2007年08月30日

なんで体罰の話になると皆思考停止するの?


はてなブックマーク > 痛いニュース(ノ∀`):中学の先生、注意きかない生徒の頭を平手で1回叩く→処分…石川
中学の先生、注意きかない生徒の頭を平手で1回叩く→処分…石川

ちょっと前の記事だけど。

この元記事に関して、これが本当に体罰というべきものだったかどうかに関しては、書いてあることからは読み取れない。だからこの処分の可否について私は判断出来ない。ただ、はてブの議論に合わせて、取り敢えず「体罰」という大枠に従うことにしよう。

まず第一に、体罰が云々という話になると、何でこうも反応が感情的な脊髄反射になるんだろ、とか思った。

引用エントリーまで全部漁ってる訳じゃないが、こういった問題に関する「テンプレ的」な反応というものは、概ね二つに分かれる様に思う。


・「おいおいこの程度で処分かよ」という、どちらかというと体罰に肯定的な反応
・「体罰」という言葉が出た時点で「絶対ダメ」という即否定的な反応


まあ元の場所が2ちゃんで、おまけにレスをある程度恣意的に抽出しているまとめブログだから上のテンプレが際立ってる様にも見えるけど。いずれにせよ、それぞれの反応が脊髄反射で、議論の成り立ちようがない様に思うのだな。

で、私は次の様な疑問を抱く。

・肯定派は、何故「体罰はそもそも有効なのか」というレベルでの議論をしないのか。
・否定派は、何故「じゃあ、口で言っても分からない子にはどう対処するべきか」という議論をしないのか。

つまり、本来根幹にあるべき部分が置き去りにされてる様な印象を受けるのだ。

こういう件に関しては、スクールカウンセラーとして実際に小学生と渡り合っていたうちの奥様に聞いてみるのが常である。彼女は「いわゆる体罰」に関して否定的なスタンスだが、議論を拒絶する様な面は全くない。

以下、彼女の意見を私なりに補完してまとめてみた。

・小学校以上を想定した場合、そもそも体罰が有効かどうか、という点に疑問がある。
・体罰には、「痛み」「体罰を受けたこと」が強く記憶に残り、肝心の「何故怒られたか」ということが薄れる場合があり、結果として理解に至らないことがある(心理的に被害者に置き換わってしまう場合もあるらしい)
・口で言って分かる子であれば、上記の理由から、きちんと言葉で理解させるべきである

・「口で言っても分からない子」には、それぞれ個別の理由がある場合が多い。
→個別の家庭の事情で発達上の問題が認められる場合。根本的な解決には個々のカウンセリングが必要であり、体罰で解決する様な問題ではない場合が多い
→アスペルガー症候群、ADHDなどの発達障害。これらは病気である為、体罰で痛みを覚えさせれば治る、という性質のものではない。
・いずれにしてもきちんとした心理的対処が必要である。これらの「体罰が解決に至らないケース」を見分けるのは簡単な作業ではなく、体罰に類する対処をすることで却って悪い結果になることもある。対処が出来なくて他の生徒に影響が出る、という様な場合には出席停止などの処置をとるべきである。


なるほどなー。と。

私自身は体罰に肯定的というよりは、むしろ「体罰」というものがいちいち取り沙汰されない環境で育った人間であるから、「これ、体罰なん?」という疑問を抱くこともあるし、体罰に関する議論自体について理解し難い点もある。

痛みが伴うことで何か得られる場合もあるんじゃないかな、くらいの、漠然とした許容感をもってもいる。といっても、それが小学校というステージで当てはまるのかどうかは良く分からないし、上の様な話であればなるほどとも思う。

なんにせよ、肯定派否定派それぞれ、きちんとした論拠にたって議論するのは重要だよなあと思う。思考停止はイクナイ。
posted by しんざき at 11:02| Comment(8) | TrackBack(0) | 無謀的世評

2007年08月29日

子供が生まれてわかったこと。


遍く親はかつては子供だったのだ、という、口に出してしまえば当たり前のこと。


あんまりまとまってないけど、混沌とした雑感をそのまま書く。

私は中二病である。かつての私は、「親になってみないと分からない」という言葉を嫌悪しながら生きてきた。それでも、実際の所「親になって分かること」が何かということ自体については興味があったし、それを整理してみたくもなった。


人間は、生まれた時点では「自分の親-自分」という関係性しか持っていない。だから、「自分の親の親-自分の親」という関係性については、多分推測することしか出来ない。つまり、「子供としての自分の親」というものをリアルに実感することは難しい。少なくとも私に関してはそうだった。

「親」という存在を相対化できなかった、という言い方でも同じだろう。親はどこまでも「親」でしかなく、それ以外の何かではなかった。

子供が出来ると、「自分-自分の子供」という関係性を取得出来る。この時初めて、「自分の親の親-自分の親」という関係性との相似形が、自分というプログラムのサブセットとしてリンクされる。自分の親がかつて自分を育てたプロセスが、ある程度生の形で理解出来る。

その時分かる。「あー、自分の親は、自分を育てる時点では子供だったんだな」と。はじめから「親」である親などこの世に存在しないのだ。

当たり前のことなのだが、確かにこれは、子供が生まれるまでリアルに実感出来る内容じゃない。


「親の気持ちが分かる様になる」という言葉は陳腐だけど、おそらくこれは「自分が親の階位まで上がって、そこから物事を見ることが出来る様になる」という意味ではないのだろう。

少なくとも私にとっては、その言葉は「別世界にいた親という存在を、自分と同じ位置まで引き摺り下ろす」という心理体験だった。いいことなのか悪いことなのか知らんが、これが事実だ。


私と、私の親との関係は、多分ちょっと歪な形をしていたと思う。理想的な関係だったとは私は思わないけど、自分と同じ立場まで親を下ろしてみて、ようやくそのことを自分の中で消化出来そうにも思う。今後に生かすことも出来るかも知れない。


その一方で、出来たら自分の子供には、理想的とは言わないまでも、なるべくいい感じの親子関係を提供出来ればなーと思う。
posted by しんざき at 19:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文

2007年08月24日

今日のしんざき 07/08/24


やや汚い話だが、息子さんは便秘解消。ペースはホントーに人それぞれらしいとはいえ、一週間くらい気配がなかったのでちょっと心配していた。色々調べたところ、どうもそんなに珍しいことではないらしい。まあ、安心。

昨晩は、寝る気配が無かったタイミングでちょっと散歩に出てみた。起きている間に抱きかかえられて外出という経験は生まれて初めてということもあって、周囲の風景に対する注目度が凄かった。ガン見。

近所の寺社をふらふらとしていたら、注目し疲れたのかころっと寝る。その後就寝。

しかし、アレだな。Webのソースの永続性とかの話はともかく、将来私の息子さんは、私のブログの過去ログを読んだりするんだろうか。アホばっか書いていてアレだけど。


昨日のエントリーにちょっと追記。

子供は元来異邦人である、とか思ったりした。


島国大和さんに言及頂いた。わーい。

それはそうと、
 ちなみに、批判とか意見でなくて、単純に思った事なのだけれども、人気のある連載漫画家は概ねこの気質が強いのでは無いだろうか。
 端的に言うと
 「つかみ、引っ張りは上手いが、終わらせるのはヘタ」
これに関してはおそらく、「連載を終わらせる決定権が漫画家にない」という条件下では、ある程度仕方ないのかなーとも思ったりした。納期が定められてないプロジェクトは基本的にダれる。多分それと同じで、漫画家さんの方でも「いつ終われるかわかんない」という状況で、終盤までのデザインをするのはきついだろうなあ。と。

とすると、確かに浦沢直樹に限ったことじゃないのかなあ。

そしてアイシールドのアレはひどいと私も思いました。



・ちょっとURLメモ。

外務省:安倍総理のインド訪問(概要)

朝日新聞社説 首相の訪印―価値観外交のすれ違い

ははあ。


こっちはちょっと気になった話。
不作為と疑似科学が南アフリカ国民のAIDS事情を悪化させる

「AIDS再評価運動」というものをそもそも知らなかった。しかしこれは色々とシャレにならん話じゃないのか。

レモンとガーリックというのは、えーと。
posted by しんざき at 19:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月23日

ヤツらは異邦人・漫画編。

知人に借りた「よつばと!」を三巻まで読んで、ああ、なんだか懐かしい感じの異邦人ものだなーと思った。


「異邦人もの」というジャンルについては、昔何かの本で分類を読んだ様な覚えがあるのだが、タイトルも忘れれば理論展開もぜーんぶ忘れた。仕方ないんで、自分で適当に再構築してみた内容をメモっておく。


定義。いわゆる「異邦人もの」というのは、ある世界観から隔絶された「異邦人」が主人公、あるいは準主人公という位置づけで、彼または彼女のエピソードを主軸に話が進んでいくジャンルである。異邦人は、外国からの旅行者だったり、よその星からやってきた異星人だったり、過去や未来からやってきた別時代人だったりする。そういった人が、例えば地球とか、現代社会にやってくる。ジャンル分けによっては、現代人が別世界に迷い込むものも異邦人ものに含まれるかも知れない。


この「異邦人もの」というジャンルそのものは遥か昔から存在した。古くは竹取物語とか日本霊異記の一部のエピソード。一寸法師だってガリヴァー旅行記だって異邦人ものだし、ウェルズ以降の近代SFは異邦人もの花盛りだ。昔から、「よそものとそれにまつわる騒動」というお話は、ストーリーテラーの重要な飯の種だったのである。


それはそうと、取り敢えずは漫画のお話。
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posted by しんざき at 00:52| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑文

2007年08月21日

不言実行>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>>>有言実行


というのは、「誕生日プレゼントを秘密にするか否か」という問題と通じる部分があるんではないか、とふと思いついた。

起点は駄文にゅうす様経由で読んだ、こちら。つまりこれ、口に出すヤツは大したことない→不言実行が尊い、という表出であろうと思うのだな。

別にこれ自体に関してはどうということはないし、何の文句もないし、日本人の特徴なんだか世界共通のことなんだか知ったこっちゃあないのだが、要はこれは心理的な期待値の問題だなあ。と。


誕生日プレゼントや誕生日パーティーを秘密裏に企画して驚かせてあげたい、と考える人は数多い。「相手が期待していない」という、つまりゼロの状態に対してプラスの底上げをすることによって、相手の喜ぶ度合いをブーストしようという発想だろう。1→2より0→1の方が振れ幅が大きいという理屈だ。

これに関する個人差が、そのまま「不言実行」という言葉のスタンスに直結している様に思う。「口に出さずに(=相手の期待値をゼロに保ったまま)何かをする」ということに関してプラスの印象をもっている人程、不言実行ということに価値を認めるだろう。

不言実行が尊ばれる背景には、相手に期待させないことによるプラスの影響を重視する傾向がある、という書き方をすることも出来るだろう。

ただ、これは勿論「相手の期待値がゼロである」ということを前提とした話なので、相手が暗黙裡に期待していたりいなかったり、ということをごちゃごちゃ考え始めると色々と面倒なことになる。ことはコミュニケーション論に収束するのである。



実の所、私はこういった「暗黙裡の期待値コントロール」の様な行為が元来苦手で、誕生日プレゼントなどに関しては「何が欲しい?」とか面と向かって聞いちゃったりする方なのだが、これ少数派なんだろか。

皆内緒で誕生日プレゼントを用意して、誕生日にサプライズとかやっちゃうのか?私は野暮星野暮村の野暮太郎なのだろうか?こっそり探りを入れる、とか苦手なんだよチクショウ。
posted by しんざき at 12:31| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月20日

浦沢直樹は、「短距離ランナー系」漫画家なんではあるまいか。

今回のテーマ、タイトルだけ。よく言われる話なのかも知れんがまあいいや。

といっても、別に浦沢直樹が短編に長じているんじゃないか、と書くつもりはない(パイナップルアーミーは割と好きだけど)。むしろ逆で、「シリーズもの長編の一冊目」を面白く描くには、彼は出色の腕前を持っているんじゃないか、という話だ。

などと思ったのは、ekkenさんのこの記事を読んだからである。
2007 6月後半から7月に読んだ本
初期のころは「このコミックに日本SF大賞か星雲賞を!」などと思っていたのだけど。
まあ作品自体が面白いかどうかは人それぞれだから置くとして。

思うに、浦沢直樹は「面白そうな序盤を描くこと」に関しては天才的な才能をもっていると思う。もう少し限定的に書くと、「設定の生かし方」及び「伏線の散りばめとストーリーとの絡ませ方」が非常に上手いんではないか、ということになる。

私の想像だが、浦沢直樹自身(編集者さんかも知れないが)、当然この「上手さ」を自覚しているのだろう。だからこそ、最近の浦沢漫画が「伏線自体をテーマにした」作品ばかりなのだ。序盤面白いことが保証されている、ということ程編集サイドにとって心強いものはない。

それに対して、伏線の展開・収束に関しては若干バランス的に劣るから、結果として終盤のパワーが序盤に比して落ちるのではないか、と私は思ったりするのだ。

この傾向は、20世紀少年やMONSTERどころか、YAWARA!の頃から既にあったと思う。YAWARAの場合は、物語のテーマが伏線自体にはなかったから問題を生じなかったけど。

だからこそ、「そろそろMASTERキートンみたいな、伏線自体はテーマじゃない漫画を描いてくれないかなー」と私は考える訳である。


で、それと比較してみたくなるのがジャンプ系の漫画家だ。例えばドラゴンボールや幽白に関してよく言われることだが、「序盤とそれ以降の展開が全く違う漫画」をどう位置づけるべきなのかに関して、私は首傾する。

編集者さんサイドの動きの方が大きいのだろうとは思うのだが、少年漫画誌のあるゾーンにおける漫画は「長距離走破に向けてスタミナを温存すること」を常に外部から求められた作り方をしていると思う。展開に頭を悩ませる必要がない格闘系に走りやすいのは、その一つの顕れに過ぎないのではあるまいか。


一方で、冨樫義博という人に短距離走をさせてみたらどういう訳かレベルEが完成しちゃいました、というのが95年〜97年のジャンプだったんじゃないかと思うんだけど、色んな意味ですごいですよね冨樫さん。ハンター再開するって本当かいな。
posted by しんざき at 12:23| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑文

批判の批判に思うこと。

ちょっと迷ったけど、気になったから書く。

サヨ、カスラック、マスゴミ批判で一丁上がり!
こうした光景は昨今のネット界隈でも見られるからだ。たとえば「左翼」と「JASRAC」と「マスコミ」の3点セット。これらを「サヨ」、「カスラック」、「マスゴミ」に置換してアジビラまがいの文章を書いている手合いからは、確固たる思想信条は感じられない。

何故確固たる思想信条が感じられないかというと、そもそも思想信条が読み取れる様な書き方をしていないからだろう。単純な話である。

そこに本当に思想信条が存在しないのかどうか、単に時流に流されているだけなのか、それとも書いてないだけで実は深い根拠があるのか、んなこたあWebに存在する文言を読むだけじゃ分かりはしない。そこにあるのは、「根拠の明示なく(=思想信条の表現不足)口汚い論難・総括をした(=サヨとかカスラックとかマスゴミとか)」という厳然たる罪であり、
あわよくばアルファブロガーから好意的に言及されたり、個人ニュースサイトに紹介されたり、はてなブックマークの人気エントリーになればいいという、浅ましい欲望しか感じられない。

この様にたたかれるのは、まあ仕方ないことではあるんだろう。

勿論ここにはブーメランが潜んでいるんだけど、一旦回避して話を続ける。
しかしいま、カスラック批判やマスゴミ批判を憑り付かれたように書いているひとたちは、そんな自分を「はしたない」と将来、思うのだろうか。

上記の「罪」を分解して繰り返してみよう。ここで書かれている様な「ひとたち」の、反省するべき罪は何だろうか。

・明確な(背景or思想信条or根拠)の明示を怠った。
・口汚い総括を行った。

この二点に関しては、まあ、「はしたない」と感じるに十分であろうと私も思う。私自身は、「口汚いということは、アクセス数を稼ぐのと同時に言説の説得力を大幅に低下させる」と思っているんだが、まあWebも色々だなあ。と。


で、だ。「サヨ、カスラック、マスゴミ批判」「アジビラまがい」という総括に、私は若干の口汚さを感じるのだけど、その点どうなんだろう。大塚氏に関する前段と結語が根拠ってことなんだろうか。私自身は、例示されている様な大塚氏の言説と、「いわゆる」つきのマスコミ批判やJASRAC批判を同列に語ること自体が既に飛躍じゃないかと思うんだけど。


もっと単純に書くとこうなる。「思想信条を欠いた総括を批判している人の総括に、思想信条が明示されてないのはどうなんだ」と。

更に単純に書くと一言になる。「これ、ブーメランじゃね?」

ここからは所感。というか、ブーメランか。

思うに、「同文中に明確な思想・根拠の明示がない、批判的な総括」というものは、かつてはメディアの側の専売特許だったのではなかったか。この武器を、発祥以来メディアは一瞬たりとも手放したことがないんじゃないか、と私は思う。たとえば週刊誌広告のヘッドラインが代表的な例だろう。ヘッドラインでの総括の仕方なんて、メディア界の隅っこの隅っこに生息していた私でさえ指導を受けたことがある。

根拠を常に隙なく明示しなくてはならない、なんてルールは存在しないし、仮に存在したとしたらひじょーに文筆は窮屈になる。だから私は、「根拠の薄い批判」を否定はしない。私だってやっていることだ。

ただ、どちらかというとメディア側の文法に長けている人が、Webの「根拠薄き総括」を批判するというのは、ちょっとずるいんじゃないかなあとか思わないでもない訳だ。
posted by しんざき at 01:58| Comment(5) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論

2007年08月18日

今日のしんざきと人狼BBS関連の独り言 07/08/18

子供中心の生活になるもんですなあ。

ぼちぼち、息子が夜ぐずる様になってきた。母乳を飲み終えた後、以前ならさくっと寝るところかなー、というタイミングで大泣きする。どうも彼にとって、「眠い」という状態はイヤなものであるらしい。今までは、「眠いのに寝ていない」という、つまり非充足の不快感があったのみであったところ、最近は意識がしっかりしてきた為、意識がもっていかれるということに対する抵抗という側面も出てきたのではないか、とこれは奥様(心理学畑)。ともあれ、息子の大泣きはとにかくよく響く。どうもこの声質は父譲りっぽい。ミッション、「息子を静かにさせよ」及び「息子を眠らせよ」発動。

まず、「息子を静かにさせよ」という点では、本気で歌うとびっくりするんだかきょとんとするんだか拝聴するんだかで割と泣きやむことが判明。ただ、音量の点では息子の大泣きとそれ程変わらんのではないか、とか思わないでもない点がやや微妙。

とはいえ大泣き段階では背に腹は変えられない訳で、夫婦でフォルクローレだのスピッツだのZabadakだの熱唱。完全に気合勝ちする。ついてるな息子、現役のミュージシャン二人(嘘はついていない)の熱演だぞ。私ケーナ吹きだけど。

眠らせる段に関しては、横揺れのリズムと足揺らしのリズムである程度の定式化は出来たものの、やはりぐずる。最終手段は授乳と入浴。どうも息子さん、風呂は好きらしい。今日も先ほど入れてきました。

ともあれ、夫婦共に課題達成型の性格なので、色々解決策を見出していくのはなかなか面白いですよ。最近新しい表情が色々と出てきて、その点もおもしれえ。


・人狼BBSのお話。


そんな訳ですいません、近い内人狼BBSの村に入ろうかと思ってたりするのですが、もう若干時間がかかりそうです。

とはいえ、そもそも参加することをここで書いてもいいのだろうか、とか。示し合わせて同村、とかは禁止行為みたいだしなー、とか。

例えば待ち合わせ人狼をもしやりたいのならば欧州辺りで村を立てるべきなのだろうが、合わせるべきご都合もあるだろうし、私欧州で村やったことないし、とかそんな状況。

ということで、多分近々深夜更新の村に私はなんとなく入るつもりですが、もし偶然ご一緒頂ける人がいたとして、入れても入れなくても気にせず気兼ねせず恨みっこなし、その時のご都合に合わせてご都合の良い様に気まぐれにひそやかに、という方針ではどうかと思ったりしてます。

入るつもりの日付・時間はまた独り言としてなんとなく書きます。人狼関連のタイトルで。
posted by しんざき at 22:17| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月17日

手品業界がこの先生きのこるには。

今日はきのこる先生にご登場願うことにした。先に言い訳しておくと大した話ではない。

ちょっと前に、手品師が種明かしに対して損害賠償を請求、って記事を見たなーと思い出した。

元はasahi.comだったみたいだが、元記事が消えている。雅楽多ブログさんを引っ張らせて頂く。

テレビの手品の種明かしに損害賠償請求

まあ、「手品」というもの自体が既に斜陽の代名詞がわりに使われているという現況には、ちょっと悲しいものを感じないでもないのだが。

「種明かしが直接損害になり得る」というのは、ゲーム業界で言うところのパズルゲームの構造に近い。ネットの存在によって消費ペースに拍車がかかる、という点も同じだろう。

多くのパズルゲームと同じく、手品というものは消費物件である。その面白さは、「解法が示されていない」ことによって担保されている。

「解き方を探し出す」ことがゲーム性の中核であるパズルゲームは、解き方を見つけ出されてしまうことによって面白さが減少する。手品もそれと同様、「タネが割れてしまうと面白さが減ずる」という側面があるのだろう。


となると、パズルゲーム業界が見出した解決法が、手品業界にもほぼそのままの形で当てはまるんではなかろうか。


パズルゲーム業界を俯瞰すると、ユーザーの「消費」に対してとられてきた解決法というものは、割とシンプルに分類出来る。ちょっと前に書いたエントリーから引用してみよう。
・パズル局面の難易度を大幅に上げ、そう簡単に解かれない様にする(チャンピオンシップロードランナーなど)

・アクション性を押し出し、パズル以外の部分でのゲーム性を補強する(ソロモンの鍵など)

・ステージのランダム生成(あるいはエディット)などで面数を純増し、消費ペースを遅くする(上海、四川省など)

・なんらかの方法でステージを追加リリースし、ユーザーに継続的に遊んでもらう(倉庫番など)
大雑把に二分すると、解法を見つけても問題なく楽しめる様にするか、解法を見つけだされるペースを遅くする、というのがパズルゲーム業界の基本方針だったことが分かる。

手品側からこの基本方針対照すると、

・タネがある程度割れていても問題なく楽しめる手法を確立する(口芸など、ステージとしての面白みを出す)

・非常に見つけにくいタネの手品を作成する、あるいはタネの種類を純増させる(新たな手品の開発、タネの秘匿)

ということになり、これらの手法は既にかなり前からとられているであろうことが分かる。


だが、パズルゲーム業界と手品業界の間には決定的な差がある。

手品業界は、まだテトリスに出会っていない。

手前味噌だが、繰り返し書くのもアレなんで、先ほどのエントリーからもうちょっと引用する。
テトリスのどこが突然変異かというと、それまで基本的には「消費物」だったコンピューター業界におけるパズルゲームを、「完全リサイクル商品」に変えたモデルを提示したこと、だと私は思う。

たった数種類のブロックと、「落として、並べて、消す」という単純極まりないルール。後は全部ユーザー任せ。ゲームを形成するにおいて、細かい面構成に頭をひねらせる必要などどこにもない。「パズルを作る」部分まで全部まとめてゲーム性の一貫として、ユーザー側に渡してしまった、という言い方も出来るだろう。

レトロゲーム万里を往く その47 テトリス
パズルゲーム業界において、テトリスが物凄い規模でのパラダイムシフトを引き起こしたことは議論を俟たないであろう。「落ちものパズル」という業界は、テトリスというたった一本のソフトが作り出したのだ。それは、「解法が分かると面白さを減ずる消費物」という、パズルゲームの構造そのものを叩き壊したからに他ならない。

言い方を逆転させると、「解法が分かると面白さを減ずる」という構造に対して、「解法が明示されていること自体が面白さの条件の一つ」という進化を加えることが出来れば、当然のことながら問題は一挙に解決する、ということになる。


ということは、手品業界においてテトリス的なパラダイムシフトが発生したとすれば。つまり、観客参加型などというレベルとは全く別の次元で、タネ自体は秘密でもなんでもなく、かつ観ている人間が直接タネの構成に関わる様な手品が確立されれば、そのインパクトは「落ちものパズル大氾濫」と同様エラいことになるのではないだろうか、と、書いてしまえば割とどうでも良さそうなことが私の意見な訳である。


勿論、上記の文章には幾つかの保留点がある。

・手品はそもそも、「解く」ことが中核にない。
・最近の手品業界に関して私があんまり知らない。
・そもそも「手品業界」というものがどんな構造をしているか私が知らない。
・「テトリス的なもの」が手品の枠に収まるのかどうか私が知らない。

ダメじゃん、とか思わないでもない。

とりあえず、Google先生に尋ねてみたら日本奇術協会というものを見つけた。気が向いたらどんな構造なのか調べてみようかしらん。

それにしてもアンビシャスカードってなんかスゴイですよね。話術も手品の内なんだろうけど。
posted by しんざき at 12:28| Comment(2) | TrackBack(1) | 雑文

2007年08月16日

リフレインというものが好きだ。


GダライアスのEDで、初代ダライアスの「Boss7」のメロディが流れるのが好きだ。

雷電IIで、長い長い弾除けと撃ち込みの果て、最終面で突如2面のBGMが流れるのが好きだ。

「ワルキューレの伝説」のEDで、「冒険」のメロディが流れるのが好きだ。ドラクエIIのオープニング音楽が、IIIのエンディング前で初めて流れるのが好きだ。ギアガの大穴に落ちた後、突如流れ出すアレフガルドの曲が好きだ。FF9で、不意打ちの様に流れる「ウネとドーガのテーマ」が好きだ。

悪魔城シリーズで、初代のBGMがこれでもかとアレンジされまくる、あざといまでの演出が好きだ。

ガンフロンティアの5面ボスで、突如一面のBGM「砂漠の山嵐」が流れるのが好きだ。好き過ぎる。熱くて死ぬ。


音楽用語としての「リフレイン」の正確な意味がどうなのかは知らんが、んなこたまあどうでもいいのだ。「以前に聴いたフレーズが、様々な展開を挟んで再び流れ出す」という演出が、とにかく私は好きなのである。


ということで、何で好きなのか、ということを自己分析してみたよ。


・BGMというものは、視覚と結びついて非常に深く記憶に残り易い。

・昔そのBGMを聴いていた頃の、「楽しかった記憶」とか「大変だった記憶」とか「グレートシングとの戦いの記憶」とか「2面でボムを使い切って雑魚敵の高速弾に瞬殺された記憶」みたいなものが頭の中に去来する。

・「うおお、こう来たか」みたいな混沌とした感嘆。

・目から塩水。



ただ、この「好き度」は、いき過ぎると「○○の音楽がアレンジされているって!?買う」などという、食い物にされやすいレトロゲーオタの典型の様な行動を示してしまい勝ちになりそうな気配もある。


結局、「昔の思い出がプラスの電荷を帯びている人というのは、割と安く食い物に出来る」という結論が出せそうな気がしないでもない。レトロゲーオタって軽く昔のBGM挟んでおくと勝手に感動してくれるから楽だよね、みたいな。


いいじゃねえかよ別に。奇々怪界2作れこの野郎。
posted by しんざき at 19:26| Comment(3) | TrackBack(0) | レトロゲーム

2007年08月13日

今日のしんざきの近況報告だけ 07/08/13


新生活な訳である。

土曜、一月余りお世話になった奥様実家から、奥様・息子を回収。日曜に加えて月曜は休みをとって、埼玉県の縁者に息子を見せて来た。その後、東京の自宅。奥様は一ヶ月振り、息子にとっては腹の中にいた頃以来の帰宅となる。

息子にとっては見慣れない環境連射な訳で、興奮することしきりの様子。お蔭で寝つきは悪い。取り敢えず、うちに待機していたオコジョやフクロウの縫いぐるみ、及び謎の赤猿を息子に紹介しておいた。当面、将来的に彼が喜んで遊ぶアイテムを増やすことが私の目論見である。

現在までに分かったこと。

・男親は初孫にデレデレになる、というのはどうも本当らしい。
・両足をもって上下に小刻みに揺らしてやると寝つきが早い(うちの子だけかも知れない)
・通例、長男は親の経験不足の為、入浴なども恐る恐るであるので、頭を洗う時目を開けられなくなるなどという話を聞いたが、うちの子に関してはそうでもないかも知れない(遠慮会釈なく顔にお湯がかかりまくっている)
・当面、生活のリズムが確立するまでは奥様になるべく手抜きをしてもらう方針。
・縁者宅に全巻揃ってるエリア88を久々に読破してしまったが、やっぱ超おもしれえ。エースコンバット5を引っ張り出したくなった(実行済み)。
・シンをカテゴライズするとしたら「天然キザ」ではないかと声を大にして主張したい。
・それはそうと、「Face of the Coin」はいい曲ですよね。
・チョッパー・・・(´;ω;`)

ということで、ちょっと今からハミルトン大尉シメてくる。
posted by しんざき at 23:44| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月10日

今日のしんざきが情報収集に関する質問に答えてみる 07/08/10

折角まなめさんに言及して頂いたので、ちょっとばかり頭を傾けてみることにした。バトン形式に慣れてないので、質問項目は適当にシェイキンします。


・ RSSリーダーやアンテナを使ってるかどうか。

ここしばらく、あんまり使ってないなあ。一応、Firefox + Sageの構成で装備はしてるし、そこからどこか飛ぶこともあるけど。


・ソーシャルブックマーク(SBM)を使ってるかどうか。

最近はてブ使ってます。


・その他情報収集に使っているツールはなんですか。

ツール、ツール、と。強いて言えばSkype。


・他人にこれはお勧め!と思う方法は?

なんでしょ。強いて言えば、Webだけに頼らないこと、かな(趣旨から外れるのかも知れんが)

「自分にとって面白い情報・役に立つ情報」をWebで探すだけなら、自分と波長があったニュースサイトさんを巡回するか、SBMを巡回することで大部分フォロー出来ると思うのですよ。ニュースサイトさんの凄さには頭が下がります。

じゃあそこから漏れるものって何かいな、とか考えると、当たり前だけどWebに載ってない情報なんで、普段から知人や元仕事仲間と連絡をとって、面白い話が聞ける様に努力してます。特に自分と業界が違う人の話はなんであれ面白い。

うちのブログに上げたものでいうと、漫画関係のエントリーは大体そのパターンが起点だったりします。そういやマガジンが最近大変らしいですね。詳しく知らんけど。


あと、これはたまにやってるだけなんだけど、Wikipediaで「最近更新したページ」をじっくり見てみると色んな読み方が出来て面白かったりしますよ。Wikipedia、必ずしも正確じゃないってことさえ頭に入れてればすげえお役立ち。


・逆にこれはお勧めできないな、と思う方法は?

間違った情報収集の仕方、っちゅーもんは無いんじゃないかな。強いて言えば、「肌に合わないな」と感じたサイトをしつこく見続けること。


・情報収集で良く参照するサイトは?

まなめはうすがあれば十分じゃね?

というコピペは消しちゃダメだと宇宙からの電波にオススメされました。カキ氷とかまとめて食べると脳内に響いてくるアレです。

まあ実際の所、「普段から肌に合うニュースサイトさん」と、「凄くツボにはまるサイトを紹介してくれることがあるニュースサイトさん」はたくさんある訳で、結構色んな所を回ってます。まなめさんとこ以外で頻度が多いのはかーずSPさん、RinRin王国さん駄文にゅうすさんゴルゴ31さんマンガ☆ライフさん辺りかな。あとはてブ。


・自分のブログで良く言及・リンクするサイトは?

あんまり「良く言及するサイト」って多くない気がするけど、上記ニュースサイトさんで見かけたサイトについて何か書くことは多いかな。


・逆にここは参照してはいけない、と思うサイトは?

不倒城にはヨタ話が書いてあることが多いから注意した方がいいと思います。


・WEB以外で良く情報源にするものは?

って、なんだ、こっちに該当する質問事項があるじゃないか。
取り敢えず、何はともあれ「人」です。色んな業界の人とお知り合いになれる様控えめに努力してます。

それと昔の商売柄、電車の吊り広告の比較対照で色々考えたりしますね。重要なのは読むことじゃなくて、比較すること。


というくらいかなあ。なんか、書いてたら色々思いついたんで、個別にまた何か書くかも。
posted by しんざき at 13:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月08日

レトロゲーム万里を往く その66 セクロスの悲哀と、主にバイクゲーのヨタ話。

まず最初に、あなたはGoogleの検索結果を参照するべきだ。そして、画面に示される惨憺たる事実に、衝撃を受ける必要がある。


そもそも、キミらニチブツに申し訳ないとは思わんのか。1ミリグラムも思わんのか。


移植・開発なんでもござれ。クレイジークライマーを、ムーンクレスタを、テラクレスタを、そしてF1サーカスを世に送りだしてきたニチブツに対して、私は暗く深い哀惜の念を禁じえない。

一体ニチブツが何をしたというのだ。ラクロスの巻き添えをくらってしまったとはいえ、代表作の一つが性行為の言い換え語に使われてしまう様な、そこまで悪いことをニチブツはしたのだろうか?結構面白いゲームだったんだよ?セクロス。なんつーか、俺たちがエキサイトバイクで感じていた、「チクショウ、今弾撃ってこいつ撃破出来たらすげー気持ちいいのになあ」という類の野望を満たしてくれるゲーム、みたいな感じで。

そう、セクロスはまさに「諸行無常版エキサイトバイク」とでも言うべきゲームだったのだ。エキサイトバイクでは轢かれても轢かれても平気な顔でバイクの元に駆け戻っていたあの連中が、セクロスでは壁にぶつけられただけであっさりと爆発炎上して影も形も見えなくなる。

エキサイトバイクで広まった、「ああ、バイク乗りって基本サイボーグなんだね、強くてカッコイイ!」などという危険極まりない誤解を、セクロスは「あ、やっぱり人間高速で壁に激突すると死ぬんだ、そりゃそうだよな・・・」とか「やっぱりバイクって後ろから射撃されまくると爆発するんだ、そりゃそうだよな・・・」という正しい認識に矯正してくれたのだ。これによって、当時バイク乗りを目指していた何人の少年が救われたことだろうか。

正味な話、「エキサイトバイクに憧れて二輪免許をとった人」よりは、「セクロスに憧れて二輪免許をとった人」の方が遥かに適性が上なんじゃないかと私は考えるのだ。一方はジャンプ台と見ると突っ込んでお空をカッ飛ぶところ、一方は「弾避け」の概念を学習しているから通行人を巧みに避けることも可能。母数がそれぞれ何人いるかは知らんが。
後にマッハライダーまで発売してバイク乗りの不死身っぷりを喧伝した任天堂に比べると、ニチブツは国土交通省に表彰されてもいいくらいなんじゃないかと思う(思わない)。


っていうか、任天堂は何故あそこまでライダーを不死身にしたがったんだろうか。ものすげー勢いで100メートルくらい大ジャンプして、着地に失敗して5回くらい前転しても平気な顔してバイクに駆け戻る(ボタン連打で加速)エキサイトバイク。1ドットでも岩石に触れるとライダーごとバイクが大爆発するけど、何故か一瞬後には分割されたヒトデの如く集合・再生するマッハライダー。当時の任天堂の中の人たちには、仮面ライダーV3か戸愚呂兄が含まれていたに違いない。


と、まあ、話が凄絶に逸れまくったが、一体何の話だっけ。ああ、一般語化の話だったな。


ゲームの一般名が「ファミコン」となってしまったことと微妙に似て非なる例は、レトロゲーム業界でも割と頻繁に見られる。つまり、いつの間にやら一般的な言葉・現象として定着してしまったが、元ネタが何だったか知らない人も多い、という現象だ。セクロスはまさにこの現象に見舞われたのである。発祥の経緯はちょっと違うみたいだけど。


プロ野球の多村仁のことを「スペランカー」と呼ぶ慣わしは、昨今元ネタを良く知らない一般の人にまで及んできた様子だ。パックマン買収も証券の世界では既に一般語である。


フジテレビがバレーボールのイメージキャラクターにパチ夫くんを採用したことは記憶に新しいし、「竹槍をとると死を招く」という都市伝説はいまや世界的に広まっているし、数理学会にはゼビ数字の元ネタがゼビウスだと知らない人が結構いるらしいし、バントでホームランはすっかり一般的なテクニックになってしまった。一般化は母体が大きければ大きい程影響が巨大であるというが、ファミコンの市場がいかに一般に膾炙していたかが分かろうというものである。

っていうか、このエントリー4月1日の日付にしといた方がいいかしらん。←ダメなブログ運営の例



一応参照URLを挙げておく。
セクロス(YouTube)
エキサイトバイク(Wikipedia)
マッハライダー(ファミコン探偵ブログ)


ところで、ニチブツって最近何やってるんだろう。企業沿革もないし年間売上は20億円のままになってるし、ホント謎。
posted by しんざき at 11:59| Comment(6) | TrackBack(0) | レトロゲーム

2007年08月07日

「主流でないこと」こそがブログの価値を上げる。


なんか、色んなところと微妙に話題が被る様な気もするけれど、まあ折角書いたのだからアップしてみよう。

「注目を引かない話題」それ自体に価値を認めてもいいんじゃないかなーという話。私自身の指標である。


5年ぶりくらいに会った知人が、ブログをやっていた。

かつてよく顔を合わせていた頃は、WebのWの文字もタイピング出来ない様なヤツだったので、ちょっとびっくりした。はてブの注目エントリで見かけたこともあるブログだったので、二度びっくりした。取り敢えず名前は出さないが、その内こっそりリンクするかも知れない。

で、その知人と一つ二つ、ブログに関して話をした。一点が、反応欲求と送信欲求の話。以前にもちらっと書いたけど、また折を見て補足する。とはいえ、「ブログを書くモチベーションは、書きたいという欲求と、反応が欲しいという欲求の二軸で説明出来る」ということと、「二種の欲求のバランスが崩れるといい結果を招かない」という考えに特段変化はない。


で、もう一つが、ブクマされる記事、されない記事という話だ。


話はソーシャルブックマーク、例えばはてなブックマークに収束する。

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posted by しんざき at 13:00| Comment(3) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論

2007年08月06日

ゲームブック半里を往く その2 悪魔に魅せられし者

この本が出た当時の空気というものを、私はもうよく思い出すことが出来ない。


創元のシリーズで言えば、ゲームブック普及の立役者となった「ソーサリー」のシリーズは既に4冊出揃っていた筈だ。

双葉社の「やや対象年齢低め」系、ファミコンタイトル群のゲームブックシリーズも既にぼちぼち出始めていた様であるし、創元からもナムコの「ゼビウス」が既に発売されていた。

創元系のゲームブックにくっついていた、ファン同人ノリの小冊子「アドベンチャラーズイン」は既に賑やかなファンの声で埋め尽くされていたが、日本語版の「ウォーロック」はまだ姿を見せていなかった。そんな時代だった。


新しく生まれた「ゲームブック」という市場のファン層は沸き立っていて、市場としてのポテンシャルはかなり高かったと思うが、この当時のゲームブックはまだまだ「RPG」であり、つまりは「D&D」とか「T&T」、あるいは「ドラゴンスレイヤー」の眷属だった。ゲーム「ブック」としての本来の強み、コンピュータゲームに対する圧倒的な優位性であった筈の、「ストーリー性」を前面に打ち出した作品はまだまだ姿を見せていなかった様に思う。

「洋ゲー」と「国産ゲー」の違いというものは面白いことにゲームブックにも存在しており、ゲームブック晩期においても「主人公に顔がある」ゲームブックは洋ものでは少数派だったと思う。日本の二大RPGの一柱であるFFが辿った道を考えれば、「物語的な」ゲームに対する需要、というものは日本においてはかなり広範だったと判断するべきだろう。


そんな中、創元推理文庫から満を持して発売されたのが、後に日本人著作ゲームブックの代表的な存在となる「ドルアーガ三部作」である。
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posted by しんざき at 16:32| Comment(8) | TrackBack(0) | ゲームブック

2007年08月04日

今日のしんざき 07/08/04

会社で、漫画やゲームなどとはまるっきり縁遠そうだな、と思っていた同僚と漫画の話になった。

寄生獣だのレベルEだの、「メジャーコア(造語)」とでも言う類の漫画の話で盛り上がった後、「今度面白い漫画を持ってくる」というので何かと思って待っていた。

翌日、私は割りと大きめの装丁の本を手渡された。表紙には女の子二人が絡み合っている絵が描かれており、タイトルは「少女セクト」。・・・コミックメガストア?

「・・・エロ漫画じゃないんですか、これ?」
「気にするな。読め。面白いから」
「これでも一応私、妻子もちなんですけど」
「心配するな、18禁じゃないから」

まだ読んでないけど、ぱっとめくるとごくナチュラルに女の子同士の絡みが出てる様に見えるんですけど。

一応社会人始めて何年か経つけど、会社でレズ漫画を渡されるのは流石に初めてだ。色々なことが起きるもんだ。

ちなみに私は、カウンターとして「未来警察暴力課」を謹んで上梓しておいた。この絵ヅラの乖離、絶望的なまでの方向性の違い。漫画の貸し借りはこうでないといけない。まあ、彼がギャグの壁を超えられるかどうかは定かではないが。

・今日の息子研究。

奥様の実家。

とにかく息子は定期的に腹を空かせて非定期的に泣くので、一緒にいる母親はなかなか休まらない。オムツを替えようが母乳をあげようが部屋を涼しくしようが泣く時は泣く、という辺り、まさに赤ん坊の仕事は泣くことであるようだ。

息子観察が面白いのはいいとして、それとは別に「一人の時間」がまるでとれないのはキツい面もあるだろう。思うに、出産後の気分の消沈というのはこれが一因ではないかと思う。

ということで、今日は「母乳を飲み終わって、でも寝る気配はない」というタイミングで息子を拉致ることにした。目標は一時間以上奥様を休ませることである。母親無しでいかに間を持たせるか、父の決死の挑戦が始まる。

泣き出しそうな気配を察するつど、「ほーらこれがインコだー」とか「ほーらあれが鰯雲だー」に始まり、ドルアーガ45Fの宝箱の出し方から打ち返し弾の誘導の仕方まで、様々な話題を駆使して気をそらそうと試みる訳である。無論息子は、グラIIの一周クリアどころかコントローラーを握ったことすらない訳であって、基本的にはほけーっとしておるのだが、一応話している間は比較的機嫌が良い。

この感覚は何かに似てるな、とふとデジャブを感じた。

記憶のアーカイブを掘り起こして、気付いた。そう、あれは学生相手のとあるプレゼン、てっきり5分の発表時間だと思ってそのつもりでレジュメを作っておいたら、「1時間とっておいたのでたっぷり話してやって下さい」といわれた時のあの空気だ。本来なら30秒で消費し尽くす内容を水増しに次ぐ水増しで20分もたせるという、一歩道を踏み外せば一巻の終わりというオペレーション・タイトロープ。まさに気分はエリア88。あれは大変だった。

アドリブ力を鍛えたい人には、赤ん坊の気を逸らし続けるという任務は結構いいのかも知れない。これからもたまにやろうかと思う。
posted by しんざき at 23:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月03日

半端なシステム用語に秘められた謎。

すいません、今回の話、知らない人には意味分からないと思います。私自身未だによく分かってないけど。


会社の会議で、良く分からないタイミングで不可思議な技術用語を使う人を見かけた。場面は会社の会議室、プレゼン上の話である。

件の人は30台後半の協業他社さんで、システムの人間ではなくどちらかというと営業担当の人である。私とはそれ程面識がない。

大体こんな文脈だった。

「結局現在のボトルネックはどこかといいますと(中略)、両組織間の作業スケジュールをデプロイすることが必要であろうと思う訳です」


・・・・・・・・・・・・デプロイ?(ここでボールペンを取り落とす)

流石の私も意表をつかれた。最近大抵のオトナ語には免疫が出来たし、「カンファ」だの「アジェンダ」だのという言葉が頻出しても眉一つ動かさない様になったつもりなのだが、昨今はWebサービスのシステム用語まで会議に、しかも一応責任者が居並ぶ戦略会議に大氾濫しておるのか。

というか、このヒトはデプロイを一体どんな意味で使ってるのだろうか。

知っている人には自明だと思うが、デプロイとはアプリケーションの配置・実行準備のことであって、一般的には「インストール」と似た様な文脈で使われることが多いんではなかろうかと思う。参照:デプロイ


しかるに、作業スケジュールをデプロイするとは一体何事だ。スケジューラでもインストールするつもりだろうか。あるいは、まさかとは思うが、スケジュールの再調整とかすり合わせという意味でデプロイという言葉を使っているのか?「システム用語を強引に解釈するスレ」でも立ててみるべきなのか、あるいは私が知らないだけで本当にそんな意味があるのか。


などと私がメダパニっている間に、なおもプレゼンターは喋り続ける。時折思い出した様に「デプロイ」という言葉を混ぜながら。聞いていると、必ず「スケジュールの」という頭言葉がつく文脈である。となると、やはり「再考」とか「すり合わせ」なんだろうか?


横でさかんに首を捻っていた他の部署のおっちゃん(リアクションが激しい人なのである)が、私に「デプロイって何?」などと書いた紙をこっそり押し付けてきやがった。うるせえ俺にも意味わかんねえよググれ、とか思ったので、「フッ素樹脂加工の名前です」と書いて差し戻したらますます首を捻っていた。この場合プレゼンターが悪いのは自明なので、私は反省してない。


と、この辺で私が若干油断していたことは否めない。この数瞬後に、同レベルで強烈なヤツが来た。


「という様な状況ですので、対面主導体制にAvastすることが必須な訳です」


一体いつの間にウィルス対策ソフトの話になった。

この用語も三回ばかり立て続けに出たので、横のおっちゃんがまたしても私に紙を回してきやがった。うるせえググれ。

「あばすとって何?」
「アジャストの言い間違いじゃないかと思います」

おっちゃんのリアクションが激しいことを忘れていた。紙を差し戻した瞬間、おっちゃんは「ああ」とばかりに頷きながらデカい音で手を叩きやがった。席上の視線が一斉におっちゃんに向いたので、私は関係ないことをアピールしつつ視線の付和雷同を行うのに苦心する羽目になった。次からググれおっちゃん。


ということで、一応今回の結論。


・響きが良い言葉を使いたくなったら、まずググろう。
・会議中にデカい音を立てるのは避けよう。


なんかおっちゃん副社長に怒られてたけど別に俺のせいじゃないよね?
(´・ω・`)←こんな顔してた。
posted by しんざき at 13:36| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月01日

今日のしんざき 07/08/01

前回の人狼記事、実はまなめさん(人狼プレイヤーでもある)に反応してもらえると嬉しいなーと思いながら書いたのだが、マンガ☆ライフさんRinRin王国さんクローン人間現るッッッ!!さん、そしてかの切込隊長にまで取り上げて頂いてしまった。ちょっとびっくりした。

上記の記述、これ書いてる時点で確認してる分だけなので、漏れてたらすいません。

人狼BBS熱は順調に再燃中なのだが、考えてみると今夏休みだな。村入って大丈夫なんだろか。突然死連射だけは勘弁。

暇な時にでもF国ログを覗いてみるかな、と思いつつ、必要とする肉体的・精神的コストを計算してしまう私。仕事は大丈夫なのか、ということについては敢えて考えない。

以下、日記とか、気になった話題とか。


・土曜日は飲みにいった件。

しょうたさん迎撃飲み。最初はTUKINさん、NEWさん、私、ひかりさんで5人、その後あじさんとtetonさんを加えて7人。あじさんに関わる色々なインタビューと、あとは飲んだ暮れ。

飲み自体も面白かったが、その後東京村以外では初の柏木体験が、個人的には大きかった様に思う。シャドウハンターズを初めてやったが、非常に楽しかった。でもこんな時でも人狼を引く私。何の呪いだ。

息子へのプレゼント、皆さんありがとうございました。


・気になったURLとか。


しない善より、する偽善

自分で偽善と感じる様なものは、そもそも偽善ではないのだろう。文中で語られている通り、それは単なる自己卑下である。

本当の偽善とは多分、もっとシビアで崇高でダメなものである。喩えていうなら、「電車から降りる時、自分が座っていた席に座ろうとした人を押しのけて、隣にずっと立っていた老人を座らせてあげる」という様な行為のことをさすのではないかと思う。

昔どっかで読んだ例だけど。


mixi、アバターとゲーム導入検討 18歳未満への開放も視野

ほほー。
人間関係拘束力的なインフラは既に整っているから、次はそれをゲーム部分とどう絡めるか。って、それについては以前ちらっと書いたな。

参照:mixiとネトゲの比較論

今後、mixiとどこかのネトゲメーカーとの提携話が進むんじゃないか、とか予想してみる。


SRシューティングゲームヒストリカ (ゲームミュージックなブログさんで見た。)
・R・TYPE アールナインエー(アローヘッド)
・イメージファイト オーエフワン(ダイダロス)
・グラディウス ビッグバイパーT301
・グラディウス2 メタリオン
・ダライアス外伝 シルバーホーク(プロコ機)
・ダライアス外伝 シルバーホーク(ティアット機)

   。 。
  / / ポーン!
( Д )

まるで私を狙い撃ちしているかの様なラインナップ。生まれて初めて、ちょっとフィギュア欲しいかも、とか思ってしまった。

ただ、アレだよなあ。ダラ外から出すなら、やっぱボスだよなあ。グレートシングとかバーミリオンコロナタスとかラインナップに乗ってたら、捨て身で釣られるかも私。タイタニックランスでもいいぞ。


ディズニー:FF11の地図データ無断使用で謝罪
ミリアル社が調査を進めたところ、制作を請け負った外部デザイナーがスクウェア・エニックスに無断で流用していたことを認めたという。
別にこの件がどうこうということではないが(この場合、外部デザイナーは本当にいたんだろうし)、「盗作が判明」→「外部委託業者のせいにする」というメソッドには何か名前をつけるべきじゃないだろうか。そうだな、「盗作スルーパスメソッド」みたいな感じで。

昔何度か、この類の処理が行われる実例を目の前で見た。もっとも、私が見たのは大体押し付けられる側だったけど。




・オーケストラについて、さっき浮かんできた疑問。

何故、いわゆる巨匠の古典クラシック音楽というものには、あまり「歌」が含まれていないのか。というか、N響とかみている限り、現在でもフルオーケストラにソロボーカルが含まれていることってあまりない様な気がする。

前提知識が全くないのだが、その場で考えてみた幾つかのもっともらしい予想。

一点目、オペラの存在。オケは飽くまでオペラのバックグラウンドとして発展したものであり、歌はオペラの側だったから、ボーカルをオーケストラに導入するという発想がなかった。

二点目、キリスト教の存在。歌はどちらかというと宗教的な文化、例をあげれば賛美歌などに用いられるものであり、宗教的な意味を孕んでいたから、畑違いのオーケストラに用いられるという発想がなかった。

三点目、記述・記法の問題。クラシック音楽というのは、要するに過去の作曲家が作った楽譜である。作曲家本人はヴォーカルを取り入れることに抵抗をもっていなかったとしても、そもそも楽譜内にヴォーカルのパートや歌詞を盛り込むという文化や記法がなかった為、結果としてヴォーカルパートは過去の楽譜に存在していない。

四点目、分業の問題。作曲家と作詞家は全く別の職業であり、作曲家が作詞を行う例がそもそもなかった。必然的に、クラシック音楽の巨匠が残した楽曲には歌詞・ヴォーカルパートが含まれていない。

五点目、音響の問題。オケの楽器にハれるだけの音量を、ソロヴォーカルでは出すことが出来なかった。・・・んー、オペラの存在を考えると弱いか。

六点目、巨匠の周りには音痴しかいなかった。


とまあ、幾つか予想を立ててみたはいいのだが、これらの真偽は一体どう調べればいいんだ?私は古典音楽に関しては完全無欠の門外漢なので、何を調べればいいかすらワカラン。

取り敢えずWikipediaでも漁ってみるかなあ。
posted by しんざき at 12:32| Comment(3) | TrackBack(1) | 日記