2008年04月27日
結婚生活を割と愉快に過ごす為のたった一つのキーワード。
大事なのは、関心量の調節、だと思う。というか、本当にそれだけだと思う。
最近幾つか、「結婚が上手くいかなかった人」の視点で書かれたお話を読んだ。この視点が注目を集めていることを見ていると、結婚に全然不満を持っていない人の視点も一応書いておいた方がいい様な気がしてきた。
なので書く。
例えば結婚生活が上手くいっている話とか、上手くいっていない話とか、色んな人のお話を聞く。色んな人のお話を読む。
決まって思うことがある。結婚生活が上手くいっていない人というのは、つまり関心量に大きな食い違いが出てしまっている様に見えるなあ、と。
関心というのは、大きく言うと勿論お互いへの関心である。更には、お互いが関心をもっているものへの関心、でもある。
AさんがBさんに関心をもつ。あるいは興味をもつ。何をしているのか、どんな人間なのか知りたいと思う。
全ての人間関係はそこから始まる。お互いへの関心のバランスが良ければ、お互いにとって丁度いい距離感が形成出来る。相手がやっていることへの関心をもっていれば、相手が体験している楽しさが分かる。相手が体験している苦労も分かる。気配りも思いやりもその後の話だ。
お互いへの関心のバランスが悪いと、コミュニケーションのバランスが崩れる。一方は反応欲求を満たすことが出来ず、一方は発信欲求を満たすことが出来ず、不満はどんどん蓄積されていく。
相手が関心をもっていることへの関心が薄いと、無理解のペースが速まる。相手が何を楽しんでいるか分からないから、楽しい時間を共有出来ない。相手が何に苦労をしているかが分からないから、相手のペース配分に納得することも出来ないし、相手の疲れに共感することも出来ない。仕事にかまけている旦那の家庭が上手くいかないのは、その多くが「関心の配分」の調整ミスに由来している。
奥さんの家事の苦労に旦那の理解がないというのも、旦那が集めていた鉄道模型を捨ててしまったとかいう話も、同じく「関心の配分」の調整ミスに由来している。
子育てが原因で家庭に不和、みたいな話をよく聞く。これは何が原因かというと、多分、子供に対する関心量のアンバランスだ。妻が子供に抱いている程の切実な関心を、夫が持てない。そうすると、夫にとってみれば「妻の自分に対する関心量」が純減したとしか感じられず、妻にとってみれば「自分がもっている重要な関心」を共有出来ない。当然色んなすれ違いを生む。旦那には子育ての苦労がよく分からないし、興味ももてない。奥さんは子供のことで頭が一杯で、そこまで旦那に関心を払えない。これで人間関係が上手くいく筈がない。
人間のキャパシティというものは、つまり関心の許容量である。どんな分野でもそうだ。そして、相手に関心が持てる人、相手がやっていることに関心を払い続けられる人であれば、いい関係を築く為の第一条件は既にクリアしていると思う。
「愛の反対は無関心」という言葉は、多くの人がその意味を誤解している。愛と関心は、実際の所はほぼ同義語なのである。反対語になるのは当たり前のことであって、それ以上でもそれ以下でもない。夫婦喧嘩が時として夫婦関係をよくするというのも、多分同じ様な原理なんだろうと思う。喧嘩は相手への関心なしでは成立しないから。
まとめると。夫婦の両方か、少なくとも片方が、上手く関心を配分出来る人であれば、夫婦生活というのは割と円満に進むんじゃないか、と、私はそんな風に思う。
さらに簡単にまとめると、こんな風になる。
あなたの隣で過ごしている人に、興味を持ち続けてください。結構面白いですよ、その生き物。
私に関する限り、私のすぐ隣に私以外の生き物が生きているというのは、それだけで十分な驚異だ。最近では更にもう一人、私以外の生き物が隣に増えた。これも物凄い驚異だ。しかもこの生き物達は、日々、少しずつ変わり続けている。昨日までの研究事例が、どういう訳か今日は通用しなくなったりしていることが割と頻繁にある。これも恐るべき驚異だ。
これから先も、私は色んな物に色んな関心を持つだろう。それでも私は、この生き物達への関心を、多分生涯失わないでいられると思う。
2008年04月22日
ふと気付いてみると中間管理職であったらしい私が思うこと。
良く考えてみると、どうも私は中間管理職らしい。色々と妙な立ち位置にいることはいるけど、改めて検討してみるとどうも中間管理職である様なのだ。ちょっとびっくりした。
私は単なるアプリ・DB屋であり、しかも怠惰な人間である。OracleやPostgresのことはまあそれなりに分かるが、人事や経営戦略のことなどさっぱり分からないし、第二人者でいられるんならそれに越したことはないよな、とも思っている。けどまあ、「ここでアタマやってね」といわれれば頑張るし、上司から無茶を言われれば弾き返しもする。
なんとかやっている。会議なんて出ないでコード書いていたいけど、まあ、なんとかやっている。
で、折角自分の立場に気付いたので、最近考えたことを折りに触れて書いていこうかと思った。
・部下の評価項目、というものが極めてウザい件。
どの辺が成果主義だよ、とか思った。
いや、なにやら年俸査定の為に部下評価なるものをごちゃごちゃとやらなくてはいけないのだが。「仕事の内容がどれだけ充実しているか」「服務規律を遵守しているか」くらいならまだしも、「部門の一員として適切に行動しているかどうか」とか聞かれても何のことだかさっぱり分からん。評価基準は一体どこですか。
そこまでならまだしも、「部署に対してどれだけの改善提案をしているか」とか、「会社への帰属意識について」とか、どうなんだ。何が悲しくて会社への帰属意識を評価対象にせねばならんのか。帰属意識なんて1ミリグラムもなくても、仕事さえちゃんとやってくれてれば私には何の文句もないんだが。
偉い方々と話していて思ったのだが、どうも社歴が古くて地位が高い人程、「会社への帰属意識」を評価対象にすることに違和感を覚えない傾向がある様だ。そりゃまあ本人に会社への一体感があるのは構わないが、それを部下にまで求めろと言われてもなあ。
自分の仕事を期間内にちゃんと仕上げているかどうか、雰囲気悪くしてないかどうか、それくらいで十分じゃん。いや、もっと言うと「こいつに辞められるとどれくらい困るか」の一項目だけでも十分なんじゃないだろか。
そう思ったので、管理の偉い人にその旨直言してみた。「あー、確かに君んとこにはあんまり当てはまらないかも知れないけどねー。」と曖昧に笑われた。どこの部署だと当てはまるんだろう、この項目。
「お仕着せの評価項目をコピペして使うのは、どう考えても意味不明なので即刻やめるべきです」と改善提案しとこう。
・叱り方について。
これは良く分かんない。
会社の偉い人からは、「上手い叱り方を覚えろ」とことあるごとに言われる。「ちゃんと叱れているか」ともことあるごとに言われる。
だが、比較的寡黙なシステム屋集団である私の部署において、どういうシーンで部下を叱るべきなのか、ということ自体が私にはいまひとつ分からない。そもそも、叱るべき場面にあまり遭遇していない様な気もする。私の基準が緩いだけなのかも知れないが。
これは単なる私の推測なのだが、どうも会社の偉い人々は「取り切れなかったバグ」を「叱るべきミス」であると考えているんじゃないか、と思える様なフシがある。
無論のこと、バグは必ず発生するものなのであって、それを取り切れなかったのはテストの方に問題がある。テスト項目のこことここを見直して下さい、と言えば十分なところで、叱る必要があるとは私には思えない。その辺は色んな機会に説明しているのだが、どうもピンとこない様でもある。
一応、らしくないなあと思った時には、「○○さんらしくないんじゃないですか」と言う様にはしている。叱ってるのかどうかはともかくとして。
取り敢えず、今回思ったこと、以上。
2008年04月21日
今日のしんざき 08/04/21
・波乱万丈過ぎた日曜日の顛末。
もう何がなにやら。
まず午前〜夕方。うちの奥様の心理学勉強会が渋谷であるというので、息子さんの身辺警護をする為に着いていったらロケーションは青山、こどもの城。午前中から夕方まで、息子さんと水いらずで一日を乗り切ることになったお父様の奮闘が今始まる。
ということで、エントランスでひとしきり途方に暮れた後、ベビーカー搭乗中の息子さんとの館内探索から話は始まり。息子さんが一番満足げに「あー」とか「うまー」などと感想をおっしゃった3階・プレイホールに居座ることに決定。大型アスレチックが楽しそうでした。むしろ俺にとって。
0〜2歳児用のスペースという場所で、滑り台に向かって息子さんをけしかけたり、クッションに向かって息子さんをボディプレスさせたり(喜んでいた)して(私が)遊んでいた所、子供が増えてきて図体のでかい私の存在が邪魔になり始めた為、息子さん自由放牧形式に以降。よそのお子様にハイハイでずかずか近寄っていって、一次接近遭遇を試みる息子さんを暫く観察していました。
観察していて分かったこと。彼にとって頭突きは挨拶。
当然のことながら、現世に這い出してきて9ヶ月ちょっとの赤ん坊に世慣れたコミュニケーションなど期待出来ようもない訳だが、自分よりも体の大きな幼児にも平然と近寄っていって、いきなり頭突きをかましそうになっては父に引っ張り戻される、というプロセスはなかなかどうかと思いました。
興味を持ち合ったらしい女の子に実際に頭突きを実行してみては、自分の方が痛かったのか「ひーん」と情けない声を挙げて父の方に這い戻ってくる息子さん。まずはザンギ頭突きで相手をピヨらせる練習から始めるんだ!
及び、周囲のお兄ちゃんおねえちゃんばかりではなく、保護者のお母様方にも果敢にアタックを試みていました。皆様に可愛がってもらえて何より。
その後、休憩時間に奥様と和食を食べにいったり、遊びつかれて寝てしまった息子さんの横で氷竜クエに挑んで全滅したりしている内に勉強会も終わり。波乱の夕方でした。
・波乱万丈過ぎた日曜日の顛末・飲み会編。
その後というか。この日は丁度、ヘタすると2年か3年ぶりくらいじゃねえかというWebの知人達との邂逅。かつてギルティギア・ゼクスやイグゼクスで腕を競い合ったり全く競い合わなかったり、オフ会の横でカプエス2の大会に出たりしていた「紗夢OB会」の飲み会でした。青バルログが楽しかったです。
ロケーションはちとせ会館、「くいもの屋わん」。面子は飲み会常連ズ計6名で、通算だと何度目なのかよく分からない飲み会でした。ゼクスの頃からなので、一部の人とは足掛け8年くらいの付き合いがあるんじゃなかろか。
相変わらず、ギルティ飲みなのにギルティの話題が殆ど出てこないのがデフォルトでした。ついでに水餃子の正しい読み方をマスターして、かしこさが軽く6〜7はアップしました。忘れない様にブログにもメモっておく。
9時過ぎにお開きになり、帰宅は10時頃。声かけ&幹事のPさんに深く感謝。また遊んでください。
・まさかニュースソースとしてかーずSPさんに取り上げて頂ける日が来るとは思わなかった件。
かーずさんに取り上げて頂ける記事を書く、というのは、レトロゲームブログとしての不倒城の一つの目標にはなっているのだが。思い当たらないアクセスがたくさんあったのでどうしたかなーと思って見に行ってみたら、なんと情報参照元として不倒城の文字があって腰を抜かしました。
他にも色々と、色んな方に見て頂いているんだなーあり難いなあ、と思うことしきり。ご覧の通り無理して頑張ったりは全然しないブログですが、これからも適当にやりたいと思います。皆さんありがとうございます。
今日はそれくらい。
2008年04月17日
今日のしんざき 08/04/17
みなさんこんにちは。
倉庫番状態のダンボールを地道に片付けたり、息子さんを山梨につれて行ったり、カースメーカーとダークハンターを育て始めたりしている間にいつの間にか4月中旬になっていた件について。
大体発信量は受信量に正比例するものですが、しばらくネットからの情報を遮断していると、目に見えて流出する情報も減ります。まあ、こういう時期もあってもいいかなあとか思いながらゆるゆると活動再開。
・最近の息子さんのお話。
相変わらず、体を洗う時は泣く。既に予定調和と化している。湯船に入れてやるとキャッキャとご機嫌が治るので、正直あんまり気にしてないですはい。
捕まり立ち→手を離す、が最近の彼のブームらしく、立っている時に「おおっ」とか驚いてやると物凄く得意そうな表情になる。にまーーーっと。
しかし、「歩く」というのは「立つ」から考えて物凄い複雑なプロセスが必要になる訳で、ロボット工学者はロボットを歩かせるのに死ぬ程苦労する。ここから息子さんが、一体どの様な過程を踏んで「歩ける」様になるのか。間近で観察出来るのはすげー楽しみ。プロセスを見逃さんぞ。
・街のゲームショップに関する、ちょっと気になったお話二つ。
まこなこさんより。
2008年4月14日:街のゲームショップを生き残らせるには
「街のゲーセンを生き残らせるには」というタイトルでも書ける気がする。厳しい現状には違いないと思うけど、その内何か書くかも。
一方、こちらはあんまり上記とは関係ないんだけど、なんというか、言葉がない話。
1983盗難事件まとめサイト
事件の続報、「命の危険について」
どうも、前後の事情を見る限りではWebでの発言が絡んだ事件の様にも見える。これも、実名のリスクの内なんだろうか。
ゲームショップ1983さんの今後のご清栄を願って止まない。
・ダライアスとダライラマの片方向な関係
むしろ疑問を持つ方が不思議だ。
倉庫番状態のダンボールを地道に片付けたり、息子さんを山梨につれて行ったり、カースメーカーとダークハンターを育て始めたりしている間にいつの間にか4月中旬になっていた件について。
大体発信量は受信量に正比例するものですが、しばらくネットからの情報を遮断していると、目に見えて流出する情報も減ります。まあ、こういう時期もあってもいいかなあとか思いながらゆるゆると活動再開。
・最近の息子さんのお話。
相変わらず、体を洗う時は泣く。既に予定調和と化している。湯船に入れてやるとキャッキャとご機嫌が治るので、正直あんまり気にしてないですはい。
捕まり立ち→手を離す、が最近の彼のブームらしく、立っている時に「おおっ」とか驚いてやると物凄く得意そうな表情になる。にまーーーっと。
しかし、「歩く」というのは「立つ」から考えて物凄い複雑なプロセスが必要になる訳で、ロボット工学者はロボットを歩かせるのに死ぬ程苦労する。ここから息子さんが、一体どの様な過程を踏んで「歩ける」様になるのか。間近で観察出来るのはすげー楽しみ。プロセスを見逃さんぞ。
・街のゲームショップに関する、ちょっと気になったお話二つ。
まこなこさんより。
2008年4月14日:街のゲームショップを生き残らせるには
「街のゲーセンを生き残らせるには」というタイトルでも書ける気がする。厳しい現状には違いないと思うけど、その内何か書くかも。
一方、こちらはあんまり上記とは関係ないんだけど、なんというか、言葉がない話。
1983盗難事件まとめサイト
事件の続報、「命の危険について」
どうも、前後の事情を見る限りではWebでの発言が絡んだ事件の様にも見える。これも、実名のリスクの内なんだろうか。
ゲームショップ1983さんの今後のご清栄を願って止まない。
・ダライアスとダライラマの片方向な関係
むしろ疑問を持つ方が不思議だ。
2008年04月08日
今日のしんざき 08/04/08
息子さんのお話。
引越し後、二週間近く経った。新しい家にはだいぶ慣れた様子である。
息子さんと一緒に風呂に入るのは私の仕事であるのだが。最近息子さんが風呂好きでない。というか、洗われ好きでない。
引越し前のアパートでは湯船の中で洗っていたので、どうやら誤魔化せていた様なのだが、引越し後は風呂に洗い場がある。当然そちらで息子さんを洗う訳だが、どうもこれが嫌であるらしい。ぐずるぐずる。何かいい手はないものか。
一方、湯船に一緒に入ると相変わらず、割とご機嫌はいい。洗面器にお湯をためて息子さんの前に浮かべると、ばしゃばしゃと水面を叩いて喜ぶ。で、自分の顔にお湯がかかって「ひーーん」と嫌がる。因果応報というヤツか。違うかも知れないが。見てて飽きないなあ。
親の責任、というものについて考えること、色々。なにはともあれ、生まれてきて良かったと思ってもらえればなあと思う。
中庸をいこうと思う。
・世界樹のお話。
一応25F突破しましたー。結局最後までソドマス、ブシドー、メディック、アルケミ、ガンナーの編成は変わらず。というか25Fのボスの人より、23Fの剣兵さんとかジャガーさんの方が強い気がしたんだけど気のせいですか。
取り敢えず、残ったクエなどを消化しつつ、様子を見ながら引退→育成フローに入ろうかなあというところ。ドクトルマゲスを全然使ってないからちょっと育ててみたいなあ。
2008年04月07日
二次創作を「煽る尺度」について。
前回のエントリーが頭の中で発展して、幾つか思いつきが沸いてきたのでちょっと書きとめておく。
テーマは「ある創作が同人に向いているかどうか、の尺度について」。例によって、既出かどうかは気にしないことにする。
・創作には、「それを元にした二次創作が生まれやすいかどうか」という尺度があると思う。
多分、キーワードは「意欲」なんだろう。
それがどの様な形のものであれ、二次創作というものは妄想から発生する。例えば漫画、あるいはゲームや小説、なんでもいい。ある一次創作に触れて、そこをスタート地点にしてもくもくと妄想が沸いてくる時、そこには既に二次創作の種が育っている。
漫画の「まだ見ぬ展開」を妄想することも、ゲームで「もうひとつのエンディング」を妄想することも、広い意味では二次創作の内だ。小説の主人公に自分を準える、進行上で死んだ人物が生きていたらどうなっていたかを想像する、その程度の妄想なら多くの人が経験している筈だ。
妄想がある種の臨界点を突破した時、おそらく人は二次創作への道を本格的に歩み出す。ある人は同人作家への道を歩み、ある人はWebでネタ創作を書き散らすなどという行為に走り、あるいは大成し、あるいは道半ばにして黒歴史へと葬る。
人は誰しも、同人作家としてのある程度の資質を備えているのである。恐ろしいことである。
さて。「妄想がある種の臨界点を突破」するとして、その「臨界点」の位置は一体何の要素で決まるのだろう。
私が考える軸は二本。「容量」と「集積」である。
・創作における「容量」とは何か。
つまり、妄想の自由度。ある創作にどの程度の穴があるか、どの程度の俺様設定をつぎ込む余地があるか、という軸が、まずひとつである様な気がする。
例えば。キャラクターに関する自由度、というものを想定してみる。
ここに、ある創作の主人公、例えばAというキャラクターがいたとする。このAというキャラクターにどれだけの設定が明示されているのか、というのは当然、作品ひとつひとつで大きく異なる。
話し方から考え方、性格、生まれや育ちから好みの異性のタイプまで、何から何まで細かく設定してある創作であれば、当然読者に残された「想像の余地」というものは小さくなる。レトロゲームのRPGの主人公の様に、極端な話名前しか決まっていません、という様な場合には、勿論「想像の余地」というものは大きくなる。
「かゆい所に手が届く」設定であればある程、妄想が育つ余地は小さくなるというのが一般的な傾向だろう。勿論、これを逆手にとった意外性パロディ(デスノートコラみたいな)というものが生まれる場合もあるのだが、それは取り敢えず置く。
あるいは。シナリオに関する自由度、というものを想定してみる。
例えば一本の筋道をもった小説であれば、当然のことながら辿るストーリーも一本である。そこには、無限の「もしこうなったら」というシナリオ上の妄想の余地が残される。キルヒアイスが死なない世界を想像するのも、犬猿の仲の男女をくっつけるのも読者に許された「妄想の自由」である。
一方。マルチエンディングのゲームであれば珍しくないことだが、ゲーム上で辿りうる「シナリオ」が多ければ多い程、当然読者に残された「妄想の余地」も目減りする。当然だ、妄想するまでもなく「その展開」は既にそこにあるのだから。妄想の根源は意欲であり、欲望である。読者の妄想を煽る為には、読者を満腹にさせてはいけないのだ。
キャラクターと同じく、「かゆい所に手が届く」シナリオであればある程、おそらく妄想が育つ余地は小さくなる。「こうなればいいのに」であるとか、「こういう展開が見たいのに」といった欲望を誘う創作の方が、おそらく二次創作を誘発する度合いは高いのだ。
こうして考えてみると、前回エントリーで話に出た「エロ同人」というのは、つまり「シナリオに関する自由度」というゾーンに存在する話題だったことが分かる。エロいシナリオというものが至れりつくせりで存在する創作には、エロいシナリオを妄想する余地は存在しない。エロいシナリオが全く存在しない時、エロいシナリオを妄想する余地は最大化する。ギャップが煽る欲望というのは、つまりここに尽きるのだろう。
じゃあ、設定が少なければ少ない程、つまりは容量が大きければ大きい程二次創作は作られやすいのか?といわれると、必ずしもそうでもない気がする。
そこで出てくるもう一本の軸が、「集積」である。
・妄想は共有することで成長する。
二次創作を創る人というのは、往々にして同じ趣味の人同士で集い、コミュニティを形成する。Webで少しキャラクターの名前を検索すれば、「○○同盟」であるとか、「○○WebRING」といったものが、それこそ星の数程引っかかる筈だ。
二次創作を煽る強力な要因として、「同好の士」というものの存在はどうもかなり大きい様に思える。同じ趣味の友人、同じ妄想を語り合える知人。良きにつけ悪しきにつけ、平安時代の昔から、妄想は「口に出され」「語り合われる」ことによって成長するものの様である。
いつの時代も、革命は妄想に始まり、集積によって現実となるものであり、日本でいうと幕末の志士達はこぞって同人作家であった。一次創作が幕府の秩序であり、そこから「こうであったらいいのに」という妄想が結実した結果が討幕である。
で。上の段にあった「容量」が大きければそれだけでいい、訳ではない理由として、この「共有」というものが絡んでくる。何故かというに、「共有」する為には核となるものが必要だからだ。
以前書いたが、例えばWizardryは、上記「容量」については無限の広さをもったハコである。TRPGが丸々一個ゲームカートリッジの中に納まっていると考えていい。文字と数字だけで形成されたキャラクターが、ゲームを介して自分の脳内で生き生きと動き出す楽しさというのは、そんじょそこらのゲームで味わえるものではない。
ところが。勿論「友の会」やアンソロジー、様々な創作小説が存在するとはいえ、その裾野の世界的な広さ程には、Wizardryの二次創作は広範ではない。というか、単一では様々な創作が存在するのだが、それらをまたいだ「共有物」というものがあまり目立たない、という言い方になるのかも知れない。
その理由が、「自由度が高過ぎる為に、妄想が拡散する傾向がある」ということなんじゃないかと私は思うのだ。妄想に核がない、という言い方になるんだろうか。個人個人のイメージが自由過ぎる為、ユーザーをまたいだ妄想が育たない。
一方で、同じRPGでも最低限のビジュアル・設定がある作品では、時として物凄い規模での集積が行われることがある様だ。例えばドラクエIIIであるとか、ちょっとWebを漁ればあるわあるわ、各職業の男女のリストと創作の山。試みに「Wizardry 創作」「ドラクエIII 創作」でぐぐってみるだけでもざっくりとした規模差は分かる。機種依存文字を排除し、シリーズの壁をとっぱらってもこの検索数である。
多分、「丁度いい設定量」「程良いビジュアル量」という軸があるのだろう、と思う。ある程度統一されたビジュアルと設定があれば、妄想は集積されることによって、それ自体を核にして成長する。
「二次創作の素材」として優れているかどうか、という観点では、例えば「世界樹の迷宮」の方がWizardryより上なのかも知れない、ということが言えるだろう。
と、メモ書きのつもりだったのにエラい長くなったのでちょっとまとめてみる。
・二次創作の創られやすさには、「妄想の自由度」と「妄想の核があるかどうか」という、二つの軸がある様な気がする。
・妄想の自由度の中にも色々な種類がありそうな気がする。
・ドラクエIIIのWebRINGの範囲の充実っぷりは異常。というか、「戦士×魔法使い」で1ジャンルとか、私の想像の範囲外の出来事なんですけど。
・Webはある意味黒歴史の集積である様な気がする。
最後あんまりまとめと関係ないな。まあこのブログもところどころ黒歴史な気もするが、私は今日も気にせずに書きたいことを書く訳である。
二次創作についてなんとなく思ったこと、以上。
2008年04月03日
エロゲーを漫画化したりしなかったりする時の話。
まっ昼間からどうなんだと思わないでもない話題だが、特に気にせずに思いついたことを書く。一応折りたたんで。
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2008年04月01日
今日のしんざき 08/04/01
「ダンボール箱を端に寄せたらなんか片付いた気になったよ!不思議!」現象に名前をつけたいんですけど、何がいいでしょう。「ダンターグが面倒だったので後回しにしてたら忘れた頃にラストダンジョンで再会したよ現象」とかでいいでしょうか。元より長いですか、そうですね。
息子さんの動向。最近、私が帰宅した時ににまーーっと笑う率が顕著になってきた気がする。そろそろ顔が識別出来てきたんじゃないか、とのこと。息子さんは唯一、奥様の妹さんをどうも自分と同格の生き物だと判断しているらしく、最近彼女が来ると威嚇したり「あうあーー」と怒鳴りつけたりする。いかん、人類皆平等だとちゃんと教えてあげなくては。
・世界樹IIのお話。
第五階層をうろついてます。
相変わらず、ソードマスター♂、ブシドー♂、メディック♀、アルケミスト♂、ガンナー♀というパーティーがメインなのですが、赤foeさんが死ぬ程強いんですけど。
ネタバレを抑える為一言で言うと、剣兵さんを誰かどうにかしてください。
カースメーカー育てるかなあ。
・リメイクにまつわる色々とか。
立場が変われば意見も変わる、ついでに読み方も変わるもんなんだなあ。としみじみしてます。
tablogさんが補足してくださったのが嬉しかったので取り敢えずリンク。
元記事のコメントは本腰入れるとすげー手間かかりそうなのでなかなか返せてませんが、気が向いたらまた別記事ででも補足します。



