2015年07月27日

漫画だろうが絵本だろうが制限しないで、本を読みやすい環境さえ整えておけば、子どもは勝手に本好きになるような気がします

漫画だって絵本だって立派な読書だ、と私は思うわけなんですよ。

という話を以前していたら、「子どもが漫画ばっか読むようになりそうで心配」といわれまして。勿論人それぞれだろうとは思うんですが、

・色んな本に触れることの出来る環境だけ用意しておいてあげる
・親が「そんな本読むな」「こういう本読め」という制限や押し付けをしない


この二つにだけ気をつけておいてあげれば、知識欲の趣くままに、子どもは勝手に色んなもの読むようになる、ような気がします。


まず先に、しんざき家の家族構成を明示しておきます。しんざき、しんざき奥様はいずれも30代中盤。長男は8歳、小学二年生。長女・次女は3歳の双子。絶賛おしゃべり期で、ここ最近は豚が石鹸食う絵本がお気に入り。


これはある程度一般化出来ると思うんですが、子どもって基本的には「知りたがり」なんですよね。とにかく色んな知識や情報に触れたがる。別に新しいものでなくても、何度か触れた情報であっても関係なく。だから、手に届くところに本があれば、読む。

しんざき家長男の場合。1〜3歳くらいの頃には、子どものおねだりに応じてなるべくたくさん絵本を読み聞かせしてました。あと、寝物語にてきとーなお話をでっちあげて聞かせてたりもしました。

その後、字が読めるようになった長男は、まずコミック版の「ドラえもん」にハマりました。暫く「ドラえもん」ばっかり読んでいて、少し前からは自宅にあった「テルマエ・ロマエ」とか、よつばととか、聖おにいさんとか、その辺の漫画も喜んで読むようになりました。

で、特に何の制限もしないでいたら、「かいけつゾロリ」とかトムとジェリーの迷路絵本なんかを経て、ここ最近「はれときどきぶた」や「トム・ソーヤーの冒険」や「長くつ下のピッピ」なんか読んでるなーと思っていたら、ついには児童用の「ロミオとジュリエット」を読み始めました。いきなり方向性がすごいと思います。


まあ、なんというんでしょう。私はそもそも、「漫画よりも字がたくさんの本を読んで欲しい」とすら思っていないんですが、子どもは勝手に色んな本に手を出し始めるもんなんだなあ、と。漫画ばっかならそれはそれで別にいいと思ってたんですが、そうでもないもんだなあ、と。

しんざき家でやっていることは、基本的には、多分たった二つだけです。

・一〜二週に一回、図書館につれていって、何でも好きな本を借りておいで、と言っている(目黒区だと一度に二十冊借りられる)
・子どもが何を借りてきて何を読んでいても(読まなくても)文句を言わない


この二点だけ。

これについてはしんざき奥様の働きが大きいと思うんですが、奥様、たとえ借りてきた本をほったらかしにしてても「折角借りてきたんだから読みなさい」とすら言わないんですよね。基本、一度読めるようになりさえすれば、あとは全部子ども任せ。だから、子どもは読みたい時に、読みたい本だけ読む。

こういう風にしてれば、読書嫌いになんかなりようがないと思うんですよ。

(親に限らず)大人が「こんなものばっかり読むな!」とか、「もっとこういう本読め!」とか言う。そうして押し付けられた本って、子どもにしてみれば、正直あんまり読む気になって読んでないんですよね。だからあんまり身にならない。ソースは私です。

一方、「読みたくて読む」本であれば、それが漫画だろうと絵本だろうと、子どもにとっては大切な読書体験になるんですよ。で、一度「本を読む」ことが好きにさえなれば、あとは何でも読むようになる、と思うんです。


ちなみに、しんざきは今でこそどちらかというと濫読家寄りな方だと思いますが、小学生時代の愛読書はファミリーコンピューターマガジンで、中高の頃はゲーメストでした。お蔭様で、あまり子どもの読書傾向を心配せずに済んでいます(心配する権利がない、とも言う)


まあ、多少「おススメ」の方向性くらいは出してもいいと思うんですが。正直小学二年生男子が「ロミオとジュリエット」を読んで面白いかどうかには若干懸念があるので、「十五少年漂流記面白いよー」とかさりげなくおススメしたりもしているんですが・・・まあ、面白くなかったら読むのやめるだろうから別にいいか。

あと、全然関係ないんですが、夜寝る前の絵本読みの時間に、ためしにBGMで「遠い音楽(zabadak)」を流してみたら、なんかぐりとぐらがすっげえ壮大な感じのお話になりました。長女次女はどうでもよさそうでしたが、親的には楽しいのでちょっとおススメです。

まあ、なにはともあれ、親は「本をたくさん読む経路がある環境」だけ整えておけば、あとは「漫画ばっかり読んで!」とかそんなに気をもまなくてもいいんじゃないかなあ、とか、そんなお話でした。

今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 23:03 | Comment(3) | TrackBack(1) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月24日

1か10か、という議論があったとして、実は妥当なのは4から6辺りだったりする、という話

今から、あんまり具体的じゃない話をします。

あるテーマがあるとします。

で、そのテーマについての意見を、てきとーに数字化するとします。どの程度極端に振れているかという尺度によって、1から10くらいまでの数字に分かれると思ってください。

可視化されやすい、というか、分かりやすくて目を引き易い意見って、やっぱり「1だ!」と「10だ!」なんですよね。1派の人と10派の人が殴りあいとか始めると、そりゃもう人目を引きます。万事、絶対評価よりも相対評価の方が分かりやすいので、周囲の人たちも、「1なのかな?」「いや、10なんじゃないか?」「10はない」「1の問題点は3つあって」といった、色々付随的な議論も始まるわけです。

特にWeb界隈では、「1か10か」という議論が注目されやすいこともあいまって、極端な立ち位置、極端な言説がもてはやされやすい土壌みたいなものがある気がします。


ただですね。往々にして、「現実的な妥協点」とか、「丁度いいところ」みたいなものは4から6くらいのところにあって、「実際に実行に移したら上手くいきました」みたいなのもその辺だったりすることが多いと思うんですよ。いや、勿論、全部が全部じゃないですが。


4から6、くらいのポジションを取る人の言説は、あんまり注目されません。場合によっては日和見ともとられますし、1派の人、10派の人、それぞれから対立陣営だと判断されて攻撃されたりします。基本的に損な立場です。

ただ、「4から6くらいに現実的な回答があるんじゃないかなー?」って考え方って、絶対必要だし、その辺のこと検討しないと現実的な解が出てこないケースって多いと思うんですよ。実際に4から6くらいの回答を求めるときに、「1か10か?」って議論は不要だったりするんです。


言うまでもありませんが、エラい単純化した話ですよ。物事、綺麗に10段階に数値化出来る程シンプルなケースは多くはありません。

ただ、考え方の一つとして、

・一見分かりやすくて目を引きやすい意見が、「実は現実的でない程極端に振れた意見かも知れない」ということ
・二つの対立陣営があったとしたら、実は現実的で妥当な回答はその真ん中くらいにあるかも知れないこと
・一見どっちつかずの日和見っぽく見える意見を言っている人が、実は一番現実的な人かも知れないこと
・必ずしも、あるテーマについて1か10かで考える必要はない、ということ



辺りは、頭に入れておいた方がいいかもなあ、と思った次第なわけです。

あ、今日書きたいことはそれだけです。
posted by しんざき at 23:45 | Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月15日

強行採決がどうとか


以前、といっても10年くらいは昔だったような気もするんですが、竹下登氏の回顧録を読みました。

政治とは何か―竹下登回顧録

強行採決がどうとかこうとかという話については、本当はその回顧録を読むとすっげえ色々書いてあって面白いんですが、手近なところではWikipediaでも色々まとまってまして、まあ内容もこんなもんだと思いますので、気になる人は読むといいと思います。

Wikipedia:強行採決
国会では議案に充当させる審議時間の配分や審議の順番など議事日程は議案ごとの均等割ではなく、議案ごとに議院運営委員会で調整され、ここでの調整が重要な政治上での駆け引きの材料となってきた(国対政治)。このため、議院運営委員会での優勢を背景に、野党の合意を取り付けないまま審議を終了させ、法案を採決することを「強行」とマスコミや野党が表現した。また与党が一方的に審議を打ち切ることから、「与党による審議拒否」とのレトリックが用いられることもある。
与党が強行採決する際は、国会対策委員長同士や会談や委員会の理事懇談会といった非公式な場で、野党側に対して「○時○分に採決に踏み切る。」あるいは「○○議員の質疑終了後、質疑を終局する。」などと事前通告されている。このため、採決間近になると、与野党の議員が集結の準備を整えており、マスコミ各社のカメラもスタンバイを終えている。採決する時間も、NHKの生中継がしやすい時間帯を選んで設定されている。一方、一部の野党が出席して強行採決に踏み切る予定が、段取りを間違え全野党議員が欠席のまま採決してしまったため、数時間後に改めて野党議員の出席の上で強行採決をやり直した例もある。また、与野党対立を激化させないため、委員会で強行採決を行ったあと、当該委員会の委員長が引責辞任することもある。
このように、与野党が対立する法案にあって、どうしても妥協点が見出せない場合、ギリギリの落とし所として、強行採決が選択される。与党は法案を可決させるという「実」を取り、野党側は「体を張ってこの法案を阻止しようとした。」という姿を国民にアピールする「名」を取る。その意味では、与党が野党の顔を立てたものとも言える。
実際のところ、「強行採決」という言葉自体メディアが作ったものでして、国会法や衆議院規則にそういう記載があるわけでもありませんし、「○月×日に採決を行います。みんな来てね!」と事前告知しなくてはいけない、という決まりがある訳でもないです。

ないんですが、実際にはちゃんと告知が行われるので、野党の皆さんが事前に反対のプラカードを作る時間もある訳です。出来レース感が溢れる、素敵な慣例ですよね。


ちなみに、野党が採決に抗議する姿が慣例通りテレビ放送されていて話題になっていましたが、自民党が下野していた時期にも強行採決は散々行われておりましたので、自民党も当時抗議活動を行っていた筈です。プラカードを作っていたかどうかまでは私は知りませんが。


結局のところ、強行採決といっても、「国会法に則って正規に運営された立法府が正規に審議した」という事実は動かせないと思いますので、採決方法について文句を言うならば、順番として、まず国会法に文句を言わなくてはいけないんだと思います。というか、民主党は何故、自分たちが与党の間に少数意見を尊重する方向に法改正しなかったんでしょうか。長年主張し続けていたことを実現するチャンスだったと思うんですが。不思議ですよね。


その辺り、強行採決という言葉は、与党に対して「反民主主義的」「独裁的」というレッテルを張る用途で便利使いをされ過ぎているような気もしないではありません。

実際には、全ては定められた手順に則って行われているわけで、国民多数に選ばれた与党が数週間の審議の後に今回の採決に至っている時点で、民主主義なんでこんなことで死んでまうのん?と思わざるを得ません。ひょっとすると、現状の「民主主義」というもの自体どうなの、という話に落ちるのかも知れないですが。


全然関係ないですが、今回の採決について「自民党によるクーデターだ!」とかいうテキストをtwitterで見かけまして、「え、マジで!?多数派与党の国会立法もクーデターって言うの!?」とか軽く衝撃を受けました。新しいクーデターの概念ですね。言語の可能性って素晴らしい。


まあ、強行採決ってのも随分イメージ先行の面白い言葉だなあ、という話でした。
posted by しんざき at 15:06 | Comment(14) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月14日

レトロゲーム万里を往く その125 バルーンファイト


ファミコンで「ドッグファイト」を表現した、最初のゲームなんじゃないか、と私は思うのです。




1983年〜1985年あたりのファミコン市場は、一言で言ってしまうと「任天堂と愉快な仲間たち」が形成していました。ファミコン最初期の任天堂タイトルが、一から十まで一作も漏らさず佳作・名作揃いだったこと。それ抜きで、後のファミコンの隆盛はありませんでした。

前にも書いたことがありますが、1984年後期から1985年初めくらいのファミコンゲーム発売タイトルをざっと見た時、「当時の任天堂のスタッフが全員妖怪だった」という以外の結論を導出することは極めて困難です。

1984年11月2日 F1レース、同11月2日4人打ち麻雀、11月14日アーバンチャンピオン、11月22日クルクルランド、11月30日エキサイトバイク、85年に入って1月22日バルーンファイト、1月30日アイスクライマー。一本のゲームが数人、場合によっては一人で開発される時代だった、ということを考慮に入れても、一体どんな加速装置を使えばこうなるのかとしか言えない凄まじい過密スケジュールであることは議論を俟たないでしょう。当時の任天堂にはドラえもんでも実装されていたんでしょうか。


この傍ら開発がすすめられていたと考えられる、「ファミリーベーシックV3」は2月21日に発売されています。その後の、4月9日サッカー、6月18日レッキングクルー、6月21日スパルタンX、というスケジュールも今から見れば十二分に頭おかしいのですが、それでも1984年11月の妖怪スケジュールに比べれば、まだなんぼか納得感があると言っていいと思います。


強調しておきたいのは、ここで挙げたタイトルの中に、「面白くないゲーム」というものが一本たりとも含まれていないことです。F1レースは当時の基準からすれば常識外れのド迫力でしたし、4人打ち麻雀はお父さんたちの腰をファミコン前に落ち着けるのに一役買いました。アーバンチャンピオンは「対戦格闘」というもののルーツの一端を担っていますし、クルクルランドの宝探し感は鮮烈でした。「横スクロールジャンプアクション」に近いゲームを実現したエキサイトバイクは爽快感に溢れていましたし、アイスクライマーのポポとナナのジャンプ力は「お前らなんでオリンピック出ないの?」というレベルでした。



そして、そんな中に、佳作軍団の中でもひときわ輝く一作として、バルーンファイトがありました。



バルーンファイト。アクションゲーム。1985年1月22日、今日から数えて11131日前に、任天堂からファミコンで発売。元々はアタリの「ジャウスト」を移植しようとしていたところ、権利関係の問題でお蔵入りになり、坂本賀勇氏、横井軍平氏、岩田聡氏、田中宏和氏の4人で大幅なアレンジを加えて本作が誕生した、という逸話が知られています。私はファミコン版、アーケード版、それぞれの「ジャウスト」も遊んだことがあるのですが、後述する複数の理由から、「元ネタを遥かに超えたアレンジ作」になっていると言っていいのではないかと私は思います。



さて、ゲームの話をしましょう。


・何故なら、そこに「Aボタン」と「Bボタン」があったから。


ゲームシステムというのは、開発者の思想です。とりわけ「操作系」というのは、「このゲームをどう遊んで欲しいか」という、開発者の思想が如実に現れる部分です。

バルーンファイトに現れている開発者の思想というのは、私が考える限り、多分「メリハリ」だと思います。


キーワードは二つあります。「操作のメリハリ」と、「上下のメリハリ」


上記動画を見ていただければ一目瞭然ではありますが、バルーンファイトは、空を飛んで敵の風船を割っていくゲームです。プレイヤーは、風船を担いだ主人公キャラクターを縦横無尽に操って、あちこちを飛び回る敵の上をとり、敵の風船を割っていきます。


元ねたの「ジャウスト」と違って、バルーンファイトには二つのボタン操作があります。

Aボタンが、ゆっくりとしたパタパタ羽ばたき。Aボタンを押すと、プレイヤーは一瞬手を動かしてちょっとだけ浮き上がり、その後すぐ下降を始めます。

Bボタンが、高速のバタバタ羽ばたき。Bボタンを押していると、プレイヤーは水面下の白鳥かよって勢いで物凄くバタバタと手を動かし、上方向に高速のベクトルを持ちます。


まず、この二つのボタンが生み出している「操作のメリハリ」こそが、バルーンファイトというゲームのひとつの重要なエッセンスなのです。


バルーンファイトは、要所要所でかなり細かい操作を必要とされます。細かい地形を交わしたりとか。雷と敵に挟まれたところから脱出したりとか。バルーントリップでは何をかいわんやです。

一方、バルーンファイトでは要所要所で非常にすばやい動きを必要とされます。高い位置を急いで確保して、敵の頭上を取ったりだとか。逆に、敵に頭上をとられた場面から急いで逃げ出したりであるとか。


この時、単に「飛ぶボタンを押したり離したりして調節してね!」ではなく、「AボタンとBボタンを使い分けて、上手いことプレイヤーをコントロールしてね!」というのが、ひっじょーーーーーに明確な「プレイヤーへのメッセージ」でした。

バルーンファイトのキャラクターは、ふわふわとした非常に独特な浮遊感をプレイヤーに提供してくれます。羽ばたけばふわっと上に上がるし、ボタンを離せばすーっと下に落ちていく。その浮遊感に、上記の「メリハリのきいたボタン操作」が合わさった時、何が起きたかというと。


バルーンファイトは、プレイヤーに「俺上手くなってる感」を物凄いクオリティで提供してくれたのです。


AボタンとBボタンの使い分け。微妙な速度操作と浮遊感の制御に慣れた時、プレイヤーは縦横無尽に画面内を駆け回る自分の操作キャラクターの姿に気がつきます。次から次へと、思い通りにばちんばちん敵の風船を割っていく姿は、まさにエースパイロット。2P対戦(本来は協力プレイなわけですが)という要素も合わさり、戦闘機ごっこもかくや、といわんばかりの空中戦がそこにはありました。

この、「ボタンを使い分けて、上手く操作してる感」というものを味わうには、ボタン一つではそれなりの高さの壁があります。ボタン二つだからこそ実現できた楽しさが、そこにはあったのです。

プレイヤーキャラクターに風船が二つあって、風船が一つ割れてもまだ飛び続けることが出来る、という点で、学習機会が多かったという点もあるのでしょう。プレイヤーは、「今、自分の飛び方のどこが悪かったのか」というのを頻繁に学習しつつ、独特な浮遊感を我が物にしていくことになります。


一方。バルーンファイトには、「上下のメリハリ」というものもありました。


バルーンファイトの敵のアルゴリズムはひっじょーーによく出来ていて、三段階のレベルに分かれた敵キャラクターが、それぞれ実に自由に画面を飛び回ります。レベル1の敵キャラはまだもたもたとしているのですが、レベル3ともなると非常にすばやい動きでこちらの上空をとろうとしてきます。

敵に上を取られた状況というのは非常に危険なので、プレイヤーは出来る限り画面の上方を確保しなくてはいけません。ですが、Bボタンを押しっぱなしだと画面の天井でがくんがくん跳ね返されて却って危険ですし、雷が飛んでくる危険もあります。

そこで、プレイヤーは様々な手段を使って、「自分の上」を守りつつ、「自分の下」に敵を位置づけようとするわけです。例えば、地形を使って敵をおびきよせようとしたり、であるとか。例えば、Aボタンを駆使してはじかれない程度に天井に張り付いたりであるとか。

「ボタンを離すとどんどん下に落ちる」という要素もあり、Aボタン、Bボタンと密接に結びついた「上下の取り合い」は、擬似的な「敵との駆け引き」とでもいうべき要素をバルーンファイトに導入しました。2P対戦ともなれば一層その要素が顕著になり、プレイヤーは「一人のエースパイロット」として、対戦相手と熾烈な格闘戦を繰り広げることになります。私が、バルーンファイトを「ファミコン史上初のドッグファイト」と考える所以です。


AボタンとBボタン。一見ほんの小さなことですが、絶妙な操作感とあいまって、この要素がバルーンファイトを名作にしている、と私は思います。



・お魚さんの超絶食欲について。

敵をパラシュートのまま放置して海に落っことす、という遊びは当時誰しもがやったのではないかと思うわけですが。

上記、敵とのドッグファイトをメインとするAモード・Bモードの他に、バルーンファイトにはもう一つ遊び方がありました。そう、「Cモード」こと「バルーントリップ」です。



「バルーントリップ」では、敵キャラクターが出てきません。軽快なBGMの中、プレイヤーは一面の雷雲をもぐりぬけて、風船を割りつつひたすら進み続けることになります。固定画面型アクションゲームであるバルーンファイトで、唯一画面がスクロールするゲームモードです。

こちらも、上記の「AボタンとBボタン」を縦横無尽に使い分けながら、時にはすばやく、時には繊細な操作で障害物を交わしていくのがメインのゲームなわけですが、プレイヤーは基本雷に接触するか海に落っこちるか以外にゲームを終える選択肢がないわけで、冷静に考えるとすっげえ悲壮な状況だと思います。未帰還ミッションですよ未帰還ミッション。気分はエリア88のファイナルフライト。かなしい。


これ以外にも、プレイヤーが海すれすれを飛んでいるとたまに魚がぐわっと下から出てくるところ、ギリギリのところで捕食を免れる「川のぬし釣り」であるとか、パラシュートの敵に基本とどめをさしてはならず、全て海におっことして魚に食べさせなくてはいけない「アクアノートの休日」であるとか、通のバルーンファイターの中では様々な特殊プレイ形態が認定されています。嘘ですが。「プレイヤーの工夫次第で色々な遊び方が出来る」というのも、バルーンファイトというゲームの懐の深さを示す一端であるといえるでしょう。


---------------------------------------------------

皆さんよくご存知の通り。

「バルーンファイト」が世に送り出されてから30年後の今年、バルーンファイトを作った一人の巨匠が世を去りました。

バルーンファイトを遊びながら、開発者の意図をあれこれ妄想する程度しか能がない私ではありますが、岩田氏が作った数々のゲームを、またそれ以外の膨大なゲームを、これからも変わらず遊び続けることで、ささやかな哀悼の意に換えたい、と、そんな風に考えるわけなのです。




以下は関連エントリー。
今まで一度も「ファミコン」を遊んだことがない人に、今だからこそ薦める10作
以下は関連してるんだかしてないんだかよく分からないエントリー。
撃墜王の一夜
posted by しんざき at 00:10 | Comment(1) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月13日

細かいことはいいから、ゲームを買ってゲームを遊ぶことこそが最大の供養になると思うんですよ

ということで、取り急ぎ、興味はあったんだけれどまだ買ってなかったスプラトゥーンをポチりました。

先行スプラ組の皆さん、よろしくお願い致します。
posted by しんざき at 17:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月08日

最近のしんざきと、「逃げるは恥だが役に立つ」が面白い件とか 15/07/08

ただの日記です。



○「逃げるは恥だが役に立つ」が面白い

面白いです。

Wikipedia:逃げるは恥だが役に立つ

「逃げるは恥だが役に立つ」は、講談社の「kiss」で連載中の少女漫画です。

正直私は少女漫画にあまり接点がございませんで、今まで読んだ少女漫画も、奥様が持っていた「っポイ!」や「彼氏彼女の事情」、あと俺物語が少々という感じなんですが、今回は珍しく自分で発掘しました。

主人公の森山みくりは、就職難で大学院卒業後派遣社員になるが、派遣切りに遭って目下休職中の25歳女子。そこに、みくりの父親経由で家事代行の仕事が舞い込む。雇用主は36歳システム職の津崎平匡・女性経験皆無。

みくりと平匡の二人は、紆余曲折を経て、双方のメリットの為に「事実婚での仮面夫婦」という形をとることに。雇用主、従業員というビジネスライクな状況で始まった二人の共同生活はー、という筋立てです。

平匡もみくりも理屈っぽい方で、しかも仕事は仕事としてちゃんとやろうとするので、「夫婦」という関係なのに繰り広げられるのはやたらビジネスライクな会話、というのが序盤非常にコミカルで楽しいです。会社同僚の風見と沼田が遊びに来た場面とか特に。

一方、最初から「恋愛関係のゴール」とも言える結婚という地点にいるのに、二人の精神的距離が縮まっていくのはそこから、という描写も面白い。読者から見えている景色と、お互いがお互いの感情を測りかねている状況のギャップ描写は、少女漫画のお家芸ですよね(多分)。


キャラクター描写も非常にリアルというか、「あ、こういう人身近にいる」っていうキャラクターばかりでして、そういう点での感情移入を誘う力もかなりのものです。最初は雇用主としての信頼感・社会人としての有能さがクローズアップされている平匡に、巻を追うごとにこじらせていて面倒くさい人感が増していく、というのもみくりとの視点の同一感ということなんだろうなー、と感心しました。あと、沼田や風見、日野さんといった平匡職場の同僚たちや、みくりの叔母である百合さんなんかも非常にいい味出してると思います。

多分うちの奥様も好きだろうなーこれと思って薦めてみたところ、予想通りハマりました。5巻一気読みして、「ここで終わりなのー?6巻いつ出るのー?」と苦しんでいました。計算通りです。ちなみに6巻は秋頃発売だそうです。


今なら、Kindle版一巻が無料で試し読み出来るようですので、気になった方はどうぞです。

逃げるは恥だが役に立つ(1)



○サンポーニャの三段管を買いました

実は人生初のクロマティカ三段管です。

クロマティカ三段管買ったーー!

サンポーニャには長さによって「チュリ」「マルタ」「サンカ」「トヨ」といった名前がありまして、「トヨ」になると小柄な大人の身長くらい長いんですが、今回買ったのは両手に納まる大きさの「マルタ」です。

フォルクローレの管楽器奏者は、「風」という言葉と同じ「Vientos(ビエントス)」と呼ばれまして。私のサークルでは、私の同期ビエントスの殆どがサンポーニャを得意としていました。ケーナ吹きだけどサンポも吹ける、という人が一般的でした。

ただ、私はほぼほぼケーナしか吹けない人でしたので、今更になってサンポーニャの練習を真面目にやり始めています。

当時、遠くにあるローソクを吹き消す練習とか、よく分からない練習はしていたのですが、全然基礎練をしていなかったことを今になって反省しています。

サンポ吹きの方、誰かマルタの基礎練のやり方教えてください。タンギングってケーナと同じでいいんでしょうかコレ。



○土曜日は映画、日曜は浅草花やしきでリアル宝さがしをやってました

土曜は、子ども達皆連れて「ひつじのショーン」の映画版を観てきました。

映画ひつじのショーン バック・トゥ・ザ・ホーム

15分クレイアニメの映画版なんてどんなんだろ、と思っていたんですが、ノリは普段のままで、ストーリー仕立ての尺を長くした、という感じでした。子どもたちも随所で大笑いしており、楽しんでくれたようです。部分的に緊迫した場面があって怖かったようですが。


日曜は、最近「リアル宝さがし」にハマっている息子さんを連れて、浅草花やしきへ。目的は「カラクリ財宝伝」です。

浅草花やしき

ネタバレは避けますが、「難しい」コースの方はかなり手ごたえがありました。

雨が若干降っており、「浅草大迷路 忍ノ砦」が中止になっていたのは残念ですが、息子さんも大変喜んでくれたので良かったと思います。次は晴れてる時にいきたい。


今日はそれくらい。
posted by しんざき at 10:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月07日

ライフハックの皮をかぶった言葉狩りどうにかならないかなーと思うんですが



よくあるじゃないですか。「実は○○という言葉は失礼な言葉だった!」とか。「○○という言葉を使う人は、実は××(ネガティブな何か)だった!」みたいな、あーゆーの。

最近も観測しました。下記のような記事です。

口癖で分かる性格 「なるほど」が多い人は何も聞いていない

こういう、ビジネスマナーとかライフハックの体を装って、言葉にネガティブなラベルを無理やりくっつけようとする向きが、私は好きではありません。というか嫌いです。


この手の記事の問題点は、箇条書きにすると以下のようになります。


・根拠が全くない、ないし根拠が明示されないまま、言葉に対してネガティブなイメージ付けを行っている
・それを読んだ人が、「そうだったのか、知らなかった!気をつけよう」という印象を持ちやすい、いわば「気づき」を誘導する書き方になっている
・更に、上記の「気付いた」人が、その言葉を使っている他人に対してまで「あ、××な言葉を使ってる人だ」という印象を持ってしまう
・結果的に、上記のような「気づき」にコミットしていない人にまで、その言葉の使用を避けざるを得ないような状況を作りかねない



ひでー話だと思うんですよ。

ちょっと前にありましたよね。「目上の人に「了解」は失礼な言葉です」とかいう似非ビジネスマナー。ひと昔前のビジネスマナー本では、「簡単な仕事の指示には「了解です」といった短い言葉で答えましょう」とか書いてあったのに、そこから少し間をおいて、同じ言葉が今度は「失礼」になるんですよ。

で、誰か声が大きな人が言い始めると、それを周囲がよってたかって再利用しようとする。そこで更に認識が広がって、結果的には本当に「その言葉は失礼」みたいな共通認識が醸成される。こういうのをマッチポンプといいます。


この辺の話は、以前も何度か書きました。前は、言葉の誤用についてをフォーカスした話でした。冒頭に挙げた記事とはちょっと方向がずれるんですが、まあ気にせず続けます。

NHKの「目上の人に「了解」は失礼?」とかいう記事がちょっとどうしようもない内容だった
安易な「気付き」には身構えた方がいいよなあ、という話
国語学研究員は、「日本語の乱れ」の夢を見るか


いや、確かに、「それは語義的に考えても、一般的な意味でも誤用ですよね」っていう言葉も、無い訳ではありません。ただ、そう言い切れる言葉であれば、「実は」なんて枕ことばはつきません。「延々と」という意味で「永遠と」という言葉を使っていれば、現時点では明らかに単純な誤用です。それは、「永遠と」という言葉を使うというコンセンサスが、一般的なものではないからです。

逆に言うと、「多くの人に認識されている、明らかな誤用」でない言葉であれば、そうそう「間違った使い方」だなんて言えない、ということになります。


「実は」という枕ことばがついて、多くの人が「えっ、そうなの?」と驚く、という時点で、その言葉ははっきり「間違った使い方」なんて断言できる言葉ではないんです。


言語、というものは、要するにルールであって、コンセンサスであって、しかも生き物です。多くの人が「この言葉を、そういう意味、こういうニュアンスで使う」という共通認識を持っているからこそ、ことばによるコミュニケーションが成立します。そして、そのコンセンサスは、時代によって、地域によって、文化によって、変わります。同じ言葉であっても、ちょっと時代が、地域が変わっただけで、同じ意味として使えなくなる、なんて例はそれこそ幾らでもあります。


つまり、「その言葉の使い方は間違っている!」なんて言葉は、よっぽど明確なコンセンサスがないと使えたもんじゃない筈なんですよ。


上の話は、飽くまで「言葉の使い方」「言葉の意味」というフィールドでの話でしたが、「○○という言葉を使う人は、こんな××」とかいうネガティブなレッテリングも、「根拠の欠如」「言葉へのネガティブなレッテリング効果」という意味で、全く同じ意味を持つと思います。


それを、誰か、単に注目を稼ぎたい人や、本を売って小銭を稼ぎたい人が、「気づき」という安易な武器を使って「その言葉間違ってるよ!」「その言葉ネガティブな意味だよ!」なんて誘導をしようとすることを、私は「言語に対する愚弄」であるとみなします。だから私は、この手の「気づきの安売り」が嫌いです。


「え、そうだったの!?」と、「今度から気を付けよう」は、Webにあふれています。気づきは、そこら中に転がっています。


けれど、その「気づき」は、本当に妥当な「気づき」なのか。


言葉狩りだけの話ではありません。皆さんも、安易な「気づき」にはくれぐれもご注意を。





あ、文中の言語がルールだとかどうとかいう話について、もう少し詳しく知りたい方は、下記のような文献を読まれることをお勧めします。面白いですよ。

「一般言語学講義」フェルディナン・ド・ソシュール著
「ソシュールの思想」丸山圭三郎著
posted by しんざき at 10:26 | Comment(11) | TrackBack(1) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする