2007年04月30日

男の子は備蓄物資の夢を見るか

その男には、昔から妙な性癖がある。


一言で言うと、サプライ萌え、とでもいうのだろうか。サプライフェチ、とまでは多分いかないと思う。サプライマニア、というのもおそらく違う。彼はサプライそれ自体に関しては、ろくな知識をもっていない。

さくらやとかビックカメラとか、そういった電化製品量販店をうろついている時の話なのだが、例えば乾電池の山とか、大量のプリント用紙とか、「サプライの十分な備蓄」を見ると、彼は何故か妙にうれしくなるのである。わくわくしてくるのである。かといって、別にサプライを買い込みたくなる訳でもない。


彼は最近になって気付いた。というか、思い出した。この「サプライ萌え」は、おそらく、子供の頃に感じた「備蓄物資の確認萌え」と同じ類の感覚なのだ、と。


二年間の休暇、という児童小説をご存知の方は多いだろう。十五少年漂流記というタイトルでも発表されており、その名の通り無人島に流された十五人の少年の冒険物語である。

当面無人島で生活しなくてはいけない、ということが定まった時、彼らは自分達が乗って来た船に残された物資の確認をする(注:物資の内容はうろ覚えてすらいないので適当である)。

弾薬六樽、干し肉三樽、シェリー二樽、マスケット銃何丁、弾薬何ポンド、etc、etc。

萌えーー。


そして、物資が残り少なくなると、補給をする訳だ。アザラシを捕獲して油を煮詰めたり、樹液からお酒を造ろうとしたりする訳だ。そして、この結果がまた○○樽という数字で表されたりする訳だ。アザラシの皮脂からとった油が四樽備蓄されたりする訳だ。その油の備蓄で冬を越したりする訳だ。

萌えーー。


いや、萌え、というより、燃え、だったのかも知れない。この二種が一体どう異なるのか、彼には昔からよく分からない。おそらく今でも分かってない。

ともあれ彼は、「冒険ものに出てくるアウトドア料理は何故か無闇やたらと美味く見える」症候群と同時に、「物資の備蓄という言葉に何故か無闇やたらと萌える」症候群を患ったまま、無人島に漂流して現実を思い知ることもなく、いつしか四半世紀を越える人生を送ってきた訳だ。


さて。いわば「備蓄物資萌え」とでも言うべき件の感情なのだが、この正体は一体なんなのだろう。ここが難しいところなのだ。実は、これを書いている私にも正直よく分かってない。


・「樽」という言葉が持つ、冒険感覚のドーピング
・農耕民族的貯蓄欲求の発露
・これでジオンは10年は戦える的、十分な備蓄に対する安心感


その他もろもろ、恐らくは「男の子回路」と通例呼ばれる様な感覚と似通った部分もあるのだろうとは思うのだが、これに関しては「似通った感覚の集合」として捉える他、今の私には結論を出すことが出来ない。

この感覚の正体に関しては、今後とも研究を進めてみたい。案外、彼をどこかのスクーナーに乗せて、南米の無人島沿岸で遭難でもさせたら、割とあっさりとその正体が分かるかも知れない。



そして彼は、今日もさくらやの地下で乾電池の山を眺めつつ、店員の奇異の視線を気にすることもなく、嬉しそうな表情を抑え込んでいる。
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2007年04月26日

今日のしんざき 07/04/26

そういえば不倒城も3年目だなー、と思った。正確には今年の11月で丸三年になる。04年のブログ隆盛に便乗して始まったこのブログだが、お陰様でそれなりに続いている。

ナニゴトも3年目が一つの節目になる、というのは一般論で片付けられる話だと思うが、3年経ったら一度ブログ自体を振り返ってみたいなあ、とは以前から思っていた。あと半年か。

取り敢えず日記。


・土日のしんざき

土曜日は出勤。押入れの空きスペース利用の為、家具などみる。


「子供が生まれたらなかなかいけない場所」に今の内に行っておきたいというので、いくつかラインナップしてみようと思ったのだが、元々奥様と私というのは割とアウトドア派であって、子連れがはばかられる場所にはそもそも滅多に行かない。

映画館、美術館、ライブ、ビリヤードとかボーリングとか、いずれも頻度は極めて低い。歩き倒すことは多いのだが。

そんな中、うちの奥様が恐怖の単語を漏らした。


「・・・デザートビュッフェ。」

(ノ∀`) アチャー


「子供生まれたらいけないよね」

(ノ∀`)ノ∀`)ノ∀`)ジェットストリームアチャー


私がカレーとパスタで食い繋いでなんとか生き延びたことと、隣の席で男二人組の兄ちゃんが「いやー、男だけって俺らだけっすねー」などといいながら物凄い勢いで皿満載のケーキを食いまくり、無闇に漢らしかったことだけ書き記しておく。



・ちょっとURLメモ。

NC-15様

どうなんだろ。予備知識が少ないのであまり判断出来ないが、気になる話題ではある。

専門分野が近い奥様に知識がありそうなので後で聞いてみる的メモ。



議論に強くなる方法を教えてください。

議論は「強く」ならなきゃいけないものなんだろか。議論が勝ち負けで捉えられること自体ちょっと違う気がするんだけど。

「言い負かせば勝ち」という条件だと、議論に強い=「相手の意見を認めない」あるいは「粗探しの達人」になりかねん様に思う。相手を言い負かして「しまった」時、論者はその議論から一体何を得られるのか。

民放の討論番組なんか見てるとその辺、あーこりゃこりゃという気分になることがある。

優れた論者は多分、そもそも相手を言い負かそうなんて考えない。敢えて強さという言葉を使うとしたら、「議論の強さ」=「視野の広さ」だ。


ファミコン、13年ぶりの最新作ソフト!?

メモ。圧倒的な存在感。すげえ。
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2007年04月22日

レトロゲーム万里を往く その61 「映画を目指した」ゲームの災厄


なんか久々にゲームタイトルを冠してない万里など。調べてみたら1年半ぶりだった。

知はうごく:コンテンツ力(7−3)日本の戦略

細かいところなんだが、ちょっと違和感があったんでつきつめて考えてみた。

で、違和感を感じた対象がここだったんで自分でも若干呆れた。本筋から外れた部分であることは一応理解している。
アニメや漫画は感動をもたらすけれど、ゲームは、お金だけ持っていって、子供の時間奪ってますね。その人生にプラスアルファがない。宮崎さんとか他のアニメ見て、人生変わったという人はいると思います。心ふるえるほどの感動とか、ゲームは若干難しい。

当たり前だっつの。ドンキーコングやアイスクライマーで心がふるえる程感動する子供がご近所にいたら、まず性癖の心配をしろ。将来ミスター味っ子(初期)みたいな人になるから。

と第一感では思ったんだが、良く考えてみると。アニメや漫画、あるいは(宮崎さんの名前が示している通り)映画と、ゲームがこういう文脈で比べられること自体、私の認識とだいぶずれている。というか、おそらく私の認識の方が世間からずれている。私の脳回路が8ビットで動いていることは私も認知している訳であって、認識がずれていることを認めるにやぶさかではない。


つまりこれは、「近年、ゲームはいつの間にか漫画やアニメと同じ土俵に乗せられてしまった」ということを意味しているんだろうか。


そもそも、「心ふるえるほどの感動」とか「人生へのプラスアルファ」がゲームにはない、などというテキストが書かれるのは何でか。それは多分、ゲームに対してあまりにも「物語」を期待しているからだ。

良質な物語は心に響く。良い小説は人生を豊かにする。多分五十年くらい前から、国語の先生が言い続けてきた言葉だ。

ここ数年、ゲームのCMや店頭広告を見て「何の映画だ?」と思うことは多くなった。実際、ゲームの中身そのものも「アニメ的」あるいは「映画的」であることは多い。スクエニのアレとかナムコのそれとかを引き合いに出すと分かりやすい。「ストーリーを一番の具材として、その周辺にゲーム要素をばら撒く」という作り方をされているゲームは、一昔前程ではないかも知れないが、今でも結構ある。

「見た目」である程度映画やアニメに追いついてしまったゲーム業界の、少なくともその一部は、「内容」でまで映画やアニメを目指してしまったのだ。これは改めて言うことでもなく、ここ十年ばかりずーっと指摘されてきたことだと思う。

しかし勿論、「映画もどき」は永遠に映画にはなれない。映画的な外見に釣られて、映画以上の感動をゲームに期待する人は、多くの場合がっかりする。「遊ばせなくてはいけない」という巨大な制約を抱えたゲームは、「物語」を描き切るのに適したプラットフォームだとはお世辞にもいえないから(ノベルゲームの様な例外も存在するが)。そして、「物語」を描く土壌に関しても、ゲーム業界と映画業界ではそれこそ数十年の差があるから。

ところが、なまじっか映画を目指してしまったせいで、世の中には誤解をする人が出てきた。ゲームのことを、「劣化映画」とか「劣化アニメ」と判定してしまう人が現れる訳だ。そういう人が、例えば「物語の内容が薄い」こととか、「キャラクターの内面描写が足りない」ということに対してケチをつける(参照:FF12に関する論議について。→まこなこさんのコメント欄も参照) そして、例えばメイドインワリオみたいな、もうちょっと純粋に「遊び」に近いゲーム群は、「子供向け」とか「ミニゲーム集」みたいな括りの元、「大作」の影に押し流されていく。

多分、冒頭引用での「若干難しい」というのは、そういうことも含めての「難しい」なんだろうなあ、とは思う。


本来ゲームは「遊び」であって、つまり鬼ごっことかかくれんぼとかじゃんけんとか、そういったものの延長線上にある存在だった筈なのだ。だから、ゲームをやって何か得るものがあるとすれば、それは「遊び」をする上で得るものである筈だ。「遊び」をコンテンツと考える際、アニメや漫画の土俵で比較すれば、そりゃゲームの魅力は薄いだろう。「遊び」と「物語」は本来全くの別物なのだから。

結果的に「ストーリーが評価される」名作というものは、ゲーム業界にも多分たくさん存在する。だが、最初から「ストーリーを中心に」ゲームを作り、ゲームを遊び、ゲームに期待するなど、本末転倒なんじゃないだろうか。


と、本エントリー一旦ここまで。「遊び」的分類について、レトロゲームでやってみようかと思ってたんだが、ちょっと長くなりそうだったので次回に回す。

手前みそだが、以前書いた似た様なテーマのエントリ。ご参照頂けると幸い。
レトロゲーム万里を往く その24 〜エンディングの呪縛〜
レトロゲーム万里を往く その25 〜エンディングの呪縛・2〜
レトロゲーム万里を往く その27 〜エンディングの呪縛・3〜
posted by しんざき at 02:06| Comment(0) | TrackBack(0) | レトロゲーム

2007年04月19日

恋愛とか倫理とか法律とかしちめんどうくさい話。

サポート対応待ちで暇なので、はてな匿名ダイアリーというところで盛り上がっていた内容について、なんとなくしちめんどーくさい方法で考えてみた。

一対一の恋愛関係はもう限界だ!
世間では多くの人が「つきあうのは必ず一対一で!」というような見解を持っているようなのですが、どうしてなんだろ? 別に一対一じゃなくてもいいじゃーん。

引用元はなんだか色々話が発展しているので、追っかけてみるのもよろしいかと思う。

倫理とか法というものは、つきつめて考えると多分単なる契約である。

殺されたくない人達が、「人を殺すのはやめよう」という共通の契約を結ぶ。すると、その契約の範囲内では殺されないで済む。

盗まれたくない人達が、「人から盗むのはやめよう」という共通の契約を結ぶ。すると、その契約の範囲内では盗まれないで済む。

で、その契約は自分以外の多数の人も結んでいないと意味を成さないから、ある程度以上の範囲に及ぶ。その範囲というのは、村だったり街だったり国だったりする。多分これが法律だ。いや、歴史的とか法律学的にどうなのかは知らんが。

「人を殺すのは悪である」という命題は、要は大多数の人は殺されることを望んでいないから、という前提の下で成立することだ。殺されたくないから殺さない。殺されるリスクと殺す自由の等価交換だ。って、この表現は昔何かの小説で読んだな。神林長平だっけ。

一対一の恋愛倫理感というものは、社会の大多数が「浮気されてもいいや」と思っていれば成立しない。多くの人が、「相手が浮気するとイヤだなあ」という独占欲を有しているから、恋愛は一対一で行うもの、というある種の暗黙裡の契約が発生する。


倫理と法律の差異というのは、前者は適用される範囲が曖昧だということと、適用される罰も曖昧だということだ。罰は陰口だったり、シカトだったり、社会的立場の低下だったりする。

恋愛という個人的問題の場合、恋愛の当事者間という「範囲」は多分社会一般の「範囲」よりも拘束力が強いから、当事者間全てが納得していれば、多対多という恋愛もありなのかなあ、とは思う。

ただ、独占欲っていうのは人間の割と基本的な欲求だから、実際には結構難しいんじゃないかとも思うが。

なんかしちめんどーくさい表現で書いてしまったが、要は「浮気されたくない人は浮気しない方がいいんじゃね」と、「相手が浮気されたくなかったら大手を振って浮気しない方がいいんじゃね」ということだと思って頂けると。

しちめんどうくさい話、以上。

あー。早くサポートの電話かかってこねえかな。
posted by しんざき at 23:37| Comment(0) | TrackBack(2) | 雑文

2007年04月15日

今日のしんざき 07/04/15


サンファニートの音取りをしながらパンを食いちぎる朝。今日はサンファニート集団「ガラパゴス」の練習。

最近気付いたのだが、私は「次にこれを書こう」と脳内で計画すると、何故か手が止まる傾向にある。割と短期間の思いつきで書いた方がさくっと書けるし、それなりにまとまる場合も多い。何でだろうな。「思いつき」の方が精神的助走速度が速い、ということだろうか。

私に関して言うと、大きめのエントリーに関しては書き始めた経緯みたいなことを軽く書き残してあるのだが、ブログ話とか雑文に関しては、その殆どが思いつき由来である。下手すると全部じゃないだろうか。

一方、レトロゲーム話はその殆どが「何書こう」と決めてから書いている。お蔭でなのかどうか、ペースが遅い。レトロゲームブログのつもりなんだが。

その内きちんと分類してみたら何か傾向が見えるかな。

まあ、「計画的に書くと遅くなる」という時点でチヒツァー(遅筆作家の意味、業界内での超絶狭い範囲で使われている専門用語)の素質バリバリな訳で、ゴーストライター、というかトラブルバスター的穴埋めライターという仕事は結構私に合っていたのかも知れない。


・擬音の出典という話題。

コトコトスープ、という商品名を見て、何気なく出典が気になった。コトコト煮る、という言葉は元々日本にあった擬音だろうか。条件反射で近松浄瑠璃が思い浮かんだんだが、印象的にはスープとか、西洋的な料理に用いられることが多い様な気がする。

試みにgoo辞書など当たってみると。

ことこと
(2)鍋の中の物が弱火で煮える音を表す語。
「豆を―(と)煮る」

ぐつぐつ
(1)物がよく煮えたつ音を表す語。
「豆が―(と)煮える」

ふむ。味噌汁を「ことこと」煮るという言葉を余り聞かないが、これは料理法の話だったりするのかなあ。宮沢賢治だったりして。

ちなみに、日本において擬音語・擬態語を広めた多くの功績は近松に帰する、という話は昔大学の講義で聞いた。近松が古典から拾ってきた擬音語もあれば、近松自身が考案したと見られる擬態語も多いとか。うろ覚えだが、「しくしくと泣く」「さめざめと泣く」といった言葉は近松浄瑠璃が出典である、とかいう話だった様に思う。へえ、と思った記憶はあるのだが、当時のノートどこやったかな。

私の専門はもうちょっと前の時代の話で、近世の文学は触っただけであるので、間違えてても怒らないでくださいS梨教授。もう退官されたのかなあ。


・最近のしんざき

ディアボロの大冒険 + 世界樹の迷宮 + 大航海時代Online。

ディアボロがすげー面白い。今素潜りレクイエムに挑戦中です。運が重要だな、これ。
ちなみに昨日からここに逆転裁判4が加わっている。いつ寝てるんだ、俺。
posted by しんざき at 09:55| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2007年04月09日

今日のしんざき 07/04/09

日記と、いくつかURLメモとか。

例の訴訟メールに関して広く注意を促さないといけなくなった。

振り込め詐欺について浸透して、シカトが一般的になる→シカトを先読みして小額訴訟を起こす、という搦め手詐欺については以前も聞いたことがあったが、本職の弁護士が絡んでくるとなるとちょっとひどいな。

日弁連の方につい目が向いてしまうが、批判出来る程材料をもってないので取り敢えず調べてみる。

この手合いがmixiに目をつけたらかなりヤバいんじゃね、とか考えてしまうのはある種の病気だろうか。

関係ないが、米国での弁護士に対するイメージはちょっと色々とアレだと聞いた。日本でも段々ネガティブな印象になっていくんだろうか。


・今更だが、「ディアボロの大冒険」の出来が超絶良過ぎる件について。

不思議のダンジョンが好きな人、かつジョジョを読んだことがある人は何も言わずに下記リンクを踏むべきだと思う。

ディアボロの大冒険

装備ディスクのシステムとか、CD変更による音楽システムとか、ヘタすると原作より出来がいいんですけど。

この出来なら、追加ダンジョン集とかが有料ダウンロードだとしても許せる。まだレクイエムの10Fくらいまでしか行ってないけど。


・知事選が波乱もなく終わった件について。

まあ、妙なサプライズがあっても困るが。

しかし相変わらず一部報道に品がないとゆーか、ひどいな。
posted by しんざき at 15:13| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2007年04月07日

今日のしんざきと嗅覚の記憶に関して 07/04/07


奥様の妹さんが自宅にドレスを借りにきて、話した内容。大した話ではない。


どうも個人差がある様だが、私は「匂いを思い起こす」ことが苦手である。

例えば聴覚の記憶を辿ることは簡単だ。よく聴いていた音楽、知っている人の声、その辺私は割と簡単に脳裏に再生することが出来る。これは自慢していうのだが、私の脳内レトロゲームのHDDはかなり物凄い容量を誇っている。FCゲームの三音階ならタイトーだろうがナムコだろうがビック東海だろうが何でもござれ。JASRAC辺りに脳内解析をされたらかなりの使用料をとられそうな勢いだ。

一方視覚や味覚。これもまあ、どちらも割と簡単にシミュレートすることが可能だ。小学校の頃私は、校長先生のお話の際昔読んだマンガを1ページずつ脳内再生して時間を潰していた。関係ないが、ああいう「偉い人のお話」って、良く聞いてみると結構いい内容であることも多いんだが、何故子供の耳に届かないのであろうか。惜しいことをしていたのかも知れない。

で、嗅覚である。

ある匂いをトリガーにして別の記憶が呼び起こされる、ということはある。結構よくある。嗅覚の記憶というのは一番消えにくいものだそうで、昔どこかで嗅いだ匂い、というのはかなりはっきりした記憶として脳内に残っているらしい。子供の頃泊まった旅館の匂いとか、昔ゼビウスをやりに通いつめていた駄菓子屋の匂いとか、よくもまあこんな昔のことを、と思える様な記憶も、匂いのトリガーさえあれば結構鮮明に思い出せる。

だが、視覚や聴覚と違って、匂いは「それ自体の再生」が出来ない様な気がする。例えば「焼肉の味」といわれれば私は大体脳裏、というか口内で焼肉の味をシミュレートすることが出来るが、「焼肉の匂い」といわれるとさぱーり思い出すことが出来ないのだ。というか、そもそも匂いをトリガーなしで思い出す機能自体、私の脳にはついていない様な気がする。


という様な話をしていたら、どうもうちの奥様姉妹は匂いのシミュレートを得意としている、というか「材料とか調味料を聞けば料理の完成品の匂いが大体想像出来る」という。「というか材料と調味料が分かれば味も大体分かる」ともいう。マジですか。何ですかこのヒトタチハ。


どうも家庭の文化や男女の別もある様で、二人の話を聞いていると食べ物の話題や料理の話題で盛り上がる比率が大変に高い。会話内における食べ物比率が相当に高いのである。

私はこれを会話エンゲル係数と命名した。ぐぐってみた所、まだこの用語を世間に発表している研究者は存在しない様だ(思いついても馬鹿らしいから書かなかっただけ、という可能性は一旦置く)。大学の頃ならこの話で卒論の1つも書けたかも知れない。

ちなみに私と私の縁者間では、話題アルコール度数と話題ゲーム係数が無闇に高かった。これが文化差か。
posted by しんざき at 10:35| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記

2007年04月04日

私のどこが好き?議論を他の話に置換して分析してみる。

なんか面白そうな話ではあるんだけど。

「私のどこが好き?」と訊く女はどう答えたら一体満足なのか?

多分これは、恋愛とゆー非常に曖昧模糊かつ自己本位かつ相互依存的な分野の話だから議論が紛糾するんだ。うん、きっとそうだ。

よし、試しに少年漫画のアンケート的なものに当てはめてみようぜ。

富樫「私の漫画のどこが好き?」
読者「休載しない君が好き」
富樫「ごめん無理」
読者「あぼーん」

あれ?ダメだった。おかしいな。
じゃあこれならどうだ。

板垣「私の漫画のどこが好き?」
読者「無理のある筋肉描写が好き」
板垣「キャオラッ!!」
読者「あぼーん」

あ、なんかちょっと近くなった気もするな。三行目は照れだきっと。いわゆるツンデレってヤツだ。違うかな。私はツンデレに対して何か根本的な認識違いをしてる様な気がする。

レトロゲームブログっぽく、レトロゲーム分野でも考えてみよう。

任天堂「私のゲームのどこが好き?」
プレイヤー「非人間的なジャンプ力が好き」
任天堂「マリオのことかーーーッ!!」
プレイヤー「甘いわ!アイスクライマーッ!」

なんかおかしいな。

まあアレだ。上記の無理がある例は取り敢えずどこかにおっぽっといて真面目に考えると、「あなたは私のどこが好き?」というアンケートは、ビジネス的にはCRMであり、要するに「その回答を元に、回答者向けになんらかの改善を行いますよ」という意図で発せられる質問である筈なのだ。

ところが恋愛分野での話の場合、質問者には「回答を元にしてなんらかの改善を行う」という意志は微塵もない。むしろ、質問を発する相手に対してなんらかの改善を求める意図の方が大きい様にすら思える。例えば、自分のことを好きでいる、という状態に対して真剣な思考と改めての自覚を求める、という様な。

ここに意識のズレが生じて、色々と面倒な問題が起きるのではあるまいか?いや、これに関しては見当だが。

だから多分、「私のどこが好き?」と言う女性が求めているものというのは回答の内容ではなく、きちんと考えて答えてくれる男性の姿なのではあるまいか。いや、力一杯見当だが。というか参照エントリーのトラバとかコメント全部読めば上記の文章まとめてひっくり返るかも知れないが、まあいいや別に。


ちなみに、「好きな女性が発した言葉じゃなければこの上なくウザいよね、この質問」というシミュレートを行う為には、単語の置換は非常に有効である。

ブロガー「私のブログのどこが好き?」

多分翌日から巡回客が一桁少なくなるだろう。mixiでは見たことある。
posted by しんざき at 10:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文

2007年04月03日

従業員の給与が増えると怒鳴る株主さんもいる様だ

ちっこいシステム会社の臨時株主総会のお話。故あって隅っこに顔を出していたんだが、なにやら途中から荒れてきて社長さんが大変そうだった。

お一人エラくヒートアップしてる人がいて、

「社員の給料なんか上げる金があったら、一円でも株主に回すべきだろう!!」

とかデカい声で怒鳴っている。

被雇用者でもある私なんかにとっては、おいおいちょっとクールダウンしてくれたまえよジョンとでも言いたくなる様な発言なんだが、経営者側株主の人にとっては一般的な感覚というか、一般的な発言なのかなあこれ。

会社は株主のものであるとはいえ、現実問題社員のモチベーションが低けりゃ会社は回らんわけで、上記の様な発言も普通はもうちょっとお上品な言葉になるんだろうとは思うんだが。

その会社さんには何人か知り合いがいる。地味だがしっかりしたコーディング技術をもっている人も知っているんだが、話を聞いてみると給与は驚く程安い。うっかりすると、昔私が所属していた、それなりの規模のSI会社の初任給と大して変わらなかったりする。勿論、「さっさと辞めて他行けばいいのに」なんてこたぁ私の立場からは言えない。

ちなみにその人が殆ど一人で組み上げた、とある会社の取引システムは、4年程経過して未だに大したトラブルもなく現役である。

そういう「目立たない職人」的な人はつくづく評価されにくいんだなあと実感。この前、ゲーム業界では目立たない技術をもった人が疎かにされがちであるという記事をどこかで読んだが、システム業界にも同じ様な傾向がある気がする。その原因の一端は、冒頭の様な発言をする株主さんにあったりするんだろうか。


しかし話には聞いてたが、荒れる株主さんってホントにいるんだなあ。うちの会社でなかったのが幸いだが、うちの会社にも困った株主さんはいるのかも知れない。

もーちょっと大きな会場で、もーちょっと多数の人が整然とお話を聞いているとゆー株主総会しか出たことがなかったんで、ちっちゃい会社の総会は新鮮といえば新鮮だった。
posted by しんざき at 18:02| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記