その内の一つに、「一般的に信じられている通説、あるいは権威の言葉をまず否定する」というものがあったことを、奥様が図書館から借りてきた育児のハウツー本を、横から覗きこんでいて思い出した。
通説の質についてとか、そのハウツー本の内容が適しているのかどうか、という話は取り敢えずおいておく。ハウツー本自体は、有益なノウハウと無益なノウハウがごった煮になっていることが分かりきっているのだから、有益だと思った分だけ齧ればいい。それだけのことである。
説得力のお話なのだ。
「通説を否定するメソッド」が有効な理由はたった一つ。「「気付き」という感覚がとってもキモチイイから」。
通説は、広く流布されているからこそ通説と呼ばれる。「大体こうすればいいんだよ」というセオリー、ある程度固定化された「有効な方法論」というものが通説だ。その通説が「科学的な方法で検証されているかどうか」というのは、この際あんまり関係ない。ただ、通説が則っている土台について、読者があまり詳しく知らなければそれでいい。
「本に書いてるし偉そうな人がそう言ってるし、まあ何となく正しいんだろう」という程度の知識が、ターゲットとしては最適だ。
その通説を、ある程度の材料(必ずしも科学的である必要はない)と一緒に否定してみせるとどうなるか。「通説」の土台にそこまで精通している訳ではない多くの読者は、「へえ、そうなのか」とまず感じるのだ。人によっては、「なるほど!」とか「知らなかった!」という感じ方に直結する人もいる。
これがとってもキモチイイ。
気付きの快感、というか。常識を裏切られた嬉しさ、というか。どうも、人は「借り物の固定観念」に対して新しい見方を提示された時、凄く心を動かされるものらしいのだな。たとえ、その「新しい見方」の根拠が必ずしも十分でなくても。
この時、「借り物」というのが重要で、否定されるのは「自分で考えた結果」ではなく、「権威が言っているから何となく正しいのだろう」という程度の知識、でなくてはならない。
以前、扇動されやすい人というエントリーを拝読したことがある。ちょっと引用してみよう。
少なからざる人が「私たちはだまされて、虚偽の歴史像を注入されていたのだ」と書いている。「憤りを覚える」とまで書いていた学生複数いた。どうも彼らの好きな自画像とは「だまされていたけど、真実の歴史に触れて目が覚めた」というものらしい。根っこは同じなのかなあ、と思う。つまり、「覚醒すること」の新鮮さがとにかく大きい。知的欲求がある程度大きい人ほど、「なるほど!」という感覚への希求は強い様な気がする。(一応上のリンクに対しては、他にも色々と考えられる要素があって、こちらでも言及している)
読者の既存の知識をひっくり返す、という手法は、書き手にとって実に有効な武器なのだ。
以上の話を思い出したのは、きっかけとしては奥様が読んでいた「育児のハウツー本」をチラ見した為、ではある。そこには、「保健所で通常言われている育児知識」に対する色んな批判が書いてあり、その話の持って行き方自体は、私が昔学んだ「権威の否定メソッド」に沿ったものだった、様に思う(ちゃんと読んだ訳じゃないけど)。
ただ、そのハウツー本と奥様双方の名誉の為に書き添えておくと、奥様はその程度の気付きで感動する程素直な読み手ではないし、そのハウツー本は十分に説得力のある書き方をされていたし、実際にそのハウツー本に書かれている方法論は正しいのかも知れないし、通説を疑ってみること自体は悪いことではない。
むしろ、十分に慎重な考え方で通説を疑ってみることは、知識を深めることにも繋がるし、新たな発見にも繋がる。実にいいことだ、と私自身思う。
ただ、いずれにせよ、ただ「通説を疑ってみる」だけで、ある程度の人が「気付き」に感動してしまうという事実は厳然としてそこに存在する。「気付き」を提供するハウツー本は、なにしろ売れるのだ。売れてしまうのだ。そして、それに伴って困った影響が出てしまう場合、というのも、どうも、ありそうなのだ。
以下、ことによるとちょっと荒れるかなあ、という話なのだが。まあこんな零細ブログなら大丈夫かなあ、と思いつつ。
最近はてブでちらほらと、「千島学説」というものについて見る機会があった。内容自体は、Wikipediaに簡単なものがまとめられていたから、興味がある人はそちらをさらっと見て頂けばいいのではないかと思う。
Wikipedia:千島学説
細かい論評は避けるが、いわゆる「通説」の土台にある程度親しんだ人であれば、こういう説を信奉するようになることは多分あるまい、と思う。
で、幻影随想さんで見かけたエントリと、そのコメント欄。
千島学説とその信奉者達
私にはよく分からないのだが、どうもこの説には非常に熱心な共感者さんがいる様なのだ。一度「信じる」というプロセスに至った後は、周りから攻撃を受ければ受ける程その信仰は強固になっていくのが常だから、上のコメント欄の様なやり取りは納得がいくのだが。
ただ、その人達の「入り口」がどこにあったのか、ということを考えてみると、やっぱり上の様な「気付き」だったんじゃないのかなあ、と私は想像するのだ。病気への対処法とか色々、一般に信じられていることについて「実は○○なんだよ」という気付きを与えられてしまった人が、さくっと新たな方法論に飛びついたんじゃないかなあ、と私は推測するのだ。
「権威、通説を否定する」というメソッドのキモチよさ。そして、時折そこに潜んでいる危険性。
キモチいいものだからこそ、堪能する時には慎重にせねばならんなあ、と、私はぼんやりとそんな風に思った訳である。
ちなみに、上記幻影随想さんでは、その後千島学説に突っ込んでみる1というエントリが上がっているので、興味がある人は読んでみられるといいんじゃないかと思う。
一応まとめておこう。
・ハウツー本を売りたい時には、「意外と基盤部分は知られていない通説」に喧嘩を売ってみよう!
・常識が否定されるのはすげー新鮮らしいですよ。
・通説を疑ってみること自体は、悪いことじゃないと思うんです。つーか思考法としては凄くいいと思うよ。
・ただ、アレです。根拠の質量については、慎重に検討した方がいいですよね。通説・新説、どちらにせよ。
・自分で考えよう、自分で。
余談だけど、Wikipediaの編集履歴を追っかけてみると色々と楽しいですよ。
長くなったのでこの辺で。





