2017年09月30日

この音、好きですか?嫌いですか?

ちょっと興味本位で記事を書いてみます。

まず、何も言わずに、ちょっとこの動画を見てみてください。というか、音を聴いてみてください。


「tarqueada(タルケアーダ)」という様式の曲です。「タルカ」という笛をみんなで吹きながら奏でる音楽で、お聴きの通り、例えばピアノとかギターのような、西洋音楽の音階とは全く違った音がすると思います。


しんざきはケーナ吹きです。なんだかんだでケーナを吹き始めて20年くらいになりまして、ケーナを使って南米民族音楽を演奏したり、あるいはゲーム音楽を演奏したりしています。


で、ケーナというのは勿論もともと南米はアンデスの楽器でして、特に南米の伝統音楽である、いわゆる「フォルクローレ」と関連が深いです。ボリビア、ペルー、チリといった辺りの伝統音楽はしんざきの大好物です。ルミリャフタとかイリャプーとかカルカスとかキラパジュンとかインティ・イリマニとか超かっこいいですよね。いや、一番好きなのは実はカルチャキスなんですけど。

で、フォルクローレの中でもケーナは割と西洋音楽と相性がいい楽器で、というか現在の一般的なケーナは、西洋音階に適合した形でチューニングされているのが普通です。一番よく見るケーナはG管っていいまして、ト長調(F#)の音階が吹きやすいようチューニングされています。

ただ、アンデスの土着の楽器、もっと伝統的な形の音楽がありまして。アウトクトナ音楽っていうんですけど、伝統的な祭事や儀式とともにあった音楽、西洋音楽が伝わってくる以前からアンデス地方に存在する音楽です。

ですから、アウトクトナの音って西洋音階とは全く合致しないんですよね。ドレミファソラシドに全然乗ってないんです。独特の音だなーっていうのは聴いて頂ければ分かると思います。

その為、例えばずっとピアノをやっていて絶対音感がある方とか、西洋音楽に親しんでいる方には、この音楽はすげー違和感があって気持ち悪いらしい、聴くのも苦手な人も結構いるらしい、という風に聞いていました。ただ、実際にフォルクローレをやっていない人に、アウトクトナ音楽の感想を聞いたことがなかったので、ちょっとお聞きしてみたいと思った次第です。どうですかね?

しんざきはもともと、高校までは殆ど音楽と縁がない人間でして、ピアニカを吹いた記憶すら殆どなかったもので、フォルクローレやアウトクトナ音楽にもあっさり馴染めました。いやホント、リコーダーすら満足に吹けなかった私が、なんだかんだで楽器の世界にどっぷり浸かっているのですから、人生なかなか分からないものです。

ちなみに、アウトクトナ音楽っていってもいろいろありまして。勿論、同じタルケアーダでも色んな曲があります。例えば私は、タルケアーダの中でもこの曲が一番好きです。歌もいい感じですよね。なんか久々にタルカ吹きたくなってきた。


ということで、興味本位のエントリーでした。

今日書きたいことはそれくらい。







posted by しんざき at 23:09 | Comment(7) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月27日

え、これ悪文ですか?どこが?


昨日の記事の続きです。

「悪文」の定義は、大辞林に拠れば「難解な言葉を使ったり,文脈が乱れていたりして,理解しにくい文。へたな文章。」ということでして、要は「理解しにくい」ということがポイントになるので、まあ時代時代で基準も変わってくるのだろう、というのは分かるのですが。

それでも、

「輸出が伸び悩む中でも、和牛が人気の牛肉や、和食ブームを反映した緑茶や日本酒などは好調だ。」


「輸出が伸び悩む中でも、和食ブームを反映した日本酒や緑茶、和牛が人気の牛肉などは好調だ。」

が「悪文」呼ばわりされてしまうのは個人的にはかなり違和感があります。

ただ複文と単文をつなげてるだけでしょ、これ。しかも読みやすくする為に構文的な読点まで使っている。これが「悪文」になっちゃうなら、世の中どれだけ悪文だらけなのかって話ですよ。青空文庫に収録されている、ちょっと前の文学作品なんて悪文のアジトみたいなもんじゃないでしょうか。

あと、「和牛が人気の牛肉」という表現が分かりにくいって言われてしまうと、属格の「の」全否定ですかって感じでちょっと途方に暮れてしまうんですが…。

ちょっと構文上複雑なだけの文章にいちいち「悪文」というレッテルを貼っていくと、やがては単文の組み合わせでしか文章が構成できなくなっていくんじゃねえかと。あまりにも「一見した時の読みやすさ」という軸に基準が寄り過ぎなのもいかがなものかなーと感じます。


あと、「読点は言葉と言葉の関連を区切るために使われます」という言葉に引っかかっている人がいらっしゃったみたいです。読点の仕事は勿論それだけではありませんが、読点には構文上の役割もちゃんとあります。

出典が気になる人は、web上であれば、村越行雄先生の論文がいくつかあるのでご参照ください。この辺お勧めです。


書籍で言えば、野内良三先生の日本語作文術あたりをお勧めします。本としても面白いです。


ただ、読点の役割が混沌としているのは確かでして、本当に単純に語調を区切る為に使ったり、特に意味がない読点を入れても文法上の間違いになるわけでもないので、「通常」という言葉はちょっと強かったかも知れないですね。すいません。

あとこの問題とは全然関係ないですが、三上章先生の「象は鼻が長い」という作品、日本語構文の奥深さを学ぶ為に絶好の名著なんで、興味ある方は是非お読みください。損はさせません。



今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:01 | Comment(27) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月26日

中高生の読解力テストの問題は特に悪い問題ではありません

この記事を読みました。

1.「輸出が伸び悩む中でも、和牛が人気の牛肉や、和食ブームを反映した緑茶や日本酒などは好調だ。」

という文と、
2.「輸出が伸び悩む中でも、和食ブームを反映した日本酒や緑茶、和牛が人気の牛肉などは好調だ。」

という2つの文の指す意味は同じかどうか、という問題。
答えは「同じ」らしい。

簡単に解説します。

この問題は、一言で言うと「文章の構造を読み解く力を試す問題」です。文章の構造というのは、具体的には「どの言葉がどこにかかるのか」という話です。

例文となっている文章を改めて並べてみましょう。

1.「輸出が伸び悩む中でも、和牛が人気の牛肉や、和食ブームを反映した緑茶や日本酒などは好調だ。」

2.「輸出が伸び悩む中でも、和食ブームを反映した日本酒や緑茶、和牛が人気の牛肉などは好調だ。」

最初の「輸出が伸び悩む中でも」というのは、どちらの文にも共通している言葉なので一旦除外して考えていいでしょう。

除外した上でもう一回並べてみると、

1.和牛が人気の牛肉や、和食ブームを反映した緑茶や日本酒などは好調だ。

2.和食ブームを反映した日本酒や緑茶、和牛が人気の牛肉などは好調だ。


ぱっと見ごちゃっとした文章を比較しつつ読み解くには、まず共通した結論部分を見るのがポイントです。

この文章の結論は、「〇〇は好調だ。」という形になっています。何かが好調みたいですね。何が好調なんでしょうか?

ここで、「AやBは好調だ」という、二つの言葉に対して共に「好調だ」という結論がついている構造に気が付けるかどうかがポイントです。「Aは好調だ」と「Bは好調だ」という二つの文章を合体させて、「AやBなどは好調だ」という一つの文章にしているわけですね。

となると、例文1と例文2、それぞれでAとBの中身が変わっているかどうかを考えれば、二つの文章が同じ意味になるかどうかが分かります。この問題のポイントはそこだけです。


で、例文1において、AとBの中身はそれぞれ下記のような感じです。

・和牛が人気の牛肉
・和食ブームを反映した緑茶や日本酒

これらはそれぞれ、「和牛が人気の」「牛肉」というペア、「和食ブームを反映した」「緑茶や日本酒」というペアの二つに分けることが出来ます。


じゃあ、例文2の方は、AとBの中身はどうなっているでしょう?

・和食ブームを反映した日本酒や緑茶
・和牛が人気の牛肉

これ、例文1と変わらないですよね。単に「日本酒や緑茶」と「緑茶や日本酒」で順番が違っているだけでして、言っている内容は等価です。

つまり、例文1と例文2は、「AとBは好調だ」と「BとAは好調だ」といれかえているだけであって、意味としては「同じ」と判断できる、ということになります。


以下、冒頭の文章の方の疑問にお答えします。
「輸出が伸び悩む中でも、和牛が人気の牛肉や、和食ブームを反映した緑茶や日本酒などは好調だ。」
「輸出が伸び悩む中でも、和食ブームを反映した日本酒や緑茶、和牛が人気の牛肉などは好調だ。」
2の文では、[和食ブームを反映した]のは[日本酒][緑茶][牛肉など]ということになるが、
1の文では、[和食ブームを反映した]のは[日本酒][緑茶]であって、
[牛肉]は和食ブーム以前から好調であるというふうに読み取れる。
通常、読点は言葉と言葉の関連を区切るために使われます。一般的には、読点で区切られている部分で言葉の関連は一旦切り離されます。おそらく、この点を明確に意識されていないことが誤解を生んでいるのかな、と思いました。

この文章において、「和食ブームを反映した日本酒や緑茶」と「和牛が人気の牛肉」の間は読点で区切られている上、「日本酒や緑茶」にかかるのは「和食ブームを反映した」という言葉、「牛肉」にかかるのは「和牛が人気の」という言葉で、それぞれ充足しています。言い方を変えると、読点でわざわざかかりが明確にされています。

つまり、2の文であっても「和食ブームを反映した」という言葉は「日本酒や緑茶」にしかかかりません。「和食ブームを反映した日本酒や緑茶」と「和牛が人気の牛肉」は読点で区切られているのでそれぞれ独立した言葉だ、ということになります。(ちなみに、ちょっとややこしいのですが、仮に「和牛が人気の」という言葉がなく、「和食ブームを反映した日本酒や緑茶、牛肉などは好調だ」という文章だった場合、「和食ブームを反映した」という言葉は牛肉にもかかります。これは読点の使い分けですが、この問題にはあまり関係しないので割愛します)


「和食ブームを反映した緑茶や日本酒などは好調だ。」という文。

「和食ブームを反映して、緑茶や日本酒などは好調だ。」なら通ります。

上で書いた通り、通常読点は言葉と言葉の関連を区切るために使われます。元の例文の場合、「和食ブームを反映した」という言葉と「緑茶や日本酒」の間に読点がないので、「和食ブームを反映した」という言葉は「緑茶」と「日本酒」両方にかかるものだ、ということが分かります。特に文法的におかしなところはありません。

後者の「和食ブームを反映して、緑茶や日本酒などは好調だ。」も、別に文章として問題はありませんが、和食ブームという言葉は緑茶や日本酒に直接はかかっていない形になるので、ニュアンスは若干変わってきます。「和食ブーム」という広い言葉をふわっと使って、その中の例として緑茶や日本酒を提示する、ということなら後者の文章の方が適していると思います。

上記の例文だと、「和食ブーム」と「緑茶や日本酒」を直接関連づけているので、後者の文章よりも言葉同士の関連が強くなります。


ブームというのはにわか人気のことですから、
2つの文は”牛肉が好調な時期の長さ”という点で違うと言えるはずです。

上で書いた通り、「和食ブームを反映した」がかかるのは「日本酒や緑茶」ですので、牛肉には直接関連しません。また、ブームがにわか人気という意味だということは、文章の構造を読み解くというこの問題とは特に関係がありません。


緑茶や日本酒はもともと和食のものなので、和食ブームを反映するというのは常識的に考えたら不思議な文章です。

和食が和食ブームを反映して好調になることは特に不思議ではないと思います。洋食が和食ブームを反映して好調になった場合は不思議です。

また、「和牛」が特定のブランドを指す名前で、「国産牛」とは違うということをどれだけの人が知っているのだろうかとも思いました。
「和牛」=「国産牛」のことだと思っている中高生には、
「和牛で人気の牛肉が輸出で好調」という文章は難解になると思います。

和牛が特定のブランドを指す名前だというのは、「文章の構造を読み解く」という点ではこの問題と特に関係がありません。



ということで、国語的には特に悪問ではないと思われるところ、「問題が悪い」と断言されるのはちょっと違う気がしたので解説させていただきました。

以上、簡単にご説明しました。よろしくお願いいたします。

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続きを書きました。



posted by しんざき at 16:50 | Comment(23) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月25日

電車のドアが閉まる音を再現しようとしていた君へ


電車に乗っていると、正面の座席に親子連れが座った。

お父さんに抱っこされた小さな男の子は、まだ1歳になっていないように見える。きゃっきゃしながら辺りに手を出そうとして、その度にお母さんになだめられていて、夫婦お二人は周囲に気を使ってなかなか大変そうだった。

あー、つい数年前はうちもあんな感じだったよなあ、としみじみした。個人的には、他のご家族のお子さんが多少騒いでもなんということはないので、それ程頑張って頂かなくてもいいとは思うのだが、周囲のことも考えるとそうもいかないだろう。しんざき家もそうだ。

そんな中、全然大したことじゃないのだが、面白いことに気が付いた。


その男の子が、駅につく度に、大きく息をつくように「しーーーーーーっ」と言うのだ。で、その度に、「どうだ!」と言わんばかりにお父さんを見る。

お父さんは、「そうだね、しーーだね」と言って、静かにさせる仕草をする。男の子はきょとんとしている。

あー。そうだ、あったあった。私には、男の子が何をやっているか、何をやろうとしているか、その見当がついた。


彼は、駅について、ドアが開く時、閉まる時の、空気が漏れるような音を口で再現しようとしているのだ。しかも、その音は結構再現度が高かった。


なんで私にそれが分かったかというと、なんということはない、うちの長男も同じことをやっていたからだ。彼は随分長い間その仕草をしていて、私にもしばらくはその意味が分からなかった。もう少し大きくなって、長男がかたことで話せるようになった時、私は彼から初めて、その音の意味を聞いたのだ。


〇〇くんは、しーーってしてるのなんで?


あのね、どあ、してうの。


ドア、してるの。

そう聞いた時の新鮮な感動は、今でも忘れられない。

そうだったのか、この子はずっと、ただただシンプルに、自分に聞こえた音を自分で再現しようとしていたのか。周りの世界を、自分なりの解釈で表現しようとしていたのか。

正確にあの頃のことだったのかよく覚えていないのだが、私はその頃から、「こどもと言葉でコミュニケーションが出来る」というのがいかに凄いことなのか、いかに楽しいことなのかを学んでいった、と思う。自分に全くなかった視点に気付かせてくれる。自分に全くない感覚を提示してくれる。それは、まるで120度の視界が急に360度になるような、不思議で鮮烈な驚きだった。


だから私は、そのお父さんに話しかけることはしなかった。「ドアの音を真似してるのかも知れないですね」とも言わなかった。


いつかきっと、お父さんと男の子との間に、あの時の私と同じような鮮烈なコミュニケーションが成立しますように。

人間と人間との間の、不思議な意思疎通が親子間の絆に変性していきますように。


私はただただ、そう思ったのだ。

私が降りる駅がきた。ドアが開いた。

ドアの前に立った私のすぐ横で、男の子が再び、「しーーーーっ」と言った。


posted by しんざき at 23:21 | Comment(1) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

長男と二人でさがみ湖プレジャーフォレストに行って「ナゾトキ迷路」をクリアしてきました 17/09/25

めっちゃ楽しかったです。


ご存知の方も多いと思いますが、さがみ湖プレジャーフォレストというのは、さがみ湖に程近い場所にあるレジャーランドでして、大型公園と遊園地の中間っていう感じの施設です。観覧車もあればバーベキューも出来ます。

で、プレジャーフォレストには幾つか迷路アトラクションがあるのですが、その迷路アトラクションと謎解きを組み合わせたイベントが「ナゾトキ迷路」です。


プレジャーフォレストでは、以前「LOST MOUNTAIN」が非常に難し楽しく、長男と二人で堪能しましたので、今回も長男が「行きたい行きたい行きたい!」と連呼。前日会社泊だったというハードスケジュールながら、男子組で特攻してきたわけです。

ナゾトキ迷路の開催は、閉園後の17時から。それまではプレジャーフォレストで遊びまくる算段です。

当日は朝から雨模様でして、とはいえ私と長男は根っからの晴れ男なので、どうせ晴れるだろうとタカを括って余裕のフリーパス購入。予想通り10時半くらいからは雨も上がり、当初雨の為中止になっていたアトラクションも復活し始め、色んなアトラクションを長男と二人で遊び倒しました。「極楽パイロット」と「ターザンマニア」が面白かったです。

ちなみに長男は、プレジャーフォレストのリフトがいたくお気にいりでして、それ程理由がなくても乗りたがります。多分今回も10回くらい乗ったと思います。

長男と一緒に相模湖プレジャーフォレストにきた!!!

大体、長男が一人でリフトに乗って、それを追いかけて私も一人で乗るのがお決まりパターン。

で、16時45分になり、園内レストランであるワイルドダイニングに集合。ルールや進め方の説明を受けて、いざスタートです。

ネタバレは避けますが、2時間という制限時間が結構絶妙で、謎解き自体はそこまで難易度高くないものの、迷路とのコンビネーション要素もあり結構焦りました。

今回、コンセプトが「迷路 + 謎解き」ということもあって、ことあるごとに迷路の存在がクローズアップされるんですね。挑戦される方は、事前にプレジャーフォレストの迷路を予習しておかれるのもよいかも知れません。初見だと結構迷路パートで苦労して時間を消費してしまう人が多かったように見えました。

最後の最後でちょっとてこずったものの、しんざき + 長男ペアはなんとかある程度時間を残して謎をオールクリア―。無事謎解き達成しました!

全体的なネタバレなし感想としては、

・謎:迷路が60:40くらいの比率。夜の遊園地で迷路アトラクションに挑戦!とかそんなダンジョン感が結構いい感じで楽しいです
・結構幾つも迷路を回ることになるので割と歩き周ります
・迷路でてこずると結構時間がギリギリになるかも
・謎解きの難易度自体はそこまで高くないです
・ただ、最後の謎はタカラッシュならではのなかなか歯ごたえがある難易度
・全体的には面白かったです

これくらいでしょうか。

10月14まで開催するらしいので、興味ある方は行ってみてくださいー。





いやー結構たくさんクリアしたもんですね。もうすぐ地下謎への招待状2017も始まるみたいなので、そちらも長男と二人で挑戦したいと思っている次第です。

ちなみに、謎解き後は温泉施設「うるり」で温泉に入りまして、八王子で宿泊。京王プラザホテル八王子だったんですが、部屋決めの時に「出来たら駅が見える部屋で」って言ってみたら八王子駅が11階から一望できる部屋を割り振ってもらえまして、長男狂喜乱舞。ずーっと窓際に張り付いて電車を眺めてました。

ホテルの部屋が八王子駅を展望できる絶好の部屋で長男狂喜乱舞

まあ、普段長男業を頑張っているので、たまには男二人旅もよろしいかと思った次第です。楽しい旅でした。

ちなみに、翌日は高田馬場で、ZUNTATAファンライブ「きゃっち・ざ・はーと!」の練習をしてまいりました。


こちらもかなりいい出来になりそうで大変楽しみなので、みなさんも良かったら。

今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 07:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月23日

ドラクエ11は、ほぼ期待通りの「絶対にドラクエでないと出来ないゲーム」でした

【ネタバレアリ】この記事には、ドラクエ11のネタバレが含まれます。裏ボスまでクリアしていない方には、折りたたみ箇所以降のこの記事を読むことを推奨しません。お気をつけください。


ドラクエ11(3DS版)を裏ボスまでクリアしました。



先に所感を書いてしまいますと、私自身は大変楽しめましたし、「ドラクエで、まだこんなに「すげえ!」と思わされるとは」と正直びっくりしました。

つい先日も、「さすが」と「まさか」の二つの軸について書きましたけど、私にとってドラクエって、どちらかというと「さすが」のシリーズだったんです。元々ある程度期待値が高くって、その期待値を大体はクリアしてくれて、「さすが大作のシリーズ、細かいところでよく出来てるなー」と感心する、というような。期待値と、その期待を裏書きされることが気持ちいいシリーズ。


皆さんは、「ドラクエの新作」と聞いた時、それに対して何を期待しますか?


私自身の話をすれば、

・制限と解放の気持ち良さ、世界が広がる時の気持ち良さ(参照:ドラクエにおける「世界が広がる瞬間」という話、あるいは11を遊ぶ前に書いておきたいこと
・丁寧なバランスコントロールと成長バランス
・よく考えればそれ程難しくない、けれどプレイしている間は意外と必死になる程度の絶妙な戦闘難易度
・随所随所に練り込まれた「ドラクエ的」な小ネタ

こういったところについては、ドラクエに対してかなりのクオリティを期待します。

一方で、ドラクエは昔から、シナリオ的にはそこまで作り込まれず、対象年齢層を考えれば児童小説や童話の軸に近いので、例えば「練り込まれた設定、緻密なシナリオ展開」とか「感動的な、泣ける展開」みたいなものは、少なくとも私は全く期待しません。

ドラクエという物語は、「よく出来た児童小説」として考えるべきだ、と私は思っています。「児童小説にめっちゃ練り込まれたゲームシステムがついてきた」という感覚で、私はドラクエというゲームを捉えています。

で、上記期待したような内容は、今回のドラクエは完全に、100%満たしてくれていました。この点文句は全くありません。


・ゲーム展開と共に、最初は狭く、ある段階から一気に広がっていく世界観
・「不思議な鍛冶」を軸として、工夫すれば工夫する程強くなれる、けれど絶妙に破綻しない成長バランス
・やり込むという程鍛えていないキャラクターたちに、そこそこの高さのハードルを提供してくれる敵ボスとダンジョン

文句なし。この辺については、ドラクエ11は実に「よくできたドラクエ」であって、スキルであーだこーだ悩む楽しさ、武器をあーだこーだ迷う楽しさといった副次的な楽しさも含めて、大変楽しませて頂きました。この辺、「さすが」の面白さだと私は感じたのです。あと、戦闘時のAIが4の頃に比べるとめっちゃ頭よくなったよなあ…と思いました。

で、今回私が「まさか」と感じたのは、「これでもか」と言わんばかりのシリーズファンに対するファンサービスでした。


以下、折りたたみます。


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posted by しんざき at 00:24 | Comment(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月20日

ポンポさんの記事についていたコメントにご回答します


pixivで読めるのに何でわざわざ買うんですか?

金が余ってるんですか?

端的にご回答しますと、「自分が好きなコンテンツを作ってくれた人にお金が渡って欲しいからに決まってんだろバーーーーカ」ということになります。

よろしくお願いいたします。


下記は参照エントリーです。

posted by しんざき at 23:03 | Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「科学万能主義」みたいなものを勝手に脳内で設定してシャドウボクシングしてる人


たまに見るんですが。

これは断言していいと思うんですが、「科学は絶対的に善であり、間違うことはない」「科学は万能である」と思っている人がいたとしたら、その人は「科学って何?」というところからよく分かっていない人です。

そして、私が知っている限り、ちゃんと論拠をもってニセ科学批判をしている人の中にそういう人は一人もいないと思うんですが、どういう訳か、「科学万能主義」「科学絶対主義」みたいなものをワラ人形に据えて、それを批判するという人は結構頻繁に目にします。


例えば先日、科学万能主義が云々、ということを枕に、牛乳有害説を取りあげている人を見かけました。どうもあまりアクセスを送らない方が良さそうな案件だったのでリンクは貼りませんが。

まあ牛乳については、乳糖不耐症の人とかもいるし、体質に合わない人は飲まない方がいいんじゃないの、けど牛乳自体が有害って言うのは明白におかしいよね、という程度の意見なんですが。私が知っている限り、牛乳有害説を批判している人の中に「科学は万能である」という人は一人も観測出来ないので、具体的には誰を指しているのか教えてもらえると嬉しいなーと思いました。

ちょっと前にはこんなツイートも観測しました。



「ニセ科学批判の人、かなりの割合でそうなっている印象がある。」ということなんですが、これも同じく、ニセ科学批判界隈の人で「科学は絶対的に善であり、間違うことはない」と言っている人を観測したことが一度もないので、出来れば具体名を挙げてもらえればなーと思います。


科学というのは凄く広い言葉なんで、一言で説明するのは難しいのですが、共通する方法論というのはあります。科学的方法とか、科学的手法とか言われるヤツです。



細かく解説すると長くなるんでざっくり書きますと、「測定可能性」「再現性」「論理的整合性」辺りがここで取り上げたいキーワードになります。

つまり、

・実験によって測定することが出来、
・同じ条件であれば、誰がやっても同じ結論を導くことが出来、
・証拠を元に、きちんと筋道だった結論が得られること

を科学の対象とするんだよ、という話ですよね。まあ分野によっても色々変わってはきますし、ここで書いてあることが全てじゃないのは当然ですが。

これって、裏返すと、

・一人で証拠もなしに勝手に導いた結果は科学的に正しいとは認められない
・反証の機会を提供しないものは科学的に正しいとは認められない

っていうことですよね。

つまり、「一人でやると間違えるから、色んな人が検証して、皆が正しいと賛同出来るものを正しいと考えましょう」というのは、科学の重要な考え方の基盤なんです。「人間は間違えるから、皆で確認しましょう」っていう考え方なんです。

ある事象が「科学的に正しい」と一旦認められたとしても、それが後から覆されることっていうのは全然珍しいことではありません。科学は、常に検証するものですし、常に反証可能性を考慮するものです。

現実、論文は色んな人に検証・確認(査読と言います)してもらえないと妥当だとは認められないし、一度認められたものが後からひっくり返されたりもする。

一人、あるいは仲間内だけで勝手に「正しい」と言っていることよりも、皆で「正しいかな?正しいかな?」と議論され続けられているものの方が信頼できる。多分当たり前のことですよね?


その辺のことが分かっている人であれば、間違っても「科学は万能である」とか「科学は絶対である」なんてことは言えない筈なんです。逆に、「万能も絶対も存在しないから、その時点でなるべく妥当だといえることを「正しい」と考えようね」というのが科学、という風に言ってもいいかも知れません。まあこれも随分ざっくりした話なんですが。


ただ、いわゆる科学的方法と相性が悪いものを信奉している人達にとっては、「科学絶対主義」「科学万能主義」というものが存在した方がどうも都合がいいらしいんですね。

「偏狭な」「自分たちの理屈以外を認めない」「他の考え方を許容しない」というようなイメージが科学にあった方がぶん殴りやすいし、「科学から迫害されているけど実は正しい私たち」を演出しやすい、ということなんでしょうか。科学を「権威」と設定して、敢えてその権威を否定してみせることで注目を稼ぐ、元々その分野をよく知らない人に「そうだったのか!」と思わせて信用させる、といったテクニックを使われる人も散見されます。


そういうの好きじゃないなあ、と。


私はどちらかというと科学的方法を信頼している方なので、科学を何か勘違いしたワラ人形にしようとしている人たちがいると気になりますし、「科学ってそういうもんじゃないと思いますよ」と言いたくなります。そういう人たち自身はもう手遅れだったとしても、もし同じように科学を誤解している人がいれば、出来れば誤解を解きたいなーと考えている次第です。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 06:55 | Comment(26) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

「映画大好きポンポさん」の感想と、「まさか」と「さすが」の同時並行バランス、という話

「映画大好きポンポさん」を買いました。


いや、実はPixivに掲載されていた版で既に読んでいたんですが、大変楽しませて頂きましたし、長男やしんざき奥様も好きかもなーと思って書籍版で買っておこうと思ったんです。相変わらず面白かったですし、長男も大変楽しく読んでおりました。「ブラドックが出てきてから特に面白かった!」だそうです。

で、長男とも話していて、この作品は「まさか」と「さすが」のバランスがとても素晴らしいなーと思ったので、ちょっとそれについて書いてみたくなりました。ネタバレが混じるのでお気をつけください。

私は、漫画や小説の面白さを考える時に、「まさか」と「さすが」の二つのカタルシスが結構重要だと考えていて、以前からちょくちょくこれについての話をしています。あ、カタルシスというのは、まあ「気持ち良さ」という程度に読み替えてください。

まずは定義の話をします。


1.「まさか」と「さすが」のカタルシス、とは。

「まさか」というのは、要は逆転の気持ち良さ。周囲から評価されていない、あるいは弱い立ち位置のキャラクターが、「まさか」と思えるような大活躍をしたり、素晴らしい成長振りを見せたり、強敵に大逆転勝利をしたり。今まで舐められていたキャラが周囲を瞠目させる、といった展開は、この「まさかのカタルシス」の定番の展開です。「弱いキャラが大逆転すると気持ちいいよね?」という話です。


一方、「さすが」というのは、要は信頼の気持ち良さ。最初から高い評価を受けている、あるいは強い立ち位置のキャラクターが、期待通りの、あるいは周囲を納得させるような活躍をした時の気持ち良さ。師匠系立ち位置のキャラが無双したり、周囲が「流石〇〇だ」とつぶやくような活躍をした時の気持ち良さがこちらです。「強いキャラが大活躍すると気持ちいいよね?」という話です。

この二つの使い方が上手い、あるいはバランスが良い漫画や小説には、読者を気持ちよくさせる瞬間がたくさん含まれています。特に少年漫画の名作は、大体がこの二つを巧みに使い分けている漫画ばかりだと私は考えています。

これを前提に、「映画大好きポンポさん」について考えてみましょう。


2.「映画大好きポンポさん」におけるキャラクターの立ち位置。

映画大好きポンポさんには、主役といって良さそうなキャラクターが多分2人います。

一人が、タイトルにもなっているポンポさん。彼女は、映画界の巨匠ペーターゼン(多分ウォルフガング・ペーターゼンから名前を取っているのでしょう)の孫娘で、幼少の頃からその薫陶を受け、映画に関する才能からコネクションからリーダーシップから、様々な物を受け継いでいます。彼女は、「泣かせ映画で観客を感動させるより、おバカ映画で感動させる方がかっこいい」という持論の持ち主で、B級映画に分類されるような映画を作ってはヒットさせる、映画製作の達人として描写されます。

もう一人が、ポンポさんの助手のジーンくん。彼は、子どもの頃から「映画の中だけが僕の世界だった」という映画マニアで、ポンポさんから「ダントツで眼に光がなかった」と言われる、まあ言ってしまえば卑屈で自己評価が低いキャラクターです。物語は、彼の才能の開花を軸として動きます。

他、ミスティアやナタリー、あるいはブラドックといったキャラも勿論メインキャラクターなのですが、まずはこの二人、非常に対照的な二人のキャラクターが「映画大好きポンポさん」の主役、といっても特に問題ないでしょう。


3.「映画大好きポンポさん」における「まさか」と「さすが」の配分。

で、みなさんお分かりかと思うんですが、この漫画において、ポンポさんは「さすが」のキャラクターであり、ジーンくんは「まさか」のキャラクターです。二人は、漫画における役割を完全に分割しています。

ポンポさんは、インタビュー冊子で作者さん自身が語っているように、言ってみれば「無敵」のキャラクターであって、作品世界においては最初から最後まで最強です。映画というフィールドにおいて、作る作品作る作品全てヒットし、真面目に脚本を書けばサクっと大作を完成させるポンポさん。彼女は、周囲からの評価通りの活躍を軽々と飛び越え、ナタリーやジーンくんといったキャラクターの救済までこなしてしまいます。この漫画におけるスーパーヒーローです。

一方のジーンくんは、物語開始当初、周囲からなんの評価も受けておらず、自己評価の低さもしばしば描写されます。彼は、ただ一人ポンポさんによって、「社会に居場所がない人間特有の追い詰められた目をしている」というところを買われ、クリエイターとしての潜在能力の大きさに期待されています。

そんなジーンくんの(漫画的な)見せ場が、以下の二か所であることは多分間違いないでしょう。

・「MARINE」の予告映像を作り、コルベット監督とポンポさんから評価された場面
・マーティン・ブラドックの指揮の経験についてすらすらと語り、ブラドックから感心される場面

これ、「映画マニアとしての彼の才能、知識がまさに周囲から認められた瞬間」であって、彼の人生が結実した場面であると同時に、「弱い主人公が周囲の評価を覆す大活躍をして、周囲に認められる」その瞬間でもあるんですよね。まさに、上記でいうところの「まさかのカタルシス」のお手本のようなシーンだと思います。そして最終的に、ジーンくんは彼の周囲だけではなく、映画界において大きく評価されることになる訳です。

ポンポさんが活躍すると、読者には「強いキャラクターが期待通り活躍する」さすがのカタルシスが提供されます。

ジーンくんが活躍すると、読者には「弱いキャラクターが周囲の評価を覆す大逆転をする」まさかのカタルシスが提供されます。

映画大好きポンポさんという漫画において、「まさか」と「さすが」のカタルシスは、キャラクターごとに完全に分断されています。これは例えば、ミスティアとナタリーの二人の関係でも(ポンポさんとジーンくん程明確ではないですが)言えることです。

「映画大好きポンポさん」は、勿論描写自体上手いし背景知識も深いしとても面白い訳ですが、少なくとも私が楽しめた理由の一番大きなところは、この「カタルシスの配分」だと思っています。

キャラクターの役割を分けることによって、「まさか」と「さすが」のカタルシスを同時並行で読者に感じさせる、この物語展開はとても上手いなーと。読んでいて気持ちいいなーと。そんな風に、勝手に感心した次第なのです。


ちなみに、キャラクターの役割が「まさか」と「さすが」で分割されている作品自体は他にもたくさんありまして、例えば初期の「はじめの一歩」なんかその典型だったと思います。鷹村が「さすが」のキャラクターで、一歩が「まさか」のキャラクターでしたよね。一歩が段々強くなってしまって、キャラクターの役割配分が途中から上手くいかなくなっちゃった感も多少あったりもするんですが。SLAM DANKとかアイシールドなんかもそんな感じ(「まさか」キャラと「さすが」キャラの分割同時描写)でしたかね?


「映画大好きポンポさん」の話に戻りますと、各キャラクターの好きな映画三作について、おまけ漫画で掘り下げられていたのも個人的に面白かったです。特にポンポさんが痛快。

私自身は、映画自体あんまり見てないんで好きな映画三作っていうと子猫物語とゴジラとゴーストバスターズ(初代)とかになっちゃいますが、好きなレトロゲーム三作なら色々書けるかも知れません。


まあなにはともあれ、映画大好きポンポさん面白いですよねーと。PIXIV発の漫画っていうのも盛り上がって欲しいなーと思ったんで、長々書かせて頂いた次第です。


今日書きたいことはそれくらいです。










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2017年09月18日

サンテス000Aを見に行きたかったんですがいけませんでした 17/09/18

悔しいので関西ゲー音部ヨルノブにだけ参加してきました。


ということで、自分でもかなり豪快なバカをやらかしたとは思うんですが、16日は会社でリリース作業がありまして、それが結局18時くらいまで続き、おまけに体調もかなり悪くってどう考えても自重するべきところだったんですが、気が付いたら何故かそこは新大阪で夜の21時半くらいでした。

なぜ俺はこんな時間に新大阪にいるんだろう。。。?

不思議なこともあるものですね。

ゲームミュージックサウンドライブ「サウンドテスト」は、ゲー音部の人々が首魁となって開催されることが多いゲームBGMライブでして毎回素晴らしく、今回は節目となる000A回なのでぜひいきたかったんですが着いた頃には終わってましたがっでむ。


仕方ないので、たまたまそこで飲んでいた集団に交じって私もヤケ酒を飲もうと思ったらゲー音部の人たちでした。不思議。

関西ゲー音部の方々や関東ゲー音部の方々やお世話になっている方々と色々くっちゃべり、午前0時からの健康的なゲー音部に参加。やはり早起きは気持ちいいですね。

色んな曲を山ほどやったんですが、普段一緒に演奏し慣れている関東ゲー音部の面々だけでなく、普段はあまり接触のない関西ゲー音部の皆様と演奏出来たりお話出来てとても楽しかったです。

特に印象に残っている曲について何曲か。


ミネルバトンサーガはもう超名曲しか存在しないんですが、@sharekobeさんと@sabao38さんがいらっしゃったので、前回はとっさに合わせられなかったED曲に付き合っていただきました。構成は色々いい加減だったんですが、とにかく演奏出来ただけで超満足。FC RPGのED曲の最高峰だと思います。


・クロノトリガー OP

クロノトリガーから。クロノトリガーっていうと時の憧憬が演奏されること多いと思うんですが、そっちもいいんですが実はOPが一番好きだったりするんですよね。

これは関西ゲー音部の皆様が大活躍される感じで、私はもうあんまり吹かなかったんですが大変堪能させていただきました。いいですよね。この後ガルディア王国千年祭もやった。


・天外魔境II フィールドBGM

PCエンジンの最高傑作、天外魔境IIから。これも超名曲ですよねー。以前一回やったんだけどだいぶ忘れていて、かなり手探りでの演奏になりましたが、なんだかんだでその弐まで出来て満足です。途中の笛パート、ちゃんとおさらいしておこう。


・MOTHER ポリアンナ

井上大地さんの帰り際、なんと歌つきで大変豪華なポリアンナを聴かせていただきました。途中ソロまで振っていただいて大恐縮。回しながら演奏するのは大変楽しいですね。


・SDガンダム2カプセル戦記 青チームの曲

カプセル戦記の曲はもっと定番になってもいいと思うんですが、これがまたなかなか演奏できないんですよ。皆カプセル戦記やりましょうカプセル戦記。個人的にはぶっつけ本番だったのでかなり記憶頼りだったのですが、楽しかったのでよしとします。


・オバケのQ太郎 わんわんパニック メインBGM

麺さんのリクエストで、「ワンワンパニックの曲を超盛り上がる感じで」ということでしたので色々頑張りました。シンプルなメロディライン程頑張って吹くと味が出る、ような気がする。

あと、火の鳥鳳凰編っていうと大和ステージの曲が割と定番なんですけど、太古ステージもいいですよね。



まあとにかく山のように演奏した訳です。流石に5時間も演奏するとなかなかあったまりますね。もう2時間くらい演奏してもいい気分ではありましたが。

その後、他遠征組の皆さんは他のイベントにも回られるようだったのですが、私は諸事情で昼には帰らないといけなかったので失礼して、その辺のマンガ喫茶に潜り込んでひと眠りした後、梅田でラーメン食べてから東京に直帰しました。サンテス観れなかったのは残念無念ではあるものの、色んな人と遊べて楽しかったです。

ということで、関西ゲー音部の皆様、またぜひ遊んでくださいーー。


あと、来月10/21には、ZUNTATAファンによるZUNTATABGMライブ、「きゃっち・ざ・はーと!」もあるのでご興味おありの方はぜひ。




一旦それくらいです。

















posted by しんざき at 17:39 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月13日

しんざき家でお手伝いお小遣い制が試験導入されました

されました。

長男10歳、小学4年生。長女と次女は5歳の双子、来年から小学1年生。

しんざき家では、現在定額のお小遣い制度をとっておらず、何か必要なもの、欲しいものがあったら都度相談ということになっています。おもちゃやプラレールは、ありがたいことに色んな方から頂いたり、誕生日に買ってあげたりするんで今のところ特に不足にはなっておらず、日々のおやつは割と普通に買ったりしてるんで、今のところあまり必要になっていない、という事情もあります。

ただ、最近、特に長女と次女が「じぶんのお金でおやつ買いたい」というリクエストを熱烈に出したらしく、じゃあってことで奥様がお手伝いお小遣い制を導入したわけです。

といっても金額は可愛いもので、

・お布団片づけ:7円
・雑巾かけ:10円
・洗濯物取り込み:5円
・掃除機かけ:5円

とかこんな感じです。他にも項目はあったと思いますがうろ覚え。

長女次女はまだお金の価値の感覚はまるでないのですが、「とにかく自分で働いてお金がもらえる」ということで大喜び・大はりきりしているらしく、やたら積極的にお手伝いをしています。意外といったらなんですが、ある程度お金の概念が出来ている長男も積極参加している模様。「1日10円稼いだら一年間で3650円もたまる!」と言っています。何にせよ、自分で稼ぐというのは嬉しいみたいですね。

ルールとして、「お片づけ、お着換えなど、元々しなくてはいけないことはちゃんとした上でないとお手伝いは出来ない」ということ。どうも、次女はともかく長男と長女はお片づけが苦手な傾向があるので、その辺改善されるといいなあと思いました。

一応、この制度自体メリットデメリットというか、いいこととリスクがあるなーとは考えたんです。


【良いこと】
・積極的にお手伝いに参加してくれるようになるかも
・お金の大事さが実感出来るかも
・金銭感覚が身に着くかも
・お金を管理することによって初歩の算数が身に着くかも
・家事のスキルが身に着くかも

【リスク】
・お金が絡まないとお手伝い的な行動をしないようになるかも
・なんでもお金をねだるようになるかも

といったところです。

導入してから1週間ちょっと経つんですが、現在のところリスクに該当しそうな部分は特になく、課題にはなっていません。まあ、しばらくは見守ってみようかなーと思います。

一方、長女次女は数十円稼いだところで勢い込んでおかしのまちおかに連れていってもらったようなのですが、「お金は使うと減る」ということをまだ認識していなかった模様。「パパやママがお買い物する時は、いつも返してもらってるから返してもらえるんだと思ってた…」とのこと。それはお釣りです。

結局、「減る」という現実を受け入れられず、まだ自分のお金でおやつは買えていないようです。まあ、いずれ金銭感覚もついてくれば、適切なお買い物が出来るようになると思います。

ちなみに長女と次女、「今おかね17こたまった!」「わたしは14こ!」みたいに、お金を「個数」で数えているので、まだいまいち単位は理解出来ていないようです。これもその内教えてあげないとなーと。

長男の方は、プラレールの線路が買えるまでじっくり貯蓄する方針である模様。これはこれで頼もしいと思いました。


今日書きたいことはそれくらいです。


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2017年09月11日

【ドラクエ11ネタバレアリ】シリーズ最新作における過去作オマージュが好き過ぎる、あと現在までの感想

以下記事にはドラクエ11のネタバレがあります。一応ネタバレ感想前で折りたたみますが、まだ裏ボスまで到達されていない方には記事参照をお勧めしません。ご注意ください。



どうもしんざきです。元気にやまびこイオグランデしてます。

ドラクエ11ですが、現在プレイ時間が50時間ちょっとで、レベルが平均56くらい。表ボスはクリアして、現在クリア後を遊んでいるところなんですが、「これもしかすると、進行度的にはまだようやく(3でいうところの)バラモス倒したくらいなんじゃねーか…?」と戦慄しているところです。

まだ裏ボスは倒していないんですが、一応いつでも裏ボスに挑戦出来る状態にはなりまして、今は各地のクエスト消化・宝箱回収に勤しんでおります。

以下、一応折りたたみます。

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2017年09月08日

敵役におけるドヤ顔問題、あるいはバーン様すごいよねという話


ドヤらない凄み、というものがある気がするのだが、大した話ではない。


「DRAGON QUEST-ダイの大冒険-」、という漫画がある。その名の通りドラゴンクエストの世界観を下敷きにした、少年ジャンプ漫画の金字塔の一角だ。連載は確か、1989年から1996年までの7年間だった筈なので、もう20年以上前の漫画ということになる。

元より、レベルアップあり、仲間あり、中ボスやら魔王ありというドラゴンクエスト世界観が、ジャンプ漫画のフォーマットと極めて相性が良かったということは論を俟たないだろう。時には敵が味方になる展開あり、時には意気地がなかった味方が覚醒する展開あり、時には仲間との死別ありと、稲田浩司先生の描写力もあいまって、実に熱い漫画だったと思う。


ところでここにバーン様がいる。


バーン様は、物語当初のボス格として提示される魔王ハドラーの、更に上に立つ存在であって、ドラクエ3で言えばバラモスに対するゾーマ様に当たる。主人公であるダイ達の前に立ちふさがる、最後にして最大最強の壁である。

ゾーマ様と同じく、バーン様も絶大な威厳とカリスマの持ち主であって、数ある「少年漫画のラスボス」の中でも、インパクトの強さや印象深さという視点では指折りの存在ではないだろうか。なんか世間ではアニメ評論のコラ素材に使われまくったりしているらしいが、まあそれはこの際どうでもいい。

で、細かいことはネタバレになるので簡単に触れるが、バーン様には老人形態と若者形態がある。老人形態でも十二分に強いのだが、若バーン様になると更にものっそいパワーアップする。

ここで注目したいのは老バーン様なのだが、彼には「殆どドヤらない」という特徴がある。普通の少年漫画ならドヤ顔をしてもよさそうな場面で、全くドヤ顔をしないのだ。むしろ淡々としているのだ。

ネットでは非常に有名なシーンなのだが、こんなコマがある。

バーン様.png

バーン様の強烈な火球を見て「メラゾーマか」と勘違いをしたダイ達に対して、「今のはメラゾーマではない…」という前置きをしてから放った一言がこれである。大魔王の魔力をもってすれば、基本呪文のメラでさえ恐ろしい威力になるという、バーン様の凄み、バーン様という壁の強大さを端的に表した名シーンであると思う。

この時のこの表情、お気づきと思うが、バーン様全くドヤってない。むしろ淡々とした、「魔王が強いのは当たり前やん…説明すんのメンドくさ…」とまで言いたげな無表情。


これこそがバーン様の凄みではないかと思うのだ。


つまり、バーン様にとって「大魔王が物凄く強い」などということは当たり前のことであって、それをいちいち強調する必要などないのだ。ダイ達が力の差を見せつけられて委縮しようがしなかろうが、それすらバーン様にはどうでもよく、自分が絶対的優位なのは当然のことなのである。そこでいちいち得意げな顔になる必要などないのだ。

ここだけの話ではなく、この後の「これが余のメラゾーマだ」のところでも、僅かに口角は挙がっているものの、ドヤ顔という程のドヤ顔は見られない。それでいて、「鍛え上げて身につけた強大な力で弱者を思うようにあしらう時気持ちよくはないのか?」と、特に優越感を誇ること自体は否定しないのがバーン様である。この重厚さ、懐の深さが、バーン様の威厳の源泉であると考えるのはそれ程おかしいことではないだろう。まあ老人顔である影響もあるかも知れないが。


一般的な少年漫画のボス格というのは、むしろ主人公たちの絶望を煽るような場面で、ドヤ顔をすることの方が多い。例えば、これもweb上では超絶著名なドラゴンボールの敵ボスフリーザ様。

フリーザ様.png

このドヤ顔はどうだ。別にそれが悪いという話ではなく、ドラゴンボールの敵役というのは割と頻繁にドヤ顔をするのだが、フリーザ様はその傾向が特に顕著である。ドヤ顔に手足をつけて戦闘力53万を投与するとフリーザ様になる、といっても過言ではない。

といっても、フリーザ様は勿論これはこれで完成されたキャラクターであり、相手を積極的に絶望させにかかるところも含めてフリーザ様の個性なのであって、悪役としてのフリーザ様がバーン様に劣る、とかそういう話ではない。

ただ、「ドヤるかドヤらないか」という軸自体はおそらく存在し、少年漫画における多くの敵役が「どちらかというとドヤる」という特徴を持っている中、バーン様のドヤらなさは特筆すべきであり、そこがバーン様の魅力の重要な一部分である、という話をしたかった次第である。(若バーン様については実は若干のドヤ分がある気もするのだが、まあ今回は老バーン様の話なので割愛する)

あと、もう一つ「敵ボスが全くドヤ顔をしない」という作品について、私は聖闘士星矢の可能性を考えているのだが、こちらについてはまた色々と材料を集めて語りたいと思う。あの人たち大抵めっちゃ真顔で決めポーズとってるんでドヤ分少ない気がする。先に断っておくが、デスマスクは例外。


今日書きたいことはそれくらい。



posted by しんざき at 07:13 | Comment(3) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月06日

東大後期入試ってのがあったんですよ


今ならいいかも知れないと思って、書く。ただの個人的な昔話だ。


高校の頃色々あって、バーの二階で下宿のようなことをしていた。そのバーのマスターは同性愛者であることを公言していて、バーには近所の水商売の女性がよく飲みにきていて、バーの部屋にはトイレもフロもなくて、夜になると私は近所の公園に用足しにいっていた。

この時の話は、以下の記事で書かせてもらった。バーはもうないし、マスターももういない。大した話ではないが、気が向いたら読んでみて欲しい。


私は、その頃からずっと東京に行くつもりだった。東京に行くんだ、ということだけは決めていた。理由は他愛もないものだったのだが、今は省く。

これを言うと冗談かと思われるのだが、割と真面目に、「東京の大学」というものを私は東大しか知らなかった。地元の大学についてはそこそこ知っていて、例えば名大とか、愛知大学とか、南山大学とか、中京大学とか、そういうのが地元の大学だった。ただ、東京の大学についての知識は全くなかった。

これも色々と事情があり、当初私は大学に行けるとは思っておらず、「大学に進学しつつ東京にいく」という発想が全くなかった。「大学にいく」と「東京にいく」は、二択だと思っていた。だから東京の大学についての情報収集も全然してはいなかった。

そんな私に、本当にひょいっと「東京の大学にいく」という選択肢が浮上してきた。これも人の縁というもので、細かいところは長くなるので省くが、私は人生の節目節目で大抵誰かしら、拾ってくれる人が現れる。ありがたいことだと思う。

大学は、受けるだけでも金がかかる。何校も受ける金など無論なく、「じゃあ東大にするか」と私は決めた。他に受ける大学を思いつかなかった、というだけの理由だ。受からなかったら働けばいいや、くらいに考えていた。

正直な話、受かる見込みが十分あったわけではない。高校での成績はそこそこ良かったし、自分の頭にはそこそこ自信もあったが、例えば予備校に通ってガリガリ受験勉強をしていたわけではないし、高校も別に進学校でもなんでもない。ここ30年くらいで東大に受かった人がたった二人、とかそんな感じの高校だ。まともにその辺の人たちと勝負したらまあ勝てんだろうな、とは思った。


一つ、当時の私が自信を持っていたものがあった。小論文だ。


その頃、私はゴーストライターっぽい仕事をしており、ありとあらゆるテーマで、ありとあらゆるジャンルの文章を書いていた。文章構造についての指導もイヤという程受けた。ブログでてきとーなことを書き散らしている今よりも、当時の方がよほどしっかりした文章を書いていた筈だ。

東大の入試について色々調べてみると、後期入試というものがあることが分かった。東大文三であれば、センター試験は英国200点満点、数学IAか世界史日本史地理から100点満点、後は倫理や現代社会政治経済から一つ選ぶことが出来る。

600点満点で、大体520〜530以上とれば足切りを突破出来るらしい。センターの成績は、足切りさえ突破すれば二次では問われないらしかった。

二次試験は、英語は長文読解及びそれに基づく論文、国語は同じく小論文が三問で、これなら勝負できるかも知れないと思った。センター試験の足切りにさえ引っかからなければよいのだ。論文にたどり着きさえすれば、仮にもプロとして活動している自分が、受験生に負けることはそうそうないと、大した根拠もなく信じ込んでいた。

当時の私はかなり奇天烈な成績をもらっていて、理系科目についてはホント―にまるでダメだった。物理も化学も生物も地学もさっぱり分からなかったし、数学もIIB以降についてはさっぱり自信がなかった。

一方、国語については、現代文も古文も漢文もなんでもござれ、という程度に自信はあった。英語もそれなりに出来た。世界史日本史地理には全く自信がなかったが、倫理は殆どが常識問題で、センター入試でもそこそこの勉強で9割はとれるという見込みがあった。であれば、英国数合わせて70点程度は間違えられる。

今から改めて考えると随分とまあ甘い見積もりだが、何かの間違いで私は足切りを突破して、東大文三の後期入試を受けることになった。入試会場は確か駒場だったが、最初間違えて本郷に行きそうになった。危ないところだった。


後期入試の問題は、詳細なところは覚えていないが、確かボンペイについて書いた文章を読んで「パニックについて思うところを論ぜよ」みたいな問題と、アフリカについてのエッセイを読んで「エッセイとは試みの意味である。この文章の試みについて論ぜよ」みたいな、かなり変化球な問題だったことを記憶している。


変化球なテーマには慣れている。結果から言うと、私があれこれ考えて記述した小論はなんとか二次試験を突破して、私は東大に合格することになった。受験は東大後期一本、受からなかったら就職して働くかという二択だった。

ちなみに、この後私はフランス語を選択して、入ったクラスには文三後期フラ語選択の人間が殆ど全員集められていたらしかった。妙なヤツらばかりで色々と面白かった。フランス語の単位は落とした。


というわけで、私の成績やら勉強やらは、実のところ世間一般の東大生へのイメージとはかなりかけ離れている。やったことは、どちらかというとスキル極振りの一芸入試に近い。同じように後期入試で受かった人間は何人か友人にいて、一人の例外もなく奇天烈なヤツらばかりだった。

2016年から東大は後期入試を撤廃して、代わりに推薦入試を導入した。かつての私や友人たちのように、スキル極振りの妙なヤツが入学する余地が狭くなってしまったのかと思うと、若干寂しい気もする。


いつか書こういつか書こうと思って、ずっと書きそびれていたテーマだ。私は出身大学に一応の誇りを持っているが、かといって東大生というバッジをつけて社会を歩く気はなく、自慢ととられるのも避けたいという妙な障壁があった。卒業して15年も経てば、流石に出身大学などどうでもよくなる頃で、逆にこだわらなくて良かろうと思ったので書いてみた。


今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 07:25 | Comment(3) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月05日

エルゴめっちゃ便利ですよね

エルゴっていうのはこういうのです。いわゆる抱っこひもの凄いの、って感じです。



下の子も5歳になりまして、流石に抱っこ紐を使う機会もなくなりました。今後の私の人生において、再び再び抱っこひもと接触する機会があるのかどうか、かなり微妙なところです。孫でも出来て、かなりがっつり子育てサポートすることにでもなったら分かりませんが。

とはいえ、子どもが2歳くらいまでの頃はホントにもうエルゴベビー大活躍でしたし、うっかりすると3歳くらいまでは普通に使ってました。我が家には未だ、長男用、長女用、次女用の3つのエルゴが安置されています。長男用は使い込み過ぎてぼろぼろになってしまったので、わざわざ長女用次女用に新しいのを買ったのです。

エルゴの凄いところは、

・リュックでも背負うレベルで装着が簡単
・子どもの重さが上手いこと分散されて、肩や背中が非常に楽
・子どもを覆う面積が広いので、なんか子どもが安心する
・おんぶと抱っこ両対応なので、ちょっと根性があれば双子を同時に輸送することが出来る

という感じになります。

長男が生まれてしばらくは、おんぶ紐やら抱っこ紐やらいろいろ試したんですが、まあどれもなかなか大変なんですね。不安定だったり装着に手間がかかったり。大体、子ども抱っこして出かける時なんて多かれ少なかれ急がなくてはいけないわけで、装着に時間がかかるってのは大きなデメリットです。その点エルゴは超楽。ベルト止めて、子どもをよっこらしょと引き上げて、腕を通して、首の後ろでパチンと止めるだけ。この手間のかからなさは凄いメリットです。

子どもも子どもで、なんかエルゴは安心感が非常に高いらしく、よく喋るようになった後でも何かと言うと「えるご!えるごして!」といってエルゴをリクエストするわけです。こちらとしては「ぼちぼち歩いてもいいんじゃね?」という頃にも抱っこをねだるので、少々困ったこともありましたが、それでも抱っこ紐なしで抱っこして輸送するよりも遥かに楽だし遥かに安全です。長女次女がどっちも寝てしまって往生した時とか、エルゴなしだったらどーなってたことやらって感じです。

我が家は長女次女が双子なので、おんぶ + 抱っこのダブルエルゴというのもしばしばやっていたのですが、これ流石に相当体力がいるので、ダブルエルゴでお出かけの後はへとへとになるのが常でした。ただ、エルゴなしだとそもそもお出かけ自体が困難なので、体力消費軽減に相応の効果があるのは確実だと思います。対象が一人だとめっちゃ楽です。

育児は何しろ体力勝負なので、体力の消耗を避けるオプションは可能な限り選択していった方がよろしいかと思います。エルゴはそれなりに高価なのですが、値段に見合ったお勧め度合はあるとお勧めさせて頂きます。

web上で抱っこ紐に関する話を見て、ふとエルゴについて書きたくなった、というだけの記事でした。

今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 18:27 | Comment(1) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドラクエ11における、「夜」という演出の旧作からの違いについて



ふとどうでもいいことが気になりました。


ドラクエ11には昼夜の概念があります。

ドラクエシリーズにおいて、3から始まった昼夜入れ替わりのシステムは、4,5と継続し、6,7で一旦無くなり、8で復活しました。

5まではフィールドを歩くか特定の呪文・アイテムを使うしか昼夜を入れ替える方法はなかったのですが、8からは宿屋で「休む」ことによって夜にすることが出来、9,10もそれを踏襲しています。


ふと気になったこととは、「なんか夜なのに街に人が多くね?」ということでした。


一般的に考えて、夜には人は家に帰るものですし、寝るものです。ドラクエにおいても、特にSFCのドラクエまでは、一部例外はあるものの、夜には町から人の姿が消え、台詞の内容も夜用に変わることが一般的でした。家に入り込んでも座って休んでいる人、寝ている人が多かったですし、店は使えなくなったのです。

一方、ドラクエ11をやっていると、夜になっても街には人が溢れているのです。武器屋や道具屋も普通に使える。普通に通行人がいるのみならず、台詞の内容が昼間と変わっていない人も少なくない、というか変わっている人を探す方がむしろ大変です。

一応、夜には城に入れなくなっていたり、夜しか会えないキャラクターがいたり、夜しか出てこない敵、夜しか発生しないイベントがあったりと、決して昼夜のシステムが無意味になっている訳ではないのですが、こと「町中での昼夜の演出」という話に限っていえば、ドラクエ11では「夜感」というものが極めて薄くなっているように思えます。考えてみると、9から既にこの傾向はあったかも知れません。


「町中にいる人数の昼夜の差」「昼夜で台詞が変わっている人の数」をちらっと調べてみました。


例えば旧作で言えば、FC版ドラクエ3で、アリアハンの「お昼に町中にいる人数」は、城の門番、店の人を除いて7名です。家に入らなければ視認できない人数は除いています。

これが夜になると、「町中で画面切り替えなしで確認出来る人数」は、同じ基準で僅か2名になります。1人は家の入り口に出てきた勇者の母親、もう一人は酒場で飲んでいた剣士で、こちらは酔いつぶれて?地面にぶっ倒れています。武器屋や道具屋は夜間には利用できず、唯一宿屋だけが利用出来る状態になります。

ちなみにレーベの村でも同じような状況で、唯一話しかけられる兵士は「ぐうぐう…」と寝ています。

これ、村や町ごとに微妙に傾向は異なりますし、テドンみたいな例外も勿論あるんですが、「夜になると人通りが大幅に少なくなり、店なども利用出来なくなる」というのはほぼゲームを通しての共通要素といっていいと思います。大体、通行人の数が8割減くらいにはなる感覚です。

ドラクエ3は、昼夜のシステムが初めて導入されたこともあり、「夜という雰囲気の演出」にかなり気を使われているように思います。「夜にはできないこと」を多く設定することにより、夜の存在感を強調する、とでもいえるでしょうか。



一方のドラクエ11なんですが、まず「城を除いて、夜でもほぼ全ての店や施設が使える」という点は、9から引き続いての点ではありますが、まず特筆すべきでしょう。殆どの店が24時間営業なんです。

一方町中の人の数はといえば、たとえばホムラの里が日中は21人、夜間は13人。店の人も多くてややこしいですけど、子どもがほぼ全員いなくなっている以外、ほとんどのキャラクターは昼間と台詞が変わりません。

サマディー城下町が、日中24人、夜間12人。ソルティコとグロッタはちょっと環境が特殊ですが、傾向としてはやっぱり似たような感じです。ダーハルーネも同様。


調べていて思ったのは、以下のようなポイントです。

・夜、何か演出が変わる場合には、ほぼ必ず昼間にそれについての言及がある(夜にはダンスをしているんだぜ、あの人は夜にはすぐ寝てしまうぜ、みたいなヤツ)
・攻略情報に関わる台詞を言う通行人は、ほぼ夜間も引き続き登場しており、しかも台詞の内容が昼間と変わらない
・夜間専用のセリフを言う人もいるにはいるが、せいぜい一つの街につき2,3人


全部の街を調べたわけではないので例外もあるとは思いますが、大体上記のような感じなのではないかと。特にグロッタなんかでは、街自体が屋内ということもあり、うっかりすると町中で「今が夜なのかどうか」ということが分からなかったりします。

全体として言えそうなことは、

・ドラクエ11は、「夜には出来ないこと」「昼には出来ないこと」を意図的に少なくしているように思える
・特にメインストーリーに関わる部分ではそれが非常に少ない(夜に城に入れないくらい)
・上記の点を、「夜ならでは」という演出よりも重要視しているように思える


つまり、「昼にたどり着いた街を夜にも探索しなくてはいけない、あるいはその逆」という手間を、演出の上で可能な限り低減しているように思えるなーという訳なんです。

確かに今回、例えば街にたどり着いた時夜だったとしても、「昼にもう一回探索し直さなきゃ」っていう意識があんまりなかったんですよね。昼間に街について、「夜には〇〇があるぜ」みたいなこと言われて宿屋で休んで夜にして、っていうことは一応あるんですが、それもまあ気が向いたらやればいいや、くらいの感じ。


旧作ドラクエでは、昼・夜とも一通り街は探索してみないといけない、というのが結構自分の意識としてデフォルトだったので、その辺「昼夜の演出より探索のしやすさ」という近年のドラクエのスタンスの違いのような気がして、なるほどなーと思ったんですがまあ考え過ぎである可能性は否定しません。



全然関係ないんですが、ドラクエ11自体は8人目の仲間が加わって少し進んだ辺りの進捗です。現在レベル37です。

ベロニカにメダ女の制服を着せると可愛いので、メダ女の制服もうちょっと守備力が上がるといいのになーと思いました。

今日書きたいことはそれくらいです。






posted by しんざき at 07:00 | Comment(2) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月04日

【11/5 @池尻大橋】ロス・ガラパゴス演奏のお知らせ

ZUNTATA30周年おめでとうライブは鋭意準備を進めているわけですが、それとは別に、サンファニート演奏集団「ロス・ガラパゴス」も恒例の演奏が控えております。11/5です。


【日時】
2017年11月5日
13:55 〜 40分程度

【場所】
目黒区東山社会教育館 レクリエーションホール
東急田園都市線 池尻大橋駅下車、東口から徒歩7分

【料金】
入場無料


ロス・ガラパゴスは、南米民族音楽であるフォルクローレ、その中でも特に「サンファニート」と呼ばれるリズムの曲を好んで演奏するグループですが、サンファニート以外にもまあ色々やります。で、毎年一回恒例で、東山社会教育館の文化祭である「館祭り」で演奏のステージを頂いています。ありがたいことです。


ロス・ガラパゴスも結成10年以上のグループでして、いい加減グループの方向性も固まってくるかと思いますと案外そういう訳でもなく、今回の選曲は過去の遺産を殆ど生かしていないありさまで、一体どこの学祭に出るつもりなのかと突っ込みたい気分です。正直めっちゃチャレンジングです。

具体的に言いますと、Rumillajtaのかなりガチなインスト曲とか、アルゼンチンで色んなグループがやっている有名な曲とか、サンファニート以外にも色々やります。なかなか聞きごたえのあるステージになるのではないかと思いますので、お時間ある方は是非足をお運びください。



posted by しんざき at 11:46 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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