身の回りにSE志望の若者がすげー多い。大学の後輩とか、数件就職の相談に乗ったりしたが、皆さん軒並みSEである。なんつーか、ちょっと複雑な気分になった。
一方、昔いた会社の同期に、SEから離職してSE以外の仕事に就いた人がすげー多い(多分離職者中8割くらい)
人は何故、IT業界に疾く来たりて疾く去るのか。SEという職種に関して、何か重大な錯覚があるんじゃないか、という気がしてならない。
一言で言うと、技術職に憧れてSEを目指すと間違えることが多い、とかそういうことなんじゃないかと。
以下、同僚と話したりして思ったこと、箇条書き。まとまってないので後から整理するかも。
・「IT業界の労働条件がそれ程良くない、会社によっては底辺」というのは、昨今割と有名である様な気がする
・つまり労働条件に関しては、SEを志望する際にある程度計算に入っている筈である
・無論、労働条件の悪さは重大な離職理由になり得るが、「思った様な仕事じゃなかった」という話もよく聞く
・技術職だと思ってIT業界に入ってみたら違いました、みたいな人がかなりいるんじゃないか?
・文系出身でも技術が身につけられる、みたいな志望理由を割と聞く。まあ全くの間違いとは言わないが、えーと。
・そもそも、「技術」という言葉に対して、具体的にどんな内容を想像しているのかがいまいち曖昧。PGになりたいの?と聞くと、どうも違うみたいだし(というか、PGに関しては逆に悪いイメージがある人が多い気がする。どっちかで完結する職じゃないと思うんだが)
・勿論会社にもよるけど、イメージしている様な技術が身につく仕事ばっか出来る訳じゃないデスよ。というか、いわゆるSE中の何十パーセントかはそもそも技術職じゃないんじゃ(略
・っていうか、技術職としてのSEにちゃんとなれるかどうかってのは運次第(及び、携わるプロジェクトと本人の才覚次第)だよね、という事実は広く知らしめるべきなんじゃないか?
・技術職出身の上司が上手い具合に仕事を振れない、というケースもたくさん聞く。これも一因かも。
・仕事を振るより自分でやっちゃった方が遥かに速い、というのは正直分からんでもない。振るのも仕事の内だからマネジメントはちゃんとやるけど。
・「IT業界は人手不足」といううたい文句は10年以上前から言われてるけど、これも一種の都市伝説というかなんというか。人手不足なのは確かだが、足りないのは(Googleで検索するとたくさん引っかかるので略)
今更何書いてんだ、といわれると困り顔になる。
----------------------------------------------
(追記 07/09/29 10:32)
ちょっと追記。
最大の問題は、技術職への憧れと、いわゆるIT技術というものに対する認識違いなんじゃねえかなーとか思い始めた。「SEになりたいけど、PGはちょっと」みたいな言葉にそれが表れている様な気がする。
もうちょっと考えてみるかな、と。
2007年09月27日
2007年09月26日
受験の最大の意義って何かとゆーと
「今後の人生を左右する」と錯覚出来る程度にはでかい勝負ごとを、比較的ローリスクで経験出来ること、なんじゃないだろうか。
振り返ってみると、受験の緊張感というものの大半は錯覚なんじゃないか、とか思う。実際の所、受験に落ちようが受かろうが、人生が即座にバラ色になる訳でも黒ベタになる訳でもない。大学を入った後何が得られるか、ということには、実は受験と直接の関係はない。それでも、落ちれば本気で悔しいし受かれば本気で嬉しい、という勝負ごとの場というのは、人生において結構貴重だ。
最近の自分の生活を鑑みるに、どうも勝負ごと成分が足りない様な気がする。よく言うと安定しているし、悪く言うとヌルい。排除しなくてはいけない障害もそれ程ない。
社会人になってからは、人生を左右する程の勝負ごとは割と本気で人生を左右してしまうので、家族もちの身では流石にほいさっさと実行は出来ない。私は元来勝負ごと大好きの少年漫画的気質の人なので、若干の欲求不満がないでもない。
まあヌルければハードルを上げればいいのであって、取り敢えずはまた資格試験でも受けてみようかと思う訳だが。今度はOracleGoldでも頑張ってみようかなあ。もうすぐ11g出るらしいけど。
などと、テスト待ち時間にちょっと考えたこと。現在Webの情報を定例遮断中。たまーに情報をシャットアウトしてみたくなることがあります。
振り返ってみると、受験の緊張感というものの大半は錯覚なんじゃないか、とか思う。実際の所、受験に落ちようが受かろうが、人生が即座にバラ色になる訳でも黒ベタになる訳でもない。大学を入った後何が得られるか、ということには、実は受験と直接の関係はない。それでも、落ちれば本気で悔しいし受かれば本気で嬉しい、という勝負ごとの場というのは、人生において結構貴重だ。
最近の自分の生活を鑑みるに、どうも勝負ごと成分が足りない様な気がする。よく言うと安定しているし、悪く言うとヌルい。排除しなくてはいけない障害もそれ程ない。
社会人になってからは、人生を左右する程の勝負ごとは割と本気で人生を左右してしまうので、家族もちの身では流石にほいさっさと実行は出来ない。私は元来勝負ごと大好きの少年漫画的気質の人なので、若干の欲求不満がないでもない。
まあヌルければハードルを上げればいいのであって、取り敢えずはまた資格試験でも受けてみようかと思う訳だが。今度はOracleGoldでも頑張ってみようかなあ。もうすぐ11g出るらしいけど。
などと、テスト待ち時間にちょっと考えたこと。現在Webの情報を定例遮断中。たまーに情報をシャットアウトしてみたくなることがあります。
2007年09月24日
コンサート無事終了のお知らせと土日のしんざき 07/09/24
嵐が過ぎた。
ミニコンサートにご来場下さった皆様、ありがとうございました。
お蔭様で(少なくとも出演者にとっては)大変楽しいコンサートでした。
個人的には色々と課題もあるんですが、それはまた解決してお目にかけます。
ただ、やっぱり見にきてくれる人の主軸がフォルクローレを知っている人だと思うと、演奏の面で色々と考える一方甘えも出てきてしまうなあ、と。色々と反省。
11月には一般のお客さんのコンサートに出てくるんで、そちらでまた色々と頑張ってきます。
・土曜日。
一番目のグループ「アデルファ」にて奥様が一曲だけ出演の為、コンサート前に息子さんちらっと登場。だいぶ猫をかぶっていた。演奏の間中安らかにお休みだった。
一方和室では物凄い早期からアルコールの飲用会が始まっていた件。
コンサートの打ち上げ。かぼすを元手に藁しべ長者のシミュレーションをやったり(確か使いかけのパスネットまでたどり着いたと思う)、エヴァンゲリオンというアニメのストーリーを会話の中のキーワードだけから推測したりしていた。伝聞によると、引きこもりの少年がナイフ一本でサメと闘ったりする話らしい。
というか、こんだけ話題になっているのに色々とアレなんですが、綾波レイってエヴァンゲリオンの人だったんですね。とか書いてると何言ってるんだお前、とか言われそうなんでやめておこう。すいませんゲーム畑の人なんです。
・日曜日。
大崎まで行ってランチバイキング→赤ちゃんほんぽで(奥様が)買い物(をしている間に休憩室で留守番)。
赤ん坊連れの夫婦が凄い勢いで出たり入ったりする空間だった。異次元。
取り敢えずそれくらい。
ミニコンサートにご来場下さった皆様、ありがとうございました。
お蔭様で(少なくとも出演者にとっては)大変楽しいコンサートでした。
個人的には色々と課題もあるんですが、それはまた解決してお目にかけます。
ただ、やっぱり見にきてくれる人の主軸がフォルクローレを知っている人だと思うと、演奏の面で色々と考える一方甘えも出てきてしまうなあ、と。色々と反省。
11月には一般のお客さんのコンサートに出てくるんで、そちらでまた色々と頑張ってきます。
・土曜日。
一番目のグループ「アデルファ」にて奥様が一曲だけ出演の為、コンサート前に息子さんちらっと登場。だいぶ猫をかぶっていた。演奏の間中安らかにお休みだった。
一方和室では物凄い早期からアルコールの飲用会が始まっていた件。
コンサートの打ち上げ。かぼすを元手に藁しべ長者のシミュレーションをやったり(確か使いかけのパスネットまでたどり着いたと思う)、エヴァンゲリオンというアニメのストーリーを会話の中のキーワードだけから推測したりしていた。伝聞によると、引きこもりの少年がナイフ一本でサメと闘ったりする話らしい。
というか、こんだけ話題になっているのに色々とアレなんですが、綾波レイってエヴァンゲリオンの人だったんですね。とか書いてると何言ってるんだお前、とか言われそうなんでやめておこう。すいませんゲーム畑の人なんです。
・日曜日。
大崎まで行ってランチバイキング→赤ちゃんほんぽで(奥様が)買い物(をしている間に休憩室で留守番)。
赤ん坊連れの夫婦が凄い勢いで出たり入ったりする空間だった。異次元。
取り敢えずそれくらい。
2007年09月20日
今日のしんざきとコンサートのお知らせ再掲 07/09/20
そういえばコンサートの期日がもう明後日だった。再掲してみる。
1.期日:9月22日(土) 16:00開場 16:30開演、二時間くらい
2.場所:東京大学駒場キャンパス 新学生会館2F第一集会室
3.料金:無料
4.地図:下記

南米民族音楽とかサンファニートに興味がある方はどうぞ。いや、サンファニートやるのは4グループ出演の内我々のグループだけだけど。
ちなみにしんざきは、二番目出演のグループでケーナ吹いてます。
・お子様のお話。
また色々と学習中(親が)。ぼちぼち首がすわりそうな気配を漂わせている。
取り敢えず、彼は水音、特に風呂にお湯を張っている時の水音がどうも大変好きなようで、ぎゃんぎゃん泣いている時も水音を聞かせてみると泣き止む。これ、普遍性があったとしたら商品化のチャンスなんじゃなかろか。
また、息子さんは朝方、起き抜けの機嫌が大体よろしい様で、起きた後は表情をさくさく動かして非常によく喋る。寝起きがいいのはどちら似か。最近は私の方が奥様より寝起き悪いみたいなんだけど。
・最近嬉しかったこと
「ギャランス・ハート クロイツ」で検索すると、Googleの検索結果が一位だったこと。
・最近嬉しくなかったこと
上記の検索ワードの結果が二件しか表示されなかったこと。
SEO対策完了。
それはそうと、クロイツだったよね?クロウツじゃないよね?・゚・(ノД`)ノ・゚・。
ああ畜生本が手元にねえよ。あの本何故か全然見かけないんだよ畜生。
・警官父を斧で殺害事件 「ひぐらしのなく頃に」との関連
疑義っつーかなんつーか。
メディアに関しては以前も書いたっけ。ただ、何故「何かに影響を受けた結果」でなくてはいけないのか、ってことは思い浮かぶ。誰かが分析してそうだけど。
「やるヤツは外部の影響なんか無くてもやる」ってことじゃダメなのかなあ。例えば津山殺人事件の人が一体いつ暴力ゲームや暴力アニメに触れたんだよ、とか思うんだけど。
アニメやゲームのせいにしているだけの人も、それを受けてメディアを批判するだけの人も、何か忘れ物をしてる様な気がする。ちょっと考えてみるかなあ。
1.期日:9月22日(土) 16:00開場 16:30開演、二時間くらい
2.場所:東京大学駒場キャンパス 新学生会館2F第一集会室
3.料金:無料
4.地図:下記
南米民族音楽とかサンファニートに興味がある方はどうぞ。いや、サンファニートやるのは4グループ出演の内我々のグループだけだけど。
ちなみにしんざきは、二番目出演のグループでケーナ吹いてます。
・お子様のお話。
また色々と学習中(親が)。ぼちぼち首がすわりそうな気配を漂わせている。
取り敢えず、彼は水音、特に風呂にお湯を張っている時の水音がどうも大変好きなようで、ぎゃんぎゃん泣いている時も水音を聞かせてみると泣き止む。これ、普遍性があったとしたら商品化のチャンスなんじゃなかろか。
また、息子さんは朝方、起き抜けの機嫌が大体よろしい様で、起きた後は表情をさくさく動かして非常によく喋る。寝起きがいいのはどちら似か。最近は私の方が奥様より寝起き悪いみたいなんだけど。
・最近嬉しかったこと
「ギャランス・ハート クロイツ」で検索すると、Googleの検索結果が一位だったこと。
・最近嬉しくなかったこと
上記の検索ワードの結果が二件しか表示されなかったこと。
SEO対策完了。
それはそうと、クロイツだったよね?クロウツじゃないよね?・゚・(ノД`)ノ・゚・。
ああ畜生本が手元にねえよ。あの本何故か全然見かけないんだよ畜生。
・警官父を斧で殺害事件 「ひぐらしのなく頃に」との関連
疑義っつーかなんつーか。
メディアに関しては以前も書いたっけ。ただ、何故「何かに影響を受けた結果」でなくてはいけないのか、ってことは思い浮かぶ。誰かが分析してそうだけど。
「やるヤツは外部の影響なんか無くてもやる」ってことじゃダメなのかなあ。例えば津山殺人事件の人が一体いつ暴力ゲームや暴力アニメに触れたんだよ、とか思うんだけど。
アニメやゲームのせいにしているだけの人も、それを受けてメディアを批判するだけの人も、何か忘れ物をしてる様な気がする。ちょっと考えてみるかなあ。
2007年09月19日
合コン二元論と恋愛観。
なんか、個人の問題はどうあれ、考えるネタとしては面白そうな話だなー。と。
合コンはいけないことですか?
合コンの良い・悪い自体は、完全無欠に個人の好み、人それぞれ好きな様にすればいいんでないの、というだけのことでしかない。
それを踏まえた上で。
「ある程度の年月友達付き合いをした上での恋愛 >>>>>>>>>>>>>>>> 合コンを発端にする恋愛」という意識が、割と多くの人に残っているという側面はあるんじゃないかと思う。
統計的な根拠については取り敢えず忘れて、試しに上の強調部分を前提にしてみよう。「合コンを低く評価する人」を仮定して、その理由を幾つか勝手に想像してみる。
以下、知人連中と話したり、自分の頭の中を掘り起こしたりして色々と考えてみた内容。正解が混じってるのかどうかは知らない。
1.恋愛に「背景」を求めている為。
2.恋愛は目的ではなく手段であるべき、という意識が残っている為。
3.恋愛をセックスより上に置くというねじれ意識が存在し、かつ「単体」としての恋愛がセックスと同一視されやすい為。
一応三つ挙げてみたけど、なんかどれも関連してそうだなコレ。
ちょっと掘り下げてみよう。
まず、項目1について。要するに「二人が恋愛に至るまで色々ありました」的な事実、あるいは物語が好まれる、ということだ。この項目自体、幾つかの小分類に分けられそう。
1-1.「恋愛に至るまでの紆余曲折」への高い価値付与、あるいは憧れ。
1-2.「即席」という言葉への悪いイメージ。
1-3.趣味の共有など、恋愛以外の部分で共有するものが多いカップルの方が上手くいく、あるいは長く続く、といった信仰。
1-1に関しては、例えば少女漫画的恋愛ストーリーとか、あるいは一昔前の恋愛ドラマが流行ることと根っこを一つにしている様に思う。恋愛未満の状態でくっつくんだかくっつかないんだかやきもき、という様な物語への憧れってものはいつの時代も強いと思うのだな。
自然発生の恋愛をそれ以外よりも高く評価する、という言い方も出来るんじゃないかな。
1-2に関しては、言葉としての問題もあるけれども、項目3との関わりも強いと思う。どうも、短時間で恋愛に発展→セックスへの連想、という心理傾向は割と根深く残ってる様な気がする。実際どうなのかは知らないが。
ただ、性欲の話もさることながら、時間を置いていない恋愛感情を評価しないという心理は、程度の差こそあれ割とあちこちに見られるんじゃないかと思う。秘めたる恋っつーか慕情っつーか、胸の中である程度の期間暖めた恋愛感情を高く評価する、っていう向きはあるんじゃないだろうか。
この辺、例えば「一目惚れ」とか「軟派」に対する意識とも関連しそうだ。その一方で、「愛してる」といった言葉を気安く使うかどうか、という意識とも根っこの方で繋がるんじゃないだろか。まあ本題とずれるから置いとくけど。
1-3は、まあそのまんま。
あんまり根拠はないのだけれど、「合コン発の恋愛は長続きしない」という錯覚、あるいは願望を抱いている人って結構いる気がする。私自身、そういった偏見が皆無とはいえない。
実際には合コン発のカップルにだって色んな紆余曲折は発生するのだろうし、共有する部分がなければそもそもカップルとして成立しないだろうとは思うのだが、まあこの際それは置いとこう。今回のネタは観客側の心理だ。
続いて項目2にいってみよう。
2.恋愛は目的ではなく手段であるべき、という意識が残っている為。
手段というより、「通り道」と表現するべきなのかな。
「結婚」だとか「幸せな生活」だとかいうものに対する価値付与が大きく、そこに至るまでの一つの過程として恋愛が存在する、という意識をもっている人は、多分今でも結構いる。
その意識の延長で、「恋愛自体を追い求める(様に見える)」という行為を低くみる人がいるんじゃないだろか、というのが項目2のお話。つまり、本来手段であるべき恋愛が目的化することへの低評価、か。合コンへの低評価はそこからの延長ではあるまいか、と。
匿名ダイアリーから拾ってきた。ちょっと参照してみよう。
合コンに参加するような奴らは…
項目1とも混じってるかも知れないけど。
実際には、合コンが「恋愛だけを追い求める場」という訳でもないのだろうし、合コン経由で幸せな生活を送っている人だってたくさんいるだろうが、項目1と同じくそれは取り敢えず置いとく。
最後に項目3。
3.恋愛をセックスより上に置くというねじれ意識が存在し、かつ、「単体」としての恋愛がセックスと同一視されやすい為。
これもそのまんまだな。
一つには、例えば合コン話とほぼワンセットで、持ち帰ったとか持ち帰られたとかいう武勇伝が取り沙汰されやすい(勿論その集まりの性格にもよるし、実際にはどうなんだ、という話とは別問題である)ことも原因の一つなんだろうと思う。
精神的要素を肉体的要素よりも高くに置く、という心理はずーーーっと昔からあった。その延長というと話が大仰だけども、合コンを性欲と結びつけて考える人がいるとすれば、その人の「合コンに対する低評価」の理由にはなるだろう。
とまあこんな感じで、三つに分けてつらつらと考えてみた。個人的な問題でも一般化したい病。←なんか格好いい病名をつけたい。
後から何か付け加えるかも。
合コンはいけないことですか?
合コンの良い・悪い自体は、完全無欠に個人の好み、人それぞれ好きな様にすればいいんでないの、というだけのことでしかない。
それを踏まえた上で。
「ある程度の年月友達付き合いをした上での恋愛 >>>>>>>>>>>>>>>> 合コンを発端にする恋愛」という意識が、割と多くの人に残っているという側面はあるんじゃないかと思う。
統計的な根拠については取り敢えず忘れて、試しに上の強調部分を前提にしてみよう。「合コンを低く評価する人」を仮定して、その理由を幾つか勝手に想像してみる。
以下、知人連中と話したり、自分の頭の中を掘り起こしたりして色々と考えてみた内容。正解が混じってるのかどうかは知らない。
1.恋愛に「背景」を求めている為。
2.恋愛は目的ではなく手段であるべき、という意識が残っている為。
3.恋愛をセックスより上に置くというねじれ意識が存在し、かつ「単体」としての恋愛がセックスと同一視されやすい為。
一応三つ挙げてみたけど、なんかどれも関連してそうだなコレ。
ちょっと掘り下げてみよう。
まず、項目1について。要するに「二人が恋愛に至るまで色々ありました」的な事実、あるいは物語が好まれる、ということだ。この項目自体、幾つかの小分類に分けられそう。
1-1.「恋愛に至るまでの紆余曲折」への高い価値付与、あるいは憧れ。
1-2.「即席」という言葉への悪いイメージ。
1-3.趣味の共有など、恋愛以外の部分で共有するものが多いカップルの方が上手くいく、あるいは長く続く、といった信仰。
1-1に関しては、例えば少女漫画的恋愛ストーリーとか、あるいは一昔前の恋愛ドラマが流行ることと根っこを一つにしている様に思う。恋愛未満の状態でくっつくんだかくっつかないんだかやきもき、という様な物語への憧れってものはいつの時代も強いと思うのだな。
自然発生の恋愛をそれ以外よりも高く評価する、という言い方も出来るんじゃないかな。
1-2に関しては、言葉としての問題もあるけれども、項目3との関わりも強いと思う。どうも、短時間で恋愛に発展→セックスへの連想、という心理傾向は割と根深く残ってる様な気がする。実際どうなのかは知らないが。
ただ、性欲の話もさることながら、時間を置いていない恋愛感情を評価しないという心理は、程度の差こそあれ割とあちこちに見られるんじゃないかと思う。秘めたる恋っつーか慕情っつーか、胸の中である程度の期間暖めた恋愛感情を高く評価する、っていう向きはあるんじゃないだろうか。
この辺、例えば「一目惚れ」とか「軟派」に対する意識とも関連しそうだ。その一方で、「愛してる」といった言葉を気安く使うかどうか、という意識とも根っこの方で繋がるんじゃないだろか。まあ本題とずれるから置いとくけど。
1-3は、まあそのまんま。
あんまり根拠はないのだけれど、「合コン発の恋愛は長続きしない」という錯覚、あるいは願望を抱いている人って結構いる気がする。私自身、そういった偏見が皆無とはいえない。
実際には合コン発のカップルにだって色んな紆余曲折は発生するのだろうし、共有する部分がなければそもそもカップルとして成立しないだろうとは思うのだが、まあこの際それは置いとこう。今回のネタは観客側の心理だ。
続いて項目2にいってみよう。
2.恋愛は目的ではなく手段であるべき、という意識が残っている為。
手段というより、「通り道」と表現するべきなのかな。
「結婚」だとか「幸せな生活」だとかいうものに対する価値付与が大きく、そこに至るまでの一つの過程として恋愛が存在する、という意識をもっている人は、多分今でも結構いる。
その意識の延長で、「恋愛自体を追い求める(様に見える)」という行為を低くみる人がいるんじゃないだろか、というのが項目2のお話。つまり、本来手段であるべき恋愛が目的化することへの低評価、か。合コンへの低評価はそこからの延長ではあるまいか、と。
匿名ダイアリーから拾ってきた。ちょっと参照してみよう。
合コンに参加するような奴らは…
項目1とも混じってるかも知れないけど。
実際には、合コンが「恋愛だけを追い求める場」という訳でもないのだろうし、合コン経由で幸せな生活を送っている人だってたくさんいるだろうが、項目1と同じくそれは取り敢えず置いとく。
最後に項目3。
3.恋愛をセックスより上に置くというねじれ意識が存在し、かつ、「単体」としての恋愛がセックスと同一視されやすい為。
これもそのまんまだな。
一つには、例えば合コン話とほぼワンセットで、持ち帰ったとか持ち帰られたとかいう武勇伝が取り沙汰されやすい(勿論その集まりの性格にもよるし、実際にはどうなんだ、という話とは別問題である)ことも原因の一つなんだろうと思う。
精神的要素を肉体的要素よりも高くに置く、という心理はずーーーっと昔からあった。その延長というと話が大仰だけども、合コンを性欲と結びつけて考える人がいるとすれば、その人の「合コンに対する低評価」の理由にはなるだろう。
とまあこんな感じで、三つに分けてつらつらと考えてみた。個人的な問題でも一般化したい病。←なんか格好いい病名をつけたい。
後から何か付け加えるかも。
2007年09月18日
SBMの同調圧力を防ぐ為のたった一つの方法
ブクマする前に他の人のブックマークコメント読まない様にすればいいんじゃないの?
はてなブックマーク - はてな村民は、声の大きいヤツに同調し、魔女狩りを行う最低の村か?
なんか知らんが元記事が編集されている。この程度の記事を運営が削除するとかアホですかという感じなので、多分書いた人が自分で編集したんだろう。一応ぐぐるのキャッシュはこっち。
いや、なんとゆーか、上の記事とか、記事のブクマでの議論がどうもピンとこなかったので原因を考えてみた。
同調圧力うんたらがどうしても気になるのなら、冒頭に書いた様なルールに従えばいいし、なんならシステム的にそういう制限を加えることも不可能ではない(やる意味があるのかどうかは疑問だが)。
そもそも「ブクマをするのは他の人のコメントを読んでから」という発想自体私になかったので、一体何の話をしてるんだろうと最初思った。先にコメントを一通り読んでからブックマークする方が一般的なんだろうか。脊髄反射ブックマークしてる人の方が多いんじゃないかと勝手に思ってるけど。
結局のところ、SBMでの同調圧力なんてものは取り沙汰する程のことじゃなく、それこそ「同調圧力(笑)」と記載してもいい程度のものである様な気がする。第一感における人間の反応なんか「同調・拒否・保留」の三つの内どれかに大体落ち着くもんであって、記事によってはそれが割と偏る、というだけの問題なんではないかとか思う。
特に記事を読んでの第一感、つまり脊髄反射での偏り方は割と激しくなる傾向がある。2ちゃんのコピペブログとか読んでると分かる。SBMのブックマークでも、一覧の最初の方と最後の方では全体的に偏り方が変わっていて、最初にブックマークした人の脊髄反射っぷりが際立って面白いことが結構ある。この辺は分析してみると面白そうだ。誰かもうやってそうだけど。
コメント同士での会話・議論・同調なんてのはそれこそまた別の問題だろう。こっちは語り尽くされてそうだから気にしないことにする。
と、ブックマークについてちょっと思ったこと、以上。
はてなブックマーク - はてな村民は、声の大きいヤツに同調し、魔女狩りを行う最低の村か?
なんか知らんが元記事が編集されている。この程度の記事を運営が削除するとかアホですかという感じなので、多分書いた人が自分で編集したんだろう。一応ぐぐるのキャッシュはこっち。
いや、なんとゆーか、上の記事とか、記事のブクマでの議論がどうもピンとこなかったので原因を考えてみた。
同調圧力うんたらがどうしても気になるのなら、冒頭に書いた様なルールに従えばいいし、なんならシステム的にそういう制限を加えることも不可能ではない(やる意味があるのかどうかは疑問だが)。
そもそも「ブクマをするのは他の人のコメントを読んでから」という発想自体私になかったので、一体何の話をしてるんだろうと最初思った。先にコメントを一通り読んでからブックマークする方が一般的なんだろうか。脊髄反射ブックマークしてる人の方が多いんじゃないかと勝手に思ってるけど。
結局のところ、SBMでの同調圧力なんてものは取り沙汰する程のことじゃなく、それこそ「同調圧力(笑)」と記載してもいい程度のものである様な気がする。第一感における人間の反応なんか「同調・拒否・保留」の三つの内どれかに大体落ち着くもんであって、記事によってはそれが割と偏る、というだけの問題なんではないかとか思う。
特に記事を読んでの第一感、つまり脊髄反射での偏り方は割と激しくなる傾向がある。2ちゃんのコピペブログとか読んでると分かる。SBMのブックマークでも、一覧の最初の方と最後の方では全体的に偏り方が変わっていて、最初にブックマークした人の脊髄反射っぷりが際立って面白いことが結構ある。この辺は分析してみると面白そうだ。誰かもうやってそうだけど。
コメント同士での会話・議論・同調なんてのはそれこそまた別の問題だろう。こっちは語り尽くされてそうだから気にしないことにする。
と、ブックマークについてちょっと思ったこと、以上。
2007年09月17日
そろそろバスタードオンラインについて語ってみようか
Bastard!! -ONLINE-
2006年内ベータ版がスタートするBASTARD ONLINE特集
俺達は、このゲームが作り始められたという報が2005年7月のまこなこさんで語られていたという事実と、このゲームについて検索してみても2005年7月のエントリーしか出てこないという事実と、上の公式ページの更新履歴から、何かを学んでもいいんじゃないかと思うんだ。
以下邪推。
・一度始められてしまったプロジェクトから企業が手を引くのは凄く難しい
・見た感じ企業がたたみたがっている様に見えるプロジェクトでも、実は中の人は結構頑張っている
・何でもかんでも取り敢えずオンラインゲームにすれば収益が上がる、という時代は3年前くらいに終わりを告げた、というか最初から始まってなかった様な気もする
スクリーンショットを見る限りでは、結構開発が進められてた様に見えるんだけどなあ。ある程度のところまで頑張って作ったけど、このままリリースしてもどう考えても色々とアレ、という状況に突っ込んでしまった、と邪推出来なくもないけど。
まあ、そもそもの発端から「何故今バスタードなのか?」という疑問は発表当初から辺り一面にたゆたっていた気もするし、仮に今からこのゲームが封切られたとして、一体どれだけの集客が見込めるのだろうか、という疑問もある。そして、当然のことながらテクモもそれを計算しているだろう。
こんな感じで、作ってる間に時代が終わっちゃいました、というゲームが、今まで果たして何千タイトル存在したのだろうか。熱い液体が頬を濡らすことを禁じえない。
北斗の拳オンラインもこんなこと(pdf注意)になってるしなあ。
関係ないが、コミックヨシモトの引き際はホント凄かったと思う。
参照:プチ社長日記:『コミックヨシモト3ヶ月で撤退』の話
ちなみに、バスタードオンラインの今後の展開については幾つかのオプションがあると考えられる。
・フェードアウト。
・どこかの時点で見切り発車、クローズドβに全てを賭ける。
・開発規模を見積り直して、人と予算を追加投入。頑張って完成させる。
どうなるんだろう。
そういえば、イースオンラインって今韓国でベータテストでしたっけ。どんな感じなんでしょうね。
2006年内ベータ版がスタートするBASTARD ONLINE特集
俺達は、このゲームが作り始められたという報が2005年7月のまこなこさんで語られていたという事実と、このゲームについて検索してみても2005年7月のエントリーしか出てこないという事実と、上の公式ページの更新履歴から、何かを学んでもいいんじゃないかと思うんだ。
以下邪推。
・一度始められてしまったプロジェクトから企業が手を引くのは凄く難しい
・見た感じ企業がたたみたがっている様に見えるプロジェクトでも、実は中の人は結構頑張っている
・何でもかんでも取り敢えずオンラインゲームにすれば収益が上がる、という時代は3年前くらいに終わりを告げた、というか最初から始まってなかった様な気もする
スクリーンショットを見る限りでは、結構開発が進められてた様に見えるんだけどなあ。ある程度のところまで頑張って作ったけど、このままリリースしてもどう考えても色々とアレ、という状況に突っ込んでしまった、と邪推出来なくもないけど。
まあ、そもそもの発端から「何故今バスタードなのか?」という疑問は発表当初から辺り一面にたゆたっていた気もするし、仮に今からこのゲームが封切られたとして、一体どれだけの集客が見込めるのだろうか、という疑問もある。そして、当然のことながらテクモもそれを計算しているだろう。
こんな感じで、作ってる間に時代が終わっちゃいました、というゲームが、今まで果たして何千タイトル存在したのだろうか。熱い液体が頬を濡らすことを禁じえない。
北斗の拳オンラインもこんなこと(pdf注意)になってるしなあ。
関係ないが、コミックヨシモトの引き際はホント凄かったと思う。
参照:プチ社長日記:『コミックヨシモト3ヶ月で撤退』の話
ちなみに、バスタードオンラインの今後の展開については幾つかのオプションがあると考えられる。
・フェードアウト。
・どこかの時点で見切り発車、クローズドβに全てを賭ける。
・開発規模を見積り直して、人と予算を追加投入。頑張って完成させる。
どうなるんだろう。
そういえば、イースオンラインって今韓国でベータテストでしたっけ。どんな感じなんでしょうね。
2007年09月15日
新・中華大仙は、何を期待されていたんだろう?
なんとなく納得いかない。
以下、あたっく系様経由で拝見した記事。
久しぶりに地雷ゲー踏んだな
店頭デモでしか接触してない(Wii未所持)ので、口を出す権利があるのかどうか分からないが。
私は、スターフィッシュには余りいい印象を持っていない(ウィザードリィアスタリスクとか奇々怪界2とか)。それでも、この場合「新・中華大戦」を「地雷」と呼ぶのには若干の違和感を覚える。
なるほど、もっともだ。一から十までおっしゃる通り。6000円という値段に割高感がある、というのも頷ける。
でも、その、アレだ。このレビュー、読めば読む程原作に凄く忠実としか思えんのだ。
・中華大仙はどんなゲームだったか。
中華大仙は、元々何から何まで上記レビューの通り、実に地味なゲームだったし、単調なゲームでもあった。撃ち込みゲーでもなかったし、弾避けゲーでも当然なかった。難易度も全然大したことはなかったし、エンディングが一枚絵(じじいだったが)にメッセージで終わり、というのもその通り。
ただ、そこで私は疑問に思ったのだ。この人は、中華大仙のリメイクに何を期待されていたのだろう、と。
超大作でも激難STGでも隠れた名作でもない中華大仙は、じゃあどこを楽しむゲームだったのか。店員のグラフィックの奇抜さ(このゲームのショップの店員は、頭がナルトだったり豚だったりした)や、間違った中国的イメージににやにやしながら、生ぬるいシューティングを生ぬるく遊ぶ、というゲームだった筈だ。でも私はその生ぬるさを割と気にいっていたし、近所のゲーセンでやり込んだりもしていた。
動画や店頭デモに触れる限り、私は「安易に女子キャラに走りやがってこの野郎」「サングラス大仏はどこにいったこの野郎」と思いこそしたが、ゲームとしての評価自体は「あー、思ったよりぶっ壊してないな」としか感じなかった。このゲームに、例えば激烈な弾避けとそれに伴う点稼ぎだとか、ボンバーだとか派手な撃ち込みだとか、「数々の新要素」なんてものが追加されていれば、むしろ私はそっちの方に違和感を感じていただろう。丁度ウィザードリィアスタリスクがそんな感じだった様に、だ。
つまり、スターフィッシュが「このタイトルを買う様な人は、元々あのぬるいゲームが好きだった人なんだろうし、下手にいじるとまた叩かれるだろう」と判断した可能性は割と高い。そして、私はその判断を間違いだとは思えない。むしろ学習能力があることを評価するべきじゃないか、と思う。
ああ、ここまで書いてきて自分の納得のいかなさがどこにあったか分かった。
つまり上記レビューは、中華大仙自体が地雷と言っているのとそれ程異ならず、中華大仙が昔大好きだった私はその点に引っかかった、という訳なのである。いや、中華大仙自体が地雷と言われるるのであれば反論の余地は全くないし、6000円が割高というのもその通りだとは思うのだが。
・じゃあ、どうすれば良かったのか。
実際のところ、「中華大仙のリメイク」というものに対して、ファンが何を期待していたのか、というのは私にも気になるところだ。
懐古厨としての私の意見を言わせてもらえれば、
・ライフ制など不要だった。残機も3機で十分だった。
・弾の貫通はさせるべきではなかった。
・せめて4800円くらいにするべきだった。
・3面ボスはグラサン大仏にするべきだった。
・店員の頭部はすげーリアルなナルトにするべきだった。
新・中華大仙について勝手に思ったこと、以上。
それはそうと、やっぱWii結構欲しいな。と思いつつ、うちの奥様はどうも「ビューティフル塊魂」だけを目当てにXbox360が欲しいとおっしゃる。動乱を避ける為には如何にするべきか。
以下、あたっく系様経由で拝見した記事。
久しぶりに地雷ゲー踏んだな
店頭デモでしか接触してない(Wii未所持)ので、口を出す権利があるのかどうか分からないが。
私は、スターフィッシュには余りいい印象を持っていない(ウィザードリィアスタリスクとか奇々怪界2とか)。それでも、この場合「新・中華大戦」を「地雷」と呼ぶのには若干の違和感を覚える。
面によって専用の敵キャラが出てきますが、全面を通して見ると 同じキャラが出てくるのが多かったり、グラフィックや攻撃パターンをちょっと変えただけの敵が出てくるなどの展開がずっと続きます。
全ボス似たような攻撃をするだけで、プレイヤーを撃破しようという覇気を全然感じません。
初プレイクリアーできるほど難易度がヌル過ぎる!!
スタッフロールも何も無しかよ!!
なるほど、もっともだ。一から十までおっしゃる通り。6000円という値段に割高感がある、というのも頷ける。
でも、その、アレだ。このレビュー、読めば読む程原作に凄く忠実としか思えんのだ。
・中華大仙はどんなゲームだったか。
中華大仙は、元々何から何まで上記レビューの通り、実に地味なゲームだったし、単調なゲームでもあった。撃ち込みゲーでもなかったし、弾避けゲーでも当然なかった。難易度も全然大したことはなかったし、エンディングが一枚絵(じじいだったが)にメッセージで終わり、というのもその通り。
ただ、そこで私は疑問に思ったのだ。この人は、中華大仙のリメイクに何を期待されていたのだろう、と。
超大作でも激難STGでも隠れた名作でもない中華大仙は、じゃあどこを楽しむゲームだったのか。店員のグラフィックの奇抜さ(このゲームのショップの店員は、頭がナルトだったり豚だったりした)や、間違った中国的イメージににやにやしながら、生ぬるいシューティングを生ぬるく遊ぶ、というゲームだった筈だ。でも私はその生ぬるさを割と気にいっていたし、近所のゲーセンでやり込んだりもしていた。
動画や店頭デモに触れる限り、私は「安易に女子キャラに走りやがってこの野郎」「サングラス大仏はどこにいったこの野郎」と思いこそしたが、ゲームとしての評価自体は「あー、思ったよりぶっ壊してないな」としか感じなかった。このゲームに、例えば激烈な弾避けとそれに伴う点稼ぎだとか、ボンバーだとか派手な撃ち込みだとか、「数々の新要素」なんてものが追加されていれば、むしろ私はそっちの方に違和感を感じていただろう。丁度ウィザードリィアスタリスクがそんな感じだった様に、だ。
つまり、スターフィッシュが「このタイトルを買う様な人は、元々あのぬるいゲームが好きだった人なんだろうし、下手にいじるとまた叩かれるだろう」と判断した可能性は割と高い。そして、私はその判断を間違いだとは思えない。むしろ学習能力があることを評価するべきじゃないか、と思う。
ああ、ここまで書いてきて自分の納得のいかなさがどこにあったか分かった。
つまり上記レビューは、中華大仙自体が地雷と言っているのとそれ程異ならず、中華大仙が昔大好きだった私はその点に引っかかった、という訳なのである。いや、中華大仙自体が地雷と言われるるのであれば反論の余地は全くないし、6000円が割高というのもその通りだとは思うのだが。
・じゃあ、どうすれば良かったのか。
実際のところ、「中華大仙のリメイク」というものに対して、ファンが何を期待していたのか、というのは私にも気になるところだ。
懐古厨としての私の意見を言わせてもらえれば、
・ライフ制など不要だった。残機も3機で十分だった。
・弾の貫通はさせるべきではなかった。
・せめて4800円くらいにするべきだった。
・3面ボスはグラサン大仏にするべきだった。
・店員の頭部はすげーリアルなナルトにするべきだった。
新・中華大仙について勝手に思ったこと、以上。
それはそうと、やっぱWii結構欲しいな。と思いつつ、うちの奥様はどうも「ビューティフル塊魂」だけを目当てにXbox360が欲しいとおっしゃる。動乱を避ける為には如何にするべきか。
2007年09月14日
今日のしんざき 07/09/14
どうでもいい話とかあんまりどうでも良くない話とかを書いている間に、世間はなにやら随分動いている様だ。ブログで触れる予定ないけど。
息子さんの様子。そろそろ出生二ヶ月半か、な、と。すげーよく声を出す。そろそろイクラちゃんには勝てるかも知れない。
私は奥様と違って日中ずっと息子さんと顔突き合わせている訳ではないが、最近機嫌が良い時と機嫌が悪い時の振れ幅が大きくなってきた様な気はする。テンションの高い低いが分かってきた、のかな。
一方、息子さんは下半身があったかいと機嫌が良くなりやすいということも判明。この前帰宅してみたら、自分の身体の3倍くらいあるクッションに腰から下がうずまった姿で、にこにこしながら周囲を見渡していたのでちょっとびっくりした。セッティングしたのは奥様らしかったが、絵的には簀巻きとか布団蒸しの気配がしたと思う。まあ、本人がいいならいいけど。
・菓子の偏食について、どうでもよくない話。
私はそれ程好き嫌いが多くない性質だと思うが、菓子に関しては聊か偏狭である。
私は、「バターしょうゆ風味のポップコーン」が許せない。本音を言うと「バター味のポップコーン」もあまり許容したくない。世の中の小売店から、塩味以外のポップコーンが消滅すればいいと、大体80%くらいの本音度で考えている。言ってみれば私とバターしょうゆ味ポップコーンは、不倶戴天の敵なのである。
一方、私は「キャベツ太郎」がかなり好きだ。「焼きもろこし」も割と好きだ。だが、惜しいかな、この二種はどういう訳かコンビニで見かける頻度が大変に低い。焼きもろこしにいたっては、ここしばらくはちょっと大きめのスーパーでも見かけない。この二種がいつでもどこでも手に入る様にならなければ、私は幸せなお菓子ライフが送れないのである。
端的に言うと、塩味のポップコーンとキャベツ太郎入荷しろ近所のam/pm、って話。
・ギャランス・ハートに関して余りにもWeb上に情報がないことに驚愕した。
キャラクターの名前をちょっと確認しようと思ったら、ぐぐってもぐぐってもノーヒットですよ。なにこれ。結構面白い作品だったけど、そもそも出版された冊数が少なかったんかな。
その内ゲームブックコーナーで語るとして。アリスの護衛対象の僧侶の名前ってキーアで良かったっけ?あと、仲間ってフレディとヴァレリイ→クロイツですよね確か。
とか、多分誰にも分からなそうな内容を。
・ちらっと三国志大戦のお話。
もうどこまでも呂布ワラ。現在は、教え型でほぼ安定してます。
もう一枚の計略要員をどうしようか考えていたんだけど、献帝→小連環の方が安定しそう。
現在は、
呂布 シバキ 王允 周倉 金環 アカイナン
という形でしばらくやってこうかと思ってます。アカイナン→トウトナ型も試してみるかも。
・なんか最近seesaaのスパムが多い気がするなあ。
どーも、「記事内引用してないとトラバ不可」という設定に対する対策スクリプトが用意された様だ。なんじゃらほい。
息子さんの様子。そろそろ出生二ヶ月半か、な、と。すげーよく声を出す。そろそろイクラちゃんには勝てるかも知れない。
私は奥様と違って日中ずっと息子さんと顔突き合わせている訳ではないが、最近機嫌が良い時と機嫌が悪い時の振れ幅が大きくなってきた様な気はする。テンションの高い低いが分かってきた、のかな。
一方、息子さんは下半身があったかいと機嫌が良くなりやすいということも判明。この前帰宅してみたら、自分の身体の3倍くらいあるクッションに腰から下がうずまった姿で、にこにこしながら周囲を見渡していたのでちょっとびっくりした。セッティングしたのは奥様らしかったが、絵的には簀巻きとか布団蒸しの気配がしたと思う。まあ、本人がいいならいいけど。
・菓子の偏食について、どうでもよくない話。
私はそれ程好き嫌いが多くない性質だと思うが、菓子に関しては聊か偏狭である。
私は、「バターしょうゆ風味のポップコーン」が許せない。本音を言うと「バター味のポップコーン」もあまり許容したくない。世の中の小売店から、塩味以外のポップコーンが消滅すればいいと、大体80%くらいの本音度で考えている。言ってみれば私とバターしょうゆ味ポップコーンは、不倶戴天の敵なのである。
一方、私は「キャベツ太郎」がかなり好きだ。「焼きもろこし」も割と好きだ。だが、惜しいかな、この二種はどういう訳かコンビニで見かける頻度が大変に低い。焼きもろこしにいたっては、ここしばらくはちょっと大きめのスーパーでも見かけない。この二種がいつでもどこでも手に入る様にならなければ、私は幸せなお菓子ライフが送れないのである。
端的に言うと、塩味のポップコーンとキャベツ太郎入荷しろ近所のam/pm、って話。
・ギャランス・ハートに関して余りにもWeb上に情報がないことに驚愕した。
キャラクターの名前をちょっと確認しようと思ったら、ぐぐってもぐぐってもノーヒットですよ。なにこれ。結構面白い作品だったけど、そもそも出版された冊数が少なかったんかな。
その内ゲームブックコーナーで語るとして。アリスの護衛対象の僧侶の名前ってキーアで良かったっけ?あと、仲間ってフレディとヴァレリイ→クロイツですよね確か。
とか、多分誰にも分からなそうな内容を。
・ちらっと三国志大戦のお話。
もうどこまでも呂布ワラ。現在は、教え型でほぼ安定してます。
もう一枚の計略要員をどうしようか考えていたんだけど、献帝→小連環の方が安定しそう。
現在は、
呂布 シバキ 王允 周倉 金環 アカイナン
という形でしばらくやってこうかと思ってます。アカイナン→トウトナ型も試してみるかも。
・なんか最近seesaaのスパムが多い気がするなあ。
どーも、「記事内引用してないとトラバ不可」という設定に対する対策スクリプトが用意された様だ。なんじゃらほい。
2007年09月13日
宗教は自殺を抑止出来るか、という話。
気になった話題。
自殺と向き合えない仏教
つまり、「宗教は自殺を抑止する背景をそもそももっているのかどうか」という議論に落とし込める話じゃなかろうか。
ちょっとおさらいしてみたい衝動に駆られた。
何百年か昔、宗教と政治が並びたっていた時代には、割と明確な担当分野の区別が存在した。つまり、宗教は「彼岸」つまりは死後の世界、政治は「此岸」つまり生者の世界を担当する、という区分である。
続きを読む
2007年09月12日
ドラえもん的視点からGoogleの面接問題を予想してみる
Googleの面接問題を見ていると、多分再来週辺りから「ドラえもんのひみつ道具に値段をつけるとすれば幾ら?」みたいな問題が出るだろう、と私は思った。ピーンと来たのである。豆電球が頭の上に突如現れた光景を思い浮かべて頂いてもいい。
私のヤマカンは、高校の中間試験の頃から的中率65%以上という成績を誇る。ヤマカンを当てることに熱中し過ぎて、肝心の答えを用意していなかったことなど日常茶飯事である。
ということで、Googleの面接試験をぼちぼち受けようと考えている人は、以下の問題の解答を考えておくことを強くオススメしたい。この問題が実際に出てきて、かつあなたがGoogleに採用されたらそれはきっと私のお蔭である。なんか下さい。
・どこでもドア、タケコプター、通りぬけフープの妥当な値段は、それぞれどの程度でしょう?
・同じく、ほん訳コンニャクの妥当な値段はどの程度でしょう?
・ところで4巻に出てくる石ころぼうしを見てくれ。こいつをどう思う?
まあ、実際にこれらの問題を解こうとするならば、そのひみつ道具によって得られる効果を、現実にも得ようと思えばどれだけの費用がかかるか、というアプローチをすることになるんだろうと思う。例えばの話、どこでもドアは移動手段であるので、ある位置まで移動するのに最速の交通機関を買い上げた場合の値段から、更に移動時間の金額換算分を足した金額、という感じか。フェルミ推定?何スかそれ食いもんスか?
って、謎本か何かで出てそうな気もするけど、まあ気にしないことにする。
しかしアレだ。原作を読むに、ドラえもんは22世紀において大量生産されていた様だが、ひみつ道具も同様に大量生産されていたんだろうか。
だとすると22世紀の経済的状況はエラいことになってそうな予感がある。交通機関やエネルギー関連の産業は軒並み壊滅、経済事情は超デフレ。果たして雇用は残っているのだろか。
2007年09月11日
仕事と投資の共通点。
昔上司だったSEに、「仕事は信頼を貯める様意識すると上手くいく」と言われた。それからしばらく、ぼやっと考えながら仕事をしてきた。
何かの本やブログでとっくの昔に書かれてたりするのかもしれんが、まあ何となくまとめてみる。
投資における通貨は円だったりドルだったりする。
仕事における通貨は信頼度である。
投資において、お金が貯まるとでかい顔が出来る。
仕事において、信頼度が貯まるとでかい顔が出来る。周りに信頼されているヤツ程発言力は高い。
投資において、金をもっているヤツはそれ程苦労することなく、ますます金を集めることが出来る。
仕事において、信頼されているヤツはそれ程苦労することなく、ますます信頼度を稼ぐことが出来る。どちらの場合も、元手が重要なのだ。
投資において、金をケチっているといつまでたっても金はたまらない。金は使う為にある。
仕事において、信頼をケチっているといつまでたっても信頼はたまらない。信頼も、多分、使う為にある。信頼を元手に、自分がやりたいこと、やりたいプロジェクトに周りを協力させる。例えば会社や客先に金を出させる。それが達成出来て、成果が出ると信頼度は前以上に増える。
「信頼を使うタイミング」っていうのは勿論重要で、実際の投資と同じく、何をしても信頼度を稼げる時期もあれば(仕事ゴールデンクロス)、何をやっても外れるという時期(仕事デッドクロス)もある。
なんでも投資哲学には、「金を貯めることだけが目的の投資は成功しない」という言葉があるそうだ。「○○の為に金を貯めるのだ」という、要は目的が重要なんだとか。投資のことは良く知らんが、仕事においては、確かに信頼だけを求めても信頼は溜まらない。信頼度を元手に何をするか、という構想力がある人に信頼は集まる。
投資ですってんてんになることがあるのと同様、仕事においても信頼度がすっからかんになる事態というものは時折発生し得る。この原因は、徹夜明けの月曜日に勢いあまって「rm -rf *」と打ち込んでしまったりすることから、痴漢でつかまって人生終了のお知らせまで多岐にわたる。
株式や外為と同様、配当がいい銘柄(発言力のある上司)とそうでもない銘柄(発言力のない上司)が存在する。配当が悪い銘柄に当たると、幾ら稼いでもなかなか口座残高の増加に寄与しないと専らの評判である。
以上の様な次第で、投資と仕事には多種多様な共通点があるなあと思った訳なのである。
ちょっと前、島国大和さんのところで下積み不要論というものを見た。仕事の種類にもよるんだろうが、私が思うに、下積み時期の重要さは「元手を貯める時期」だという点にある。下積みというのはある種の無敵モード、多少の失敗では信頼を根こそぎ失ったりはしないという、長い仕事生活の中でも唯一の時期である。この時期に、投資テクニック(仕事におけるスキル)を身に付けるのと同時にせっせと信頼度を貯めておくと、後から色々と見返りがある。ない職場もあるのかも知れんが。
ともあれ。例えば外国為替や先物取引と同様、仕事における信頼度市場は割とシビアなフィールドである。
幾ら頑張っても信頼度が貯まらないという人は、多分投資の方針(働き方)か、銘柄選び(就職先)のどちらかを間違っている。
転職というのは、多分口座残高の振り替えというか、勝負する銘柄を変えることなんだろうなーとは思うんだが、転職先の市場が稼ぎやすい市場かどうか、なんてこたぁ就職前にはなかなか分からんのだろうな。
何かの本やブログでとっくの昔に書かれてたりするのかもしれんが、まあ何となくまとめてみる。
投資における通貨は円だったりドルだったりする。
仕事における通貨は信頼度である。
投資において、お金が貯まるとでかい顔が出来る。
仕事において、信頼度が貯まるとでかい顔が出来る。周りに信頼されているヤツ程発言力は高い。
投資において、金をもっているヤツはそれ程苦労することなく、ますます金を集めることが出来る。
仕事において、信頼されているヤツはそれ程苦労することなく、ますます信頼度を稼ぐことが出来る。どちらの場合も、元手が重要なのだ。
投資において、金をケチっているといつまでたっても金はたまらない。金は使う為にある。
仕事において、信頼をケチっているといつまでたっても信頼はたまらない。信頼も、多分、使う為にある。信頼を元手に、自分がやりたいこと、やりたいプロジェクトに周りを協力させる。例えば会社や客先に金を出させる。それが達成出来て、成果が出ると信頼度は前以上に増える。
「信頼を使うタイミング」っていうのは勿論重要で、実際の投資と同じく、何をしても信頼度を稼げる時期もあれば(仕事ゴールデンクロス)、何をやっても外れるという時期(仕事デッドクロス)もある。
なんでも投資哲学には、「金を貯めることだけが目的の投資は成功しない」という言葉があるそうだ。「○○の為に金を貯めるのだ」という、要は目的が重要なんだとか。投資のことは良く知らんが、仕事においては、確かに信頼だけを求めても信頼は溜まらない。信頼度を元手に何をするか、という構想力がある人に信頼は集まる。
投資ですってんてんになることがあるのと同様、仕事においても信頼度がすっからかんになる事態というものは時折発生し得る。この原因は、徹夜明けの月曜日に勢いあまって「rm -rf *」と打ち込んでしまったりすることから、痴漢でつかまって人生終了のお知らせまで多岐にわたる。
株式や外為と同様、配当がいい銘柄(発言力のある上司)とそうでもない銘柄(発言力のない上司)が存在する。配当が悪い銘柄に当たると、幾ら稼いでもなかなか口座残高の増加に寄与しないと専らの評判である。
以上の様な次第で、投資と仕事には多種多様な共通点があるなあと思った訳なのである。
ちょっと前、島国大和さんのところで下積み不要論というものを見た。仕事の種類にもよるんだろうが、私が思うに、下積み時期の重要さは「元手を貯める時期」だという点にある。下積みというのはある種の無敵モード、多少の失敗では信頼を根こそぎ失ったりはしないという、長い仕事生活の中でも唯一の時期である。この時期に、投資テクニック(仕事におけるスキル)を身に付けるのと同時にせっせと信頼度を貯めておくと、後から色々と見返りがある。ない職場もあるのかも知れんが。
ともあれ。例えば外国為替や先物取引と同様、仕事における信頼度市場は割とシビアなフィールドである。
幾ら頑張っても信頼度が貯まらないという人は、多分投資の方針(働き方)か、銘柄選び(就職先)のどちらかを間違っている。
転職というのは、多分口座残高の振り替えというか、勝負する銘柄を変えることなんだろうなーとは思うんだが、転職先の市場が稼ぎやすい市場かどうか、なんてこたぁ就職前にはなかなか分からんのだろうな。
2007年09月08日
レトロゲーム万里を往く その68 シリーズものゲームの「追加」「複雑化」を科学する。
ちょっと予定変更。今回はちょっと個別タイトルを離れて、ゲーム業界に大氾濫している「シリーズもの」の展開について、古きを思いて新しきを知ってみようぜ、というお話。
およそ、シリーズものが陥りやすい罠は、「複雑化・高難度化して客・新規離れ」に尽きる。
大体において、続編が作られる様なタイトルには、ある程度以上の数のファンがいるに決まっているのだ。当然ファンは、前作・元祖の記憶を引きずりながらも、前作以上の面白さを期待する。
この「記憶」というのが厄介だ。シリーズものの優位な点は「前作が面白かったから今度も面白いだろう」という意識に他ならず、前作が好きだった人こそが最大のマーケット、という事情の故に、あまり根本的にゲームを変える訳にもいかない。
一方で、開発者は「なんだよ、前作と全然変わってねえじゃん」とか「前作の方が面白かった」などという期待外れとも闘わなくてはいけない。
つまり、「前作の面白さ」は強力な武器であると同時に、最大の敵でもある。
変え過ぎてもいけないし、そのまんまでもいけない。
この過酷な縛りの為に、多くの続編は「前作を大きくは変えずに、色んな要素をちょこちょこ追加していく」という方針で作られざるを得なかったのだ。シリーズものが複雑化していくのは、実は宿命的な問題なのである。
じゃあ、この宿命から逃れる為にはどうすりゃいいんでしょ、という話になる。多分方法は二つしかない。「丁度いい範囲での「追加」を模索する」か、「「追加」以外のゲームの作り方を考える」の二通りである。
順番に考えてみよう。
1.丁度いい「追加」を考える。
上の縛りにハマった典型的な例が、多分格ゲー業界だろう。多くの格ゲーのシリーズものは、「基本的には変わらないシステム+次から次へと新要素」という作られ方をしていって、最後には肥大した追加要素に耐え切れずに自沈していった。
といっても、およそあらゆるシリーズものの初期には、成功した続編がつきものである。格ゲーの場合、スト2ダッシュやターボのヒットがなければ、業界そのものが成立しなかった。何で「初期の続編」はヒットするかというと、変化の「相対量」は大きいけど「絶対量」が少ないからだ。
スト2ダッシュの例で言うと、実はあのゲーム、ちょちょいとバランスがいじられて四天王が追加されただけで、後は殆ど前作と変わらなかった。それでも空前の大ヒットをした理由は、当時は「その程度の変化だけで十分驚天動地の変化だったから」に他ならない。
絶対量で見ればそれ程変わっていないので、前作ファンがこぞって100%楽しむことが出来る。相対量では物凄く変わっているので、前作ファンがこぞって「前作よりすげえ」と感じることが出来る。ドラクエやFFの二作目三作目も同じ様な事情だった。
つまり、「追加要素」という道を選んだ時の理想的な続編とは、「相対量では大きな変化だけど、絶対量で見るとそれ程でもない」という作り方である、ということがまずはいえそうだ。
これ、言うまでもなく難しい。シリーズが重なれば重なる程、一作品辺りの「変化の相対量」は目減りしていく。ちょっとやそっとの変化量ではユーザーを誤魔化せなくなっていく開発者は、ガンガン追加要素を加えていかざるを得ない。KOF然り、飢狼しかり。この辺考えると、格ゲー業界の最大の悲劇は「それ程システム的に発展性はないのに、続編作りまくって引っ張り過ぎました」という一点に尽きる様な気がする。
ちなみに、RPG業界も似た様なことになっている様な気はする。こっちは、システムの複雑化というよりはプレイ時間の増加が敷居を高くしてる様にも思うけど。
と、あんまり意味がないなあと思ったところで、もう一つの手法。
2.「追加」以外での続編の作り方を考えてみる。
幸いなるかな、われわれは過去の例を考えてみることが出来る。続編でゲーム性ごとものすげえ方向転換をしてみましたというタイトルは、かつて星の数程存在した。
この変遷をジャンルごと体験したのは、おそらくアドベンチャーゲームだろう。ポートピアの時にも書いたが、かつては「単語探しゲーム」だったアドベンチャーゲームは、ある時期を境に「コマンド総当り+テキストを楽しむゲーム」という凄まじい方向転換を行った。代表的な例が「サラダの国のトマト姫」だろう。
この変化は、コマンドに対応するテキスト量の純増という方向に向かい、更に方向性を突き詰めた「サウンドノベル」に流れこんでいくことになる。これは、変化というよりは単純化という方向に向かったゲームの好例であり、何かの解決法がここにあるんじゃないか、とか漠然と感じるところがある。
「パックマン」→「パックランド」の方向も瞠目するべきものがあった。ドットイートゲームにさくっと見切りをつけて、作られた横スクロールアクションは珠玉の職人芸。ワルキューレの冒険→伝説の例も鑑みると、ナムコの底力を感じずにはいられない。ファミスタ?知らん。
SDガンダム2(戦闘画面はアクション)→SDガンダム3(ガンダム版大戦略)の変化も大きかった。評判はいまひとつだったのか、SDガンダムXで元の鞘に納まった時は大評判だったけど。ああ、先祖がえりって手法も有用かも知れないな。
と、ここまで例を挙げてみるとお分かりかと思うが、われわれは当然源平討魔伝にも触れる必要があるだろう。アーケード版での超ド級和風アクションが、どういう訳かボードゲーム風RPGへの華麗なる転進。あれは衝撃的な続編だった。私自身は、「月風魔伝」が既に発売されていたということが、このゲームが生まれた理由ではないかなーと想像するのだが、まあ細かい話はこちらをご参照頂きたい。
あ、そろそろこの項の結論出す時間ですか。そうですか。続編の作り方に困ったら、いっそ全部国取りボードゲーム(フィギュアつき)にしてしまうというのが斬新でいいんじゃないかな、って感じで。
・まとめ。
ということで、変化が大き過ぎてもいけないし、小さ過ぎてもいけないし、いずれにせよ複雑化し過ぎるとまずいよね、ということになると開発者さんの苦労が偲ばれる。
取り敢えず、アドベンチャーゲームが辿った「ゲーム性転換→単純化」という道は、ちょっと他のジャンルとは違う様に思えるのだな。つまり、足し算ではなく、引き算の続編という可能性だ。
次回万里では、ハドソンの例のアレなんかを主題にして、この辺についてもうちょっと考えてみたいと思う。
およそ、シリーズものが陥りやすい罠は、「複雑化・高難度化して客・新規離れ」に尽きる。
大体において、続編が作られる様なタイトルには、ある程度以上の数のファンがいるに決まっているのだ。当然ファンは、前作・元祖の記憶を引きずりながらも、前作以上の面白さを期待する。
この「記憶」というのが厄介だ。シリーズものの優位な点は「前作が面白かったから今度も面白いだろう」という意識に他ならず、前作が好きだった人こそが最大のマーケット、という事情の故に、あまり根本的にゲームを変える訳にもいかない。
一方で、開発者は「なんだよ、前作と全然変わってねえじゃん」とか「前作の方が面白かった」などという期待外れとも闘わなくてはいけない。
つまり、「前作の面白さ」は強力な武器であると同時に、最大の敵でもある。
変え過ぎてもいけないし、そのまんまでもいけない。
この過酷な縛りの為に、多くの続編は「前作を大きくは変えずに、色んな要素をちょこちょこ追加していく」という方針で作られざるを得なかったのだ。シリーズものが複雑化していくのは、実は宿命的な問題なのである。
じゃあ、この宿命から逃れる為にはどうすりゃいいんでしょ、という話になる。多分方法は二つしかない。「丁度いい範囲での「追加」を模索する」か、「「追加」以外のゲームの作り方を考える」の二通りである。
順番に考えてみよう。
1.丁度いい「追加」を考える。
上の縛りにハマった典型的な例が、多分格ゲー業界だろう。多くの格ゲーのシリーズものは、「基本的には変わらないシステム+次から次へと新要素」という作られ方をしていって、最後には肥大した追加要素に耐え切れずに自沈していった。
といっても、およそあらゆるシリーズものの初期には、成功した続編がつきものである。格ゲーの場合、スト2ダッシュやターボのヒットがなければ、業界そのものが成立しなかった。何で「初期の続編」はヒットするかというと、変化の「相対量」は大きいけど「絶対量」が少ないからだ。
スト2ダッシュの例で言うと、実はあのゲーム、ちょちょいとバランスがいじられて四天王が追加されただけで、後は殆ど前作と変わらなかった。それでも空前の大ヒットをした理由は、当時は「その程度の変化だけで十分驚天動地の変化だったから」に他ならない。
絶対量で見ればそれ程変わっていないので、前作ファンがこぞって100%楽しむことが出来る。相対量では物凄く変わっているので、前作ファンがこぞって「前作よりすげえ」と感じることが出来る。ドラクエやFFの二作目三作目も同じ様な事情だった。
つまり、「追加要素」という道を選んだ時の理想的な続編とは、「相対量では大きな変化だけど、絶対量で見るとそれ程でもない」という作り方である、ということがまずはいえそうだ。
これ、言うまでもなく難しい。シリーズが重なれば重なる程、一作品辺りの「変化の相対量」は目減りしていく。ちょっとやそっとの変化量ではユーザーを誤魔化せなくなっていく開発者は、ガンガン追加要素を加えていかざるを得ない。KOF然り、飢狼しかり。この辺考えると、格ゲー業界の最大の悲劇は「それ程システム的に発展性はないのに、続編作りまくって引っ張り過ぎました」という一点に尽きる様な気がする。
ちなみに、RPG業界も似た様なことになっている様な気はする。こっちは、システムの複雑化というよりはプレイ時間の増加が敷居を高くしてる様にも思うけど。
と、あんまり意味がないなあと思ったところで、もう一つの手法。
2.「追加」以外での続編の作り方を考えてみる。
幸いなるかな、われわれは過去の例を考えてみることが出来る。続編でゲーム性ごとものすげえ方向転換をしてみましたというタイトルは、かつて星の数程存在した。
この変遷をジャンルごと体験したのは、おそらくアドベンチャーゲームだろう。ポートピアの時にも書いたが、かつては「単語探しゲーム」だったアドベンチャーゲームは、ある時期を境に「コマンド総当り+テキストを楽しむゲーム」という凄まじい方向転換を行った。代表的な例が「サラダの国のトマト姫」だろう。
この変化は、コマンドに対応するテキスト量の純増という方向に向かい、更に方向性を突き詰めた「サウンドノベル」に流れこんでいくことになる。これは、変化というよりは単純化という方向に向かったゲームの好例であり、何かの解決法がここにあるんじゃないか、とか漠然と感じるところがある。
「パックマン」→「パックランド」の方向も瞠目するべきものがあった。ドットイートゲームにさくっと見切りをつけて、作られた横スクロールアクションは珠玉の職人芸。ワルキューレの冒険→伝説の例も鑑みると、ナムコの底力を感じずにはいられない。ファミスタ?知らん。
SDガンダム2(戦闘画面はアクション)→SDガンダム3(ガンダム版大戦略)の変化も大きかった。評判はいまひとつだったのか、SDガンダムXで元の鞘に納まった時は大評判だったけど。ああ、先祖がえりって手法も有用かも知れないな。
と、ここまで例を挙げてみるとお分かりかと思うが、われわれは当然源平討魔伝にも触れる必要があるだろう。アーケード版での超ド級和風アクションが、どういう訳かボードゲーム風RPGへの華麗なる転進。あれは衝撃的な続編だった。私自身は、「月風魔伝」が既に発売されていたということが、このゲームが生まれた理由ではないかなーと想像するのだが、まあ細かい話はこちらをご参照頂きたい。
あ、そろそろこの項の結論出す時間ですか。そうですか。続編の作り方に困ったら、いっそ全部国取りボードゲーム(フィギュアつき)にしてしまうというのが斬新でいいんじゃないかな、って感じで。
・まとめ。
ということで、変化が大き過ぎてもいけないし、小さ過ぎてもいけないし、いずれにせよ複雑化し過ぎるとまずいよね、ということになると開発者さんの苦労が偲ばれる。
取り敢えず、アドベンチャーゲームが辿った「ゲーム性転換→単純化」という道は、ちょっと他のジャンルとは違う様に思えるのだな。つまり、足し算ではなく、引き算の続編という可能性だ。
次回万里では、ハドソンの例のアレなんかを主題にして、この辺についてもうちょっと考えてみたいと思う。
2007年09月07日
文学に対する私の妄想と、Webの傾向について。
「知って面白い」情報への敷居が余りにも低くなった為に、「読んで面白い」情報に集まるエネルギーが目減りしてるんじゃないか、と。先に結論を書くと、こういうことになる。
順を追って書こう。
以前、「知って面白い」エントリーと、「読んで面白い」エントリーの違いについて、ちらっとだけ書いた。背景がちょっとややこしいのだが、一応リンクしておく。
文章力のお話の補足で、要は文章力には「整理系」と「装飾系」のニ軸があり、大雑把な基準ではこのニ軸は反比例する傾向にある、と。そして、現在のブログ界隈ではどちらかというと「整理系」の文章力の方が尊ばれている様に見える、と。
で、その原因は、どちらかというと「情報としてのエントリー」の方が「読み物としてのエントリー」よりも人気であるからの様だ、と。そんな感じの話だったと思う。
上の、人気がある・なしの話というのは、基本的にはニュースサイトや、はてなブックマークなどのSBMを見ての皮膚感だということを先に断っておく。別に厳密な統計を私が持っている訳ではない。
で、ちょっと前にこちらを読んで、ふーむ、と思った。
切込隊長BLOG:筒井康隆『巨船ベラス・レトラス』(文藝春秋社)
本書については、書評を書ける程読み込んでないが、一応店頭で読むことは読んだ。
で、この辺の話だ。
ネットの時代になって、文章読みとして人材がプールされているような機能、あるいは、野球好きが野球についての理屈や見方を吟味するような機能が、お手軽になった反面、大量の浅薄な情報によって埋没してしまって深く掘ることが不能になってしまったようには感じる。その場が面白ければそれでいいのであって、その場を面白くするために素材を適当に商業著作物から引っ張ってきて張り合わせて文章なり画像なり映像なりにして無料でバラ撒いて同好の士同士安価でお手軽な面白さで時間を共有できればそれでよいという暗澹たる状況になっているのは筒井氏の作中での指摘通り。それについては何も文句はない。
私は、Webに対して多分ある種の幻想を持っていたと思う。
かなり以前、例えばブログの隆盛を見て、「これだけ「日常的に書く」人とインフラが集積されれば、将来的にはいわゆる純文学の方面にも、何かしらいい影響があるんじゃあるまいか」とか、そんなことを考えていた。もっと端的な言い方をすると、「Web出身の純文学作家」がざくざく出現する風景、なんてものを妄想していた。こういう視点になるのは、私がかつて、どちらかというと出版社側の人間だったからだ。
現実に私の眼下にあるのは、書店に並んだケータイ小説コーナーである。
ケータイ小説をちょっとだけ読んでみて、思ったことが一つある。「ケータイ小説を読む」という体験は、「読んで楽しむ」という行為よりはどちらかというと「知って楽しむ」という行為に近いな、ということだ。私小説をずっと簡略化したもの、というか、そこにあるのはいわゆる「事実」であって「装飾」ではない。そんな風に感じた。
まあケータイ小説については置いとこう。多分、私よりずっと詳しい人がずっと詳しく語っているだろうし、そもそも語れる程読んでない。ケータイ小説に文句をつける気も別にない。
ただ、私が抱いていた様な妄想が屑篭の中で焼却を待っている理由と、冒頭で挙げた「読んで面白い」エントリーが足踏みをしている理由は、どこかで根っこを一つにしてるんじゃないかなあ、と私は考えるのだ。
文学とは文芸であり、つまりは「芸」であり、実際の所「知識」ではない。
芸は愛でるものであり、楽しむものであり、断じて役に立つものではない。
「文学は役に立たないものである」というのは、文学部の学長が入学式で話すお決まりの台詞である。
つまり、「知る」ことが重視される世界では、極端な話文学の出番は存在しないのだ。お呼びじゃないのである。
かくして文頭の結論に至る。
多分、私は極論を書いているのだろう。
ただ、「純文学」という言葉に(笑)や「いわゆる」をつけないと何となく収まりが悪いと感じる人の方が、どちらかというと多数派である様には思える。ページがスクロールする程長い文章は、そもそも読まない人の方が多数派である様には思える。
それが悪いことだとは言えないし、エラそうなことをいえる程の内容を私が書いている訳でもない。ただ、何となく寂しい。
2007年09月03日
子供の話と、「砂」の文化にまつわる色々。
寝かしつけ技術メモ。「寝てくれー」と思わないこと。寝せる、のではなく、寝るのを待つ、こと。
息子さんは、こっちが何も考えずに抱っことしてぽけーっと揺れていると、最初の内はぎゃんぎゃん寝ぐずりをしていても、いつの間にか寝ている。親の側に余裕がなけりゃ、そりゃ寝れるもんも寝れないだろう。
ということで、30分ばかり抱っこして立ち揺れをしていると割と簡単にお休みになるということがここ最近の発見。あと、一度深い眠りに入ると、その辺に置いとくだけでもそう簡単には起きない。この辺母譲りな気もする。
一事が万事なのかも知れない。基本的に親は子供のしたいことを見ているべきであって、つまり受動的であるべきであって、余り手を出す口を出すしてもいい影響はない、と漠然と思っていたが、もしかすると「寝せるのではなく、寝るのを待つ」というのはその端的な側面なのかも知れない。
肝に銘じておこう。子供は何でも出来る。親は手伝うだけ。木の上に立って見ているだけ。私にはそれが出来る。
それはそうと、私も大概気が長いなあと再発見した。私にとって、待たされることは別段苦にならない。先天的なものなのか後天的なものなのか知らんが、私はこの性質で損をした記憶が未だかつてない。
もしかすると私の最大の強みって気の長さなのかも知れない。
・砂にまつわるエトセトラ
息子を寝かしつけている時、うちの奥様が「寝せること」を指して「目に砂をかける」という表現を使ったので、ちょっと驚いた。眠気のことを「目に砂をかける妖精」と表現する逸話があること、確かヨーロッパの方の逸話だったこと、くらいは覚えていたが、一般的な慣用表現と認識してなかったからだ。
確かRPGでも、サンドマンとか眠りの妖精として出てきた様な気がする。
興味が出たので調べてみた。
眠りの精 (砂の精)「子どもの民謡」より
ブラームス。3番に「砂を目にかける」という表現。文末に砂男について。ドイツ民話だったか。割と最近の話なんかな。
で、「砂男」はホフマン。
Wikipedia:E.T.A.ホフマン
フロイトも絡んでたっけか。フロイト全集〈17〉
すげー遠い記憶だけど、大学で何かゼミを受けたような覚えがある。私はフロイトに対してちょっと偏見を抱いていたが、その講義以降更に偏見が濃くなった。誰か解いてくれ。
それはそうと、日本には「砂」がまつわる民話ってあまり多くない様な気がする。気候的な問題なのかも知れないが、つまり湿潤さの為に、「砂」が余り身近なモチーフになってなかったってことなんじゃないだろか。って、かなりテキトーに言ってるが。
取り敢えず砂かけばばあ。勿論柳田国男。
単に私の勉強不足かも知れないが、日本霊異記辺りでは、「砂」をモチーフとした話を読んだ記憶がない。あの辺、あんまり「乾き」がイメージされてないんじゃないだろか。とか漠然と。日本だと、例えば日照りや飢饉のイメージにも、あんまり「砂」の表現は出てこないしな。
砂、というと、やっぱ中東とか北アフリカ、ヨーロッパ、あるいは中央アジア。イメージ的にはそんな感じかな。
ふと思いついて、日本での砂場の歴史を調べてみたくなった。全くの憶測だが、多分これ、輸入文化じゃないか。「砂で遊ぶ」という発想は、日常砂が身近にないと生まれない筈だ。
本のタイトルだけ、ここ。こっちもか。
あと、こっちには内容がちょっと書いてあった。詳読がまだだから保留するけど、
それはそうと、「砂の女」。日本では出にくい発想だったのかなー、とか思う。
以上、砂にまつわる色々。
(09/04 09:00 追記)------------------------------------
書き忘れてた。
うちの奥様が「砂をかける」という表現を使ったのは、結局昔観たミッキーマウスのアニメが由来だったそうだ。
「ミッキーと砂男」というタイトルだった筈、ということなのだが、なんだかぐぐってもそれらしいものが出てこない。
ご存知の方がいれば教えて頂けると。
息子さんは、こっちが何も考えずに抱っことしてぽけーっと揺れていると、最初の内はぎゃんぎゃん寝ぐずりをしていても、いつの間にか寝ている。親の側に余裕がなけりゃ、そりゃ寝れるもんも寝れないだろう。
ということで、30分ばかり抱っこして立ち揺れをしていると割と簡単にお休みになるということがここ最近の発見。あと、一度深い眠りに入ると、その辺に置いとくだけでもそう簡単には起きない。この辺母譲りな気もする。
一事が万事なのかも知れない。基本的に親は子供のしたいことを見ているべきであって、つまり受動的であるべきであって、余り手を出す口を出すしてもいい影響はない、と漠然と思っていたが、もしかすると「寝せるのではなく、寝るのを待つ」というのはその端的な側面なのかも知れない。
肝に銘じておこう。子供は何でも出来る。親は手伝うだけ。木の上に立って見ているだけ。私にはそれが出来る。
それはそうと、私も大概気が長いなあと再発見した。私にとって、待たされることは別段苦にならない。先天的なものなのか後天的なものなのか知らんが、私はこの性質で損をした記憶が未だかつてない。
もしかすると私の最大の強みって気の長さなのかも知れない。
・砂にまつわるエトセトラ
息子を寝かしつけている時、うちの奥様が「寝せること」を指して「目に砂をかける」という表現を使ったので、ちょっと驚いた。眠気のことを「目に砂をかける妖精」と表現する逸話があること、確かヨーロッパの方の逸話だったこと、くらいは覚えていたが、一般的な慣用表現と認識してなかったからだ。
確かRPGでも、サンドマンとか眠りの妖精として出てきた様な気がする。
興味が出たので調べてみた。
眠りの精 (砂の精)「子どもの民謡」より
ブラームス。3番に「砂を目にかける」という表現。文末に砂男について。ドイツ民話だったか。割と最近の話なんかな。
で、「砂男」はホフマン。
Wikipedia:E.T.A.ホフマン
フロイトも絡んでたっけか。フロイト全集〈17〉
すげー遠い記憶だけど、大学で何かゼミを受けたような覚えがある。私はフロイトに対してちょっと偏見を抱いていたが、その講義以降更に偏見が濃くなった。誰か解いてくれ。
それはそうと、日本には「砂」がまつわる民話ってあまり多くない様な気がする。気候的な問題なのかも知れないが、つまり湿潤さの為に、「砂」が余り身近なモチーフになってなかったってことなんじゃないだろか。って、かなりテキトーに言ってるが。
取り敢えず砂かけばばあ。勿論柳田国男。
単に私の勉強不足かも知れないが、日本霊異記辺りでは、「砂」をモチーフとした話を読んだ記憶がない。あの辺、あんまり「乾き」がイメージされてないんじゃないだろか。とか漠然と。日本だと、例えば日照りや飢饉のイメージにも、あんまり「砂」の表現は出てこないしな。
砂、というと、やっぱ中東とか北アフリカ、ヨーロッパ、あるいは中央アジア。イメージ的にはそんな感じかな。
ふと思いついて、日本での砂場の歴史を調べてみたくなった。全くの憶測だが、多分これ、輸入文化じゃないか。「砂で遊ぶ」という発想は、日常砂が身近にないと生まれない筈だ。
本のタイトルだけ、ここ。こっちもか。
あと、こっちには内容がちょっと書いてあった。詳読がまだだから保留するけど、
日本の〈砂場〉の設置に影響を与えたと考えられるのがアメリカの〈砂場〉。アメリカでは1885年、ボストンのパーメンター通り20番地に最初の〈砂場〉がつくられた。
それはそうと、「砂の女」。日本では出にくい発想だったのかなー、とか思う。
以上、砂にまつわる色々。
(09/04 09:00 追記)------------------------------------
書き忘れてた。
うちの奥様が「砂をかける」という表現を使ったのは、結局昔観たミッキーマウスのアニメが由来だったそうだ。
「ミッキーと砂男」というタイトルだった筈、ということなのだが、なんだかぐぐってもそれらしいものが出てこない。
ご存知の方がいれば教えて頂けると。
2007年09月02日
今日のしんざき 07/09/02
コンサートのお知らせ。
9月22日、フォルクローレのミニコンサートをやります。4グループ出演で、私は例によってサンファニート集団「ロス・ガラパゴス」にて参加。
1.期日:9月22日(日) 16:00開場 16:30開演、二時間くらい
2.場所:東京大学駒場キャンパス 新学生会館2F第一集会室
3.料金:無料
4.地図:下記

フォルクローレに興味のある方は是非どうぞ。
とかいいつつ、ガラパゴスは直前まで出演メンバーが確定しなそうな雰囲気だったりして。慣れが怖い。
・今更の話題なんだろうけど
ちょっと複雑な気分になった。
いい例として。
へいわぼけ:鬱病は甘え、寝れば治る
元記事は2ちゃんか。
コメ欄で、このスレタイを叩いている人が誰もいない。
実際に「鬱病は甘えであり、寝れば治る」なんて言っている人がいれば正気を疑われるだろうし、実際の所引用記事にもんなニュアンスは皆無な訳だが、この誘導100%なスレタイをこのスレの住民はそれ程の違和感なく受け入れている。
これ、週刊誌の記事タイのつけ方と同じ手法なんだよなあ。同じことを週刊誌がやれば2ちゃんなんかでは死ぬ程叩かれると思うんだけど、この理不尽感は一体なんなんだ。
金が絡むからこそ使われている手法を、金の束縛と無縁である筈の場所で採用せんでもなあ。とか。たまに、「アクセスを呼べるタイトルのつけ方」などと評して、週刊誌そのままのタイトル付けを推奨してるサイトなんかあって目を疑う。同じサイト内でマスコミ批判なんてしてるのを見ると品性を疑う。
これもWebに対する幻想というヤツなんだろか。
9月22日、フォルクローレのミニコンサートをやります。4グループ出演で、私は例によってサンファニート集団「ロス・ガラパゴス」にて参加。
1.期日:9月22日(日) 16:00開場 16:30開演、二時間くらい
2.場所:東京大学駒場キャンパス 新学生会館2F第一集会室
3.料金:無料
4.地図:下記
フォルクローレに興味のある方は是非どうぞ。
とかいいつつ、ガラパゴスは直前まで出演メンバーが確定しなそうな雰囲気だったりして。慣れが怖い。
・今更の話題なんだろうけど
ちょっと複雑な気分になった。
いい例として。
へいわぼけ:鬱病は甘え、寝れば治る
元記事は2ちゃんか。
コメ欄で、このスレタイを叩いている人が誰もいない。
実際に「鬱病は甘えであり、寝れば治る」なんて言っている人がいれば正気を疑われるだろうし、実際の所引用記事にもんなニュアンスは皆無な訳だが、この誘導100%なスレタイをこのスレの住民はそれ程の違和感なく受け入れている。
これ、週刊誌の記事タイのつけ方と同じ手法なんだよなあ。同じことを週刊誌がやれば2ちゃんなんかでは死ぬ程叩かれると思うんだけど、この理不尽感は一体なんなんだ。
金が絡むからこそ使われている手法を、金の束縛と無縁である筈の場所で採用せんでもなあ。とか。たまに、「アクセスを呼べるタイトルのつけ方」などと評して、週刊誌そのままのタイトル付けを推奨してるサイトなんかあって目を疑う。同じサイト内でマスコミ批判なんてしてるのを見ると品性を疑う。
これもWebに対する幻想というヤツなんだろか。
2007年09月01日
レトロゲーム万里を往く その67 ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会
「ば、馬鹿な、この俺を道連れに!」
「こ、今度ばかりはタネはありません。ほ、本当にさよならです!!」
「すがたーーーっ!!(爆弾パンチでごうだを巻き込んでリングアウト)」
↑
このゲームに対する個人的イメージ。
正直なところ、テクノスジャパンすげー勿体無かった。
FC中期〜後期において、データイーストから分派した彼らが作ったアクションゲーム・スポーツゲームって凄い質が高かったと思うんだけど、どういう訳か「ダブルドラゴン」「くにおくん」以外のタイトルでは鳴かず飛ばず。
その二つのシリーズにおいても、SFCでの華々しいスタートに若干失敗した感のある「くにおたちの挽歌」、落ちものに特攻して撃沈した「くにおのおでん」、完全な対戦格闘となったけど微妙に外してしまったネオジオ版「ダブルドラゴン」辺りで失墜し、二大看板を失ったテクノスジャパンはさくっと倒産してしまった。
「ファイナルファイト」系のゲームだけでは生き残れないという経営判断があったんだと思うんだが、ダウンタウンシリーズであそこまで明確に培ったノウハウがあったのだから、いっそSFCでもデフォルメ系アクションゲーム路線に突っ走れば良かったんじゃないかとか強く思う。いや、すごろクエストも割と好きでしたけどね。
それはそうと、「熱血行進曲」についてである。
続きを読む
「こ、今度ばかりはタネはありません。ほ、本当にさよならです!!」
「すがたーーーっ!!(爆弾パンチでごうだを巻き込んでリングアウト)」
↑
このゲームに対する個人的イメージ。
正直なところ、テクノスジャパンすげー勿体無かった。
FC中期〜後期において、データイーストから分派した彼らが作ったアクションゲーム・スポーツゲームって凄い質が高かったと思うんだけど、どういう訳か「ダブルドラゴン」「くにおくん」以外のタイトルでは鳴かず飛ばず。
その二つのシリーズにおいても、SFCでの華々しいスタートに若干失敗した感のある「くにおたちの挽歌」、落ちものに特攻して撃沈した「くにおのおでん」、完全な対戦格闘となったけど微妙に外してしまったネオジオ版「ダブルドラゴン」辺りで失墜し、二大看板を失ったテクノスジャパンはさくっと倒産してしまった。
「ファイナルファイト」系のゲームだけでは生き残れないという経営判断があったんだと思うんだが、ダウンタウンシリーズであそこまで明確に培ったノウハウがあったのだから、いっそSFCでもデフォルメ系アクションゲーム路線に突っ走れば良かったんじゃないかとか強く思う。いや、すごろクエストも割と好きでしたけどね。
それはそうと、「熱血行進曲」についてである。
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