2007年07月26日

そういえば、オレは何故海外SFが好きなのだろう。


2007SFセミナー合宿、「SF研部屋」
SFファン? 食えるのそれ?

この辺読んだ。

「SFファン」「SF者」というのがまるで特殊なカテゴリーの層であるかの様に語られていることに違和感を覚える人もいるかも知れないが、こればっかりは、「まあ、そうなんだからしょーがない」と言う他ないな。SF、特に海外SFというジャンルは永遠の少数派であり、しかも少数派自らが少数であることに誇りを抱きやすい奇妙なジャンルでもある。この辺、日本の他のサブカルとの違いは色んな場所で論じられている筈だ。

少数派が固まること自体は特段珍しいことでもないと思うが、何故か海外SFは、愛好者自身が「ただの娯楽小説よりスゴイ」とか思ってしまう傾向がある気がするのだな。私自身、無意識下ではおそらく「古典海外SF(アーサー・C・クラークとかアシモフとかブラッドベリとか)は最近のラノベより高尚」みたいな勘違いをしている側面がどっかにあると思う。まあ、実際は純然たる娯楽小説であって、それ以上でも以下でもないんだが。

この結果、海外SFを好む人がその後の多数派ラノベを蔑視したりして嫌われたりどん引きされるケースもあったりする様だが、まあこの辺はまた別の問題だ。


それより思ったのが、内省というか。私は何故海外SFを好むだろう、というお話についてである。


多分、SFの面白さの根源にあるものって、いわゆる「男の子回路」を刺激する小道具だと思うのだな。それも、「もしかするとこれは現実にも存在し得るのかも知れない」っていう、仮想的なリアルさとなんとなく理系っぽい雰囲気がスパイスになった男の子回路。

例えば、ただのタイムマシンならドラえもんだけどさ、「過去・未来のどちらにジャンプするかは決定出来ず、しかも移動するものと同質量のものを同時にジャンプさせなくてはいけない」とか理屈がついてると超絶かっこいいっしょ?ただの「加速装置」よりは、「高速代謝」「低速代謝」とか理屈がついてた方が理系っぽくて素敵っしょ?

「アンシブル使ってみてえ」とか、「ひょっとするとオーバーロードってホントにいるんじゃねえか」とか、そういう「もしかすると」的なリアルなわくわく感、この辺がSFの楽しみの根源なんじゃないかなあ、と私は考える訳だ。

その意味で、奇想天外・ファンタジックな着想をどれだけリアルに読ませるか、というのがSF小説のまさに醍醐味であり、私はブラッドベリを愛して止まない。訳者さんもすごいと思うけど。


ということで、今後も私は、イベントに参加するでもなく、飲み会の席で話題にするでもなく、ごくひっそりとしたSFファンとしてWeb上に逼塞していこうと思うのだよ。

ところでデュマレスト・サーガって途中でおっかけるのをあきらめたんですが、最終巻は一体いつ翻訳されるんスか。5巻くらいまではすげえ好きだったんだけどなあ。
posted by しんざき at 13:09| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする