2015年10月30日

人生はロマサガ3というよりはスーパーモンキー大冒険に近い

・水・食料がなくなるとすぐ死ぬ

・一応複数の仲間がいるのだが、実際に戦力になる、というか戦っているのはごくごく少数

・ヒントなどという生易しいものはどこにもない

・ダメージを回復させる為には食うもの食いながらじっくり時間をかけて休むしかない

・魔法などという便利なものは存在しない

・戦闘に勝ったからといって都合の良いパラメーター的な成長が得られる訳ではなく、結局物をいうのは戦闘の習熟度

・徒歩旅は基本的に時間がかかるものである

・死んでも周囲の反応は割とあっさりしたものである

・セーブ & コンティニュー的なことは実は不可能ではないのだが、手順はやたらわかりにくく複雑であり、かつノーヒント

・こっそり隠した内容のものでもいつかはバレる


参照:人生はロマンシングサガのようだと思う
posted by しんざき at 13:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月29日

ギルティギアXrd紗夢で出来るようになりたいこと 私用メモ

ちょこちょこやってます。

現在の戦績はこんな感じ。
http://www.ggxrd.com/pg2/member_profile_view.php?user_id=8256

70戦46勝、8段。今のところそこまで強い人たちが集まるゲーセンにいってないので、勝率の割に段位は低いです。インチキ段位と考えていただいて間違いないです。

以下、いろんな動画とか掲示板を漁って、今後出来るようになりたい・練習したいコンボ、テクニックの自分用メモ。

ネタ元はこの辺です。
XrdR 紗夢 コンボレシピ
GGXXBBS

○祓斧を絡めたコンボ
今のところあんまり祓斧が使えてない。特にホチPKがないと今回コンボが伸びないっぽいので練習したい。

・特逆鱗>(5K)>5S>2HS(1)>ホチPP>朝凪
・特逆鱗>(5K)>5S>2HS(1)>ホチP(持続当て)K>JS jc>JSJHS>3段

・ガト>爆蹴K>朝龍刃RC>朝凪>キャラ別朝凪消化コン>ホチPP締め
参考:http://www.nicovideo.jp/watch/sm27414489

例:対ソル
爆蹴K>朝龍刃RC>朝凪>5K>5S>2HS(1)>ホチP(持続当て)K>朝龍>5S>2HS(1)>ホチPP

特に
5S>2HS(1)>ホチPP
ここは安定させたい。

○投げRCを絡めたコンボ
投げRC>朝凪S>6Kjc>SPSjc>HS>龍劔朝逆

○その他
・6HSヒット確認鳳凰
多分出来てると思うけど確認兼ねて練習したい。

・起き攻めにめくり特殊劔

・高速中段ループ
これ。


・ジョニー相手の立ち回り
ジョニーほんと無理です。死ぬ。地上戦でも空中戦でも負ける。どうすれバインダー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm27459435
kqnさんすげー。


とりあえずそれくらい。
posted by しんざき at 11:59 | Comment(1) | TrackBack(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月27日

多分勉強ができていた私は、具体的にどうやってノートを書いていたか


勉強ができる人とできない人の、ノートの取り方における決定的な違いについて


多分勉強はそこそこ出来ていたと思います。で、ちょっと当時のノートの書き方を思い出してみました。やってる人には当たり前のことかもですが、まあ気にせず。



ノートをとる目的って何かなー、ということをまず最初に考えるわけです。


まず、「中学校・高校くらいの授業におけるノート」というものを想定します。
中学高校でのノートの目的というのは、大体において

「復習する時の補助ツール」

です。かつ、基本的には、中間試験とか期末試験とか、そういった種々の試験が復習のベンチマークとして設定されます。


もちろん、副次的な効果として

・思考を整理して書き記す練習
・要点を的確に把握する練習
・情報を取捨選択する練習


といったこともありますが、それは後の話なので一旦おいておきます。


先生にもよりますし授業にもよりますが、教科書やプリントだけで授業が完結するなら復習なんて教科書読み直せばよく、ノートなんて一文字だって取る必要はないわけです。


そうでないということは、


「授業によって得られる情報量と、教科書によって得られる情報量のギャップ」


が存在する筈で、そこを埋めて記録に残すのがノートの目的なんですよね。

目的さえ達成出来れば、それにかかる労力は少なければ少ない程いいわけです。早い話ノートなんて情報量(書く量)が少なければ少ない程いい筈だ、と私は思うわけなんですよ。一応、これは中学当時から一貫した思考です。

昔から字が超絶へたくそで、習字の授業を蛇蝎のごとく忌み嫌っていた私は、とにかくノートを省略することばかり考えていました。

ギャップを埋めることが目的であれば、教師のお話や板書の内、「教科書、ないしプリント等の資料をを見ればわかる」部分はすべてまとめて省略することが出来ます。また、ギャップ部分についてキーワードや要点を抽出することが出来れば、更に書く量を減らすことが出来ます。

ということは、必要な情報量を持ったノートというものは、下記の手順で作られる筈です。


1.先生の話や黒板を観測して、「授業によって得られる情報量と、教科書によって得られる情報量のギャップ」は何かを把握する

2.更に、当該ギャップの要点がどこにあるかを考え、その要点を思い出すために必要なキーワードのみを抽出する

3.日付と、参照範囲(教科書の何ページとか)と、キーワードだけノートに記載する



これだけ。これで、教科書の当該範囲とノートを合わせて読むだけで、必要な情報量をすべて再吸収することが出来ます。場合によっては、ほんの数文字書くだけでノートへの記載が終了したりします。


冒頭のブログ主の方は、「一度脳にインプットしてから」という書き方をされていましたが、少なくとも私に関しては、ノート記載という作業は「情報量のギャップはどこにあるのか、ということを考える」「ギャップの中から重要そうなところだけを抽出する」という作業でした。

勿論、ギャップがどこかを把握するためには内容を理解しないといけない訳で、インプットはそれはそれで必要です。ただ、「これは教科書に書いてあるから記録する必要も今覚える必要もない」というところは片端から「一旦忘却可」にする。これだけで、書かなければいけない情報、授業における労力は劇的に減ります。

またこれが、多くの先生は「教科書に書いてない、授業だけで出す情報」に比重をかけたがるんですよね。ギャップの抽出にさえ成功すれば、それが丸々試験の要点だったりする時すらある。だからこそ、情報の取捨選択がより大事なわけなんです。


ちなみに、上記のノートは「自分がわかりゃいい」という自己完結型ノートですので、綺麗に整理されている必要は全くないです。というか、私のノートは「お、どこの未解読言語かな?シャンポリオン呼ぶ?」って感じで超絶汚かったです。

よく、「○○大生に学ぶノート術」みたいなので、「思考が整理された人のノートは必ず美しい!」みたいなこと書いてありますけど、あれ絶対嘘だと思います。自分がわかりゃいいんだよ自分がぁ。


あ、言うまでもないと思いますが、上記は飽くまで「復習が必要な中高の授業」の話ですからね。ノートが提出物になる場合とか、自分の思考を書き記さなければならない場合とか、ケースによって色々別のノートの書き方があると思いますが、まあそれはまた項を改めて。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 20:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月26日

「地下謎への招待状2015」が面白かったです

長男8歳、小学2年生。

プラレール・電車好き男子としてすくすく成長している長男なわけですが、最近はアナログゲームやリアル宝探しにもハマっているという訳で、両方を兼ね備えているイベントとして存在を知るや否や遊びた過ぎて地団太を踏んでいた「地下謎への招待状2015」。昨日解いてまいりました。

地下謎への招待状 2015

催行中のイベントの為ネタバレは避けますが、超面白かったです。

長男と地下鉄謎解きにきた!!手強そう!

朝一に渋谷駅でキットを購入して、目の前の神戸屋キッチンで朝ごはんを食べつつ長男(8歳)と作戦会議&First questionに挑戦。すでにこの時点でテンションガン上がりの長男。「必ずやりとげようね!!!」はい。

東京メトロを使ってあちらこちらの駅に行くことになる訳ですが、電車好きな長男的にはここで最適なルートを考えるのも楽しかったらしく。また、それぞれの駅で出題される謎解きも、そこまで難易度は高くなく、長男も大喜びしながら取り組める範囲でした。普段降りたことがない駅でもいろんな発見があり、よく考えてあるなーと感心することしきり。

また、日曜ということもあり、ところどころのポイントで同じように地下謎に挑戦している方々と遭遇して、期せずして電車好き少年同士の交流が始まったりしたこともありました。

ただ、駅をすべて回った後の謎解きについていえば、アイテム的にもめちゃくちゃ凝っていてかなり手ごわかったです。最後の最後まで気が抜けない面白さで、謎解きとしても充実感がありました。長男ともども大満足。

謎の難易度としては、子供向けと大人向けが上手く混在しているなーという感じでした。駅ごとの謎は謎解きにある程度接触している人であれば多分殆ど苦戦しないと思いますが、その後の謎は大人の私が頭と両手をひねってそこそこ考えないと解けない程度。小二の息子も、各駅の謎は私にヒントをもらいつつもほぼ自分で解けていました。


謎を一通り解き終わった後、有楽町で朗読会イベントに参加する奥様と長男引率をバトンタッチし、私は長女次女と一緒に帰宅。朗読会終了して奥様帰宅後、11/1の演奏の練習のために銀座スタジオNOAへ。なかなか充実した練習でしたが、出発するときに長女次女にギャン泣きされて若干遅刻しました。あそこまで泣かれるとは思わなかった。

ちなみに11/1の演奏は結構いい感じになりそうですので、ご興味おありの方はぜひおいでください。

フォルクローレコンサートのお知らせ 2015/11/01(日) 13:05 〜 @目黒区東山社会教育館祭り

今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 07:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月21日

フォルクローレコンサートのお知らせ 2015/11/01(日) 13:05 〜 @目黒区東山社会教育館祭り

「ロス・ガラパゴス」で演奏しますですよ。

第29回東山社会教育館「館まつり」

日時:2015/11/01(日) 13:05 〜 30分くらい
場所:目黒区東山社会教育館
東急田園都市線 池尻大橋駅下車、東口から徒歩7分
入場料:無料

おにぎりとか焼きそばとかも売ってます(売り切れてなければ)。

目黒区東山社会教育館祭りは、公民館を使った文化祭のようなお祭りでして。しんざきが声かけをしているサンファニート軍団「ロス・ガラパゴス」が練習場所として社会教育館を使っていた縁で、何年か前から毎年呼んで頂いて演奏してます。

というか、ちょっとブログを漁ってみたら、なんと2006年にはもう参加してたみたいです。9年目ですかね。

コンサートのお知らせと最近のしんざき 06/10/29

「ロス・ガラパゴス」は、フォルクローレの中でも特に「サンファニート」というジャンルが好きな人達が集まって演奏してるグループです。ただ、別段サンファニートばっかりやる訳でもなく、今回も割とバラエティ豊富な選曲になっております。

フォルクローレをご存じの方も、ご存じでない方も、お時間あったら是非聴きにきてください。ケーナを吹いたりMCをやったり(多分)しているのが私です。


ということで皆さんお気軽に。

2015年10月20日

土日のしんざき、及びゲー音部が五周年だったこととか 15/10/20


ただの日記です。

17日は、子ども達と遊び倒した後夜からゲー音部。

18日は長男づれでゆるドミと、盛りだくさんの土日でした。

まずは17日から。


・17日のしんざき

奥様が臨床心理の研修会にいっていた為、夕方まで長男・長女・次女と遊んでおりました。関係ないですが、最近次女(3歳)は「謝られた後許してあげる」という遊びにはまっているらしく、

「ぱぱ、わたしのえじそんばしおっちゃったでしょ!(1年くらい前)」
「はい」
「あやまって!」
「すいません」
「いいのよ」っていって頭撫でてくれます。

その後、なんかお久しぶりの高田馬場音楽館でゲー音部。なんと、ゲー音部の第0回活動から数えて5周年の記念日だったということです。

ちなみに、私自身の初参加はそれから三か月後の2011年の1月。グーニーズを吹いたことを覚えています。この時も、スタジオは高田馬場音楽館でした。

振り返ってみると、私にとってもこの5年弱、ゲー音部を通じて「バンド形式のゲーム音楽演奏」に参加することで、無暗やたらに世界を広げて頂きました。当時私を誘ってくださったゲー音部部長の@noodle_menさんにはもはや感謝する他ありません。

で、この日私からは「サムライスピリッツ」のナコルルのテーマや、聖剣伝説3のRavenをリクエスト。特にRavenは以前から吹きたかった曲なこともあり、やたらと楽しかったです。次はパーカスの構成とかも色々考えてやってみたい。

定番の高田馬場一休で二次会をした後解散。


・18日のしんざき

御蔭様で、ゆるドミも25回目になりました。

これからもゆるゆると続けていきたいと思いますので皆さんよろしくお願いします。

で、今回はぷち開催ということで13時からの開始。参加者は44名でした。今回初参加の方の中には車椅子の方もいらっしゃり、また日曜日だというのに東北地方から駆けつけてくださった方もいらっしゃったので、皆さんお忙しい中ご参加くださってありがたいことこの上なしです。

一緒に連れていった長男はドミニオンが遊べた他、イチゴリラ、コヨーテ、スコットランドヤード東京版、得意のごきぶりポーカーなどを遊ばせて頂いていたようです。あと、ブラックストーリーズを横で聞いていたんですが、どうも怖かったらしく、後で奥様に一緒にトイレにいってもらっていた由。まあトラウマになるほどのことではないでしょうが、怖い物見たさだったかあ。

私自身はドミニオンとかブラフとかコヨーテとか色々やってました。二次会はいつも通り自由が丘土風炉。



ということで、今日はこの辺で。
posted by しんざき at 12:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月16日

ブロガーあるある10選が想像してたのと違った


「ブロガーあるある」10個を書いてみる

ブロガーあるある10選って↓のような内容を想像していたのだが全然違った。


1.思いっきり時間をかけて頑張って書いた記事は殆ど注目されず、10分で書いた手抜き記事が鬼のようにバズる

2.レトロゲームブログなのに何故か子育て関係の備忘録ばっかりがホッテントリ入りする

3.特に待っている人がいなくても、数日間が空いただけで「最近サボってしまってすいません」などと書いてしまう

4.トラックバック先でどんな被言及されてるのかなーと楽しみに見に行ってみたらただのリンクのみで内心ちょっとがっかりする

5.ブクマ数が2だと思わずセルクマしたくなるが我慢する

6.トラックバックをいちいち送るのが段々面倒になってくる

7.暇なときは書きたい内容が思い浮かばないのに、忙しくなってきた時に限って書きたい内容がバンバン浮かんでくる

8.記事がバズった時、すぐ次の記事を書いた方が見に来てくれる人は(若干でも)増えると分かっていても面倒くさくて次の記事が書けない

9.共感の言葉はそれ程記憶に残らないのに批判のコメントばっかりが印象に残る

10.コメント欄は怖いので自分ではあまり書きこまない


ブロガーとしての意識の差だろうか。
posted by しんざき at 09:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月15日

勇者のコミュ力が余りにも高過ぎて実際にはどう話しかけているのかよくわからない


先に断っておきますが、比較的どうでもいい話です。


一般的なRPGにおいて、主人公が「話す」コマンドを使ったり、町の住民の前でAボタンを押すと、何かしらの反応が返ってきます。時には「ここは○○のむらだぜ」と親切に教えてくれたり、「ぶきやぼうぐはそうびしないといみがないぜ。」とアドバイスしてくれたり、場合によっては「ぱふぱふしない?」などと誘惑してきたりします。


およそ、RPGの主人公に最も必要な才能は、戦う力でも魔法を使う力でもなく、初めて訪れる村や町で見知らぬ人に話しかけまくるコミュ力であることは議論を俟たない所かと思うのですが、改めて分析してみても、あの能力は殆ど魔法の域です。


多くの一人称系RPG(主人公に強いキャラクター性がなく、プレイヤーが一人称視点になるRPG)において、「主人公が実際に喋る台詞」は省略されるのが常です。会話はキャッチボールなので、街の住民からの何らかの回答があるからには、実際には勇者からの問いかけ・投げかけにあたる台詞が存在する筈なのです。

ということは、無粋を承知で村人のセリフを分析すれば、「どのように話しかけているか」ということが大体類推出来るのではないかと思ったわけです。「どう話しかければこういう回答が返ってくるか」ともいいます。

分かりやすいサンプルとして、ドラクエ3の幾つかの例で考えてみるとします。一応、ゲーム内から読み取れる範囲内でのみの類推とします。


1.「ここはカザーブ。山に囲まれた小さな村です。」

これは非常に分かりやすい例です。勇者が、旅の果てにたどり着いた村で、「ここはなんという村ですか?」と問いかければ、上記のような台詞が帰ってきてもおかしくはないでしょう。「山に囲まれた小さな村」という点については「ごめんなさい見りゃ分かります」という感もありますが、まあ現実にも一言多いおばちゃんはいるので、そんなに違和感はありません。


2.「この村より西に行けばシャンパーニの塔があります。」

周辺の施設に関する情報開示のよくある一例です。この種の台詞は、他にも「お城から海づたいを歩くと 岬の洞窟があるそうです。」であるとか、「東に旅をし 山を越えると小さな泉があるという。」とか、枚挙に暇がありません。

一言で引き出すのは若干難易度が高くなってきますが、まあ「この辺りに、何か変わった場所はありますか?」とでも問いかければ帰ってくる範囲でしょう。勿論、もっと長い会話が省略されているという可能性はありますが、ここでは飽くまでゲーム内で読み取れる範囲のみからの類推とさせていただきます。


3.「町の外を歩くとき 怪しげな場所には何かあるかもしれぬ。遠くで見るだけでなく その場所まで行くことだな。」

そろそろ厳しくなってきました。いわゆる、「ゲームシステムの説明」に当たる台詞であり、「連れてゆくなら戦士 僧侶 魔法使いの3人がいいぜ。ひっく。」なんかもこのカテゴリーに分類されます。強いていうと、こちらの身分が相手に知られていることを前提として、「何か助言を頂けないですか?」とでもいえば帰ってくる可能性がある内容でしょうか。

これについては、ゲームボーイ版「ジャングルウォーズ」の出発時の父親の台詞である、「こらこらパンツをはきなさい」という台詞が、実に自然にゲームシステムの説明をしていたという点で見事だったと思うのですが、まあそれは余談です。


4.「やがてアリアハンの勇者がやってきて 魔王を退治してくれるそうですよ。」

かなりの厳しさです。いわゆる世界観、シナリオの説明に該当する系の台詞です。正直なところ、ある程度長い会話の中でひょっこり出てくるならまだ分からなくもないのですが、開口第一声に出てくる内容ではないような気もしないではありません。
まあ、バラモスの脅威が迫ってくることを考えれば、みんな世間話でも魔王の話ばっかりしていると考えられないこともないでしょうか・・・


5.「パパとママなら夜になれば帰ってくるよ。」

見知らぬ家にずかずかと立ち入って、中にいる子どもに「お父さんかお母さんいないかなー?」と話しかける勇者は今の世界なら1フレで逮捕されそうですが、まあ今更の話題なので気にしないことにします。


6.「わ!お客さん!こんなところに入ってきちゃ困りますよ。」

困りますよね。実に自然かつ違和感のない、納得のいく台詞だと思います。


7.「アリアハンから来たの?でも そんな国知らないわ。」

開口一番出身地をdisられる勇者は宿屋の枕をひとしれず濡らしてもいいと思います。この台詞はイシスですが、ポルトガの「まあ こわい!東って野蛮人しかいないのでしょ。」みたいな台詞もこれに準じます。
この辺の台詞ですと、逆にどう話しかけてもこういう反応が返ってきそうなのでむしろ違和感はありません。


8.「私はサブリナ。こうして恋人のことを思っています。でも夜になれば……。夜が怖い。ああ 私のカルロス。」

いいから落ち着けと言いたくもないですが、これくらいになると既に勇者が一言も喋ってなくてもこう言って来そうです。バラモスさんマジ非モテ魔王。ちなみに、類似の台詞に「ああタニア……。僕の愛しき人……。」とかがあります。無言でキメラの翼使わなかった勇者マジ優しい。


9.「旅の人 聞いてくだされっ。わしのかわいい孫娘タニアが 悪党どもにさらわれてしまったのじゃ。 そこにおる若者が タニアの恋人のグプタ。わしは二人を結婚させようと思ったのに…… あんたらは強そうじゃな。どうかタニアを助け」「僕が行きます!見ず知らずの旅の人に頼むなんて…… 待っててください。きっと タニアを助け出してきます!
「グプタ!おお!このうえグプタまで捕まったら わしはわしは……。


なんかだんだんコミュ力の問題じゃなくなってきたような気がしてきました。もしかするとコミュ力が高いのは町の人たちの側なんでしょうか?


10.「聖なる川の流れで身を清めています。」

これ、女性が言ってる台詞なので比較的エロいと思います。素直クールというヤツでしょうか。違うか。
こういったクールエロな台詞も違和感なしで引っ張り出せる勇者侮れないと思います。


考慮外.「私は偉大な武闘家。噂では素手で熊を倒したことになっておる。しかし 実は鉄の爪を使っていたのだよ。わっはっは。」

これについては、墓場の横に立っている骸骨に平然と話しかける勇者の方がどう考えても変態だと思いますので考慮外とします。


とまあなんか途中からどんどん最初の時点の趣旨を見失ってきたわけですが、ここまでの話を勘案すると


・強さとか魔力の問題ではなく、レベル1時点から既にカンストしている勇者のコミュ力を育て上げた勇者母は本当に偉大


というどうでもいい結論が導きだせるわけです。よかったですね。>私


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 23:58 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月14日

楽器を始めてみたい人におススメする、ケーナやサンポーニャのやさしい始め方・練習編


これの続きです。


需要が宇宙のどこに存在するのか、というのは全く気にせず、書けるだけ書いてみます。ケーナやサンポーニャのやさしい始め方といいつつ、ほとんどケーナのことしか書いてません。すいません。


さて。前回のエントリーで、8000円くらいのちゃんとチューニングが整ったケーナを買っていただいたことかと思います。

では次は練習、というところで、ケーナを買った初心者さんには、最初にして最大の壁が待っています。


それは、音が出ねえという壁です。


およそ、ケーナという楽器には三段階くらいの成長の壁があるものですが、一枚目にして最もハードルが高いのがこれです。コツが分かるまでは、とにかく音が出にくい。そして、ちょっと音が出たと思っても、角度が少しでもずれたり、ちょっと動いたりしただけでまた音が出なくなったりする。

とはいえこここが我慢のしどころでして、最初のハードルさえ越えてしまえば、後の壁はそこまで高くありません。

私が考える限り、ケーナを買ったあなたが最初にするべき練習は、下記の3ステップに分かれます。


1.ケーナのタンギングの仕方を覚える
2.そのケーナの丁度いい息の入れ方と口への当て方、角度をとにかく探る
3.ロングトーンを吹けるようになる・ちょっと運指を試してみる
4.とにかく吹く



運指がどうとか倍音がどうとかは、上記3ステップがスムーズに出来るようになってからでも遅くはありません。

それぞれのステップについて、もうちょっと細かく書いてみます。飽くまでしんざき流のやり方であって、万国共通の方法論ではないのでご了承ください。


1.ケーナのタンギングの仕方を覚える

まず話はここからです。

ケーナを吹く際一番重要なのは、「息を吹いてはいけない」ということです。


大きく息を吸って、吐く前に、舌を上唇の裏側の壁(口の上側の壁でも構いません)にくっつけてみてください。口から出ていこうとする息を、舌を使ってせき止めるようなイメージです。

息がたまった状態で、舌をちょっと離してみると、勝手に息が吹き出てきますよね?

ケーナを使う時は、この「勝手に吹き出てくる息」を使います。これ超重要。これを覚えていないと、息の方向をコントロールするのも大変ですし、後々息の調整をして倍音をするのも難しいですし、音と音を明確に区切ることも困難です。

「息をためて、舌をスイッチにすることによって勝手に息が外に出て行く」というイメージを持ってみてください。最初の内は、舌をちょっと開ける程度に調整することで、「薄い板のような息」が出てくる筈です。


舌のつけ・はずしで、この息を自由に出したり止めたり出来るようになる、ところが第一ステップです。


ちなみに、ケーナの教本とかで、「口の形の作り方」みたいのが決まって出てきますけど、個人的には、口の形にはあんまりこだわらなくていいような気がしています。口の形は、結局のところ息の方向をガイドする為にあります。タンギングがきちんとできて、方向をきちんと操れるようであれば、口の形なんてどんな形でもいいです。

次に、この「薄い板のような息」をケーナの吹き口に向かって吹き込んでみます。



2.そのケーナの丁度いい息の入れ方と口への当て方、角度をとにかく探る

これ、ケーナによって最適なやり方が違います。多分一番難しいポイントです。あなたが買った素敵ケーナを乗りこなせるかどうかはこのステップにかかっています。

まず、ケーナのU字方になった吹き口を、下唇のすぐ下に水平に軽く当ててみます。押し付けるほど強く当てる必要はありません。

次に、吹き口の中に、ほぼ水平になるようなイメージで1番で覚えた「薄い板のような息」を吹き込んでみてください。板のような息が、さらに吹き口にぶつかって上下に分かれるようなイメージが分かりやすいと思います。

で、吹き込みながら、ケーナを微妙に下に動かしていってみます。ここで、音が出た、ないし一番はっきりと音が出た角度が、そのケーナにとって最適の角度です。イメージ的には、口に水平に当てた状態から、5度〜10度くらい下げた辺りでいい音が出ることが多いです。この時点では、指でケーナの穴を押さえる必要はないです。開放のソだけで十分です。

注意しなくてはいけないのは、ここでも「息を吹いて」はいけないこと。飽くまで、「舌を開けたところから、勝手に外に出ていく息」で吹くのが重要です。

途切れ途切れでも構いませんので、まずはとにかく、ある程度安定して「音を出せる」ようになるのが2ステップ目の主眼です。


3.ロングトーンを吹けるようになる・ちょっと運指を試してみる

2番で、ある程度音が出せるようになったら、次はその音を長いこと出せるようになることに挑戦してみましょう。

特に最初の内は、一つの音がすぐに途切れてしまって、なかなか長いこと吹けるようにならない筈です。何故かというと、「そのケーナの最適な角度」が、まだ体で覚えきれていないからです。最初の内は、本当にほんのちょっとの角度のずれで、なかなか音が出ないようになってしまいます。

2番のステップと往復しながら、少しずつ少しずつ長い音が出せるようになってくる内に、この「最適な角度」が勝手に作れるようになってくる筈です。そうなると、そこまで大量の息を出さなくても、ケーナの音が自由に出せるようになってきます。

その後は、運指を変えて、違う音を出せるようになる練習をしてみてもいいと思います。指の動きに合わせて舌を開け閉めすることで、音と音をしっかり区切れるようになる練習をしてみるのもいいでしょう。ここまでくれば、ケーナの基礎は修めたも同然です。


4.とにかく吹く

とにかく吹きましょう。


この次の中級ステップとして、

・半音が綺麗に出せるようになる
・腹式呼吸が出来るようになる
・ビブラートがかけられるようになる
・倍音、三倍音が出せるようになる
・装飾を入れられるようになる

とかがあるかも知れませんが、この辺はまた改めて書きたいと思います。


皆様よきケーナライフを。



今日書きたいことはそれくらいです。

2015年10月12日

宿題になかなか手をつけようとしない長男に、精神論は全く刺さらなかったけど、具体的なタスク整理とスケーリングの話をしたら超刺さった



いつものことですが、こういうのを可視化する意味もあるかと思って、整理も兼ねて書いてみます。一般化する気は特にないです。


長男、8歳。小学二年生。


ちょっと前から気になっていたことですが、長男は「頑張らなきゃいけないことに対するハードル」が高い気がします。

ポイントは、大きく分けて二つです。

・サッカーのリフティングなど、練習すれば出来そうなことについて、(出来るようになりたい、という意志はありそうなのに)何かと理由をつけてやろうとしない。
・学校の宿題や片付けなど、出来るけれど時間がかかりそうな(面倒な)ことについて、同じくなかなか手をつけようとしない。


早い話、「努力が必要なこと」について、始めるまでの精神的障壁が高いようです。いや、面倒なことが後回しになり勝ちなことなんて大人だって一緒ですし、いざ始めれば集中力はあるんで結構あっという間に終わるんですが。

やればすぐ出来るんでそんなに気にもしていなかったんですが、最近「出来ないものはどうせ出来ないしー」とか、「別にできなくても構わないしー」とか、ちょっと後ろ向きな発言が増えてきていて、本人の中でもなんか変なコンプレックスになるとイヤだなーと思って、話し合いをするタイミングを窺っていました。


クラスの宿題で、「ふりかえり作文」というものがあるそうです。どんなタイミングで書くのか分かりませんが、例えば何か楽しいことがあった時とか、私生活についてクラスの友達に紹介するような形でレポートを書くもののようです。

今日ちょっと夕飯の後、ふりかえり作文の宿題に手をつけないで足をばたばたさせている長男と話し合いをしました。


最初に、

・面倒だ、と思って手をつけないでいると、どんどん重くなってしまう
・始めてみれば案外するするっと出来てしまう
・出来ないできない、といっているといつまでも前に進めない


といった、ちょっと精神論的な話をしてみたんですが、本人的にはあまり刺さらなかったようで、たいした反応がありませんでした。

そこで、試しにもうちょっと具体的な話に落としてみることにしました。


長男は、文章を書くこと自体は苦手ではないようで、以前キッザニアに行ったときなど、1600文字くらい(字数指定があるわけではなく、書きたい分量を各自自由に書くようです)のふりかえり作文を結構きちんと書けていました。まず、ふりかえり作文の何がそんなに面倒なのかヒアリングしてみました。以下のような感じでした。


・書こうと思うとすっごく長くなるので、とても時間がかかる。何時間もかかっても終わらない(これはオーバーな表現で、キッザニアの時の振り返り作文も実際にはそこまでかかってはいませんでした)。
・書かないといけないことがたくさんあるので、どんな順番で書けばいいか分からない。



ふむ。早い話、タスクの整理とスケーリングが出来ていない為、タスクの全量が見えないことが、彼の中でハードルを上げているようです。

そこで、こんな話をしてみました。


・全部、完全に書ききろうと思わないでいい。例えば、30分なら30分と時間を決めて、その中で書けることだけ書く、というような、時間制限式のやり方もある。
・まずあらすじを書くといい。あらすじといっても難しい話じゃなくって、書きたいことのタイトルを幾つかのパートで決めて、それを別の紙に書く。次に、本番の紙に、そのタイトルで思いつくことを順番に書く。
・パパの仕事でも、まずやらないといけないことのタイトルだけ洗い出して、やらないといけないことを細かく分解してから順番に片付けるのが基本。
・あらすじ決めを10分でやる。残りの20分、そこで挙がらなかったことは書かない、と決めてしまえば、時間が長くなることもない。



すると、「30分でいいの?」と俄然反応がよくなりまして、散々逃げていた机にあっさり向かって鉛筆を動かし始めました。

始めるまでのハードルが高いだけで、始めてしまえば集中はするので、なんか結局1時間くらい書いていたようですが、まあそれはそれ。お陰で先日バーベキューに行ったときの振り返り作文が出来たようです。結構ちゃんと書けていました。半分くらい移動中の電車の話でしたが。


一般化出来る話では全然ありません。今回の状況の、うちの長男に、たまたま上記のような話が刺さった、というだけの話です。

ただ、個人的には、

・子どもを叱るときには精神論や抽象的な話が出てしまいがちだけれど、具体的で細かいところをクローズアップした方がいい場合も当然ある(勿論そうでない場合もある)
・実際に仕事でやっている話を落としこんであげると刺さる場合もある


という二点は、これからのことも含めて覚えておきたいなーと思いました。

今後、例えばサッカーのリフティングの練習なんかでも、似たような流れでやる気を出させてあげられるといいなーと考えた次第。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 23:47 | Comment(2) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月10日

子どもといい関係を築いていくコツも、やっぱり「関心量の調節」じゃないのかなあ、と思った


長いので、最初に書きたいことをまとめてしまいます。忙しい方は下記数行だけ読んでください。


・人間関係では、「お互いがもっている関心量のバランス」が重要だと思います
・子どもは、親から欲しい関心量、親に対する関心量が、成長過程で必然的に変わるので調整重要だよね
・小さい頃は関心注ぎまくりでいいんだけど、ある程度大きくなったら表面に出す関心量を調整しなくちゃいけない気がします
・あんまり関係ないけどHearthstoneのSecret Paradin強いですよね



四行で済みました。エコノミーですね。四つ目のは関係ないように見えて一応最後の方にちゃんと出てきます。

さて。書きたいことは書いてしまったので、後はダラダラと書きます。


昔、こんな記事を書きました。


結婚生活を割と愉快に過ごす為のたった一つのキーワード。

手前味噌ですが、ちょっと引用してみます。
例えば結婚生活が上手くいっている話とか、上手くいっていない話とか、色んな人のお話を聞く。色んな人のお話を読む。

決まって思うことがある。結婚生活が上手くいっていない人というのは、つまり関心量に大きな食い違いが出てしまっている様に見えるなあ、と。


関心というのは、大きく言うと勿論お互いへの関心である。更には、お互いが関心をもっているものへの関心、でもある。

AさんがBさんに関心をもつ。あるいは興味をもつ。何をしているのか、どんな人間なのか知りたいと思う。

全ての人間関係はそこから始まる。お互いへの関心のバランスが良ければ、お互いにとって丁度いい距離感が形成出来る。相手がやっていることへの関心をもっていれば、相手が体験している楽しさが分かる。相手が体験している苦労も分かる。気配りも思いやりもその後の話だ。

お互いへの関心のバランスが悪いと、コミュニケーションのバランスが崩れる。一方は反応欲求を満たすことが出来ず、一方は発信欲求を満たすことが出来ず、不満はどんどん蓄積されていく。

これ、親子関係も同じだなあ、と。というか、もしかすると親子関係の方がずっとシビアかも知れないなあ、と。


ある年代、例えば小学校低学年くらいの時期まで、子どもにとって「親からの視線」「親からの関心」というのは必須の栄養源です。なんでもかんでも「パパ、みてー!」「ママ、みてー!」という。遊んでもらいたがる。抱っこしてもらいたがる。こういう時、親の関心が自分に向いてこない、というのは、子どもの心を成長させる上で結構クリティカルな問題です。

また、「親が、自分が関心をもっているものに関心をもってくれている」というのも、色んな点で凄く大事だと思うんですよ。小さな子は、親が自分の好きなものについて関心をもってくれていれば、喜んでそれについて話してくれます。自分の好きなものを言葉にすることによる表現力。「自分が何かを好きである」ことを認められている、という精神的安定性。親子で遊べることによる関係性。大事なことばっかりだと思うんですよね。

この時期、子ども自身が親に対して絶大な関心を持っている、ということもあります。小さな子どもにとって、親の存在というのは世界の半分以上を占めていたりしますので、親の存在というものは絶大な関心事であるわけです。

関心というのはお互いが持っている量が重要ですから、親にとっても、「関心を注げば注ぐ程バランスがよくなる」時期がこの頃だと思うんですよね。



一方で。

子どもがある程度大きくなるとよくある話なんですけど、色んな他のこと、例えば友達のこととか、遊びのこととか、学校のこととか、ゲームのこととか、広がった世界に関心が出てきます。その一方で、親との距離感や意識が微妙になったりします。

誰しも記憶にあることだと思うんですが、ある年代になると、親からの視線、親からの関心自体が、急に重荷になったり、鬱陶しくなったりすることがあるんですよね。そういう状態で、小さい時と同じ感覚で親が手出し・口出ししてしまうと、過干渉になってしまって親子の関係性にダメージを与えたり、子どもの独立心に負の影響を及ぼしたりします。


これも、「関心量の調節」に由来するところじゃないかと思うんですよ。


親にとっては、子どもが多少大きくなっても、小さな時と同じ感覚でありがちだったりするんですよね。親にとっての5年というのは、それ程長い期間じゃない。けど、子どもにとっての5年というのは、人生の過半の期間だったりします。時間感覚が違うんです。

で、子どもや、子どもが好きなものに対する関心量を、もっと小さな時のまま持ち続けてしまったりする。けれど子どもの方では、成長するにしたがって、親からの関心量のキャパシティが一時的に小さくなる。また、自分が親に対してもつ関心の量も低下してくる。

上でも書きましたが、関心というのはお互いが持っている量のバランスが重要ですから、親にとって、「関心を注ぎ過ぎるとバランスが悪くなる」時期がこの頃だと思うんですよね。

ここが調節できないと、これはこれで親子関係上のダメージになるんじゃないか、と思うわけなんです。


子どもがある程度大きくなったら親は無関心でいい、という訳ではないですよ。子どもの成長に合わせて、親は表面に出す関心量を調整しないといけない、という言い方が適切なんじゃないか、と、今の私は考えています。


関心をもつだけではなく、少なくとも一時的には、関心の量を調整して低下させる必要がある。また、成長にしたがって、必然的に自分に対しての関心が低下する。


こういう点で、親子関係における「関心量の調整」は、夫婦関係以上に難しいし、大事だなあ、と。そんなふうに思ったわけなんです。とはいえ、「子どもが大きくなったらあまり目をかけすぎないようにしましょう」という話にしちゃうと、当たり前のことかもしれないですけどね。


息子は現在小学校二年生。まだまだ甘えん坊だとはいえ、大きく自分の世界が広がり始め、色んなことに興味をもつ一方、親との関心量のバランスは段々微妙になってきたと感じます。とはいえ、彼は「父親(私)が好きなゲーム」については多大な関心があり、最近は私がHearthstoneで使っているSecret Paradinが気になって気になって仕方がないようです。ただ、彼はほとんどFace Hunterしか使ったことがないので、まずParadinのsecretを覚えるところから始めないといけないと思います。


一方、長女・次女は幼稚園年少。こちらは、親からの関心があればある程大きく成長する時期です。


今後とも、いい感じの関心量を保持して、子どもとのいい関係を築いていければいいなあ、と。


今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 14:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月07日

「解き方は合ってるのに不正解に」という話になんか違和感を感じた

ちょっと気になったのだが。

小学校の算数のテストで解き方は合ってるのに不正解扱いに。予習したものを使ってはダメなの?

↑文章題でまだ習っていない掛け算を使ったら不正解にされた、という最近ちょこちょこ見るケース。

妙な違和感を感じたのだが、そもそもこの文章題、
1ふくろ8こ入りのチョコレートが7ふくろと、ふくろに入っていないチョコレートが17こ

とか書いてある時点で、どう見ても「掛け算カリキュラム」の中での、掛け算で解くことを想定した典型的な文章題のように見えるんだけど、それをどうして掛け算を習っていない段階でやってるんだろうな。少なくとも、足し算引き算の教科書ならこういう文章題は載らないだろう。

学習指導要領を確認すると第二学年でやる内容。
小学校学習指導要領解説 算数編

確か長男(小2)の算数の教科書に似たような問題があったと思うので、帰ったら長男に見せてもらって確認してみる。

先生の反応とか、本来間違っていない解き方なのに不正解とか、それ以前にそっちの方が気になった。先取り学習やかけ算導入の為の学習ならば、「かけ算はまだ教えてないので使用禁止」というのは不自然だ。

学校の方針がおかしいのか、先生が何かおかしなことをやっているのか、他に理由があるのか。

気が向いたらちょっと調べてみる。
posted by しんざき at 13:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月05日

褒め言葉を発する時、色々面倒なことを考えなくてはいけないような社会にはなって欲しくないものだなーと思った


手塚治虫のシュマリにまったく触れずにゴールデンカムイを読んですげえすげえって言ってるのを見ると、
ガンパレード・マーチを知らずにマブラヴオルタをすげえすげえ言ってた昔の自分を思い出してキュンとなります
http://anond.hatelabo.jp/20151005150750

「すげえすげえ」って言ってぜんっっっぜん問題ないと思うんですよ。褒め言葉なんて、どんどん手軽に気軽に、余計なこと一切考えずに、「すげえ」って思った瞬間に発していいと思うんですよ。そこに前提条件なんて必要ないし、褒めるのについて「越えておかなくてはいけないハードル」なんて必要ない。


何故かというと、褒め言葉で傷つくのは、「その作品が嫌いで、かつ「それが嫌い」ということがアイデンティティの一つになっちゃってる面倒くさい人」だけだから。今の時代、褒め言葉はめぐりめぐって結構創作者さんの元に届くもんで、それは創作者さんにパワーしか与えないから。好意の表出というのは、読んでいる側にとっても楽しくって嬉しいものだから。


冒頭の例には当てはまらないことですが、もし仮に、「褒められている対象の作品」が何かのパクリだったとすれば、それは「対象の作品」に対する批判、という形で表現すればいい訳ですよね。その場合でも、別に「その作品に対する好意」にケチをつける必要なんてない。

気に入らない作品があるなら、その作品を批判すればいいんですよ。その作品に好意を抱いている人にケチをつける必要はないんです。好意をもつことに罪は存在しない。


別に作品に対する好意に限らず、好意の表出というのは、基本的にはプラスの影響しかもたらさないと私は思うんですよね。もっと手軽に褒め言葉が流通する世界になって欲しい。言葉が軽くなるなんて心配をするのは、本当に言いつくせないほど言いつくして、その後でいい。


この場合、むしろ「お前ガンパレも知らないでマブラヴすげえとか言ってんの?ププー」とかいちいち言ってくるヤツがいれば、むしろそいつの方が上から目線獲得熱望おじさんとして非難されてしかるべきだと思うんです。貴重な好意の表出に対して、単に「俺の方が良く知ってるんだぜ」という貧相な優越感を満たすだけの為に文句をつけているという罪に対して。


人の好意に口を挟むな。人の好意にハードルを設けようとするな。人の好意をけなすことで優越感を満足させようとするな。


世の中が気軽な好意の表出で埋まるといいなーと思っている私は、そういう認識がもっと広まってくれるといいなあと思っているわけなんです。
posted by しんざき at 18:47 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月04日

楽器を始めてみたい人におススメする、ケーナやサンポーニャのやさしい始め方・購入編

ところでしんざきはケーナ吹きです。


ケーナを吹き始めて、大体18年くらいになります。現在36歳でして、今気付いたんですが人生の半分くらいはケーナと付き合ってきたことになります。ちょっとびっくりですね。



ケーナというのは、南米はアンデスの発祥の縦笛でして、南米の民族音楽(いわゆるフォルクローレ)ではサンポーニャと並んで主旋律を担当することが多い楽器です。コンドルは飛んでいくとか有名です。



ちなみに、私のケーナの見た目はこんな感じです。何本か持ってまして、私にとっては四代目のケーナに当たります。


DSC_0969.JPG



こっちはサンポーニャです。


DSC_0970.JPG


個人的には、ケーナ・サンポーニャは「楽器に興味があるけれど、どう始めたものかいまいちピンと来ない」という人にとって絶好の選択肢ではないかと思っておりまして、この記事は「楽器に興味を持っている人に、ちょっとうっかり手が滑ってケーナやサンポーニャを買わせちゃおう」というコンセプトで書かれています。需要?んなもなぁ知りません。



・ケーナやサンポーニャは楽器初心者の方にもおススメです


そう思うポイントは5つくらいあります。



1.他の楽器に比べると比較的安い

2.軽くて持ち運びが楽、電源不要

3.その割に音がでかい

4.音が綺麗

5.人口が少ない



まず、「1.他の楽器に比べると比較的安い」についてなんですが、例えばギターですと、ある程度ちゃんとしたギターを買おうとすると5万10万平気でしますし、もうちょっといいのだと車とか買えちゃうくらいの値段になります。ピアノは言うに及ばず、フルートやトランペットも数万を下ることはなかなかありません。


それに対して、例えばサンポーニャは、プロが普通に使ってるものでも5000円から6000円くらいで買えちゃいます。ケーナは大体1万円弱で、袋も買うと1万円は越えちゃうかな?くらいの感じです。非常にお財布に優しいですね。


値段的にハードルが低いことが、まず第一のメリットになります。




次に、「2.軽くて持ち運びが楽、電源不要」についてなんですが、ケーナもサンポーニャも早い話葦や竹の棒なんで、一般的な楽器に比べてめっちゃ軽いです。感覚的には、サランラップの芯を持ってるのとそれ程変わりません。箸より重いものを持ったことがない深層の令嬢であっても、ごく軽いトレーニングで持ち運べるようになると思います。ちなみに、サンポーニャもほぼそれに準じます。


ギターやキーボードを持ち運ぶのに比べて非常に持ち運びが楽なので、ちょっと気が向いたので近所の川原にもってって吹いてみる、というのが非常にやりやすいんですね。取り回しの楽さも大きなメリットですが、演奏するときに電源が不要というのも、いざ楽器を始めてみると非常に大きなポイントになります。



3.その割に音がでかいなんですが、ケーナやサンポーニャは元々屋外の楽器ですので、大きさの割りには相当遠くまで響く音が出ます。(手加減して音を抑えることも出来ます)特にケーナについては、生音楽器の割りにかなり大きな音が出るので、演奏で存在感を出すことが容易です。



4.音が綺麗については言わずもがなですが、ケーナの音は非常に澄んでおり、一方サンポーニャは時には力強く、時には風のような音で、非常に表現出来る音が豊富です。ゲームミュージックなんかでもよくそれ系の音が使われているのがさりげないポイント。


良かったら下の動画なんか再生してみてください。私がもっとも好きな曲の一つ、「Camino de Llamas(リャマの道)」奏者は昨年亡くなったケーナの巨匠、ウニャ・ラモスです。前半はケーナ、後半はサンポーニャで演奏されています。





5.人口が少ないですが、「あまり他にいない、独自の音が出せる」というのは演奏上の一つの強みでして、例えば普通の音楽グループに入っていても、他の楽器に比べて独自色を出すのが比較的容易です。



ちなみに、ケーナやサンポーニャには楽器としての弱点もあります。公平を期すために挙げておきますと、


・サンポーニャは比較的壊れやすい(素材にもよる)

・ケーナは音が出せるようになるまでのハードルが結構高い

・音がでかいので練習する時意外と困る

・人口が少ないので人に教えてもらうのがけっこー大変


まあ、この辺もフォローは可能なんで追って。




・じゃあケーナやサンポーニャ選びのポイントってどんな?


まず、民族楽器専門店で購入することを圧倒的におススメします。専門店、ないしケーナ奏者の方の製作品であれば通販でもいいですが、出来ればお店に直接足を運んだ方がいいです。


例えばamazonで検索すると「初心者用」とか銘打った安いケーナ、一応買えますけれど、単に細いだけで音が出しにくく、チューニングが狂っていたりもして、全然初心者用でなかったりすることもしばしばあります。


上記した通りプロユースのケーナでもそこまで高くないですし、ちゃんとしたケーナでも吹きやすいものは多いですので、8000円くらいのちゃんとしたケーナを買うことが超絶おススメです。



次にやるべきことは、


店員さんに聞く


ということでして、専門店の店員さんはご自身でもケーナやサンポーニャに通じていることが非常に多いです。ちょっと相談すれば、最初吹きやすいケーナを選んでくれたりもしますし、チューニングを確認してくれたりもします。ありがたい限りですね。


店員さんに選んでもらえないケースの場合、強いてポイントを挙げると


・比較的細くて素材が薄いケーナの方が最初は入りやすいです

・指が細い方だと、大きな穴のケーナは押さえにくかったりするらしいです

・吹き口が大きすぎない方が最初はいいかも知れません


くらいでしょうか。慣れたら実際に吹いてみて好きな音がするケーナを選ぶといいと思います。


住んでいる地域にもよるとおもうんですが、下記のフォルクローレ楽器専門店さんはいずれもおススメです。営業が不定期の場合もあるので、事前に電話で確認されるのがいいかも知れません。









ということで、第一回「購入編」は以上です。次回は「練習編」になります。


2015年10月02日

ケーナを吹いている時の唐突な気づき、もしくは「部分」と「全体」の切り替えのお話



ちょっと昔話をする。ケーナという縦笛を練習していた時の話だ。


もう十年以上前のことだった筈だ。当時、私はまだ学生だった。

その時私は、ハッチャマリュクという南米のグループの、かなり難しい曲を練習していた、と思う。大学の学生会館、いわゆるサークル長屋のような場所だった。その一曲に随分長いこと手こずって、それでも思い通りの演奏が出来ず、まあ一言で言うと私は煮詰まっていた。

私は余り器用な方ではなく、一度煮詰まるとなかなかそこから脱出出来ない。たまに気分転換をしながら、執念深くその曲を吹けるようになろうとしていた。



ケーナを吹いている時、何の前触れもなく、「今鳴っている音って、息だよな」と思った。



それまでの自分は、「ケーナという楽器を演奏している」と思っていた。「自分の息を使ってケーナを鳴らしている」と思っていた。

何か特別なタイミングがあった訳でもなんでもなく、その瞬間、唐突に意識が切り替わった。「自分は息を吹いているだけ」であって、「その息を、ケーナが勝手に音に整形している」のだ、という意識になった。鳴っている音は、息である。つまり、自分は息を出しているだけだ。それが、たまたまケーナによって音に変わっているだけだ。


つまり、私は別に「演奏する」必要はなかった。「楽器を鳴らす」必要はなかった。「息を吹く」だけで良かった。それを音に変えるのはケーナの仕事であった。


そう切り替わった瞬間、今まで満足に吹けていなかったパートが、冗談の様にすらすらと吹けるようになった。嬉しいとか達成感というよりは、むしろ「なんだこりゃ」という感覚であった。自分でも何かずるをしているような気分だったと思う。



「気付き」というか、「唐突な意識の転換」で物事が上手くいくようになったことは、他にもないわけではなかったが、私が一番記憶に残しているのがこの時の話だ。以来、今でも私は、「自分は息を吐いているだけ」「それを音に変えるのはケーナの仕事」という意識を、どこかに残してケーナを吹き続けている。



多分これは、理屈で言うと、「全体ではなく、部分部分に集中する方が効率が良いということに気付いた」ということなのだ、と思う。実際には、ケーナを吹くという作業は「息を出す」という気管の仕事、「タンギングで息を区切る」という舌の仕事、「音階を操作する」という指の仕事の組み合わせだ。

それら全体を一遍に捉えるよりも、部分部分を取り出して意識した方が、私には適していた、ということだったのだろう。「楽器を演奏する」というワンパッケージの処理は、私の脳には少々高度過ぎた。「息を出す」ということと、指を動かすということを、切り離した方が私の脳は上手く処理することが出来たのだ。


人によっても違うだろうし、ものによっても違うだろう。ただ、「部分と全体の切り替え」というのは、意識の転換の方法として、割とアリだと私は思うようになった。


上手くいかない時は、全体ではなく部分を意識する。それでうまくいかないならば、逆に部分ではなく全体を意識する。これは、楽器の演奏だけではなく、割と普遍的な「切り替え」の仕方として、それ以来私に根付いた思考法だ。多分、色んな人が知っている思考法だとは思うのだが、私の場合、大学に入る年になり、ケーナを初めてようやくこれに気付いた。




ところで、近々「ロス・ガラパゴス」というグループで演奏をするのだが、丁度その曲を10年振りくらいに演奏することになった。その曲のタイトルは、Danza del Inca(インカの踊り)という。

10年前の練習と、10年前の発想の転換を、私の体は果たして覚えているだろうか。半ばわくわくしながら、私は最初の練習に臨もうかと思う。



11月1日土曜日、目黒区東山社会教育館のお祭りで、13時くらいから演奏します。気が向いた人は良かったらどうぞ。

目黒区東山社会教育館


posted by しんざき at 21:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月01日

かつて「ステージエディット」が必要として、しかし果たせなかったものが、今、我々の眼前にある。

スーパーマリオメーカーを初めて遊んだ。



私は、昔からのゲーマーとして、様々な「ゲーマーの夢」が叶う光景を見てきた。


「もっと、アニメみたいな画面でアニメのキャラクターを動かしたい!」 叶った。

「広いフィールドで、色んなことが出来るようなゲームが遊びたい!」 叶った。

「友達や、世界中の色んな人と対戦ゲームをしたい!」 叶った。

「自宅のゲームが、そのまま外で遊べるようなゲーム機が欲しい!」 叶った。


およそ、ゲーム業界程「ユーザーの具体的な夢が次々と叶えられてきた世界」というものは、他に存在しないのではないだろうか。かつてのファミコン小僧たちは、「未来のゲーム」に様々な夢をみた。そして、ほんの20年か30年程で、その夢は次から次へと叶えられていった。


そして、多分私は、また一つ「夢が叶った」光景を観た、と思う。


それは、「俺が作ったステージを手軽に保存して、皆でわいわい遊びたい」という夢だ。


断言しよう。かつて、ナッツ&ミルクを、ロードランナーを、バトルシティを、エキサイトバイクを、レッキングクルーを遊んだファミっこたちは、ひとしく同じようなことを考えた筈だ。


折角作ったのにステージが保存出来ねえ!!と。(データレコーダーを持っているユーザーなど滅多にいはしなかった)

わざわざ友達呼ばねえと感想が聞けねえ!!と。

他の人が作ったステージも遊びてえ!!と。



ステージエディットはとてもとても楽しい遊びだった。私たちは、ナッツ&ミルクで「ナッツが放っておいても海に落ち続けるステージ」を作った。エキサイトバイクで「ジャンプ台が次から次へと連続しているステージ」を作った。

クソステージもあれば、自分でも神ステージだと思ったステージもあった。自分で好きな様にステージを作れる遊び程面白いものはそうそうなかった。

だが、それを完成させるためには、三つの大事な要素が必要だった。


つまり、保存と、共有と、感想だ。


早い話、自分が作ったステージを手軽に保存したかったし、他人が作ったステージも含めて共有したかったし、「むずい!」「楽過ぎる!」「おもしれー!」「つまんねー!」と言い合って楽しみたかった。

しかし、この簡単な三条件を満たす為には、ファミコン時代当時はかなりの苦労を必要とした。初期ソフトではそもそもステージの保存に特別なインフラが必要だったし、共有してわいわい騒ぐには友達を呼んで自宅で遊ばなくてはいけなかった。


そして、あれから30年が過ぎた。


もちろん、「作ったステージを保存して、共有するインフラ」という点では、今までそういうものがなかった訳ではない。例えばRPGツクールで、例えばBMSで、例えばいくつかの同人ゲームやPCゲームで、例えば一部のスマホゲームで、例えば倉庫番で、エディットステージは共有されてきた。


ただ、スーパーマリオメーカーのような、「メーカーの公的なインフラで」「コメントが得られやすく、分かり易いUIで」「誰もが親しんだゲームを、様々な新しいギミックで」「他人が自分のステージを遊んだ形跡をダイレクトに確認出来」そして何より「大勢のユーザーが世界中で同時に遊んでおり、彼らと一緒に遊ぶことが出来る」ゲームは、他に存在しなかった。かつての、ファミコン初期のステージエディッターたちの「夢」をここまで完全に叶えたゲームは、他に存在しなかった。


また一つ、全くの意外な形で、ファミっことしての私の夢が叶った。そして、次叶うのはどんな夢だろう、と私は夢想するのだ。


スーパーマリオメーカーを初めて遊んだ時、かつてナッツ&ミルクで作った数々のクソステージが昇華されたような、そんな奇妙な錯覚を感じたのだ。それも、「夢が叶った」ゲーマーの副作用とでもいうべきものなのかも知れない。


今日書きたいことはそれくらい。

スーパーマリオメーカー [オンラインコード] -
スーパーマリオメーカー [オンラインコード] -


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レトロゲーム万里を往く その99 ファミコン少年がゲームに夢見ていたこと
posted by しんざき at 19:03 | Comment(3) | TrackBack(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする