり前だが…
posted by しんざき at 12:49 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月14日

あんまりよろしくないのは、「なぜそう思うの?」と聞くことじゃなくて、「否定する為に質問をすること」だと思います。けど元々の話がなんかおかしい

この記事拝読したんですけどね。


友人のお母さんは「自分の頭でなんでだろう?と考えさせましょう」的な、たぶん当時流行った教育法をえらく信奉していたようで
「なんでそのゲームが欲しいの?」
「なんで〇〇くんと遊びたいの?」
「なんで宿題する前にゲームをするの?」
「なんでそれが食べたいの?」
とにかく何かを強く注意されたり、直接否定されたことはほとんどないんだけどあらゆることに理由を求められたことがトラウマだったそうで。
大人となり親になった今でも、自分の感情の前にその理由を求める癖があって何事も冷めてみているというか素直に受け止められない・楽しめないと言っていた。
これ本当にかわいそうだわ。
自分のプライドを守るために子供を理屈で論破するのはだめ。
それだったら鬼!と言われようと、ちゃんと「ダメなものはダメ!!」と感情的に怒る父ちゃん・母ちゃんのほうがよっぽど精神衛生上よろしいと思う。


なんかよくわからんなーと思ったんでちょっと整理したくなりました。

まず、「この増田が考えていること」と「友人に聞いた話」が微妙に歪んでいる可能性があるような気がしまして。

増田は

「自分のプライドを守るために子供を理屈で論破するのはだめ。」

と言ってるんですが、それ自体は「友人の話」と独立している増田の感想ですよね?友人は、「あらゆることに理由を求められた」だけではなく、その後に「理屈で論破」されていたんでしょうか?これ、ワンセットなのかどうかでかなり話が変わってくると思うんですけど。

仮に、「友人」が理由を求められた後に必ず「理屈で論破」されていたとしたら、そもそも問題点は「なぜそう思うの?」と聞くことじゃなくて、「否定する為に質問をすること」にあります。

これ、例に書いてある質問の内容、全て子どもの欲求でして、「ゲームがしたい」とか「〇〇くんと遊びたい」みたいな「やりたいこと」です。これに対して理由を求めた上でそれを否定したとしたら、それは「一応理由は聞いたけど、子どもの欲求は抑え込みたい」という親のアリバイ作りであって、そりゃあんまりよろしくありません。

どんな理由を答えたとしても結局否定されるんなら、子どもはそもそも理由を答えたくなくなるし、理由を考えたくもなくなります。無力感の学習ってヤツですね。これを何度も何度も繰り返されたら、最終的には欲求を口にするのもイヤになるでしょう。

「否定する為に質問すること」がよろしくないのは当たり前です。これは「考えさせること」の問題とはちょっと違う。

ただ、よくわからないのは

「大人となり親になった今でも、自分の感情の前にその理由を求める癖があって何事も冷めてみているというか素直に受け止められない・楽しめないと言っていた。」

という記載なんですよね。何事も楽しめないっていうのはどうなのかなーと思うんですけど、なんでも「理由づけ」とワンセットで否定されていたら、そもそもこういう思考になるのかなーと。いや、絶対ならないとは言いませんけど、先ほど話した「否定されること」が友人と話した内容と独立していることもあいまって、本当に「論破」されてたのかなーってのが結構疑問なんですよ。無力感を学習していたらむしろ「考えない」方向にいきますよね。

増田の思考内では

「理由を考えさせること」


「それを否定すること」

がワンセットになっているようで、だからこそ

「それだったら鬼!と言われようと、ちゃんと「ダメなものはダメ!!」と感情的に怒る父ちゃん・母ちゃんのほうがよっぽど精神衛生上よろしいと思う。」

という結句になっていると思うんですけど、それと友人の悩みって微妙にずれてるような気がするんです。これ、増田が友人の話を適当に自分の思考に引き寄せてる可能性ないかなってちょっと不安なんですけど。

個人的には、「否定とワンセットになっていないなら、考えさせることは基本的にいいこと」

だと思いますけど、ただそもそも「理由のない欲求というものも子どもには多分にあり、そういうものについて無理やり理由づけをするのはあんまり意味がない」とも思います。「お菓子喰いたい」という欲求に一体どんな理由があるんだよって話です。

「自分の頭で「なんでだろう」と考えさせる」って、元よりそういう話じゃないと思うんですよね…正しいとか正しくないとかいう話じゃなくって、これも、増田が示しているサンプルが、そもそも友人の話を正確に反映しているのかどうかはちょっと疑問なんですが…。


それくらいです。




posted by しんざき at 09:53 | Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月13日

小湊鐵道さんの件について雑感

〇何が起きたのか
・小湊鐵道株式会社さんの公式Twitterアカウントが、とがったツイートで人気を博していた
・5/12に全ツイート削除(リプライと引用ツイートを除く)
・アカウント担当者さんが以下のようなツイート(主旨としては、「担当を外された」「始末書を書かされた」「ガイドライン等はなかった」といった内容)

・もともとのフォロワー・ファンだった人たちの一部が吹き上がって、「#小湊鐵道中の人の不当解任に抗議します」といったタグまで作って抗議中

下記はねとらぼさんが小湊鐵道さんに問い合わせた結果。


会社側の言い分によると、「とがったツイート自体を問題視したわけではない」「会社の内部情報に関わるようなツイートをしており、注意していた」「ガイドラインを作っていなかったのは会社側の問題(ただし担当者がそういったものを作る責任者でもあった)」とのこと。

〇考えたこと
・Twitterについての戦略変更、担当者変更は会社側の意志によって実施されることであって不当もなにもない
・ただ、コンテンツを育てる立場としては、「過去のツイートを削除する」(それも全削除ではなくリプライを残しており、いかにもTwitterについての識見不足を露呈)というのは悪手だったと思う
・会社の言い分と担当者の言い分、どちらがより妥当なのかはちょっと分からない。ただ、一般論として、社内情報を書くのは当然ながらコンプライアンス違反であって、それは処罰の正当な理由となる
・担当者さんの最後の数ツイートについては、気持ちは分かるけどちょっとそれを書くのはどうなのかな…と思った
・不当解任つったって別に不法に解雇されたわけでも労基に違反しているわけでもなく、「不当解任」という方向で抗議してる人たちはちょっと落ち着いた方がいいと思う。抗議すればする程中の人の立場やばくなんないかな…
・ただそれはそれとして、会社のやり方のまずさを批判するのは特段問題ないと思う
・Twitterにおけるマーケティングが孕んだレピュテーションリスクを可視化した好例だなーと思った


〇補足
ということで、言いたいことは上で全部書いたので、以下は補足です。

まず、今回の件が炎上案件になってしまったのは、もちろん公式アカ担当者さんのツイートが発端ではあるんですが、なにより「守旧的な、頭の固い、かつSNSのことなんて何もわかっていない古臭くてブラックな上層部」という匂いを発生させてしまったことと、そういうのを叩くのが大好きな人たちに見つかってしまったことの二点が非常に大きいと思います。

特に

・過去のツイートを削除
・しかも、リプライは見逃している

などという行為は、コンテンツ維持の視点で悪手であるだけでなく「Twitterのこと何もわかってねーぜ」ということを大声で喧伝しているようなもので、これについては悪手中の悪手といっていいでしょう。恐らくこれがなければここまでの話になっていなかったんじゃないでしょうか。

恐らくTwitterについてある程度知見があったのが担当者さんだけだったんだろうなーということは容易に推測出来、であればまずどんな形でも引継ぎを進めておくべきだった。その上で、社内情報が含まれるツイートだけ精査して削除し、あるタイミングで管理権限を移行し、担当者変更については淡々とツイートすればそれで済んでいた。

これについては、Twitterでマーケティングをする多くの企業が悪い例として認識するべき事案だなーと考えるばかりです。

小湊鐵道さんのツイートについて、私自身以前から拝見はしていたものの、どれが「社内情報」に当たるのかまでは観測しておりませんでした。とはいえ、一般論として「Twitterの担当者さんが、とがったリプライをする余り筆が滑ってしまう」というのはよくあることでして、アカウントのノリとしては多少コンプライアンス違反を踏んでしまうことはあり得る話だなーと思ってはおりました。

「フォロワー数のノルマを課せられたまま投げっぱなしにされていた」というのは、状況見ても恐らくその通りだったんだろうなーと思いまして、そこについてはまことにご苦労されたんだろうなーとご同情を禁じ得ません。ノルマを課せられて、大きな成果を殆ど一人で挙げたのに、あるタイミングでいきなり全部消されてアカウントごと取り上げられてしまう。物凄くお悔しいだろうなあ、と思います。「気持ちは凄く分かる」という感じです。

ただ、今回の炎上案件については、明らかに一SNS担当者としての枠を外れた話であって、ビジネスパーソンとしては「ちょっとそこまで書いちゃうのはどうなのかな…」と思いはしました。思いっきりレピュテーションリスクを顕在化させてしまっている。

これが実際企業の内部告発とかだったらまだしも、やってることは(少なくとも見えている範囲では)不法でも脱法でもなんでもない話であって、それを「勇気ある告発」みたいに扱うのはちょっと無理があると思うんですよね。

そういう意味で、まるで内部告発者を祭り上げるような抗議をしている方々におかれましては、「いやちょっと落ち着かれた方がいいのでは…」と思うところ大です。もともとのファンの人たちが「寂しい!」「やめないで!やめさせないで!」といった声をあげるのは当然のことであって、それはどんどんやっていいと思うんですけど、そもそも元々小湊鐵道さん自体知らなかったような人たちが、「頭の固いおっさんたちに不当な扱いをされた可哀そうなTwitter担当者を救え」みたいな感じでお祭りを始めるのは正直ちょっとどうかと思うんですよね。ちょっと、担当者さん自身妙な方向で追い込まれないか割と心配です。

「どんな形でSNSにおけるレピュテーションリスクが発動するか分かったもんじゃない」というのは本当に心から実感するところでして、そこについてはあらゆる企業が襟を正すべきところだなーと考えるわけです。Twitterこわい。

小湊鐵道さんがどんな判断をされるのかは当然分かりませんが、みんながなるべく不幸にならないような着地点が見いだされることを願ってやみません。

今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 12:59 | Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月12日

俺たちは、ゲームを遊ぶ時に何を「想像」していたのか

てっけんさんが書かれたこちらの記事を読みました。


私の所感をまとめるとこんな感じになります。

・「今のゲームは映像がリアルだから想像力を使わない」というのは少なくとも私に関しては嘘
・ただし、「想像で補完する内容が昔と今で違ってきている」というのは多分私に関しては本当
・あと、昔のゲームでも、想像で色々と内容を補完するゲームとそうでもないゲームがあった
・同じ「想像」するにしても、「何を補完する為の想像なのか」はやっぱりゲームによって違った
・開発者さんが用意してくれた「想像のトリガー」をつかみ取れる楽しさは今も昔も同じ

うん、大体言いたいことは言った気がします。

以下は補足です。


〇我々はゲームにおいて何を「想像」するのか

えーとですね。まずこの話なんですけど、「ゲームによって、想像で補完するものが変わる」というものはまず一つ、割と重要な大前提だと思うんですよ。これは多分、ゲームのスペックとかグラフィックによってという話ではなく、「開発者さんが用意してくれたものが何か」ということによって変わってくると思うんです。

てっけんさんもおっしゃってますけど、例えばスーパーマリオで「実際のマリオが走ってたら」とかいう、いわば「現実にゲームを写像する」的な想像って、少なくとも私はしなかったんですよね。ドット絵のマリオはそのまんま、ドット絵として受け取っていた。これもてっけんさんがおっしゃる通り。

じゃあ私はマリオを遊ぶ時に何も想像していなかったかというとそんなことはなくって、「上手くプレイ出来た時の自分」を想像していました。ゴール地点を想像していた。で、その想像と現実が合致すると物凄い達成感を得ていた。

これは例えば、「テトリス」なんかでも同じですよね。皆さん、「リアルなテトリミノが実際に上から落ちてきたら」みたいな想像しながらテトリス遊んでました?そういう遊び方してた人ももちろんいるかも知れなくって、多分ジオキューブなんかそういう発想から生まれたゲームなんじゃないかと思うんですけど、それはそうと私はそんな想像してなかった。何も考えないでプレイしてたか、あるいは「こんな風に組めればすげー気持ちいいな」みたいなこと想像しながらプレイしてました。

一方、例えばWizardryとかあるじゃないですか。あのゲームなんかは、それこそ「どれだけ想像しても想像し足りない」っていうゲームでしたよね。ただのステータスと文字の塊だった自分のキャラクターが、実際にはどんな姿をしていて、どんな会話をしていてどんな生活をしているのか。それこそ想像しまくった。そして、その「想像する」という行為自体がものすごくエキサイティングだった。

あれは典型的な、「僅かなドット絵から無限のグラフィックを想像出来る」ゲームだったと思います。多分なんですけど、「今のグラフィックはリアル過ぎて想像力がうんぬんかんぬん」とか言ってる人って、Wizardryみたいなゲームのことを念頭に置いてると思うんですよ。

この違いってどこから来るのかというと、多分「そのゲームに元々用意してあるものは何か」ということと、「それはプレイヤーにとってどんなトリガーになるか」ということ。ゲームを遊ぶ時の「想像」って、結局この二点に集約して、そこには古い新しいってあんまり関係ないような気がするんですよ。

じゃあ、実際に我々は、ゲームを遊ぶ時にどんな「想像」をするのか?ちょっと、私自身の経験で考えてみました。


〇想像のトリガーとはどんなものか

我々がRPGを遊んでいたとしましょう。

例えばドラクエ3で、アッサラームからバハラタにいくとします。この時、ノルドにポルトガの王様からの手紙を渡すと、「おうさまの頼みなら仕方ない」みたいなこと言うじゃないですか。

私、この時ものすっごい色々想像したんですよ。アッサラームとポルトガって結構離れてますよね?しかも間にロマリアがあるし、更にロマリアとポルトガの間には魔法の鍵で閉ざされた関門まである。なのになんで、ノルドはポルトガの王様と知り合いなんだろう?

こういうの、つまり「ゲーム内で語り切られていない物語」。あるいは、「ゲーム内で起きていることの、更にその裏に広がっているかもしれない展開」。これと、実際に語られている内容のギャップ。

これって、少なくとも私にとっては、非常に明確な「想像のトリガー」なんですよね。こういう、語り切られていない物語をあれこれ想像するの大好き。まだたどり着いていない展開についてあれこれ想像するのも大好き。こういうのがあるからこそ、「モンスター物語」とか「アイテム物語」みたいな本読むのがすっげえ楽しいと思うんですよね。

で、てっけんさんもいみじくも言われていますが、こういう「まだ見ぬ物語、語られていない物語を想像する」っていう遊びの楽しさは、今も昔も全然変わらないと思うんですよね。十三機兵だってめっちゃ色々想像しましたよ途中で。シナリオ補完、展開補完とでもいうんですかね?

私自身にとっては、「裏にほの見える物語と、実際に語られている物語のギャップ」を埋める遊びを楽しむ機会は、むしろ時代を下るごとに増えている気がします。物語の質量もあがっているし、シナリオもすげー分厚いゲーム多いし、その分裏で色々妄想する機会も増えた。「物語についてあれこれ想像するトリガー」があちこちにあるゲームが凄く多いわけです。まあこれは個人差あるかもですが。

一方、「ドット絵からグラフィックを想像する」っていう遊びについても、多分「そのゲームに用意されているものは何か」ってことによって変わってくる。Wizardryなんか、「グラフィックはチープだけど、実際に描かれているのは等身大の冒険」という、いわばグラフィックとその裏で動作しているものに対して大きなギャップがあったわけです。だから、そのギャップを埋める為の「想像」が成立した。もちろんグラフィックだけじゃなくて、上に書いたような物語上の補完をする想像も色々しましたけどね。

テトリスやらスーパーマリオやらは、この側面ではある意味「完結」しているんですよ。画面に映ったものがそのまま動いて、ちゃんとその場で活動してくれている。だからその間にはあまりギャップがない。結果、そのギャップを想像で埋める必要が生じない。いやもちろん、必要が生じないだけで想像出来ないわけじゃないんですけどね。

こういう、「グラフィック的な意味でのギャップ」を感じるタイトルが時代を下るごとに減っていった、っていうのは確かにあるかも知れません。FF7見ればわかりますよね。PSの頃のFF7は、あれでも「もっとリアルなグラフィックだったらクラウドは、ティファは、エアリスはどんな顔してるんだろう」とかまあ考えましたけど、FF7Rなんて全くその必要ないですからね。

更にもう一点、さっきスーパーマリオの話で書きましたが、「上手くいったときの自分を想像」というのも、私にとっては一つの重要な楽しみでした。特にSTGではその側面が顕著でして、ダラ外のスコアアタックで、全部つながった時の展開を勝手に想像して勝手に気持ち良くなったりしてました。

これは、「実際のプレイと理想のプレイのギャップを埋める遊び」とでもいいましょうか。この楽しさについては、今も昔も全く変わらないんですよね。


〇「何を補完するのか」によって想像の種類は変わってくる

つまり、少なくとも私にとっては、「ゲームをする上での想像」というものは大きく次の三種類があった。

1.実際に語られているゲーム展開と、その裏の物語の「ギャップ」を埋める想像
2.実際に見えるグラフィックと、そのリアルな姿の「ギャップ」を埋める想像
3.実際にプレイしている時のプレイ感と、理想のプレイの「ギャップ」を埋める想像

で、同じく少なくとも私にとっては、

1の「展開ギャップ」について補完する為の想像は、機会が減るどころかむしろ増えている気がする
2の「グラフィックギャップ」について補完する為の想像は、確かに機会が減っている
3の「プレイ感ギャップ」について補完する為の想像はあまり変わっていない

ということが言えるわけです。

これはもちろん私にとっての話であって、多分感じ方は人によって違います。人によっては、理想のプレイを想像するなんてやったことねえよ、って人もいるかも知れませんし、お前なんでこういう想像しないの?みたいな話もあるかも知れません。ただ、

「ゲームによって、何を「想像」するかは全く違う」
「そしてそれは、今が昔がという話ではなく、開発者さんが何を用意したかによって変わってくるもの」

ということについては、多分言ってしまっていいんじゃないかなあ、と思っているんです。

開発者さんが用意したものを楽しんで、そして時にはそれをトリガーにして、更にそれと別の何かのギャップを埋める為の想像をする。それって、ゲームを遊ぶ上での割とコアな楽しさですよね。ギャップのありようには多少変遷があったかも知れないですが、そういう楽しさ自体については、今も昔も何ら変わっていないんじゃないかなあと。

私はそんな風に考えるわけなんです。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 01:33 | Comment(2) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月08日

しんざき家全員どうぶつの森の遊び方がちがう

家族5人であつ森やってるんですけど、

私:基本的にカブと金のなる木農業とDIY換金でひたすらベルを貯め込んでいるだけ。ローンは気が向くまで返さない。

しんざき奥様:採集の鬼。虫取りと釣りに何時間も費やす。流れ星をひたすら集めたりもしており、基本的にプレイ中は何かを集めているっぽい。ポケットが常にぱんぱんで大変そう。あとDIYでなんか色々作っている。博物館になんか寄贈してるのは大抵長男か奥様

長男:ローンを返して家を拡張して、家に色んな家具をそろえることに燃えている。住みやすい家を目指しているらしい。島クリエイターで島改造も盛んにやっており、島を自分の好きなように飾り付けしている。マインクラフト的な楽しみ方をしているっぽい。また金策も手広くやっており、カブ取引や高額の虫取引で稼いでいるらしい。多分一番やり込んでる

長女:自由人。特に目的をもってゲームをしているわけではないらしく、その時その時でやっていることが違う。この前は住人に色んなものを押し付けては反応を見てキャッキャしていた。住民の行動をスクショに撮るのも趣味っぽい

次女:おしゃれの鬼。よくわからないがマイデザインに色んなデザインを用意しているようで、しょっちゅう服を着替えては見せにくる。あと、服を色々くれてはペアルックになることを要求してくる。たまたま島民代表になってしまった為に色んな手続きをしないといけないのが面倒らしい。ちょくちょく長男にせっつかれている。

という感じで、全員やってることとその方向性が全く違うんですよ。けどそれぞれ話は通じるし、お互い色々プレゼントし合って遊んだり、家の中見せあったりして全員で楽しめているので、これはものすごーく許容範囲広いゲームだなーと。

同時に、狭い範囲のほんの数人でもゲームの遊び方って全く変わるものなんだなーと。楽しみ方は人それぞれなんで、それぞれ自分に最適化した遊び方、自分が一番楽しい遊び方を見つけられるなら非常に良いことだなーと考えるわけなんです。

個人的にはいまひとつ面白さに乗り切れていないような気もするんですが、まあ家族の共通言語が出来ているしみんな楽しそうなのでよかったなーと思っている次第です。デスクルスは作りたい。

posted by しんざき at 11:06 | Comment(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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