2016年05月30日

土日のしんざきと、RF Switchのライブにいったら超おもしろかっこよかった話 16/05/30

ただの日記です。

土曜は長男の運動会。日曜は子どもたちを連れて世田谷公園→阿佐ヶ谷でゲーム歌曲グループ「RF Switch」のライブ。あとciv4の話など。


○かけっこで勝てなかった長男になんと声をかけるべきか問題

運動会もこれで3年目なわけですが、今回は午前中は家族みんなで応援、午後は所用で奥様が外すことになり私・長女・次女の3人パーティに。途中で退屈してしまった長女・次女の退屈を紛らわすことに全力を注いでいました。探検ごっこをやったりとか。

長男は短距離走で負けてしまったわけですが、こういう場合にどう声をかけるかは色々考えどころ。悔しがる気持ちは大事ですし、フォローするかどうかも難しいところですし、本人のプライドの問題もありますし。

結局、その際は頭をぽんぽんして、「頑張ったな、次は勝とうな」の一言にしておきましたが。やりたがったらかけっこの練習にでも付き合ってあげようかな。


○世田谷公園に行ってきた件

長男とはもう何度も世田谷公園には行っておりまして、行く度にミニslに乗ったりプレーパークで遊んだりバギーに乗ったりしているのですが、今回初めて私・長男・長女・次女という4人パーティで世田谷公園に突っ込んでみました。

長女・次女は4歳。まだまだ小さいですが、ぼちぼち自律行動もある程度出来る年齢です。長男が最近かなり長女次女の面倒を見てくれることもあり、正直奥様不在の状況で世田谷公園まで足を延ばすのはちょっと不安もあったのですが、若干冒険ということで敢行しました。終わってみると非常に楽しめたわけで、行ってよかったです。


・バスで眠くなってしまうも、「ねむくない!」と主張してこっくりこっくりしながらも最後まで耐えきってしまう長女。根性。
・みんなでかき氷を食べてからミニバギー。きゃーきゃー言いながらなんのためらいもなく全力で壁に突っ込む次女。こええ。長女と合わせて10回くらい方向転換等のレスキューを行う。
・流石に長男は慣れたもので、長女次女と並走してサポートをする余裕まで見せる。こどもリーダー成長したなあ。
・その後プレーパーク→ミニSL→再度プレーパーク。普通の公園ではない手作りの遊具ばかりで、超ハイテンションでそこら中駆けずり回る。以前きた時にはなかった手作りの展望台があり、長男はその場で出来たお友達と一緒に登ったり下りたり。長女次女はまだ高いところに上るのが怖いらしい。ミニSLは定番。
・途中、長女次女の幼稚園での年長さんのお友達と会い、一緒に遊ぶ。
・帰りがけ、バスで長女次女二人とも寝てしまうという事態に陥るも、長男が長女をおんぶ、私が次女をおんぶというフォーメーションでなんとか事なきを得る。長男大活躍。

帰宅後、長男は「今日はどうしても見なくちゃいけない番組があるんだよ!」「なんの番組?アニメ」「笑点」という会話の後テレビへ。

私は奥様にバトンタッチし、阿佐ヶ谷はRF Switchのライブへ。

そんな感じの楽しい休日でした。


○RF Switchのライブ@阿佐ヶ谷にいってきた件

ぶち楽しかったです。



RF Switchは、上記フライヤーにも記載のあるとおり、レトロゲーム関連歌曲のカバーバンド。CMソングあり、オープニングソングあり、挿入歌あり、アレンジソングありと、マニアックな選曲ながらも超かっこいい演奏揃いでした。

会場は阿佐ヶ谷はSoul玉Tokyoさん。


こじんまりしながらも非常にいい雰囲気で、いい演奏も手伝ってお酒が進む進む感じでした。

レトロゲームで歌曲というと、皆さんあまりなじみがない人も多いと思うのですが、例えばバーチャファイターアニメ版の「愛が足りないぜ」とか、PS版私立ジャスティス学園のオープニングソングとか、超かっこよかったですよ。岡田名人の伸びのあるボーカルもさることながら、郡司名人のドラム、佐々木名人のギター、金本名人のキーボードと、各々が自分の味をきっちりと見せてくる辺りがさすが。

今回はベースの木村名人が不在だったのですが、ベースの穴をなんとキーボードが埋めてしまうということで、ゲスト出演の@rikahrnさんの存在感がすさまじいことになっていました。

個人的には、特に佐々木名人の超珍しいベースボーカルに加えて、上記の「愛が足りないぜ」や「ぷよぷよ」の灼熱のファイヤーダンスなんかが超お気に入りでした。笑わせ方とかっこよさの見せ方のバランスが絶妙なんですよね。


今度魔Q大冒険のアレンジボーカルをリクエストしてみようと思いつつ、感想はこの辺にしておきます。22時頃会場を辞して帰宅。


そんな感じの土日でした。








posted by しんざき at 22:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月29日

ネットゲームデータベース設計むかしばなし、あるいはとんでもないMMORPGの設計の話

むかーしむかし、あるところに、ネットワークエンジニア兼データベースエンジニアがおりました。元々はネットワークが専門だったのですが、色んな仕事を片付けているうちにデータベースもやることになり、某高額なDB試験のゴールドまでとってしまったというハイスペックなエンジニアでした。

彼のことを、仮にCさんと呼ぶことにします。

Cさんは、某アルファベット三文字の有名SI会社に勤めていたのですが、どうした風の吹き回しか、本人は殆どゲームをやらないのにゲーム会社に転職して、当時まだ日本で幾つかのタイトルが出始めていたばかりの、MMORPGという世界に活躍の場を移すことになりました。

周りの人間は、彼のことを物好きだなーと言っておりました。私もそう思います。

Cさんは、そのMMORPGで、最初にドすげえ事態をなんとか片付けなくてはいけませんでした。

それは、「本来であればクライアントやアプリケーションサーバで分散処理をすべき色々な処理を、何から何まで全部DBのストアドプロシージャにやらせていた為、ちょっとでもユーザーからのリクエストが増えるとロードバランスもクソもなく一瞬でDBに全部の負荷が載ってきて、イベントなどやろう日には百発百中システムが止まる」という凄まじい阿鼻叫喚地獄絵図でした。

その辺の顛末は、もう8年くらい前ですが、こちらの記事に書きました。興味がある方はどうぞ。

SI業界からネットゲーム業界に移った知人に色々話を聞いてきた。

・同一処理エリア内にプレイヤーキャラが20人以上いるとクライアントが固まっていた。
・クライアントが固まると一部のプロセスがゾンビになる場合があったので、スタッフがkillコマンドを直に流して落としていた。クライアントとの通信が切れたらアラームが発生するソフトがそれだけの為に作られ、24時間体制のシフトが組まれていた。
・無謀にもその状況で公式イベントを開催してみたら、DBサーバのCPU使用率が98%から落ちなくなり、ロードアベレージが100を越えた(1未満であることが望ましい値)。
・参加していたプレイヤーのクライアントソフトが一つ残らず落ちた。怖くて誰も2ちゃんを開けなかった(MMORPGのスタッフには、自分のゲームのスレに常駐している人が結構多いそうである)。
・kill -9 を流してもプロセスが落ちない。
・仕方ないのでサーバをリブートしようとしてもなかなか落ちてくれないので、どうしようもなくなって電源を落としたらDBが立ち上がらなくなった。


地獄絵図である。



これは、負荷分散とかスケールアウトといったことについて技術的知見をもったアーキテクトが一人たりとも開発チームにいなかったことが原因で起きた事態であり、端的に「それまでのゲーム開発」と「オンラインシステム開発」に求められるスキルが異なることを示していたのだろう、と思います。もう結構な昔話ですので、最近のMMORPGでこんなことはさすがにないんだろうと思います。よく知りませんが。

で、そんな彼から、当時もう一つ、データのモデル設計についての面白い話を聞いていました。

それは、Cさんがデータのキャッシングについての知識と小技をフル稼働して、なんとかシステムのパフォーマンス問題を小康状態にした、その矢先のことでした。

開発メンバーが深刻な顔を付き合わせて、なにやら相談していました。「RMT」とか「ユーザーからのクレーム」といった単語が途切れ途切れに聞こえてきます。

Cさんは、手近なメンバーに聞いてみました。分からないことをすぐ率直に聞けるのは有能さの証です。

「なにかあったんですか?」

「あーいや、ユーザーからの突き上げが凄くってですね。。。RMTの調査と規制、ずっと先伸ばしにしてたんですけど、いい加減なんとかしないとってことで」

ゲームを殆ど遊ばないCさんは、当然RMTという言葉も知りませんでした。

「RMTってなんです?」

「リアルマネートレード。早い話、現金でゲーム内のお金やアイテムを入手するってことでして、規約では禁止されてるんですが」

現在ほど明確な指針は当時まだなかったようですが、RMTを放置すると業者やbotによる通常プレイヤーへの圧迫が起きる上、反社会的勢力の資金源になる場合もあり、ベンダーにとっては当時から頭痛の種でした。

「しかし、まず調査が一苦労なんですよね。。。」

「? えーと、要は怪しいトレードをピックアップすればいいんですよね?確かにそこから通常取引との識別は難しいかも知れませんが、集中してそういう取引を行っているユーザーを特定すれば」

Cさんの感覚では、そこまで困難な話にも思えません。

「ええまあ、なのでそれ用のログ解析ツールを作ろうとしているんですが」

「ログの解析...?」

いまいち分かりません。何故わざわざログを解析する必要があるのか。

「トレードの履歴をまとめてピックアップすればいいんですよね?簡単なSQLで解決出来そうですが」

「SQLって、DBで検索するってことですか?」

そりゃそうです。何のためのDBなのか。

「ええまあ、一応パフォーマンスの問題がまだありますから、メンテナンス時間中にやった方がいいでしょうが」

「いや、トレードの履歴はログにしかありませんから、DBから検索するのは無理だと思いますが...」

「...はい?」

よくきいてみたところ、ド衝撃の事実が判明しました。このシステム、プレイヤーの位置情報とかその時点のステータスとかエリア内のオブジェクトの状態とか、クソどーでもよさそうなデータをDB管理していたくせに、なんとプレイヤーの所持金の出納データをDBで持っていなかったのです。

どういう話かといいますと。

例えば、銀行の現金残高のデータなんかは、必ず「全ての入出金データ」と「その合計をサマリーしたデータ」を別々のテーブルでそれぞれ管理しています。いつ、誰がいくら入金・出金したかという一件一件のデータが前者で、それら全てを合計したものが後者。こういう持ち方をすることで、最新のデータは一瞬で呼び出すことが出来ますし、一方履歴も全て追えるので、データの保証も常時行うことが出来ますし、「○月×日の所持金はいくらだったか」といったことも簡単に調査することが出来る訳です。ごく一般的なデータモデルです。

しかし悲しいかな、そのときの開発スタッフにはそういう知識がある人がいませんでした。彼らにとって、プレイヤーの所持金というものは、飽くまで「最新のデータだけ保持しておけばいい箱」でしかありませんでした。確かに、ドラクエやFFのようなオフラインRPGであれば、「いつ時点の所持金が幾らか」などということをセーブロードなしで再現する必要など発生しません。履歴管理の必要性など、そもそも設計段階で話題に挙がることすらなかったのです。

一応トレードの履歴はサーバーのログ管理機能でログに残ってはいるというものの、ログの書式も機能によってバラッバラで、しかもロギングの資料もなく、まずは機能ごとのログの解析が必要という有り様。端的に言って地獄です。

プレイヤーの所持金データをちょっとみれば分かることだったのですが、なにせ「ER図(DBの設計書)はないんですか?」と聞いてみたら「必要な資料なんですか?すいません、そういうの分かる奴がいないんで、調べて自分で作って頂けると...」と言われた現場です。全力でパフォーマンス問題に傾注していた彼は、まだその辺まで手がつけられていませんでした。

そして、でかい問題を解決した直後に降ってわいたこの問題が、やはりCさん以外に解決出来る問題でないことは明らかでした。Cさんの残業時間が入社直後の二ヶ月連続で250時間を越えることが確定した瞬間です。

結局この問題は、突貫でログ解析ツールをつくり、履歴テーブルを急造してそこにレコードを放り込もうとした矢先、ログを直近一週間分しか保持していないことが判明するという急転直下のひどいオチを迎える訳ですが、最終的には最新の状態を1レコードにしてそれ以降のデータのみ履歴で持つようにしたそうです(当然それ以降のデータしか調査・巻き戻しは出来ない)。大変ですよね。

Cさんはまだ同じ業界にいらっしゃいまして、さすがにこの当時ほどひどい事態は見なくなったということなのですが、今でもぽつぽつ面白い話は聞くことが出来ます。機会があれば(あとCさんの許可がもらえれば)また紹介したいと思います。


遠い、遠いオンラインRPGのお話でした。
posted by しんざき at 22:49 | Comment(7) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月28日

「面白い記事を書く、という能力」はどうやって育つのかなあ、という話


ちょっと、妥当なアプローチをするのがなかなか難しい問題だとは思うんですが、一応私の考えを書いてみます。


整理からはじめると、テーマは

○「面白くはないけれど、PVは稼げるという技術」について
○「面白い記事を書く、という能力」について

の大きく二点になります。

防御線ですらない当たり前の大前提として、「面白いかどうか」というのは人によりますしジャンルによりまして、客観的な評価軸なんてものが最初から存在しない、ということは確認しておきたいです。私の記事は私にとってちょう面白いですし、けれどそれが他の人にとっても面白いかどうかは知ったこっちゃないですし、人によってはコピペノウハウ記事が面白い人もいるのかも知れません。私にはちょっと理解出来ませんが。

なので、以下の「面白い」は、基本的に「私にとって面白い」だと思ってお読みください。


○「面白くはないけれど、PVは稼げるという「技術」について


はてなの大御所id:p-shirokuma先生が、こんな記事を書いてくださいました。



大筋として、私とp-shirokumaさんのスタンスは通底していると思いますので、反論という訳でもないのですが。

 とにかく、「その人にしか書けないこと」を書いて「しかも面白い」って、難しい人には難しいのでしょう。控え目に言っても、全員が一定レベルの「日記」「ご意見開陳」「論評」を書けるわけではありません。

 一方、“はてなブックマーク互助会”“面白さを無視したコピペ記事大量生産”といった方法は、努力さえすれば、誰でも実現可能です。どんなにつまらない人間でも、面白いかどうかはともかく一定のPVや読者数を稼げるという意味では、こちらのほうが優れているのではないでしょうか。
はてなブログには沢山の新人ブロガーが参入し、そのなかには、面白い記事が量産できるわけではないけれどもPVが喉から手が出るほど欲しい人も混じっていました。そういう、従来ならブログ世界で救われないはずのつまらない人達に救いの手を差し伸べたのが、誰にでも再現可能なブログ技術と、その技術を提供する人達でした。なるほど、提供者達が崇拝されるのもわかるような気がします。

「技術」の評価は、第一義的には、それが目的に沿っているかどうか、で為されるべきです。この場合の目的は、「ブログの記事でPVを稼ぐこと」になるかと思いますので、「どこかで見たようなノウハウ記事の引き回し」「それらの再利用・再生産」という技術を駆使して、「月に○○PV」といった記事を書いている人たちがいる以上、その技術にはある程度評価するべき有効性があるのでしょう。


ただ、その先には何があるのかなあ、と。それによって何が育つのかなあ、と。


以下、ちょっとシャドーボクシングになってしまうかも知れませんが。

インターネットにあまり価値がない情報が撒き散らされるという問題をおいておいても、コピペや既存記事引き回しによって育つ能力は「コピペ材料を探してくる能力」と「若干文章をアレンジする能力」だけです。PVを一時的にでも稼ぐことは可能かも知れませんが、自分で「新しいコンテンツ」を生み出していない以上、そこには「その先」がありません。

言い方を変えると、地力がつかない。

技術は、「目的に沿っているか」ということ以外に、「発展性があるかどうか」という点でも評価されなくてはなりません。そういう意味では、「量産型ブログ運営術」と呼ばれるものには、大きな瑕疵があると思います。

剣豪は、農民マスケット兵よりもずっと強いかもしれない。しかし、マスケット銃が普及し農民兵が簡単に訓練できるようになり、それを前提とした戦術が普及するにつれて、個人的な技芸は人並み程度でも構わないと考える人が増えるようになり、剣豪は以前ほどリスペクトされなくなります。

マスケット銃を生み出す「火薬」の技術は、更にその先、「化学」や「ライフリング」といった技術に繋がっています。だからこそ価値が大きい。ただ、「量産型ブログ運営術」は一体どこに繋がっているのかなあ、と。


いや、勿論、PV稼ぐのも大事なことなんだろうと思いますよ。読まれているというモチベーションがないとそもそもブログ続かない、というのもそうなんだと思いますし。PVがマネタイズに繋がるならそれはそれでよいことだと思いますし。ただ、ブログだけで言うほど稼げてる人っているのかな、という疑問はないではないんですが。ブログや有料メルマガだけで稼げるならサロンとかコンサルとかくそ面倒くさいことする必要ないんじゃごにょごにょ。



○「面白い記事を書く、という能力」について


多分なんですが、「面白い記事を書く能力」って、育つと思うんですよ。


どこかから出来合いのものを見つけてきてそれをアレンジするのではなく、自分で材料を拾ってきて、自分で考えて、面白そうなものに仕上げて、人にも見える場所においておく。

それを繰り返すことで、徐々に「色んな人にとって面白い記事」を生み出せる頻度や可能性が上がっていく。これは、あらゆる分野、あらゆる場面で有用なノウハウの塊です。civ4でいえば、それこそ「筆記」ですよね。筆記やアルファベットは、決して陳腐化しません。


私が考える、「その人にしか書けない」って、そういうことです。
誰かの思考の正確なトレースは、他の誰かには出来ない。だから、「面白いものに仕上げようという、その人なりの工程」が入ったものは、その人にしか書けない。そういう意味では、書評だろうが、考察だろうが、日記だろうが、何かのレビューだろうが、「その人にしか書けないもの」ってのは成立すると思うんですよね。私、自分が書く書評は自分にしか書けないだろうと勝手に思ってますし。(そもそも書きたいかどうかは置いておく)

冒頭に書きましたが、「面白いかどうか」は人によって、ジャンルによって異なりますから、結果的に「たくさんの人にとって面白い」記事が生まれるかどうかは確率の問題です。ただ、その確率は、努力次第で高めることが出来るし、その確率を高める能力は育てることが出来る。それが私の考えです。


けれどそれは、多分、「量産型ブログ運営術」といえるようなものだけを摂取していると、育たない。


今、ある程度長く個人ブログ界隈で生き残っている人たちって、多かれ少なかれ、みんな上のようなことをやってきた人たちだと思います。時には泥をなめながら、時には誰にも読まれないことに絶望しながら、必死で上記サイクルを回してきた人たちから生まれる文章って、少なくとも私にとっては「なにこれすげー面白い」ってなるヒット率が非常に高いんですよ。


ただ、この過程でのモチベーションの維持、というのはどうしても難しい問題ですよね。やっぱり、「書いても書いても誰も読んでくれない」というのは結構な失望を生んでしまうものかも知れませんから。


私自身は、どうも自分の記事が好きすぎて、自分で自分の記事を読んでるだけで「なにこれおもしれえ」となっちゃうちょっとアブナイ人なので、ブログを始めて11年、モチベーションの問題には余り突き当たりませんでした。

これは断言出来ると思うんですが、「面白い」はまず、「自分にとって面白い」から始まります。自分以上に、自分の面白さを面白がれる人はこの世に存在しません。

私は、「うるせえ周りは黙ってろ」「俺が、俺にとって面白いことを書いてるんだ、文句あんのかコラ」というスタンスに近いですし、そういうスタンスの人が増えて欲しいなあ、と思っています。それは何故かというと、そういうスタンスで続けることこそが、「面白い記事を書く能力」という「技法」に繋がっているからだ、と思うからです。

そして、そういうスタンスでブログを続けていると、比較的「誰にも読んでもらえない」という状況に対する耐性が上がるので、「生き残り」が増える可能性も割と高いんじゃないかなあ、と、そう思ったりしているわけです。面白い記事は、観測さえ出来ればいつかはPVに繋がるんじゃないかなあ、と。

そういう意味でも、いわゆる「誰にでも書ける」大量生産記事って弱いと思うんですよね。あれ、書いてて自分で「これおもしれえ!」と思えるのでしょうか。多少PVがついても、それがないと結構モチベ的につらいんじゃないかと思ったりするんですが。

まあ、勿論泥臭い話ばかりではなく、もしかすると他にも「面白い記事を書く能力」を育てる技術ルートはあるのかも知れませんけどね。私の考えは、こと「書く」というフィールドにおいては古臭いかも知れません。それでも、あらゆる時代、あらゆる場面で、こういうアプローチは有効だ、とは思っていますが。


事実、クソ面白くないブログまでもがインターネットを汚しながら成果の果実を手に入れています。ええ、彼らの技術とブログは、旧式の石炭火力発電所のようにやがて陳腐化していくに違いありません。でも、その頃には一回り新しい、やはり再現可能な技術がメディア工学者によって開発され、提供されていることでしょう。

上のような意味で、彼らが手に入れている「果実」は、私が手に入れたい「果実」とは随分違うもののようなので、そういう点で私は「脅威」はあまり感じていません。ただ、「量産型ブログ運営術」的なものがあんまり増えると、私にとって面白いものが生まれる可能性が減るし、観測もどんどんしにくくなってしまいますので、何とかなって欲しいなあ、と思って書いたのが先日の記事、という次第です。

これからも、随所随所で「こっちのみーーずはあーまいぞ」という記事は書いていきたいと思います。ほーたる来い。



と。結構長くなってしまいましたので簡単にまとめておきますと、

・いわゆる「量産型ブログ運営術」とでもいう物には、「PVを稼ぐ」という目的において一定の価値があると思います
・けれど、その技術の発展性については私は疑問です
・面白いものを作ろうとしてれば、その内面白いものを作れる(可能性が上がる)能力は身に付くと思うなあ
・けど誰にも見てもらえない時期はモチベーションの維持が難しいので、「俺おもしれえ!」モードに入れるといいですよね
・今の時代に創元のアドベンチャーゲームブックの記事とか書いてると、「誰がこれ読むんだろう」という感覚はだんだん麻痺してくるというかすげーどうでも良くなってきて超楽しくなってくるのでみんな創元のゲームブック記事書くといいです。俺読むよ。
・全然関係ないですけれどciv4天帝は全くクリアが見えなくて逆に楽しくなってきました。シレン4の浜辺の魔洞に近い
・マンサ氏ね


というよくわからない感じになるわけです。よかったですね。

今日はこの辺で。

posted by しんざき at 07:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月27日

何故サミット会場に、日本が世界に誇るソウルフードであるキャベツ太郎を置かないのか本当に理解出来ない


きのこがどうだたけのこがどうだ言っている場合ではなく、本来こういう場に置くとすればやおきんのキャベツ太郎一択である筈で、外国人記者はスシどころか「キャベツ太郎ないの?? ノーーーーーーーーッ!(エコーつき)」と絶叫し続けているであろうことは全く想像に難くなく、それらの絶叫により今頃サミット会場は阿鼻叫喚の地獄絵図を呈していることが想定され、これは近隣の騒音問題を惹起する可能性すらある問題で、それら外国人記者のサイレントマジョリティ的な声を全国民に伝えないのはもはや報道の怠慢と言うもおこがましいレベルであり、政府は可及的速やかにやおきんに対して十分な量のキャベツ太郎を提供するよう要請すべきであってそのついでに日本でも数少ないキャベツ太郎ブロガーである私にキャベツ太郎の供与を行うことが望ましく要するにキャベツ太郎たべたい。



長男から「パパ頑張ってね!」といってこれをプレゼントされた


posted by しんざき at 10:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

レトロゲーム万里を往く その131 ぎゅわんぶらあ自己中心派2


イ ナ ヅ マ ヅ モ!!!(効果音つき)



「脱衣麻雀ゲームの系譜」という話は、それこそ万里を4回くらい使わないと終わらない訳ですが、世の中には「脱衣ではない麻雀ゲームの系譜」というものも当然存在するわけです。

恐らく、コンピューターゲーム業界における「ちゃんとした麻雀ゲーム」の元祖は、1981年アーケードの「ジャンピューター」になるのでしょう。ちなみに、この「ジャンピューター」を開発したのは、後に「ワールドヒーローズ」などで著名になるADKことアルファ電子です。ある程度高齢の方は、ADKと言われてもわからないけれど「アルファ電子」と言われるとピンとくるそうです。

その後、かのニチブツが「雀豪ナイト」で脱衣麻雀への枝分かれを行い、脱衣麻雀が一大勢力を築き始めた前後も、非脱衣型の麻雀ゲームの進化は続いていました。

1983年に産声を上げた、ファミリーコンピューターの「麻雀」や翌年の「4人打ち麻雀」。SNKの「麻雀教室」。シャノアールの「プロフェッショナル麻雀悟空」。セガの「麻雀戦国時代」。

時代を下るにつれ、例えばCPUが色々な思考ルーチンを持ったり、キャラクターによって手筋が変わったりと、麻雀ゲームはよりリアルな方向に進化していきました。


そんな中。同名麻雀漫画を題材にした「ぎゅわんぶらあ自己中心派」は、ゲームアーツによって、PC-8800をプラットフォームとして生まれました。


漫画としての「ぎゅわんぶらあ自己中心派」は、片山まさゆき先生の出世作であり、オリジナルの個性的なキャラクターに混じって、時には時事ネタ、時には他の人気漫画、時にはテレビ番組だの歌謡曲だの、様々なパロディキャラクターを麻雀漫画の中に登場させまくった作風が著名かと思います。

ぎゅわん自己の魅力は、言ってしまえば「突拍子もないキャラクター達が、突拍子もないシチュエーションで、突拍子もない麻雀を打つ」ということだったと思います。持杉ドラ夫はその名の通りの豪運で、勝ち過ぎの金蔵は第一ツモで字牌カンを連発し、バッドハンドは手牌にクズ牌ばかりをもってきて、北家ケンシロウは北家神拳を使いこなして敵と戦っていました。


早い話、「ぎゅわん自己」は、後の「ノーマーク爆牌党」などとは異なり、はちゃめちゃ麻雀を旨としたコメディであったわけです(時にはちゃんとした闘牌もありましたが)。不動産麻雀(牌が「居住場所・駅からの時間・築年などの条件になっており、上がると家賃ただでその家に入居出来る)とか、就職活動麻雀とか好きでした。特に不動産麻雀、あれ実際にやったらかなり面白いような気がする。

そんな「ぎゅわん自己」がゲームになった時、麻雀ゲームに何が起こったか。


それは、「キャラクターごとに異なる「能力」が麻雀に持ち込まれた」ということだったのです。


そう、それはもしかすると、「能力バトル麻雀」の源流。



「ぎゅわんぶらあ自己中心派」。1988年11月11日、アスミックよりファミコン版発売。1990年12月には「「ぎゅわんぶらあ自己中心派2」が発売されており、私が主に触っていたのはこの「2」の方でした。

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当時、「リアルな麻雀」というお題目の元、公平な配牌・公平なツモを前提としていた他の麻雀ゲームと異なり、「ぎゅわん自己」ははっきりと「キャラクターによって配牌やツモが偏ります」と断言していました。単に「cpuがやたら強い」という麻雀ゲームは既に多くありましたが、キャラごとにツキの方向性が異なり、しかもそれを明言しているというのは、恐らく「麻雀ゲーム」全てを見渡しても初の試みだった筈です。


原作で強いキャラクターであれば、明らかに強い配牌、強いツモが。

原作で弱いキャラクターであれば、明らかに弱い配牌、弱いツモが。


例えば、原作では「半荘で一回もムダヅモをしない」ということを自らに課しているという「ゴッドハンド氏」であれば、文字通り一切ムダヅモがない、ツモって不要な牌を切っているだけで自然と上がっているという、無茶苦茶な麻雀を打つことが出来ます。(ただし、何らかの事情で一回でもムダヅモをしてしまうとその能力が消える)

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例えば、原作では「第一ツモから4回連続で字牌をカンする」という滅茶苦茶な豪運を持っている「勝ち過ぎの金蔵」であれば、配牌時点で手牌に字牌があふれることになります。

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こんな手を上がるのもごく簡単。

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まあ、金蔵もゴッドハンド氏と同じく、一度でもロン上がりされるとツキがどかっと落ちてしまうわけですが。(これも原作準拠)

上記二人程極端ではありませんが、原作通り良配牌と良ツモを欲しいままにする持杉ドラ夫、ツモの良さが光る引若丸、意味不明な鳴きをしまくるタコ宮内、上がり役を宣言してしまうE.Tなど、自分で使う時もCPUを相手にする時も、原作通りの個性あふれまくるキャラクターが満載です。

勿論、プレイヤーは「指導者なし」にして通常の配牌・ツモにした上で原作キャラと戦うであるとか、ツキ自体を無効にすることも可能です。ただ、やはり「ぎゅわん自己」の華は、「このめちゃくちゃなゲームバランスで、各原作キャラの麻雀を楽しむ」というものだったと思います。

これは、飽くまで「キャラクター漫画を麻雀ゲームで再現しようとした」が故の解答でした。テクモの「キャプテン翼」と同じように、「原作再現」を麻雀でしようとした時に、既存の麻雀ゲームの方向性を一切捨て去る。ツモや配牌の偏りを、ナチュラルにゲームシステムに取り込んでしまう。これは一つのパラダイムシフトであったでしょう。


ですが、当時の麻雀ファンは「ぎゅわん自己」をプレイしてこう思ったのです。「あれ、これ結構面白いぞ?」と。


自分で「強いキャラクター」を使って、対戦相手をなぎ倒すのには、ごくシンプルな爽快感がありました。あるいは、ソニーくんやマスターのような普通のキャラクターを使って、強い対戦相手を倒すのには、ある意味パズルのような戦略感がありました。

金蔵を相手にする際には、字牌を絞って鳴きを止め、金蔵から狙い打ってツキを落とすのが絶対条件でした。ゴッドハンド氏相手であれば、鳴きに走って一手でも早く聴牌しなくてはいけませんでした。

麻雀が元々出来る人にも、そうでない人にとっても、「偏りがあるからこその面白さ」というものがそこにはあったのです。もしかするとそれは、後の「兎」や「咲」のような、「キャラクターごとに様々な能力を持っている」という「能力麻雀」の源流であったかも知れません。


キャラクターものがジャンルに何かを持ち込む、という意味では、対戦ゲームに「キャラ差」を持ち込んだ、「キン肉マンマッスルタッグマッチ」に近いものがあったかも知れません。この「ぎゅわん自己」は、麻雀ゲームというジャンルにおいて、決して小さなタイトルではなかったのです。

人気シリーズとなった「ぎゅわん自己」は、後にスーパーファミコン、メガドライブ、PCエンジン、セガサターン、プレステなど、様々なゲームハードでその姿を見せることになります。



私自身は、この「ぎゅわん自己2」が麻雀への入り口でした。脱衣麻雀ではなく家庭用麻雀ゲームが入り口になるという、もしかするとゲーマーからの麻雀ルートとしては少数派の方かも知れません。


ちなみに、「何をきっかけに麻雀に入ったか」というのはもちろん人それぞれだと思うのですが、「麻雀漫画をきっかけに麻雀を始めた」という人もかなり多いと思います。

個人的には、片山まさゆき先生の漫画で麻雀に入った人は、わりと上達が早いような印象があります。一方、「哭きの竜」や「アカギ」のような、「主人公が物凄い異能雀士」という漫画で麻雀に入った人は、ちょっとそれを引きずってしまうような印象があるのですが、まあそれは余談。最近麻雀に興味をもった人に、「嶺上開花という役は、忘れていても不都合が発生することは殆どない」ということを教えると何故か腑に落ちない顔をされるのですが、これは咲現象とでもいうのでしょうか。


ということで、長々書いてまいりました。最後に、「片山まさゆき先生の絵が30年前と比べても殆ど変わってないのは本当に物凄い」という私見を述べて項を閉じたいと思います。


今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 06:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月25日

「その人にしか書けないこと」が読めるのがブログであって欲しい


いろんなことをぶん投げて書くんですが。


「その人にしか書けないこと」がたくさん読める、そういうのが「個人ブログ」であって欲しい。


誰にでも書ける、どっかで見たような、そんな記事が大量に載っているのが「個人ブログ」であって欲しくない。


もちろん、「結果的に他の人と内容被ってしまった」を防ぐことが出来ないのがブログというメディアではありますけれど、それでも、スタンスとしては「こんなこと書くのは俺しかいねえ!」というのを堅持していきたいですし、「こんなこと書くのは俺しかいねえ!」というのが溢れたブログを読みたいなあ、と私は思うんです。

何より、私自身がブログの読者であり続ける為に、「その人にしか書けないブログ」を目指すブロガーにこそ増えて欲しい。



増田(はてな匿名ダイアリーの通称)で、こんな記事があがっていました。

「今月はアクセス数○万いきましたー」とか「○円もうかりましたー」やらの記事は、
「同じような記事ばっかで飽きたよー」とはおもったけどそれまでだったんだ。

「効率的にクリックさせる広告の置き方」とか「SNS連携ボタン作りました」とかの話ばっかになってるのも、
つまらないし、それはそれで技術系記事かなと思って読んではいたんだ。

でも、最近は「30分で1記事書く方法」とか「○年続けないといけない」とか「1日○記事」とか「量産」とか「1000文字」とか
およそ読ませることを考えてない、読者が苦痛に感じようとなんだろうとbotがそれっぽく判断すればそれでいいという話ばかりで、読まされてる感じが強くて心が折れたというか、「読む意味あるのかな」ってつい思ってしまった。

これ、正直私、同感なんですよ。個人的には、「効率的にクリックさせる広告の置き方」とか「SNS連携ボタン作りました」の時点で、既に「not for me」だったんですが。


「ブログで稼ぐ為には」みたいな、「金銭収入というはっきりした尺度」を全面に押し出す人たちがなんか随分増えたなあ、とは少し前から思っていました。別に、マネタイズは悪いことだとは全然思わないし、「ブログでお金稼ぎ」自体はいいんじゃないの、まあ確かに私もブログでお金入ってくるとうれしいなあ(面倒だから殆どやってないですが)、程度に考えていました。


ただ、その「はっきりした尺度」があり、その尺度を多くの人が共通の価値として持ち始めると、今度は「その尺度を達成すること」だけがメインになってしまうんですね。つまり、「ブログに何か書きたい」というよりは、「ブログでお金を稼ぐ為のテクニックだけが気になる」という人が増えてきた。で、その「テクニック」に基づいて、例えばノウハウ記事とか、収入の報告記事とかがどんどん前面に出てきた。

挙句の果てには、ここ最近「一つの記事に時間かけるより、オリジナルコンテンツじゃなくても大量に記事挙げた方がいい」とか書いてる記事まで見かけました。「誰にでも書けること」を大量に持ってきてPVを稼ぐ。「俺にしか書けないことを書く」とは真逆ですよね。


ひでーなー、というか、「not for me」が進み過ぎて、私にとってはつまらんことこの上ない状況だなあ、と。


確かに、「ブログで金稼ぎ」的なコンテンツを読んで、「ブログで金稼ぎ」に興味を持つ人が増えれば増える程、そういうブロガー向けの薄いノウハウを検索する人も増えるのかも知れないですし、PVも増えて収益が上がるのかも知れません。マッチポンプ感あふれる見事な戦略だなあと感心はするわけですが。


ただ、コンテンツとしてそういうの面白いの?っていうのは、本当にぜんっぜん気にしないんだなあ、と。ブログはメディアであり、コンテンツであるのに、「面白さ」っていう根本的なものを置いていって、そこに未来はあるのかなあ、と。



勿論、ブログに何を書くかは個人の自由なんで、そういう記事を書くことを否定は出来ません。ただ、「それは私には面白くないから、私は読まないよ」というだけです。

ただ、悪いことに、「読まない記事」が増え続けると、「読みたい記事」を観測することがどんどん難しくなってしまうんですよ。


余りにも「私が読みたいもの」が観測しにくくなり過ぎてきたので、そこは私も「自由に書く」権利を行使して、上のようなことを書きたくなった次第です。もうちょっと乱暴にいうと、「知るか、つまらんからつまらんっつってるだけだ」って言い方になるんですが。


どっかで見たようなコピペが大量に氾濫するくらいなら、何の変哲もない日記記事の方が遥かに面白い、と、少なくとも私は思います。日記は、少なくとも、「その人にしか書けないコンテンツ」ではある。誰かと同じ一日が、他の誰かに全く同じように起こる訳ではない。「その人にしか書けない」という時点で、そのコンテンツには十分な価値がある、と私は思うんです。


ニッチなコンテンツが増えれば増える程、少なくとも私は楽しい。だから私は、「2016年の現在、こんな記事の需要が地球上のどこにあるんだ?」という記事だろうと、気にせず書き続ける。誰が読むのかって、私が自分で読むから。目下、バルーンファイトの対戦攻略記事と、civ4天帝のクリアレポート書きたいです。まあ、後者については、そもそも本当にクリア出来るのかというのがかなり怪しいんですが。


「俺にしか書けない記事」を書いて欲しい。「あなたにしか書けない記事」を読みたい。


そういう意味では、「他の人のブログを参考に」なんて一切しない方がいいと思うんですよ。「記事が被らないように軽くチェックする」くらいならいいかも知れないですが、「ああいうブログを書きたい」「あんなブログを作りたい」「あんなブロガーになりたい」なんて、わざわざ劣化コピーになるようなことやって一体どうするんですか?


「俺が!俺が楽しいから!俺にしか書けない、この記事を書いてるんだ!!!!」


というくらいに、俺の俺による俺感が溢れたブログが、ブログ界隈にどんどん増えていくことを、願ってやみません。何よりも、私自身が「ブログの読者」であり続ける為に。


今日書きたいことはそれくらい。



posted by しんざき at 11:30 | Comment(6) | TrackBack(1) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月24日

「京大出て専業主婦なんてもったいない」という話について問題を切り分けてみた、あるいは主婦が「もったいない」といわれるのがよくわからない


このエントリーを拝読しました。


コメントを含めて、どうも幾つかの問題が割と面倒な感じに絡んでるなーと思ったので、余計なお世話とは思いつつも、ちゃんと切り分けてから考えてみたい欲求に駆られました。

ただ、テーマ自体がいわゆる「個人的な問題でも一般化したい病」に類するものなので、あまり建設的な議論にはならないと思います。ご承知の上お読みください。





恐らくこの話は、大きく四つくらいの問題に切り分けることが出来ると思います。


○出る大学と歩む道によって、「もったいない」というべき状態は発生するか
○発生するとして、それを他人が指摘することをどう評価するか
○主婦という生き方は「もったいない」といわれるようなものなのか
○学歴や生き方に伴ってマウントをとったりとられたりする件について


順番にいきます。


○出る大学と歩む道によって、「もったいない」というべき状態は発生するか

学んだ分野のカテゴリーや専門性と、それを学んだ動機、費用などによって変わってきます。

「もったいない」というのは何かというと、要するにコストとリターンがかみ合っていないことです。そして、その「かみあっていない」というのを評価する主体と評価軸は、視点によって変わります。

コストは単純に、その大学に入って卒業するに至るまでの、学業や研究に対する努力、時間的コスト、精神的コスト、金銭的コストなどがそれに当たるでしょう。自分ひとりで完結する話ではないのが若干厄介ですが、ちょっと頑張れば数値化することも可能かも知れません。


リターンについては色々面倒くさいです。これは「場合と視点による」という話になります。

三つくらい例示してみましょう。


やや曖昧なワードですが、例えば「社会」という視点で評価するとしたら。極端な例で言えば、「日本でほんの数人しか研究していない分野で、成果次第では大きな社会発展の種になる」というような専攻分野をとっていた人が、卒業してから完全にその研究をやめてしまった、というようなことであれば、「社会的にもったいない」というようなテーゼは成立するのかも知れません。あるいは、今完全に人手不足の分野で、その専攻をとった人はその分野の道を歩むことが期待される、という分野であれば、同じく「(社会的に)もったいない」と言えるかも知れません。

記事を拝読する限り、ブログ主様の専攻分野が上に該当するかというと、多分しなさそうな気がします。教授がもったいながるなら、まあ20歩くらい譲ってわからなくもないんですけどね。


例えば経済的な側面で評価するとしたら、「学歴を生かして就職していれば得られたかも知れない金銭的なリターン」というものがあって、それが得られなかったことについて「もったいない」という余地があるのかも知れません。もっとも、これも現在の社会状況から言えば、いい大学を出たからといって即高収入に通じるわけでもなし、どの程度働けば幾らのリターンと決まっているわけでもなし、随分と曖昧な話ではあります。


完全に主体的に、つまり一人称視点で評価するとすれば、リターンは「自分が今、満足しているかどうか」の一点になります。この視座で見る限り、自分の現在のあり方に満足しているのであれば、「もったいない」という言葉は根本的に筋違いでしょう。一方、例えば「大学入学前に強力な動機があり、それに中途で挫折してしまった」というようなことがあれば、現在の満足に若干の瑕疵が発生するかも知れません。

そして、これに関する限り、ブログ主様は現在の生き方に十分満足されているようには見受けられます。つまり、ブログ主様的には、一人称視点での「もったいない」という言葉は全く当たらない、ということになります。

それに対して、無理に前者二つの曖昧な「もったいない」という言葉を押し付けられているので、ご自分の意識とのギャップに不快感を感じられている、ということなのでしょう。多分ですが。





○発生するとして、それを他人が指摘することをどう評価するか

いやまあ、他人が口出すような話じゃねーよなー、と(そういう意味ではこの記事自体どうかという話ですが)。


これが例えば、国策プロジェクトによる奨励学生が選択した道とかであれば、ある程度上のような評価も意味を持ってくるのかも知れないですが。そうではない、少なくともご自分(あるいはご親族)の納得と努力の上で選んだ道であれば、少なくとも「一人称の評価」以外を適用するような筋合いはないでしょう。

この記事含め、他人の「もったいない、もったいなくない」という話については、「知るか黙ってろボケ」の一言で万事解決するのではないかと考えられます。あるいは、「お前は私の指導教官か?」でもいいかも知れません。どちらでも、わずか10文字前後で済むのでお勧めです。



○主婦という生き方は「もったいない」といわれるようなものなのか

実は、そもそもこれが良くわからないんですよね。

専業主婦という生き方って、つまりご結婚されて家庭を切り盛りされているわけで、別にニートやってるわけじゃないじゃないですか。言ってみれば、旦那さんを含め、家庭の運営というワンパックで評価されるべき「職業」であって、一概に生産性が低いみたいないわれ方をするのどうなのかなーと。

「学歴と直接結びついていない」という話であれば、上で書いたような専門的な分野を除いて、「学歴ときっちり結びつく」「大学で学んだことがそのまま役立つ」と言い切れる職業が、世の中にどれだけ存在するのか。少なくとも「学歴と直接結びついていない」職業は主婦だけではない、ということは断言出来ます。


しんざき家で言えば、しんざき奥様は現在専業主婦というカテゴリーに入ると思うんですが、子どもは育てるわ、掃除はするわ料理はするわ洗濯はするわ、物凄い生産性ですよ。いや勿論、専業だろうが兼業だろうが家事は家庭内で分担するものではありますが、それでも「家庭が職場」というのは「家にいる間中ずっと職場にいる」ということでして、仕事から完全に離れられるタイミングが極めて希少です。奥様のタスクとか、下手すると私よりずっと大変なんじゃないかと思うくらいですよ。


少なくとも私に関する限り、奥様が「専業主婦」というタスクをこなしてくれていなかったら、今よりずっと低い生産性でしか仕事を出来ないのは疑いないわけで。100歩譲っても、「専業主婦」という職業の生産性は夫婦セットで評価されるべきではないでしょうか。


勿論、「専業主婦」という職種の中で生産性の多寡というのはあるのかも知れませんが、少なくとも「専業主婦」という一言で「他の生き方よりも生産性や貢献度が低い」みたいな評価をされるの、どう考えても意味がわかりません。主婦という仕事は、もっと誇りを持って語られていいと思います。

主婦という職業に対するイメージって、多分男女間対立の一つのネタとして変な風に煽られてるようなところあると思うんですが、まあそれについては項を改めます。



○学歴や生き方に伴ってマウントをとったりとられたりする件について

コメント含めて色んなところで、上から目線とか下から目線とか、斜め上から胸そらし目線とか、よくわからないユークリッド幾何学的な角度が乱舞しているように思えます。


どうも、学歴や職業、生き方に絡んで自分の考えを開示すると、ここぞとばかりにマウントをとりにきたり、あるいは「マウントをとられた」と考えてよくわからない憤り方をする人がかなり多いように感じられます。

学歴というのは、言ってしまえば単なるラベルであって、本来であればそこまでデリケートに扱われるべき話でもないと思うんです。ただ、現実問題、「隠しておいた方が無難な属性」になってしまっている嫌いがあるなーと。

しょーもない話だと思うんですけどねー。お互いに、「お前らの人生と俺の人生には1ミリグラムの関係もない」という前提で考えた方がいいのではないかなー、とは。



ということで。切り分けちゃうぞおじさんとして、なんとなく切り分けられたような気はするので満足してこの辺で〆ます。皆様ごきげんよう。

posted by しんざき at 07:01 | Comment(5) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月23日

我々はスネ夫という存在を過小評価しているのではないでしょうか


劇場版の大長編ドラえもんには「弱音枠」というものがあり、そこをほぼ毎回スネ夫が担当しています。


以下、無駄に長文なのでお暇な時にどうぞ。



劇場版大長編ドラえもんには、「中盤以降にのび太(あと場合によってはジャイアン、しずか)が覚醒する」という、お定まりの特徴があります。序盤、導入時にはいつも通りのダメのび太であって、ドラえもんのひみつ道具を私欲の為に使ったり、学校やのび太ママのお小言から逃避したりといった行動に走り、それがメインストーリーに流れ込んでいくことも良くある話です。

が、ストーリーがある程度進行し、ドラえもん一行の大ピンチや劇中の友人キャラクターの危機などが迫ると、のび太は周囲のメンバーに率先して、それらピンチに立ち向かっていくことになります。

例えば、「日本誕生」では、さらわれたククル達を助けようと真っ先に周囲を説得するのがのび太であったり、とか。
例えば、「宇宙開拓史」では、コーヤコーヤ星のピンチをジャイアンたちに知らせるも一度は説得に失敗し、自分とドラえもんだけでもロップルたちを助けようとしたり、とか。
例えば、「宇宙英雄記」では、一度は海賊に不覚をとった中、アロンたちやポックル星をなんとしても助けよう、と最初に声を挙げるのがのび太だったり、であるとか。


この時、しずかちゃんは大体の場合積極的にのび太を援護しようという立ち位置ですし、ジャイアンも多くの場合、多少文句を言いつつも友情の為に率先して協力する、といったパターンが専らです。


これは、「普段はダメだけどいざという時には勇気を出すのび太」であるとか、「普段は乱暴だけどいざという時には友情に篤いジャイアン」といったギャップ効果によって、観客に強い印象を残す演出であろうと思われます。これは昔からの演出ではありますが、ここ最近の劇場版を見ていると、


・新・のび太の大魔境
・のび太の宇宙英雄記
・新・のび太の日本誕生
・新・のび太の鉄人兵団
・のび太と奇跡の島
・のび太の人魚大海戦


と、「ひみつ道具博物館」以外のすべてで、若干形を変えながらも上記パターンは継続していましたので、現在でも定番の演出だと言ってしまっていいでしょう。


その際の典型的なパターンはこんな感じになります。


1.のび太やドラえもん、ないし友人たちのピンチが描写される。
2.のび太(ジャイアンである場合もある)が、そのピンチ打破の為に行動に出ることを主張する。例えば敵のアジトに乗り込む、友人たちを救出する、といった内容。
3.スネ夫がそれに対して弱音を吐いて反対する。
4.しずかやジャイアンがのび太に同調する。
5.スネ夫も仕方なく賛同する。


この、

3.スネ夫がそれに対して弱音を吐いて反対する。


という箇所、これが私の考える「弱音枠」です。

我々は通常、この「弱音枠」に「スネ夫の情けなさ」のみを読み取りがちです。

元来スネ夫は、原作・アニメ・劇場版問わず、視聴者の共感や高評価を誘うようなキャラクターではありません。普段はジャイアンの腰ぎんちゃくのような立ち位置に終始し(時には立場が逆転することもあるのですが)、ジャイアンよりも陰湿にのび太をいじめ、自分の家庭が裕福であることを鼻にかけ、ことあるごとに自慢する。

そういった彼がごくナチュラルに精神的弱さを出すことで、視聴者は「ああ、やっぱスネ夫は情けないな」「一方のび太は、普段は情けないけどいざという時は勇気があるな」と印象づけられることになります。

元より、これが製作者側の意図でしょうし、そのように視聴者が感じることはおかしなことではありません。


ただ、こと劇場版ドラえもんに関する限り、「大事な場面で弱音を吐く」というのは、十分に勇気がいることなのではないか、と私は思うのです。


たとえば、「のび太の宇宙英雄記」で、のび太一行(のび太、スネ夫、ジャイアンの三名)は一度宇宙海賊に敗北してしまいます。その後、ドラえもんに救出された後で、その後どうやって反撃するかを相談する中、スネ夫が恒例の弱音を吐き、ポックル星を放っておいて帰ることを主張します。


「普通の子どものぼくたちが宇宙海賊なんかに勝てるわけないじゃないか!」

で、これも恒例の通り、ほっといて帰ることを主張するスネ夫を、ジャイアンやしずか、のび太が勇気ある発言をして、スネ夫も最後には説得される訳なんですが。


これ、冷静に、客観的に考えるとスネ夫の発言100%正しいと思うんですよ。

宇宙海賊に敗北した後ですよ?ドラえもんに救出されてなんとか難を逃れた後だとはいえ、海賊がヌルくなければ本来殺されてても全くおかしくなかった状況の筈です。それなのに、空気に流されるまま「頑張って皆の笑顔を守り抜こう!」とか結論が出るのはどう考えてもおかしい。本来、敗北後には敗北の原因分析と、改めての戦力比較が必要になる筈なのです。

発言としては「冷静な諌言」というよりは泣き言に近かったですが、「一旦立ち止まって考えよう」的な方向の言葉としては、誰かが発言しなくてはいけない言葉だった、といっても良いのではないかと思います。


「宇宙英雄記」の話は典型的なパターンの一つですが、みんなががーっと盛り上がっている中で、一番勇気がいるのは、むしろこういう「総意に逆行する弱気な発言」であったりします。空気に流されてみんなに同調していた方が、少なくともその場では波風が立たない。これは仕事の場でも同じでして、どんな形であろうと「おいちょっと待て」的な発言を提示できる人材は貴重です。


そもそも、スネ夫は元来「空気を読む」キャラクターです。空気を読むと言っても褒められた話ではなく、ジャイアンを上手いことコントロールしたり、大人におべっかを使ったりといった、我田引水の為の空気の読み方なんですが、それでも彼が「その場の空気を上手いこと読んで、自分の思うように状況をコントロールできる」キャラクターの一人であることは疑いがありません。

そんなスネ夫が、ピンチの後の相談シーンで、周囲の「それでもポックル星を助けないと!」という雰囲気を感じ取れていないわけがありません。


それでも。空気を読みながらも、「おいちょっと待てお前ら」とばかりに、場の空気に対するアンチテーゼを提出できる。いってみれば「弱音ぢから」とでもいうべきこのスネ夫の能力を、我々はもう少し評価するべきなのではないかと私は思うのです。


劇の配役や演出的に考えても、「弱音枠」で弱音を吐けるキャラクターは、ほぼスネ夫一人しか存在しません。なにせ、劇の中盤以降、のび太は「適切な弱音を吐ける」キャラクターではなくなってしまいます。ジャイアンはいうに及ばず、しずかちゃんすら劇場版では「その場の空気に逆行する冷静な発言」をしない傾向があります。

それ以外のキャラクターを引き立てるという、演出上の問題だけでも、スネ夫は絶対に必要なキャラクターだと思うのです。我々はスネ夫の重要さをもっと認識するべきなのではないでしょうか。


まあ結果的には、ドラえもんのひみつ道具がチート能力を発揮して事態を打開してしまうケースが殆どなのですが。仕方ないですね。


一応まとめておくと、


・劇場版の定番パターンとして、「みんなが盛り上がる中弱音を吐くスネ夫」というのがあります
・「周りが盛り上がっている中弱音を吐ける」というのは結構勇気がいることです
・弱音を吐ける配役、というもの自体も意外と重要です
・我々はスネ夫を再評価すべき
・けどファミコン版ドラえもんのSTG面のスネ夫は正直あんまり使えないです
・全然関係ないけど日本誕生のしずかちゃんの原始人服は基本的にエロいと思います(二回目)


というどうでもいい感じの結論になるわけです。よかったですね。

今日書きたいことはそれくらい。


posted by しんざき at 19:34 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月20日

【Civ4プレイレポート】ハンニバル先生と目指す皇帝卒業 その6(完結編)

ということで前回の続きです。

ハンニバル_s.png「モンテ戦が終わって、次の文明に攻め込もうと思ったら仮想敵がスーリヤの属国になっていたところだな」

いやー意外な展開でした。

ハンニバル_s.png「意外も何もないと思うが…まあ宇宙勝利に遷移してよかろう。技術勝ちはそのまま狙えそうだし、属国を抱えているとはいえ宣戦される程友好度は低くない。目的は制覇することではなく勝利することだ」

ですね。

ハンニバル_s.png「あと、何より3国相手の戦争とか面倒くさい」

全く同感です。

ハンニバル_s.png「ただ、残っている戦力をただ削除してしまうのももったいないな」

なんか使い道が欲しいところですね。

ハンニバル_s.png「シャルルやモンテと同様一人宗教で、一人だけ戦禍から逃れているヤツがいたような気がするが」

ペリクレス.png「ん?なんか悪寒が」

いましたね。サラディン越しになりますが、いっときますか。

ハンニバル_s.png「いっとこう。残存部隊が勿体ない」

ペリクレス.png「ちょ、そんな食べ残しの処理みたいな動機で侵攻するな!」

ということで対ギリシャ戦決定。ギリシャは西のアラブの更に向こうなので、一旦アラブ領に兵を集めます。


続きを読む
posted by しんざき at 07:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | Civ4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月19日

初心者にも(ある程度)お勧め出来る、8つのラヴクラフト作品について

近年、いわゆる「クトゥルフもの」ないし「クトゥルーもの」はすっかりライトサブカルとしての市民権を得た感があります。


太古から宇宙に存在した、恐るべき旧支配者たちとそれにかかわる人間たちの物語。かつてはH.P.ラヴクラフトと、彼の数人の友人作家との間で描かれていた「ラヴクラフト宇宙」のエピソードは、例えばゲームのモチーフになり、ライトノベルのモチーフになり、漫画のモチーフになり、アニメやエロゲーのモチーフになりと、サブカル畑の至るところに出現するようになっています。


最近では、「World of warcraft」を元ネタとするオンラインカードゲーム「Hearthstone」にも、「クトゥーン」を始めとする「古き神」たちが出現し、ランダム20ダメージを飛ばしたり断末魔ミニオンをまとめて甦らせたりと猛威を振るっている始末です。ン=ゾスおなかこわせ。


昨今、「ラヴクラフトは読んだことないけど、クトゥルフ神話って言葉だけは知ってる」という人が相当数いらっしゃることは想像に難くありません。

ただ、これも有名な話ですが、ラヴクラフトは決して「神話」としてのクトゥルフのエピソードを描いたわけではありません。というか、実はラヴクラフトの作品で、クトゥルフやナイアルラトホテップなど、クトゥルフ神話で著名な名前がちょっとでも出てくる作品は意外と希少です。多分、全体の2割無いくらいじゃないでしょうか?

彼が描いたのは、「人間よりも遥かに昔から存在するものたち」と人間の関わりをテーマとした「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」。それを「邪神」や「神話」といった形に、主にラヴクラフトの死後に整形していったのは、オーガスト・ダーレスを始めとする後続の作家たちなのです。(※ラヴクラフト自身、ダーレスの創作を気に入ってはいたようで、ダーレスへの激励の手紙や協力の痕跡が残っているそうです)


そういう話を聞いて、


「クトゥルフものの原点って気になるけれど、ラヴクラフトって難しそうだし…」


と思うクトゥルフもの初心者が、恐らく日本全国に2800万人くらいはいると考えられます。いるよね?




ラヴクラフトが書く文章に不思議な魅力があることは間違いないことなのですが、正直な話、ラヴクラフトの作品が(訳も含めて)かなり難解であり、慣れない人には非常に読みにくいことは否定が出来ない事実です。

ただ、クトゥルフもののルーツをたどるとすれば、ラヴクラフトの作品を避けて通ることは決して出来ない訳で、ここでは

ラヴクラフト作品の中でどれが初心者向けなのか、どれが難解過ぎるのか、

というお話を主に書いていきたいと思います。


そもそもラヴクラフト全集自体がとても初心者向けとは言えない


という点は唯一些少の問題ですが、まあ気にしないことにします。


○比較的初心者にも読みやすいラヴクラフト作品

○長かったり難解だったりで読解には若干努力が必要だが、話自体は面白いラヴクラフト作品

○読解にかなりの努力が必要だが、クトゥルフもののルーツを追うには抑えておきたいラヴクラフト作品

○sanチェックをしたい初心者にお勧めなラヴクラフト作品

の4カテゴリーに分けて紹介していきます。



○比較的初心者にも読みやすいラヴクラフト作品

「宇宙からの色」(ラヴクラフト全集4巻に収録)

個人的には、ラヴクラフトの短編・中編の中でも屈指の傑作に数えられるべき作品ではないかと思います。展開もわかりやすいですし、完成度も高く、話の展開、読んだ後の絶妙な後味の悪さも含めて、ラヴクラフト節が満載です。

時は1882年。アーカム近郊の農夫ネイハムの自宅近くに隕石が落ちたことをきっかけに、ネイハムの周囲では奇妙な事件が起こり始めます。不快な味がする作物、奇妙な生育をした動物たち、そして不可思議な色。

ラヴクラフトのこの手の作品の特徴は、「怪異の存在がヴェールの裏に隠れており、決して正体が明かされはしないこと」「一見逃げ道がありそうなのに、得てしてその逃げ道は選ぶことが出来ない、あるいは逃げ道として成立していないこと」あたりだと思うんですが、この作品でもそれが十分に発揮されています。ホラーとラヴクラフト宇宙観の適度なブレンド具合も良好。



「神殿」(ラヴクラフト全集5巻に収録)

第一次世界大戦中、敵の攻撃を受けて漂流するUボート。ある事件を境に、Uボートは漂流を始め、乗組員は徐々に正気を失っていく。ただ一人確固とした意志を保ち続ける、Uボートの艦長たる主人公は、やがて海底で奇妙な光景を目にする。

怪異の中にも幻想的な、ラヴクラフト作品の中でも美しい描写が特徴の一遍です。「異様な状況の中でも、徹頭徹尾冷静な主人公」と、彼の手記という視点から様々な恐怖が仄めかされる構成が素晴らしい。

ラヴクラフト作品の中でも例外的に、「最後まで正気を失わない、少なくとも最後まで主体的に狂気と対面し続ける」人物が主人公でして、彼の気骨には一種感銘を受けます。個人的には、短めの作品の中では「宇宙からの色」に次いで気に入っている作品。



「アウトサイダー」(ラヴクラフト全集3巻に収録)

廃墟のような広大な城に、たった一人で住む主人公の視点で進む物語。
ただ一度空を見てみたいという一心で、黒い塔をひたすらに上り、城からの脱出を試みる主人公が見たものとは。

ラヴクラフトの最高傑作として挙げる人も多い一作。

エドガー・アラン・ポーの影響を強く受けた、と解説されることの多い作品ですが、私自身は、なによりその「暗い森と、広大な城」「そこから続く尖塔」といった舞台の、その圧倒的な描写に驚かされます。この作品については、いわゆるラヴクラフト宇宙観はそれほど関係がないのですが、頽廃的な中でもどこか悲しいそのエンディングは、通常のホラーがお好きな方にもお勧め出来る作品です。




○長かったり難解だったりで読解には若干努力が必要だが、話自体は面白いラヴクラフト作品

「クトゥルフの呼び声」(ラヴクラフト全集2巻に収録)

大伯父の遺産を整理していた主人公は、ある時奇妙な粘土板と、記事を見つける。その粘土板に描かれた存在の情報を追ううちに、おぞましい事実が徐々に明らかに。

TRPGのタイトルにもなっている、クトゥルフ神話の代名詞的な作品です。ラヴクラフトが「ルルイエ」と「クトゥルフ」という存在を直接、具体的に描き出した、多分唯一の作品でもあります。クトゥルフ神話の原点を追うという意味でラヴクラフトを読むなら、この作品を外すことは出来ないでしょう。

この作品で注目すべきなのは、やはりなんといっても「ルルイエ」の描写だと思います。様々なところでネタになる、「ラヴクラフト的な描写」がこれでもかこれでもかとばかりに前面に打ち出されています。「ああ、この表現ってここが初出だったのか!」と納得すること請け合い。


「時間からの影」(ラヴクラフト全集3巻に収録)

3巻の最後に収録されている長編です。「イースの大いなる種族」や「盲目のもの」など、後々クトゥルフ神話の中でも重要な立ち位置になってくる存在が多く描写される、ラヴクラフト宇宙観の中でも特に重要な一作。

「数年の間、まったくの別人になっていた」教師が主人公。自分を取り戻した後、切れ切れに思い起こされる記憶と悪夢をたどって、彼と仲間たちはオーストラリアの遺跡を探索することになります。その中で彼が見たものとは。

この作品は、何といってもオーストラリアの遺跡探索時の描写と、徐々によみがえっていく主人公の記憶が交錯するシーンが一番の見所です。「恐ろしいエピソードが語られるのだが、一番恐ろしいのはそれ自体ではなくまた別のもの」という、ラヴクラフト得意の手法が用いられる作品でもあります。

物凄い時間スケールで交差するエピソードが、終盤にかたっぱしから回収されていく、その構成の巧みさはSFファンの審美眼にも耐えるものだと思います。ただ、やはり描写が細かくて読みにくい部分は若干あり。


「ダニッチの怪」(ラヴクラフト全集5巻に収録)

マサチューセッツ州のとある頽廃的な村、「ダニッチ(ダンウィッチ)」で起きた怪事件と、その事件にまつわるウィルバー・ウェイトリーについての物語。

上記の「時間からの影」や「狂気の山脈にて」と並んで、ラヴクラフト宇宙観の中心に位置づけられる作品の一つです。これは言ってしまっていいと思うのですが、クトゥルフ神話の中でも中心的な存在として描かれる、「ヨグ=ソトース」の存在が明らかになる作品でもあります。

「ダニッチの怪」や後のランドルフ・カーターものの作品を読んでいると、ラヴクラフトは、クトゥルフよりもむしろヨグ=ソトースを「邪神」的な存在として描いていた、ような節があります。ダーレスは更にそれを発展させて、「クトゥルフ神話」に組み込んだようです。

「ダニッチの怪」についていえば、中盤までウェイトリー家の異様さが語られた後、ヘンリー・アーミテッジ博士が登場してからが物語のクライマックス。アーミテッジ博士を含めた三博士による、ダニッチの捜索と怪異との対峙は必見です。



○読解にかなりの努力が必要だが、クトゥルフもののルーツを追うには抑えておきたいラヴクラフト作品

「狂気の山脈にて」(ラヴクラフト全集4巻に収録)

ラヴクラフト作品の中でも、一、二を争う長さの大長編にして、クトゥルフ神話の直接的なルーツといっても過言ではない重要な作品です。

岩石調査の為に南極を訪れた主人公一行は、二手に分かれた調査中に、高度に進化した生物の痕跡を発見する。世紀の大発見だと興奮する一行だったが、やがて生物の調査を行っていた隊との連絡が途切れてしまう。彼らの捜索に向かった主人公の見たものとは。

南極探検ものとしても成立しそうな程、探検についての描写が詳細で、スケールが大きい作品です。主人公が「狂気山脈」を探索するくだりについては、次に何が見つかるのか?そこに何があるのか?というのを想像して、冒険ものと同質のスリルを味わうことが出来ます。

そんな中、ラヴクラフト宇宙観に基づく存在が明らかにされる、物語終盤の展開は、ラヴクラフト作品屈指の完成度といっても良いと思います。

ただ、とにかく内容が細かく、かつ長い。描写が緻密なだけに、読み通すにはそれなりの時間と根性が必要です。ただ、読み通した時の充実感と面白さは保証しますので、気が向いた方は是非ご一読を。

個人的には南極洞窟の中の巨大ペンギンがお気に入りです。



○sanチェックをしたい初心者にお勧めなラヴクラフト作品

「未知なるカダスを夢に求めて」(ラヴクラフト全集6巻に収録)

ラヴクラフト全集6巻は危険です。上に書いたような作品を一通り読み終わって、更にラヴクラフト世界を味わってみたいと思った人が、最後にたどり着くべき地点です。

いわゆる「ランドルフ・カーターもの」といわれる作品が複数おさまっており、その集大成ともいえるカーターの冒険作品が、この「未知なるカダスを夢に求めて」です。夢の国における危険に次ぐ危険、それらと時には対峙し、時には回避するカーターの大冒険は読み応え満載です。

ただ、大長編なのに章立てが全くなく全部が一続きになっているとか、一人の人物の台詞が数ページにわたって続くとか、その構成は相当エキセントリックになっており、読者に若干のsanチェックを求めます。

「ラヴクラフト宇宙観」にどっぷり漬かった人であれば、「あー!ここでアレが出てきた!」「あー!今度はコレが出てきた!」とキャラクターものめいた楽しみ方をすることも可能ですが、まだ漬かりが浅い人には (;゚д゚) な顔になる可能性が否定できません。心してご一読をお勧めします。「凍てつく荒野のレン」とか「這いよる混沌」といった言葉に親和性の高い方は是非。


あと書けてない作品も相当数ありますが、上記が気に入った人たちは、

・インスマスの影
・チャールズ・ウォードの奇怪な事件
・無名都市
・ダゴン

辺り読んでみるといいと思います!!


ということで、大概長くなりました。

結論として、

ラヴクラフトは初心者向けとはとてもいえないけれど覚悟して読めば超面白いよ!

という一言を結句としたいと思います。

今日書きたいことはそれくらい。





posted by しんざき at 19:42 | Comment(4) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

civ4プレイレポート「ハンニバル先生と目指す皇帝卒業」まとめページ

【ハンニバル先生と目指す皇帝卒業】
皇帝クリアがやっと、という程度の残念なスキルであるしんざきが、天帝初クリアを最終目標として、
自分のスキル底上げの為「無法カノン」に挑戦してみるレポート。

文明:カルタゴ
指導者:ハンニバル(金融/カリスマ)
難易度:皇帝
マップ:パンゲア 標準
速度:通常
海面:中
使用MOD:特になし

その6(完結)
posted by しんざき at 10:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | Civ4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【Civ4プレイレポート】ハンニバル先生と目指す皇帝卒業 その5

前回の続きです。


ハンニバル_s.png「いよいよアステカ領に侵攻するところだな」

あ、その前に、ちょっとTwitterでリクエストを頂いたので、カノンR自体について軽くご説明したいと思います。

ハンニバル_s.png「ふむ。基本を確認しておくのは良いことだ」

基本的なところから。

Civ4における戦闘ユニットは、全て「戦闘力」的な数字を持っていて、その多寡で勝てる確率・負ける確率が決まります。
例えば、一番最初に作れるユニットである「戦士」は戦闘力2。「弓兵」は戦闘力3。「斧兵」のように、戦闘力は5で、白兵ユニットにボーナスを持っている、というようなユニットもいます。

ハンニバル_s.png「戦争の基本は、「相手のユニットよりも強い/進んだユニットで戦う」ということだ。相手は中世のユニットで守っているところ、ルネサンス時代や工業化時代のユニットで攻め込めば勝ちやすいのは当たり前のことだな」

特に高難度において、CPUの生産力や研究力は、多くの場合プレイヤーを大幅に上回っています。それでもプレイヤーには戦争に勝つ余地があります。それは、「進んだユニットを作るための技術を得るために、リソースを集中出来るから」です。

ハンニバル_s.png「「選択と集中」のお手本だな。CPU指導者は、多くの場合そこまで尖った研究をとることがない。一方プレイヤーは、やろうと思えば進んだユニットの解禁の為の技術を得るために文明の全てのリソースをつっ込むことが出来る。ここにリードを取るチャンスが生まれるわけだ」

cannon.jpg

カノンは工業化時代のユニットで、単純な戦闘力だけでも12と、中世ユニットの長弓兵(戦闘力6)や鎚鉾兵(戦闘力8)、古典ユニットの長槍兵(戦闘力6)などを大きく上回っています。それに加えて、攻城兵器であるカノンは、相手の都市の防御力を落としたり、副次攻撃で相手の複数のユニットの体力を削ったりすることが出来ます。

ハンニバル_s.png「まあ、攻城兵器だけでは相手のユニットにとどめをさせないから、とどめをさせるユニットを随伴させる必要があるが。今回の場合は鎚鉾兵だな」

今回、開戦時点でモンテのユニットは長弓兵止まりで、鎚鉾兵すらまだ出ていません。CPUは都市にそこまで多くのユニットを置きませんので、メインスタックを殲滅した時点で、こちら側圧倒的有利な戦争と言っていいでしょう。

ハンニバル_s.png「中盤のカノンラッシュ、ライフル兵ラッシュ、騎兵隊ラッシュ辺りが、技術優位をとっての工業化時代戦争の代表的なところだな。飛行船・歩兵ラッシュや長距離砲ラッシュなんてのもあるか。序盤の斧兵ラッシュやカタパルトラッシュは軍量でリードをとるラッシュで、中盤のラッシュとはまた性格が異なる」


ということで。前置きが長くなりましたが、まずはアステカ領の侵攻ルートのおさらいを。


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posted by しんざき at 00:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | Civ4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月18日

【Civ4プレイレポート】ハンニバル先生と目指す皇帝卒業 その4

前回の続きです。

ハンニバル_s.png「どこの宣戦だ…!?」

えーー…スーリヤ→シャルルマーニュに宣戦です!

ハンニバル_s.png「なんだ、スーリヤの便乗宣戦か。ペリクレス辺りが血迷って宣戦してきたのかと思ったではないか」

モンテに渡す技術はない筈なので、これは自発的参戦でしょうね。まあ、スーリヤからもシャルルマーニュは最大の敵でしたので。

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posted by しんざき at 07:09 | Comment(2) | TrackBack(0) | Civ4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月17日

いつからアンパンマンごときにバイキンマンが殺せると錯覚していた?


バイキンマンの本体がその名の通りばい菌、つまり雑菌であるとすれば、アンパンチやアンキック、アンチョップなどの物理攻撃が通用するような相手ではない。微生物をいくらぶったたいても殺し尽くすことは出来ない。むしろ、普段アンパンチで吹っ飛ばされて「ばいばいきーーん!」とか言っているバイキンマンの方が、アンパンマンに気をつかってやられてあげているのだと判断出来る。

雑菌を殺す方法は勿論数多あるが、その種別は物理的方法と化学的な方法に大別出来る。

【物理的方法】
・高温処理/焼却
・紫外線殺菌
・パルス光殺菌
・高圧殺菌/真空殺菌(真空パックなど)
・超音波殺菌
など

【化学的方法】
・ガス滅菌
・酸化剤、エタノール、抗菌薬などによる薬物殺菌
・酸/アルカリ殺菌
など

たとえばパン工場の面々にペニシリンマンやクレゾールマンがいたとしたら、彼らにはバイキンマンを殺せる可能性があるが、当然そんな人材はいないのであって、せいぜいカレーパンマンに含まれているであろうスパイスの抗菌作用に期待するのが関の山だ。食料品畑のアンパンマンやメロンパンナちゃん、食パンマンでは菌の苗床になって終わりである。(実際に、彼らは何度もカビルンルンの跋扈を許している)

舐めプをしているのはアンパンマンたちではない。バイキンマンの方なのだ。

ジャムおじさんの勢力で唯一バイキンマンを殺せる可能性があるとしたら、それはパン工場の窯による高温処理に他ならない。

最終兵器、窯。敵のラスボスに唯一対抗できるのは、パン工場のボスであるジャムおじさんその人であった!!!!そう考えると、アンパンマンのラストシーンがバイキンマンを道連れに親指立てながらパン窯に沈んでいくジャムおじさんの姿になることは全く想像に難くなく、考えるだけで目から流れ落ちる涙を止めることが出来ない。

こう考えると、アンパンマン陣営の首領にこそバイキンマンを殺せる可能性を託した、やなせ先生の深慮遠望には感嘆せざるを得ない。これに感動するのは一人私のみであろうか。


全然関係ないのだが、うちにあるアンパンマンの絵本で、「おやつの前に手を石鹸で洗わなかったバイキンマンを皆で非難して、バイキンマンだけお腹を壊す」という筋書きのものがあるんだけど、多分バイキンマン石鹸で手を洗ったりしたら死ぬし、あれ極めて悪質ないじめだと思う。


一言で言いたいことをまとめると、

パン工場陣営は、バイキンマンと本気で戦う気があるならクレゾールマンや次亜塩素酸ナトリウムマンを招聘しろ

という一言だけであって、他にいいたいことは特にない、ということを最後に申し添えておく。


今日書きたいことはそれくらい。












posted by しんざき at 09:19 | Comment(3) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【Civ4プレイレポート】ハンニバル先生と目指す皇帝卒業 その3

ということで、前回の続きいきます。

ハンニバル_s.png「モンテスマが手一杯になったところだな」

それなんですが、ちょっと予想外のことになりまして。

ハンニバル_s.png「なに?」

BC250(105T):シャルルマーニュが儒教に改宗

BC225(106T):モンテが手一杯に(最大の敵はペリクレス)

BC125(110T):モンテの最大の敵がシャルルマーニュに

BC75(112T):スーリヤの最大の敵もシャルルマーニュに

ハンニバル_s.png「おっと・・・シャルルマーニュが世界の敵化してきたな」

宗キチが一人宗教になった方が世界に嫌われやすいんでしょうか。
ちなみに、相変わらずモンテは仏教、スーリヤ・サラディン・ギルガメッシュがヒンズー、ペリクレスがユダヤ、シャルルマーニュが儒教で、わが国はまだ宗教を定めていません。

ハンニバル_s.png「戦争が始まったらヒンズーに鞍替えしたいところだな」



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posted by しんざき at 01:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | Civ4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月16日

謝ることを「子どもに弱みを見せる」と認識するお父さんについて


いや、全然大した話ではないんです。むしろちょっとした話です。


同僚ではありませんが、職場絡みの知人がいます。仮に、彼のことをAさんとします。

そこまで付き合いが深い訳ではないんですが、物腰は丁寧な人で、だいぶ年下の私にも穏やかに話され、悪い印象を感じたことはありませんでした。

先日、会社絡みのイベントで彼と同席する機会がありました。家族連れのボーリングのイベントでして、Aさんのご子息も同席していました。

2ゲームが終わって、次の会場に移動しようとしている時のことだったと思います。集団が移動する場面だったので、周囲は人波でかなりごちゃごちゃしていました。


Aさんが、隣でボーリングをしていた他の団体の人に、通りすがりにちょっと強めにぶつかりました。


子どもと一緒に歩いて、よそ見をしていたAさんの不注意でぶつかったように見えました。とはいえ、別にそこまでおおげさな話ではなく、満員電車で手と手がぶつかる程度の、「あ、すいません」で済む程度の接触ではあります。私も、たまたま近くにいなければ、気づきもしない程度の接触だったと思います。

あれ、ちょっとおかしいな、と思ったのは、Aさんが「すいません」の一言もなく、じろっと接触相手を睨んだ、ように見えたところです。

相手の表情は私の側からは見えませんでした。ただ、若干雰囲気がおかしくなったようには見えました。といっても、特にトラブルや口論がある訳でもなく、相手はすぐに足早に離れ、Aさんもまた歩き出しました。

位置関係から、私はAさんと並んで歩くことになり、気になったのでちょっと聞いてみました。「さっき、隣のお客さんと何かあったんですか?なんかにらみ合ってたみたいに見えましたけど」

この時のAさんの答えが記憶に残ってます。


「いや、ぼくからぶつかっちゃったんだけどね。子どもの前で弱み見せる訳にもいかないから」

えっ。

と思いました。私の感覚から、余りにかけ離れていたからです。


どうも彼は、「他人に謝る」という姿を子どもに見せることを、「弱みを見せる」と認識している、ようでした。もっというと、「弱みを見せる」ことが、「父親の権威に関わる」と考えているのかもしれませんでした。

さして深い付き合いの人でもないので深くは突っ込みませんでしたが、別にこの人、普段は居丈高でもなんでもなく、むしろ丁寧な人なのです。少なくとも、仕事上の人間関係で「謝る = 弱みを見せる」と考えて非を認められないような人ではないので、恐らく「子供の前」ということが、彼の態度に大きく影響しているのだろう、とは思いました。



この人は、多分三つ、私とは大きくかけ離れた考え方をしているように思いました。


「悪いことをしたらごめんなさいといいましょう」と子どもに教えているのに、親がそれを実践できなくてどうすんだろう、ということ。

「ちゃんと謝る」ということで失墜するようなものが父親の権威であるとすれば、私はそんなものは要らないなあ、ということ。

子どもに見せるべきではない「弱み」があるとしたら、それは「他人に謝っている姿」ではなく、「自分の非を認めることが出来ない度量の狭さ」の方ではないかなあ、ということ。



もちろん、AさんにはAさんなりの「強い父親」像があるのだと思います。そして、その「強い父親」は、簡単に人に頭を下げないような父親なのかもしれません。

Aさんに限らず、「子どもの前だと態度が変わる」お父さん、というのは昔からあんまり珍しくないようにも思います。最近の私の周囲にはあまり観測できませんでしたが、例えば私が子どもの頃、大人同士で話している時と、子どもたちに話している時で、随分印象が違うなあ、と思ったことはしばしばありました。


どうなんでしょう。確かに、子どもは「強いお父さん」「頼もしいお父さん」に憧れるし、尊敬する部分はあるのでしょう。けれど、それは少なくとも、自分が多少なりと迷惑をかけた相手に、「あ、すいません」の一言をかけない、ということで発揮されるようなものではない。少なくとも私はそう思うのです。


つい最近、私は長女次女を前後に乗せた自転車で狭い道を走っていて、歩行者の横を通り過ぎる時、距離が近くて接触しそうになったので「あ、すいませーん」といいました。その時長女が、「パパ、いま、なんですいませんしたの?」と聞いてきたのです。「ぶつかるかも知れなかったからだよ」と答えながら、上のような話を思い出しました。


ぶつかる、ぶつからない程度のことなら大した話ではないですが。いろんな人に対して丁寧な姿を、自分の子どもにこそ見て欲しいなあ、と思っています。


今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 20:12 | Comment(2) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月15日

【Civ4プレイレポート】ハンニバル先生と目指す皇帝卒業 その2

ということで前回の続きです。

まず最初に、おさらいもかねて、改めて「無法カノン」について整理してみたいと思います。
無法カノンについては、以前のCiv4 wikiには様々なレポートがあったのですが、今は消えてしまっておりまして、
主にこちらのプレイレポを参考にさせて頂いております。

名前が示す通り法律(と紙)を取らないことで非カースト平和主義で無理なく出せる3人の大科学者のうち2人を化学に投入しカノンRを早めるというのが基本コンセプトである。強力な技術である通貨と官吏も問題なく取れる。
基本的に鋼鉄までに必要な技術は自身で開発するため外交状況にほとんど関係なく安定して鋼鉄まで進められる。
ただし偉人にほとんど頼らないため首都の商業出力の影響が強く、それによって鋼鉄研究完了までにブレが出る。非金融なら155〜170ターンの間で大体は160〜165ターンだ。
私が理解する限り、

・法律紙演劇とらない
・官吏とる封建制とる
・首都で偉大な科学者を出してアカデミー建てる
・2人科学者出して化学につっこむ

というのが、無法カノンの骨子である、と思います。これによって、早い内に鋼鉄をとってカノンRを決めるわけです。

ハンニバル_s.png「今回は首都の研究力も問題なさそうなので、当面は官吏の取得が目標になりそうだな」

ということで、前回から一通りの文明に接触しましたので、まずは他文明についてご説明いたします。




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posted by しんざき at 16:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | Civ4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月14日

【Civ4プレイレポート】ハンニバル先生と目指す皇帝卒業 その1


天帝で勝てません。


あ、皆さまご存知のこととは思いますが、Civilization4、通称civ4は、超面白いPCゲームで、インドのガンジーやオランダのオラニエなどの文明・指導者を選んで、自分の文明を繁栄させる、ターン制のシミュレーションゲームです。プレイヤーは労働者を操って自国の都市圏に畑を作ったり小屋を作ったり、いろんなテクノロジーを開発して軍隊を作って他国を侵略したり、逆にアステカやズールー辺りに大軍で攻められてあっさり滅亡したりします。


しんざきは相も変わらずciv4をやっている訳なのですが、たまに手が滑って選択する難易度「天帝」で1ミリグラムも勝てる気がしません。序盤にシャカさんに宣戦されて圧殺されたり、ルネサンス期には周り全員工業化時代だったり、うっかり蛮族に滅ぼされたり、そりゃもうひどいもんです。

とはいえ、「天帝で勝てない」というからには不死や皇帝は安定して勝てるんだろうな?と言われると、全然そんなことはありません。不死はエリザベスやオラニエで2回くらい勝っただけ。皇帝だって、2回に1回くらいは中盤にぐだぐだになってモンテさんにこんにちはされたりします。

自分のプレイを分析してみた結果、しんざきには幾つか致命的な弱点があることがわかりました。

・戦略の幅が非常に狭い(初期カタパラッシュからの制覇ないし宇宙勝利か、自由主義鋼鉄くらいしか勝ち筋を知らない)
・小屋スパム以外の経済をよく知らない(偉人都市くらいは作る)
・外交がいい加減(手一杯を普通に見逃したりする)
・各都市に建設する施設の厳選が甘い(裁判所とか兵舎とか水道橋とか全部の都市に建てたりする)

そもそもこの程度のスキルで天帝に挑もうとかバカなの?と言われると「おっしゃる通りです」以外の言葉がありません。


そこで、2016年という今の時代の需要を完全に無視したこのプレイレポでは、上記のようなしんざきの弱点を克服しつつ、難易度皇帝(天帝・不死に次いで、上から3番目の難易度)をばっちりクリアし、皇帝専業からの脱却を目指してみます。


下記をプレイの方針としてみます。

・まだやったことがない、「法律無しカノンR」いわゆる無法カノンを試してみる
・経済は官僚制経済にして、首都以外は偉人都市や生産都市、乳母都市などに特化させる
・無法カノンで一つか二つ文明を食って、後は流れ任せで制覇か宇宙勝利
・ちゃんと外交する


行き当たりばったりプレイなので負けレポになる可能性は普通にありますが、よろしければお付き合いください。以下、画像も多いので折りたたみます。

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posted by しんざき at 18:52 | Comment(2) | TrackBack(0) | Civ4 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月12日

岩明均先生の「雪の峠、剣の舞」は想像を絶する程面白いので皆さんに全力でおススメしようとおもいます。



歴史ものの創作で何よりも難しいのは「何でもない出来事を面白く書く」ことではないかなあ、とおもうのです。


歴史上重要な出来事であれば、それを面白く描き出すことはそこまで困難なことではないかも知れません。重要なイベントには、重要な出演キャラクターが複数関わっているものです。キャラクターが大物ばかりであって、主要キャラクターたちには大小無数のエピソードと数々の脇役たちが関わっているのですから、そこから「面白そうなこと」を抽出することは難しくない。勿論、それをどう描写するかは創作者の腕の見せ所なわけですが。


それに対して、「歴史上地味な出来事を面白く描き出す」というのは困難を極めます。地味というのは、大勢から注目される程のエピソードが発生しなかったということでもあり、つまり「エピソードの面白さ」だけで勝負することが出来ない。どんなエピソードが実際には存在したのか?ということを細かく検証し、足りないところを想像で補い、全体を矛盾なく構成し、更にそれを詳しくない読者にも面白く感じられるように描写しなくてはならない。

この過程が、まるで強風の中針の穴に糸を通すような困難事であることは、皆さんご想像いただけるとおもいます。


ところで、「寄生獣」や「ヒストリエ」「七夕の国」などで著名な岩明均先生は、それをある短編漫画でごく自然に、ごくあっさりとやってのけています。


「雪の峠・剣の舞」。単行本は2001年刊行、2004年に文庫化。「雪の峠」と「剣の舞」の、二編の歴史漫画を納めた、一巻完結の中編集です。しんざきが今まで読んだ一巻完結の漫画の中で、面白さと完成度のバランスについてはぶっちぎりトップではないか、とおもっている一冊でもあります。



「剣の舞」もひっじょーーーに面白いです。主要キャラクターが疋田文五郎(景兼)と上泉信綱、といえばわかる人にはそれだけでわかるでしょうが、フィクションを取り混ぜつつもカタルシスと切なさをバランスよく盛り込むその手腕は、勿論それだけで岩明先生の物凄さがわかる作品ではあります。


ですが、このエントリーでは、特に「雪の峠」についてのお話を中心に書かせて頂こうとおもいます。


・地味なエピソードと、すさまじいまでの「お話」のまとまり具合。


「雪の峠」のテーマというか、お話の中核は「佐竹家の築城」です。合戦でもなければ、群雄割拠の群像劇でもありません。


皆さんよくご存知の通り、佐竹家は元々常陸(現在の茨城県)を拠点としていた戦国時代の大名であって、関が原で中立、ないしやや西軍寄りの立ち位置をとった結果、紆余曲折の末出羽国(現在の秋田県)に転封されました。

佐竹氏は、「鬼義重」と言われた義重が当時既に当主から退いており、佐竹義宣が後を継いでいました。関が原の戦いでは東軍西軍いずれにつくか、親子間で意見の対立があったとも言われていますが、作中では最終的には西軍寄りの立ち位置を保った形になっており、その結果としての改易に家内でも不満の声が上がっている状態でした。

そんな中、出羽国における佐竹家の居城の場所を定めたいという評議が義宣より持ち上がり、それをきっかけに佐竹家の旧臣と、新勢力となる義宣の部下の間で対立が持ち上がることになります。


城を、どこにするか。


多くの「歴史もの」の創作、しかもテーマを絞った短編としては、かなり地味な部類のテーマであることはお分かり頂けるかと思います。無論徳川家も関わってはきますが、主要な登場人物の9割は佐竹家内部の人々に限られます。話のスコープは極めて限定されているわけです。


地味なテーマ。歴史上そこまで(一般的には)著名でもないエピソード。なら、お話も地味なのか?

というと、それがもうものすっげえ面白いのです。


まず、上で書いた「新当主である義宣とその腹心たち」と「義重時代から家中をしきってきた旧臣たち」それぞれのキャラクターと関わり具合がひっじょーーに面白い。リアリティがあり、どこか無機質でありながら、それぞれ非常に人間くさい、この絶妙な味わいを出せるのは正しく岩明先生ただ一人ではないか、と私はおもいます。


主役格となるのが佐竹家の新当主、佐竹義宣とその腹心、「渋江内膳」。渋江内膳は、渋江政光の通称であって、出羽久保田藩の家老となって藩政の改革を行った、実在の人物です。


こちらが佐竹義宣で、

義宣.png

こちらが渋江内膳。

内膳.png

渋江内膳は勿論優秀な人物であって、作中でも経済の勘所をよくわきまえた能吏として描写されてはいるのですが、一見するとそこまで「切れる」人物には見えない描き方がされています。のんびりした所作で、一面「七夕の国」の主人公南丸洋二のようなおっとりとした雰囲気があります。

新たに家中をまとめる秩序を作ろうと、佐竹義宣と渋江内膳を中心とした何人かのグループは、経済的な側面を重視した新たな府を、出羽は窪田に築こうとします。


一方、いわゆる「武断派で、頭の堅い旧臣」の代表格として描かれているのが、川井伊勢守。

伊勢.png

川井伊勢守以外にも、旧臣派閥として描写されるキャラクターは何人かいます。彼らは、関が原の戦いにおいても東軍につくことを主張した人たち。当然、義宣が決めた西軍寄りの態度、およびそれに端を発する改易には不満を持っています。また、長年の戦国時代の考えが抜けず、経済的な考え方はよくわからない。更に、渋江内膳を始めとした新参者が、自分たちより中核に近い位置で藩政に関わっているのがとてもとても気にいらない。


そして、客分家臣という立ち位置故か、川井たちとは若干距離を置いているようにも見えますが、義宣・内膳のグループには対立することになる梶原美濃守。

梶原.png


かつて足利義氏に仕えていた関係で、作中の時代では既に故人となっている上杉謙信とも面識があるという設定になっています。上杉謙信のエピソードをしょっちゅう旧臣たちにねだられて、ちょっと辟易しているのが上の画像。めっちゃイケメンおじいちゃんです。

彼は築城や軍略に明るく、川井ら旧臣たちに担がれて、渋江内膳の提案に対する反対案を提出し、内膳や義宣に対する旧臣たちの発言力を確保しようとすることになります。

お話は、主にこの梶原美濃守と、渋江内膳の知恵比べを中心として進むことになります。


この対立関係のリアリティがすごい。


新当主としての地位を固めたい義宣。

義宣を助けつつも、家中になるべく波風を立てたくない内膳。

喧嘩する気満々の川井ら旧臣。

川井らに若干呆れつつも、本気を出して内膳案を潰そうとする梶原美濃守。


その他、一見旧臣の味方をするように見せかけつつも、内心では義宣に助け舟を出そうとする前当主・義重(史実では「鬼」と呼ばれた猛将だったらしいですが、この作品中では優しいおじいちゃんという感じです)や、内膳の応援をしてくれる筆頭家老の和田安房守を含めて、おのおのの感情の動き、行動の仕方が実に味があり、まるで現在の会社組織における人間関係を見ているかのように細やかなのです。


この短編、徹頭徹尾「関が原後」の時代小説でありながら、会議あり書類作成あり飲みニケーションありと、随所随所で現代のサラリーマン生活を思い出させるようなところもあります。新進気鋭のサラリーマン、渋江内膳に明日はあるのか!?


老練な梶原美濃守に追い詰められ、知恵を絞る渋江内膳。彼が打つ秘策とは。


この辺の知恵比べの妙味、また最後にもってくる爽やかなカタルシスには、そんじょそこらの時代漫画では味わえないくらいの清清しさがあります。実話を下敷きにしつつも、きっちり漫画的なカタルシスを読者に提供しつつ漫画的に閉める岩明先生のテクニックは、ほんとーに物凄いと私はおもうわけです。


ちなみに、上の方で「サラリーマン的」と書きましたが、この作品、最後の解決法まである種現実の会社組織で使えそうな「組織論」的な解決法になっています。「そうだよなー。そりゃこの人にそういわれちゃどうしようもないよなー」というような、問答無用の説得力があります。

興味をもたれた方は、是非ご一読を。



・一方、「剣の舞」についても少し。

こちらはこちらで、「雪の峠」よりはだいぶヒロイックな感じですが、疋田文五郎という強力なキャラクターを中心に、見事にまとまったお話になっています。

実在の剣豪をそのまま描くのではなく、まったくの架空キャラクター「ハルナ」を主役に据えている辺りが岩明先生一流のテクニック。実話に即したリアリティという点では「雪の峠」に譲るかも知れませんが、重たさと気楽さ、そしてどこか寂漠とした悲壮感が絶妙にブレンドされている辺り、こちらも十二分に「歴史漫画」としての名作に数えるべき完成度になっているとおもいます。

取りあえずハルナはかわいいとおもいますので、雪の峠に興味を持った方はこちらも是非。


今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 23:50 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月11日

既婚ブロガーは配偶者にブログを開示しておいた方が絶対いいと思います


ひと昔前なら話は別かも知れないですが、今の時代には、近しい身内(特に配偶者)にはブログを開示しておいた方がメリットが大きい、と思うわけです。

私が思う、「配偶者にブログを開示する」ことのメリットは下のような感じです。


1.自分と対等の立場の人として、客観的な視点や助言を提示してもらえる
2.炎上しそうな記事の防波堤になってくれる
3.奥様に読ませられないような記事はそもそもネットに公開するべきではない
4.相互理解の一助、コミュニケーションの素材にもなる
5.ブログ関連で仕事やオフ会などがあった時の話が早い


順番にいきます。


1.自分と対等の立場の人として、客観的な視点や助言を提示してもらえる

以前も何度か書いていますが、「自分の文章を客観的な視点で読む」というのは、プロの作家さんにとってすらひっじょーーーに難しいことです。普通の人にとっては殆ど不可能事であると言って間違いありません。

むかーし、こんなことを書きました。

「自分が読む自分の文章」と、「他人が読む自分の文章」は完全な別物である。
自分が自分で読む程には、自分の文章は面白くないのだ。

面白い、面白くないだけの話ではなく、自分の考えに明確な誤りがあったり、事実誤認がはっきり紛れ込んでいる時ですら、自分ひとりでは気づきにくいのです。プロであれば、編集者さんが仕事としてその辺のチェックを行ってくれるんですが、素人ではなかなかそういう訳にもいかないです。

そんな時、「自分ではない人」が、事前に自分の文章を読んでくれるというのは、非常に非常に大きなことです。

しんざきは、子育てについての文章とか、ちょっと入り組んだ雑文を書く時には、しばしばしんざき奥様に「ねえねえ、時間ある時にちょっとこれ読んでみてくれない?」と聞きます。ありがたいことに、しんざき奥様はブログを書くことに理解をもってくれていますし、不倒城に興味をもってくれてもいます(多分)ので、大抵記事を読んでくれますし、色々と気づいた部分を教えてくれます。そして、そういう「気づいた部分」は、大体の場合私が「気づけなかった」部分でもあります。


ただしレトロゲーム記事だけはほぼ一顧だにしてくれません。レトロゲームブログなのに。なんということでしょう。

あと、しんざき奥様はスポーツにほぼなんの興味もないので、スポーツ系のネタを書いた時にも多分読んでくれないと思います。あんまり書かないですが。



2.炎上しそうな記事の防波堤になってくれる
3.奥様に読ませられないような記事はそもそもネットに公開するべきではない

この二つは関連しています。

今の時代、ブログでひどい内容を書いてしまって、それを責める反応が大量にやってきて大炎上してブログ閉鎖、というケースは枚挙に暇がありません。
炎上狙いでPV稼ぎだー、というアレな人についてはまあどうでもいいですが、一般的な感覚の人にとっては、「ついうっかり変なことを書いて炎上」という事態は防ぎたいところでしょう。

特にアクセスが欲しいブロガーは、ついつい記事の内容を先鋭化させてしまい勝ちです。それに伴って、一般的な感覚でのファールラインをつい忘れてしまうこともあるかもしれません。

そういう意味で、ブログ炎上を事前に防ぐ、ないし「こんなこと書いていいの?」と一般的な視点で一言聞いてくれる他人の存在というものは、とても大きいのではないかと私は思うのです。


また、内容としても、一番身近な身内に読ませることをためらうような内容は、そもそもたくさんの他人に開示していいような内容ではない、ことが多いと思われます。まあ、人によっては「身近だからこそ開示したくない」話というのもあるのかもしれませんが、どっちにしても夫婦間で隠しごとになるようなことを、不特定多数の他人に大声で発表するのはちょっとどうなのかと思います。

配偶者の存在が安全ブレーキになる、という側面も、おそらくあるのではないかと。

しんざきはしんざき奥様の倫理感やバランス感覚を非常に信頼していますので、万一変な記事を書きそうになったら止めてくれるんじゃないかと思います。まあ、そもそも炎上するような記事を不倒城で書いた記憶がありませんが。

なお、しんざきは割とオープンな性格でして、このブログに書いてあるようなしょーもないことは普段の生活でもくっちゃべっていますので、特に隠すメリットはありません。



4.相互理解の一助、コミュニケーションの素材にもなる

以前も書きましたが、結婚生活に限らず、身近な人とうまく過ごす為の必須要件は「関心量の調節」だと思います。

手前味噌ですが、ちょっと引用してみます。


お互いへの関心のバランスが悪いと、コミュニケーションのバランスが崩れる。一方は反応欲求を満たすことが出来ず、一方は発信欲求を満たすことが出来ず、不満はどんどん蓄積されていく。

相手が関心をもっていることへの関心が薄いと、無理解のペースが速まる。相手が何を楽しんでいるか分からないから、楽しい時間を共有出来ない。相手が何に苦労をしているかが分からないから、相手のペース配分に納得することも出来ないし、相手の疲れに共感することも出来ない。仕事にかまけている旦那の家庭が上手くいかないのは、その多くが「関心の配分」の調整ミスに由来している。

勿論普段の会話もそうなんですが、「自分がなんについて、どんな関心を持っているか」ということを伝えるために、ブログというツールはまさにうってつけです。なにせ、「自分が興味をもっているものについて書く」のがブログなのですから、これ以上のツールはありません。


自分が興味をもっていること、それについて語っていることを開示する。それについて会話する、対話する。そういったことが、日常生活においてコミュニケーションを深める、重要な一助になることは間違いありません。


5.ブログ関連で仕事やオフ会などがあった時の話が早い


話が早い気がするんですが、しんざきについていえばブログ関連で仕事をすることもオフ会に出ることも滅多にないのであまりメリットではありません。誰かお声がけください。



というような感じで、奥様や旦那様にブログを共有することは、非常にメリットだらけだと思うのです。

「客観的に読んでくれる、対等の立場の人がいる」というだけでも大きなアドバンテージだと思いますので、既婚ブロガーで配偶者にブログを内緒にしている方は、是非ご検討を。


ちなみにしんざきは、時にはかなりアホな内容の記事(こういうのとか)も書いており、それもしんざき奥様の目には留まっていると思うのですが、そっとスルーしてくれています。奥様優しい。


今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 23:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする