2017年02月02日

「通勤電車で死んだ魚の眼をしているサラリーマン」は本当に存在するのか

あんまり厳密な話でもないんですが。

サラリーマンをバカにするステレオタイプの言葉の一つとして、「死んだ魚の眼をしたサラリーマン」とか、「通勤電車で死んだ目をしているサラリーマン」というものがあります。

あれが昔からちょっとよくわからないというか、何点か疑問があるんですが、

・「死んだ魚の眼」と単なる無表情を明確に区別することは出来るのか?
・通勤電車では無表情がデフォルトではないだろうか?
・「死んだ魚の眼ではない」と言い切れる人がいたとしたら、その人はよっぽど活き活きした表情をしているのではないだろうか?
・通勤電車でそこまで活き活きした表情をする人がそんなに存在するものだろうか?


えーとですね。まず、私は今まで生きてきて、「あ。この人、死んだ魚の眼をしてる」と思ったことが、今まで一度もありません。

私はそれ程視覚的な感受性が豊かな方ではないので断言はできないのですが、皆さんは割と一般的に「あ、この人は死んだ魚の眼をしてる」「この人は死んだ魚の眼、してない」と判別できるものなんでしょうか?もし何かそういう判断基準があるなら申し訳ないんですが、幾つかそれっぽい画像を検索してみたりはしたところ、「これは単に無表情なだけじゃね?」と思うことが殆どでした。

つまり第一の疑念として、「単なる無表情に、無理やり「死んだ魚の眼」みたいなよくわからないラベリングをしているのではないか?」というものが、まずあります。


で、仮に「死んだ魚の眼」をすることが無表情とそれ程変わらないのであれば、「通勤電車で無表情じゃない人ってそんなにいたっけ?」という話もあります。

通勤電車をご利用の皆さんでしたらわかると思うんですが、ふつうの人は、電車の車内でそれ程表情を表に出しません。

外からぱっと見て分かる表情というのは、相当はっきり表に出ていないといけないものです。「死んだ魚の眼をしていない」と言えるほど活き活きとした表情をしてる人、そんなにゴロゴロ通勤電車に乗ってるものでしょうか?外からぱっとみて活き活きわくわくしているような人が電車内にいたとしたら、ああ、ちょっと最近あったかいしね、みたいな感じでどちらかというと若干離れて立つような事案なんじゃないかと思うんですが…。

仮に単なる無表情のことを「死んだ魚の眼をしている」などと形容できるのであれば、そりゃあ通勤電車は死んだ魚の眼をしたサラリーマンの大量漁獲列車でしょう。むしろ死んだ魚の眼をしていない人の方が珍しいです。朝であれば眠たい人も多いでしょうし、無表情だから即疲れている、人生に失望していると考えることには全く根拠はありません。

早い話、


「死んだ魚の眼をしたサラリーマン」という表現は、サラリーマンという立場を不当に貶める為に、無理に作られた言葉なのではないか、というのが私が言いたいことなのです。


実際のところ、サラリーマンにもいろんな立場がありまして、面白く働く立ち位置を確保した上でのサラリーマンは相当面白いです。いわゆるブラック企業になんか勤めてしまったらそりゃ大変だと思いますが、そうでもない企業であれば、サラリーマンという生き方は決して悪いものではない、と私は思います。

我々は長年、「サラリーマン」と「つまらない生き方」を即イコールで結ぶような言説を頻繁い観測し続けてきましたし、その一環として標題のような言葉もごく一般的になりましたが、時には「サラリーマンも結構面白い」というテキストがあってもいいんじゃないかなあ、と考えた次第でありまして、そういう話はまた別に書こうかと思います。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 17:20 | Comment(14) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする