あらゆるメディアには、情報ツールとしての側面と、評価・認証機関としての側面という二面性がある。
ニュース番組がニュースを流す。ニュースという情報を電波に乗せる、「こんな事件があったよ」という情報をお茶の間に放映する、この場合ニュース番組は情報ツールとして機能している。
ニュース番組がそのニュースの内容について、あるいはニュースで報じている事物について、なんらかの評価を付け加えるとする。例えば、「この事件良くないですよね」と付け加える。この場合、ニュース番組は評価機関として機能している。ニュースを流すこと自体が、あるニュースの正しさを認証するということでもあり、この場合もニュース番組は評価機関に近い役割をもっているといえるだろう。
情報は、素の状態ではそっけない。素の状態で情報を流しているだけだと視聴者に受けない→影響力が減ずるから、評価という付加価値をつけて情報の価値を上げる。それが「評価機関」としてのメディアの働きであり、利益を追求する企業としての姿勢でもある筈だ。
多分、ここまでは前提と考えていいだろう。
最近TBSが色々と叩かれていた。この前の初音ミク絡みの騒動だとか、亀田家絡みの話を見るに、乱暴に総括すると「情報ツールとしてメディアを捉えている」文脈と、「評価・認証機関として機能しようとした」TBSの軋轢があった、様に私は感じたのだ。
この前の初音ミク絡みの番組は分かりやすかった。「初音ミクというソフトがありますよ、こんな機能がありますよ、というのは素の情報だ。そこに、「でも、使っている人がこんなんですよ、オタクキモいですよね」という評価を乗せる。これは評価機関としてのメディアの機能である。で、後者の方にWebの一部のヒトビトがエラい文句をつけた、というのがこの前の騒ぎの要約だったと思う。
まあ、この騒ぎについては「評価の内容」が刺激的だったもんで際立っていると思うんだけど。Webのメディア批判の殆どは、「評価機関としてのメディア」を叩いている、という共通点をもっている様に思う。
評価が捏造までいくのはまあ論外だが、とにかく評価が行き過ぎると叩かれる。Web界隈では、評価には極めて厳密な公平性を求められる(本来「公平な評価」「客観的な評価」なんてものはこの世に存在しないと思うが)。というか極端な話「情報ツールに過ぎないメディアが、評価なんて生意気なことをするな」という方向性になっている文脈が結構ある様な気がするのだな。
敢えて極論すると、Webの多くの言論は、メディアに「情報ツールに徹する」ことを要求している、様に私には見える。
以前、毎日新聞の新特集関連で香ばしい事態が発生している件について。で、ちらっとこんなことを書いた。
商業メディアのパワーソースは影響力であるから、影響力を確保する為に自社の報道には偏向をかける。繰り返すが、これは商業メディアにとって「当然のこと」なのだ。
一方、Webの言論は「情報ソースに偏向をかけること」を許容しない。
偏向と言うと聞こえが悪いが、これ、「偏向→評価」に置き換えると今回の構図に大体当てはまるのかなーと思った。
一方、ちょっと興味深く思ったのがGoogleに絡んだ騒ぎだ。
当然のことだが、GoogleやYahoo!の様な検索エンジンも、情報ツールとしての側面と、認証・評価機関の側面としての二面性をもっている。
検索エンジンは、基本的には「検索語と関係するページを表示する」という情報ツールであるが、同時に「このページは検索語と関係していますよ」ということを保証する認証機関でもある。そして、SEO対策だのGoogle八分だのを見ていれば分かる通り、「表示順位」という絶対的な評価方法を有してもいる。
Googleの評価機関としての側面が、実はTBS他大手メディアと本質的に変わらないということを、あんまり意識していない人が多い気がする。Googleは、それが有効だと思えばいつでも「えげつない」やり方で評価機関としての側面を前面に出すことが出来るのだ。そして、WebにおけるGoogleの影響力は、言うまでもなく巨大である。
この前の初音ミクに絡んだGoogle騒ぎは、結局勇み足だったんじゃねえかなと見えなくもないが(ちゃんと追いかけていないので、結局真相がどうだったのかは良く知らないが)、ともあれ随分センセーショナルな騒ぎになった。それは何でかというと、メディアとしてのGoogle、「情報ツール」ではなく「評価機関」としてのGoogleが、今まで余りそれを意識していなかったユーザー達につきつけられたから、という側面もあるんじゃなかろうか。
Googleはまず第一に情報媒体であり、情報ツールであると同時に評価機関でもあり、そして何よりも企業である。Webを代表するツールだったGoogleが、企業として「Webの理屈」から乖離し始めた時、TBSを批判している様な人達はどんな反応を示すのだろうか。





