2016年08月31日

「報酬が出れば、お金目当ての人が来るかもしれない」という一言に見る「無償の熱意信仰」について

Twitterで、いのちの電話についてのこんな話を拝見しました。

元ツイートは、こちらの方のツイートですね。すいません、ツイート引用したら引用記事の画像表示がめちゃくちゃ大きくなってしまったんで、リンクでご勘弁を。いのちの電話の人手不足の話題の他、確かに記事中に「報酬が出れば、お金目当ての人が来るかもしれないと質の低下を懸念」という文言が確認できます。

はやい話、元記事は「お金目当ての人」を単純に落として、「お金目当てではない人」を無条件に持ち上げている文章のように見えます。

いのちの電話は、ボランティアであるどころか、相談員になる為に有料の講義を受ける必要がありますね。受講料は4万5000円かかるようです。人の生き死ににかかわる仕事ですから、きちんとしたスキルが必要なのはわかるんですが、決して安い値段ではないですよね。

下記は相談員の募集ページ。


これ、ある程度一般化しちゃっていいと思うんですけど、「報酬目当てではない、自発的なやる気、熱意」みたいなものを、なぜか無条件に「報酬目当てのやる気、熱意」よりも高く評価しちゃう意識、って結構あちこちで見られるような気がするんですよ。報酬が出ないというのにやりたいというのは、これはよほど熱意があるに違いない!という感じの意識ですかね。

「お金目当てではなく、お金抜きででもやりたいという人の方が誠実であり、熱意があり、信頼できる」という信仰。「無償の熱意信仰」とでも言うべきでしょうか。


確かに、「無償でも奉仕する」という熱意、ないし自己犠牲精神は尊いものだ、とは思います。そこを否定するつもりはありません。それに、もちろん「いのちの電話」について言えば、そもそもお金が入ってくるような事業ではないので、現実問題無償の相談員に頼る他ない、という事情は多分あるんでしょうけど。


それでも、「報酬が出れば、お金目当ての人が来るかもしれない」というテキストについては、私はちょっと疑問を感じます。そもそも、「お金目当て」というのはそんなに忌避されるべきものなのか?という話ですよね。


これについては、ご存知の方も多いと思うんですが、漫画「らーめん才遊記」において、芹沢先生が非常に印象的なセリフをおっしゃっています。

芹沢.png

面白いですよね。らーめん才遊記。いや、漫画としては私「らーめん発見伝」の方が好きなんですが、芹沢達也先生のファンブックとしては才遊記の方が優れているかもしれません。本筋ではないんでここでは詳しく書きませんが。

金の介在しない仕事が一概に無責任になるかどうかはともかくとして、「お金が介在してこそ責任が発生する」ということについては、私は芹沢先生のセリフを全面的に支持します。「お金をもらうからにはきっちりやらなきゃな」というのは、私だってそう思いますもん。

そこから考えると、「お金目当ての人」を「仕事を頼む対象」として忌避するのは、それはちょっと妥当ではないですよね。少なくとも、仕事を頼む側としては、「無償で頼む」という以上「無償で頼めること」以上を期待してはいけないと思うんですよ。

もっと言ってしまうと、「なんでそこまで「ボランティア」ってことを神聖視するのかなあ?」と。

少なくとも「不況が長引くにつれて、ボランティアをやめて仕事を始める人が出るなど徐々に減少し」なんてことはお金を出していない以上当たり前のことですし、そんなわかりきったことを前に「人手不足」なんていってるのはちょっと思考回路が春模様過ぎるんじゃないかと考えざるを得ません。「無償で時間を割いてくれる」人は、「無償で時間を割くことが出来る」人がいなくなれば当然存在しなくなります。当たり前です。


繰り返しになりますが、「ボランティア(=無償労働)」自体を否定するつもりはないんですよ。無償で人の為に働いている人たちはえらいなーと思いますし、現実問題そういったボランティアの人々の働きによって支えられているインフラだってある訳ですしね。いのちの電話だって、相談員にお金を払うようなスキームではおそらくやっていけないんでしょう。


ただ、「お金目当ての人が来るかも」という言葉で、無条件に「無償の労働」の方を持ち上げるのは、それはちょっと違うんじゃないかなあ、と。仕事に対して責任を感じる感じないという話でいえば、そりゃ「お金目当ての人」の方がきちんと責任を感じやすいのが当然なんじゃないかなあ、と。そして、本当に人手が必要なのであれば、ちゃんとスキームを考えてでも有償労働の方にシフトするのが本来あるべき姿なんじゃないかなあ、と。


そんな風に思った次第なのです。
posted by しんざき at 12:55 | Comment(8) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月30日

「キューピー人形」についての妙な記憶のお話


わたし、あんまり「苦手な物」ってない方だと思ってるんですけど、一つ妙な物が苦手なんですよ。

それはキューピー人形。昔この記事でもちらっと書いたんですけど。



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posted by しんざき at 09:32 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月29日

漫画版「ドラえもん のび太の宇宙開拓史」の終盤の展開が完璧過ぎる

長男はドラえもん好きでして、ここ最近の「映画 大長編ドラえもん」はだいたい欠かさず観ています。なんだか次の作品は南極が舞台のようで、狂気山脈のような展開を個人的には期待してるんですが、恐らくショゴスとかは出てこないと思います。

私もかつてドラえもんを摂取して育った者の一人ではあるわけなのですが、実はアニメ版や映画版は当時あんまり観ておらず、私が触れていたのはもっぱら漫画版でした。そして、「大長編ドラえもん」もほぼコミックスで読んでおりました。

で、私が好きな原作「大長編ドラえもん」の順位は以下の通りとなります。

1.のび太の大魔境
2.のび太の宇宙開拓史
3.宇宙小戦争
4.海底鬼岩城
5.日本誕生

初期の作品ばっかりなのは仕様です。

で、以前新旧魔界大冒険の比較をしてみたりもしたんですが、個人的には新版よりも旧版の描写の方が好きであることが多く、特に『宇宙開拓史』についてはギラーミンの描写の問題があり、強く旧原作漫画版押しです。

旧原作のギラーミン先生超かっこいいですよね。「わたしはどんな強い相手もおそれない。同時に、弱い相手も見くびらない主義です」とか、見た目でなめられ勝ちなのび太の銃の腕前をひと目で見抜くところとか、大物っぷりが凄まじいと思います。大長編の敵方の中でも1,2を争う好きなキャラクターです。

で、私が宇宙開拓使と海底鬼岩城を推していると知った長男が、「昔の宇宙開拓史や海底鬼岩城を読みたい」というので、最近原作版「宇宙開拓史」を見つけて買ってきました。

で、改めて読みなおしまして、特に終盤の展開があまりにも完璧過ぎて思わず笑っちゃうくらい感動したので、ちょっと感動ポイントを書いてみます。

当然ネタバレが含まれるので、未読の方はご注意ください。というか、原作買って読むことをお勧めします。超面白いです、原作宇宙開拓史。





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posted by しんざき at 23:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月27日

civ6が出るまでに現在のゲームの状況を落ち着かせないと俺は確実に死ぬ

なにこれホントなんなの?って思うくらい、今年面白いゲームが出まくっている上に前からやっているゲームも面白くて、ぼちぼち四身の拳くらい鼻歌歌いながら使えるようにならないと、命の危険がデンジャラスでリスキーで危ないです。どうすればいいのでしょうか。

今主にやっているゲーム一覧。


○ダライアスバーストCS


凄まじいボリューム。CSモードが未だに全く終わる気配を見せません。いや、なにぶん進捗がだいぶ遅いもので、今どれくらい進んでいるのかよくわかっていません。半分くらい進んだんでしょうか?

ようやくクジラと戦えるようになってきたのでもっとガシガシやりこみたいんですが、ギガンティックバイトさんは未だに全く安定しません。


○カルドセプトリボルト


ひゃっはあああああパウダーイーターブックだーーーー!!!
→バーニングヘイル

なにあれ何でみんな複数瞬間スペルなんて積んでるの?風水がなんか悪いことした?

という感じでコンセプトブックっぽいものもようやくぽつぽつ組めるようになってきましたがまだカードは全くそろってません。
やっぱあれだなー、結局とがったブックよりも安定したブックを希求した方が勝率が安定するのは当たり前のことかなー。悩み中です。


○世界樹の迷宮5


すいません結局買ってしまいました。まだ1層の3階です。
やっぱアレですね、マッピングを3DSにちょこちょこ書き込んでると「俺今マッピングしてる」系のよくわからない部分が刺激されて超熱いですよね。
ただ今回、職業選択の幅が4以上に広がってるので、パーティ編成は迷いまくってます。
今のところ、前衛はドラグーン・セスタス・マスラオ、後衛はウォーロック、ハーバリストの、わりとスタンダードなパーティでやってます。ただせスタスとフェンサーについてはまだ迷い中。しょうがないんで両方育てたりしてます。

まあ、3以降、わりと「パーティ限定でないと倒せないボス」が少なくなっているように思うので、まあある程度基本を押さえていたらだいたいどんなパーティでもクリアはできるようになってるだろうと期待。

関係ないけど格闘家が「セスタス」って拳闘暗黒伝セスタスですよね?


○シャドウバース

ゆるゆると継続しております。しばらくアリーナやってたんですが、今はまたミッション消化しつつちょこちょこランクもやる、という感じ。

一応A3まではいったので、AAまではまあ頑張って目指してみようかなあと思う次第。


○civ4

一度天帝はクリアしたとはいえ、実際にはまだ不死すら安定していないので、今は不死で無法カノンを練習していたりします。
いやーやっぱ無法カノン面白いですね。私の腕だと金融志向じゃないと結構厳しいけど。


○風来のシレン4


主に浜辺の魔洞に入り浸っています。ギャザーの仕様考えたやつおなか壊せ。


○ポケモンGO

一応長男と二人でちょくちょくポケモン捕まえにいったりはしてまして、現在トレーナーレベルは21で捕まえたポケモンは99種です。
たまに目黒川沿いでミニリュウ探してたりします。現在最強のポケモンはCP1751のギャラドス。10キロ卵からカイロスとイワークしか出ない不具合修正してください。

技厳選?そのうちわざマシンが出るんじゃないの?


○イーアルカンフー


飛び蹴りハメが安定すればだいたいエンドレスプレイできるんですけど、キリがないので最近は2周クリアしたらやめちゃうことが多いです。だいたい週一ペース。

私たぶん日本でももっとも長くファミコン版イーアルカンフーをプレイし続けている人間の一人じゃないかと思うんですけど、同好の士とあまりお会いしたことがありません。ファミコン版イーアルカンフー面白いですよ。意外と対応力とか必要で。



ということで、現時点でもすでにプレイ時間は全く足りておらず各ゲームの展開が破たんしているというのに、ここにciv6が入ったら私は確実に死ぬのでどうしようかというところです。本当に自分が4人欲しい。


あ、あと19XXの家庭用移植もよろしくお願い申し上げます。
posted by しんざき at 06:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月25日

「俺の嫌いなものが褒められているのが許せない病」の人が面倒くさい

ゲームキャストさんで、こんな記事を読みました。


おっしゃっていることは首肯することしきりで、

 「あのゲーム、好きなのに人気がない!」というあなた。
「自分の好きなゲームは儲からずに消えていく」というあなた。
嘆いている暇はない。全員揃って好きなゲームのレビューを投稿したり、Twitterで面白さを語るべきだ。島本和彦先生の「シン・ゴジラ」ばりにポジティブに面白さを語れば、あなたの言葉はゲームにとってプラスになる。
大事なことだよなあ、と思うわけです。

以前から何回か書いているんですが、何かのことを「好きだ!」と表明するのって、リスクばっかり大きくって、その割に自分に対するリターンは少なくって、だからこそ大事なことだと思うんですよね。

作者さんのところに声が届くっていうのもそうですし、どこかの誰かが、それを見て「自分の好きなもの」に興味をもってくれるだけでも、それって素晴らしいことだと思うんですよ。

で、だからこそ、私は「好き」を表明するハードルなんて、低ければ低い程いいとも思っているんですが。

残念ながら、世の中には「自分が嫌いなものを、他人がほめていることが許せない」という人たちが結構いるようで。

冒頭、ゲームキャストさんのコメントを見てちょっと「うーん」と思ってしまったんですが、

さっそく悪意を増幅するような書き込みをして本当に申し訳ないのですが、さすがに書き込まずにはいられないので。

いったい、ゲーキャスさんは、いつから、Cygamesの宣伝屋に成り下がったんですか?

グラブルのことなんてなかったかのようにCygamesのゲームをひたすら持ち上げるゲーキャスさんがもう信じられないというか、スマホゲーム界の良心がまた一つ失われた気分というか、なんと言っていいのか・・・もう、もう・・・・

とか、
どんなゲームにも熱をもって接するユーザーはいるものです。

人の居ないゲームで熱を持った少数ユーザーの個々のツイート内容を出して「このゲームは熱い」なんて仰っていると、メディアとしての信頼を失いますよ。

とか。

ただたんに「このゲームが面白い!」と言っているだけの記事に、なんでこんな言葉を吹き付ける人がいるんだろうなあ、と。大変に面倒くさい人たちだなあ、と。他人の「面白い!」を、一体どういう根拠で否定しようとしているんでしょうか、と。

まあ、読んでいるとCygames憎しの人で、Cygamesが運営しているというだけでそのゲームを敵視している人のように見えますけれど、「自分が嫌いなものが褒められている」ことくらいスルーしてあげられないのかなあ、と。


「自分が嫌いなもの」を自分で批判するのは全然問題ないと思うんですよ。それは尊重されるべき一つの意見です。

「自分が好きなものを批判されている」ことに憤ることも、それもまあ、程度にもよりますがある程度仕方ないとは思うんです。

ただ、企業ですらない一サイト運営者が、自分が嫌いなものについて「これが好き」と言っているからって、大目にみてあげられないもんなんでしょうか。それくらいの余裕ももてないもんなんでしょうか。

「これが嫌い」というなら、それこそ自分で「これが嫌いだ!!」とブログでもなんでも書けばいいと思うんですよ。別に、他の人の「好きだ!」にわざわざ水をぶっかける必要はない。


こういう人たちが、何かを「好きだ!」ということに対するコストを上げて、Webから「○○が好きだ!」というテキストを減らしているんじゃないか、とすら思います。それ、結果的には誰も幸せにならないと思うんですよ。

うちみたいな辺境ブログですら、ベタ褒めエントリー書くと大体20に1か2くらいは「俺が嫌いなものを褒めるな」っていうベクトルの非難が来ますからね。よくよく見逃せないんだなあと。


不倒城は、そういう「俺の嫌いなものが褒められているのが許せない病」の人にも負けずに、これからも褒めたくなったものをベタ褒めし続けたいなあ、と思います。そして、そういう人が増えていってくれればなあ、と思う次第です。

「好きだ!」ということのハードルが、可能な限り低くなることを。そして、Webが「○○が好きだ!」というテキストを気楽に放流出来る場所になることを、願ってやみません。

今日書きたいことはそれくらいです。
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posted by しんざき at 23:31 | Comment(23) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月24日

3DSと交通ICの連携で、ふとセンチメンタルグラフティを思い出した


むかーし昔ですね、サターンとプレステで「センチメンタルグラフティ」というゲームがありまして、「2」がいきなり「1」の主人公の葬式から始まるっていう衝撃の展開でファンを(あまり良くない意味で)驚愕させたタイトルなんですけれど、1では「全国12都市を回って12人のヒロインと会い、自分への手紙の送り主を探す」っていう設定だったんですよ。皆さん覚えてらっしゃるでしょうか。オープニングのアニメも独特な感じで味がありましたよね。


で、上記の「交通ICカードとゲームとの連携」という話を聞いて、まず最初に「センチメンタルグラフティ」を思い出しました。


この仕組みって、ああいう設定のゲームとすごーーく相性がいいだろうなーと思いまして。流石に日本全国までいくと何人か死人が出そうなので、例えば最初に自分が居住している都道府県や地域を選択して、その中でヒロインの居住駅が指定される、みたいな感じで。で、ヒロインがいる駅で実際に改札したらイベントが発生、とか。

ポケモンGOのような位置ゲーと違うところは、「改札や乗り換えを含め、鉄道インフラとの直接的な連携が可能→より「旅」という形式を強調したゲーム作りがしやすい」ということかなーと思いまして、何線を使ってどういう経由をしたかによってイベント分岐、とかあると面白そうですよね。

欠点は位置ゲーと同様地域差。有人駅の数がどうしても限定される地域とか、その辺はどうしようかなって感じですかね。

まあ、ケータイ国取り合戦みたいな「駅を回る」っていうシステム自体は今までもあったとはいえ、これもまた新しいゲーム作りが出来そうなARだなーと。18年の時を超え、センチメンタルグラフティ復活!(ただし1の主人公は列車事故で死亡)みたいなことになったら面白いなーと思ったので書いてみました。


今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 15:26 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月22日

スマホでこのブログ見る時の変な広告消したい

スマホで不倒城見ると、なんか画面スクロールするのに追随して変な広告が出まして、例えばページ内リンクとか選択する時に誤タッチしてしまうんですが、これブログ側の設定とかでなんとかならないんでしょうか。。。

どうも設定とか探して広告全部オフにしてみても消えない。seesaaにブログサービスをやめられてしまうと大変困るので、「お金払えば消せる」とかだったら払うんですが。

どなたかご存知ないですか。アレ消す方法。ご存知だったら教えてください。
posted by しんざき at 09:54 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月21日

「貧乳好き」における二つの派閥と、それに関する考察


今から始める話は、女性の胸囲に関するものすっっっごく下らない話でして、読めば読んだだけ皆さんの時間を無駄にすること請け合いです。無駄な時間の在庫がかなりあって困っている、という方以外はブラウザの×ボタンを押してください。多分右上の方にあると思います。




大変遺憾ながら、世の中には「女性の胸囲について特定の嗜好をもっている男性」という人種がいまして、早い話いわゆる巨乳好きと貧乳好きというふたつの派閥があります。


観測範囲の問題なのかも知れませんが、私が知るかぎり「巨乳好き」派閥はかなりの一枚岩に見えます。彼らは、細かい好みの差こそあれ、大筋では「女性の大きな胸は素敵ですね」という確固たる統一された価値観でまとまっており、そこに大きな分裂は見受けられません。


ところが一方、私が知るかぎり、貧乳派閥には大きく分かたれた二つの派閥があります。


つまり、「ピュア貧乳好き」と「貧乳コンプレックス好き」です。


以下、統計的な要素はぶったぎって話を進めます。


前者は、純粋に「小さな胸」ないし「小さめな胸」が好き、という派閥です。外観、美観を含め、比較的純粋に胸それ自体を追い求めているように見受けられる為、彼らには「ピュア」の称号が冠せられています(民明書房調べ)


一方、後者は「小さな胸に対して何らかのコンプレックスをもっている女性の姿」ないしそのコンプレックス自体を愛好している、という、冷静に考えるとかなり変化球な嗜好です。彼らは、女性の小さな胸それ自体というよりは、「自分の胸の小ささを気にしている女性」に対してより強く傾倒します。「自分の胸を大きくしようとして頑張っている女性」などは、彼らの嗜好の対象として非常に一般的なものです。


勿論、二つの派閥の間に完全に互換性がないわけではなく、「前者寄り」「後者寄り」「ピュアとコンプレックス好きの真ん中くらい」という層もそれぞれ存在はするのですが、この「貧乳コンプレックス」というものが、貧乳好き派閥の中でかなり大きな要素になっていることは間違いありません(私調べ)。



「巨乳に対してコンプレックスを持っている女性」に対する愛好というのは、勿論あるのですが、そこまで多く観測できるわけではありません。少なくとも、「巨乳コンプレックス」が巨乳好き陣営の中でそこまで大きな存在になっているようには見受けられません。細かな好みのうちの一系統、という風に見えます。


つまり、「コンプレックス」が大きな要素を担っているかどうか、という点で、巨乳好きと貧乳好きは非対称なのです。


これは何故なのか。


私が考える理由は、「存在と非存在の差」です。


つまり、「巨乳好き」陣営には、「大きな胸」という具体的な実体をもった嗜好の対象がある。なので、その実体自体が嗜好の中核となり得るし、実際にそうなっている。


が、「貧乳好き」陣営は、要するに「ない」ことが嗜好の中核です。「ない」ものは、その実体が嗜好の中核になりにくい。

なので、「ない」上で、その実体を確たるものとして認識している層と、認識出来ない層、ないし認識が曖昧な層がある。そして、認識出来ない層は、ある程度精神的なものにその嗜好の中核を求めざるを得ない。

なので、「貧乳を気にしている」「貧乳を恥ずかしがっている」という、あたかも精神的な特徴のような要素を嗜好の中核にしている人が存在しているのではないか、と私は考えるわけです。


要は、「貧乳」という言葉を、純粋に「胸の形状」として捉える層と、「精神的な特徴」として捉える層がいるのではないか、というのが私の自説なのです。


「巨乳好き」と「貧乳好き」は、全く同じ系統のプラスとマイナスのようにくくられがちではありますが、本来全然別の軸をもった別の好みであって、単純に比較出来るようなものではないのです。単純に比較するのであれば、「巨乳好き」と「ピュア貧乳好き」を比較しないといけない。

そこが混同され勝ちな状況は、実は結構大きな問題なのではないか、と思い今回ペンをとった次第です。皆さまのお考えはいかがでしょうか。



全っっっっ然余談なんですが、エロマンガなのかエロ小説なのか、出展がどこなのか知りませんが、「小さな胸の方が感度が良い」とかいう俗説なのか都市伝説なのか、意外とそういう信仰を持っている男性がいるように思います。あれ、なんかそういう根拠とかってあるんでしょうか。以前知人と、「単なる都市伝説だ」「いや、何らかの統計があるに違いない」「そもそも感度とは何か」といった気持ち悪い激論になったことがあるんですが。どなたか、ご存知でしたら教えてください。



ということで長々と下らない話を書いて参りました。言いたいことはだいたい言ったので、ここでは単に、このブログをしんざき奥様も観測しているという事実のみ記して結句としたいと思います。

今日書きたいことはこれくらい。

posted by しんざき at 23:34 | Comment(9) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月20日

レトロゲーム万里を往く その132 幽☆遊☆白書 (SFC版)


「キャラクターものをどうゲーム化するか」って、ファミコン時代の黎明期から、ずっとゲームメーカーの主要なテーマの一つであり続けていたと思うんですよ。


ファミコンにおける「キャラクターものゲーム」の歴史をちらっと振り返ってみましょう。

まず、キャラクターもののゲーム化における、もっともシンプルな回答は「何も考えずにアクションゲームにしてしまう」というものでした。

ファミコンにおけるキャラゲーメーカーの雄といえばバンダイとハドソンかと思いますが、特にファミコン初期、バンダイは幾つもの「キャラクターものアクションゲーム」を出しています。


たとえばキン肉マンマッスルタッグマッチ。

たとえば オバケのQ太郎 ワンワンパニック。

たとえば ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境。

たとえばドラゴンボール神龍の謎。


勿論、バンダイ以外にもアクションキャラゲーは山ほどあります。ハドソンの「ドラえもん」「忍者ハットリくん」、ジャレコの「うる星やつら ラムのウェディングベル」、コナミの「火の鳥」東映の「北斗の拳」あたりは代表的なところでしょう。

ファミコン初期はまだゲーム化の引き出しが少なかったとはいえ、「取り敢えずアクションゲーム」というのが、キャラゲー化の一つの定番だったことは間違いないでしょう。名作もあれば、「うーん?」というゲームもありましたが、何はともあれ「漫画やアニメのキャラクターが動かせる」というのが、ファミコン小僧にとって一つの喜びだったことは間違いがありません。

ただ、「原作あんまりアクションと関係ないのにアクションゲームにしてしまっている」という例もままありまして(オバQもその口だったと思います)、その極端な例が東宝による「タッチ」のゲーム化だったと思います。まさか「野球ラブコメ漫画」が「ボールを投げまくって敵を倒す」ゲームに変貌するというのは、当時想像の範囲外の出来事でした。いやホント、あのゲームなんで野球ゲームじゃなかったんでしょうか。ファミスタの丸パクリの方がまだ原作ファンは納得したと思うんですが。


もうちょっと時代を下ってみると、「ビジュアルを活かしてアドベンチャーゲームにする」というソリューションが出てきます。これは、アクションゲームよりもだいぶ「ビジュアル的な原作再現度」を上げることが出来るという点もあり、ファミコン中盤から終盤にかけて名作も生まれました。

たとえば「めぞん一刻」。たとえば「ビー・バップ・ハイスクール」。たとえば「孔雀王」。たとえば「おそ松くん バック・トゥ・ザ・ミーの出っ歯の巻」。たとえば「かってにシロクマ」。

ただ、アドベンチャーゲームの欠点は「シナリオとテキスト次第では簡単にゲームがぶっ壊れる」というものでして、「AKIRA」や「美味しんぼ」などはだいぶ賛否が別れる内容になっていました。私も正直「美味しんぼ」のアレはどうかと思います。


ジャンルとしてはアクションとアドベンチャーの比率が高いと思いますが、他のジャンルを選んだキャラゲーも色々あります。

STGというジャンルを選んだ「機動戦士Ζガンダム・ホットスクランブル」「超時空要塞マクロス」「ガルフォース」、RPGというジャンルを選んだ「ドラえもん ギガゾンビの逆襲」「悪魔くん」「天地を喰らう」、他にはSLGやボードゲーム(おぼっちゃまくんとか)なんてのもありました。あるキャラクターものを、「そう来るか」でゲーム化するのは、一つのアイディア勝負でもあります。


そんな中、サッカーゲームをコマンドRPGに近いビジュアルゲームにした、「キャプテン翼」と「キャプテン翼2」が一つの『キャラクターものの到達点』だったことは間違いありません。

レトロゲーム万里を往く その5 〜キャプテン翼〜

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「漫画的なビジュアルと、サッカーというジャンルを両立させており、ゲームとしてもちゃんと面白い」というのは一つの奇跡だったと思います。このゲームを作れたというその一点だけで、テクモというメーカーの物凄さが分かります。


で。


めちゃくちゃ前置きが長くなりましたが、スーファミにおける「幽☆遊☆白書」も、私にとっては一つの「そう来るか!!」のゲームだったわけです。


幽☆遊☆白書。ジャンルは「ビジュアルバトル」。1993年12月22日、SFCでナムコから発売。

その最大の特徴は、「アクション性を大部分オミットして、完全ビジュアル重視の対戦ゲーにした」というところでしょう。

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これが、「幽☆遊☆白書」の対戦画面です。
御覧いただける通り、ビジュアルはSFCゲーの中でも相当頑張っていた部類だったと思います。しかも結構動くんですよ、これ。

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プレイヤーは、十字キーとX/B/Y/Aのボタンの組み合わせで、そのターンの行動を選びます。選べる行動には「攻撃」「防御」「技」「霊撃(いわゆる必殺技)」の大きく4種類がありまして、更に使うボタンとキャラクターによって、ビジュアルと技は枝分かれします。

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で、技の相性や使ったタイミングによって、当たる、かする、よける、技が成功する、失敗するなど、様々な結果が出ます。これによって、最終的に相手の体力を削りきったら勝ち、というわけです。

技を使うタイミングや、相手の技との駆け引き要素などは勿論ありますが、アクション性は殆どありません。「ビジュアルバトル」の名の通り、そのゲーム内容はどこまでも「ビジュアル重視」でした。

幽☆遊☆白書は格闘マンガです。そして、当時まだ、メガドライブの名作「幽☆遊☆白書 魔強統一戦」は発売されていませんでした(あっちは1994年です)。当時が、1991年のストIIを端緒とする格ゲーブームまっさかりであることを考えれば、「幽☆遊☆白書」のゲーム化をするとき、普通に考えれば「じゃあ格ゲーにしよっか」というのが自然な流れであるように思います。

しかし、ナムコはその道を選びませんでした。ナムコは、独自の「ビジュアルバトル」というシステムを開発し、それに幽白を乗っける方を選びました。

これは私の推測なんですが、恐らくナムコは、「格ゲーファンじゃなくて、漫画の幽白ファンが一番喜ぶゲームはどんなのかな?」というところから始めたのではないか、と思います。そして、原作の格闘要素を削ることなく、幽白独特のキャラクター、独特のビジュアルが最も映えるゲームシステムを選んだ。


ここには、「キャプテン翼」でテクモが起こしたイノベーションと通じるものがあるんじゃないか、と私は思うのです。


ゲームとしては、格ゲーはかなり忙しいシステムですし、プレイヤーを選ぶ側面も正直あります。特に、当時幽白のファンに多かった女性読者の中には、格ゲーブームと無縁に過ごしていた層もかなり多かったでしょう。

それに対して、「シンプルな操作でビジュアルが楽しめる」というシステムを用意することによって、「ゲーム慣れしていないファンでも、十分にビジュアルが楽しめる」というゲームを作り上げる。これも「キャプテン翼」と同じく、ナムコの一つの大英断だったと思うわけです。


後にトレジャーが送り出した「幽☆遊☆白書 魔強統一戦」は、今でも愛好する人がいる程の、「深く、どこまでも遊べる」格ゲーに仕上がっていました。一方、SFCの「幽☆遊☆白書」は、「誰でも遊べて、ビジュアルが楽しめて、しかもちゃんと面白い」ゲームに仕上がっていました。

二つの、全く違った「幽☆遊☆白書」。これもまた、「キャラクターもののゲーム化」における好対照、歴史に残る分岐だと私は思います。




もうちょっとSFC版「幽☆遊☆白書」の話をしますと。なによりもそのキャラクターの選択にセンスを感じます。

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メインキャラクターの5人は当然として、プレイアブルキャラクターの中には六遊会チームの是流だの、魔性使いチームの吏将だの、「そいつが来るか」というキャラクターもかなり含まれています。是流なんて、原作中での戦闘シーンはめっちゃ短かったですけれど、ちゃんと技作りこまれてますよ。すばらしい。

そして、なんといってもキラリと光る「美しい魔闘家・鈴木」の存在。彼の美しい技の数々も、流石に限定されてはいますがきちんと再現されまくっており、開発者の愛を感じること大なわけです。鈴木いいですよね。このゲームではめっちゃ性能低いですけど。

キャラクターごとの性能差は結構極端でして、飛影なんて黒龍波は強力なんですけど他の技が軒並み近接なんで飛ばれると全部スカされたり、相手の行動をキャンセルする技がやたら強かったりと、対人のバランスには正直少々難がありました。あと100%戸愚呂めっちゃ強い。


このゲームの続編では「幽☆遊☆白書 特別篇」も発売されており、ストーリーモードがなくなった代わり、キャラクターバランスの改善、魔界の扉編キャラの追加などが行われています。ドクター神谷とか、刃霧要とかめっちゃいい味出してます。あと、若幻海がそのまんま使えたりします。


私の疑問は正直たったひとつで、「このゲームのシステムってキャラクターものゲーム化するのにはすごい適してると思うのに、なんでフォロワーがほぼいないんだろう?」という点です。なんでしょうね?ゲームとしても結構面白かったと思うんですが…。


と、長々書いて参りました。

結論として、

・キャプテン翼と「幽☆遊☆白書」はキャラクターものをゲーム化する際の革命児
・「幽☆遊☆白書」面白かったですよね
・ただ「剣よ伸びろ!」が強かったためにプレイヤーキャラでは桑原がやたら強かった印象
・魔強統一戦もすげー面白いですよ!!
・全然関係ないけど若幻海かわいいですよね

という5点だけを申し添えて、本エントリーの結びとさせていただこうと思います。


今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 09:00 | Comment(7) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月19日

NHKが貧困報道でねつ造をした、という件がちょっとよくわからない

(追記しました。忙しい方は最後の部分だけお読みください)

ちょっとよくわからなかったので。


「NHKが貧困の実態についての報道をして、その中で出てきた女子高生が、実際には貧困生活とはとても思えない生活についてのツイートをしていた」

その為、NHKの報道は「やらせ」ないし「ねつ造だ」、という話のようです。まとめサイト界隈でがーーっと吹き上がっており、Twitterにもそれが波及しております。まとめサイトにアクセスがいくのもなんなのでリンクは貼りませんが。

ちょっと追っかけてみたところ、元の報道はこれのようです。


当たり前のことですが、NHKの報道が「ねつ造」だというなら、この中に嘘、存在しない話が含まれていなくてはいけません。
この、今まとめサイトなどで対象として挙げられている女子高生についての記述を参照してみると、

希望する専門学校への進学を諦めた高校3年生のうららさんは「みんなが当たり前に持っているものが自分の家にはない。みんなが普通にできることが、自分の家ではとても困難。自分は貧困なのかもしれないと思った」と話しました。

うららさんは、小学5年生のときに両親が離婚し、現在は一緒に暮らす母親が働きながら家計を支えていますが、経済的に厳しい状況です。自宅のアパートには冷房はなく、夏の時期はタオルに包んだ保冷剤を首に巻き、暑さをしのぐ毎日です。自分の家が経済的に厳しいことについて実感させられたのは、中学時代の授業だったといいます。パソコンを持っていなかったうららさんは、授業で先生に「ダブルクリックして」とか「画面をスクロールさせて」などと言われても、ついていくことができませんでした。母親からは千円ほどのキーボードだけを買ってもらい、一生懸命練習したことは忘れることができない出来事でした。

進路を選ぶ3年生の夏を迎えたうららさん。絵が好きで、アニメのキャラクターデザインの仕事に就きたいと、専門学校への進学を希望していましたが、入学金の50万円を工面することが難しく、進学は諦めました。

この辺りの記述がそれに該当しそうです。

それに対して、まとめサイトなどを参照していると、

・部屋に豊富な画材や調度などがある
・2万円程度の高価なイラスト画材を保有している
・1000円以上のランチを頻繁に食べている
・7,800円のEXILEなどの舞台鑑賞(S席) をしている
・ワンピースグッズなどについての散財について記載している

といったことが、「ねつ造報道である」ということの根拠とされている、ように見受けられます。


うん。よくわからん。


少なくとも、ここまでで提示している情報からでは、私には「NHKの報道はねつ造である」という判断をすることが出来ません。

皆さんよくご存知の通り、貧困には「絶対的貧困」と「相対的貧困」の二種類があります。絶対的貧困とは、「必要最低限の生活水準を維持するための食糧・生活必需品を購入できる所得・消費水準に達していない」こと。

一方、OECDが定義している「相対的貧困率」は、「等価可処分所得の中央値の半分の金額未満の所得しかない人口が全人口に占める比率」のことを指しています。


で、これもみなさんよくご存知だと思うんですが、相対的貧困の家庭が、「目先の散財」をしてしまうことは全く珍しいことではありません。むしろ、収入的に長期的な展望が持てないからこそ、目先の短期的な散財をしてしまい、それが余計相対的な貧困の度合に拍車をかけてしまう、というのは実によくある話です。(エンゲル係数の高さが貧困と相関がある、なんて話はよく出てきます) で、これが嘘かどうかは、可処分所得が分からないと判明しません。

そこから考えると、今出てきている情報だけで、「この女子高生は貧困じゃない!!」→「ねつ造だ!!」という論理展開は、ちょっと私には意味が分からないです。


いや、分かんないですよ。実際に、この女子高生の方は上記の「相対的貧困」に当てはまっておらず、定義的な意味でも「貧困」とは言えないのかもしれません。上で紹介されているような、「夏の時期はタオルに包んだ保冷剤を首に巻き」というような記載が偽りなのかもしれません。その場合はNHK報道を「ねつ造」と呼ぶことに問題はありませんし、実際にこの後そういう事実が判明するかもしれませんし、そういう謝罪が出るかもしれません。その可能性を否定はしないです。(率直にいって、エピソードなどについて若干おおげさに報道している可能性は割と高い、とは思っています。それをねつ造と呼ぶかは別問題ですが)

ただ、それと、現時点でNHKをねつ造呼ばわりして、女子高生をたたくのが適当なのかどうか、というのは全く別の問題です。


私が言いたいことは、

・今出ている表面上の情報だけで「こんなの貧困じゃない!」「NHKねつ造!!!」とかって騒ぐのはなんか違うんじゃねえ?

ということ、それだけです。


上記の「相対的貧困」の定義がある以上、「こんな色々買ってるヤツを貧困とはいわねえ!!」と騒ぐことには、1ミリグラムの意味もありません。ある貧困な人が、他の貧困な人の足を引っ張ることほど非生産的なこともありません。絶対的貧困以外を貧困と認めないのであれば、それこそ貧困に対する対処なんてできないですよ。4畳半で、調度もなにもないような家庭しか貧困と認めないんですか?って話です。

そして、「ねつ造をしているメジャー放送局」という藁人形が怒りの対象としてあまりに魅力的であるが故にこそ、ちょっとの情報だけでがーーっとみんな盛り上がってしまう。ちょうどいい「怒りの対象」に石をぶつけまくってしまう。まさに、私が何回か書いている、「分かりやすい悪役」案件です。


私が言いたいのは、単にみなさんちょっと落ち着きませんか?っていう、それだけです。脊髄反社でがーーっと吹き上がっていたら、喜ぶのはまとめサイトばっかりですよ。


取り急ぎ、今日書きたいことはそれくらいです。


(追記:2016/08/19 21:58)
なんか面白いことになっていたので、たまには追記してみます。

上記文章を読んで頂ければわかりますが、私が言ってることはおおまかに三点でして、

1.散財しているからといって即「貧困でない」ということは出来ない
2.それも含めて、「現段階で見えている情報だけでは」「NHKの報道は捏造である」ということは出来ない
3.みんなすぐ吹き上がらないで落ち着きましょうよ

だけです。他のことは上のエントリーでは言っていないというか、例えば相対的貧困がどうとかは上の補足です。NHKの報道姿勢の話なんてしてませんし、この報道が妥当なのかどうかの話もしてませんし、件の女子高生のお金の使い方の是非についてなんて全く言ってませんのでご承知おきください。


で、いつもお手紙食べる黒ヤギさんなのも申し訳ないので、面白いブコメを拾ってお返事しようと思います。

id:Midasさん
間違ってる。もしも相対的貧困の方がブログ主のいう通り深刻な問題(世に問うべき)なら「2000円のランチおいしいですぅ」とだけ言ってればいい(わざわざ「キーボードしか買えなくて…(涙」みたいな話をする必要ない)から
「相対的貧困の方が深刻な問題(世に問うべき)」と書いた記憶がないんですが、上記文章のどの辺がそう読めたのか、後学の為に教えていただけないでしょうか。


id:fusanosuke_nさん
恐ろしいほどの浪費癖のせいで結果的に進学出来なくなっているのは確かに問題。浪費を止めれば入学金50万は出せたはず。でもこれを「貧困」と括るのはどうなんでしょうね。

id:b_taroさん 理屈としては理解できるが、浪費しまくって金がないから貧困、と言われても納得しかねる

「貧困」は単に定義の問題なので、浪費癖がどうとかは貧困かどうかとは関係ないと思いますよ。「浪費を止めれば○○」というのは確かに議論する価値がありますが、ここで書いていることとは別の問題です。


あと、twitterとか見てると、「チケットやワンピース我慢すればパソコンくらい買えた筈!」「だからねつ造!」とかいうすごい謎理論の人がいらっしゃるようですが、ちょっと思いつきませんでした。ユーモアのセンスが素晴らしいですね。元の文章はお読みだったんでしょうか。


そんな感じで。

posted by しんざき at 17:37 | Comment(483) | TrackBack(1) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

単なるパズル問題に「これが解けたらIQ○○以上」とか言って流すの正直やめて欲しい


「こういう面白い問題があるよ!」じゃ目を引きにくいからって、「IQ○○以上」とかいう無根拠なラベルつけるの、IQに対する誤解に拍車をかけそうなので正直やめて欲しいです。


と、言いたいことはタイトルと上の一行で完結してしまったんですが、一応若干補足してみます。


こういうこというと、「あんなの本気にしてるやつなんかいるの?」とか、「いいじゃん単なるお遊びなんだから」とか擁護する人、大体いるんですが、「本気にしてる人」は必ず一定数以上いるんですって。問題としては、(無根拠なものに一見科学的なラベリングをしているという意味で)血液型による性格診断とか、ニセ科学みたいなものに近いです。変な差別感情を生んでしまいかねないところとか、本来科学的に信頼できるものの信頼度を巻き添えで落としてしまったり、といったところも同じです。


今更いちいち説明するまでもないことかもしれませんが、一応念のため、念のために書いておきますと、


・IQにはいくつかの種類・いくつかの計測方法がありますが、いずれも複数の(一般的にはかなり大量の)質問に答えて統計的に結果を導くもので、「これが解けたらIQいくつ」とか言えるものではありません
・必然的に、「IQ○○の問題」「IQ××以上の問題」とかいうものもこの世に存在しません
・「IQを計測する」という場合には、「それがどんな種類のIQで」「どの計測方法を用いるのか」が必ず明確に存在する筈です(明示されているかはともかく)
・そういう基準がないものは単なるおまじない、ないし占いです


「何当たり前のこと書いてんだ」と思われるかもしれませんが、「当たり前のこと」が案外「当たり前のこと」として認識されていないことを、我々は何度も眼前に見ています。


元より、「IQ」とか「知能指数」というのは、扱っている領域が領域であることもあり、色々と誤解・混同されがちです。

たとえば、一番大きな括りでも、IQには「生活年齢に対して精神年齢がどれだけ成長しているか」を基準としたもの(いわゆる従来のIQ)と、「同じ年代の集団の中でどの程度知能が発達しているか」を基準としたもの(DIQ)の二種類があります。で、それに対して、例えばビネー式とかウェクスラー式とか、ウェクスラー式の中にも更に何種類もあったりとか、いろんな計測方法、統計基準があるわけです。細かく知りたい人は後で挙げる参考書籍でも読んでみてください。

IQが高いからといって無条件に勉強が出来るわけではありませんし、IQと相関がある分野もない分野もあります。なにせ「頭の良さ」「知性」という、ただでさえ曖昧な領域の話なので、IQの意味や概念というのは非常にデリケートなのです。


そんなところに、PVやRT数稼ぎなんて目的で、変なものを叩き込んで欲しくないなあ、と。



別に「こういう面白い問題があるよ!解いてみて!」でいいじゃん、と思う訳です。「これ解けた人すげえ!」だけで十分じゃん、と思う訳です。

それだけだとなかなかRTしてもらえなかったりブクマがもらえなかったりするからといって、「IQ」というれっきとした科学的な指数、しかも色々と誤解されがちな指数を客引きに利用するのはやめて欲しい、と思う訳です。それだけです。


単にパズル問題を楽しんでいるだけの人には申し訳ないですが、こういう指摘は継続的にした方がいいと思ったので書いてみました。いや、問題としては面白いんですけどね。ホントに。


ちなみに、もし知能指数や知能検査についてある程度まとまった情報が欲しいという方がいたら、個人的には下記の書籍をお勧めします。


新しい知能観に立った―知能検査基本ハンドブック -




特に、知能検査の毀誉褒貶や様々な問題点にまで触れた、辰野先生の「知能検査基本ハンドブック」は良書だと思います。上記で触れた、知能指数に関する様々な誤解についても触れられています。

滝沢先生の「発達心理学からみたIQ」は、元々教育心理学寄りの方ですので、教育心理学に興味がある方には面白いと思います。


今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 10:55 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月17日

【ブログ読書感想文】「プラネテス」のロックスミスさんをテーマに、「責任の取り方」について考えてみる。

プラネテスのお話です。既出話かもしれませんが、まあwebに既出はつきものなので勘弁してやってください。

この記事のお品書きは下記のような感じになります。


1.「プラネテス」の紹介とロックスミスさんの登場
2.ロックスミスさんの特殊性
3.ロックスミスさんの「責任」とは何だったのか
4.ロックスミスさんとクヌート王子の比較論



順番にいきましょう。当然ながらネタバレが含まれますので、未読の方はご注意ください。えらい長文なのでお暇な時にでもどうぞ。

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posted by しんざき at 00:13 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月15日

失礼な質問は失礼な質問であって、取材だからといってそれは免罪されない


何点か気になることがあったので、釣られてみます。



指摘したいことを箇条書きでまとめてしまうと、下記のような感じになります。

・「「なれ合い」の関係ではない」というのは、「失礼なだけの質問(というか揶揄)をしても許される」という意味ではない
・裏にどんな意図があり、結果があったとしても、失礼な質問は失礼な質問であってそれが免罪されたりはしないし、失礼さを指摘されるのは当然である
・マスコミが他者に対して失礼な言葉を投げかけても許されるべきである、といいたいのであれば、マスコミも他者からの失礼な言葉を許容すべきであり、それを許容しないのはダブルスタンダードである
・選手間の人間関係を切り出したいのであれば、他に適切な質問がいくらでもある
・そもそも質問自体が単なる揶揄であり、それほど優れた質問だとは思われない
・選手に失礼な質問を投げかけることで、取材嫌い・マスコミ嫌いの選手を増やし、今後の取材に支障を来す可能性を無視している
・タイトルが意味不明。なにとなにが「完全に逆」なのか本文中に記載がない


大体これくらいのことを考えました。


まず第一に、「失礼な言葉を投げかけて、それに対する反応を引き出す」ということが、非常にメディア側に偏った論理でして。「取材だから」という理由が、「人間と人間の対話における倫理」というものに優先されるとしたら、それはおかしいと思うんですよね。取材の為なら失礼なこと言っていいの?「いい」というのだとしたら、それは誰が決めたの?という話でして。


それに加えて、単純に技術的な話にしても、「マスコミの取材嫌いの人がますます増える」ことによるデメリット、リスクは考えないのかなーと、その点は単純に不思議です。

先日も、吉田沙保里選手が今後の取材に際し報酬を要求する方針、みたいなニュースが出て、これもメディア側の理屈で偉い不評寄りに書かれていましたけれど、いい悪いの話ではなく、今後もこういう話ってどんどん増えると思うんですよ。かつて、広く情報発信するルートが極めて限られていた時代であればともかく、現状「影響力」っていうものはどんどん多様化する方向に動いているわけで、その分「取材によって得られるメリット」というのは相対的に縮小していきます。それに対して、「取材によって発生するデメリット・リスク」というものがどんどん大きくなっていけば、取材を忌避する向きってますます増えていって、色々やりにくくなっていくんじゃないかなーと思うんですが。


別に法律で禁止されているわけでもありませんから、「失礼な質問をしてはならない」とまでは別に思いませんが、「失礼さは失礼さで、批判されるのは当然だし、それによって嫌われるリスクってのも勿論承知してるんですよね?」っていう話ではあります。

あと、

皆さんは「マスゴミが!」と口汚く罵りますが、どこの国の記者の質問かは分かりませんが、彼の質問によって

・内村選手は反論の機会を得て
・2位・3位の選手がどれだけ内村航平という選手をリスペクトしていて
・彼らの受け答えから、彼ら3人の競技以外の側面・人間関係まで垣間見えた

気はしませんか?

これ、内村選手は反論というか単に言下に否定しただけだし、オレグ選手がその場で明確に反論してくれたのは単にそれが「分かってない」質問だったからであって、質問自体が「良い質問」だったとは全く思わないんですが。「こいつ、分かってねーな」と思われる質問が「良い質問」とはとても言えない、ということは一般的な認識ですよね?

体操の採点基準って、例えば「芸術点」みたいな外から見て分かりにくい基準ではなく、「難度」と「実施」の二つに分かれて、極めて明確に採点基準が設けられているので、実際に「審判の好き嫌い」が割り込む余地って正直あまりないんですよね(全くないとまでは言いませんが) 。

参考までに、国際体操連盟発表の採点規則がまとまったページを貼っておきますので、興味がある方は見てみてください。


こういうことを理解した上で、更に例えばボーダーライン上の採点についての細かい突っ込みとかが出来るのであれば、それは「良い質問」「鋭い質問」と言ってもいいかもしれませんが、単に「審判の好き嫌い」くらいにしか言及できないのであれば、それは程度が低いだけの揶揄です。


あと、枝葉の突っ込みなんですが、

「海外メディアが内村選手に「失礼な質問」をしたって?いや、それは完全に逆です。」

「何」と「何」が完全に逆なのか、私の読解力ではいまいち読解できなかったんですが、本文中に記載ってあったでしょうか。読み落としていたんだったら申し訳ないですが。


まあ、気になったことはそれくらいです。

posted by しんざき at 16:13 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今までInstagramに挙げた唐揚げ画像をただ淡々と貼り付ける




本日の唐揚げです。ご確認ください
2016/08/14 @順順餃子房 秋葉原本店



本日の唐揚げです。ご確認ください
2016/07/17 @がブリチキン高田馬場

本日の唐揚げです。ご確認ください
2016/07/02 @水道橋王将

本日の唐揚げです。ご確認ください
2016/06/12 @さくら水産 川口東口店

本日の関東ゲー音部唐揚げです。ご確認ください。
2016/05/22 @磯丸水産 高田馬場店


本日の唐揚げです。ご確認ください




唐揚げおいしーします
2016/01/17 @学芸大学 とき家


ゲー音部打ち上げ!!
2015/07/19 @場所不明



唐揚げに貴賎なし。
posted by しんざき at 10:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月11日

鳥越氏のインタビューが面白かったので突っ込みどころを挙げてみる


とても面白かったです。


大変味わい深い発言が満載で、極めてエンターテイメント性に満ちているので、是非リンク先で全文を読まれることをお勧めしたいのですが、個人的に特に味わい深いなーと思った点を幾つかピックアップしてみたいと思います。

ペンの力って今、ダメじゃん。全然ダメじゃん。力ないじゃん。だって安倍政権の跋扈を許しているのはペンとテレビでしょ。メディアが肝心のところを国民にちゃんと訴えないから、こうなるんでしょ。僕はペンの力なんか全然信用していません。

しょっぱなからマスメディアの影響力全否定です。仮にペンとテレビの力が全然信用出来なかったとして、この人は20数年毎日新聞に努め、その後サンデー毎日編集長→テレビ朝日の報道番組の司会に就任というルートをとられているので、どうひいき目に見てもその力を失わせてしまった側に立っていると思うんですが、その点は特に責任を感じておられないようです。

――週刊誌報道の影響は?

大きかったでしょうね。女性票と浮動票が小池さんに流れたということは。検証のしようがないですが、可能性はある。それは認めます。
ペンの力ダメなんちゃうかったんかい。しょっぱなマスメディアの力を全否定したその直後、それとほぼ180度違う発言をする辺りは、非常に高度な言葉の連続技という印象です。ストゼロ3で言うところの芸術的なオリジナルコンボと言うべきでしょうか。是非芸術点をつけるべきだと思います。

――あの報道への対応についても批判がありました。

あれしかないですよ。「やってない」ということを証明することは、できないんですよ。「悪魔の証明」と言われていて、痴漢冤罪の例もそうですけれども、痴漢してないということをどうやって証明するかというと、できない。

週刊誌2誌に書かれたといっても、情報源は一緒ですよね。はっきり言って、それがそのまま、なんの裏付けも証拠もなく、「この人がこう言っている」というだけで載っちゃうのね。

でもこっちは、それに打ち勝つ方法が何もない。そういうジレンマというか、本当にもどかしい思いがありましたけれども、説明してどうなるものではない。あとはきっちり、裁判でけりをつけるしかないと覚悟を決めました。その結果、選挙戦にどういう影響があるか、周りは色々考えてくださっていましたけれど、僕はそれで行くしかないと思っていたんです。

さてここで、「日本の人事部」の鳥越氏インタビューを参照してみましょう。2005年のものです。


―― 三菱自動車のリコール隠しのケースでは、真実を公表することなくごまかしを重ねて、結局、元社長らが起訴されるという最悪の事態になってしまいました。

ああいうのを見ていると、「本当のことを言わないとダメだ」ということがわかると思うんですけどね。不祥事が起きたら、すぐに外部の目も入れて徹底検証す る。それから、その結果を洗いざらい公表して、二度と同じような不祥事を起こさないための防止策も社会に明らかにする。そして経営トップは責任をちゃんと 負う。この3つが日本の企業はなかなかできないけれど、最終的には真実に正直に、事実に忠実に行動するほうが信頼を勝ちうるんですよ。

最終的には真実に正直に、事実に忠実に行動するほうが信頼を勝ちうるそうです。素晴らしいですね。実際の鳥越氏の行動と若干異なるような気がしないでもないですが、10年の間にお考えが変わられたんでしょうか。

鳥越氏自身、宇野宗佑首相の愛人問題追及で名を上げられた方ですので、女性問題の追及については歯がゆい思いをされた部分もあるのではないかと思うのですが、ご自分が追及された際にはそれは発揮されなかったようです。

おそらくこれは僕の推測ですよ、わかりませんけれど、宇都宮さんは、最終的にはそれを、口実に使ったんですよ。要するに、宇都宮さんはこれまで共産党が自分を支持していた。にもかかわらず、今度は共産党が(宇都宮さんの擁立から)手を引いたわけじゃないですか。共産党に対する「裏切られた」というのが、ものすごく強かったんですよ。宇都宮さんは。

宇都宮氏が指摘した「女性の人権問題」には一切触れずに「口実」呼ばわり。物凄い喧嘩の売り具合に感動を禁じえません。こちらのインタビュー記事とかは、鳥越氏は読まれたんでしょうか。宇都宮氏の言動、少なくとも首尾一貫はされてると思うんですが。

これを観ても、「宇都宮氏の指摘なんて大して重要な話ではない、単なる口実」という程度に、女性の人権問題というのを軽視しておられるように見受けられるのですが、邪推でしょうか。

――他の候補者から「逃げた」と批判材料にされました。

それは僕ではなくて、選対の判断だから。「次これに出てください」という指示があって、それに従って出ていただけ。断ったことは一度もないですよ。
――ということは、テレビ東京の池上彰さんの開票特番に出なかったこともご存知なかった?

知りませんよ。僕のところに提案はない。池上さんの話って何? 選対の部分でカットしているから、なぜか僕は全く知らない。

鳥越氏は、例えば政治家の収賄問題などにおいて、秘書に責任をなすりつけるのを批判する側ではありませんでしたっけ…多分こういうぶん投げを、追及する対象の政治家がされていたら袋叩きになっていたと思うんですが。


ネットは出ていないね。ニコ生とかは「出なきゃいけないメディア」と考えるかどうか。それは判断の分かれるところ。僕はニコ生は基本的にメディアとして認めていない、悪いけど。あんな文字がどんどん画面に出てくるようなところに出たくないですよ。あんなのおかしいじゃないですか。

文字がどんどん画面に出てくるようなのはおかしいそうです。どこがどうおかしいのかはよくわかりませんが、報道バラエティのテロップくらいなら大丈夫なんでしょうか?


――選挙後にご自身のサイトから都知事選の記述を消されていますね?

それは知らない。僕は全くノータッチだから。なくなったの?知らない。見たこともないし。あなたたち(ハフポスト日本版)には悪いんだけれど、ネットにそんなに信頼を置いていない。しょせん裏社会だと思っている。メールは見ますけれど、いろんなネットは見ません。

既にテンプレとしても時代を過ぎた感がありますが、ネットメディア全否定です。一応この方、私の記憶が間違っていなければオーマイニュースの初代編集長で、「ちゃんと言うべきことを言うという文化を日本にも定着させたい」という抱負も述べられていたと思うんですが、その辺は鳥越氏の中でどんな風に整合されているんでしょうか…。オーマイニュースの時点では裏社会ではなかったんですかね?


と、ちょっと短期間に味わい深いテキストが十連コンボかっていくらい詰め込まれ過ぎていて、私の抽出能力がオーバーフローしてしまいました。なかなか、ここまで味わいぶかいセンテンスをわずか1ページの中に織り込むのは生半可な技術ではありません。この素晴らしい芸術性、皆さまにも私の感動が伝わるでしょうか?

多分他にも色々と突っ込みどころはあるとは思うんですが、ここではこれくらいにしておきたいと思います。

鳥越さんの今後のご活躍を深く祈念する次第です。 


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 18:37 | Comment(31) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月10日

長男と映画版「ルドルフとイッパイアッテナ」を観てきた話と感想

面白かったです。





長男9歳は、去年くらいに初めて読んだ「ルドルフとイッパイアッテナ」が大のお気に入りでして、「ルドルフといくねこくるねこ」「ルドルフとスノーホワイト」など続刊も含めて、寝る前に何度も読み返すくらいの愛読書になっております。

その為、春先に「ルドルフとイッパイアッテナ」が映画化されると聞いた時は舞い上がってしまいまして、「パパ絶対観に行こうね!!」と約束させられて、先日めでたく観て参りました。世間ではシン・ゴジラが話題の中、猫たちが戯れる映画に突入してきたわけです。

結論を先に書いてしまいますと、映画は非常によく出来ていたと思いますし、展開も原作に忠実で、原作ファンも、原作未読の方、単純に猫好きな方も楽しめる丁寧な作品だったと感じました。

元々「ルドルフとイッパイアッテナ」自体がいうに及ばぬ名作でして、それほど大きく手を加えなくても、十分素晴らしいシナリオになるという事情もあると思うんですよね。

簡単に原作との比較をまとめると、

・大筋の展開は原作に忠実
・ストーリーは、「ルドルフとイッパイアッテナ」の最初から、二作目「ルドルフともだちひとりだち」の最後まで
・原作の中から、「ルドルフの成長・学び」という部分が大きくクローズアップされていた
・原作では割とさらっと流されていた描写の中でも、非常に丁寧に描かれていた部分があった
・半面、「猫たちの日常シーン」的な展開の中には削られてしまった部分もかなりあった
・ルドルフの見た目はほぼイメージ通りだった
・イッパイアッテナはいかにも強そうな風格漂うデザインになっていた
・ブッチーがだいぶエキセントリックな性格になっていた
・三作目の「いくねこくるねこ」で登場するミーシャが序盤から既に登場していた

こんな感じです。

映画にするにあたっては、これはこれで正解だったのではないかと。綺麗にまとまっていたと思います。



ということで、大きなネタバレは避けますが、以下は一応「ルドルフとイッパイアッテナ」「ルドルフともだちひとりだち」のストーリーに触れておりますので、原作未読の方はご注意ください。というか、原作読むべきだと思います。猫もの児童小説の傑作です。






以下は折りたたみます。



続きを読む
posted by しんざき at 12:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月07日

念のため言っておきますが、EM菌はニセ科学で「すら」ありませんからね

例えばこれ、EM菌のご本尊である比嘉照夫氏の、れっきとした記名記事なわけですが。


そのためには何かいいことや、危険から身が守られたり、最悪な状況が、逆に力となって最善の結果が現れた場合、それらはすべてEMのおかげであると考えることがスタートです。すなわちEMは神様だと考えることです。

1.EM製品を身に着けていたので交通事故に遭っても大事に至らなかった。
2.EM生活をしていると大きな地震が来てもコップ一つも倒れなかった。
3.EM生活をしていると電磁波障害が減り、電気料金も安くなり、電機製品の機能が高まり寿命も長くなった。
4.EMを使い続けている農場やゴルフ場の落雷が極端に少なくなった。
5.EM栽培に徹していると自然災害が極端に少なくなった。
6.EM生活を続けていると、いつの間にか健康になり人間関係もよくなった。
7.EMを使い続けている場所は事故が少なく安全である。
8.学校のイジメがなくなり、みんな仲良くなった。
9.動物がすべて仲良くなった。
10.すべてのものに生命の息吹が感じられるようになった。
11.EMで建築した家に住むようになり、EM生活を実行したら病人がいなくなった。
12.年々体の調子がよくなり、頭もよくなった。
13.EMの本や情報を繰り返しチェックし確認する。
14.いろいろな事が起こっても、最終的には望んだ方向や最善の結果となる。

これを読んでも「ん?何か変じゃね?」とか「いやいや、ごめん、何いってんのこの人?」と思わない人は、恐らく日本において多数派ではない、と私は信じたいです。

こんな、「交通事故に遭っても大事に至らない」なんて、交通安全のお守りみたいな話を科学的に証明出来ると考える人が、一体この世のどこにいるんですかって話です。

要するにEM菌って根っこから宗教なんですよ。「疑似科学なのかどうか」議論する意味すらないです。元々世界救世教との関係性を指摘されてはいますが、ご本尊の発言を見ていてもマジモンの宗教。「いいことはEMのおかげにし、悪いことが起こった場合は、EMの極め方が足りなかったという視点を持つようにして」とか本気で言っちゃう人が提唱者ですからね。

それを、なんか実効性もまともな検証もない論文群とか、微生物群がどうとか、ちょっと調べただけだと「肥料かなんかかな?」と思わせる程度にはカバリングして、あちこちに潜り込ませてるのがEM菌のフォロワーの皆さまです。少なくとも、宗教的な意味でEMを信奉していない皆さまには、「EM菌は宗教である」という認識はきちんと持っておいていただきたいです。

特に、小中学校や幼稚園での活動については本当に大きな問題だと思っていて、上記のような認識をもっておらず、なんとなく「有用な菌類なのかな?」という程度に考えている公的機関の関係者の皆さまには、


「今のところ、子どもたちへの害は確認されていない。なぜこのように大騒ぎになっているのか……」

正直武雄市云々はどうでもいいんですが。上記のような宗教的な要素が、れっきとした教育機関に入り込んできた時保護者がどう感じるか、それくらいの視点はもっておいていただきたいです。健康被害がどうとかの問題ではないです。


以下は参考記事。


そうなんですよねー本当に…。


今日書きたいことはそれくらい。




posted by しんざき at 13:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ポケモンGOの今後についての期待と、よくわからないポケモンGOくさし記事についての所感

色々おもしろいなーと思ったので、書いてみます。

  


最初に確認しておきたいのは、「ポケモンGO自体はまだ全然「これから」のコンテンツ」ということです。



非常に強力な集客の仕組みを持っていながら、ポケモンGOはまだそれを殆ど前面に出していません。伝説ポケモンも実装されていません。そんなのは当たり前の話で、リリースされて一月そこそこしか経っておらず、しかもユーザー集めは順調にいっているという段階で、そんな強力なテコ入れをする必要など地球上に存在しないわけです。


一方、ポケモンGOではバグも発見されていますし、これが修正の対象となっていることも既に公表されています。


https://twitter.com/PokemonGoApp/status/761301330967326720?ref_src=twsrc%5Etfw


バグの対策にかぎらず、オンラインゲームというのはアップデートを繰り返して徐々にシステムやコンテンツを整備・拡充していくものですので、これから幾つものアップデートが打たれて、コンテンツの質量ともに充実していくであろうことは既定路線です。伝説ポケモンの実装は何かしらのイベントと一緒にリリースされるでしょうし、恐らく新ポケモンの追加リリースもされるのでしょう。企業や商店とのタイアップのフレームワークが公表されるかも知れませんし、現在ポケストップなどで問題とされていることについて、様々な対策が打たれることも予想出来ます。


個人的には、対人戦の要素、中間ゴールの要素をもっと充実させて欲しいなーとは考えておりまして、野良の対人戦と絡めて「ポケモンバトル」的なものが実現すると面白いだろうなと思っているのですが、まあそんなこと開発チームが考えていないわけがないので、今後に注目したいところです。



最初期にすごい勢いでわーーーっと流行るというのはコンテンツとしての強力さの証明であり、一方飽きるのが早い人がすぐ離れるのはどんな分野でも当たり前のことなので、「飽きた」という声を現段階で拾い集めることに意味は全くありません。母数がこれだけ多ければ、合わない人、飽きる人もそりゃそれなりの数いるでしょ、というだけの話です。


アクティブユーザー数の統計については、こちらがよくまとまっています。


「ポケモンGO」男性のアクティブユーザー数はTwitter超え【ヴァリューズ調査】

http://markezine.jp/article/detail/24902



早い話、「ユーザーをものすごい数抱えていて、かつコンテンツが充実するのはこれから」という状態な訳です。プラットフォームとしての期待値はものすっごい高いと思います。



ただ、web上では「ポケモンGOくさし」がひとつのジャンルとして成立しているようで、まあ私みたいに釣られる人が多いからなんでしょうけれど、あまり出来がよくないくさしも散見されます。


ポケモンGOが広告を使っていないため、広告業界から敵視されている云々、という話も聞きますが、「流行ってるものに取り敢えずケチをつけたい」という程度のものもみられて、そういうのは本当にしょうもないなあというか、何も生み出せない人たちなんだろうなあという感があります。


以下の記事はそんなポケモンGOくさし記事の一つのようですが、ちょっと面白いピントのずれ方をしていたので紹介してみます。


ポケモンGO、地方は「ただただ迷惑」…人増えても「金落とさず」、混乱対策のコスト増

http://netallica.yahoo.co.jp/news/20160806-07046252-bjournala


ポケモンGOは、都心部の公園や緑地、あるいはもともと人が多い都市部に人が集まりやすい仕組みになっているので、「地方の町おこし」というものを期待するようなツールではありません。「東京にはおらず、地方に行かないと捕獲出来ないポケモン」など、少なくとも今の時点では一匹も存在しません。「ポケモンGOプレイヤーが、ポケモンGOのために、都市部からわざわざ地方に足を運ぶ」動機自体が存在しないわけです。


同じ地方内で、普段足を運ばない人がその地方内の商店街などに足を運ぶ効果は期待できるかもしれませんが、例えば「東京から地方へ人が流れる」効果というものは現段階ではありません。鳥取砂丘のポケストップにしたって、主要な対象層は鳥取近隣の人たちでしょう。


そのため、ここでいう「観光客を呼び寄せる効果を期待している観光協会の幹部」などという存在は、そもそも実在を疑われるわけですが、それ以外にもよくわからないところはあります。

トレーナーは現地に足を運んでも、目的はポケモンGOなのですから日帰り客も多い。そうなると、宿泊が伴わないので地元への経済効果は薄い。地元の飲食店やお土産店で消費してくれるかといえば、これも怪しい。そもそも、地方の商店は東京のコンビニエンスストアほど品揃えもよくありませんから、東京から来るトレーナーたちはコンビニでおにぎりやパンを買い込んでから来る人も多いです


上で書いた通り、ここでいう「東京からくるトレーナーたち」というのが一体何のためにこの「地方都市」に来たのかは謎ですが、例えば世田谷公園の自販機が一時的に売り切ればかりになった実例があるように、ポケモンGOプレイヤーが「地元の飲食店やお土産店で消費しない」というのは明らかに疑問です。何かそういう統計でもあるんでしょうか。


千林商店街にはポケストップが11カ所あり、商店街を歩けば自然とモンスターを集めることができる。商店街はここに着目して、商店街の危機を打開するためにキャラクターを呼び寄せるアイテム「ルアーモジュール」を絶え間なく使い、モンスターの出現率をアップさせた。モンスター目当てで、多くの人が訪れるようにする取り組みで集客を図ろうと必死だ。


これについては、30日に行われたイベントをすぐまた6日、7日に再開催しているようですので、おそらくそれ相応の効果があったのだろうと推定されます。これを見ても、ポケモンGOプレイヤーが集まることによる地元の消費効果はそれ相応にあったのでしょう。頭が良い施策だなーと感心するわけですが、


千林商店街でモンスターゲットだぜ大作戦!リターンズ!


これについて、当該記事ではさらに続けて、


同様の試みは、あちこちの観光地で試行されている。昨今、日本の観光業界は外国人観光客にターゲットを絞って集客に力を入れてきたが、早くも爆買いブームは去った。また、外国人観光客を相手にしたくても、外国語が理解できない商店主は多い。高齢の商店主にいたっては、いまだ外国人アレルギーが強く、経済効果があったとしても外国人観光客が増えることにいい顔をしない。

いきなり爆買いの話になるのが文章のつなぎ方的にさっぱり理解できないんですが…ポケモンGOプレイヤーは日本語が通じない人しかいない、とかそういう話なんでしょうか?もしかするとピカチュウ語で話しかけたら返事をしてくれるかもしれません。「ピ」と「カ」と「チュウ」だけで言語を構成してみることをお勧めいたします。


目的がポケモンGOだけでは、観光客は訪れても通り過ぎるだけで滞在してもらえない。滞在してもらえなければ、地元への経済効果は少ない。

いやだから、ポケモンGOが目的であればそもそも都市→地方に人は流れないから、増える顧客は地元繁華街への日帰り顧客だけですってば。。。


どうせ地方とポケモンGOの関連について書くのであれば、例えば希少ポケモンの巣を特定期間地方都市に作ることを提言するとか、そっちの方がまだ面白い議論になるのではないかという気もするんですが、どうなんでしょうか。



この記事だけの話ではないのですが、ポケモンGO批判記事をいろいろとみていると、「根本的にポケモンGOの仕組みを理解しないまま、なんかいい加減な知識とイメージだけで書いている」記事がいくつも発掘できてなかなか面白い感じです。いい加減記事捕獲の方がポケモン捕獲よりうっかりすると面白いんじゃないかと思うくらいです。


皆さまには、「なんとなく流行ってるものにケチをつけるだけ」の記事になど惑わされず、楽しみたいコンテンツを楽しみたいように楽しむことをお勧めいたします。



今日書きたいことはそれくらい。


posted by しんざき at 10:53 | Comment(3) | TrackBack(1) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月05日

不知火舞の胸揺れに感じる問題点と、「揺らすなら隠せ」という提言

以下の文章は、タイトルから想像出来る水準を更に15メートルくらいぶっちぎってくだらない話である為、読めば読んだだけあなたの時間を無駄にすること請け合いである。少しでも自分の時間を大切にする人には、下記の文章を読むことをお勧めしない。


この文章をまとめると

・不知火舞の胸揺れは、「既に露出することで存在を主張している胸が、更に揺れる」ということで、二重の自己主張という非常に「しつこい」ないし「押しつけがましい」胸揺れになってしまっている
・鮮烈な印象はギャップ効果からこそ生み出されるものであり、本来主張されていないものがさり気なく主張される、という形が望ましい
・つまり、「胸揺れ」という表現を使うのであれば、胸それ自体は隠すべきである、と強く主張したい

以上三行になる。読者諸賢にはご了承頂きたい。


まずは、参考資料として下記動画をご覧頂ければと思う。


餓狼伝説2の頃からの不知火舞のグラフィックの進化を記録しているという、人類の歴史上非常に有益な動画であって、製作者の方には敬意を表したい。


上記動画を暫く見て頂けると、当然のことながら不知火舞の胸揺れ表現がどのように変遷してきたか、ということも理解出来るであろう。

餓狼伝説2・ガロスペ時点では、顕著に胸揺れ表現が観測できるのは勝利ポーズ時のみであるところ、KOF'94以降は普段の立ちグラフィックから揺れまくっていることを見てとって頂けるのではないかと思う。全体的に言って、餓狼の本シリーズよりも、KOFやカプエスなどのお祭りゲームの方が、より舞の衣装の露出が上がっているということも同時に確認出来る。


ここで問題としたいのは、特にKOFなどの舞で顕著なのだが、舞の胸揺れ表現が非常に「押しつけがましい」ものになってしまっているのではないか、という問題だ。


そもそも、ゲームやアニメにおける「胸揺れ」表現というものが、キャラクターの動きを胸に仮託することで、胸の存在をより一層強調するものであることは論を俟たないだろう。

自然に胸が動くことによって、視聴者の視線を胸に集める。動きがない状態よりも動きがあった方が注意をひきやすいことは、カエルが餌を捕食する際動いていないものを視認できないという例を挙げるまでもなく、生物の本能としての常識である。

それに対して、ゲームやアニメには、「水着その他の露出度が多い衣装を使ってキャラクターの肌色度数を上げる」という表現も存在する。こちらも同じく、露出度が上がった肌色部分に対して、特に男性読者の視線を集めやすくする効果を持っていることは、今更いちいち議論をする必要もないところであろう。


早い話、描画表現において、「胸を揺らす」という表現と「露出度を上げる」という表現は効果が被っているのである。相乗効果というものの存在を否定はしないが、本来あるべき「ギャップ効果」というものを台無しにしてしまうのではないか、というのが私の持論だ。

舞.png

一目瞭然であるが、不知火舞というキャラクターの衣装の露出度はもとより非常に高い。餓狼2の時点でも大概だったと思うが、KOFなどではその傾向がより一層顕著になっている訳である。

そこに対して、更に「露骨な胸揺れ」という表現手法を追加した結果、我々は、いや少なくとも私は、「ほーら露出度が高い胸が揺れてるぞー。見ちゃうだろー」という、製作者のあけすけな意志を感じてしまうのだ。これが、私が「不知火舞の胸揺れは非常に押しつけがましい」と感じる理由である。


これが例えば、「普段は露出度が低い衣装を着ているキャラクターが、たまの水着姿で揺れる」というのであれば、その表現を受け入れるにやぶさかではない。衣服を着ている状態では胸が大きいことに気付かれていなかった、などという状況であれば更に言うことはない。

が、不知火舞というキャラクターは、単体で既に「格ゲー女性キャラの露出度アップ」の象徴のような高露出度キャラクターである。ゲームをしている限り、彼女は24時間体制で露出度が高い。そこにギャップ効果など生まれようがなく、表現上非常に勿体ないことをしてしまっているのではないか、とすら思えるのだ。(同じことは、例えばデッドオアアライブなどのような3Dゲームにも言える)


私は提言したい。つまり、

「揺らすなら隠せ」

と。

普段露出度が低い、うっかりすると胸の存在を忘れがちな頃に、ふとした胸揺れ表現によって鮮烈に印象づけられる胸の存在。それこそがプレイヤーに対して、強烈なギャップ効果をもたらし得るものになり、その胸揺れ表現の尊さが増すのではないか、と私は考える。

例えば私は、同じSNKキャラで言えば「麻宮アテナ」のグラフィックを非常に高く評価しているのだが、

アテナ.png

こういった露出度が低い、更に言えば胸自体の存在感も控えめであるところに、わずかな胸揺れ表現がつく。そういったところにこそ、人は感動とやすらぎを感じるのではないだろうか?(シリーズの一部タイトルの勝利ポーズでは揺れていた筈である)

普段強調されないものが、ふとした瞬間にクローズアップされる。そういった表現こそ大いに尊ばれるべきである、と、つまり私が言いたいことはそこに尽きるのだ。

ちなみに、アテナのグラフィック自体は、個人的に'95時点のものが至高ではないかと考える。残念ながら、'95ではアテナに胸揺れ表現らしきものはなかった筈である。更に付け加えると、同じくSNKのサムライスピリッツでは、初代サムスピでのみ、ナコルルの時間切れ負けポーズに胸揺れ表現があった筈である。そういった表現については大きく称揚して然るべきであろう。

ちなみに、「実際には胸揺れ表現はなかったんだけど、もしこのキャラにさり気ない胸揺れがあったらすっごい感動したのになあ」というキャラ代表は、天外魔境真伝の絹です。よろしくお願いします。(ここだけ敬体)

ということで長々と書いてきた。結論については既に最初に書いてあるので、ここでは単に、このブログをしんざき奥様も観測しているという事実のみ記して結句としたい。

今日書きたいことはこれくらい。

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posted by しんざき at 19:25 | Comment(20) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月02日

本当に参考にすべき失敗例は、基本的に可視化されない


先に書きたいことをまとめておくと、

・可視化されているのは生き残った人だけ、あるいはまだ失敗していない人だけ
・本当に大きなリスクは言及されないし、それらのリスクに引っかかった人は単に観測できなくなる
・今可視化されている例からだけ判断し、追いかけるのは危険
・何かにチャレンジする時はちゃんと事前に想像力は働かせた方がいい
・あなたにチャレンジを勧める人は、あなたの人生に対してなんの責任も負わない

の5点になります。忙しい人は上記だけ読んでブラウザを閉じてやってください。


今から当たり前のことを書きます。


何かにチャレンジする時には、当然のことながら、リスクとリターンを考えるべきです。最大リスクにはどんなものがあるのか。それに対して得られるリターンは何か。どんなチャレンジをする際も、その辺は最低限考えておいて然るべきです。

なので、本来、「リターンにはどんなものがあるのか」というのと同じくらい、「リスクにはどんなものがあるのか」という情報は大事なわけです。


ただ、別にwebに限らないと思うんですが、何かのチャレンジについて、「本当に参考にすべき失敗例」が可視化される機会は滅多にありません。本当にありません。


可視化されているように見える失敗例は、殆どの場合

・ある程度成功している人、ある程度軌道に乗っている人が、「俺にもあんな苦労があった」的に、自己顕示の一環として開示する失敗例
・集客などのフックの為に用意された、致命的とは言えない失敗例

のどちらか、あるいはその両方です。


本当に致命的な、「最大リスク」に該当するような失敗例を経験してしまった人は、単にいなくなります。正確には、ごく短い期間で観測できなくなります。

凄く期間を置いてから、また観測できるようになる(復活する)ことも稀にはありますが、そんな場合でも、本当に参考になる「失敗事例」を聞くことが出来る機会は稀です。やはり人間、取り返しがつかないような失敗については触れたくないし思い出したくもない、ということなんでしょうか。

一言でいうと、「失敗例は成功例よりもずっと見えにくい」んです。


例えば、webにおいて、何人かの人たちが新しい試みをするとします。ばーーっとその試みのリターンが喧伝されます。とても華やかに見えます。

けれど、その試みにおいて、「本当に失敗してしまった人」は単に「あれ?そういえばあのひと、最近みないね?」という程度にwebから消えてしまうだけなので、一部の華やかそうに見える成功例だけが可視化され続ける、ということになります。


チャレンジをすることは悪いことではありません。ですが、チャレンジをする際、成功例「だけ」を参考にするのはとてつもなく危険です。しかし、世の中「参考にすべき失敗例」はなかなか見えにくいようにできています。

だから、チャレンジをする前に、「そのチャレンジに伴うリスクは何かな?」という点については、きちんと想像力を働かせなくてはいけない、ということになるわけです。



大体想像して頂けると思いますが、私は今、例えば「ノマド・ライフ」であるとか、もうちょっと古くは「1円起業」のような、ちょっと前にいち時期流行って、最近あまり聞かなくなったものを思い浮かべています。

あの頃、盛んにそれらの言葉を喧伝していた人たちは、今ではまた別なものを喧伝し続けています。そして、そういった言葉に乗っかって「別の道へのチャレンジ」をしてきた人たちの中で、まだ観測できる人はほんの一握り、いや一握り以下です。

それらの一握りに入っていない人は、「これこれこういった成功をした」「これこれこういった失敗をした」という形跡すらなく、ただただ見えなくなりました。web上に存在しなくなりました。たまに、「あれ?あのひとそういえば最近観ないな?」と思って検索をすると、更新が途絶えて二年くらい経つブログが観測される、という程度の状況です。殆どホラーです。


そして現在は、そういった手あかがついたバズワードの他に、新しい魅力的な言葉がまた色々と考えだされ、喧伝され始めているように思います。


繰り返しになりますが、チャレンジすることは悪いことではない、と思います。ただ、「成功例だけを判断材料にチャレンジする」ことは、決して賢明なこととは言えません。そして、あなたに数々の成功例を提示する人達は、あなたの人生に対してなんの責任も負いません。


失敗例は極めて観測し辛い、ということだけは念頭に、皆様には「よいチャレンジ」をしていただければと思う次第です。


今日書きたいことはそれくらい。


posted by しんざき at 11:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする