単著が新たに出版されるということで、恐らく注目を集められたい時期だろうとも思いますし、心からのお祝いの意志を込めて釣られてみようかなーと思いました。
元発言はTwitterなんですが、特にTwitterでご本人に言及したつもりはなかったところ何故かこの数時間の内にいつの間にかブロックされていたので、引用でご勘弁ください。
あたしは大学時代、つまらない授業をほっぽってアルバイトに精を出し社会勉強をし、そのお金で海外放浪して世界を知った。学生時代という時間の使い方の生産性は、すべての授業に出る生活より圧倒的に高かった。「さぼらず授業にでるのが良いこと」と思ってる人、それって本当に自分のアタマで考えた?
素晴らしいご意見ですね。何が最適なのか自分で思考して、もっともベネフィットが得られる行動を自分自身で選択する、ということの大事さをひしひしと感じます。
「いやアルバイトと社会勉強と海外放浪に時間使うならそもそも大学行かなくてええやん。大学入るのは自分のアタマで考えた選択じゃなかったの?」とか、
「授業出ないなら大学行く意味って学歴くらいしかないと思うけれど、自分の力で生きていくに当たって学歴はどんな役に立ったの?」とか、
「単純に学費とか授業料もったいなくね?学費払いながら授業さぼってバイトってコストパフォーマンス悪くね?」とか、
「もし親が学費を出していたとしたら親のお金にフリーライドした上で授業サボりまくるのはどうなのかって気がするけど全額自費だったんですよね?」などといった突っ込みがあまりにもありきたり過ぎて、そんな疑問をつい抱いてしまう自分の思考回路の卑小さを感じずにはいられません。誠に申し訳ありません。
「ある時間を何に使うか」「その時間で何を得るのか」というのは勿論個人の選択であって、人の数だけ答えはあります。「何をどれだけ得られたのか」という指標こそあれ、誰かの選択を他の誰かが否定することは出来ない、というのは確実でしょう。コストの議論こそあれ、「授業でない」という選択も尊重されるべきものだと思います。
ただその上で一般論として申し上げますと、聞く耳と学ぶ気さえあれば、「大学の授業で得られるもの」というのは正直山ほどあると思います。そして、その過半は、同じく生かす気さえあれば社会に出てからも生きるものばかりです。
以前こんな記事を書きました。手前みそな上にちょっと長いですが引用してみます。面倒だったら引用部分は読み飛ばしてください。
・自分が選んだ専攻分野についての専門的な知識やスキル・自分で自分に必要な知識を取捨選択する、という経験・上記から得られる、「自分にはどんな知識が必要なのか?」ということを考える経験・その知識は実際に必要だったか?という、ごく短い期間でのフィードバック・「古い知識や知見を元に、新しい知見を創出する」という経験・レポート・論文を書く際の文章構成力、論旨整理力、語彙力・論文を書く際の、資料の検索の経験・論文を書く際の、「出典を明示する」経験、引用・出典の重要性・論文を書く為に人が書いた論文を読む、という経験・書籍のタイトルから、自分の必要としていそうな内容を適当に推理する技術・上記に由来する、難解な文章から必要な情報だけを短時間で引っ張り出す技術・レポートを書く際、「教授は学生に何を書かせることを望んでいるのか?」という、相手の意図を読み解く経験・「更にその上を行く為にはどうすればいいか?」という、相手の隠れた希求を推理する経験・評価基準が明確でない中での、自分の評価を高くする為にはどうするべきか、ということを推測する経験・評価を得やすい講義はどれか?といった情報を得る為の、情報探索・情報取得の経験・場合によっては、上記から得られる人間関係・ネットワーク構成の経験・有用なノート・メモの取り方・「持ち込みアリ」の試験に臨む際の、有用な資料を用意するという技術・質問することを通じて自分をプレゼンする、という経験・その他豊富なプレゼン及び議論の経験(受ける授業にもよる)・授業を受ける為に必要な、タイムマネジメントの方法・難易度が高い講義をなんとか潜り抜ける為の手の抜き方
長くなりましたが、多分これでも全然挙げきれてないと思うんです。
これらは殆ど「授業に真面目に出ることによって」得られるスキルですし、大部分は「主体的に学ぶ気さえあれば、どんな大学でも得られるスキル」です。
生産性の多寡を比較する気は特にないのですが、私自身は自分の大学での時間を非常に有意義だったと思っていますし、今の自分の生活を直接的に支えてくれる経験だったとも思っています。
正直、大学に真面目に通うことについての時間・お金のコストパフォーマンスって滅茶苦茶高いと思いますよ。あれだけ集中的に、体系だって色んな知識を学び、それを昇華させていく経験が詰める場って、人生において他にないです。まあ、全部の授業に真面目に出たのかっていうとそりゃそういうわけでもないですが…。
「授業がつまらない」という場合の責任の半分くらいは授業を運営する側の責任ですが、もう半分くらいは受ける側のスタンスに帰責されるんじゃないかなあ、というのが私の所感です。主体的に向き合いさえすれば、大学の授業ってすげえ面白いですよ。自分より詳しい専門分野の人のお話は、それがなんであれ面白いものです。
二言くらいでまとめると、
・どんな時間の過ごし方でどんな経験を得るのか、というのは人それぞれの選択であり、他の人の主体的な選択を批判することは出来ない
・生かす気さえあれば、どんな環境でもその後に役立つスキルやノウハウを得ることは出来る
ということになるんじゃないかなあ、と私は思うのです。
それとはあまり関係ないんですが、冒頭ツイートで挙げた某氏については、なんだかすごい数の人が「アレ俺もブロックされてる」みたいなことをおっしゃっており。「タイムラインは自分で作るもの」ということを考えると、「自分に都合が悪い情報を発信する人については徹底的にブロックする」というスタンスは、Twitterの利用法として非常に適した形態の一つではないかと、そちらについても感服した次第です。素晴らしいと思います。
ということで、今日書きたいことはそれくらいです。