「信じてもらうこと」と「信じさせること」は、似てる様でいて実は全然違うこと。
ゲームに勝つために重要なのは、「自分が何を語るか」ではなく、「自分の言葉をどの様に受け取ろうとする人が多数派なのか」だったりする、ということ。
発言が支持されるか支持されないかは、発言内容以上に、その発言を向けている層に依存するということ。そして、時としてたった一人に支持されるだけで十分ゲームをひっくり返せるということ。
不利な流れ、自分の発言が悪くとられる流れになったら、ちょっとやそっとの努力じゃ押し返せないこと。
続きを読む
2007年07月31日
2007年07月30日
芥川賞の人の全盛期をシミュレート。
真面目に取り組んで小説を書けば、おそらく芥川賞ぐらいは簡単に取れるだろう
アンモナイトの対数螺旋 - 自己愛者のぼやき
触発されて、真剣にやれば芥川賞くらい簡単にとれる人が、全盛期ならどれだけのパフォーマンスをたたき出すのかをちょっと妄想してみたよ。
・3冊中5回芥川賞受賞は当たり前、3冊中8回芥川賞受賞も
・先頭行だけを対象に芥川賞受賞を頻発
・彼女にとっての芥川賞受賞はファンタジア長編小説大賞の取りそこない
・目をつぶって書いて新人賞総なめも日常茶飯
・誤字誤用だらけでも余裕で受賞
・一冊の著作に、なぜか煽り用の帯が三枚重ねになっている
・最初の五行を書いただけで編集者が泣いて謝った、心臓発作を起こす編集者も
・あまりにも受賞し過ぎるから携帯メールも審査対象扱い
・その携帯メールも受賞
・編集者を一睨みしただけで二校用ゲラが印刷所に飛んでいく
・著作が無い休養年でも2回受賞
・ワープロを使わず、道路にチョークで著作していたことも
・自分の著作を自分で審査して幻冬舎に持ち込む
・芥川賞・直木賞ダブル受賞なんてザラ、2回ずつ受賞することも
・邪気眼系暗黒日記で受賞した
・ヲチしてるブックマーカーの煽りに流暢なメタブクマで反論しながら別ウィンドウで著者校
・グッとガッツポーズしただけで5賞くらい受賞した
・芥川賞用の原稿でどういう訳か週刊少年サンデー新人大賞を受賞してた
・他人のサイン会に飛び入りしてスタッフに困惑されるというファンサービス
・あまりに受賞するので最初から受賞者席に座っていた時期も
・本気で書くと国語便覧に掲載されてしまうので力をセーブしてた
・著作のコピペにエシュロンが反応してしまうので出版直後は警戒されていた
・著作を本屋に立ち寄った子供が買ったらすでに本にサインがしてあった(注:新潮社のキャンペーン)
・ハンデとしてテンキーだけで小説を書くルールも導入されたが全然ハンデにならなかった
あ、一部改変し損ねた。まあいいや別に。
っていうか、被る予感。
2007年07月29日
ある赤ん坊が産まれるに至るまでの淡々とした記録。
先日書いたが、子供が生まれた。
一生にそう何度も無いことだ。思ったことを何かの形で書き記しておきたいと思った。といっても、思った内容全てを書き切ることなど、私の脳みその表現力では到底期待出来ない。せめて淡々と、出来事の表面だけでも書き残しておこう。
続きを読む
一生にそう何度も無いことだ。思ったことを何かの形で書き記しておきたいと思った。といっても、思った内容全てを書き切ることなど、私の脳みその表現力では到底期待出来ない。せめて淡々と、出来事の表面だけでも書き残しておこう。
続きを読む
2007年07月27日
今日のしんざきと久々に人狼BBSの話とか 07/07/28
まずURLメモ。
unknown/アンノウン
閉ざされた廃棄工場で目を覚ました5人は、なぜか全員記憶を失っていた。分かっているのは5人のうち3人が誘拐犯、残りのふたりが人質であるということだけだった。おもしれえ設定だなあ。と思いつつ、人数的にもう村負けてんじゃん、とか思ってしまうのは一体どんな職業病だろう。もう一年以上BBS上での人狼やってないんだけどな。
で、思いついたので思考実験。
自分が狼かどうか分からない、というルールでの人狼はゲームとして成立するか?
ちょっと工夫すれば結構面白くなるんじゃないかと思うんだけどなー。どうなんだろ。というか、どんなルールを加えればゲームになるんだ?
まず、襲撃は当然人狼の自由意思では決められないから、「夜フェーズの人狼は人間としての意識を失っている」という設定で、被襲撃者は人狼でないメンバーからランダムで選定される。
当然村人も「自分は村人である」とは開示されないが、狂人・占い師・霊能者は開示されてもいいかな。つまり、各プレイヤーは自分が占われた際の判定結果から自分の正体を推理する必要が出てくる。
って、うーん、これだけだとあんまり面白くないか。被襲撃者の選定先から、ある程度その他の人間の正体が推理されるようになればいいのかなあ。
よし、じゃあこんなルールではどうだ。
・村は、人狼・村人陣営以外に、二つのグループに分かれている。
・村人は、村の勝利以外に自分の所属するグループの勝利も目指さなくてはならない。
・人狼の数に偏りがある場合は、被襲撃者は所属している人狼が少ない側からしか発生しない。
・・・・・・うーん、いけそうな気もするけど、まだ何か足りない様な気もするな。
思考実験としてもうちょっと煮詰めてみる。いいアイディアがある人がいたら教えてください。
ちなみに、人狼BBS自体についてはこちらを参照。おもろいですよ。すげえ時間食うけど。
・「マネジネント」でGoogle検索をしたら、魔王のエントリが1位で腰を抜かしたんだが
ご紹介してくださった方、TBを下さった方、ありがとうございました。
でも、「マネジネント」とか「マネジネント能力」とか検索してる人の前に、ああいうエントリーを1位提示するのはちょっとダメなんじゃないかと思う。それでいいのかGoogle、早まるなGoogle。
・今日の息子さんの話。
4000グラム突破、とのお話。最近挙動のパターンが増えてきました。眠いと目をこする様になったとか。
考えてみると、彼はまだ寝転がったままの姿勢が人生での大半を占めている訳であって、上下左右の認識、床・壁の認識もまだ無いんだろうなあ。そういえば、産まれてしばらくは上下が逆に見えている、なんて話も聞いたことがあるんだが、あれ実際はどうなんだろ。
ちなみに本人は、おむつを変えている最中、自分のおしっこを自分の顔にひっかけるというアクシデントに見舞われたとの由。10秒程何が起きたか分からずにきょとんとしていたが、その後ぎゃんぎゃん泣き出したそうな。トリケラトプス的反応。
ともあれ元気です。
2007年07月26日
そういえば、オレは何故海外SFが好きなのだろう。
2007SFセミナー合宿、「SF研部屋」
SFファン? 食えるのそれ?
この辺読んだ。
「SFファン」「SF者」というのがまるで特殊なカテゴリーの層であるかの様に語られていることに違和感を覚える人もいるかも知れないが、こればっかりは、「まあ、そうなんだからしょーがない」と言う他ないな。SF、特に海外SFというジャンルは永遠の少数派であり、しかも少数派自らが少数であることに誇りを抱きやすい奇妙なジャンルでもある。この辺、日本の他のサブカルとの違いは色んな場所で論じられている筈だ。
少数派が固まること自体は特段珍しいことでもないと思うが、何故か海外SFは、愛好者自身が「ただの娯楽小説よりスゴイ」とか思ってしまう傾向がある気がするのだな。私自身、無意識下ではおそらく「古典海外SF(アーサー・C・クラークとかアシモフとかブラッドベリとか)は最近のラノベより高尚」みたいな勘違いをしている側面がどっかにあると思う。まあ、実際は純然たる娯楽小説であって、それ以上でも以下でもないんだが。
この結果、海外SFを好む人がその後の多数派ラノベを蔑視したりして嫌われたりどん引きされるケースもあったりする様だが、まあこの辺はまた別の問題だ。
それより思ったのが、内省というか。私は何故海外SFを好むだろう、というお話についてである。
多分、SFの面白さの根源にあるものって、いわゆる「男の子回路」を刺激する小道具だと思うのだな。それも、「もしかするとこれは現実にも存在し得るのかも知れない」っていう、仮想的なリアルさとなんとなく理系っぽい雰囲気がスパイスになった男の子回路。
例えば、ただのタイムマシンならドラえもんだけどさ、「過去・未来のどちらにジャンプするかは決定出来ず、しかも移動するものと同質量のものを同時にジャンプさせなくてはいけない」とか理屈がついてると超絶かっこいいっしょ?ただの「加速装置」よりは、「高速代謝」「低速代謝」とか理屈がついてた方が理系っぽくて素敵っしょ?
「アンシブル使ってみてえ」とか、「ひょっとするとオーバーロードってホントにいるんじゃねえか」とか、そういう「もしかすると」的なリアルなわくわく感、この辺がSFの楽しみの根源なんじゃないかなあ、と私は考える訳だ。
その意味で、奇想天外・ファンタジックな着想をどれだけリアルに読ませるか、というのがSF小説のまさに醍醐味であり、私はブラッドベリを愛して止まない。訳者さんもすごいと思うけど。
ということで、今後も私は、イベントに参加するでもなく、飲み会の席で話題にするでもなく、ごくひっそりとしたSFファンとしてWeb上に逼塞していこうと思うのだよ。
ところでデュマレスト・サーガって途中でおっかけるのをあきらめたんですが、最終巻は一体いつ翻訳されるんスか。5巻くらいまではすげえ好きだったんだけどなあ。
2007年07月25日
シリーズものの「MP消費」と「MP回復」
話の発端は、ナムコのテイルズシリーズの展開の仕方を耳にしたところに始まる。
幾つかリンク先を挙げてみよう。まずは公式から。
テイルズチャンネル
ページ右側に、ずらり並んだ「製品情報」。なんつーか、圧巻だ。ひとつひとつのタイトルがどういう内容なのか、追っかける気力すら萎えさせる理想的な公式ページといえるだろう。長期シリーズものの公式ページはこうこなくっちゃいけない。過去タイトルの情報など、新規売り出しには邪魔なだけ。一見さんを誘い込むユーザビリティなど、この異質空間には不要なのである。
そういえば昔、「FC・SFC時代、もっともたくさんタイトルが出たシリーズものは何?」ってクイズがあったな。参照リンクはこちら。
テイルズの話に戻る。Wikipediaの解説はもう少し分かりやすい。
テイルズシリーズ
「移植」の欄が聊か凄惨だ、とだけ言っておこう。ずらり並んだ「新要素を追加」の文字列。一体ファンタジアで何度稼ぐつもりだよ、とかその辺の突っ込みは言うだけやぼなのかも知れない。売れてんのかなこれ。
「まこなこ」さんが突っ込んでいる。「ディレクターズカット」についてはちょっと調べてみたが、まあ、なんというか、アレですね。ちょっとアレです。いいけどさ別に。
まこなこ:テイルズオブイノセンス他、テイルズオブシリーズ4タイトル発表
さて、本題にいこう。
大体の長編シリーズものには、「生産・建設」と「消費・消耗」の二つの段階がある様に思う。
前者は、いわばシリーズものが成長していく段階。幾つかの続編が発売されて、知名度・人気ともに「稼げる看板」をシリーズものが獲得していくのが、「生産・建設」の段階と考えられる。いわゆるRPG的な表現をすると、経験値を稼いでMPを上げている状態、と考えていい。
後者は、まあ、収穫段階。シリーズものの看板に頼った作品を発売してみて、売れたはいいものの、シリーズの人気はちょっと減じてしまった、というか利益は出たけど看板にちょっぴり傷がついちゃったね、という段階と考えられる。同じくRPG的な表現をすると、MPを消費して技を繰り出している状態、と考えられるだろう。
この場合の「HP・MP」は、それぞれ企業の体力とシリーズの人気度の言い換えである。大雑把には、MP(シリーズものの人気)を節約・回復する為には相応のHP(開発費・開発期間・人材)が必要となり、逆にHPをケチるとMPは落ちる。当然のことながら、この二つは宿屋で寝るだけでは回復しない。
十分に看板を確立したシリーズは、多少手を抜いてもがんがん売れる。とはいえ、手を抜けば抜いただけ看板には傷がつく。知名度が高くなったシリーズであればある程、稼ぎは大きくなるが「MPの回復」は難しくなる。何でかというと、シリーズものの新作は常に前作、つまりは「過去の名作」と比較されるからだ。
評価基準は人それぞれとはいえ、基本的に「シリーズの最新作」のライバルは非常に強敵である。ご先祖様が優秀であったからこそ、シリーズの看板が確立されるのだから。
故に、「シリーズの看板を背負わせれば売れるから」というだけの理由で、安易な続編を出したりするのは非常に危険である。安易な売り上げは、シリーズ自体への期待度低下に直結する。これを言い換えると、MPを使いまくればHPは温存出来るが、その場合レベルは上がらんよ、という話になる訳だ。
そして、「生産にあたるゲーム」と「消費にあたるゲーム」の間には割とはっきりとした壁があり、消費を始めたシリーズが再び生産を始めるというのは稀なケースなんじゃないか、というのが私の意見なのである。
言ってはなんだが、冒頭で挙げたテイルズシリーズが、私にはどうにも「消費段階末期」に見えてしょうがない。
消費の仕方にも色々あるが、単にシリーズものの名前に頼るだけならまだしも、「過去のシリーズの人気キャラだけ引っ張りだしてきて釣餌にしてみました」なんてことを始めたら、シリーズものとしては末期的というしかない。何故かというに、「過去のキャラ再登場がウリ」というのは完全無欠な内輪ネタであり、新規顧客開拓には殆ど寄与しない上、既存の「キャラに入れ込んでない普通の顧客」からはどどっと引かれる可能性すらあるからだ。
これをRPG風に言い換えると、「過去キャラ再登場」の呪文は滅多矢鱈にMPを食うリスクが高いワザであり、その割に一部の相手にしか効果がない、ということとなる。
その他、シリーズものには「数ヶ月後にインターナショナル版発売でもうひと稼ぎの呪文」とか「ちょびっと新要素を追加してマルチハード展開の呪文」とか、「新作を全部買うと限定アニメディスクプレゼントの呪文」とか「新作と抱き合わせで旧作まとめてパッケージ発売の呪文」とか、「他社から看板だけ買い取ってダメリメイクの呪文」とか、知名度にモノを言わせたMP大量消費の呪文は古今東西色々ある。いや、どれがどのシリーズのものかは知らないが。
ただ、MPが切れたその先にあるものは一体何か、ということには時に思いを馳せて欲しいものだ。HPの回復が出来るのも、MPが残っていればこそである。
看板シリーズのMPが切れた時、「しんでしまうとはなさけない!」などと理不尽な言葉を投げかけられる事態は、すぐそこに迫っているのかも知れない。
・・・ところで、日本ファルコムって最近大丈夫なんかなあ。株価はちょっとアレなことになってるけど。
幾つかリンク先を挙げてみよう。まずは公式から。
テイルズチャンネル
ページ右側に、ずらり並んだ「製品情報」。なんつーか、圧巻だ。ひとつひとつのタイトルがどういう内容なのか、追っかける気力すら萎えさせる理想的な公式ページといえるだろう。長期シリーズものの公式ページはこうこなくっちゃいけない。過去タイトルの情報など、新規売り出しには邪魔なだけ。一見さんを誘い込むユーザビリティなど、この異質空間には不要なのである。
そういえば昔、「FC・SFC時代、もっともたくさんタイトルが出たシリーズものは何?」ってクイズがあったな。参照リンクはこちら。
テイルズの話に戻る。Wikipediaの解説はもう少し分かりやすい。
テイルズシリーズ
「移植」の欄が聊か凄惨だ、とだけ言っておこう。ずらり並んだ「新要素を追加」の文字列。一体ファンタジアで何度稼ぐつもりだよ、とかその辺の突っ込みは言うだけやぼなのかも知れない。売れてんのかなこれ。
「まこなこ」さんが突っ込んでいる。「ディレクターズカット」についてはちょっと調べてみたが、まあ、なんというか、アレですね。ちょっとアレです。いいけどさ別に。
まこなこ:テイルズオブイノセンス他、テイルズオブシリーズ4タイトル発表
さて、本題にいこう。
大体の長編シリーズものには、「生産・建設」と「消費・消耗」の二つの段階がある様に思う。
前者は、いわばシリーズものが成長していく段階。幾つかの続編が発売されて、知名度・人気ともに「稼げる看板」をシリーズものが獲得していくのが、「生産・建設」の段階と考えられる。いわゆるRPG的な表現をすると、経験値を稼いでMPを上げている状態、と考えていい。
後者は、まあ、収穫段階。シリーズものの看板に頼った作品を発売してみて、売れたはいいものの、シリーズの人気はちょっと減じてしまった、というか利益は出たけど看板にちょっぴり傷がついちゃったね、という段階と考えられる。同じくRPG的な表現をすると、MPを消費して技を繰り出している状態、と考えられるだろう。
この場合の「HP・MP」は、それぞれ企業の体力とシリーズの人気度の言い換えである。大雑把には、MP(シリーズものの人気)を節約・回復する為には相応のHP(開発費・開発期間・人材)が必要となり、逆にHPをケチるとMPは落ちる。当然のことながら、この二つは宿屋で寝るだけでは回復しない。
十分に看板を確立したシリーズは、多少手を抜いてもがんがん売れる。とはいえ、手を抜けば抜いただけ看板には傷がつく。知名度が高くなったシリーズであればある程、稼ぎは大きくなるが「MPの回復」は難しくなる。何でかというと、シリーズものの新作は常に前作、つまりは「過去の名作」と比較されるからだ。
評価基準は人それぞれとはいえ、基本的に「シリーズの最新作」のライバルは非常に強敵である。ご先祖様が優秀であったからこそ、シリーズの看板が確立されるのだから。
故に、「シリーズの看板を背負わせれば売れるから」というだけの理由で、安易な続編を出したりするのは非常に危険である。安易な売り上げは、シリーズ自体への期待度低下に直結する。これを言い換えると、MPを使いまくればHPは温存出来るが、その場合レベルは上がらんよ、という話になる訳だ。
そして、「生産にあたるゲーム」と「消費にあたるゲーム」の間には割とはっきりとした壁があり、消費を始めたシリーズが再び生産を始めるというのは稀なケースなんじゃないか、というのが私の意見なのである。
言ってはなんだが、冒頭で挙げたテイルズシリーズが、私にはどうにも「消費段階末期」に見えてしょうがない。
消費の仕方にも色々あるが、単にシリーズものの名前に頼るだけならまだしも、「過去のシリーズの人気キャラだけ引っ張りだしてきて釣餌にしてみました」なんてことを始めたら、シリーズものとしては末期的というしかない。何故かというに、「過去のキャラ再登場がウリ」というのは完全無欠な内輪ネタであり、新規顧客開拓には殆ど寄与しない上、既存の「キャラに入れ込んでない普通の顧客」からはどどっと引かれる可能性すらあるからだ。
これをRPG風に言い換えると、「過去キャラ再登場」の呪文は滅多矢鱈にMPを食うリスクが高いワザであり、その割に一部の相手にしか効果がない、ということとなる。
その他、シリーズものには「数ヶ月後にインターナショナル版発売でもうひと稼ぎの呪文」とか「ちょびっと新要素を追加してマルチハード展開の呪文」とか、「新作を全部買うと限定アニメディスクプレゼントの呪文」とか「新作と抱き合わせで旧作まとめてパッケージ発売の呪文」とか、「他社から看板だけ買い取ってダメリメイクの呪文」とか、知名度にモノを言わせたMP大量消費の呪文は古今東西色々ある。いや、どれがどのシリーズのものかは知らないが。
ただ、MPが切れたその先にあるものは一体何か、ということには時に思いを馳せて欲しいものだ。HPの回復が出来るのも、MPが残っていればこそである。
看板シリーズのMPが切れた時、「しんでしまうとはなさけない!」などと理不尽な言葉を投げかけられる事態は、すぐそこに迫っているのかも知れない。
・・・ところで、日本ファルコムって最近大丈夫なんかなあ。株価はちょっとアレなことになってるけど。
2007年07月23日
だからゲームは映画でもアニメでもないと何度言えば
あーー。こういう文脈がすっかり一般的になってしまったことに対する、一抹のやるせなさ。
余りにやるせないので、頭が固いレトロゲーオタとして空気も文脈も読まずに書きたいことだけ書く。
たった1年で一変したゲーム産業、E3は規模縮小
取り敢えずお前、ファミコンとマスターシステムとタイトーメモリーズしか存在しない島に三年間流刑な。まあオレは3年どころか5年でも平気だけど。
というかこれ、もしかするとSCEの提灯記事なのか?
「ドラクエ」「FF」シリーズ、回想シーン多用の脚本は改善の余地あり? RGN#4レポート
まあこちらは、上みたいな文脈オンリーの文章って訳じゃないが。
そもそも、何故たかがゲームタイトルの脚本云々が真剣に論じられなくてはいかんのだ。ゲームだよ?遊戯だよ?遊びだよ?一体シナリオが存在する必要がどこにあるのだ。あんたは缶蹴りで遊ぶ前にシナリオを作成するのか?
取り敢えず地下10階でグレーターデーモン狩ってこい。ノルマ200匹な。
と、書きたいことだけ書いてちょっとやるせなさが薄れたので関連エントリーでも貼っておく。
「映画を目指した」ゲームの災厄
(追記 07/07/24 12:22)------------------------------------------
コメント欄でもちらっと書いたが、補足。
ゲームが「映画的な」物語を作ろうとした際、二つ程致命的な障害がある。
・ゲーム性(遊ばせる部分)と物語性を両立させる、ということ自体が既にある程度難しい。
・上記に加え、ゲームを開発しつつ、映画的・映画とタメをはるシナリオを作れる人材が乏しい。というか、いない。
上リンク先の論者は、映画と同じ土俵で比較される、ということのリスクがわかっていないとしか思えん。映画論が一体何十年前から存在していると思っているのだ。
私自身は、ストーリー性というのは飽くまでツール、あるいは「おまけ」程度の存在として扱うべきであって、間違っても「映画的大作」を大々的に目指す様なことはしない方がいいんじゃねえかな、とか思う訳だが。
余りにやるせないので、頭が固いレトロゲーオタとして空気も文脈も読まずに書きたいことだけ書く。
たった1年で一変したゲーム産業、E3は規模縮小
「非ゲームへのアプローチ」だから、何でそういう文脈になるんディスカー。この、美しいCG映像がなければゲームにあらず、と言わんばかりのアプローチ。なにそれ意味わかんね。ドルアーガやゼビウスがゲームじゃないとでも言うつもりか。いや、そういう文脈じゃないってことは一応分かってるけどやるせないから一切斟酌しないよ?
これが今年のキーワードだったと言えるだろう。 映画のように美しいCG映像で描かれた異世界を冒険する――いわゆる誰もが思いつく、どっぷりとゲーマーたちがハマるコンピュータ・ゲームがなくなってしまったわけではない。だが、確実にその数は減っている。みんなでワイワイと楽しむパーティゲームやゲーム機を使った実用的なソフトが増えてきている。
取り敢えずお前、ファミコンとマスターシステムとタイトーメモリーズしか存在しない島に三年間流刑な。まあオレは3年どころか5年でも平気だけど。
というかこれ、もしかするとSCEの提灯記事なのか?
「ドラクエ」「FF」シリーズ、回想シーン多用の脚本は改善の余地あり? RGN#4レポート
まあこちらは、上みたいな文脈オンリーの文章って訳じゃないが。
川邊氏は「ドラクエ」「FF」シリーズで回想シーンが多用される傾向にあるのに対して、「映画では、下手な演出家ほど回想シーンを多用したがる」とコメント。映画とゲームではプレイ時間などが異なるので、一概には言えないが、ゲームの構成にも改善の余地が見られるのではないかと述べた。何故そこで、「ゲームが映画の真似をしようとするのは根本的におかしい」という結論に辿り着かないのだろう。どことは言わないが、一応RPG最大手のメーカーが看板シリーズの制作始めて、出来たのがあの厨設定だぞ?結果として神シナリオや神展開が出来あがることはあっても、そもそも「遊び」を映画やアニメと同じ土俵に乗せようとする方がおかしいと何故思わない。
そもそも、何故たかがゲームタイトルの脚本云々が真剣に論じられなくてはいかんのだ。ゲームだよ?遊戯だよ?遊びだよ?一体シナリオが存在する必要がどこにあるのだ。あんたは缶蹴りで遊ぶ前にシナリオを作成するのか?
取り敢えず地下10階でグレーターデーモン狩ってこい。ノルマ200匹な。
と、書きたいことだけ書いてちょっとやるせなさが薄れたので関連エントリーでも貼っておく。
「映画を目指した」ゲームの災厄
(追記 07/07/24 12:22)------------------------------------------
コメント欄でもちらっと書いたが、補足。
ゲームが「映画的な」物語を作ろうとした際、二つ程致命的な障害がある。
・ゲーム性(遊ばせる部分)と物語性を両立させる、ということ自体が既にある程度難しい。
・上記に加え、ゲームを開発しつつ、映画的・映画とタメをはるシナリオを作れる人材が乏しい。というか、いない。
上リンク先の論者は、映画と同じ土俵で比較される、ということのリスクがわかっていないとしか思えん。映画論が一体何十年前から存在していると思っているのだ。
私自身は、ストーリー性というのは飽くまでツール、あるいは「おまけ」程度の存在として扱うべきであって、間違っても「映画的大作」を大々的に目指す様なことはしない方がいいんじゃねえかな、とか思う訳だが。
2007年07月19日
今日のしんざき 07/07/19
新潟県中越大震災被災者の皆様には、謹んでお見舞い申し上げます。
奥様の出産にまつわる色々、というものを、ある程度まとめた形で書き残しておきたいと思ってくるくる考えている。どーも、言葉の無力さというものを感じずにはいられないが、取り敢えず世の中のプレお父様は出来る限り出産現場には立ち会うべきだとは思う。
まず、日記とか適当に。
・あだち充と実写版の相性について。
この前漫画原作実写版の話をしたが、そういえばあだち充作品って実写化との相性がいいのかも知れない、とかちらっと思いついた。
奥様の実家には「H2」がずらっと揃っている。読んでいて気付くことだが、この漫画には「特徴的な思考描写」が極端に少ない。そもそもモクモク吹き出し自体があんまりない。
一方で、カメラワークを様々に変えつつ一瞬の間を表現したりであるとか、台詞のないキャラクターの表情を数カット描いて雰囲気を表現したりであるとか、むしろ「実写ドラマ的」な描写が数多い。実写向きというよりは、あだち充が元々実写・アニメ的な手法を得意としている人なのかも知れない。
もっとも私は「H2」の実写版とか見てないので、実際に素材として活用されていたのかどうかに関しては分からない。評判は悪くなかったみたいだけど。
って、もっとちゃんとあだち作品を考察してる文章が色々ありそうだな。今度探してみる。
それにしても、サンデーとか読んでると、この人の漫画ってほんっとーーーに全然変わらないなあ。本人分かっててネタにしてるみたいだから別にいいんだろうけど。あれ、一話だけ「H2」の中に紛れ込んでてもきっと気付かないぞ。英雄ちょっと目つき悪くなったな、みたいな感じで。
・またコンサートを開催する予定である件。
9月下旬、多分22か29。今回は4グループくらい出演する予定で、私はいつも通り、サンファニート軍団「ロス・ガラパゴス」で出ます。5曲くらいかな。
またご案内をするので気が向いた人はどうぞ。
今日のメモ。
『ナムコミュージアムDS』10月11日発売
ふーむ。ラインナップを見る限り、携帯アプリを意識してるんだろうなー。ドルアーガに関しては、どうもアイテムの出し方のヒント機能がついている辺りに若干の寂しさを感じるが、まあこれも時代か。あれを携帯機でノーヒントは流石にキツいだろうしな。
ゼビウスの下画面はかっこいいかも知れない、とか思ってはみる。
・トラブル「いい体験」と発言
ニュアンスが掴みにくいが、幾らなんでもこれはメディアによる無茶な言葉狩りなんじゃないか。
言葉狩りが何にでも使える武器である現況は、あまりよろしくはない様に思う。
奥様の出産にまつわる色々、というものを、ある程度まとめた形で書き残しておきたいと思ってくるくる考えている。どーも、言葉の無力さというものを感じずにはいられないが、取り敢えず世の中のプレお父様は出来る限り出産現場には立ち会うべきだとは思う。
まず、日記とか適当に。
・あだち充と実写版の相性について。
この前漫画原作実写版の話をしたが、そういえばあだち充作品って実写化との相性がいいのかも知れない、とかちらっと思いついた。
奥様の実家には「H2」がずらっと揃っている。読んでいて気付くことだが、この漫画には「特徴的な思考描写」が極端に少ない。そもそもモクモク吹き出し自体があんまりない。
一方で、カメラワークを様々に変えつつ一瞬の間を表現したりであるとか、台詞のないキャラクターの表情を数カット描いて雰囲気を表現したりであるとか、むしろ「実写ドラマ的」な描写が数多い。実写向きというよりは、あだち充が元々実写・アニメ的な手法を得意としている人なのかも知れない。
もっとも私は「H2」の実写版とか見てないので、実際に素材として活用されていたのかどうかに関しては分からない。評判は悪くなかったみたいだけど。
って、もっとちゃんとあだち作品を考察してる文章が色々ありそうだな。今度探してみる。
それにしても、サンデーとか読んでると、この人の漫画ってほんっとーーーに全然変わらないなあ。本人分かっててネタにしてるみたいだから別にいいんだろうけど。あれ、一話だけ「H2」の中に紛れ込んでてもきっと気付かないぞ。英雄ちょっと目つき悪くなったな、みたいな感じで。
・またコンサートを開催する予定である件。
9月下旬、多分22か29。今回は4グループくらい出演する予定で、私はいつも通り、サンファニート軍団「ロス・ガラパゴス」で出ます。5曲くらいかな。
またご案内をするので気が向いた人はどうぞ。
今日のメモ。
『ナムコミュージアムDS』10月11日発売
ふーむ。ラインナップを見る限り、携帯アプリを意識してるんだろうなー。ドルアーガに関しては、どうもアイテムの出し方のヒント機能がついている辺りに若干の寂しさを感じるが、まあこれも時代か。あれを携帯機でノーヒントは流石にキツいだろうしな。
ゼビウスの下画面はかっこいいかも知れない、とか思ってはみる。
・トラブル「いい体験」と発言
ニュアンスが掴みにくいが、幾らなんでもこれはメディアによる無茶な言葉狩りなんじゃないか。
言葉狩りが何にでも使える武器である現況は、あまりよろしくはない様に思う。
2007年07月18日
ジャーナリズムの敵とは誰か。
ちょっと釣られてみる。
「事実主義」こそ、ジャーナリズムの敵だ
ほー。
発見場所はガ島通信さんのエントリー。で、元記事はこれか。
Winnyへの考え方に関しては、まあ人それぞれというものだ。別に文句をつける気はない。
ただ、
仮にも金をとって記事を書いている人間が、仮にもジャーナリストを名乗る人間が、自分の意図通りに伝わらなかったことを読み手の読解力のせいにしてどうするのか。後釣り宣言もここに極まる、だ。
建て前がどうあれ、ジャーナリズムが完全中立だと思っている人はもう多数派ではないだろう。「こう読ませたい」という意図が介在することはある程度当然だし、仕方ないことであるとも思う。「自分の意図通りに読ませること」は、それ自体が書き手の重要な仕事の一つなのだ。「この記事には建て前とは別にこう読ませたいという意図があるんだよ」というのも、まあそれはそれで一つの手法だろう。
もっとも、ジャーナリズムが中立である、という建て前は堅固な盾であり、それ自体を尊重するべきでもある。間違っても書き手自身がそれをかなぐり捨ててはいけない。
つまりこの筆者は二重の錯誤をしている。一つは、自分のエントリーを「額面通りではない釣り記事でした」と自ら後付発表してしまったこと。もう一つは、読者に意図通りの読ませ方をさせられなかった時点で文章の敗北であるのに、それを自覚もせずに読者の責任と称していること。プロの事後処理としては最悪の部類なのではないか。
筆者が実際にアイロニーのつもりで書いたかどうかは知ったことではないが、本来釣りは釣りとして放置するべきなのだ。それが伝わらなかった、つまりは書き手としての仕事に失敗したということを声高に宣言して「建て前を踏みにじった」上で、しかもそれを「読み手が気付かなかっただけ」とはよく言ったものだ。それこそまさに負け犬の遠吠えではないか。
奇しくも標題記事は「ジャーナリズムの敵」というお題になっているが、私の認識する限り、2ちゃんねるで「釣られてやんのープゲラ」と後釣り宣言をするのと同様のメンタリティでジャーナリズムを標榜する様な人こそ、「ジャーナリズムの敵」と言うべきなのではないかと思う。
関係ないけど、エントリーに「釣られてみた」と書くのは「先釣られ宣言」とでも名付けるべきなんだろうか。これはこれであんまりかっこいいものじゃないと思うけど。
(追記 07/07/18 22:19)-----------------------------------------
真ん中付近の段落に一部加筆。
「事実主義」こそ、ジャーナリズムの敵だ
ほー。
発見場所はガ島通信さんのエントリー。で、元記事はこれか。
Winnyへの考え方に関しては、まあ人それぞれというものだ。別に文句をつける気はない。
ただ、
ブログジャーナリスト諸君はタイトルの「Winnyは最高のジャーナリズムである」に含まれたアイロニーをちゃんと読み取ってほしかった。それが分からないようでは「褒め殺し」されているのに気づかず喜ぶ輩と同じになってしまうぞ(笑)。これを書いてしまう時点でもう書き手としてはダメだな、とは思う。ブログジャーナリストって誰のことなのかは知らないが。
仮にも金をとって記事を書いている人間が、仮にもジャーナリストを名乗る人間が、自分の意図通りに伝わらなかったことを読み手の読解力のせいにしてどうするのか。後釣り宣言もここに極まる、だ。
建て前がどうあれ、ジャーナリズムが完全中立だと思っている人はもう多数派ではないだろう。「こう読ませたい」という意図が介在することはある程度当然だし、仕方ないことであるとも思う。「自分の意図通りに読ませること」は、それ自体が書き手の重要な仕事の一つなのだ。「この記事には建て前とは別にこう読ませたいという意図があるんだよ」というのも、まあそれはそれで一つの手法だろう。
もっとも、ジャーナリズムが中立である、という建て前は堅固な盾であり、それ自体を尊重するべきでもある。間違っても書き手自身がそれをかなぐり捨ててはいけない。
つまりこの筆者は二重の錯誤をしている。一つは、自分のエントリーを「額面通りではない釣り記事でした」と自ら後付発表してしまったこと。もう一つは、読者に意図通りの読ませ方をさせられなかった時点で文章の敗北であるのに、それを自覚もせずに読者の責任と称していること。プロの事後処理としては最悪の部類なのではないか。
筆者が実際にアイロニーのつもりで書いたかどうかは知ったことではないが、本来釣りは釣りとして放置するべきなのだ。それが伝わらなかった、つまりは書き手としての仕事に失敗したということを声高に宣言して「建て前を踏みにじった」上で、しかもそれを「読み手が気付かなかっただけ」とはよく言ったものだ。それこそまさに負け犬の遠吠えではないか。
奇しくも標題記事は「ジャーナリズムの敵」というお題になっているが、私の認識する限り、2ちゃんねるで「釣られてやんのープゲラ」と後釣り宣言をするのと同様のメンタリティでジャーナリズムを標榜する様な人こそ、「ジャーナリズムの敵」と言うべきなのではないかと思う。
関係ないけど、エントリーに「釣られてみた」と書くのは「先釣られ宣言」とでも名付けるべきなんだろうか。これはこれであんまりかっこいいものじゃないと思うけど。
(追記 07/07/18 22:19)-----------------------------------------
真ん中付近の段落に一部加筆。
2007年07月17日
魔王のマネジネント能力について。
魔王がいつまで経っても世界征服できない理由
このお題、ちょっと面白そうだなーと思った。
魔王は何故いつまで経っても目標を達成出来ないのか。つまり、何故組織としてプロジェクトを遂行出来ないのか。大抵の魔王軍団において、人員が足りないという話は聞いたことがない(悪の組織の人員確保のスムーズさは驚異的である。人件費は大丈夫なんだろうか)から、これはつまり魔王のリーダー適性、マネジネント能力に問題があるのではないか。
組織論として考えてみると、悪の軍団も所詮は一組織である。その組織をまとめる立場の魔王というものを、組織のリーダー適性という側面から分析するのはなかなか興味深い議論になりそうだ。彼らは果たして、何に欠けているが為に世界征服出来ないのか。
丁度この前、松下幸之助氏が書いたリーダー論みたいなものを読んだので、幾つか抽出してドラクエ辺りの魔王に当てはめてみよう。
・明確なビジョン、精神的な「揺れない」態度
これに関しては、およそ思いつく限り殆どの魔王が及第点であると思う。彼らは揺れない。そして、大抵の場合彼らのビジョンは明確である。
考えてもみよ、ラスボス戦手前など、部下は悉く勇者パーティにボコられ、あっちでもこっちでも計画は破綻、一企業に喩えればとっくの昔に倒産寸前、会社更生法に頼っていい段階なのである。普通の社長なら泣く。
その様な状況であっても、魔王は言うのだ。「よくここまで辿り着いたな、褒めてやろう」と。「だがここまでだ」、と。なんという揺れなさ、なんという精神的タフ度。およそゲーム業界で、最後の最後で戦う前に泣きを入れるラスボスというのは見たことがない。彼らの精神的堅牢性には感嘆する他ない。ロマサガ2の七英雄とか、あの状況で「逃がさん」とは良く言えたもんだ。普通の人ならむしろ「ごめんなさい逃がして下さい」と言うべき場面じゃないのか。クイックタイムハメは可哀想です。
ともあれ、精神的支柱としての魔王にはそれ程問題点は見られない、ということがまずは言えよう。
・人材の使い方、適材適所への人材配置
これに関しては、端的に言って「失格」な魔王が大半を占めると思う。
問題なのは、「勇者の出身地に弱いモンスターしか配置していないこと」ではない。「中間管理職の重要性を全く理解していない」ことにある。
数は力である。どんな弱兵でも用兵次第で戦には勝てる。つまり、弱いモンスターにも本来使い道はある。
しかし、弱兵をまとめるのに指揮官は必要不可欠である。弱兵オンリーで頭がいない集団など、烏合の衆にすらならない。そこから考えると、バラモス城では一山幾らでエビルマージがうろついているのに、アリアハン周辺にはいっかくうさぎやスライムしかいない、という組織的状況は、無能を通りこして犯罪的ですらある。
端的に言うと、配備しているモンスターのバランス悪すぎということに尽きる。プロジェクトリーダーを立てろ、プロジェクトリーダーを。
例えばドラクエ3の例でいえば、一匹でも二匹でもいい、サマンオサ辺りのモンスターにレーベ周辺をしきらせてみるといい。アリアハン全域が無闇やたらと平和(魔王にとって)になること請け合いである。
また、手元にバラモスブロスだのキングヒドラだの飼い殺しておく暇があったら、もうちょっと分散配置して組織構築をするべきなのではあるまいか。ボストロールややまたのおろち如きに重要な仕事を任せているというのに、より能力が高いこの二人にこの仕事、そりゃ腐ろうというものだ(結果としてバラモスゾンビ化)。この点、ゾーマやバラモスには猛省を求めたい。
・部下への適切な報酬とモチベーションの維持について
これに関しては議論の余地があると思う。
冒頭で人件費に関してちらっと触れたが、悪の組織の報酬形態は結構厳格な様である。彼らの報酬金額は、シバき倒した時にこちらに手に入る金額で大雑把には分かる。
勿論彼らにも生活があるだろうから、カツアゲ金額が直接彼らの報酬という訳ではなかろうが、サーベルタイガーとか爆弾岩とか、一体何に金を使っているのか見当もつかない様な連中まできっちり金を持っているところから推察すると、報酬制度はかなりきっちりしていることが予想される。口座振込ではないかも知れないが。
そして、職位に応じた報酬金額はひじょーに厳格な模様である。序盤の雑魚がもっている金額は、決して中盤の雑魚が持っているそれを越えることがない。これは、職位がアップすれば確実に給料が上がるというモチベーションには繋がる一方、同じ職位にいる限りちょっとやそっと頑張ったところで報酬は上がらない、ということを意味する。
職位間の流動性がどの程度のものか、ということが一つの要件になってくるだろう。スライムを銀メッキ漬けにすれば給料が上がるのかどうか、この辺は微妙な問題をはらんでいそうだ。
ということで、三点ばかりの要件を抽出して検討してみると、魔王はプロジェクトリーダーを配備していないことで重大な機会損失に見舞われているのではないか、という心の底からどうでもいい結論が導き出せた訳である。よかったですね。>私
関係ないが、ドラクエのラスボスのカリスマ性って、ゾーマ様辺りを頂点にして回を追う毎に下がってないか。なんだ8ボスのあの格好悪さは。
いや、シドーは確かにバカそうでしたけどね。
(追記 07/07/27 11:13)------------------------------------
別記事コメントで、マネジネントじゃなくてマネジメントなんじゃねえかな、ということを意味する控えめな突っ込みが私のハートに突き刺さりましたが、気にしないことにします。
このお題、ちょっと面白そうだなーと思った。
魔王は何故いつまで経っても目標を達成出来ないのか。つまり、何故組織としてプロジェクトを遂行出来ないのか。大抵の魔王軍団において、人員が足りないという話は聞いたことがない(悪の組織の人員確保のスムーズさは驚異的である。人件費は大丈夫なんだろうか)から、これはつまり魔王のリーダー適性、マネジネント能力に問題があるのではないか。
組織論として考えてみると、悪の軍団も所詮は一組織である。その組織をまとめる立場の魔王というものを、組織のリーダー適性という側面から分析するのはなかなか興味深い議論になりそうだ。彼らは果たして、何に欠けているが為に世界征服出来ないのか。
丁度この前、松下幸之助氏が書いたリーダー論みたいなものを読んだので、幾つか抽出してドラクエ辺りの魔王に当てはめてみよう。
・明確なビジョン、精神的な「揺れない」態度
これに関しては、およそ思いつく限り殆どの魔王が及第点であると思う。彼らは揺れない。そして、大抵の場合彼らのビジョンは明確である。
考えてもみよ、ラスボス戦手前など、部下は悉く勇者パーティにボコられ、あっちでもこっちでも計画は破綻、一企業に喩えればとっくの昔に倒産寸前、会社更生法に頼っていい段階なのである。普通の社長なら泣く。
その様な状況であっても、魔王は言うのだ。「よくここまで辿り着いたな、褒めてやろう」と。「だがここまでだ」、と。なんという揺れなさ、なんという精神的タフ度。およそゲーム業界で、最後の最後で戦う前に泣きを入れるラスボスというのは見たことがない。彼らの精神的堅牢性には感嘆する他ない。ロマサガ2の七英雄とか、あの状況で「逃がさん」とは良く言えたもんだ。普通の人ならむしろ「ごめんなさい逃がして下さい」と言うべき場面じゃないのか。クイックタイムハメは可哀想です。
ともあれ、精神的支柱としての魔王にはそれ程問題点は見られない、ということがまずは言えよう。
・人材の使い方、適材適所への人材配置
これに関しては、端的に言って「失格」な魔王が大半を占めると思う。
問題なのは、「勇者の出身地に弱いモンスターしか配置していないこと」ではない。「中間管理職の重要性を全く理解していない」ことにある。
数は力である。どんな弱兵でも用兵次第で戦には勝てる。つまり、弱いモンスターにも本来使い道はある。
しかし、弱兵をまとめるのに指揮官は必要不可欠である。弱兵オンリーで頭がいない集団など、烏合の衆にすらならない。そこから考えると、バラモス城では一山幾らでエビルマージがうろついているのに、アリアハン周辺にはいっかくうさぎやスライムしかいない、という組織的状況は、無能を通りこして犯罪的ですらある。
端的に言うと、配備しているモンスターのバランス悪すぎということに尽きる。プロジェクトリーダーを立てろ、プロジェクトリーダーを。
例えばドラクエ3の例でいえば、一匹でも二匹でもいい、サマンオサ辺りのモンスターにレーベ周辺をしきらせてみるといい。アリアハン全域が無闇やたらと平和(魔王にとって)になること請け合いである。
また、手元にバラモスブロスだのキングヒドラだの飼い殺しておく暇があったら、もうちょっと分散配置して組織構築をするべきなのではあるまいか。ボストロールややまたのおろち如きに重要な仕事を任せているというのに、より能力が高いこの二人にこの仕事、そりゃ腐ろうというものだ(結果としてバラモスゾンビ化)。この点、ゾーマやバラモスには猛省を求めたい。
・部下への適切な報酬とモチベーションの維持について
これに関しては議論の余地があると思う。
冒頭で人件費に関してちらっと触れたが、悪の組織の報酬形態は結構厳格な様である。彼らの報酬金額は、シバき倒した時にこちらに手に入る金額で大雑把には分かる。
勿論彼らにも生活があるだろうから、カツアゲ金額が直接彼らの報酬という訳ではなかろうが、サーベルタイガーとか爆弾岩とか、一体何に金を使っているのか見当もつかない様な連中まできっちり金を持っているところから推察すると、報酬制度はかなりきっちりしていることが予想される。口座振込ではないかも知れないが。
そして、職位に応じた報酬金額はひじょーに厳格な模様である。序盤の雑魚がもっている金額は、決して中盤の雑魚が持っているそれを越えることがない。これは、職位がアップすれば確実に給料が上がるというモチベーションには繋がる一方、同じ職位にいる限りちょっとやそっと頑張ったところで報酬は上がらない、ということを意味する。
職位間の流動性がどの程度のものか、ということが一つの要件になってくるだろう。スライムを銀メッキ漬けにすれば給料が上がるのかどうか、この辺は微妙な問題をはらんでいそうだ。
ということで、三点ばかりの要件を抽出して検討してみると、魔王はプロジェクトリーダーを配備していないことで重大な機会損失に見舞われているのではないか、という心の底からどうでもいい結論が導き出せた訳である。よかったですね。>私
関係ないが、ドラクエのラスボスのカリスマ性って、ゾーマ様辺りを頂点にして回を追う毎に下がってないか。なんだ8ボスのあの格好悪さは。
いや、シドーは確かにバカそうでしたけどね。
(追記 07/07/27 11:13)------------------------------------
別記事コメントで、マネジネントじゃなくてマネジメントなんじゃねえかな、ということを意味する控えめな突っ込みが私のハートに突き刺さりましたが、気にしないことにします。
2007年07月12日
今日のしんざき 07/07/12
・・・え、ネギまって実写化するんですか?(情報遅過ぎ)
いや、先日の実写化云々のエントリーのご反響で初めて知ったんだが、思考描写云々の遥か前の段階で、萌え漫画の実写化って一体誰をターゲットにしてるのかが良く分からない。企画を起こしたのは誰だ?
ちょっと興味が沸いたのでぐぐってみた。
StarChild:魔法先生ネギま!
・・・・・・うわーなんだこれ。
最近マガジンはチラ読みもしないんだが、何かドラマ向きの展開でもあったんだろか。まともに考えれば、漫画の実写化というよりはむしろ何かのプロモの意味が大きい様にも見えるけど。二次元なヒトビトを三次元に引っ張ってきて何かの商売でも始める気か?声優業界がなにやら騒動みたいだから、それに代わるマーケットでも作る気なんじゃあるまいな。
まあ、その内誰かが総括してくれるだろうからそれ読めばいいか。
・息子さんのご様子
生後10日。
大変元気です。すげー勢いで母乳飲んでます。この前臍の緒が取れました。鼻づまりが若干心配。
気付いたこと。目を開いてきょろきょろと周囲を見ることは良くあるんだが、かなりの至近距離に顔を近づけても目が合うことが少ない。新生児の視力はかなり低いと聞くけども、生物と無生物の見分けなんかはまだ無理なんだろうな。
触覚は敏感みたいで、手に指を置いてみると握ってくる。この前左手を上下に振って、ジョルジュ長岡の真似をさせてみたらニヤニヤしていた。楽しそうだ。
私自身は、現在自宅と奥様実家の二重生活を送ってます。電車で20分くらいしか離れてないけど。季節が季節だから部屋の湿度が高くて、三日も四日も放っておけぬ。
・仕事でイタリアの人と会話して、なんとなく大学時代を思い出した。
私はイタリアの人には良い印象がある。昔大学に行っていた頃、研究室にはイタリアからの留学生がいた。院生で、中世・近世日本語に関しては私より詳しくて、源氏物語の「桐壷の巻」をそっくり暗唱出来ると豪語していた。実際にやってくれたことは一遍もなかったが。
関係ないが、そういえば私は根拠のない豪語をする人も割と好きだな。多分、私自身が根拠の全くない豪語を得意としている人間だからだろう。ともあれ、彼が私に教えるくらい近松浄瑠璃に通じていたことは確かな事実だ。
彼の口癖は、「イタリアは島だ」と、「和食超美味い」だった。なんでもイタリア料理と和食には色んな共通点があって、和食好きなイタリア人は多いそうだ。そういえば、日本でもイタリア料理を好む人間は多い。
イタリアが島な理由はよく分からなかったが、まあ「千葉は島だ」と同じ様な感覚なんだろう。多分だけど。
彼は私が卒業する年にイタリアに帰ったが、どういう訳か日本土産にマトリョーシカを買ってきた。そりゃロシアだろ、とか思ったが、突っ込んだら負けだと思ったので黙っていた。彼も黙っていた。熱い男だった。
ちなみに、会社で会ったイタリアの人もやっぱり和食は好きだった様だが、イタリアは島かどうか聞いてみたらきょとんとしていた。通じてない、全然通じてないよアル○リッツォさん。やっぱアレも突っ込みどころだったんだろうか。
いや、先日の実写化云々のエントリーのご反響で初めて知ったんだが、思考描写云々の遥か前の段階で、萌え漫画の実写化って一体誰をターゲットにしてるのかが良く分からない。企画を起こしたのは誰だ?
ちょっと興味が沸いたのでぐぐってみた。
StarChild:魔法先生ネギま!
・・・・・・うわーなんだこれ。
最近マガジンはチラ読みもしないんだが、何かドラマ向きの展開でもあったんだろか。まともに考えれば、漫画の実写化というよりはむしろ何かのプロモの意味が大きい様にも見えるけど。二次元なヒトビトを三次元に引っ張ってきて何かの商売でも始める気か?声優業界がなにやら騒動みたいだから、それに代わるマーケットでも作る気なんじゃあるまいな。
まあ、その内誰かが総括してくれるだろうからそれ読めばいいか。
・息子さんのご様子
生後10日。
大変元気です。すげー勢いで母乳飲んでます。この前臍の緒が取れました。鼻づまりが若干心配。
気付いたこと。目を開いてきょろきょろと周囲を見ることは良くあるんだが、かなりの至近距離に顔を近づけても目が合うことが少ない。新生児の視力はかなり低いと聞くけども、生物と無生物の見分けなんかはまだ無理なんだろうな。
触覚は敏感みたいで、手に指を置いてみると握ってくる。この前左手を上下に振って、ジョルジュ長岡の真似をさせてみたらニヤニヤしていた。楽しそうだ。
私自身は、現在自宅と奥様実家の二重生活を送ってます。電車で20分くらいしか離れてないけど。季節が季節だから部屋の湿度が高くて、三日も四日も放っておけぬ。
・仕事でイタリアの人と会話して、なんとなく大学時代を思い出した。
私はイタリアの人には良い印象がある。昔大学に行っていた頃、研究室にはイタリアからの留学生がいた。院生で、中世・近世日本語に関しては私より詳しくて、源氏物語の「桐壷の巻」をそっくり暗唱出来ると豪語していた。実際にやってくれたことは一遍もなかったが。
関係ないが、そういえば私は根拠のない豪語をする人も割と好きだな。多分、私自身が根拠の全くない豪語を得意としている人間だからだろう。ともあれ、彼が私に教えるくらい近松浄瑠璃に通じていたことは確かな事実だ。
彼の口癖は、「イタリアは島だ」と、「和食超美味い」だった。なんでもイタリア料理と和食には色んな共通点があって、和食好きなイタリア人は多いそうだ。そういえば、日本でもイタリア料理を好む人間は多い。
イタリアが島な理由はよく分からなかったが、まあ「千葉は島だ」と同じ様な感覚なんだろう。多分だけど。
彼は私が卒業する年にイタリアに帰ったが、どういう訳か日本土産にマトリョーシカを買ってきた。そりゃロシアだろ、とか思ったが、突っ込んだら負けだと思ったので黙っていた。彼も黙っていた。熱い男だった。
ちなみに、会社で会ったイタリアの人もやっぱり和食は好きだった様だが、イタリアは島かどうか聞いてみたらきょとんとしていた。通じてない、全然通じてないよアル○リッツォさん。やっぱアレも突っ込みどころだったんだろうか。
2007年07月11日
新しいOSを最も切実に求める人は誰?
答え:ハードの売り手。
というのもまあ、今は昔の話なのかなあと漠然と思っていたのだが、この辺読むとまだそういう意識残ってるのかな。少なくとも提灯持ち側の方には、だけど。
Windows Vistaを選ばない理由は無い
少なくとも今世紀初頭くらいまでは、OSの新発売とPCの売り上げには理想的な関係があった。新しいOSが発売される、普及する、それに見合った性能のPCが必要となる、皆こぞって買い換える、と。
その意味では、OSを使う際に要求される性能は高ければ高い程良かった。メモリ、CPU、がんがん上げてください、ってなもんだ。
ってもまあ、いみじくも上記記事が語っている通り、Vistaのユーザーは(かなり限定された状況みたいだけど)全体の5%に過ぎないらしい。正式発表では何%なのか知らんが。マイクロソフトのサポートが云々かんぬんという話以前に、「XPじゃいかんの?」という意識に完全に負けてると思うのだな。要は、ユーザーにとって「Vistaでなければならない理由」が薄い。ひっじょーに薄い。
当然のことながら企業の方の対応もそれに順ずる訳で。うちの社でのWebサービスもだけど、大手銀のページでもサポートOSに記載されてないとこがある。
三菱東京UFJ銀行:ブラウザについて
みずほビジネスWEB
りそなビジネスダイレクト
三井住友銀行:ログインについて
なんとまあ、上記大手銀で「サポートOS」にVistaが明記されてるのは三井住友だけだ。IE7使うと画面が正しく表示されないことがある、とか記載されてるけど。ダメじゃんそれ。
ともあれ、PCの要求性能をがんがん上げて欲しい売り手にとってはそれじゃ困る訳で。Vistaによる買い替え需要が欲しくてたまんない人、も世の中にはいるのかなあとか思った訳だ。
これを見て、ふと思いついてAll Aboutの企業沿革とかプレスリリースとか調べてみた。
2007年4月4日 「価格.com」のAPIを活用し、新サービス「All About ショッピング」を開設
All About ショッピング
あ、そうでしたか。失礼しました。頑張って下さい。
というのもまあ、今は昔の話なのかなあと漠然と思っていたのだが、この辺読むとまだそういう意識残ってるのかな。少なくとも提灯持ち側の方には、だけど。
Windows Vistaを選ばない理由は無い
少なくとも今世紀初頭くらいまでは、OSの新発売とPCの売り上げには理想的な関係があった。新しいOSが発売される、普及する、それに見合った性能のPCが必要となる、皆こぞって買い換える、と。
その意味では、OSを使う際に要求される性能は高ければ高い程良かった。メモリ、CPU、がんがん上げてください、ってなもんだ。
ってもまあ、いみじくも上記記事が語っている通り、Vistaのユーザーは(かなり限定された状況みたいだけど)全体の5%に過ぎないらしい。正式発表では何%なのか知らんが。マイクロソフトのサポートが云々かんぬんという話以前に、「XPじゃいかんの?」という意識に完全に負けてると思うのだな。要は、ユーザーにとって「Vistaでなければならない理由」が薄い。ひっじょーに薄い。
当然のことながら企業の方の対応もそれに順ずる訳で。うちの社でのWebサービスもだけど、大手銀のページでもサポートOSに記載されてないとこがある。
三菱東京UFJ銀行:ブラウザについて
みずほビジネスWEB
りそなビジネスダイレクト
三井住友銀行:ログインについて
なんとまあ、上記大手銀で「サポートOS」にVistaが明記されてるのは三井住友だけだ。IE7使うと画面が正しく表示されないことがある、とか記載されてるけど。ダメじゃんそれ。
ともあれ、PCの要求性能をがんがん上げて欲しい売り手にとってはそれじゃ困る訳で。Vistaによる買い替え需要が欲しくてたまんない人、も世の中にはいるのかなあとか思った訳だ。
古いパソコンをWindows Vistaにアップグレードするのは安定性や性能などからおすすめしないが、新規購入するのに、特殊な事情がないならWindows Vistaを選ぼう。
これを見て、ふと思いついてAll Aboutの企業沿革とかプレスリリースとか調べてみた。
2007年4月4日 「価格.com」のAPIを活用し、新サービス「All About ショッピング」を開設
All About ショッピング
あ、そうでしたか。失礼しました。頑張って下さい。
2007年07月10日
漫画原作実写版の弱点を考えてみる。
最近、マンガが原作のドラマが多くなってきてる
そーなの?>最近増えてる
という疑問はまあおいといて。敢えて無根拠に話を進める。とっくの昔に語り尽くされてる話題だったらすいません。
Web上の色々な評判を参照する限り、漫画原作ドラマの評価はどうも両極端に分かれやすい様である。すげー面白かった、という人と、すげーつまらなかった、という人の二軸だ。
多分これには理由がある。ドラマ化される程の漫画というものは、舞台設定や筋立ての面白さは既にある程度保証されている訳だ。ドラマ単体として見れば、「面白くし得る」要素は十分にある。後は、観る側、作る側いずれの側にとっても、どれだけ原作にこだわるかという問題が残る。
二次元と三次元の絵ヅラの違いは当然として、例えば原作通りの展開を期待するかどうかとか。役者のイメージの違い、声の違い、舞台の違いなどなど、原作との「どうしようもないギャップ」というのは山ほどあるだろう。漫画に思い入れがある人であればあるほど、このギャップは埋め難く感じる筈だ。日ごろ実写のドラマを見慣れていない人であればなおさらだ。
私が興味がある原作で言うと、最近(という程じゃないか)「医龍」や「バンビーノ」「クロサギ」辺りの実写化の話を聞いた。どれも評価は分かれるとはいえ、やはり「原作ファンで漫画好き」という人に関して言えば、ギャップを埋めきれなかったという評価を結構見た。(まあ、「セクシーボイスアンドロボ」についていえば、あれ原作の必要性は本当にあったのか、とか思わないでもなかったが)
総じて、「原作とは別物として」漫画原作のドラマを受け取ることが出来る人の方が、「面白かった」という評価を残しやすい、ということがまずは言える様に思う。ぶっちゃけた話、実写版を楽しむだけなら原作の印象は邪魔になる場合が多い。
ここまで前提。ちょっとここからは話題を絞る。
漫画とドラマの間には、一見目立たないが絶対に埋めることの出来ないギャップ、というものがある。思考描写、だ。登場人物が考えている内容をどう描写するか。
漫画における思考描写は、要はモクモク吹きだしであり、当たり前だが文字である。台詞は「音声の描写」であるのに対して、思考は「文字の描写」とそれ程ギャップを生じない。当然のことながら、思考なので幾ら説明的に描いてもそれ程不自然ではないし、文字なので読者は何度でも読み直すことが出来る。思考描写は、キャラクターの性格づけ、展開の説得力、人間関係の描写、全てにおいて重要だ。思考描写をどう使うか、というのがある漫画の面白みを決定する、という側面はかなり大きいんじゃないだろうか。
一方、実写における思考描写は、基本的には役者のモノローグであり、当たり前だが音声である。当然のことながらパッとページをめくって見直すことは出来ないし、音声の台詞の延長だから、多用すれば多用するほど展開はデコボコになって不自然さが増す。通常のドラマであれば、役者の動き、展開、表情や何やかやで思考描写を吸収することが出来るのだが、漫画原作の場合それにも限界がある。というか、思考描写を展開でカバーしようとすればするほど、原作との歪みは増していく。
実写版で漫画版の思考描写を十分に再現するということは、そもそも構造的に無理があるのだ。
つまり、「漫画として、登場人物の思考描写に独自の味がある」作品は、一見すると実写向きの素材の様に見えても、ドラマ化する際のリスクが非常に大きい、ということが言えるんじゃないかと思うのだ。(※)
映画版「蟲師」については、あまりいい評価を聞かなかった。まあ展開の面でもギャップが大きかったし、絵ヅラや舞台設定の面でも決して実写向き原作じゃなかったとは思うが、更にギャップを大きくしたのは、蟲師の独特の思考描写によるもの、という側面が結構あるんじゃないかと思う。原作の独特な台詞、思考描写を無理に再現しようとして脚本が無理なことになった、というのはかなり大きいんじゃないかアレ。いっそのことサイレント映画にするくらいの覚悟が必要だったのかも知れん。
一方で、今更の話題だが、私は実は「デスノート」の実写版を観ていない。思考描写の面ではあの作品もかなり独特、っつーか死ぬ程ややっこしいので、実写版なんぞ相当無理があるだろうと思ってたのだが、評価をチラ見する限りでは意外に悪くないようだ。
あの月やLの長ったらしい思考描写を一体どうやって解決したのか、という一点に関しては割と興味があったりするのだが、その内DVDでも借りてきてみようかな。
※:この点で、私は「ドラゴンボールは本来実写化しやすい筈だ」という意見の持ち主なのだが、実際に実写化されているのをみると何故かギャグにしかならない。不思議だ。
そーなの?>最近増えてる
という疑問はまあおいといて。敢えて無根拠に話を進める。とっくの昔に語り尽くされてる話題だったらすいません。
Web上の色々な評判を参照する限り、漫画原作ドラマの評価はどうも両極端に分かれやすい様である。すげー面白かった、という人と、すげーつまらなかった、という人の二軸だ。
多分これには理由がある。ドラマ化される程の漫画というものは、舞台設定や筋立ての面白さは既にある程度保証されている訳だ。ドラマ単体として見れば、「面白くし得る」要素は十分にある。後は、観る側、作る側いずれの側にとっても、どれだけ原作にこだわるかという問題が残る。
二次元と三次元の絵ヅラの違いは当然として、例えば原作通りの展開を期待するかどうかとか。役者のイメージの違い、声の違い、舞台の違いなどなど、原作との「どうしようもないギャップ」というのは山ほどあるだろう。漫画に思い入れがある人であればあるほど、このギャップは埋め難く感じる筈だ。日ごろ実写のドラマを見慣れていない人であればなおさらだ。
私が興味がある原作で言うと、最近(という程じゃないか)「医龍」や「バンビーノ」「クロサギ」辺りの実写化の話を聞いた。どれも評価は分かれるとはいえ、やはり「原作ファンで漫画好き」という人に関して言えば、ギャップを埋めきれなかったという評価を結構見た。(まあ、「セクシーボイスアンドロボ」についていえば、あれ原作の必要性は本当にあったのか、とか思わないでもなかったが)
総じて、「原作とは別物として」漫画原作のドラマを受け取ることが出来る人の方が、「面白かった」という評価を残しやすい、ということがまずは言える様に思う。ぶっちゃけた話、実写版を楽しむだけなら原作の印象は邪魔になる場合が多い。
ここまで前提。ちょっとここからは話題を絞る。
漫画とドラマの間には、一見目立たないが絶対に埋めることの出来ないギャップ、というものがある。思考描写、だ。登場人物が考えている内容をどう描写するか。
漫画における思考描写は、要はモクモク吹きだしであり、当たり前だが文字である。台詞は「音声の描写」であるのに対して、思考は「文字の描写」とそれ程ギャップを生じない。当然のことながら、思考なので幾ら説明的に描いてもそれ程不自然ではないし、文字なので読者は何度でも読み直すことが出来る。思考描写は、キャラクターの性格づけ、展開の説得力、人間関係の描写、全てにおいて重要だ。思考描写をどう使うか、というのがある漫画の面白みを決定する、という側面はかなり大きいんじゃないだろうか。
一方、実写における思考描写は、基本的には役者のモノローグであり、当たり前だが音声である。当然のことながらパッとページをめくって見直すことは出来ないし、音声の台詞の延長だから、多用すれば多用するほど展開はデコボコになって不自然さが増す。通常のドラマであれば、役者の動き、展開、表情や何やかやで思考描写を吸収することが出来るのだが、漫画原作の場合それにも限界がある。というか、思考描写を展開でカバーしようとすればするほど、原作との歪みは増していく。
実写版で漫画版の思考描写を十分に再現するということは、そもそも構造的に無理があるのだ。
つまり、「漫画として、登場人物の思考描写に独自の味がある」作品は、一見すると実写向きの素材の様に見えても、ドラマ化する際のリスクが非常に大きい、ということが言えるんじゃないかと思うのだ。(※)
映画版「蟲師」については、あまりいい評価を聞かなかった。まあ展開の面でもギャップが大きかったし、絵ヅラや舞台設定の面でも決して実写向き原作じゃなかったとは思うが、更にギャップを大きくしたのは、蟲師の独特の思考描写によるもの、という側面が結構あるんじゃないかと思う。原作の独特な台詞、思考描写を無理に再現しようとして脚本が無理なことになった、というのはかなり大きいんじゃないかアレ。いっそのことサイレント映画にするくらいの覚悟が必要だったのかも知れん。
一方で、今更の話題だが、私は実は「デスノート」の実写版を観ていない。思考描写の面ではあの作品もかなり独特、っつーか死ぬ程ややっこしいので、実写版なんぞ相当無理があるだろうと思ってたのだが、評価をチラ見する限りでは意外に悪くないようだ。
あの月やLの長ったらしい思考描写を一体どうやって解決したのか、という一点に関しては割と興味があったりするのだが、その内DVDでも借りてきてみようかな。
※:この点で、私は「ドラゴンボールは本来実写化しやすい筈だ」という意見の持ち主なのだが、実際に実写化されているのをみると何故かギャグにしかならない。不思議だ。
2007年07月09日
PS3版塊魂発売中止の話から、ハード間紛争の話を懐古してみる。
考察とかではなく、まあ、感傷。
発売中止になるPS3版「ビューティフル塊魂」
なんだか、ひどく懐かしいものを感じた。しっくりくる、というのかな。こうこなくっちゃ、って言うと語弊がありそうだけど。
最近の「ハード信者の宗教論」に関して、何故だか妙に空疎なものを感じていた。ソフトがなければゲーム機なんてただの箱、というのは当然の前提であるにしても、どうせユーザーから見たハードの格差なんて大したもんじゃないのに、一体何頑張ってんの、という感覚があったことは確かだ。
かつての「ファミコン→スーファミ」「PCエンジン」「メガドライブ」の三つ巴時代を思い出す。懐かしいといっても、それはどちらかというと中学時代のグループ間抗争ごっこを振り返る様な、余り好んで触れたいとは思わない、なまぐさくて生ぬるい懐かしさだ。
ゲーム雑誌の発売予定タイトル一覧は、修羅場だった。
「マルチ展開って何スか?」という時代だった当時の雰囲気。業務用のタイトルが移植されると聞くと、どのハードの所有者も一様に味わった息が詰まる様な思い。FCのスプラッターハウスとPCEのそれを比べた際の、なんともいえない絶望感と高揚。ドラクエ3の所有者が感じた視線と、「メガドライブって最近どんなゲームが出てるの?」と聞かれた時の、次に口を開いたヤツが死ぬ、と言わんばかりのロシアンルーレットな空気。X68000所有者の、ごく当然に醸造される選民意識。
ハード間の性能には絶対的な差があって、商売の上手い下手にも絶対的な差があって、発売されるタイトルにも絶対的な差があった。メガドラ所有者とSFC所有者は、それこそ異次元の住人同士だったのだ。
あの頃の話なら分かる。ゲーム好きにとって、異なるゲームハードはまさに「敵」だった。ハード間の有利不利、強み弱みが絶対的なものだった時代、ナムコの業務用アクションはPCエンジン、セガゲーはメガドライブでしか「遊べなかった」時代だ。当時の家庭用ゲーム業界の盛り上がりというのは、それこそハード間紛争抜きでは語れない。
冒頭のニュースを聞いて、なーんとなく、あの当時の頃のことを思い出した。あのタイトルがあっちで出るとかあっちでは出ないとか。「完全移植」などという言葉が死語になった今、サードパーティーの参加有無以外のレベルで、こんな話が出てくるのは割と新鮮だ。
ちょっと話は変わる。
懐古上等で敢えて言うなら、家庭用ハードの性能は低いままだった方が、もしかするとゲーム業界には良かったんじゃないか、とか思う。
家庭用ゲーム機の性能がアーケード業界に軽々と追いついた時、「移植タイトルの出来・不出来」というハード間の紛争要因も消失した。技術制限の元に試行錯誤で生まれた、突然変異的珍妙タイトル群も姿を消した。周の世に帰れなどと言うつもりはないが、例えばセガの様な「世間一般のセンスから微妙にズレた技術力とアイディアだけで勝負」的な集団は、ある程度混乱したレース場でしか生き残れなかったんじゃないだろうか。
現状、ハード間の性能差というものは、既にユーザーの手の届かない位置にしか存在していないと思う。性能的には移植出来ないタイトルなどというものは存在せず、それ以前に、ゲーセンのタイトルは既に起爆剤の地位から失墜している。
「満たされない状況でこそ発生するパワー」というものが、かつてはあったと思う。ゲーム業界における童貞力、みたいなもんか。ゲームの面白さに「制限要因」が必要不可欠であるのと同じ様に、ゲーム業界にも性能の低さという「制限要因」は重要なスパイスだったのではあるまいか。
ハード間紛争の話も一つだが、例えば源平とかアルゴスの戦士の様な、「制限された性能の中でアレコレ工夫してみました」的なゲームが最近見られなくなったのは、なんとなく寂しかったりもする訳である。
2007年07月05日
今日のしんざきと、赤ん坊が超絶面白い件 07/07/05
ちょいと赤ん坊近況など。
取り敢えず、現在は泣いている時どのリズムの曲を歌うと効果的に泣き止むかを実験中。サヤ、サンファニート、カルナバリートは効果大と認識。モレナーダやティンクは微妙。チュントゥンキは曲調次第。メルセデス・ソーサは嫌いっぽい。
っつーか、出産時にも立ち会ってたんですが、出産直後から非常に元気なお子様でした。自然分娩で、頭が出た直後からぎゃんぎゃん泣いてました。私の手で臍の尾切ってから奥様の診察があって、その間は私が抱っこしてその辺を闊歩してたんですが、Si Me Querenとか歌ってたら混乱したのか泣きやんだ次第。色々試してます。割と自己主張がはっきりした子です。じきに退院して、しばらくは奥様の実家にご厄介になる予定。
私は課題達成にやりがいを感じる方で、うちの奥様は実験型の研究者肌なので、赤ん坊をいじるのは色々と面白いです。出産直後から母子がずっと一緒にいられるのはいいやね。もう目も開いて、一応こっちを認識している模様です。母乳もがぶがぶ飲んでます。
ただ、面白いのはいいんだが寝不足。超絶ねみぃ。
以下、話題メモなど。
・「敵は海賊 正義の眼」を読了した件について。
面白かった、けど、なんかすぐ読み終わってしまった。ん、もうクライマックスか?という感覚は正直あった。
考えてみると、神林長平作品の味で、「分かりにくさ」というダシは結構重要なんだと思う。「海賊版」にせよ「憂鬱」にせよ「A級の敵」にせよ、あそこまで分かりにくい、ややっこしい、一見さん向きでない設定をよくまあ描写出来るもんだ、という一種の戦慄があった。「正義の眼」にはそこまでの分かりにくさはなかった様にも思う。
今回はヨウメイが主役とも海賊課の面々が主役とも言いがたい構成だったので、その点での消化不良感もないではなかったかも。
・PS2「奇々怪界2」の発売中止のお詫びとお知らせ
('A`)<・・・・・・・・・まあ、その
('A`)<ポジティブに行こうと思うんですよ、ポジティブに
('A`)<これでナツメによる続編フラグが立ったよ!みたいな。
('A`)<あ、ダメですか。そうですか。はい。
・高校検診騒動
メモ。
これもひどい話だが、一番の問題は「医師や学校を責めやすい環境が出来ていること」だとは思う。
・忍者くん_魔城の冒険 攻略
もう何と言うか、2007年の7月という時期にこのエントリーが投下されるという、ただそれだけのことに対する感嘆。すばらしい。かつて筐体の後ろで見ているただけで嫌がられた、開幕パターンですよ?
バブシカさんはなんらかの賞で表彰されるべきだと思う。
2007年07月02日
今日のしんざきと、生まれた話と、ちらっと東京村の話。 07/07/02
生まれました。男の子でした。立会いました。幸いスピード出産で、母子ともに健康です。
しばらく更新が不定期になりますが、元々不定期だから全然変わらないか。
・日曜は、出産の前日に登山していた件。
いや、高尾山ですけど。奥様の希望で、っつーか登山中に産気づかなくてほんとーーーーに良かった。
一応鍼灸の先生やお医者さんの診断を踏まえてのことだったとは思うんですが、身体をやわらかくする為とはいえ、産み月に山登りってのは一体どうなんだ。とはいえ、久々のハイキングは清涼で楽しかったですよ。
ごみを拾いつつ、帰りはケーブルカーでショートカット。
・土曜日は人狼BBS東京村に参加していた件。
元々しょうたさん迎撃のつもりで参加していたんですが、いざ行ってみたらものすげー豪華メンバーで超絶楽しかったですよ。
二次会前には食事会。軽く飲みましょーか、という話は元々しょうたさんとしてましたが、あれよあれよという間に参加人数が増え。結局、私、しょうたさん、newさん、れおんさん、あじさん、hiro_sさん、スピカさん、みながーさん、TUKINさん、あきさん、toytoyさん、はいからさん、tyubakaさんという大所帯に。個人的にはまだ巻き込みたい方が何人もいたんですが、諸々の事情で断念して天狗で飲み。ひたすらウイスキーと泡盛をちゃんぽんにして飲みまくったりしていました。美味い酒が飲めました。けどデザートは勘弁。
あと、ゴキブリポーカーを今回初体験しました。超絶おもしれえ。でも、一箇所を全員が攻め始めるとものすげえ不利、という状況に慄然。こええ。
あと今回の引き、狼・狼・村人・占い師・ハムスター。もはや何も言うまい。ただ、5つ村をやった中、3回はどういう訳か占い師が確定してた、というのは敢えて付記しておこう。一回狼側で勝てたけど。
ただ、一回ひどい狼をやらかした。ホントーにひどかったけど詳細忘れたから別にいいや。
取り敢えず以上な感じで。
2007年07月01日
幸せを主張しろ、という声を挙げてみる
女性の心ない言葉の暴力に殺された男たち[鬱文書注意]
はてなブックマーク :女性の心ない言葉の暴力に殺された男たち
敢えて釣られるべきだと思ったので、釣られる。今回に限って、既出だろうが何だろうが構うか、と思っている。
ひどいな、と思った。勿論、この記事の内容に関してではなく、この記事に描写されている様な「虐げられた」男性の姿に関してでもなく、この記事につけられたブックマーク数に関してである。
家庭がうまくいっているかどうか、というのは勿論個人の問題であり、上手くいっている家庭もあれば上手くいっていない家庭もある、という一語以上の結論は要しない。幸せな結婚もあればそうでもない結婚もあるのだろう。広い世間にはもしかすると、冒頭エントリーの様に妻に虐げられている男性も存在するのかも知れない。まあ、個人的には妄想、よく言って誇張に見えるが。
昨今、色んなブログやソーシャルブックマークなど見ていると、結婚に関するエントリーが目に止まることはよくある。そして、私の見る限り、「結婚に関するデメリット」「結婚後の暗い人生」について語っているものが過半を占めている様に思う。これは決して、私が「暗い結婚生活」について語っているものばかりを印象に残している為ではない、ということは断言出来る。何故かというと、私は人ののろけを聞くことを比較的好む方で、「幸せな結婚生活」風の文章は、割と頭が沸いている様なボケ文書であっても記憶の一隅にメモしておく場合が多いからである。
じゃあ、何で「暗い結婚生活」的エントリを良く目にするのか、というと、二つの理由が考えられると思うのだな。
・Web上の多くの人々にとっては、「幸せな結婚生活」よりは「暗い結婚生活」の方が印象・あるいは記憶に残りやすい為。
・書く側の心理的に、愚痴を書くのは抵抗が少ないが、のろけを書くことに関しては抵抗が大きい為。
まあ、構造的には仕方ない、とは思うのだ。
のろけを書くことによって期待出来ることはそれ程ない。現実世界の飲みの席ならともかく、Web上でのろけを幾ら語っても、得られるものはせいぜい身内からの中身の無い共感、僅かなアクセス、時には嫉妬、まあ大体の場合は「はいはい幸せ幸せ」という程度の生ぬるいスルー。結婚生活に満足している様な人が、そもそも結婚生活について積極的に開示しようとする動機は薄い。まともな感性をもっている人なら羞恥心のブレーキもかかる。
構造的に、「結婚生活に関する、経験者によるプラスイメージのエントリ」というのはアップされにくい様になっているのだ。
その一方、愚痴、あるいは結婚に対する負のイメージを書くことに関して期待出来ることは山ほどある。概して、Web上の人々は「これはひどい」的な、負の匂いにひきつけられやすいものだ。愚痴に対する同情、あるいは共感、時には反論(丁度、今この私が書いている様な、だ)、場合によってはそこから発する揉め事、山の様なアクセス数。
かくして、Webには結婚に関する負のイメージの山が築き上げられる。それを、結婚を経験していない人が拾い上げる。
その結果どうなるか。大げさな話ではなく、「結婚なんか、しないで済むならしない方がいい」という集合的なイメージが、少なくともWeb上では形成されていくんじゃないか。
この文脈で個々の話をしても仕方ないかも知れないが、承知の上で書く。
私の友人には、もう数年彼氏と付き合っていて、本人は結婚を希望しているのに、結婚を避けられているヤツがいる。私は彼女の愚痴を何度か聞いたし、彼女の涙も何度かは見た。別れちゃえばいいじゃん、というのは簡単だし、私自身何度もそう思ったが、問題なのはそんなことじゃない。私は彼女自身から、「大抵の男は、メリットがないから結婚したがらないものだと思ってた」という言葉を聞いたのである。
実際の所、何故その男が結婚をしたがらないかについては、私は勿論当事者ではないから分からない。結婚観なんてものはそう単純なものではなく、本人の家庭像や、両親のイメージの影響も当然大きいのだろう。
だが、その上で、何故ここまで「結婚に対する良くないイメージ」が広がっているのかに関しては、「よくないイメージの方が広まりやすいから」ではないのだろうかという疑問を、私は捨てることが出来ない。厚生労働省の統計を参照してみるといい。結婚を「当然するべきもの」とする常識が消滅した時、そこに残るのが「よくないイメージ」だけだったとしたら、私の友人の様なヤツは一体いつ幸せになれるのだろう。
少なくとも、「結婚に関する暗いイメージ」だけが広く流布される様な状況は、それ自体は別に間違ったことを言っている訳ではないということを考慮に入れても、看過してはいけないと私は思うのだ。必要なのはバランスだ。結婚をする・しないはそれぞれの問題であるとしても、「暗いイメージ」しか持たないが故に、本来得られる筈だった幸せを逃す様なことがあるとすれば、それこそ不幸としか言い様がない。
個々人の結婚観に関しては、大した意味をもたないかも知れない。私に限って言えば、メリットがどうとかデメリットがどうとか、それがどうしたと思うし、二人で努力する限り、幸せになれない結婚なんてものは存在しないとも思うが、「人それぞれ」の壁は余りにも厚い。
だから、私はこう書こう。のろけろ、と。幸せな結婚生活をしているヤツは、ちゃんと幸せを主張しろ、と。罵倒されようが嫉妬されようが知ったことか。スルーされるならスルーを許さない程に書けばいいのだ。私は幸せだよ、ときちんと声を挙げるヤツが、今のWebには絶対に必要なんだと、私はそう信じている。
罵倒されることを承知で、私は書く。結婚してすげー幸せだ、と。もうすぐもっと幸せになるぞ、いいだろう、と。
「幸せな結婚生活」のイメージが積み重なることで、何かが変わるかもしれないと信じている。
はてなブックマーク :女性の心ない言葉の暴力に殺された男たち
敢えて釣られるべきだと思ったので、釣られる。今回に限って、既出だろうが何だろうが構うか、と思っている。
ひどいな、と思った。勿論、この記事の内容に関してではなく、この記事に描写されている様な「虐げられた」男性の姿に関してでもなく、この記事につけられたブックマーク数に関してである。
家庭がうまくいっているかどうか、というのは勿論個人の問題であり、上手くいっている家庭もあれば上手くいっていない家庭もある、という一語以上の結論は要しない。幸せな結婚もあればそうでもない結婚もあるのだろう。広い世間にはもしかすると、冒頭エントリーの様に妻に虐げられている男性も存在するのかも知れない。まあ、個人的には妄想、よく言って誇張に見えるが。
昨今、色んなブログやソーシャルブックマークなど見ていると、結婚に関するエントリーが目に止まることはよくある。そして、私の見る限り、「結婚に関するデメリット」「結婚後の暗い人生」について語っているものが過半を占めている様に思う。これは決して、私が「暗い結婚生活」について語っているものばかりを印象に残している為ではない、ということは断言出来る。何故かというと、私は人ののろけを聞くことを比較的好む方で、「幸せな結婚生活」風の文章は、割と頭が沸いている様なボケ文書であっても記憶の一隅にメモしておく場合が多いからである。
じゃあ、何で「暗い結婚生活」的エントリを良く目にするのか、というと、二つの理由が考えられると思うのだな。
・Web上の多くの人々にとっては、「幸せな結婚生活」よりは「暗い結婚生活」の方が印象・あるいは記憶に残りやすい為。
・書く側の心理的に、愚痴を書くのは抵抗が少ないが、のろけを書くことに関しては抵抗が大きい為。
まあ、構造的には仕方ない、とは思うのだ。
のろけを書くことによって期待出来ることはそれ程ない。現実世界の飲みの席ならともかく、Web上でのろけを幾ら語っても、得られるものはせいぜい身内からの中身の無い共感、僅かなアクセス、時には嫉妬、まあ大体の場合は「はいはい幸せ幸せ」という程度の生ぬるいスルー。結婚生活に満足している様な人が、そもそも結婚生活について積極的に開示しようとする動機は薄い。まともな感性をもっている人なら羞恥心のブレーキもかかる。
構造的に、「結婚生活に関する、経験者によるプラスイメージのエントリ」というのはアップされにくい様になっているのだ。
その一方、愚痴、あるいは結婚に対する負のイメージを書くことに関して期待出来ることは山ほどある。概して、Web上の人々は「これはひどい」的な、負の匂いにひきつけられやすいものだ。愚痴に対する同情、あるいは共感、時には反論(丁度、今この私が書いている様な、だ)、場合によってはそこから発する揉め事、山の様なアクセス数。
かくして、Webには結婚に関する負のイメージの山が築き上げられる。それを、結婚を経験していない人が拾い上げる。
その結果どうなるか。大げさな話ではなく、「結婚なんか、しないで済むならしない方がいい」という集合的なイメージが、少なくともWeb上では形成されていくんじゃないか。
この文脈で個々の話をしても仕方ないかも知れないが、承知の上で書く。
私の友人には、もう数年彼氏と付き合っていて、本人は結婚を希望しているのに、結婚を避けられているヤツがいる。私は彼女の愚痴を何度か聞いたし、彼女の涙も何度かは見た。別れちゃえばいいじゃん、というのは簡単だし、私自身何度もそう思ったが、問題なのはそんなことじゃない。私は彼女自身から、「大抵の男は、メリットがないから結婚したがらないものだと思ってた」という言葉を聞いたのである。
実際の所、何故その男が結婚をしたがらないかについては、私は勿論当事者ではないから分からない。結婚観なんてものはそう単純なものではなく、本人の家庭像や、両親のイメージの影響も当然大きいのだろう。
だが、その上で、何故ここまで「結婚に対する良くないイメージ」が広がっているのかに関しては、「よくないイメージの方が広まりやすいから」ではないのだろうかという疑問を、私は捨てることが出来ない。厚生労働省の統計を参照してみるといい。結婚を「当然するべきもの」とする常識が消滅した時、そこに残るのが「よくないイメージ」だけだったとしたら、私の友人の様なヤツは一体いつ幸せになれるのだろう。
少なくとも、「結婚に関する暗いイメージ」だけが広く流布される様な状況は、それ自体は別に間違ったことを言っている訳ではないということを考慮に入れても、看過してはいけないと私は思うのだ。必要なのはバランスだ。結婚をする・しないはそれぞれの問題であるとしても、「暗いイメージ」しか持たないが故に、本来得られる筈だった幸せを逃す様なことがあるとすれば、それこそ不幸としか言い様がない。
個々人の結婚観に関しては、大した意味をもたないかも知れない。私に限って言えば、メリットがどうとかデメリットがどうとか、それがどうしたと思うし、二人で努力する限り、幸せになれない結婚なんてものは存在しないとも思うが、「人それぞれ」の壁は余りにも厚い。
だから、私はこう書こう。のろけろ、と。幸せな結婚生活をしているヤツは、ちゃんと幸せを主張しろ、と。罵倒されようが嫉妬されようが知ったことか。スルーされるならスルーを許さない程に書けばいいのだ。私は幸せだよ、ときちんと声を挙げるヤツが、今のWebには絶対に必要なんだと、私はそう信じている。
罵倒されることを承知で、私は書く。結婚してすげー幸せだ、と。もうすぐもっと幸せになるぞ、いいだろう、と。
「幸せな結婚生活」のイメージが積み重なることで、何かが変わるかもしれないと信じている。



