「映画大好きポンポさん」を買いました。
いや、実はPixivに掲載されていた版で既に読んでいたんですが、大変楽しませて頂きましたし、長男やしんざき奥様も好きかもなーと思って書籍版で買っておこうと思ったんです。相変わらず面白かったですし、長男も大変楽しく読んでおりました。「ブラドックが出てきてから特に面白かった!」だそうです。
で、長男とも話していて、この作品は「まさか」と「さすが」のバランスがとても素晴らしいなーと思ったので、ちょっとそれについて書いてみたくなりました。ネタバレが混じるのでお気をつけください。
私は、漫画や小説の面白さを考える時に、「まさか」と「さすが」の二つのカタルシスが結構重要だと考えていて、以前からちょくちょくこれについての話をしています。あ、カタルシスというのは、まあ「気持ち良さ」という程度に読み替えてください。
まずは定義の話をします。
1.「まさか」と「さすが」のカタルシス、とは。
「まさか」というのは、要は逆転の気持ち良さ。周囲から評価されていない、あるいは弱い立ち位置のキャラクターが、「まさか」と思えるような大活躍をしたり、素晴らしい成長振りを見せたり、強敵に大逆転勝利をしたり。今まで舐められていたキャラが周囲を瞠目させる、といった展開は、この「まさかのカタルシス」の定番の展開です。「弱いキャラが大逆転すると気持ちいいよね?」という話です。
一方、「さすが」というのは、要は信頼の気持ち良さ。最初から高い評価を受けている、あるいは強い立ち位置のキャラクターが、期待通りの、あるいは周囲を納得させるような活躍をした時の気持ち良さ。師匠系立ち位置のキャラが無双したり、周囲が「流石〇〇だ」とつぶやくような活躍をした時の気持ち良さがこちらです。「強いキャラが大活躍すると気持ちいいよね?」という話です。
この二つの使い方が上手い、あるいはバランスが良い漫画や小説には、読者を気持ちよくさせる瞬間がたくさん含まれています。特に少年漫画の名作は、大体がこの二つを巧みに使い分けている漫画ばかりだと私は考えています。
これを前提に、「映画大好きポンポさん」について考えてみましょう。
2.「映画大好きポンポさん」におけるキャラクターの立ち位置。
映画大好きポンポさんには、主役といって良さそうなキャラクターが多分2人います。
一人が、タイトルにもなっているポンポさん。彼女は、映画界の巨匠ペーターゼン(多分
ウォルフガング・ペーターゼンから名前を取っているのでしょう)の孫娘で、幼少の頃からその薫陶を受け、映画に関する才能からコネクションからリーダーシップから、様々な物を受け継いでいます。彼女は、「泣かせ映画で観客を感動させるより、おバカ映画で感動させる方がかっこいい」という持論の持ち主で、B級映画に分類されるような映画を作ってはヒットさせる、映画製作の達人として描写されます。
もう一人が、ポンポさんの助手のジーンくん。彼は、子どもの頃から「映画の中だけが僕の世界だった」という映画マニアで、ポンポさんから「ダントツで眼に光がなかった」と言われる、まあ言ってしまえば卑屈で自己評価が低いキャラクターです。物語は、彼の才能の開花を軸として動きます。
他、ミスティアやナタリー、あるいはブラドックといったキャラも勿論メインキャラクターなのですが、まずはこの二人、非常に対照的な二人のキャラクターが「映画大好きポンポさん」の主役、といっても特に問題ないでしょう。
3.「映画大好きポンポさん」における「まさか」と「さすが」の配分。
で、みなさんお分かりかと思うんですが、この漫画において、ポンポさんは「さすが」のキャラクターであり、ジーンくんは「まさか」のキャラクターです。二人は、漫画における役割を完全に分割しています。
ポンポさんは、インタビュー冊子で作者さん自身が語っているように、言ってみれば「無敵」のキャラクターであって、作品世界においては最初から最後まで最強です。映画というフィールドにおいて、作る作品作る作品全てヒットし、真面目に脚本を書けばサクっと大作を完成させるポンポさん。彼女は、周囲からの評価通りの活躍を軽々と飛び越え、ナタリーやジーンくんといったキャラクターの救済までこなしてしまいます。この漫画におけるスーパーヒーローです。
一方のジーンくんは、物語開始当初、周囲からなんの評価も受けておらず、自己評価の低さもしばしば描写されます。彼は、ただ一人ポンポさんによって、「社会に居場所がない人間特有の追い詰められた目をしている」というところを買われ、クリエイターとしての潜在能力の大きさに期待されています。
そんなジーンくんの(漫画的な)見せ場が、以下の二か所であることは多分間違いないでしょう。
・「MARINE」の予告映像を作り、コルベット監督とポンポさんから評価された場面
・マーティン・ブラドックの指揮の経験についてすらすらと語り、ブラドックから感心される場面
これ、「映画マニアとしての彼の才能、知識がまさに周囲から認められた瞬間」であって、彼の人生が結実した場面であると同時に、「弱い主人公が周囲の評価を覆す大活躍をして、周囲に認められる」その瞬間でもあるんですよね。まさに、上記でいうところの「まさかのカタルシス」のお手本のようなシーンだと思います。そして最終的に、ジーンくんは彼の周囲だけではなく、映画界において大きく評価されることになる訳です。
ポンポさんが活躍すると、読者には「強いキャラクターが期待通り活躍する」さすがのカタルシスが提供されます。
ジーンくんが活躍すると、読者には「弱いキャラクターが周囲の評価を覆す大逆転をする」まさかのカタルシスが提供されます。
映画大好きポンポさんという漫画において、「まさか」と「さすが」のカタルシスは、キャラクターごとに完全に分断されています。これは例えば、ミスティアとナタリーの二人の関係でも(ポンポさんとジーンくん程明確ではないですが)言えることです。
「映画大好きポンポさん」は、勿論描写自体上手いし背景知識も深いしとても面白い訳ですが、少なくとも私が楽しめた理由の一番大きなところは、この「カタルシスの配分」だと思っています。
キャラクターの役割を分けることによって、「まさか」と「さすが」のカタルシスを同時並行で読者に感じさせる、この物語展開はとても上手いなーと。読んでいて気持ちいいなーと。そんな風に、勝手に感心した次第なのです。
ちなみに、キャラクターの役割が「まさか」と「さすが」で分割されている作品自体は他にもたくさんありまして、例えば初期の「はじめの一歩」なんかその典型だったと思います。鷹村が「さすが」のキャラクターで、一歩が「まさか」のキャラクターでしたよね。一歩が段々強くなってしまって、キャラクターの役割配分が途中から上手くいかなくなっちゃった感も多少あったりもするんですが。SLAM DANKとかアイシールドなんかもそんな感じ(「まさか」キャラと「さすが」キャラの分割同時描写)でしたかね?
「映画大好きポンポさん」の話に戻りますと、各キャラクターの好きな映画三作について、おまけ漫画で掘り下げられていたのも個人的に面白かったです。特にポンポさんが痛快。
私自身は、映画自体あんまり見てないんで好きな映画三作っていうと子猫物語とゴジラとゴーストバスターズ(初代)とかになっちゃいますが、好きなレトロゲーム三作なら色々書けるかも知れません。
まあなにはともあれ、映画大好きポンポさん面白いですよねーと。PIXIV発の漫画っていうのも盛り上がって欲しいなーと思ったんで、長々書かせて頂いた次第です。
今日書きたいことはそれくらいです。