2016年10月31日

完全に行き当たりばったりでciv6プレイレポを書いてみる その5(完)

ということで、前回の続きです。

色々試している内に都市経営のノウハウもある程度分かっては来ました。が、今回は既に軌道修正が出来ないくらい進めてしまいましたので、もうこのまま押し切ってしまおうと思います。幸い技術は「共通規格」も終わり、既に歩兵が出せる状態になっています。落とした都市も含めて歩兵と大砲が量産出来れば、このまま制覇まではいけるでしょう。

ここまででわかったこと。

・今回、陥落させた都市はすぐには自国に引き込めない。和平交渉で譲渡させるか、相手の文明を滅ぼす必要がある(一応生産は出来る)
・陥落させた都市からパルチザンが出てくることもある
・パルチザンはどうも自文明の技術基準で発生するらしく、いきなり大砲とか対戦車兵とか出てくることがあって結構面倒
・けど動きはそんなに活発ではなく、ぼーっとしてることが多いのでまあなんとか対処出来る
・都市攻撃は「大砲で何回か砲撃→歩兵かマスケットで侵攻」の流れで十分落とせる
・維持費が足りなくなったら適当なユニットを解体すれば結構お金が手に入るからそれで持たせる
・都市国家を一番乗り発見出来るとボーナスがもらえておいしい

こんな感じです。

ではサクサクといきましょう。以下折りたたみます。


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posted by しんざき at 23:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | civ6 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【演奏のお知らせ】11/6、池尻大橋でフォルクローレの演奏をします

池尻大橋で演奏しますです。

【日時】
2016年11月6日
13:15 〜 30分程度

【場所】
目黒区東山社会教育館 レクリエーションホール
東急田園都市線 池尻大橋駅下車、東口から徒歩7分

【料金】
入場無料

サンファニート演奏集団「ロス・ガラパゴス」での演奏です。
毎年一回、東山社会教育館では「館祭り」という文化祭みたいなことをしていまして、そこに呼んでいただいて演奏しております。
今回は第30回だとのこと。


こちらのプログラムの「中南米音楽」というのが我々ですね。

フォルクローレに興味おありの方は、是非遊びにきてくださいー。

2016年10月28日

完全に行き当たりばったりでciv6プレイレポを書いてみる その4

ということで続きなわけです。進み方がいまいち遅いのはご勘弁ください。

プレイしていてだんだん気づいてきたんですけど、今回のciv6って「区域ゲー」ですね。
都市の配置、どのタイルにどの区域を置くか、という要素が実は無茶苦茶大きくって、例えばどのタイルをどこに置いたかによって色んな生産ボーナスが発生したり、工業地帯の工場は半径6タイル以内の都市に生産ボーナスをくれたりとか、「タイルと建設物によるシナジー」という要素がものすっごく大きくなってます。

おそらく、その辺よく考えて都市配置・タイル改善したら都市の出力がやたら上がりますし、逆に意識出来てないとあんまり上がらない。civ4の時点でも「都市の配置と特化」というのは重要でしたけど、今回はそれをさらに推し進めてパズル要素まで加えたような感じです。つきつめるとすげー面白そうなんですけれど、今回のプレイでは残念ながら全然意識出来てない。次回以降に生かしたいと思います。

ということで、以下折りたたみ。


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posted by しんざき at 12:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | civ6 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

子どもが自分の好きな本読み始める時って異様にドキドキする

ずっと探していたのになかなか見つからなかった「はてしない物語」のハードカバー版を、最近ようやく見つけました。
ずっとずっと探していた本に、ようやく出会えた喜びよ。
ご存知の方も多いと思うんですが、文庫版と違ってこのハードカバー版、文中の色が現実側の描写とファンタ―ジェン側で違ったりとか、装丁が文中の「はてしない物語」を一緒になっていたりとか、実に実に素晴らしい出来の一冊なんですよね。作中に出てくる「あかがね色の本」がまさにこれなんだ、と、初めて気づいた時は感動しました。

文庫版はもっているんですが、やはりハードカバー版で一冊もっておきたいと思ってあちこちの本屋で探していたんですが、最近ようやく見つけました。「探していた本がそこにある」というその瞬間は、本当になにものにも代えがたいと思います。これだけの為に神保町で本屋めぐりして悔いなしです。

で、「はてしない物語」については、いうに及ばぬ素晴らしい児童小説であって、私個人的には数ある児童小説の中での最高傑作だと思っており、いずれまたゆっくり色々書きたいんですが。

子供が自分の好きな本読み始める時って異様にドキドキしますね

そんな話をしていたら早速長男9歳が読み始めました。彼、「この本パパは大好き」という話をすると、特にお勧めしなくても勝手に読み始めるんですよね。「パパが面白いというからには面白いんだろう」と信頼してくれている感があります。

もちろん本には向き不向きもあれば、まだ難しい難しくないという話もありまして、彼が「ルドルフとイッパイアッテナ」や「十五少年漂流記」を気に入ったのと同じように「はてしない物語」を気に入ってくれるかはわかりません。

ただ、出来れば「はてしない物語」との出会いが、彼にとって素敵な出会いになってくれればいいなあとわたしは思っているわけです。


あーー気に入ってくれるかなあ、とちょっとドキドキしています。気に入ってくれるといいなあ。


今日書きたいことはそれくらい。

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posted by しんざき at 09:10 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月26日

完全に行き当たりばったりでciv6プレイレポを書いてみる その3

引き続きプレイレポをお送りいたします!

ところで、impressのciv6紹介記事を今更読みました。


今回のcivで、今までと何が変わって何が変わっていないのかについては、こちらの記事に全部まとまっているので是非ご参照ください!いや、プレイする前に読めって話ですが。

例によって画像が多いので、以下は折りたたみます。
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posted by しんざき at 06:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | civ6 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月25日

完全に行き当たりばったりでciv6プレイレポを書いてみる その2

前回に引き続き、civ6プレイレポでございます。いやー面白いですciv6。ロード時間がちょっと長いのが気になりますけど。

ちょっと画像が多いんでまた折りたたみます。

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posted by しんざき at 11:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | civ6 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月22日

完全に行き当たりばったりでciv6プレイレポを書いてみる その1

どうもしんざきです。

TLで「危険だ!civ6をやってはいけない!(はまり過ぎるから)」という警告があふれる中、買ってしまいましたciv6。まだ手探り中なんですが超絶楽しいです。なんなんでしょうこの楽しさは。わくわく感すごい。

しんざきはciv4しかプレイ経験がないので、4との違いに割と戸惑いながらですが、ちょっとずつ順応しながら進めようと思っております。
そこで、完全に行き当たりばったり、手探り状態のままでプレイレポを書くという行為に挑戦してみたいと思います。どうなるかわかりませんが皆さんよければおつきあいください。画像重めなんでちょいご注意を。

ルールはただひとつ、「レポの情報確認以外でセーブ & ロードはしない」。というところでよろしくお願いいたします。

画像が多いので、以下、折りたたみます。


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posted by しんざき at 21:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | civ6 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月21日

今日のしんざき 16/10/21

ただの日記です。


〇町田のリス園にいきました

家族5人そろって、町田のリス園にいきました。


ご存知の方も多いと思うんですが、町田は薬師池にある、リスにエサをやりまくれたりウサギやモルモットを抱っこ出来たりふと足元を見るとデカい亀がのそのそ歩いていたりする素敵スポットです。

町田リス園のリス

これくらいのかぶりつきでリスが見れたりします。リスって「きゅっきゅっきゅっ」みたいな感じで鳴くんですよね。意外と騒がしいです。

でかい亀もいた

あと、凄いナチュラルにでかい亀が歩いています。こいつ本当にこの園の住人なのか?実は来場客なんじゃないか?と思うくらい客と距離が近いので、うっかり踏まないよう注意が必要です。

私と奥様は多分これが3回目で、長男も小さいころ一度来てるんですが記憶にはなかったらしく、長男・長女・次女はめっちゃ新鮮そうに楽しんでました。100円でリスの餌が買えまして、それを手袋に載せて差し出しているとリスが勝手に食べにくるという風情。長女次女なんかは「リスしゃんレストランだよー」とか言いながらリスを呼び集めておりました。


町田リス園にきた!!

朝一で行ったんでガンガンリスが寄ってきて、それも楽しかったらしく、特に長女は完全にハマってしまいました。

帰ってきてからも「明日もリスえんいく!!」「明日幼稚園だよ」「幼稚園じゃなくてリスえん通う!」と主張する始末。寝言でも「リスしゃん…」とか呟いていてちょっとほろりと来たんですが、流石に町田は遠くってそこまで頻繁にはいけません…。近所の動物公園で我慢してもらわなくてはいけない。

ちなみに、ある程度時間が経つとリスも満腹になるのか、昼前くらいには明らかに寄ってくるリスの数が減りますので、みなさん行くなら開園直後を狙うことをお勧めいたします。


〇11月19日のゲー音部ライブ、「民族音楽チーム」の紹介ページを書きました

マジいい曲しか演奏しませんので、みなさん是非お立ち寄りください。後悔はさせません。


こちらからチケット予約いただけると幸いです。



〇Civ6を買いました

生活が崩壊しないよう気を付けます。

私civ5やってないので、civ4とだいぶ都市のシステムとか違うようでまだ手探りの状態ですが、取りあえず滅茶苦茶楽しそうです。

労働者が働き終わると消滅するところに無常観しか感じない。大丈夫なんでしょうか。


今日はそれくらいです。

posted by しんざき at 16:30 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月20日

小学校図書室でラノベが禁止された件について、小学校教師に聞いてみた


ちょっと興味が沸いたので、このまとめを知人の小学校教師(30代後半)に読んでもらって、所感を聞いてみました。


当該の教師はゲームはある程度遊ぶ人で、いわゆるサブカルにも多少理解がある人だと思ってください。ただ、ラノベは殆ど読んだことない筈です。

以下はその人の話の内容箇条書き。


・朝読書での禁止が直接の理由みたいだね

・うちの学校は規制とかないけれど、何年か前に「朝読書ではケータイ小説を禁止にすべき」みたいなこと言った先生はいたみたい。その時は、「ケータイ小説は文章が滅茶苦茶で、子どもの文章力発達に悪影響がある」みたいな話だった

・「一部の本だけを例にあげてジャンル全体を禁止にするのはどうなのか」という意見が出て、その後もなんやかんやあったんだけど、結局ケータイ小説ブームがすぐ下火になってあんまり問題にならなくなった

・ただ、学校全体で規制みたいなことはしてないんだけど、先生個別に朝読書の本について指導してることはあると思う。元々漫画はダメだし、高学年だと「絵ばっかりの本はダメ」っていう先生はふつうにいる。図鑑だめとかね。怪傑ゾロリは絵ばっかりだからダメ、みたいな話もあった

・高齢の先生だと、「そもそもラノベって何?」って人の方が多いと思う

・ただ、エロには過敏な人多い。親御さんからクレーム来たりするしね。生徒がスマホでエロ画像かなんか回し見して、なぜか学校に怒鳴り込んできた親御さんとか前いた

・俺ラノベよく知らないけど、表紙で露出度高いのとか、ちょっとエロいのとかたまにあるじゃない、そういうの持ってきてた子がいて、それを見た先生が「ラノベ=エロ小説」みたいな感じでいっしょくたにしちゃって、その本持って職員会議でぶちあげたりしたんじゃないの

・クレーム対策、とかいうと結構話通っちゃうんだよね。「親からクレームが来るかも」って言われると思考停止しちゃう人、ホント多い。そこは問題だと思う

・前のケータイ小説の時は「一部の例でジャンル全体を判断するべきじゃない」っていう人が古株の中にいたから止まったけど、そういう止める人がいなかったり、ぶち上げた先生の発言力が強かったら「学校全体でジャンルまとめて規制」ってことになるかも知れない。そうなったら図書室も、ってことになるよね

・「本なんて読んでる暇あったら勉強」って先生は俺が知ってる限りはいないなあ。忙しくてあんまり本読めない、って人はたくさんいるけど。本大事だよね。


ということでした。ケータイ小説の下りは興味深いですね。私は「ケータイ小説であろうと、子どもが読みたがるなら規制するべきではない」「ただし、他にもいろいろ面白い本はあるよというのは教えてあげたい」というスタンスですが、まあ国語の先生なんかがケータイ小説に拒絶感を持つのは理解できなくもないです。

本好きになるために何より大事なことは、「読みたい」を邪魔されないこと、だと思うんですよね。それがどんな本であれ、そこを入り口に本自体が好きになってくれれば、教育として実に望むべき形なんじゃないのかなーと。

ラノベについても同じく、どんな形であれ子どもが本読む気になるんであれば歓迎すべきだと思うんですけどねー。活字に貴賎なしですよ。流石に年齢制限つきの本だったらどうかって感じですが、そんなあからさまなエロ小説持ってくる子もいないだろうと思うんですが。

ここ最近、またサブカル的なものに対する攻撃が激しくなっているように思うので、そういうものについての対話が出来るといいなーと個人的には思います。

あと、「親からクレーム来るかもって言われると思考停止しちゃう人」っていうフレーズが個人的に印象に残りました。最近、一部の人のクレームでいろんな事態が動くことがしょっちゅう観測出来るなあと思ってまして、そういうの良くないよなーあんまりとは思ってます。クレームによる全体抑圧、みたいな。


ちなみに、私はそもそも「朝読書」という言葉自体が耳慣れなかったんですが、調べてみたら今9割くらいの小中学校がやってるみたいですね。1988年くらいから全国に広がったみたいですが…私が小学生の時はなかった気がするなあ。




今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 18:08 | Comment(4) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月19日

レトロゲーム万里を往く その135 1990年までのファミコンカートリッジ742本の色について本気出して調べてみた

ちょっと前になるんですが、「ファミコンカセットで名作が多い色」みたいな話題を観測したんです。カートリッジの色ですね。

「あー、そういえば赤はキャプテン翼とかあったよなー」とか「ナムコは基本黒ばっかだよなー。たまにメッキあるけど」とか思ったんですが、ちょっとWebを検索してみたところ、カートリッジの色についてちゃんと調査したページは存在しないように見受けられました。


じゃあちょっとやってみるかと思いまして、取り急ぎ1990年までのソフトのカートリッジの色を調べてみました。最終的には、他のカートリッジまで全部調べて、ついでにファミマガのロムカセットカタログの点数を入力して色別の点数傾向を集計、とか考えているんですが、そこまでやってると相当しんどい作業になりそうで、傾向だけ見るなら今の時点でも十分そうだったので一旦ここまでで公開してみます。

調査方法は下記の通り。

・「タイトル名 ファミコン カートリッジ」でGoogle画像検索して、ヒットした画像中のカートリッジの色を記録
・微妙な色や経年劣化したものもあるので、なるべく複数画像から確認
・ゴールドカートリッジなど、通常版とは異なる特殊なカートリッジは考慮しない
・燃えプロ、カプセル戦記などバージョン違いで色違いがあるカートリッジは出現頻度が高い方に寄せる

ヒットしなかったらメーカー名とか一緒にぐぐると結構出てきます。


元のファミコンリストについては、こういったサイト様を参考にさせて頂いております。





なるべく複数ソースから確認するようにしてますが、誤りがあったらすみません。


で、色の区分けの際、例えば「濃緑 - 薄緑 - エメラルドグリーン」とか「オレンジ - 黄色」「濃青-水色」みたいな微妙な区分けが問題になるんですが、大体以下のような方針で寄せてます。

・緑については、「ポパイ」のような真緑のカートリッジがかなり少なく、分けると細分化し過ぎになりそうなので、エメラルドグリーンっぽくても基本「緑」に寄せる
・青については、水色を分けても濃青のタイトルが十分多いので分ける
・他は大体複数画像を検討して「こう見える」という色にカテゴライズする

なにせ若干微妙なラインもある話ですので、一部感覚的な話になってしまうことはご承知おきください。一応、CSVの「備考」のところに、疑問があったタイトルについてはその旨記載してあります。

で、こちらが調査データとなるCSVです。


ちょっとやっつけですが、幾つかグラフっぽいものも作ってみました。

まず、これが各色別の個数集計ですね。

カートリッジの色_集計.png

ヒストグラム.png


想像していたよりも偏りました。黒圧勝。まあ、考えてみると確かに、黒いカートリッジのソフトってたくさんありましたよねー。まずナムコのソフトが殆ど黒だったし。コナミやタイトーだって、カートリッジのイラストはカラフルでしたけど、色自体は殆ど黒でしたよね。確か、ファミコンのカートリッジって一部の生産ラインがまとめて供給していた、というような話も聞いたことがある気がするんですが、その辺の影響もあるんでしょうか。

ナムコやコナミの殆どのシリーズ、ドラクエ、ウィザードリィ、スペースインベーダー、ダウンタウンなどの錚々たるメンバーを考えていくと、「名作の数が最も多い色」というのは多分黒になるのではないかと。あまり評価が高くないソフトもたくさんあるんで、ファミマガレビューの平均点とか考えるとまだどうなるかわかりませんけどね。


黒の他には、白もかなり多いですね。例えばバルーンファイト、例えばハイドライドスペシャル、ファイナルファンタジー1〜3、桃太郎伝説だのわんぱくダック夢冒険だのまじかるキッズどろぴーだの、こちらもかなりの強力メンバーです。黒に対抗できる最右翼といえるのではないでしょうか。

アイレム、サンソフト、ニチブツ、ハドソン辺りは白のカートリッジのソフトをかなり出している印象。アイレムのスペランカー、ジッピーレース、10ヤードファイトあたりの特殊カセットは全部白ですしね。

色合いが微妙なものが多く、細かく分けるとかなりの数になりそうなんですが、青いカートリッジも相当数ありました。初代ベースボールを皮切りに、デビルワールド、エクセリオン、イース、レインボーアイランド辺りは青グループの代表格といっていいでしょう。ミシシッピー殺人事件とか時空の旅人とか、独特なAVGも結構いるんですけど。

ちなみに、ファミコンローンチタイトルのトップバッターであるドンキーコングのカートリッジは赤。「キャプテン翼」や「ロックマン2」、「マザー」辺りが赤チームの代表選手でしょうか。燃えプロは、バージョン違いで赤と黒両方ありましたね。


エメラルドグリーン勢も全部いっしょくたにしてしまった緑はというと、初代のポパイを代表格として、「フィールドコンバット」「半熟英雄」「サラダの国のトマト姫」「ドラえもん ギガゾンビの逆襲」辺りの影に隠れて、「元祖西遊記スーパーモンキー大冒険」がキラリと光ります。まあ、画像検索していただくとわかるんですが、この辺個々のカートリッジの色は相互に随分違うんで、「緑」でくくっていいものかどうか難しいんですが…


他、経年での色合いの問題もあり、黄色と区別がつきにくい画像も多かったんですが、「スーパーマリオ」「スーパーマリオ3」が率いるオレンジの存在感も決して小さくありません。マリオブラザーズもオレンジでして、この辺色のイメージは統一されていたんですかね?「ソロモンの鍵」「クルクルランド」の戦力も文句のないところ。

みんな大好きナムコのメッキカセットシリーズは、便宜上まとめて「金」にカテゴライズしています。「スーパーゼビウス」「ドラゴンバスター」「スターウォーズ」の三作ですね。唯一の「特殊・スケルトン」枠は言うまでもない沙羅曼蛇。


ちなみに、こちらはちょっと主要なメーカーを抽出してみました。

主要なメーカー.png

ナムコ、タイトー、コナミの3大メーカーが黒に偏っているところ、実は任天堂のカートリッジがかなりカラフルなんですよね。これは、もちろん自社でラインを管理できるからということもあるんでしょうが、ソフトごとに色合いでイメージコントロールする、おもちゃ会社ならではの感性とかもあるんでしょうか。ハドソン、カプコン、バンダイ辺りも色がばらけています。

全体として見ると小数派の「紫」なんですが、任天堂は7作も出してるんですね。「テニス」「ワイルドガンマン」「ダックハント」「ホーガンズアレイ」「F1レース」「レッキングクルー」「スパルタンX」などの初期組がそのメンバーです。初期生産のカートリッジの使いまわしでもあったんでしょうか。


さて、長々と書いて参りました。


取り敢えず結論として、

・ファミコンカートリッジの色分けは、黒に相当偏っている。色ごとに戦ったら多分物量で黒が勝ちそう
・が、白も相当強力である
・青カートリッジのネタAVG戦力は侮れない
・灰カートリッジの希望はジーザスと星をみるひと
・ファミマガのレビュー得点集計もやりたいけどデータ入力で死にそう


これくらいの感じになりそうです。よかったですね。

なんにせよ、1990年以降についてもぼちぼち集計していきたいと思いますので気長にお待ちください。

今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 13:22 | Comment(6) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月18日

「きつい言葉やショッキングなワード」で稼げるのは安易な注目だけ


思うところは色々あるんですけれど、一点だけ。

残念ながらインターネットの記事というのは、きつい言葉や、非常にショッキングなワードがないと振り向いてもらえない世界っていう一面があって。

ここはちょっと、違うなーと。全く違うなーと。

「きつい言葉がないと振り向いてもらえない」わけじゃないんですよ。「きつい言葉を使うと安易に注目されやすくなる」というだけなんですよ。きつい言葉を使わないでも、きちんと書き続ければちゃんと見てもらえるんですよ。

言ってしまえば、「きつい言葉やショッキングなワード」に頼ろうとするのは、正攻法では注目を集められないから安易に注目を集めようとする逃げでしかない、とすら言えると私は思います。

昔こんな記事を書きました。



確かに、口汚い言葉というのは目立ちますし、それだけで人が寄ってきます。けれど、それは「単なる注目のドーピング」というだけであって、決して説得力をブーストしたりはしないし、論の正しさを補強したりはしない。むしろ、「ああ、この人は論と関係ないところで何かを貶めようとする人なんだ」という蔑視の対象になるだけです。

「口汚いことで得られる注目」って何の意味もないんですよね。いや、PVだか収益だかには反映するのかどうか知りませんけれど、議論自体については何も寄与しない。何も解決させない。むしろ、本来するべき議論の邪魔になるだけです。今回の件なんか、まさにそうでしたよね。


そんなものが欲しいと私は思わないし、誠実な書き手であればそんなものを望むべきではない、とも私は思います。


「きつい言葉や、非常にショッキングなワードがないと振り向いてもらえない」などといってしまった時点で、この人は言葉の使い手としての信頼性を完全に投げ捨てていると思いました。言葉の使い手なら、「きつい言葉を一切使わないできついことを書く」ことが出来て然るべきですし、そうするべきではないのか、と。


今後も「口汚い言葉」に頼った書き方は極力避けていきたいなーと思った次第です。

posted by しんざき at 23:49 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月17日

長男と読書感想文書き比べ勝負をしました 2016/10/17

「せっかく感想文の書き方パパに教わったんだから他の本でも書いてみたらー?」とママが煽ったらどういうわけかやる気になり、けど一人では書きたくないので「じゃあパパ勝負しよう!」と言われて一週間。長男(9歳)と何故か読書感想文勝負をすることになりました。

で、「日曜までね!」という自分の言葉をきちんと守って、長男もちゃんと書いて来ましたので、本人の希望によって私が書いたものと共々掲載してみます。締め切りをちゃんと守れたのはとても偉いと思います。たくさん褒めておきました。

どっちが書いたものかは皆さんそれぞれ判断してみてください。



個人的には、長男が書いたヤツの方がシンプルかつまとまっていていい様な気がしてきました。あと、ちゃんと「理由はふたつある」と明示して、整理して書いていること、さっぱり締めていることも良いと思います。私が書くとつい長くなってしまっていかん。

今日書きたいことはそれくらいです。



posted by しんざき at 20:33 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ルドルフとスノーホワイトかんそう文

 ぼくが一ばんすきな本は、ルドルフとスノーホワイトです。
 でも、ぼくは、ルドルフシリーズが全部すきです。ぼくがルドルフシリーズがすきな理由は、へいわな中でも、大ぼうけんや、たたかいがあって、おもしろいからです。ぼくが一ばんおもしろいと思ったたたかいは、ルドルフとイッパイアッテナの、デビルとのたたかいです。なぜおもしろいかというと、ルドルフは、すごいことを思いつくからです。そのすごいことは、ルドルフとイッパイアッテナを読むと分かります。
 でもぼくはそれでも、ルドルフとスノーホワイトがすきです。その理由は、二つあります。まずひとつ目は、ブッチーが、ミーシャとけっこんして、そのミーシャが子ねこをうんだことです。でもある日、子ねこのうちの一人のメスねこの、チェリーがゆくえふめいになります。
 二つ目は、ブッチが、子ねこのうちの一人のオスの、ラッキーを、さがしに行って、そのなわばりのねこにおそわれたことです。そのあとルドルフが、そのねこにあやまってもらいに行きます。
 この二つの理由で、ぼくはルドルフとスノーホワイトがすきです。そして、これからもずっと、ルドルフとスノーホワイトを読みたいです。



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この記事は小学三年生が書きました。


(掲載は本人の希望です)
posted by しんざき at 20:15 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ読書感想文:「ルドルフとスノーホワイト」

猫になったこと、ありますか?


絵本。小説。児童書。なんでもいいんですが、真剣になって読ませてくれる本の共通点は「入り込むことで別の世界を見せてくれる、体験させてくれる」ことです。私たちは、真剣に本を読むことで、「ほかの誰かになる」ことが出来ます。


例えば、「十五少年漂流記」を読むことで、私たちは無人島に漂流した少年になって、生き残る為に全力を尽くすことが出来ます。

例えば、「指輪物語」を読むことで、私たちはビルボやサムになって、中つ国で生死を賭けた冒険をすることが出来ます。

例えば、「ウは宇宙船のウ」を読むことで、私たちは宇宙船に憧れる少年になって、ロケットの打ち上げを見上げることが出来ます。


「他のだれかになれる」。本には色んな素晴らしいところがありますが、その中でも私は「他のだれかになれる」ことが特にお気に入りです。その為に本を読んでいる、というところだってあるかも知れません。


ところで、本を読むことでなれる「他のだれか」は、何も人間に限りません。時には宇宙人や、ロボットや、お魚や、お化けや、動物になることだって出来ます。

もちろん、猫になることだって。例えば「猫のダヤン」。例えば「百万回生きた猫」。例えば「11ぴきの猫」。例えば「長ぐつをはいたねこ」。例えば「のらねこぐんだんパン工場」。私たちを「猫にしてくれる」本というのは、案外たくさんあります。

ただ、そんな中でも、一番はっきりと、リアルに、そして何より楽しく「猫になれる」本が、私にとっては何かというと「ルドルフとイッパイアッテナ」であり、そのシリーズの4作品なのです。


今回は、その「ルドルフとイッパイアッテナ」のシリーズの中でも、4冊目の「ルドルフとスノーホワイト」の話をしようかと思います。




○「ルドルフとスノーホワイト」の背景

まず最初に、ちょっとシリーズのおさらいをさせてください。

ルドルフとイッパイアッテナのシリーズは、主人公の黒猫・ルドルフの視点で進みます。とある地方の町で普通の飼い猫をしていた黒猫・ルドルフは、ある時魚屋のトラックに飛び込んで気絶してしまい、知らない間に長い旅をして、東京の下町にたどり着きます。右も左もわからなかったルドルフは、そこでボス猫であったイッパイアッテナと出会い、「野良猫としての生き方」と「教養」を教わり始めます。


「ルドルフとイッパイアッテナ」「ルドルフともだちひとりだち」の二作が、「ルドルフの成長物語」だったことは間違いないでしょう。

ルドルフは、この二作品を通じて様々な経験を積み、純粋さも保ちつつ、強くしたたかに成長します。幾つか武勇伝を積んだルドルフは、いつのまにやら猫達の間でも、一目おかれる大物になりつつあります。テリーに「ルドルフ親分」と呼ばれそうになって、言いくるめて「ルドブン」にさせているルドルフには、妙な居心地の悪さが見えます。

「いくねこくるねこ」と「スノーホワイト」の魅力の4割くらいは、根っこは変わらず、けれど大きく成長したルドルフを含め、「イッパイアッテナ」「ともだちひとりだち」で登場した猫たちの「その後」がみられることだと言っていいでしょう。


あ!この子、今こんなことしてるんだ!とか。

あ!あいつ、元気にやってたんだ!とか。


読者にとっての「ルドルフとスノーホワイト」のキーワードは、「再会」。黒猫ルドルフの、ボス猫イッパイアッテナの、ブルドッグのデビルの、ブチ猫ブッチーとミーシャの「その後」が見られることが、かつて「猫になった」私たちにとっては何よりのご褒美なのです。



○「ルドルフとスノーホワイト」の「生活感」。

これはシリーズ共通の話なのですが、「ルドルフとイッパイアッテナ」シリーズの何よりも大きな特徴は、「猫たちの生活」の描写が素晴らしいことです。そこには本当に、「ああ、猫たちってこういう生活をしてるのかもなあ」「猫たちって普段、こういうことを考えているのかもなあ」という納得感のある風景が描かれています。


例えば、スズメを捕まえる腕を競ったり。

例えば、餌をもらいやすい人間の家について談義をしたり。

例えば、喧嘩相手を脅かす口上を考えたり。


時には一緒に遊び、時には喧嘩し、時には協力し、時には別れる。猫たちが生活していれば、確かにこういうことを話すことになるかもなあという描写が、辺り一面に散りばめられているのです。


それぞれの猫、犬間の「人間関係」ならぬ「猫犬関係」とでも言うべきものがその見どころの一つで、例えばルドルフ、イッパイアッテナ、デビルたちとの掛け合い、情報交換の様子が実にリアルというか、猫・犬ならではの生活感にあふれています。「ルドルフとイッパイアッテナ」当時は仲たがいしていたデビルも、すっかりルドルフ達の仲間になり、犬ならではの特技を使ってルドルフたちを助けてくれるのも「スノーホワイト」の魅力の一つです。

そして、タイトルにもなっている白猫の「スノーホワイト」。今回から新たに登場する彼女が、ルドルフたちとどんな猫犬関係を築くのかも、この作品の重要なポイントの一つです。


「ルドルフとイッパイアッテナ」の頃からルドルフの友達になっていたブッチーは、いつの間にやら子持ちのお父さんになっています。ブッチーとミーシャの間に生まれた、クッキーやラッキー、チェリーといった子猫たちも、今回のお話の中では重要な立ち位置を占めています。私たち読者から見ると、ルドルフは「成長した子猫」なのですが、彼ら子猫たちにとってのルドルフは「ルドルフおじさん」であり、いろんな経験を積んできた立派な先輩です。

「ルドルフに対する子猫の視線」というのは、「ルドルフとスノーホワイト」のまさに中心になってくるポイントでして、今回発生する事件では、とある猫が「ルドルフがかつて経験したこと」をまさにそのままなぞることになります。繰り返される猫たちの歴史。そんなところでも、私たちは作中の時の流れと、そこに実在している「生活」を感じることが出来ます。



〇まとめ:ルドルフからの手紙

かつて、「ルドルフの成長物語」だったルドルフシリーズは、「いくねこくるねこ」と「スノーホワイト」で「再会と、その後」の物語になりました。では、この次はなんの物語になるのでしょうか。

こんなにも楽しく「猫になれる」シリーズが、この後どんなキーワードの物語になるのか、私は楽しみで仕方がないのです。

齋藤洋先生は、「ルドルフとイッパイアッテナ」のシリーズを「ルドルフから来た手紙を小説にした」ものだ、と語っています。
その言葉を借りれば、斎藤先生に新しい「ルドルフからの手紙」が届くことを楽しみに、この感想文を締めたいと思います。


新しい「手紙」でも、楽しく猫になれますように。みなさんも、機会あれば是非「猫になってみる」体験をされることをお勧めいたします。



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この記事は、長男(9歳)との読書感想文勝負の為に書かれたものです。


今日読み比べします。

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2016年10月14日

レトロゲーム万里を往く その134 バンゲリングベイは何故大人になればなるほど面白いのか

私、ファミコン史上で最も「売り方を間違えた」ゲームってこのゲームじゃないかと思ってるんです。


ファミコン時代、ハドソンって「コロコロコミック」と頻繁にタイアップしてましたよね。コロコロ以外でも、例えば攻略本とか、複数ゲームのガイドブックとか、「ゲームのコミカライズ」「漫画でゲームの面白さを表現する」という手法を盛んに使っていました。

当時、いろんな雑誌、ガイドブックに「ハドソンゲーネタの漫画」が載っていたことを、覚えている方も結構いると思います。高橋名人の登場以降は、それが更に顕著になりました。


ナッツ&ミルクはそれで良かったんです。ロードランナーも、チャレンジャーも、ボンバーマンも、バイナリィランドやスターソルジャーだってそれで問題なかった。


けど、バンゲリングベイはそれじゃいけなかった。このゲームは、「コロコロが対象としているようなちびっ子」に理解出来るゲームではなかった。「ヒーローの少年が帝国を破壊して、空母が沈没しかけていたところでヒロインを救い出す」なんてヒロイックなストーリーで了解されるようなゲームではなかった。本来、「シューティングゲーム」として売り出すべきゲームですらなかったんです。


当時、1985年2月22日時点にファミコンで出ていたSTGって「ギャラクシアン」「ゼビウス」「エクセリオン」「ギャラガ」ですからね。エクセリオンだけちょっとトリッキーですけれど、どれもこれも分かりやすいタイトルばっかりです。こんなわかりやすいゲームタイトルと同じつもりでこのゲームを手にとった小学生が、「このゲームわけわかんねー!」となってしまったのは、ある意味仕方ないことだったかも知れません。

結果的に、ファミコン時代初期についたイメージは長きにわたってこのゲームに張り付いてしまい、一時期は「クソゲー」とまで言われてしまっていた。ここ十年くらいで流石に認識も改まってきましたが、それだって一部の人たちが頑張って再評価を広め始めてからのことです。


「あまりにも革新的過ぎて、発売当時凄絶な誤解を受けてしまったゲーム」。それがバンゲリングベイだったと思うんです。もう少しファミコンユーザーの年齢層が広がった後、適切な売り出し方をされていれば、このゲームの評価は多分180度違っていた。


何故かというと、バンゲリングベイはすっげえ面白いからです。


「バンゲリングベイ」。1985年2月22日、ハドソンより発売。もともとはブローダーバンド社によって、欧米で大ヒットしたホビーパソコンである「コモドール64」に供給されたタイトルでした。「ロードランナー」「チョップリフター」の二作とともに「バンゲリング帝国三部作」を構成するタイトルでもあります。


Raid on Bungeling Bay (J)0000.png

まずはゲームの話をしてみましょう。


〇バンゲリングベイという「フライトシミュレーター」。

バンゲリングベイは、恐らく家庭用ゲーム市場初の、「マップ探索型ゲーム」でした。

ちょっと今更ながらですが、簡単にゲームの内容を解説してみます。

ゲームを始めると、プレイヤーは新型ヘリコプター「シーアパッチ」に搭乗した状態で、空母「R・レーガン」の艦上に駐機しています。

Raid on Bungeling Bay (J)0001.png

ここから、プレイヤーはシーアパッチを駆って、100画面にも及ぶ広いマップを縦横無尽に飛び回り、バンゲリング帝国の兵器工場を爆撃して撃破しなくてはいけません。

ヘリの操作は、「十字キー上で加速、下で減速」「十字キー左右で旋回」「Aボタンで着陸、ないしショット」「Bボタンで爆撃」というものです。

巡回艇やレーダー、時には戦闘機を撃破しながら兵器工場を探し、細かく機動しながら工場を爆撃し、工場の耐久を0にしたら工場破壊。マップ上に存在する工場全てを撃破することがマップクリアの条件です。

Raid on Bungeling Bay (J)0002.png

これの左下のやつが工場ですね。背景は時間経過でちょっと夕方っぽくなってます。

まず第一に、「操作方法」が当時のファミコン小僧の最大のネックだったことは議論を俟たないでしょう。当時は、「左を押せば左に、右を押せば右に移動」という直感的な操作がデフォルトだった時代です。それが、まるでフライトシミュレーターのような複雑な操作方法をいきなり提示されたら、「なにこれ上手く動かせない」となるのはある意味当然です。「操作性に難がある」みたいな評価はそれに基づいていると思います。


が、ある程度慣れてくると、あるいは大人になってから触ると、この「ラジコンヘリみたいな操作方法」がこのゲームの最大の楽しみどころだってことが分かるんですよ。

これ、操作してるとまさに「まるでラジコンヘリをいじくっているような」楽しさを味わえますし、ピタッと狙ったところに止められる、あるいは戦闘機とのドッグウォーを上手く制したりできると、ただそれだけでえらい気持ちいいんですよね。「加速・減速」という操作のキャパシティが物凄く大きいんです。

ヘリの操作として考えれば実に納得感のある仕様で、そもそも「左を押せば左に動く」という方が物理法則を考えればおかしいわけです。そういう意味で、バンゲリングベイの操作系は極めてリアル志向、フライトシミュレーター的ですらあります。

まずは、「操作性」こそバンゲリングベイというゲームの肝だ、と言い切ってしまいたいです。


〇ヘリを使った「オープンワールド」。


他にも、バンゲリングベイの革新的な要素というのは山ほどあります。

・マップをあちこち見渡して、どこに何があるのかを探索する楽しみ
・どの順番でどう工場を撃破していくか、ということを自分で決めていく戦略性
・空母に駐機して、「ダメージを回復する・爆弾を補給する」という「拠点」「補給」の概念
・必要であれば敵の空港に駐機して爆弾を補給することも出来るというサバイバル要素
・「ALERT」後の爆撃機襲来や、「WARNING」の戦艦登場などの危機感のあるイベント要素
・それによって、拠点である空母を「守らないといけない」という防衛の要素
・相手の工場破壊によって敵の攻撃頻度が変わる、レベルコントロールの要素
・1P・2Pの「対戦」要素
・非常に細かく設定されたバックストーリー

などなどなどなど。本当にこのゲーム、革新的過ぎてとても1985年なんてド初期に出たゲームとは思えないんです。グラフィックをちょいちょいいじれば、5年後に出たとしても納得感があるゲームデザインです。


100画面にも及ぶ広いマップを縦横無尽に飛び回って、時には攻め、時には補給に戻って、作戦を達成する。時には拠点を守らないといけないし、時には敵の攻撃に対して先制攻撃を仕掛けないといけない。敵の思考ルーチン、拠点防衛や攻撃の戦略性などなど、「やればやるほど深い」というのがバンゲリングベイの世界です。

空母という「拠点」の重要性はいうに及びませんが、「ALERT」などのイベント時には拠点を全力で守らなくてはならなくなります。が、万一拠点を失ってしまったとしても、残機は1機になってしまうものの、敵の空港を利用することで戦闘の継続は可能。これ、「たった一人の戦争」感あって滅茶苦茶熱いと思いませんか。

「WARNING」後に建造開始される戦艦は非常に強力で、放っておくと確実に空母が撃沈されてしまうので、これもなんとか建造中に破壊しなくてはいけません。が、極まってくるとこの戦艦も、出航してしまってから倒すことが出来るようです(私は一度も倒したことがありませんが…)。「出航してからの戦艦を倒すこと」は、ある意味やり込み要素の前身でもあります。

1P・2Pの対戦では、2P側はバンゲリング帝国サイドを操作することになり、これも非常に革新的な要素です。とはいっても、マイクで戦闘機を呼び寄せることを始め、2P側で出来ることは限られており、1P側がある程度慣れた人だと帝国側が勝つことはかなり難しいそうです。詰めればこの要素も面白そうなんですけどね。


「広いマップを自由に探索」という点では、遠く遠く「オープンワールド」系ゲームのご先祖と言ってもいいかも知れません。このゲーム、画面端と画面端はつながっているというループ設計になっているんですが、その理由すら「バンゲリング帝国が作り出した謎の空間」という形で設定されていたりします。


ウィル・ライト氏自身が、この「バンゲリングベイ」のマップエディターから「シムシティ」を発想した、というのも有名な話ですよね。これは、当人のインタビューでもそのように話されていたようです。



私がなにより「惜しい」と思っているのは、このゲームがその後バーチャルコンソール化されておらず、今遊ぶのがかなり難しいということです。ロードランナーはバーチャルコンソールになってるんで、版権とかはなんとかなりそうな気もするんですが…。

私自身は実機でもまだこのゲーム持ってるんですが、「大人になってから落ち着いて遊ぶ」ことこそ楽しめるゲームだと思うので、是非バーチャルコンソール化されて欲しいなーと思っております。


ということで、長々書いて参りました。

私が言いたいことはたった一つ、

・バンゲリングベイは大人になってからこそが楽しいのでバーチャルコンソール化してください、もしくはリメイク希望

ということだけだということを最後に申し添えておきます。


今日書きたいことはそれくらい。


posted by しんざき at 15:41 | Comment(3) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月13日

俺たちはかつて、ゲームを遊べない時、説明書や攻略本だけ舐めるように読んで遊んだ気になっていたんだ

皆さん、こういう表紙に見覚えってありませんか。

メチャガイド.png

必勝作戦メチャガイドですね。すげー面白かったですよね、メチャガイド。大体、終盤にさしかかると「この先は自分の目で確かめてくれ!」パターンでしたけれど。

懐かしいかというと実は別に懐かしいわけではなく、1集から3集までは自宅にあるんで今でもちょくちょく読んでいるんです。4集以降はもってないです。欲しいです。

攻略大全.png

こちらはファミマガ付録の「〇〇攻略大全」シリーズ。確か最初は「RPG攻略大全」の赤と黒だったと思うんですが、RPG攻略大全もどんどん巻を増していき、その内「SLG攻略大全」とか、この「AVG攻略大全」とかが出るようになっていきました。袋とじでクリアまでの攻略ルートとかありましたよね。


私たちに-----私は、「私は一人ではなかった」という確信をもってこの「私たち」という言葉を使うのですが-----私たちにとって、かつて「攻略本や説明書を読むこと」は「ゲームで遊ぶこと」と同義でした。


例えば、「ゲームは一日一時間」という高く分厚い壁にさえぎられて、ゲームを続けることが出来なくなった時。

例えば、「このゲーム買ってー!」とねだってもゲームは買ってもらえず、何故か480円くらいで売っていた攻略本だけ買ってもらった時。


私たちは、「本を読んでる分には親から怒られない」という最強のシールドを得て、ひたすら説明書や攻略本を読み込んで、ゲームを遊んだ気になっていたのです。

攻略本を読むのは、面白かった。説明書を読むのは、楽しかった。

攻略本の最後の方には、最終面の手前くらいで大体「この先は君の目で確かめてくれ!」とかいう短いテキストだけが載っていました。お前それのどこが完全攻略本だよ、とか思わないでもないですが、そんなことは全然なんの問題もなく、私たちはただ「ゲームのことが載っている本」を読んだだけで、十分ゲームの世界に旅立つことが出来ていたのです。


メチャガイドもそうですが、昔のゲームは比較的ボリュームが小さいので、ものによっては10ページくらいで最後までいってしまうこともありました。だから、昔のゲーム攻略本の中には「色んなタイトルの攻略が一冊に詰め込まれている」ものがたくさんありました。そのお得感たるや、ゲームそれ自体を遊ぶことと同等かそれ以上か、というくらいに、私は「攻略本」が好きだったのです。


そこに、ネタバレなどという概念はありませんでした。

それは体験でした。それは遊戯でした。それはゲームを遊ぶこと、ゲームの世界を味わうことだったのです。


だから私は、今でも、「説明書を読まない」などと言われると「え?何で?」とすら思ってしまいます。「説明書めっちゃ楽しいやん」と。その習性の為か、電子レンジを使わなくても電子レンジの説明書だけ読み込んでしまい、奥様に「いや使いなよ実地で」と突っ込まれたりします。

だから私は、今でも、「攻略サイト」や「攻略wiki」を読むのは好きです。たとえ全然遊んだことがないゲームでも、いやむしろ遊んだことがないゲームだからこそ、攻略情報を読むことでそのゲームを「味わった気に」なれるのです。キャラクターをビルドしたような気になれるのです。

だから私は、ネタバレという概念には比較的寛容です。知っていても十分楽しめるから。知っていても、むしろ二度楽しめたような気がするから。勿論作品にもよるわけですが。


時代は変わりました。あれから何年経ったでしょうか。20年?30年?


「ゲームの攻略本」という昔あったようなうっすい本は姿を消し、「メチャガイド」のような複数ゲームのガイドブックもどこかにいなくなり、ゲームの攻略本は「参考書」というよりは「資料集」とでもいうべきものになりました。攻略情報を集めるだけであれば、ネットを少し検索するだけで、なんの手間もなく事足りるようになりました。


なんの問題もありません。なにも悪いことはありません。ただ、変わった、というそれだけです。


ただ、今でも昔の攻略本を読んでみると、私は何故か「このゲームおもしれーー!!!」という感覚に包まれるのです。やったことがないゲームだろうが、何度もやったゲームだろうが、何の変わりもなく、私は攻略本を読むことで「そのゲームを遊べる」のです。

そんな体験を、今でも他の人に味わってほしいなあと。

今でもそんな風に思いながら、私はレトロゲームの記事を書き続けているのです。


私が書いたレトロゲーム記事が、誰かの「遊んだ気になる」手助けになるのであれば、それ以上幸いなことはありません。
posted by しんざき at 12:09 | Comment(18) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月11日

長男と読書感想文勝負をすることになりました

なんだかわかりませんが、私と長男で読書感想文の書き比べ勝負をすることになりました。

題材は、長男が常々「今まで読んだ中で一番好き」と言っている「ルドルフとスノーホワイト」です。



私まだ未読なんですけど、今週中に読んで土曜にでも感想文書こうかと。

経緯といいますか、私もなぜこんな話になったのかよく覚えていないんですが、奥様が「せっかくパパに感想文の書き方教わったんだから、他にも書いてみたらー?」と煽って、「じゃあパパも書いて!」「せっかくだから書き比べ勝負にして先生に見てもらおう」みたいな話になったような記憶がうっすらとあります。私の大人げのなさには定評があるので、まあ大方売り言葉買い言葉だったのでしょう。


折角なので頑張って書こうと思います。書いたら私の分はブログに掲載します。


それとは関係なく、土日月は基本お子様べったりな三日間でした。

土曜は元々長女次女の幼稚園運動会の予定だったのですが、あいにくの雨だったので月曜に順延。目黒にお昼を食べにいって、帰りは児童館というコース。

日曜は、奥様不在の中、私・長男・長女次女で渋谷ヒカリエ号に乗って、みなとみらいは三菱技術館に遊びにいってきました。


大変面白かったです。長男は「ぴったりトラム」の運転目当てだったのですが、航空宇宙ゾーンや技術探検ゾーンも楽しめた様子。長女次女はフロンティアシアター周辺できゃーきゃー言ってました。

月曜は順延になった幼稚園の運動会。毎年のことながら、狭めの園庭に大量の幼児がわきゃわきゃやっている光景は壮観でした。


今日はそれくらいです。

posted by しんざき at 09:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月10日

レトロゲーム万里を往く その133 星をみるひと

「星をみるひと」とは何だったのかを、ちょっと考えてみたいと思います。長文ですのでお暇な時にどうぞ。


歴史の話から始めさせてください。といっても、そんなややこしい話ではありません。


以前から何度か書いていますが、ファミコンにおけるRPGの歴史は、1986年に始まりました。

1986年2月21日にゼルダの伝説。3月18日にハイドライド・スペシャル。5月27日にドラゴンクエスト。8月1日にワルキューレの冒険。11月6日に銀河伝承。12月19日にディープダンジョン。1986年は、「コンシューマー市場におけるRPG元年」とでもいうべき年でした。


最初はアクションRPGから始まった一筋の流れが、1987年1月26日の「ドラゴンクエストII」で決定的な「王道RPG」の流れになった、というのはまず論を俟たないでしょう。当時のドラクエIIのお化けゲームっぷりは今さら言うまでもなく、ゲーム業界は否応なく「RPGというジャンルへのアプローチ」を考え始めることになりました。開発陣が「ドラクエの次」「確立された王道RPGの次」を模索し始めたであろうことは想像に難くありません。


RPGを作ろう。しかし、「ゼルダ」や「ドラクエ」そのまんまにするわけにもいかない。そしたらどうするか?


一つのアプローチとして、「既存のアクションゲームにRPG要素を付け足す・取り入れてアクションRPGにする」というものがありました。成長要素、メッセージによる情報収集、アイテム要素、謎解き要素。87年では、例えば「アルゴスの戦士」「ドラキュラII」「グーニーズ2」「ボンバーキング」「奇々怪界 怒涛編」辺りがその代表格といっていいと思います。


もうひとつのアプローチとして、夢幻の心臓・ドラクエ型のRPGに対して、システム面・シナリオ面・バランス面などで様々な差異を取り入れて、「別の王道RPG」を作ろうというものがありました。

87年6月12日の「ヘラクレスの栄光」、6月30日の「未来神話ジャーヴァス」9月5日の「ゾイド中央大陸の戦い」、移植作ですが10月13日の「覇邪の封印」辺りが、(成功失敗はともかく)その一つの試みであることは間違いないでしょう。


つまり、1987年は「ゼルダ・ドラクエじゃないRPG」を皆が模索していた年、とすら言えるのではないかと私は考えているのです。


そして1987年の12月に、ゲーム業界は「ファイナルファンタジー」の登場を見ることになるわけですが、その少し前、1987年の10月に、3つの見過ごせないタイトルが、たった5日間の間に集中して世に送り出されました。


私はこれら3作品を、「ドラクエに対する3種類の回答」として捉えています。


10月23日に、タイトーより「ミネルバトンサーガ」。これは、世界観は「王道RPG」でありながら、数々のシステム的な試みを結実させた傑作でした。

10月26日に、ハドソンより「桃太郎伝説」。これは、システムは「ドラゴンクエスト」に近いものでありながら、世界観・シナリオで全く違ったRPGを完成させた、同じく傑作でした。


そして、これらを背景に、1987年10月27日に発売されたのが、まさに「星をみるひと」だった、という話なのです。

Hoshi wo Miru Hito (J)0000.png

「星をみるひと」。RPG。1987年10月27日、ホット・ビィから発売。ホット・ビィは、他に「ザ・ブラックバス」「バズー!魔法世界」「武田信玄」「鋼鉄帝国」などが著名で、「世界観や、細かいところは非常に優れているのに、バランスや仕様に若干難がある」というのが割とどの作品でも共通しています。タイトーの下で「中華大仙」や「インセクターX」も開発していた様です。



まずはゲームの内容の話をしてみましょう。ネタバレについては遠慮なく飛び交いますのでご注意ください。



○「星をみるひと」に見るシステム的な理不尽カタログについて


「星をみるひと」がシステム面に数々の難点を抱えており、これが現在の視点どころか、当時視点ですら理不尽にゲームを遊びにくくしていた、というのは否定の術がない事実です。まずはここに触れないわけにもいきません。

「星をみるひと」ならではの難点は、大きく分けて「UIが全体的に不親切」「戦闘バランスが非常に不安定」「マップ仕様が異常にわかりにくい」の三点だと言っていいでしょう。


・UIが全体的に不親切
→移動速度が全体的に遅い、戦闘でコマンドをキャンセルすることが出来ない、戦闘シーンでHPが10の位より上しか表示されない(50なら「5」と表示される)、ダメージ床やアイテム取得時の演出が非常にわかりにくい、などなど

・戦闘バランスが非常に不安定
→最序盤から絶対に勝てない敵が出てくる、「逃げる」コマンドが存在しない為出会うとゲームオーバー確定(「てれぽーと」を覚えるまでは戦闘から逃げることは出来ない)、一部の武器を装備すると逆にダメージを与えられなくなる(素手はランダムダメージなのでまだ素手の方が若干マシ)、成長バランスが不自然でHPだけ異常に上がりが速い(最終的に主人公のHPは3万近くまで上がる)、それでも「かりう」などの凶悪な攻撃が存在する為ゲームオーバーとは常に紙一重、などなど

・マップ仕様が異常にわかりにくい
→あるマップに入った時と出る時の接続が一致しておらずワープしまくる(基本的にはエリアのスタート地点に戻される)、IDカードで開ける扉ではカードが2枚必要であり1枚しかないとハマる、一部のマップでは不可視のジャンプポイントがあちこちにあり避けないと進めない、マップ上のオブジェクトが一部カモフラージュされていて見えない(有名なのは最初の村だが、他にも色々ある)、ぶれいくで壊せる壁が明示されていない、などなど

上記は難点のごく一部であって、他にも正直色々あります。

特に戦闘バランスについては情け容赦がないレベルでして、最序盤でも安定して勝てる敵は「じゃんく」「ふらっか」のせいぜい二種類くらいで、この二種類以外にエンカウントしたら生き残れるかどうかは運次第、「ふっかつしゃ」や「くらっしゃ」にエンカウントした日には即ゲームオーバー確定、リセット押した方が早いという状態でした。なにせ逃げるコマンドが存在しないので。

最序盤をなんとか切り抜け、ある程度のHPと幾つかのESPを確保した後でも、「かりう」によるびょうき状態など、いついかなる時でもパーティ崩壊の危機はつきまといます。

みさを仲間にする時の複雑怪奇なルート、酸素ぱいぷを見つける場所のわかりにくさ、上述したマップ仕様のわかりにくさなど、厳しいところは枚挙に暇がありません。

ファミマガの「ファミコンロムカセットオールカタログ」ですら「ゲームを進めていくのが非常に辛いゲーム」と評されてしまっているこれらの難点が、後にこのゲームをおもしろおかしくバカにする向きを産んでしまったことは、ある程度やむを得ないこととも言えます。正直、テストプレイによるバランス調整が行われたのかどうかが疑われるレベルです。


星をみるひと.png

「ファミコンロムカセットオールカタログ」の記載。この採点、音楽・オリジナリティは低すぎるし逆に操作性は高すぎる、と思わないでもないんですが、点数が出ているだけでも良しとしましょう。

勿論、これらの難点の中には説明書で説明されているものもありますが、説明されていればいいというものでもなく、コンシューマRPGというジャンル自体の黎明期であったことを考慮に入れても苦しい点は多いです。


ただ、「理不尽さ」という点については、分からないでもないんです。


○ゲームにおける理不尽さと、「PARANOIA」的ディストピアとの関係


「星をみるひと」のストーリーを、説明書から引用してみましょう。

 未来のある場所に、「みなみ」という少年がいた。彼には、そこがどこかも自分が誰なのかも分からなかった。しかし、彼を目のかたきにおそいかかるものたちがいる。メカニックなロボット・軍隊であるガードフォース・攻撃本能しかない異様な生物・超能力者狩りをするデスサイキックたちが、彼を見つけるといきなり攻撃してくるのだった。なぜなら彼は超能力者であるから。…………

 彼らのいる巨大都市“アークシティ”では、その都市の管理を“クルーIII”と呼ばれるコンピュータが行っていた。“クルーIII”は、より完全な都市管理のため居住者の心の中まで干渉していて、わずかでも、都市に有害な心がめばえた居住者に対して絶えず矯正を行っていた。このシステムをマインドコントロールといい、その効力は“クルーIII”自身の存在も忘れさすほど強かった。しかし、ごく一部の人々にはマインドコントロールがきかないのがわかった。そこで“クルーIII”は、その人達を“サイキック”となづけてサイキック狩りをはじめた。サイキックは、捕らえられアークシティに連れ去られた。そこに、取り残された4人の子供がこのゲームの主人公である。


早い話、これ「1984年」とか「すばらしい新世界」、あるいは「PARANOIA」などのディストピアものSFの世界なんですよね。特に「PARANOIA」の影響があるんじゃないかと、私は勝手に思ってるんですが。


ご存知の方も多いと思いますが、「PARANOIA」は1984年に生まれたSFものTRPGの傑作でして、「マザーコンピューターに管理された社会」「コンピューターによる反逆者狩り」などの要素は「星をみるひと」の世界観と共通しています。


「星をみる人」の「クルーIII」の目的は、蓋を開けてみると結局人類の管理・統制ではなかったので、その点PARANOIAとは異なる点も勿論あるんですが。この「PARANOIA」的なディストピアの世界観や理不尽感を、「非ドラクエ化」の手段の一つとしてスタッフが取り入れようとしたんじゃないか、という推測は、時期を考えるとあながち無理筋でもないんじゃないかと考えています。

ディストピア世界観において、人命は時として紙よりも軽いものですし、視聴者はその理不尽さに容赦なく打ちのめされるものです。そこに親切さなどというものは存在せず、主人公は生き残る為に全てを賭けなくてはならないことが専らです。

その上、星をみるひとのシナリオは、「超能力者狩りが行われている世界である」ということを最初から明示しています。当初の戦闘バランスも、「メカニックなロボット・軍隊であるガードフォース・攻撃本能しかない異様な生物・超能力者狩りをするデスサイキックたちが、彼を見つけるといきなり攻撃してくる」というシナリオ通りには違いないんです。(シナリオ通りならいい、という話ではありませんが。。。)

つまり、「星をみるひと」の理不尽さの内2割くらいは、「ディストピアもの」としての「狙った」表現の一環なのではないかと私は考えるのです。(あと8割はテストプレイと調整不足)


上記したとおり、1987年って家庭用RPGの歴史からすれば初期も初期ですからね。そんなド初期に、いきなり「ディストピアものSF」とかいうとんでもないブラックな題材をもってくる、ホット・ビィの企画者がただものでなかったことは間違いないと思います。

ファミコンにおけるSFRPGという試み。この試みは、この数年後、「ラグランジュ・ポイント」という形で一つの到達点を見ることになります。



○「星をみるひと」のBGMの素晴らしさはガチ

上記の理不尽さを考慮した上でも、「世界観・シナリオの独創性」と「BGMの素晴らしさ」という少なくとも二点については、我々は「星をみるひと」をはっきりと評価しなくてはいけません。


「世界が実は巨大な宇宙船の中だった」という設定は、「宇宙の孤児」や「第二の太陽へ」なんかでSF小説では定番のテーマになりかけていましたが、当然ファミコンでやろうとしていたひとなどこの頃誰もいませんでした。

クルーIIIの正体が「イルカとシャチ」という海洋生物であること、彼らとテレパシーで交信することで判明する意外な目的、そして待っているマルチエンディング、とこれらの要素についても、当時基準で言えば「数年早い」と言うべき革新的な内容です。

このゲームの大きな要素として、「テレパシーを使うことによって、普段の台詞とは異なる思考の中身を覗くことが出来る」というものもありまして、それも情報から小ネタに至るまでかなり芸コマです。中には、自分がテレパシーで考えを読まれていることを悟っている人なんかもいるんですよね。ゲーム上必要な情報が明かされることは滅多にないんですが。

そして、あーくCITYで「この世界が巨大な宇宙船の中である」ことが明かされた後の、唐突な宇宙マップに出会った時の衝撃。あーくCITYのコクピットにたどり着いた後の怒涛の展開は、「世界観の見せ方」としては当時十分以上に衝撃的なものだったと思います。


シナリオが独創的であっただけに、上述したようなゲームシステム的なアラが数々あったことは残念という他ありません。同じようなことを考えた人は他にも多いらしく、フリーソフトで「星をみるひと」を遊びやすくした「STAR GAZER」といったリメイク版も存在します。バランスなども十分に改善されていますので、ご興味ある方は是非こちらを触ってみることをお勧めします。私もプレイしましたが、戦闘のテンポの良さ、謎解きの理不尽感改善、展開のサクサク感など、こちらは手放しでお勧め出来る出来です。



一方。「クソゲーの要件は「BGMだけは良い」と言われること」などという言葉もありますが、それを承知の上で断言しますと、「星をみるひと」のBGMの素晴らしさはガチです。

ひとつ動画を挙げさせていただきます。タイトルBGMからパスワード入力BGMだけでも聴いてみてください。

(タイトルBGMは0:11くらいから、パスワード入力BGMは0:54くらいから始まります)

タイトルBGMの、神秘的でありながらどこか不安を煽る印象的なメロディ。パスワードBGMの、透明感のある流麗な雰囲気から、一気に軽快なメロディにジャンプアップする展開などは、今の目から観ても十分「名曲」といっていいBGMなのではないかと思います。


と、ながながと語って参りました。


最後に書きたかったことをまとめておくと、

・星をみるひとには数々のシステム的な難点がある
・が、ファミコンRPG黎明期のこの時期に、「ディストピアものSF」などというダークなテーマを実現しようとしたことは評価されるべきである
・ただ、マップ仕様の意味不明さだけは勘弁して欲しい
・BGMの素晴らしさはガチ
・説明書のあいねは可愛いと思います。

大体これくらいになります。よろしくお願い致します。

今日書きたいことはこれくらいです。




posted by しんざき at 17:53 | Comment(3) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月07日

ファミコン版「ゴーストバスターズ」の話、ないし「面白くない」をせめて自分の言葉で語って欲しい、ということ

昔ファミコンで、ゴーストバスターズというゲームが出ました。発売年は1986年、発売元は徳間書店です。

言うまでもなく「ゴーストバスターズ」は84年のオバケ映画(文字通りの意味で)でして、北米では大ヒット、確か日本でもかなりのヒットを記録していたと思います。「コミカルなお化け退治映画」ということで、今の視点でみるとB級感もあるんですけど、それでもその軽妙な展開とラストのマシュマロマンは十分楽しめる内容です。すいません、リブート版はまだ見てないんですが。

で、そんな「ゴーストバスターズ」のファミコン版なんですが、元映画のB級感だけをただひたすら煮詰めたような内容になっていました。ちょっと動画を引っ張ってみます。


基本的には、

・ゴーストを捕まえるためのアイテムを店で購入
・レースゲームのようなドライブ面を通過して各ビルに移動
・アクション画面でゴーストを捕獲
・ゴーストを捕獲することで報酬get→またアイテム購入
・最終的にズール寺院にいってゴーザを倒せばクリア

という流れのゲームですね。細かくは上の動画を見てみてください。

Webでは「クソゲー」として取沙汰されることが多いタイトルなんで、ご存知の方も多いと思うんですが、よく挙げられるのは

・全体的にグラフィックがチープ
・マップ画面が意味不明、かつ説明不足
・ドライブ面のバランスが理不尽。すぐガス欠になるくせに、急ぐために加速すると他の車にぶつかりやすくなり、ぶつかると金が減る
・なぜかショップに行くときまでドライブ面を通過するハメになる
・ズール寺院に入る条件がよくわからない(実際にはお金を$15000貯めることが条件なのだが、説明書にもその明示がない)
・ズール寺院でやることは、ゴーストをかわしながらひたすら連打で進んでいくこと。23階もあり手が疲れる
・ズール寺院では、こちらから攻撃をしてゴーストを倒すことが出来ない
・エンディングで処理がバグっており、エンディングメッセージが正常に表示されない(いわゆる「りり」問題)

この辺りでしょうか。

いや、「面白いか面白くないか」で言えば、多分面白くないんですよこのゲーム。今の視点で遊べば十二分に面白くない感が楽しめますし、当時の視点だってそこまでは面白くなかったかも知れません。そこに異存はないんです。


ただ、正直言いますと私このゲーム大好きなんです。すげー好きなんです。


このゲームは、私にとっては「お買い物ゲーム」でした。Shopに行ったときに画面に並ぶアイテムに、「$2500」とか「$12000」とか値段がついている。ただこれだけで、当時は十分面白かったんです。「あーこのアイテム買うのにこれだけ金がいる!あーあとちょっとで溜まる!溜まったーーー!!」という、せこせことゴーストを捕まえてお金が溜まっていく感。これが、無意味に好きだったんですよ私。

アイテムにしても、スーパートラップを初めて買った時にはその便利さに感動しましたし、ハイパービームを買った後はゴースト捕獲がサクサクと楽になりました(そんだけ貯めたなら先にズール神殿いけよって話ですが)。

その辺、「アイテムを買うことで明確に便利になってる感の演出」は結構上手かったと思うんですよね。サウンドジェネレーターはあんまり意味なかったですが。

このゲーム、徳間書店が出しているだけに、当時の「ファミリーコンピューターマガジン」では結構特集もされていまして、それと合わせて「このアイテム買えばこんな効果があるのかー!」とか考えながらお金を溜めるのも楽しかった。

アクション画面だって、ゴースト捕獲パートについて言えば決してつまらないものじゃありませんでした。

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画面上部でふよふよしているゴーストたちにビームを当てて、トラップに放り込む。で、お金ゲット。確かにやることは単純ですが、単純というだけで言えば他にも単純なゲームはいくらでもあります。ゲーム&ウォッチだって、ギャラクシアンだって見方によっては単純でしょう。ゴーストを捕獲すると同時に右下のお金表示が溜まっていく、その辺も十分楽しみになっていました。

批判が激しいズール寺院の階段画面だって、「ひたすら長い」という点を除けば(正直これについては弁護の余地ないと思います)、やってることは「山登りゲーム」の「タイミング測って連打」と同じようなものです。

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ラスボス戦について言えば、明確に「遊びどころ」のあるシューティングになっていまして、敵弾をかわしながら一発一発ゴーズに打ち込む感覚は、ここだけ言えば十分に「楽しい」ゲームになっていました。

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当時、ゲームをしていない間は攻略本や説明書を舐める様に読んでゲームをやった気になっていた勢の皆さまにはわかって頂けると思うんですが、カーチェイスだってショップだってガソリンスタンドだって、またマップ画面の仕様だって、説明書には全部記載されていました。このゲームに、「意味不明」な要素なんてなかったんです。


断っておきたいんですが、「このゲームはクソゲーじゃない!!」と言いたいわけでも、「このゲームバカにすんな!」と言いたいわけでもありません。実際に遊んで、「なにこれつまんねー!!!」という人がいれば、そこになんの文句もないんです。実際大多数の人はそう感じるでしょう。

ただ、

・当時視点で言えば、「〇〇が意味不明」という批判は当たらない点が多い(この頃のゲームで、説明書がない状態を意識して作られているゲームなど滅多にない)
・決して「全く遊べない」ゲームではなかった。質の高い低いはともかくとして、遊びどころもちゃんとあった
・私はこのゲーム好きです(賛同者滅多にいないけど)

という三点だけは言っておきたかったんです。


ところで以前、こんな記事を書きました。


「ほしをみるひと」でも、ロマンシアでも、コンボイの謎でも。いや、ゲームに限らず、全てそうだ。そのゲームをちゃんと遊んだ上で、「これはクソゲーだ!」と言うなら、文句をつける筋合いは一切ないと私は思う。

例えば、ある音楽について、「聴いたことないけどひどいって聞いたからひどい曲だ」と論じている人がいれば、アレ、なんかおかしいな、と誰でも思うだろう。

ある漫画について、「読んだことないけどつまんないって聞いたからつまんないマンガだ」と論じている人がいれば、ちょっと違うんじゃないかな、と誰でも思うだろう。

これは経験主義だろうか?そうかも知れない。しかし、「何かを批判するなら、最低限対象について知っておくことが礼儀」だと私は思うし、「けなすんなら人の言葉を借りてきてないで自分の言葉でけなせよ」とも私は思う。

ここ最近、また「やってないけどクソゲーって聞いたからこれクソゲー!!」的なレビューをたまに見かけるようになりました。どこかで面白おかしくプレイ実況している動画を引き写して、そこから面白おかしいところだけを抽出しているような感じの記事です。アクセス流したくないのでリンクはしませんが。

むかーしむかし、「スペランカー」「バンゲリングベイ」「たけしの挑戦状」「星をみるひと」といったタイトルで、同じようなことは頻繁にありました。ただ、面白おかしくクソゲーをけなしている人の言葉だけ借りてきて、つなぎ合わせてお手軽クソゲー批判記事に仕立てる、みたいな手法でした。


正直、かっこ悪いなー、と。「面白くない!!」ということだけでも自分の言葉で語れないのか、と。


以前から書いてある通り、私は「人の尻馬にのってけなすだけけなす」というスタンスが嫌いなので、「面白くない!!」ならせめて自分の言葉で「面白くない!!」と言えよ、とは思ってしまいます。


別にクソゲー批判してもいいと思うんですよ。クソゲー談義、全然いいと思うんですよ。馬鹿ゲーならガンガンバカにしていいと思うんですよ。

ただ、少なくとも自分で遊んで、自分で思ったことを書いて欲しいなーと。そうしてこそ、レトロゲーム談義界隈がもっと面白くなるんじゃないかなーと。遊んでないなら、そもそも「クソゲー」としてバカにする必要は一体どこにあるのかな、と。

そんな風に思った次第なのです。



posted by しんざき at 09:51 | Comment(7) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月06日

名古屋楽しかったです、ただ「運転しやすい」は信じがたい

こんな記事を読みました。


んーどうなんですかね?私昔、10年くらい名古屋に住んでたことありますけれど、住んでる分には楽しかったですよ。ゲーセン多かったし。いや、20年くらい前の話ですけど。

個人的なお勧めスポットは東山植物園ですかね。


ここ、動物園はそこそこ有名なんですけど、植物園が結構マイナーなんですよ。けど散歩をする分にはいい場所ですし、すげー広い割に人少な目ですし、色々と考えごとしながら一人でぼーっとするには絶好の場所でした。中学生以下は入園無料だったんですよ。自転車で来れる距離だったんで、特に中学の時はちょくちょく来てました。

あと、せきやってラーメン屋がありまして、ラーメン自体はごくスタンダードな醤油ラーメンなんですけど、チャーシューが暴力的にブ厚くて、チャーシューの為にラーメンの他の部分すべてがあるって感じで大好きでした。今でもたまに名古屋行くと食べにいきます。場所が変わって、個人的にはちょっと行きにくくなったけど。


ただ、
車で旅行をする人にはすごくおススメです。道が広くて車線が多いので、すごくドライブしやすいんです。
「これはない」と申し上げたい。いや、数年前から劇的に交通状況が改善してたら話は別ですけど、名古屋って運転マナー的には結構修羅の国で、名古屋で運転するの今でもすっげえ怖いですよ。。。一つ離れた車線から、いきなり右車線に割り込んでくるの心臓に悪いからやめて欲しい。


ということで。

posted by しんざき at 08:26 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする