2007年08月20日

浦沢直樹は、「短距離ランナー系」漫画家なんではあるまいか。

今回のテーマ、タイトルだけ。よく言われる話なのかも知れんがまあいいや。

といっても、別に浦沢直樹が短編に長じているんじゃないか、と書くつもりはない(パイナップルアーミーは割と好きだけど)。むしろ逆で、「シリーズもの長編の一冊目」を面白く描くには、彼は出色の腕前を持っているんじゃないか、という話だ。

などと思ったのは、ekkenさんのこの記事を読んだからである。
2007 6月後半から7月に読んだ本
初期のころは「このコミックに日本SF大賞か星雲賞を!」などと思っていたのだけど。
まあ作品自体が面白いかどうかは人それぞれだから置くとして。

思うに、浦沢直樹は「面白そうな序盤を描くこと」に関しては天才的な才能をもっていると思う。もう少し限定的に書くと、「設定の生かし方」及び「伏線の散りばめとストーリーとの絡ませ方」が非常に上手いんではないか、ということになる。

私の想像だが、浦沢直樹自身(編集者さんかも知れないが)、当然この「上手さ」を自覚しているのだろう。だからこそ、最近の浦沢漫画が「伏線自体をテーマにした」作品ばかりなのだ。序盤面白いことが保証されている、ということ程編集サイドにとって心強いものはない。

それに対して、伏線の展開・収束に関しては若干バランス的に劣るから、結果として終盤のパワーが序盤に比して落ちるのではないか、と私は思ったりするのだ。

この傾向は、20世紀少年やMONSTERどころか、YAWARA!の頃から既にあったと思う。YAWARAの場合は、物語のテーマが伏線自体にはなかったから問題を生じなかったけど。

だからこそ、「そろそろMASTERキートンみたいな、伏線自体はテーマじゃない漫画を描いてくれないかなー」と私は考える訳である。


で、それと比較してみたくなるのがジャンプ系の漫画家だ。例えばドラゴンボールや幽白に関してよく言われることだが、「序盤とそれ以降の展開が全く違う漫画」をどう位置づけるべきなのかに関して、私は首傾する。

編集者さんサイドの動きの方が大きいのだろうとは思うのだが、少年漫画誌のあるゾーンにおける漫画は「長距離走破に向けてスタミナを温存すること」を常に外部から求められた作り方をしていると思う。展開に頭を悩ませる必要がない格闘系に走りやすいのは、その一つの顕れに過ぎないのではあるまいか。


一方で、冨樫義博という人に短距離走をさせてみたらどういう訳かレベルEが完成しちゃいました、というのが95年〜97年のジャンプだったんじゃないかと思うんだけど、色んな意味ですごいですよね冨樫さん。ハンター再開するって本当かいな。
posted by しんざき at 12:23| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

批判の批判に思うこと。

ちょっと迷ったけど、気になったから書く。

サヨ、カスラック、マスゴミ批判で一丁上がり!
こうした光景は昨今のネット界隈でも見られるからだ。たとえば「左翼」と「JASRAC」と「マスコミ」の3点セット。これらを「サヨ」、「カスラック」、「マスゴミ」に置換してアジビラまがいの文章を書いている手合いからは、確固たる思想信条は感じられない。

何故確固たる思想信条が感じられないかというと、そもそも思想信条が読み取れる様な書き方をしていないからだろう。単純な話である。

そこに本当に思想信条が存在しないのかどうか、単に時流に流されているだけなのか、それとも書いてないだけで実は深い根拠があるのか、んなこたあWebに存在する文言を読むだけじゃ分かりはしない。そこにあるのは、「根拠の明示なく(=思想信条の表現不足)口汚い論難・総括をした(=サヨとかカスラックとかマスゴミとか)」という厳然たる罪であり、
あわよくばアルファブロガーから好意的に言及されたり、個人ニュースサイトに紹介されたり、はてなブックマークの人気エントリーになればいいという、浅ましい欲望しか感じられない。

この様にたたかれるのは、まあ仕方ないことではあるんだろう。

勿論ここにはブーメランが潜んでいるんだけど、一旦回避して話を続ける。
しかしいま、カスラック批判やマスゴミ批判を憑り付かれたように書いているひとたちは、そんな自分を「はしたない」と将来、思うのだろうか。

上記の「罪」を分解して繰り返してみよう。ここで書かれている様な「ひとたち」の、反省するべき罪は何だろうか。

・明確な(背景or思想信条or根拠)の明示を怠った。
・口汚い総括を行った。

この二点に関しては、まあ、「はしたない」と感じるに十分であろうと私も思う。私自身は、「口汚いということは、アクセス数を稼ぐのと同時に言説の説得力を大幅に低下させる」と思っているんだが、まあWebも色々だなあ。と。


で、だ。「サヨ、カスラック、マスゴミ批判」「アジビラまがい」という総括に、私は若干の口汚さを感じるのだけど、その点どうなんだろう。大塚氏に関する前段と結語が根拠ってことなんだろうか。私自身は、例示されている様な大塚氏の言説と、「いわゆる」つきのマスコミ批判やJASRAC批判を同列に語ること自体が既に飛躍じゃないかと思うんだけど。


もっと単純に書くとこうなる。「思想信条を欠いた総括を批判している人の総括に、思想信条が明示されてないのはどうなんだ」と。

更に単純に書くと一言になる。「これ、ブーメランじゃね?」

ここからは所感。というか、ブーメランか。

思うに、「同文中に明確な思想・根拠の明示がない、批判的な総括」というものは、かつてはメディアの側の専売特許だったのではなかったか。この武器を、発祥以来メディアは一瞬たりとも手放したことがないんじゃないか、と私は思う。たとえば週刊誌広告のヘッドラインが代表的な例だろう。ヘッドラインでの総括の仕方なんて、メディア界の隅っこの隅っこに生息していた私でさえ指導を受けたことがある。

根拠を常に隙なく明示しなくてはならない、なんてルールは存在しないし、仮に存在したとしたらひじょーに文筆は窮屈になる。だから私は、「根拠の薄い批判」を否定はしない。私だってやっていることだ。

ただ、どちらかというとメディア側の文法に長けている人が、Webの「根拠薄き総括」を批判するというのは、ちょっとずるいんじゃないかなあとか思わないでもない訳だ。
posted by しんざき at 01:58| Comment(5) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする