2008年01月30日

正しい陰口の叩き方

はてブのコメントが陰口とかちゃんちゃらおかしいですよ、HAHAHA。


率直に言って、「はてなブックマークのネガティブコメントが陰口かどうか」というレベルでの議論をしている人は、そもそも陰口というものを理解していないと言わざるを得ない。陰口素人、陰口ノービス、アマチュアかげぐちゃーである。

陰口の真髄とは何か。それは本人には直接届かないということであり、めぐりめぐって何かの拍子に本人の耳に入る、ということこそまさに陰口を陰口たらしめるエッセンスな訳である。

めぐりめぐるサイクルに本人の意図が届き得ない不快感、発生源が不明瞭ないやらしさ、反論の仕様がない理不尽な情報伝達方式、こういった要素なしに陰口を陰口とは呼ばない。

そこから考えると、アクセス履歴から僅か1クリックで手が届くはてブにおけるネガティブコメントなど、陰口から最も遠い位置にあるテキストであると言う他ない。本人の目の前で、正面切って悪口雑言たれているのとそれ程変わらない。喧嘩を売るのも買うのも大いに結構だと思うが、それを陰口のつもりで行うのは重大な錯誤であると言えよう。

Webにおける「距離の短さ」というものを舐めてはいけない。Web上の人にWebで意見する、という時点で、そこに陰口など成立しない。


少し話は変わる。


この辺の距離感の錯覚というものは、Web全域に渡って色々な問題を発生させている様にも思う。「陰口」のつもりで書いた文言が怖い人達に目をつけられて、大炎上してさあ大変、みたいな状況は凄く頻繁にみる。


何故炎上するかというと。Webにおいて、Web上で強い人々に目をつけられてしまうから炎上する訳である。

どうせ陰口を叩くなら、徹底してネチネチとやるべきなのである。相手が反撃手段をもっているところで陰口を叩いて、かつ反撃されてからあわてふためいてどうするのだ。卑屈さ成分が足りない。未熟極まると言わざるを得ない。


つまり、「正しい陰口の叩き方」というのは以下の一文に集約される。

・Webで強い人はリアルで批判し、リアルで強い人はWebで批判するのが正しい陰口だ!




あ、私ですか?陰口は本人の目の前で言う様にしてますけど。

このエントリーは陰口ですか?いいえ、クリリンです。
posted by しんざき at 16:12| Comment(5) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論

2008年01月28日

「3個で400円のリンゴ」と「2個で300円のリンゴ」を比較してみる。

さて、ここで問題です。「3個で400円のリンゴ」と「2個で300円のリンゴ」どちらが高いでしょう?



答えは勿論、「3個で400円のリンゴ」ですね。400円と300円、普通に考えればどちらが高いかは一目瞭然。一個当たりの値段なんて知ったこっちゃありません。純粋に「買うのに幾らかかるのか」という視点をもった時、どう考えても前者の方が100円高いのです。こんなもんは絶対値の問題、算数の問題、引き算の問題である筈なのです。

世間に「前者の方が安い」と考える人が一定数、というかかなりの数存在するというのは、まったくもって私の理解の埒外の事象です。


「でも、3個必ず食べるなら400円のが安いじゃん」て。違うやろ。そこは、「3個必ず食べるなら」ではなくて「3個必ず必要なら」と考えるべきなのです。

あなたは本当に3個のリンゴを必要としているのですか?実は2個で十分こと足りるところ、「一個当たりの値段」というものに惑わされて、ついつい3個のリンゴを買っていないですか?あまつさえ、一度には食べ切れずに「3個の新鮮なリンゴ→1個の古いリンゴ」などという価値の暴落を引き起こしてはいないですか?冷蔵個に「一個当たりが安いから」という理由で買った食べ物が古くなっていませんか?


そんなあなたは、「単価の罠」にハマっていると私は思うのです。


思うに、われわれは普段「単価」という言葉に惑わされ過ぎなのではないでしょうか。「お得」という単語に惑わされ過ぎなのではないでしょうか。

単価という考えを持ち出す限り、我々は必ず「一個多い方」を買わざるを得ません。分母が大きい程単価が下がるのは当たり前のことなのですから。2個のりんごで十分お腹一杯になる場合には、3個のりんごを買うのはお得どころか有害ですらあるのですが、「単価」という概念に毒された人はそれに気付きすらしません。なんという販売者の権謀、なんというラベリング効果。


つまり、単価至上思想には、二つの致命的なデメリットがあると思うのです。


・必要・不必要に関わらず消費量をかさ上げしてしまう点。
・総額で考えれば、明らかに支出が多くなってしまう点。



私は思う訳です。安いか高いかを判断するなら総額で考えるべきだ、と。買うか買わないかを考えるなら必要・不必要で考えるべきだ、と。


冷凍庫を開けて凍ったおかずが転がり落ちてくる時、そう思う訳です。




って、最近西村和雄とか読む必要に迫られてるんで予習してるんですけど、ミクロ経済学ってこういうこと勉強するんですよね?

あ、全然違いますか。そうですか。
posted by しんざき at 18:02| Comment(9) | TrackBack(0) | 雑文

2008年01月26日

今日心に残ったクライアントの名言 08/01/26


「ここさあ、こーゆー動きになんないかな?」

「はい?今から仕様変えるんですか?もうユーザーテスト終わってるんですけど」

「いや、だからぁ、仕様は変えなくていいから、ちょっと動きを変えたいだけ


( ゚д゚)



( ゚д゚)



( ゚д゚ )



あっぶねえ、素で「アボカド」って言いそうになった。
posted by しんざき at 22:02| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記

2008年01月25日

漫画家さん入れ替え思考実験と、らんま1/2についてのお話。

ということで、いつも通り割とてきとーな話題に戻ろうかと思う。

漫画に関する思考実験というのは色々あるが、最近たまに考えるのは、「あの漫画の設定であの人が描いていたら」というシミュレート、というか妄想である。これがなかなか面白い。

デスノートを島本和彦が描いたら「それはそれ!これはこれ!」とか言うLが見られるかな、とか。テニスの王子様を鳥山明が描いたらもしかしたらあんまり変わらないかも知んない、とか。そういう感じの。

まあ、Webにはこの手のネタを挙げている人が多分たくさんいるだろう。どうせブログはネタと既出で出来ているのだ。ここから、ちょっとレトロげに話題を絞る。

話は「らんま1/2」について、である。知らない人にはわけわかんねー話になることがたやすく想定出来るが、あんまり気にしていない。


・らんまにまつわるいくつかの妄想。

らんま1/2、という漫画がある。高橋留美子が1987年からサンデーに連載した漫画で、主人公が「水をかぶると女性になり、お湯をかぶると男性に戻る」という特異体質を背負っていることが特徴のラブコメである。

参照:Wikipedia:らんま1/2

高橋留美子がその地位を不動のものにした作品、と言っていいだろうと思う。彼女はこれに先立って「うる星やつら」「めぞん一刻」というヒット作品を世に送り出している訳で。連載漫画が二作ヒットすれば大御所と言われる業界にあって、犬夜叉まで描いている氏の大御所っぷりはいまさら言うまでもない(勿論、この定義に従うと手塚治虫や藤子不二雄は大御所どころかS級妖怪になるが)

高橋留美子は勿論ラブコメの大家であるから、らんまも素っ頓狂な設定を縦横無尽に生かし切り、格闘漫画のエッセンスも相当分に加えた、すげえ完成度の高い長寿作品に仕上がっていた。後半は若干ダレたかも知れないが、日常系長寿漫画の宿命だと言ってしまえばそれまでである。この漫画を自然な形で仕上げられるのが、果たして高橋留美子以外に存在したか、というのは割と興味深いテーマになりそうである。

ということで、らんま1/2という素っ頓狂な設定の作品を、他の作家さんに描かせてみたらどんな感じになるか、ちょっと妄想を繰り広げてみたよ。


浦沢直樹が描いた場合 :序盤から呪泉郷の由来に関わる謎・伏線が張られまくるが、20巻辺りで主人公が失踪する。
車田正美が描いた場合 :途中から女性キャラが登場しなくなる。
福本伸行が描いた場合 :博打王キングの回が単行本6冊くらい続く。
花咲アキラが描いた場合:格闘ディナーの回が単行本12冊くらい続く。
大友克洋が描いた場合 :良牙が獅子咆哮弾を完成させた拍子に東京が崩壊する。
原哲夫が描いた場合  :上記の展開の後、なんか全体的に凄いことになる。
青山剛昌が描いた場合 :毎回殺人事件が起こる。(もしかするとチャンバラものになるかも知れないが)
江川達也が描いた場合 :最終巻で夢から覚める。
新沢基栄が描いた場合 :最終巻で夢から覚める。
島本和彦が描いた場合 :7巻くらいで、その場の勢いで呪泉郷に関する設定が消滅。そのまま野球漫画になる。
赤松健が描いた場合  :女性キャラが、どういう訳か全員乱馬と同じクラスに在籍する。


なかなかうまくいかないもんだな。ゆうきまさみやあずまきよひこが描いたらあんまり違和感ないだろうか。意外なところで、沙村広明なんか結構普通の作品に仕上がりそうな気もする。

冨樫義博が描いた場合?そうだな、超絶ひねりが利いた内容になるかも知れないけど、取り敢えず季刊連載になるんじゃないかな。


と、ここまで書いた所で、というか赤松先生が描いた場合の妄想をしてみて、二点疑問に思った。

・らんまは、いわゆる「ハーレム系漫画」なのか?そうでないとすればその差はどこにあるのか?
・何故、開始当初はヒロインの三分割を企図された様に見える、なびき・かすみがラブコメ中に参加しなかったのか?(なびきは後半にちょっとフェイントがあるが)

以下、参照URL。

参照:ハーレム漫画の祖は?
参照:Wikipediaの定義

なんかWebでは結構書いてる人がいそうな気がするなあ。ちょっと調べてみてから、気がむいたらまた書いてみる。


取り敢えずまとめとして、島本和彦先生が描いたデスノート超読みてえってことで。

いや、朝目新聞さんにそれっぽいパロディがあるにはあるんだけど。割と素で読みたいんですけど。「心に棚をつくれッ!!」とか言う月マジ見てみたい。
posted by しんざき at 23:26| Comment(11) | TrackBack(1) | 雑文

2008年01月23日

面接官をやり始めて分かったことと、思ったこと。

ここしばらく、新卒・中途問わず面接の場に出たり、別の面接官の人と色々話したりした。

で、色々と、面接する側に立ってみて初めて分かることが結構あるなあと思ったりもした。ちょっとメモっておく。


○面接側の事情について思ったこと。

・「縁」とは、特筆するべき事由が特にない時、強引に理由付けをする為に存在する言葉。

・面接をする側にもモチベーションと切迫具合というものがある。

・本当に人手不足の場合と、採用計画の消化過程にある場合では、切迫具合がまったく異なる。人を見る目にもかなりの差が出る。

・面接官に人を見る目があると思ったら大間違いである。また、面接官が現場を熟知していると思ったら大間違いである。

・特に中小企業において、面接という仕事は往々にして面接官の本業ではない。面接官は、大抵の場合他にもどっさりと仕事を抱えている。つまり、面接という場にやる気なく臨んでいる人も割といる。

・「弊社を希望された理由は?」とか。はっはっは。いや、別にその、真面目に考えてくれなくてもいいんです。最大の理由が「お金が要るから」あるいは「前の職場がヤだったから」であることは誰もが知っています。言ってみれば適切な建て前の作り方。

・往々にして、重要なのはアピールの内容ではなく、アピールの仕方。特に新卒の場合、面接官はそれ程アピールの内容自体には興味をもっていなかったりする。

・面接官が「求めている」ポイントは、実際の所あんまり多くない場合がままある。せいぜい二つか三つ。ただ、勘所は人によって違う。

・総合すると、運。これ。最強。


○自分でやっていて思った「面接のコツ(笑)」的なもの。

・はったりは割とすぐ分かる。が、無理がキツくない範囲での、いわば「適切な」はったりはむしろ評価を上げる。「ああ、この人はこちらが期待していることを読み取る能力があるんだな」「このくらいまでははったりをしても済むと思っているんだな(つまり、入社後その程度の仕事は振っても文句を言われんな)」と考えるからである。

・ここから考えると、「後からでも頑張れば何とか出来る」という辺りが適切なはったりのライン、かなあ。

・面接官の属性を読んで、ポイントがどこかを推測する。質問のテンプレートがあるか、ないか。やる気はあるかないか。テンション高いか低いか。若いかおっちゃんか。現場の人か、バックオフィスの人か。

・面接官のやる気を計る。やる気がない面接官に気合満々で話を聞かせようとしても往々にして空回りする。力加減重要。

・特に中途の場合、自信たっぷりな面接官には控えめに、自信なさげな面接官には自信たっぷりに接すると良いことが多い様な気がする。人材応募の人から自信たっぷりに「見える」という時点で、その面接官のスタンスはある程度推して知れる。自信なさげな面接官は多分あんまり慣れてない。割とはったりが通る。

・重要な質問をさり気なく聞きたがる人が多い様な気がする。ひと段落ついた後の「何気ない」質問に注意した方がいいと思う。

・一通り質問が終わった後の、「砕けた空気」での会話を最重視している人というのがいた。相手にどう合わせるか。タイミング重要。

・買い物で、二つの同じ程度の品物を選ぶ場面を想像してみるといい気がする。面接官は、往々にしてその程度の思考レベルに話を矮小化する。二つの違いはどこだろうか。あなたはどこで決めるだろうか。


○面接官をする時に私が気をつけていること、気をつけた方がいいと思っていること。

・面接を受ける人は、自分のことをいくら飾ってもいい。いくら飾っても、どうせ大した影響はない。でも、面接をする側が会社を飾るのはダメ。絶対。

・会社の悪いところは全部言う。私は基本的に脳みそお花畑、絶望的にポジティブかつ恐竜並みに鈍感な人間なので、悪いところに気付いていない部分もすげー多いと思う。でも無理してでも言う。会社に入ってから「話が違う」と感じるのは、本人だけでなくあらゆる人にとって不幸である。

・「何か質問あります?」という聞き方はあんまり良くない様な気がする。どうすれば相手がまだ思い当たっていない質問を引き出せるか。基本的には、相手の前の会社・あるいは他に受けている会社について色々聞いてみて、相手の組織評価能力を探ると同時に、「じゃあうちはどうなんかな」という方向に持っていくのが良い気がしている。



○俺みたいなヤツが面接官をしている会社の面接を受ける時、気をつけるべきこと。

・ごめんなさい、目が血走ってても見逃してやってください。別段仕事がキツい訳でもなんでもなく、久々にイメージファイトなんぞにはまって寝不足なだけなんです。


すいません今日は早めに寝ます。
posted by しんざき at 15:36| Comment(12) | TrackBack(3) | 雑文

2008年01月22日

レトロゲーBGM子守唄理論・実測編。

レトロゲームの曲は子守唄に最適だ、と思う訳である。


赤ん坊はなにせまだ赤ん坊なので、いま一つ謎なタイミングで泣いたり転がったり叫んだりする。

理由もまあ色々で、おむつが濡れていたり、お腹が減っていたり、眠かったり暑かったり暇だったりする。

想定し得るあらゆる手を尽くしてもいま一つ赤ん坊の機嫌が直らない時、親は歌う訳である。歌って赤ん坊の機嫌を直す訳である。

レトロゲームのBGMの良い点は、幾つかある。

・赤ん坊は総じて「繰り返し」が好きである。レトロゲームのBGMにも短い周期での繰り返しが多い。

・音数が少なく、メロディがシンプルである場合が多い。

・多くの場合、主旋律が分かりやすく口ずさむのが容易である。

・歌ってる側のテンションが上がる。


いいことづくめな訳である。特に最後とか。

ということで、私の脳内メモリーには幸い大量のレトロゲームBGMが蓄積されているので、自分の息子(生後7ヶ月)に実際にレトロゲームBGMを色々歌ってみて、反応を調べてみたよ。

分かりやすい様に、youtubeとかMIDIサイトで聴ける曲はリンクもつけてみるよ。


サラダの国のトマト姫・オープニング〜stage1:オープニングののどかな曲は寝かしつけに最適。小声で歌っているとすぐに目がとろーんとする。ただし、ステージ1に入ってしまうといきなり曲のテンションが上がるので注意。一回寝かしつけに失敗した。MIDIサイト様

パオパオ島へいこう!(パズルボブル):入浴中に歌うと大変喜ぶ。にへらーという表情。寝かしつけにもそこそこ使える。youtube

チャレンジャー一面:同じく、入浴中、機嫌が悪い時などに歌うと喜ぶ曲。基本テンションの高い曲なので、寝かしつけには不向き。you tube

DADDY MULK(ニンジャウォーリアーズ一面):三味線パートだけ喜ぶ。ただ、歌っている時の父親の表情の方を見て喜んでいる可能性も高い。親のテンションが無闇に高いので寝かしつけには不向き。ちなみに、ダライアスシリーズもそれに準ずる。youtube:太鼓の達人 MIDIサイト様

バブルボブルメインBGM:入浴中、頭を洗っていると息子は大変暴れるのだが、この曲を歌うと割とおとなしくなる。寝かしつけにもまあまあ使える。youtube

遥かなる故郷(FF5):あんまり反応がないけど、寝かしつける時には割と適している気がする。親が楽しいのでいいや別に。MIDIサイト様

ハーヴェスト(FF5):入浴中に前奏を始めると、ケラケラ笑って喜ぶ。寝かしつける時には歌ってはいけない。MIDIサイト様

ファンタジーゾーン:一面の曲よりも二面の曲の方が好きらしい。レトロゲームのBGMを歌っていると、脳内の展開と曲の展開が被ることが常である為、頑張って二面まで曲を進める必要がある。youtube


けっきょく南極大冒険:寝かしつける時には結構いい。というかスケーターズワルツなんだけど、まあ細かいことは気にするな。というか、このペンギンは一体秒速何キロで走ってるんだろうな。youtube


悪魔城ドラキュラ・FC版1面:どうも嫌いらしく、歌うとしかめっつらになる。いい曲なんだけどな。ちなみにグラディウスの曲もあんまり好きじゃないみたいです。youtube

ツインビー:青ベルをとると喜ぶ。通常時の曲はあまりお気に召さない様なので、なるべく早くパワーアップしなくてはいけない。もしかするとコナミがあまり好きじゃないのかも知れない。youtube

マッハライダー:ゲームオーバーになった時ちょっと喜ぶ。この曲は一度歌い始めるとなかなか終わらないので大変である。youtube

迷宮組曲:井戸に落ちた時のみ喜ぶ。なるべく早く井戸まで辿り着かなくてはいけない。一応、部屋の中の曲で寝かしつけに成功したこともある。youtube

源平討魔伝:義経に遭った時のみ喜ぶ。周防ルートを通らざるを得ない。youtube


スペランカー:開始直後にエレベーターから落ちた時のみ喜ぶ。youtube


今後も逐次情報を収集する予定。選曲が偏ってるのは仕様なのでまあ気になさるな。
posted by しんざき at 18:49| Comment(8) | TrackBack(0) | レトロゲーム

2008年01月21日

今日のしんざき 08/01/21

久々に漫画の話などちらっと。

・モーニングの「チェーザレ」が最近素で面白い件。

あれ、こんなに面白い漫画だったっけ。最近へうげものより真剣に読んでるんですけど。

連載マンガの部屋:チェーザレ

1491年という時代背景については、大航海時代とかその辺の絡みで、割となじみがある。そんな中、フィレンツェ人のおっとり青年アンジェロとチェーザレ・ボルジアが交流したり工事現場に火をつけられたり町娘を軟派したりするお話。

チェーザレの黒さと天然っぷりが良い、のだが。今回は、馬の世話についての自分の言葉を間に受けていたアンジェロに対して、「そうそう それ大事」の間にすげー受けました。この言葉はもっと評価されていい。チェーザレの黒演説はいつもの感じで、模擬戦が楽しみな展開になってきました。絶対アンジェロ受難の回になると思うけど。

ちなみに、スピリッツでは相変わらず「バンビ〜ノ!」。ヤングアニマルでは「ああ探偵事務所」とセスタス。関係ないけど、セスタス描いてる技来先生って無茶苦茶絵が上手くないですか?ベルセルクのアシスタントをやってることもあるとか。なんという贅沢。

ああ探偵事務所は、なんか涼子さんと大団円になってこのまま連載完結に向かいそうな勢いですけど。どうなるんかな。


思いつきで書いたことをさくっと実現してもらって失神しそうになりました。

[tumblr]tumblrの表に表示される画像をトリミングしてみた

なんという実行力…!!でもすいません、ブクマでも言ってる人がいるけど、これで問題の解決になるかどうかはさっぱり分かりません。でもステキ。


・訃報。

高校時代の同期が亡くなったとか。まさか、というか、急な話だったので、とにかく驚いた。哀悼。

卒業来殆ど音沙汰がない私の様な人間にも、どうにかて訃報を伝えてくれる同期友人に深く感謝。
posted by しんざき at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年01月18日

「わっふるわっふる」をTumblrに応用すればいいんじゃね、とふと思った一月の夜。

思いつきをそのまんま書く。

もう一回Tumblr論を書きます
私が無断転載することで原作者がしょんぼりするのならできるだけ対応したいのです。現状がアクセスを掠め取っているのなら、それを改善したいのです。

neodenjinさん経由で読んだよ。

途中の議論を全て遠いお空の彼方にすっ飛ばしているのでアレだが。

「リブログすることによってアクセスを横取りする形になる」という問題に関する限りは、思わせぶりなところで引用を止めるというテクニックによって凄い勢いで解決出来るんじゃないかと思ったり思わなかったりしたけれどもダメですか?

「お前は俺の獲物メソッド」は、ライバルキャラを違和感なく主j
不倒城:求:「お前を倒すのはこの俺だ!」とか敵味方の友情フラグ立てておいて、さくっと本当に殺っちゃう人

ほら、こんな感じで中途半端な引用をされると、ついつい元URLクリックしたくならないですか?なりませんかそうですかそうですね。今猛烈な勢いで反省してますのでちょっと待ってください。


でもアレじゃね。例えば画像のリブログに関して、上半分だけTumblr側に表示するとかそういうテクニックが開発されれば、元URLのアクセスに関してはうなぎのぼりになるんじゃね。例えばエr
(省略されました... 全てを読むには心の中でそっとわっふるわっふると呟いて下さい)


折角だから、この手法をわっふるメソッドと名づけよう。既出かどうかなんて知ったこっちゃありません。
posted by しんざき at 18:42| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑文

2008年01月16日

レトロゲーム万里を往く その74 「失望」のゲームデザイン


私が思うに、シューティングの醍醐味はなんといっても「自機がやられた時」である。


グラディウスで、ビッグコアのレーザーに接触した時のビッグバイパーの爆発音。ファンタジーゾーンのオパオパが飛散する時の効果音。ダライアス外伝で、シャコのばら撒き弾の前にボンバーが尽き、弾避けに力尽きた時の悲哀。我々は、時として「クリアした時」以上に、自機の消失というイベントを強く胸に焼き付けられている。


およそ、ありとあらゆるゲームジャンルの中で、シューティング程「ノーミスクリア」という単語の比重が高いジャンルは他にないだろう。ダラ外しかり、グラディウスしかり、R-TYPEしかり、シューティングをある程度やりこむ人は、大抵の場合「ノーミスクリア」というものを一つの目標に据える。別に神業でもスーパープレイでもない、ごく一般的なゲーマーが一般的に目指す目標として、「ノーミスクリア」というものが存在しているのだ。


これは、シューティングというゲームジャンルにおいて、「ミス」「自機の消失」というイベントが、物凄く重大な事件であることを示している、と私は考える。


・「失望」と「達成」の揺れ幅について。

あるゲームを評価する際、その尺度のひとつに「「失望」をどう演出しているか」というものがある、という気がしている。失望の演出がうまいゲームは面白い。麻薬的な面白さといってもいい。


それは何でかというに。人間の精神が、「触れ幅」に凄く敏感だから、ではあるまいか

ちょっとゲームと話がずれるが、以前、恋愛のコツ的な話で「感情体積を増やす」という話を読んだ。以下、参照リンクである。

異性をほぼ確実に落とす方法
とすると、ずっと「いい人」は差分が0点。
「いい人」が「すごくいい人」になっても差分30点。
「悪い人」と「すごくいい人」を『繰り返す』人は何百点でも稼げてしまう。

多分、根っこは同じ様な話なのかなあ、と。

ゲームにおいて何かに失敗し、あるいは何かを得ることが出来ずに、失望する。失望が強く胸に焼き付けられる。この失望があってこそ、何かに成功し、何かを得た時の喜び、興奮が倍増する。これが、ゲームにおける「達成感」の構造なんではないか、と私は推測するのである。


別に上の話はシューティングに限らないのだが、シューティングというジャンルには、分厚い「失望の地層」とでも言うべきものが体積している様な気がする。ジャンル自体が失望というものに関する根強いテンプレートをもっていると思うのだ。

シューティングにおける典型的な「失望デザイン」というものは、ざっと以下の様な感じである。

・ミスした時の自機の弱体化。純粋に難易度が激増するケース。
・稼ぎの問題。ミスが得点の低下に直結するケース。残機がボーナス点に加算される場合など。


一昔前には、

・ミスした際の復活形式。

というものもあった。自機がやられるとちょっと前まで戻されて、弱体化した件もあいまって復活にエラい苦労を強いられた、アレである。残機潰しによる得点稼ぎとか、バトルガレッガみたいな例外もあるが、シューティングにおける「失望」のゲームデザインは基本的に一様であり、しかも極めて有用だ。ここでは、「失望」という要素はゲームデザインの中に完璧な形で組み込まれている。

そしてこれこそが、シューティングというゲームジャンルにおける、麻薬的な魅力を生み出すソースの一つになっているんじゃないだろか、と私は思う。


・「失望のデザイン」いま・むかし。

ちょっとシューティングというジャンルから離れてみよう。

例えば、RPGでいうとウィザードリィにおけるキャラクターのロスト(消失)だとか。ヴァンパイアロードに2レベルも3レベルもドレインされたりだとか。

ロンダルキアの洞窟で、進んでも進んでも落とし穴に落ち、さっぱり先に進めなかったりだとか。

苦労に苦労を重ねてラスボスまで辿り着き、MP切れでこてんこてんにフルボッコにされたりだとか。

全滅すると所持金が半分になる、といったペナルティも、「失望のデザイン」のよくある様式の一つだろう。


いわゆる「集めゲー」においては、試行回数が量的な失望を演出している。倒しても倒しても出ないレアアイテム。探しても探しても出現しないレアモンスター。会心の一撃を何度決めても仲間にならないはぐれメタル。

試行回数が高まるごとに、「量としての失望」ゲージが上がっていき、これがあればこそ目的のアイテムを見つけた時の達成感が麻薬的なものになる。近年のMMOなんか、大体のタイトルがこの要素を取り入れているんじゃないだろうか。行き過ぎてMMO廃人とか量産しちゃうと色々とアレだが。


話は勿論RPGに限らない。SLGだろうがパズルゲームだろうがアクションゲームだろうが、「達成感」を演出しているゲームは、多かれ少なかれ「失望」という要素をゲームデザインの中に含んでいる。テトリスで赤ブロックがさっぱり出現せずに画面をブロックが埋め尽くすことだって、ドルアーガでイシターとサキュバスを勘違いしてZAPされることだって失望の内だ。


これらの「失望デザイン」は、色んな分類が可能だと思う。例えば、それがリカバリの効くものなのかどうか。プレイヤーに与える衝撃度はどの程度か。実際に失われるものは何か。

ウィザードリィが全世界で愛された理由の一つは、このゲームにおける「失望」が時として絶対に取り返せないものであり、それ故にプレイヤーの心中に強烈な印象を残したからじゃあないか、と私は思ったりもする訳だ。


・そしてプレイヤーは、新たな失望へ歩みだす。

敢えてもってまわった言い方をすると、良質な失望は、決して絶望には転化しない。


失望しても失望しても、その向こうにある「達成」をプレイヤーに求めさせてしまうタイトルこそが、「麻薬的な名作」と称されるべきだろう。開発者があの手この手で用意した「失望」という要素を、私は愛好する。その向こうにどんな「達成」が待っているのか、楽しみでならないからである。


次に私が出会う失望はどんな形をしているだろう。


以下、まとめてみる。


・ゲームを評価する軸の一つとして、「失望」をどう演出しているか、というものがある気がする。
・何故かというに、「失望」と「達成」の触れ幅は、強烈な面白さとしてプレイヤーの印象に残るからである。
・「失望」の演出が上手いゲームは、ハマリ者を大量生産する。
・シューティングは、ジャンル自体が「失望」というものに対するゲームデザインを内包しており、すげえ面白いと思う。
・ここまでOK?よし、じゃあそろそろPゾーンのクラスティハンマーに突っ込んでみようか。


シューティング衰退してないよシューティング。少なくとも私んちでは。

参照:のとーりあす なぜシューティングは衰退したのか
posted by しんざき at 11:45| Comment(5) | TrackBack(0) | レトロゲーム

2008年01月14日

今日のしんざき 08/01/14


・子供の件、ちょっとしたメモ。

風呂に入れていると、なんだかやたらと息子が張り切る。湯中で猛ダッシュ。歌を歌ってやると、顔中くしゃっとさせて笑う。面白いんだが、風呂に入る前、しばらく眠がって不機嫌だったのを見ている為、これはひょっとしてストレス解消だったりはせんか、とちょっと心配になる。

赤ん坊には赤ん坊なりのストレスがあるのかなあ、あるんだろうなあ、と思いつつ。ちょっとした疑問。

・長期記憶はまだ未活性の筈なのだが、記憶が断片的な状態でもストレスって発生するんだろうか。発生する場合、一日寝ると霧散するんだろうか。
・言語が不明確な状態でのストレスってどんなんだろう。認知の話?

まあ、風呂で発散出来るなら良いことだ。多分良いことなんだろう。

「父親が育児参加すると子どもの自己評価があがる」という言葉を聞きかじってきたのだが、そのフレーズを奥様が妙に気に入ったらしい。まあ、私は自分の好奇心として息子さんと接してる様なものだが、結果として為になるのなら良いことだ。


・飲み会の雰囲気にかかる覚書。

ある程度以上の人数の飲み会というものは、なんか大体人の移動潮流がパターン化出来る様な気がする。

・大人数飲み会において、参加者は「ちょこちょこ移動する人」「余り移動しない人」の二種類に大別される。
・各テーブルの雰囲気は、基本的には移動しない人によって形成される。
・移動する人は、各テーブルの雰囲気を見たり見なかったりしつつ移動する。移動する人がひとつのテーブルについた結果、そのテーブルの雰囲気がある程度流動する。

なんか数式が作れそうな気がする。もうちょっと考えてみる。
posted by しんざき at 22:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2008年01月13日

今日のしんざき 08/01/13


・土曜日に、毎年恒例の新年会を開催した件。

もうずっと人大杉。

数年来、1月中に新年会を開催して声が届く限りのサークル関係者と飲む、という行事を敢行しているのだが。ここ最近は、参加者の人が独自に他の人を誘ってくださる率が高く、既に私自身は誰が誰やら分かっていないこともしばしば。今回は50人くらい参加してたみたいですよ。

二次会の人数が一次会と殆ど変わってない、という点も個人的にはなかなか斬新な飲み会だったんですが、あれ会場変える意味あんまりなくね?

少人数でまったり飲みもいいが、まあ年に一回くらいは合宿ノリ大人数カオス飲みもやりたいですよね、というコンセプト。お蔭様ですげー楽しかったですが、皆さん風邪などひいてないでしょうか。毎年、終わった後あちらこちらでインフルエンザの罹患者が出る、という点である意味いわくつきの新年会なんですが。

頼りない幹事で申し訳ありませんでしたが、皆さん参加ありがとーございました。ちなみに次回開催は2009年1月17日の予定です。よろしければ是非。


・そういえばこっそりと100万ヒットを突破していたらしい件

まあ半分くらいは自分のアクセスなんじゃねえかという気もするがな!(ダメな開き直り)

ということで、右下にこっそりついてるアクセスカウンターがなんかTotalAccessで100万突破してました。年始ですし、まあ一応節目みたいな感じで。50万辺りで一度カウンターのソースを変えてるんで、Uniqueの数はもっと少ない様な気もする。

いつもご来訪下さっている皆さんのお蔭で倒壊を免れております。てきとーなブログですが、今後ともなんとなくよろしくお願いします。


・張角ワラが超絶楽しい件。

三国志大戦のお話。いや、勝てないデッキにはからっきし勝てないけど。

呂布ワラ・呂布バラの傍ら、一部で評判だった張角ワラにもちょっぴり手を出してみました。

SR張角・コウソンサン・リョウカ・蜀周倉・関銀塀・C張梁

ただひたすら黄巾の乱を使い続けるデッキ。死ぬ程ウザい割にそれほど強くないのがポイント。これもちょっと研究してみようかと。研究の余地があるのかどうか謎だが。

呂布ワラの方は、軍師陳宮と心中しそうな勢いです。于吉を入れるべきか李儒の方がいいのか、それがポイントだ。どうしたもんだろう。
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2008年01月09日

レトロゲーム万里を往く その73 マッピー

私は、自分の発想力にそれ程信をおいていない。


故に、「ねずみ年だから取り敢えずマッピー」などという発想は安易極まると断定してしまってよかろう、と思った。こんな安易な発想は、Webでは既にJOIN THE CREWばりに氾濫しまくっており、年賀状用のフリー素材は見渡す限りマッピーの図案に埋め尽くされ、エントリーをあげてしまったが最後「スパム書くなハゲ」などという論難が滝の様に私のブログに押し寄せるのではあるまいか、と私は怯えていた訳である。戦々恐々としていた訳である。

しかし、まずはぐぐる先生にお伺いを立てた所、思った程ページが引っかからない。どうも、「ネズミ→マッピー」という即決論理回路を構築している人材は、世にそれ程多くはない様なのである。


何故だ。ネズミと言えばマッピーだろ、どう考えても。ゲゲゲの鬼太郎だの浦安の魔法の国の話なんかしている場合じゃないだろ。こら、そこの君、勘違いするな。ソニックはハリネズミであってネズミではない。レミーのおいしいレストラン?なんスかそれ。宮沢賢治スか。

我々には余りにもマッピー分が不足している。我々は手に入るだけのマッピーを必要としているのである。


ともあれ、どうやら私のブログが「スパム書くなハゲ」という書き込みで大炎上する恐れはそれ程ない様なので、安心して安易なネタを書くことにする。


今年はネズミ年であり、ネズミと言えばマッピーである。


「マッピー」。アクションゲーム。1983年、ナムコより業務用発売。翌1984年には「ギャラクシアン」「パックマン」「ゼビウス」などのタイトルに続く移植作としてファミコンで発売され、遊びやすく、かつ奥深いアクションと、印象的でコミカルなキャラクターによって幅広いユーザーに好評を博した。

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posted by しんざき at 13:14| Comment(10) | TrackBack(0) | レトロゲーム

2008年01月08日

言語という契約。

言語を共有するということ
そうじゃなくて、定義を一度も確認しあったことがないのに、

分かる、って、なんでそんなことができちゃうの?
どういう仕組みでそうなってるの?

なんで伝言ゲーム状態にならないの?

面白い見方だなあ、と思った。思ったけれど、そういえば大学の頃はこういう理屈にばっかり触れていた様な気もする。単位をとったりとらなかったりしていた気もする。

生成文法とかについてはどうせ触れてくれている人がいるので、ちょっと粗っぽく書く。


言語というのは何かというと、契約である。というか、「たくさんの約束事の集合」である。

主語とか述語とか、助詞だ助動詞だSVCだ何だというものは、全て「こういう風に使いましょう」というルールの塊に過ぎない。同じく、あらゆる単語や熟語についても、「この言葉はこういう意味で使いますよ」という数限りないルールが存在する。


ことばを学ぶということは、ルールを学ぶことでもある。ことばを話すということは、ルールを確認し合うということでもある。


そしてこのルールは、生まれた経緯が多分に自然発生的なものであるが故に、結構変動が激しい。新しい言い回しが作られた時、言語というルールはちょっぴり揺れる。その揺れを複数の人が共通知識として認知した時、言語というルールはちょっぴり動く。だから日本語は変化する。

実は我々は、常に「定義を確認しあって」いるのである。


意識していようといまいと、我々は「日本語文法というルールを理解して、それに基づいてお話します」という契約を結び、それに従って生きている。

同じルールに従うものは、同じ土俵に立てる。例えば、野球というゲームが成立する為には、両方のチームが野球のルールに従う必要がある。片方のチームだけボクシングのルールに従っていた場合、そこに「野球」は成立しない。「双方が一つのルールに従って行動すること」が、あるゲームを成立させる為の最低条件となる。

コミュニケーションもこれと同じである。

この辺りは、商法だの刑法だの、HTMLやプログラム言語まで含めて全て同じだ。社会とは何かというと、一番基底になる部分に「言語」というルールをもった、複数のルール体系の集合である。常識とか、礼儀とか、作法とか、そういったものも一つのルール体系だ。同じルールに従う場所に、やり取りが生まれる。


なんかややこしい話になったな。


ちなみに、言語というルールを身につける過程、という話については、Mlas(エムラス)というのが面白い。日本女子大学の須賀教授が研究されていた、「言語を覚える人口知能」である。うちの奥様の話だと、今年退官されるらしい。

コンピューターで言語習得の仕組みを探る
ヴァーチャルインファント―言語獲得の謎を解く

あと、チョムスキーの「言語と認知」は一度読んでみるべきだとは思う。
posted by しんざき at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文

2008年01月07日

今日のしんざき 08/01/07


ぼちぼち正月気分も抜けてきて、そろそろ公私ともにエンジンスタート。新年会ラッシュですけど。

奥様の弟さんに、司馬遼太郎の「世に棲む日々」4冊をお借りする。兄貴に薦められていたもの。私は司馬作品の幕末物に疎く、燃えよ剣と新撰組血風録くらいしか読んだことがない。必然的に偏っている。吉田松陰視点っていうのは、実に新鮮。一冊読み終わって、残り三冊が楽しみだ。


・新年会履歴。

5日に会社。6日に大学の頃の音楽仲間と新年会、こちらは5人。

会社の方は、六本木。ビートルズの演奏を聴きながら飲める店。なんつーか、ノリが色々とアレだった。年代が幅広い面子での無礼講ってのは色々と面倒なものだなあ。私はシステムの人だから楽なもんだが、営業さんなんか大変だろう。

演奏はお見事な感じ。なかなか楽しかった。ドラムの存在感が殆ど前面に出ていなかった点も、ビートルズのステージとして非常に再現性が高いといえよう(いいのか)

6日の方は、例年通りのぐだぐださで恙無く終了。

後は12日か。



・作家の心理とか、批評とか。

このエントリーを幾つかの場所で取り上げて頂いていた。ちょっと追っかけてみたら、Webでの書評のお話。

件のエントリー自体は、一文で書くと「最近は作家さんのモチベーションがコントロールしづらくなって、編集者さん大変そうですね」というだけの内容であり、視点としては完全無欠に編集者さん側だと思う。また、題材としているのが2ちゃんという特殊な場所でもある為、Webにおける書評まで視線に入れると、また色々と話が異なる。

言及して頂いたリンク先関連するリンク先、いくつか。
「ダメ書評」に対するマンガ編集者の視線

読者2.0、作家2.0

批判評がすべて迷惑だってのは本当か

さてさて。色んな意見があるなあ、と。

「批評」としては、「プロなんだから批判的な批評も糧になるだろうし、当然糧とするべきだ」という向きが完全に正しい。更には、「勝手に批判を探しておいて勝手にへこむってどうなんそれ」というのも理屈として全く正しい。

で、実際に仕事をしている編集者さんとしては、非常にナーバスな作家さんが批判を目にして勝手に自爆する姿を実際に見ているであろうし、そういう人について一体どーすりゃいいんだ、という愚痴も出てこようというもの。そちらも分かる。

私は、多分、どっちも分かる。

そういった一部の自爆型作家さん達は、プロとして欠けるところがあるといわれれば確かにその通りなのだが、一方で調子がいい時には物凄く質の高いものをお書きになったりすることもままある訳で。色々と頭の痛いことである。

まとまってもいないので、また改めて考えてみる。
posted by しんざき at 21:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2008年01月04日

箱根駅伝について、思ったこととか。

史上初、3校途中棄権=指導法などに批判も−箱根駅伝
こちらを経由で見ました。大筋で異議はないとはいえ、若干違う印象をもったのでメモ書き。

大会会長の発言は、指摘されている通り余り響きの良い言い方ではないとは言え、「選手が倒れるという事象について、明確に問題視している」という点では一応評価できると思う。あと、青葉昌幸という人が大東文化大で教えている人だ、という点も考慮に入れるべきかと。つまりこれ、「身内への苦言」なんですね。


まず第一に、報道姿勢が色々とアレだ。東海大に関しては、シード権争いの日大・東洋のデッドヒートの影に紛れて目立たなかったという印象はあるけれども、例えば大東大の住田選手が棄権する場面。盛り上げ方が凄く妙な方向に行っていたと思うのだな。まるで走れメロスの実況中継と言うか、メトロクロスのリアルタイム放送というか。そこは選手の体調を気遣うべき場面でこそあれ、ドラマを盛り上げる所じゃないだろう、と。

「ボロボロになって走る姿」というものをドラマの格好の素材として、ここぞとばかりに盛り上げようとすること自体が色々とどうかと思う。選手にしてみればたまったもんじゃあない。私も昔長距離やってたけど、20キロ走の終盤にドラマを求められてもホント困る。ドラマはいらない、血中酸素をくれ。乳酸ならいくらでもくれてやるけどな。

箱根駅伝の「過酷な状況」がそのままであり続けていることの一因は、その過酷さにドラマを求めてしまうメディアの悪癖にあるんじゃないか、と私は疑っている。メディア主催の大会の悪い所だなーとか思ってしまう訳だが。まあ、元々が地味な競技だから、盛り上がるところで盛り上げてやれって姿勢になってしまうのはある程度仕方ないのかも知れんし、伝統は伝統だといわれればそれまでですけどね。

ただ、本来箱根駅伝って、「世界に通用するランナーを育成」する為の場の筈なんだよなあ。そういう意味では、大会本来の意義をきちんと考えた方がいいんじゃね、という思いはある。


一言で言うと。箱根駅伝の過酷さを是正するとすれば、選手がボロボロになって走っている姿を、喜び勇んで盛り上げようとするメディアの報道姿勢をどうにかする必要があるんじゃないか、ということで。


余談だが、学連選抜の恐るべき躍進っぷりには割と腰を抜かした。すげえなあ。
posted by しんざき at 17:38| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2008年01月03日

センター試験対策にまつわる軽いTIPS。


そういえばセンター試験の季節かぁ。何もかも皆懐かしい。

自分で受けた時のことよりも、どちらかというと家庭教師で色々と教えていた頃のことを思い出した。折角なので思い出したことをちらっと書いてみる。

センター試験に限らず、選択問題がメインになる試験を勉強する際には、ちょっとしたコツ、というか辿るべきプロセスがある。どこの予備校でも言ってたりするのか知らんが。

「正解の選択肢はどうでもいいから、間違いの選択肢をきちんとチェックしましょう」というプロセスである。勿論、自分がその問題を解けたかどうか、というのはあまり関係がない。


1.何故「正解の選択肢が合っているのか」を確認する。
2.何故「他の選択肢が間違っているのか」を確認する、あるいは考える。
3.出題者は、「どこで間違って欲しいと思って」その選択肢を用意したのか、を推測する。

言うまでもなく、重要なのは3番だ。

経験則ではあるのだが、特に国語や英語などの読解問題において、「間違わせ方のバリエーション」というものは意外な程少ない。出題者も人間だから、問題に関して無限のアイディアを持っている訳ではないというのも勿論なのだが。それ以上に、正解の選択肢に関して工夫を凝らす余り、間違いの選択肢については通りいっぺんのパターンしか用意していない、という状況が結構多いんじゃないかと私は思う。

「間違わせ方」という一点に絞ってみると、出題者の意図は割と簡単に読めるのだ。正解の選択肢からは「何が正解か」という情報しか得られないが、間違いの選択肢からはその問題の出題意図が読み取れる、という言い方をしてもいい。

予備校や家庭教師のバイトをしてみると、1番までしかやっていない人が割と多かった。というか、すげー多かった。上記の様なお話と同じく、「ある文章を読んだ時、自分ならどういう問題を作るか」という視点で読んでみても色々と参考になるので、余裕がある受験生の人はやってみるといいんではあるまいか。まあ、この時期にそこまでやってる余裕があるのかどうか知らないが。

取り敢えず、受験生の皆さまは体を壊さない程度に頑張ってくだせえ。
posted by しんざき at 21:15| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑文

2008年01月01日

新年のしんざきと2008年にやりたいこと 08/01/01


皆さん明けましておめでとうございます。

旧年は不倒城をなんとなく読んで下さってありがとうございました。今年も旧年にも増した適当さで適当に頑張ったり頑張らなかったりしようと思いますので、適当によろしくお願いします。

ということで、12月は頑張らなかった月でした。というか、他のこと頑張ってました。

ブログというのは、「頑張らなくても自然に書きたいことが書けました」というのが一番あるべき姿なんじゃないか、と私は思っているんですが、まだまだ私如きでは全然頑張らないとあんまりうまくいかないみたいです。頑張れる時にはちょびっとでも頑張った方がやっぱりいいんじゃないかな、とか思いました。

そんな訳で、2007年はすっげー個人的に色々あった年でした。子供生まれたりとか会社の裁量範囲とか。不倒城的にはなんでしたっけ、バブルボブルとか奇々怪界とかについて書いた年だったかな。じゃあ今年はナイトストライカーについてとかレイストームについてもっと書きたいと思います。

そんな訳で、こんな記事を見つけました。

遥か彼方の彼方から :あなたが2008年にやりたいことを教えてください

折角なので何か書きたいと思います。


・不倒城的にやりたいこと。

・ナイトストライカーとかTAITOシューについてもっと色々書く。

去年あんまりかけなかったけど、やっぱシューティングはすっげえ面白いしTAITOシューはそん中でも超面白いんで、皆さんもやってみるべきなんじゃないかと思いますよ。なので書きます。


・ゲームブックについて少し書く。

やっぱ鈴木直人さんと林友彦さんの名はもっと広まっていいんじゃないかと思いますよ。なので書きます。ああ、一応レトロゲームブログなんで少しです。


・レトロゲームについてもっと色々書く。

「クソゲー」なんて言葉がこの世にあるのは間違いだ、と私は言いたい。割と言いたい。というか、次世代機についてはまあ別にいいけど、ファミコンのゲームにクソゲーなんてものはないんだよ、と私は言いたい。どんなゲームにも、キラッと光るステキ部分があるんだよ、と。特にスペランカーとかバンゲリングベイとか、あの辺の割と素敵なゲームが未だにクソゲー呼ばわりされているのは割と勘弁ならねえ。ということで書きます。


・俺的にやりたいこと。

考えてみると俺自身は割と脳みそお花畑で、24時間年中無休で十分楽しい人生を満喫しているので、今年は俺以外の人を出来るだけ楽しくしてあげられればいいなあと思います。息子や奥様も含め。

ああ、あとRubyで何かつくります。超楽しいですRuby。


取り敢えずこんなとこで。
posted by しんざき at 22:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記