2018年01月31日

インターネットでは言いたいことが言えるけど、殴ったら殴り返される

この増田を読みました。


---------------------------------------------------
先日、どこかの掲示板にプロ野球選手の嫁をブスだと書きこんだOLが名誉毀損で訴えられてニュースになった

これはもうインターネットに気軽に書き込むことが許されなくなるってことだろうなと思った
---------------------------------------------------
また、ネットは道徳に縛られない考えを書き込むことで発想に広がりが出る場所だとも思っていた

ディベート的な議論において道徳ってほんと邪魔なんだけど、現実の日本だとそれは難しい

ネットならそれが出来たけど、もう無理だろうな

インターネットが開かれた空間になり、テレビと同じ空間になり、相互監視になり、モラルの押し付けと言葉狩りが強化された

増田と言えどもどこから訴えられるかわかったものではない

僕らはすべての発言に責任を持たなければいけなくなったし、道徳に目配せして書き込まなければいけない

---------------------------------------------------


で、ちょっと問題を切り分けたい欲求が働きました。切り分けちゃうぞおじさんです。

まずこの増田は、もしかしたら意図的にかも知れないんですが、二つの問題を混同して語っているような気がするんですよ。

・「ブス」といった罵倒が名誉棄損として訴えられるようになったこと
・webにおける言論が道徳的なものに縛られるようになってきたこと

それぞれの項目が事実として妥当なのかどうかはともかくとして、仮に妥当だったとしても、この二つの事項は全然別の話です。

まず一つ目については、これはごく単純な話で、「誰かを殴ったら殴り返される可能性があるよね」というだけのことです。これに道徳とか関係ありません。

私、件のプロ野球選手の話は観測してませんでしたけど、誰かに「ブス」と言ってそれが訴えられたとしたら、それはその発言が非道徳的だったからではなく、その発言が特定の誰かをぶん殴る発言だったからです。幾ら非道徳的であったとしても、ターゲットを取らないのであればそれが名誉棄損になることはありません。

そういう意味では、

・SNS等によって、誰かを殴る発言が可視化されやすくなったこと
・名誉棄損などの裁判についての情報が広まって、心理的に訴えやすくなったこと

という二点による影響はもしかしたらあるかも知れず(全然検証してませんが)、その点で「名誉棄損などで訴えられやすくなった」ということは妥当なのかも知れないですが、それは根本的にはインターネットによる影響ではありません。単に「殴っているのが見つかりやすくなった」というだけの話です。インターネット以前の世界であっても、罵詈雑言が履歴に残って可視化されれば訴えられていたでしょう。

私自身は、人を殴っておいて、殴った側が「殴っただけなのに殴り返されるなんて!」と騒いでいる世界はあまり愉快だと思えないので、この風潮は別に悪いことじゃないんじゃないかなーと思っています。殴るんなら殴り返される覚悟はしとけよ、って話です。


で、それとは別の問題として。もう一個の話についてですが、

罵倒させろという意味ではありません。ディベートの態度ではなく、論理の展開に道徳によるブレーキが必要ないという話です

  人前でディベートをするとなると、道徳的に疑われるような仮説を引っ込めなければなければなりません

  ディベートだからと言っても現実ではある程度のコードがあるわけです

これとか、これ以降に続く議論の例についての話なんですけど、そういう「非道徳的な発言」ってしにくくなってますかね?

誰かを直接的に殴っていない限りにおいて、単に非道徳的な発言をしただけで訴えられているケースって、少なくとも私は知らないです。あの人もその人も、めっちゃひどい発言たくさんしてるけれど、少なくともそれだけで訴えられてはいないですよね?

勿論、非道徳的な発言をすることで発言が炎上したり、あるいは(私が今書いているこの記事のように)発言に対する突っ込みが飛んでくるケースってのは勿論ありますし、それはもしかすると昔より増えているのかも知れないですが、

インターネットが開かれた空間になり、テレビと同じ空間になり、相互監視になり、モラルの押し付けと言葉狩りが強化された

増田と言えどもどこから訴えられるかわかったものではない

増田が気にしているのは「訴えられること」なんですよね?であれば、別に愚痴やら非道徳的な発言やらであっても、具体的な対象をぶん殴っていない発言であれば、書き込むだけなら誰からも訴えられることはないと思うんですが…。「こいつは殺人を肯定している!名誉棄損だ!!」とか言って訴えられてるケースって、どこかで見たことあります?

 その他の発言についても締め付けが厳しくなり、客観性のない発言や、客観的でも誰かを傷つけると判断されれば

  名誉毀損で訴えられる可能性が強くなったという趣旨です
増田は追記でこうも書いていますが、これもちょっとあんまり妥当だと思えません。要は、客観的な発言であっても、「その発言によって俺は傷ついた!」と言い出す人がいるかも知れない、それによって訴えられるかも知れない、という話ですよね?

この話のトリガー自体が、「具体的な人物に対する「ブス」という発言が訴えられたこと」であって、そこから「具体的な対象をとらない雑な発言が訴えられること」の間には相当な距離があります。少なくとも、増田が心配しているような、「非道徳的な発言が出来なくなる」という問題と、この話が即結びつくことはないんじゃないかと。



勿論、いわゆる「炎上」というものは、受けてしまった側にとっては大変なストレスですし、そういうストレスを受けてしまう機会が増えることによって発言しにくくなってしまう、というケースはもしかするとあるのかも知れません。それは否定しません。

先日でも、童貞いじりがどうとかで大炎上してた人が色々騒いでましたよね。あれは、発言した人にとってみれば「この程度の発言で炎上するなんて」という意識だったのかも知れません。

ただ、
  しかし非道徳的な言論が許されれば以下のような議論もできます

  A 「絶対にバレないLINEグループ等なら自由に言っても良い」

  B 「それはバレなければ赤信号を渡ってもいいという理屈ではないか」

  A 「その通りだ。事故が起きるか起きないかが問題なのだ。来もしない車を待つことに何の意味がある」

  B 「ルールというものは、個別に存在するのではない。共同体の価値観に敬意を持てるかどうかが大事なので、小さな例外も認めるべきではない」

この例が適切かどうかはともかくとして、こういう「非道徳的だけど冷静」な議論自体は別に全然しにくくなっていないんじゃないかなあ、と感じてはいます。ちゃんと議論立てが出来ていさえすれば、それが無秩序に炎上することってむしろ殆どないような気がするんですよ。


強いていうと、「脇が甘い、雑な発言は炎上しやすくなった」という辺りが、現状の論評としては一番妥当なのかも知れず、そういう意味で「雑な発言をネットに書き込みにくくなった」と嘆くのであれば話は分かります。実際、そういう側面はあるような気がしますし、どんな発言がどういう経緯で炎上するか予測しにくい部分もあって、もう少し炎上に至るまでのマージンというか、余裕みたいなものはあってもいいんじゃないかなーと感じます。

ただ、それ自体は多分「ブス」発言が訴えられることとは全然別次元、別トリガーの問題なので、別建てで考えた方が良いような気がしてなりません。



まあ、犯罪自慢とか殺人予告とかそういうアレならともかくとして、単に脇が甘い発言をして炎上するだけなら別に死ぬ訳でも無し、webにおける立場が悪くなることすらそれ程ないので、増田にせよ私にせよ、深く気に病むことなくバンバン脇が甘い発言をして、適度にこんがり焼けてればいいんじゃねえの、と思った次第なのです。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 08:07 | Comment(1) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月30日

イース8が面白過ぎて泣けてきたので現時点でのベタ褒めレビューする・あとお詫びと訂正

めっっっちゃ面白いです。



家庭の事情でPS4を買えていない為VITAでやっているんですが、VITAでも勿論すげーー面白いですし、私の感覚では画面も超綺麗です。ただ、追加シナリオ等もあるようなので、出来る人はPS4版の方が多分良いのではないかと思います。SteamとSwitchでも出る筈なのですが、なんかまだ発売延期してるんですかね?

現在はまだ第五部なので、ゲーム自体やりつくしてはいないんですが、あまりにも面白いのでちょっと現時点での感想を書いてみたくなりました。

取りあえず、「今回、イース8は何が面白いのか」ということについて簡単に書いてみたいと思います。

言いたいことは主に4つあります。特に二つ目が重要です。

・アクションが恐ろしく気持ちいい
・レベルデザイン・学習曲線がとにかく考え抜かれていて物凄い
・探索や素材集め、漂流村運営などサブゲーム的要素も面白い
・ストーリーが怒涛

順番にいきます。本記事ではネタバレは含まないようにしますが、最序盤の内容だけ微妙に混ざってしまうのはご容赦ください。


〇アクションが恐ろしく気持ちいい

まず、そもそもの根底にあるのがこれです。

イース7以降のイースに共通する要素ではあるんですが、まず根っこの部分として、イース8はめちゃくちゃアクションが気持ちいいんです。「アクションゲームをする時の爽快感」を知り尽くしている人が開発者にいるとしか思えません。


例えば単純に、敵を攻撃して、それが敵にあたった時の手ごたえ。

敵を弱点属性で突っついてブレイクが発生した時の気持ち良さ。

フラッシュガード、フラッシュムーブが成功した時の爽快感。

フィールドを進んでいった時、ちょうどいいスピード感で敵が出現する敵配置のバランス。


一つ一つで言えば細かいものだと思うんですが、その積み重ね方、作り込みが物凄く丁寧で、累乗に爽快感が増しているわけです。

とにかく、「フィールドを進んで雑魚を蹴散らしているだけで気持ちいい」「たまにでかい雑魚が出てきて、それを上手く倒せると気持ちいい」「もちろんボスを倒せると達成感で気持ちいい」「雑魚を無視してダッシュで突破したら、それはそれで気持ちいい」「そもそも動きが爽快なんで、動かしているだけで十分気持ちいい」という、全方位隙の無い爽快感。「ただプレイしているだけで気持ちいい」アクション程、ゲームの面白さに貢献するものが他にあるでしょうか。


唯一不満を述べるとすれば、「回避ムーブがイース7程は距離を稼げない」ということであって、例えばサハドみたいな移動が遅いキャラクターでフィールドを移動すると、ラクシャなんかに比べるとモタつく感はあるのですが。ただ、回避ムーブ自体の使い勝手は逆に良くなっていたりするので、これも良し悪しではあります。

とにかくまずは、イース8は「動かしているだけで気持ちいい」という、名作アクション、ないし名作アクションRPGの必須要件を軽々とクリアしている、ということについては断言してしまいます。


〇レベルデザイン・学習曲線がとにかく考え抜かれていて物凄い

今回特に感動したのがこれです。


今回、バトル面で言うと結構わらわらと敵が出てきまして、そこそこ戦闘の頻度は高いんですよ。

ただ、例えば初心者さんがイース8をプレイする時、「恐らくこういう順で学習していくだろう」ということを想定すると、そのバランスというかレベルデザインが本当に絶妙で。

私がプレイしているのは難易度ノーマルなんですが、

・はじめの内は、単に攻撃ボタンを連打してゴリ押ししていくだけでなんとでもなる
・「攻撃を当てること」に慣れてきた頃、段々弱点属性やスキルの利用を意識する必要が出てくる
・弱点属性やスキルの利用に慣れてきた頃、段々フラッシュガードやフラッシュムーブを意識しないとキツくなってくる
・終盤では、フラッシュガードやフラッシュムーブ、クリティカル、付与効果、スキルなどを駆使しないと勝てないしすぐ死ぬ


この学習曲線が凄い。

初めからテクニックを駆使する必要はない。ただ、「そのテクニックが必要になってくる頃、丁度そのテクニックを使えるくらいの習熟度になっている」んです。

やっている内に、自然と上手くなっている。しかもハードルの上がり方に無理がない。これ、レベルデザインとしてはほぼ理想形といっちゃっていいんじゃないでしょうか。

しかも、上で書いた通り、スキルをばしーんと当てたり、敵をブレイクしたり、フラガやフラムを決めるともうむやみやたらに気持ちいいので、報酬効果もばっちり。プレイするごとに、「俺上手くなってる!!」「上手くなってくると気持ちいい!!」感を存分に味わうことが出来るわけです。

感覚で言うと、以前「ドラゴンズクラウン」で感じた時のレベルデザインと、大体似たような印象を受けています。


勿論、難易度を上げていけば、最初からもっとキツいバランスになると思うんですが。少なくとも、難易度ノーマルを選んでいる限り、ほぼほぼ理想通りの成長曲線を描くことが出来る、というところまでは言っちゃっていいんじゃないかと。

もう、「アクションが気持ちいい」「かつ、自然と「上手くなっている感」が味わえる」という二点だけで、これはもう「勝ったも同然」的な面白さだと思うんですよ。この二点については、イース8の面白さは大保証出来ると思います。


〇探索や素材集め、漂流村運営などサブゲーム的要素も面白い

これは好みの話なんですが、私、「漂流もの」って大好きなんですよ。無人島に漂流して、物資を集めて拠点をつくって、みんなで頑張って生き残りにまい進する、とかもう大好物。十五少年漂流記とか超好き。

ほら、皆で建てた村にだんだん設備が増えていくのとか、利便性が上がっていくのとかワクワクしませんか?私するんですよ。

まあ、勿論アクションRPGが本道なんで、イース8のサバイバルがそこまでシビアかっていうとそれ程でもないんですが、やっぱ物資を集めて見張り台を立ててーとか、釣ってきた魚を料理して食べ物にー、とかはなんだかんだでとてもワクワクします。

あと、「備蓄物資」「サプライ」みたいな言葉にも凄く適合性が高くてですね。


そういう点で、今回「漂流村の運営」というサブゲーム的要素が、個人的にはばっちりハマりまして。設備を増やしていくのも、素材を集めていくのも、地図を埋めていくという探索要素も超絶楽しめています。

ただ、これについては、恐らく「面倒くさい」と感じる人もいるんじゃないかなーと思います。アイテムコレクト的には、決してレアアイテムを探し回らなくてはいけないバランスではなく、結構なんでもサクサク集まるので、そこまでストレスにはならないとは思うんですが。

地図埋めやアイテムコレクトが好きな人には、その分イース8の面白さに一翻乗りますよ、とまでは言っても問題ないような気がします。


〇ストーリーが怒涛

ここで一点、お詫びと訂正をさせてください。

私先日、この記事を書きました。


ここで

ストーリー面では、イース安定の「船に乗ってたら難破して冒険の舞台にたどり着く」という、もう感動的なまでにお約束の展開で、無人島なのに故郷に帰ってきたかのような安心感すら感じさせます。船長からセイレン島の話聞いた瞬間の、「ああ…」という納得感すごい。

まあ、イースに斬新で重厚なストーリーなんて誰も求めてないでしょうし、この辺りで完全に「安定」「お約束」に振るスタッフの匙加減は正しいのでしょう。

と書いてしまったんですが、今回ストーリーはぜんっぜん重厚でした。ごめんなさい。

いや、一応自己弁護させていただきますと、最序盤の展開は確かに、ラクシャのラノベ展開やらなにやら含めて「王道」「お約束」と言ってしまっていいと思うんですよ。ただ、中盤以降は本当に色々と展開が物凄くて、正直そのボリュームと展開の激しさに目を回しています。

これについては、私自身は正直、RPGにそこまでストーリーを求めなかったりするんですが、激しい展開が好みな人にもある程度満足してもらえるボリュームなのではないかと思っています。

あと女性キャラはみんなとてもかわいい。個人的にはラクシャさんが特に可愛いと思います。よろしくお願いします。


ということで、がーーっと勢いだけで書いてしまいました。

私自身まだEDまではたどり着いていないので、全部遊んだらネタバレありの感想も書いてみたいと思います。ただ現時点で、イース8が「アクションRPGとしてはとんでもない良作」であることは確定だと思いますので、つらつらレビューさせて頂きました。

皆さん遊んでみませんか、イース8。超お勧めです。


ということで、今日書きたいことはそれくらい。



posted by しんざき at 08:09 | Comment(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月29日

育児寛容・不寛容議論を極論で突き詰めても多分誰も幸せにならない

まず最初に、言いたいことをまとめます。

・子どもの声が、「うるさい」と感じる人にとっては騒音になってしまうのは当然のことです
・中には子どもの声を「うるさい」と感じない人もいるかも知れませんが、それは特殊ケースだと考えるべきです
・その上で、子どもの声が公共の場で発生し得るというのもある程度仕方がないことです
・親としては、出来る限り子どもが騒がしくしてしまうことをセーブしたいと思って、そう努力しています
・例外もあるかも知れませんが、大体の親はそうだと思います
・ただ、どうしても限界というものが出てきてしまうケースもありまして、多少のお目こぼしを頂けると大変ありがたいです
・というか大体の方は、多少うるさくても我慢してお目こぼし頂いているように思います。大変ありがとうございます
・極論もあるけれど、皆結構優しいですよ
・世の中「子どもの声を受け入れろ、受け入れないのはおかしい」と言っている騒音許容過激派やら、子どもの声なんか公共の場から一切排除しろという子ども排除過激派ばかりではなく、というかそういう人は本当にごくごく一部なので、あまり議論を突き詰めて極論にしない方がいいと思うんですよ

言いたいことは以上です。よろしくお願いします。

-----------------------------------------------------------

さて、書きたいことは書き切ってしまったので、あとはざっくばらんにいきます。

インターネット上では、時折育児、特に「子育て世帯が周囲に及ぼす迷惑と、それに対するスタンス」という話がめっちゃ盛り上がることがあります。そのパターンにも色々ありまして、例えばベビーカーを電車の中で使うことの是非とか、定期的に観測出来ますよね。


で、そんな時、割と決まって見られる論法が、「お互いに極端な方向に振った仮想敵を設定すること」でして。


例えば、育児世帯側は、「子どもや育児親の行動を一切許容しない排除論者」を仮想敵にして、その不寛容さを責めたり、不寛容社会を嘆いたり、であるとか。

例えば、非育児世帯側は、「子どもの迷惑行動を一切顧みない馬鹿親」「一方的に寛容さを求める身勝手な育児世帯」を仮想敵にして、育児世帯を断罪したりであるとか。


いや、極端な人、いますよ。確かにいます。そこまで極論に振らんでも、という人もいます。子どもを騒ぎっぱなしにさせて、全く周りの迷惑を顧みない親というのも、私はあんまり観測してませんけどいるこたぁいるんでしょう。

ただですね、サイレントマジョリティじゃないですけど、実際のところ、「極端なケース」というのは全体を見ればごくわずかだからこそ極端なケースだと思うんですよ。


当たり前のことですが、子どもの声というのは高いし通るし、非常にうるさいです。そりゃ勿論、「子どもの声大好き」という人も中にはいますし、子どもがいくら騒いでても気にならないという人もいるんでしょうが、そんなのは一般ケースとして考えるべきケースでは全くありません。

実際に育児を行っている、一人の親として凄く思うのは、「社会の殆どの人達は結構寛容だ」ということです。

親として、勿論なるべく子どもが静かにしていられるように、周りに迷惑をかけないようにと考えて、なるべく注意してはいますけれど、もっと子供が小さな頃とか、やはり電車の中で子どもが大泣きしちゃったり、大きな声を出しちゃったりといったことはありました。子どもを年中引きこもらせるわけにもいきませんから、公共の場での子どもの声を完全に防止、というのはやっぱり難しいんですよ。

ただ、そういう場合も、勿論内心五月蠅いなあと思われる方も多かったと思うんですが、殆どのケースでは皆さんにこやかに対応してくださり、中には子どもに優しい声をかけてくださったり、席を譲ってくださったりということもそりゃもう何度もありました。ありがたい限りとしか言いようがありません。

ただ、これは勿論「そういう風に寛容にあるべきだ」という話ではなく、寛容でいてくれることに感謝しつつそれに甘えないようにしよう、という個人レベルでの気持ちである訳なのですが。実際にご迷惑をかけてしまっている方には、申し訳ないという思いしかありませんし、なるべく改善に向けようと努力は続けていくつもりです。

で、同じように、なるべく頑張っているし、かつ周囲の寛容さに感謝している親って、結構たくさんいると思うんですよ。というかそれが大部分だと思います。

実際、育児世帯として色々と助けて頂いている側としては、「もっと寛容であるべき」だなんてとても言えません。「いや、皆現時点で結構寛容ですよ?」という一言です。


要は、「結局社会を回していくためには、皆がちょっとずつ歩み寄るしか現実的な解答ってないよね」ということでもあるし、「特に突き詰めなくても、社会って結構歩み寄りで回ってると思いますよ?」ということでもあるんですよ。


こういう問題って、突き詰めれば突き詰める程色々と相いれないところが出てきてしまう話であって、基本的には「突き詰めても誰も幸せにならない」案件になることが多い気がしているんですよ。

結局みんな「極端な仮想敵」を設定して議論するけれど、その議論には一体どれだけの意味があるのかな、と。その極端な仮想敵は議論が届くところには存在しないし、流れ弾がばしばし極端じゃない人たちにあたりまくるだけなんですよね。

私としては、育児世帯にしても非育児世帯にしても、極論がバンバン飛び交って、普通に頑張っている子育て世帯のハードルだけがむやみやたらに上がりまくったり、普段から寛容にしてくださっている非子育て世帯の方々が無意味に責められたような気になるのは誰も幸せにならないし、出来たら避けた方がいいんじゃないかなあと思うんです。特に、ネットだと極論ばっかりがむやみに可視化されやすいんで。


端的に言うと、育児関係であんま極端な仮想敵設定するのやめませんか、と。皆結構頑張ってるし、我慢してくれてますよ、と。


勿論、個別に見れば、各論として解決しなくてはいけない問題も色々あるとは思うんですが。こと育児とか子どもの迷惑という話については、総体的には「結局日和った意見が最適解」というケースは結構多いと思いますし、育児日和見主義者として、今後とも日和った意見を積極的に発信していきたいと思う次第なのです。


今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 17:25 | Comment(2) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【演奏告知】2/18にビルボードライブ東京で15分だけ演奏します 18/01/29

「Los garapagos」で演奏します。


日時:2/18(日) 17:00 〜 15分程度
場所:六本木ミッドタウン ビルボードライブ東京
地図はこちら


当日、このチラシを印刷してもっていけば無料で入れるらしいです。
ただし何か飲む時にドリンク代は発生するのでご注意ください。

ミッドタウンで働いているオフィスの人がメインとなっているライブなのですが、ガラパゴスのメンバーからのお誘いで参加することになりました。何か間違ってトリになっていますが、基本いつもの感じで、フォルクローレを3曲程演奏します。

というか、他のバンドの演奏予定曲がロックとかポップスとか基本バンドミュージックなのに、うちだけフォルクローレなのがかなりの場違い感。大丈夫なんでしょうか。まあいいか。

演奏するのは3曲くらいですが、よかったら聴きにきてみてください。

posted by しんざき at 12:23 | Comment(0) | フォルクローレ・ケーナ・演奏関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日のしんざきがラジオに出てきました ・あと土日のしんざき 18/01/28

出てました。


こちらの19:25くらいから聞けます。なんかバーチャルyoutuberについてとか適当に話してますので興味がある方はどうぞ。

いや、大体番組の企画って基本的な方向性とかシナリオは決まってるものだと思ってたんですが、今回はびっくりするくらい台本とか簡素で、質問項目も「大体こんなこと聞くよ」くらいだったので、かなり好きなこと喋れるなーという感じで楽しそうだったので出演させていただきました。そこまで長時間ではなかったので、喋れたこともしゃべれなかったこともありますが楽しかったです。

当日は、19時ちょっと前くらいにTOKYO FMに伺いまして、担当の方から軽く概要を伺ってから、スタジオの前でドラクエライバルズやりながらお水いただいてました。フロア全体にラジオの放送が流れてて新鮮。

実は、勤めていた会社で「見えラジ」のサービスを提供していた関係で、FM東京さん自体には何回か来たことあるんですよね。流石にラジオに出演するのは初めてですが。

話したこと自体は大したことではなく、バーチャルyoutuberとは何なのかとかバーチャルyoutuberが流行った経緯みたいなことをお話してました。AmiYamatoの話とか。アニメ娘エイレーンの話とかもちょっとしたかったんだけどする隙がなかった。バーチャルyoutuberの直系の祖先は、ちゆ12歳っていうよりは初音ミクとかニコマスとかのニコニコ文化だと思うんですよね。

ただ、全体的には当初考えていたよりもかなり真面目なテーマだったので、この話題はちょっとコア過ぎるかな、という内容については若干オミットせざるを得ませんでした。聞きたい人はしんざきに直接聞いてください。

古賀さん、小田嶋さんご両名には色々とフォローしていただき、誠にありがとうございました。


以下は土曜のしんざき。


・土曜は児童館〜練習の日でした

次女(6歳)がちょっとずつピアノの腕を上げていまして、奥様いわく「左手と右手を別々に動かすという壁を越えた」らしいです。すごい。「すごいなー、ちびっ子ピアニストだなー」と褒めてみたら、何が気に入らなかったのか「ちがうの!ただちょっとピアノがうまいだけの小さな女の子なの!」と、謙虚なんだか全然謙虚じゃないんだかよくわからない反論をされました。なんでしょう、ちびっ子部分がいけなかったんでしょうか。

一方の長女(6歳)は、最近自分で塗り絵の枠線を引くという遊びを始めました。塗り絵を作って次女に塗らせるという遊びがブームであるらしく、紙をたくさん要求されます。小学校に行っても習い事のアトリエは続けたい模様。楽しいことを自分で見つけるのは良いことだと思います。

で、午前中、奥様と長男が二人で京急の電車旅に行ったので、私は長女次女と児童館めぐり。幼児遊戯室ではさすがに最年長の部類なので、ぼちぼち小学生も遊ぶ遊戯室の方に遷移していくかなーという感じです。

午後〜夕方は某本番の練習。こちらはまた別途告知するかと思います。


一旦それくらいです。





続きを読む
posted by しんざき at 07:46 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月24日

ドラゴンクエストライバルズの現在の進捗・あと氷ゼシカ始めました 18/01/24

そういえば書くのを忘れていたんですが、10日くらい前、今シーズンもレジェンドには上がってました。一応これで3シーズン連続レジェンドです。

あ、DQライバルズは、今月もとりあえずレジェンドにはしました

最近奇数ミネアに若干飽きてきたので、上がった時はミッドレンジっぽいランプピサロ、みたいなデッキを使ってました。

で、その後は イース8で忙しくなってしまったので、闘技場をメインにぼちぼちランクも遊ぶという感じだったんですが、こちらの記事で拝見した氷塊ゼシカが面白そうだなーと思いまして。


色々いじくってみて、今はこんな感じで遊んでみています。

ブログ用

基本的には、序盤は低コスユニットで凌ぎ、中盤可能であれば氷シナジーとうごくせきぞうで盤面を取返し、8〜9ターンくらいでメラゾーマを絡めたフィニッシュを狙う、という動き方になります。

なんといってもパズズが強いです。氷ありで敵ユニットロックの仕事ができれば言うことないんですが、素出しでも6/6狙い撃ちという十分なハイスペックなので、あと一歩の体力を詰める時に大活躍してくれます。

キラーパンサーやももんじゃなど、相手ユニット数が多いことで能力を発揮する連中を使うのもなかなかテクニカルで面白く。しばらくはこれ使って遊んでみようかなーと思っている次第です。

ところで来月下旬には新カードが出始めるそうで、公式ツイッターで情報が出始めてました。ドラクエ5から花嫁3人が参戦するみたいですね。

見た感じフローラがかなり強そうだなーと思ったのですが、まあこれからまだ他のカードの情報も出るだろうし、他カードとの兼ね合い次第かなーと。追加情報を楽しみにしております。

一旦それくらいです。



posted by しんざき at 18:48 | Comment(2) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月23日

「ゲスな報道は読者の需要があるから」と嘯くマスコミの欺瞞

まず先に前提として書いておくと、私は基本、有名人の不倫や浮気というものに一切興味が湧きません。

浮気だ不倫だというのは極めて個人的な問題であって、個人レベルではごく単純に「不倫はいかんやろ」とは思うものの、その内情がマスコミによって暴き立てられることに必然性は全くないものと考えています。

これが、人格や人間性が選挙の際判断材料とされる政治家であればまだしも、タレントやら芸能人やらの不倫報道については、単にゲスだなーとしか感じません。そういう人、案外多いんじゃないでしょうか。


正直結婚や恋愛、出産のようなめでたい話であっても、それが個人的なものである限りは興味が湧きませんし、そういう報道がなくなっても全く何の問題もないと思ってはいます。誰が恋愛して、誰が結婚して、誰が浮気して、誰が不倫したとしても、それはその当事者の問題であって外野が騒ぐことじゃないんじゃないの、と思います。

ただ、これについては飽くまで個人的な所感なので、そういうものを知りたがる人もいることを理解はしておりますし、それが悪いという訳ではありません。好奇心の方向性は人それぞれです。


上記のような事情がまずある為、今回何やら有名な人の不倫が問題になったらしいことも、文春が騒ぎになっているらしいということも、個別の話としてはよく分かりません。ゲスだなーと思うだけです。


ただ、これに伴って、「こういうゲスな報道が行われるのは、結局それを知りたがる視聴者がいるから」という論法をメディア側の人が使うのは、それはおかしいだろうと思います。


何故かというと、そういう「ゲスな内情を知りたがる視聴者」を育てているのはまさにメディアであって、その論法はいわば「育成責任」を完全に放擲していると考えるからです。



久田氏はTABLOの編集長ですね。いや、この件に関して同じような発言をされているのは久田氏だけではないので、久田氏個人がどうこうという話ではないのですが。

ただ、ここでいう、「不倫報道がなくならないのは読む側の需要があるから」という形で読者側に責任転嫁されることについては、私は強い違和感を感じます。

いやだって、そういう需要を、そういう記事を読みたがる読者を育てているのはあなた方じゃないですか、と。


例えば、マスコミの議題設定効果については、過去色んな議論がありました。個人的には竹下俊郎氏の「メディアの議題設定機能」をお勧めしますが、例えばこの辺の記事には議題設定効果についての話がサマリーされています。

マスコミの持つ『議題設定(agenda-setting)』の効果とは、マスメディアがある特定の話題・争点・関心事を“議題(アジェンダ)”として取り上げて繰り返し伝えたり強調したりすることによって、大衆(人々)がその特定の話題・争点に興味を持つようになったり、重要性(優先度の高さ)を認識したりするようになる効果のことである。

画一的な情報を一方的に大量伝達して、大衆(人々)に『公共的意味合いのある共通の情報・知識・話題』を提供することがマスメディアの役割の一つとされる。だが、この議題設定効果によって、マスメディアが積極的に繰り返し伝えるニュースには人々は興味を持って議論しやすくなるが、マスメディアがほとんど取り上げないニュースは、人々から『初めから存在しないニュース』であるかのような無関心な扱いを受けるリスクが高くなってしまうのである。

経済学的な需給関係と違って、「興味」は育ちます。メディアが繰り返し繰り返し、高いニュースバリューを伴って報道を行うことによって、その話題に興味を持つ人は増える。その話題のニュースバリューが上がり、その話題がより受けるようになる。

単に「事実を伝える」だけであれば、「〇〇と××が不倫していた」だけでも、「△△で□□氏が殺人被害にあった」だけで十分なわけじゃないですか?それに対して、色々ゴテゴテと、あの手この手で周辺事情を書きたてることによって、より視聴者の見方をセンセーショナルな方向に誘導する。不倫報道があると、反射的に「あれはどうなってるのか」「これはどうなってるのか」と興味を発展させるような視聴者が必ずいるし、そのフックはまさにメディア自身が作っているわけです。

それ、まさにあなた方が「読者を育てて」いるじゃないですか、と私は思うんです。


不倫報道がゲスだという認識が本当にあるのであれば、その扱いを小さくしていけばいい。ただ「知る権利」を満たすだけであれば、事実を単純に報道するだけでもそれは十分果たされます。その単純な事実を知った読者が勝手に盛り上がるなら、それは確かに読者の勝手でしょう。

それをガンガンメディア側が、センセーショナルな方向に盛り上げるのは、要はそういう需要を保持したい、更に煽りたいからじゃありませんか。

なのに、一体どの口で「需要がなければ報道はされない」なんて言えるんでしょうか。




興味の方向性という話からは若干ずれますが、マスコミが「読者を育てる」「読者のリテラシーに影響を与える」機能を持っているという話は、マスコミ側の論者も自分でそう言っています。


例えば朝日は、明治大学の斎藤氏にこういうことを書かせています。

そして、朝日新聞の「ひと欄」のように、人物を取り上げたようなコラムは社会的に意味のある生き方を教えることができますし、子どもたちは自分の将来について具体的かつ主体的に考えるようになります。また、「声」のような読者投稿欄では、ひとつのテーマについて複数の意見が寄せられます。そうした記事を読むことで、複数の意見を受け入れる許容力や、複眼的な思考力が身につきます。

 情報は常に変化していて、正しいと思っていたことがそうでなくなることもある、ということも、新聞を読み続けていれば理解できるはずです。情報はうのみにせず、ある種の「揺らぎ」を持ちながら是正していくことを、自然と学ぶことができると思います。


また、例えば日本新聞協会が運営している日本のNIEなんかでは、「教育に新聞を」って高らかに謳ってるんですよ。


NIE(Newspaper in Education=「エヌ・アイ・イー」と読みます)は、学校などで新聞を教材として活用することです。1930年代にアメリカで始まり、日本では85年、静岡で開かれた新聞大会で提唱されました。その後、教育界と新聞界が協力し、社会性豊かな青少年の育成や活字文化と民主主義社会の発展などを目的に掲げて、全国で展開しています。


報道が読者を育てる、教育する、ということは、報道の中の人ですら主張している。

報道教育、結構なことです。リテラシー教育、大事です。

ただ、教育するならするで、教育の中身にはきちんと責任をもって欲しい。


百歩譲っても、「ゲスな記事を読みたがる読者」と「ゲスな記事を作り続けるマスコミ」は連帯責任、ないし並列責任であって、一方が「こちらに責任はない」「読者が知りたがってるから報道をしているだけだ」というのは絶対におかしい。

マスコミ側の人間が、「ゲスな報道は読者の需要のせい」と言っているのであれば、それは欺瞞以外の何者でもない、と考える次第なのです。


今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 08:22 | Comment(8) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月21日

「〇〇するものこの指とまれ」に続きがあるということを最近まで知らなかった

いや、本当に全っ然大したことじゃないんですが。

最近は、流石に長男(10歳)と公園でがっつり遊ぶ機会というものは減ってきまして、その代わり長女次女(6歳)とは相変わらず公園づいています。近隣の児童館ははるか昔に制覇しまして、最近は結構遠征も重ねています。

で、やはり双子というものは普段からコミュニケーションに慣れているのか、基本全く物怖じしないので、知らない子とどんどん遊び始めて遊びの輪を広げていきます。

で、先日はなんか、最初は長女次女と私だけで遊んでいたんですが、後からどんどん人数が増えて、いつの間にか二けたくらいの子どもと取っ組み合うことになって大変に疲れました。死ぬかと思った。

で、その時に知ったことなんですが。

私が知っている、「〇〇するものこの指とーまれ!」って、基本言い切り型のテキストで、このシンプルな呼びかけで完結してたんですよ。

ただ、長男や、長女次女が使う「この指とーまれ!」テキストには続きがあるんです。

「〇〇するものこの指とーまれ」

「はーやくしないときっちゃうぞ」

「きっ、きっ、きっちゃうぞ」

「後から後から入ーれない」

「指切った」

どうもここまでがワンセットらしいんですね。後ろから二番目の行にはバリエーションがありまして、「後から後から入ーれる」という文言になることもあるんですが。

つまり、「締め切りがあるから皆早く参加しろ」という呼びかけをだんだん追加で行っていく、という形式になっているわけです。後から参加も可、というタイプと、後から参加は不可、というタイプがあるのが興味深い。

一種の煽りですよね。ギャラリーをあおって「参加しないと!」と思わせるテクニック。なかなか馬鹿になりません。

これはおそらく地方によって形式が違うのでは?と思ったので、ちょっと周囲にヒアリングしてみました。周囲といっても、長女次女が一緒に遊ばせて頂いているだけの、もともとは何の面識もない親御さんたちです。

飽くまで観測範囲10人程度の話ですが、

「この指とまれ」で言い切り方:3名、関西地方2名、東海地方1名

「はーやくしないと指切るぞ」から「10,9,8...」とカウントダウンをする型:2名、二人とも関東

「き、き、きっちゃうぞ」からバリエーションがある型:4名、関東二人、東北一人

「早くしないと電池が切れるー」というフレーズがある型:1名、九州

という結果が出ました。本格的にやるならもうちょっと広範囲にアンケートをとらないといけないのは当然ですが、ちょっと聞いただけでも驚く程バリエーションが多かったので、これは実は相当話が深そうです。


またもうちょっと調査をしたら結果を書いてみようかと。よろしくお願いします。

まあなんにせよ、子どもと遊ぶのは色々発見が多くて大変面白いです。引き続き積極的に子どもたちと遊んでいきたいと思った次第です。

今日書きたいことはそれくらいです。



posted by しんざき at 23:38 | Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月18日

昔ファミリーベーシックってものがあったんだよ

あったんですよ。



皆さんやってましたか?覚えてますか?ファミリーベーシック。

ベーマガの特選プログラムのコーナーとか、Dr.Dの投稿プログラム添削とか、懐かしいですよね。

「君だけのゲームが作れる!!」「君のゲームでマリオが動く!!」っていう言葉が最大の売りだった、ゲームプログラミングツール。1984年という、ファミコンの歴史からするとド初期に叩き込まれた、曲りなりにも開発プラットフォーム。

しんざきは、兄の門前の小僧で、このファミリーベーシックを遊んでいました。

しんざきと兄は5歳違いでして、当時兄は既に小学校高学年でした。一方私は幼稚園からようやく小学校に上がる頃。

それでも、「任天堂のファミリーベーシック入門」とか、「ぼくらのファミコン入門」とか見ながら、何時間もかけて参考プログラムをぽちぽち打ち込んで、散々エラーで怒られて、ついにRUNさせたらコントローラーでマリオが左から右に動いたりしたんですよ。


いや、これ、笑うところじゃありませんよ。

「自分が打ち込んだプログラムで、画面上のマリオがコントローラー操作に基づいて動いた」

んです。

当時、本当にこれだけでもドすげえ感動しましたし、たとえプログラミング入力に数時間かけて遊ぶのは10秒、という状況だったとしても、あれは間違いなく、私にとっては「ゲーム開発」以外の何者でもなかったんです。

そこから、何だかんだで、私数年はファミリーベーシック続けてました。

勿論そんな大したゲームが作れたわけではないです。プレイヤーに数字を入力させて、ランダムな数字を当てさせる数字当てゲームとか、サンプルプログラムをちょっといじってパラメーターを変えただけのゲームとか、精々そんなもんです。

ただ、今私が一応システム関係の仕事をしていて、最近はあんまりですけどなんだかんだコードも書いてたのも、根っこには間違いなくあの「ファミリーベーシック」があったと思うんですよね。

我々は、ファミリーベーシックで変数定義を学んだ。

関数を学んだ。

ルーチンを学んだ。

アルゴリズムを学んだ。

DEF MOVEを、IF THENを、行番号とGO TO を、CGSETを学んだ。エラー処理を、デバッグを学んだ。

たとえそれが、どんなに切れ端の知識であって、時にはファミリーベーシック以外ではなんの応用も出来ない知識だったとしても、あれって「何かの始まり」ではあったと思うんです。


ファミリーベーシックって、結局どれくらい普及したんでしょう?wikipediaの記載では40万台は売れたってことですけど、これがV3やらバージョン違いも全部合わせた数字なのか、国内だけなのか世界なのか、その辺はよく分かりません。

ただ、勿論、当時ファミリーベーシックを買った子どもたちが、皆が皆ゲームを作れたか、っていうと恐らく全然そんなことはないんです。

「ゲームプログラムモード」がハードル高いものだということは、任天堂も最初から分かっていたんでしょう。だから、大本のファミリーベーシックは、カリキュレーターモードとか占いとか、プログラムモード以外の遊びを入れざるを得なかった。ゲームプログラム以外の最低限の遊びも含めざるを得なかった。多分、「占いやミュージックモードをちょっと遊んで終わり」くらいの子どももたくさんいたんじゃないでしょうか?

ただ、ファミリーベーシックで任天堂がユーザーに言いたかったメッセージって、間違いなく

「作れ!!作ると面白いぞ!!!」

だったと思うんですよ。そこは、多分そこだけは間違いない。

あの時、実際に「作った」ファミっ子がどれだけいたのか。それは勿論想像するしかありませんが、少なくともそのメッセージが届いた子どもたちが、私を含めて複数人いたことは間違いない。そして、そういう子どもたちの中には実際、「作ると面白いぞ」という言葉を実感し、最終的には作る側に回った子どももいたんです。ゲームでこそないものの、私もその端くれです。

作るの面白いよ、というメッセージ。勿論、他にも多くのメーカーが発し続けてきたメッセージではありますけれど、任天堂にとっても、そのメッセージって多分特別言いたいことであり続けているんだろうなーと思ってたんですよ。マリオペイントしかり。miiスタジオしかり。最近でも、マリオメーカーなんてその代表例でしたよね。

で、NINTENDO Laboを見たんです。



姿も違うし、出来ることも、出来る範囲も、実際にやることもぜーーんぜん違うけれど。

これはもしかすると、時代を越えてもう一度「作れ!!!!」ということをユーザーたちに叫んでいる、ファミリーベーシックの再来なんじゃないかなーと。

かつてのファミリーベーシックと同じように、ハードルの高さを感じる人も、買ったはいいけどすぐ押し入れにしまっちゃう人もたくさんいるだろうけど。

その中で、多少の人数には「作れ」というメッセージがダイレクトに届いて、数十年後に全然違ったフィールドで何かを作るようになる子どももいるのかも知れないなー、と。

そんな風に思ったんです。




posted by しんざき at 13:12 | Comment(4) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月16日

しんざき家に電子ピアノがきました 18/01/16

きました。

うちにきた電子ピアノ

しんざき家には6歳の女児双子がおりまして、4月には小学生になります。いやー、早いもんですね。

で、この二人、性格も違えば趣味嗜好もだいぶ違っておりまして、芸術的な話で言うと、長女は絵、次女は音楽にだいぶ嗜好が寄っているような気がします。

その為なのか、次女は以前からピアノを喜んで弾いており、練習もだいぶ熱心です。しばらくの間はおもちゃの電子ピアノで練習していたんですが、どうせ奥様も使うし、ということで本格的な電子ピアノが導入されました。結構でかいです。写真は、喜んで「10人のインディアン」を練習している次女。

一方の長女はというと。ピアノが嫌いなわけではないようなのですが、どうも「人前で演奏するのが恥ずかしくて嫌だ」という、極めて恥ずかしがり屋の精神の持ち主であるらしく、あまりピアノをやりたがりません。一方、お絵かきについては大好きであるようで、幼稚園が終わった後の「アトリエ」というお絵かき教室を、今後も続けたいと大主張しています。

まあ、それぞれやりたいことがあるのはいいことなので、出来るだけ好きなことを続けさせてあげたいと思っています。その内次女とゲーム音楽合奏でも出来るといいなあと思っている次第。

一方長男は、学校の成績なんか見ているとどうも音楽は得意そうなのですが、自宅では全くピアノに近寄りません。折角だから使ってみてもいいのになーと思うんですけどね。

一方の私はというと、「どれがドなのかよくわからん」という程度にピアノの習熟度が皆無です。

そういえば先日初めて人前でピアノを弾きまして、私音は覚えてるんだけどどの鍵盤がどれなのか分からないのでこんな感じで次女のおもちゃピアノ設置して見比べながら弾きました

音は覚えているので、こうやって、次女が以前使っていたおもちゃのピアノと見比べながらピアノを弾く次第。次女に「よくひけてるねーー!」と上から褒められました。ありがとうございます。

しかしあれですねーー、電子ピアノって超便利ですね。ヘッドフォン繋げるんで、夜でも周囲を気にせず一人で練習できる。ケーナもヘッドフォン繋げたら自分にしか音が聴こえないようにならないかな。

調べてみるとUSBで音を出力したり、PCに繋ぐことも出来るようなので、その内私の方の活動でも何かに使えるかなーと思っている次第。引き続き色々やっていきたいと思います。

一旦それくらいです。
posted by しんざき at 12:24 | Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月15日

図書館くらい「安心して孤立出来る場所」にしておいてあげて欲しいなあ、と思った話

こんな記事を読みました。


生徒のなかには、学校や家庭で居場所がないと感じている子どもたちがいます。また、卒業後に学校や就職先といった「所属」を失ったまま孤立し、支援につながれなくなる子どもたちも。

”孤立”は、引きこもりにつながったり、ネットに居場所を求め犯罪に巻き込まれたり、と様々なリスクと隣り合わせでもあります。

カフェが掲げるのは、生徒たちへの「予防型支援」。

孤立している、もしくは卒業後に孤立する恐れのある高校生たちに居場所を作ることで、彼らに起こりうる困難を予防すること。これが、ぴっかりカフェの目的です。

これを読んだ時の第一感は、「図書室くらい「安心して孤立出来る」場所にしておいてあげて欲しいなあ」でした。

いや、この試み自体は別にいいと思うんですよ。週一みたいですし、実際にこういう空間があることで救われている生徒もいれば、対人関係が改善された子も、居場所が出来て喜んでいる子も恐らくいるのでしょう。それは良いことだと思うんです。

ただ、これを見て全国の図書館、全国の図書室がどんどんこういう試みを始めて、活動の期間も広がっていって、みたいな展開には、出来れば慎重であって頂きたいなあ、と。

何故かというと、「教室に居場所がない子」に必要なのは、むしろ「誰ともコミュニケーションを取らないで済む空間」ではないかなー、と思うからです。

コーンポタージュとトルコのおやつだってー!!!!いえーい!!!

ハイテンションで飛び込んできた男子生徒は、ぴっかりカフェ常連の高校1年生。そのあとも続々と生徒がやってきて、ソファや椅子はあっというまに満席に!高校生たちの笑いさざめく声であふれ、図書館とは思えないほどのにぎやかさです。
いや、当然のことながら、こういうノリが嫌いというか、根本的に苦手な子もいる訳じゃないですか。中には、普段教室にいる時の「コミュニケーションをとらなくてはいけない」という、言ってみればコミュニケーション圧力に疲れ果てて、一人でじっと本を読んでいても誰にも文句を言われない、静かな図書館を心の救いにしている子も勿論いると思うんですよね。

「学校にいなくてはいけない」ということ自体が戦いであるような生徒の中には、図書館がむしろ、唯一平和に、安全に孤立出来る、シェルターのような場所だという子もいたと思うんですよ。

そういう唯一の「孤立出来る場所」が、陽性のふるまいも出来る子どもたちや大人にとっての社交的な空間になった時、そういう子がどう感じるか、というのは想像に難くありません。

というか、「いえーーーい!!」とか言いながらハイテンションで飛び込んでくることが「出来る」子は、その時点でそこそこコミュニケーション能力が高いような気がしないでもありません。少なくとも、陽性のコミュニケーションをとる資質は確実に持った子である、とは言えると思います。

一方、陽性のコミュニケーションが苦手な子に対して、無理やり「さあこういうコミュニケーションの場もあるんだよ!!」と陽の当たる場所に引っ張りだすのは、聊か乱暴な措置だと感じないでもありません。



ちょっと思ったんですが、「孤立」って言葉がちょっと無条件で悪役にされ過ぎなんじゃないかな、と。

勿論、心の内ではコミュニケーションに飢えていて、けれど友人関係や大人との関係が上手くいかなくって、結果的に孤立してしまっている子、というのもいると思うんですよ。それは否定しません。

ただ、そういうこととは何の関係もなく、ただ一人でいたい、コミュニケーションについて気にする必要がない時間が欲しい、一言で言えば放っておいて欲しい。そういう子も間違いなくいるんです。

「何も気にすることなく一人でいられる時間」というのも、心の成長には大事なものだと思うんですよね。もしかすると、そういう時間を得ようにも得られなくて、図書館を唯一の摂取源にしている子だっているのかも知れない。

前者の子に対するケアはそりゃ大事かも知れませんが、後者の子に対するケアはどうすればいいのかな、と。どちらかというとそれって、「適切に、安全に孤立出来る場所の提供」だと思うんですよ。で、図書館ってその為には結構絶好の空間なんじゃないいかなあと。

なんか、こういう話の時って「実際にはコミュニケーションに飢えているけれど結果的に孤立している子」にばかりスポットライトがいくような気がするんです。ただ、「そもそも学校でのコミュニケーションを望んでいない子」というのも世の中にはいるんじゃないかな、その子に無理やりコミュニケーションを取らせるのは正しいのかな、と思うんですよ。

そこから考えると、カフェはカフェで、図書館とはまた全然別の場所に作る方が、個人的にはしっくりきます。


繰り返しになりますが、冒頭リンクのような試みが悪いことだと言っている訳ではないんです。時間も限定されていますし、ここで書いたようなことなんて既に考慮されている可能性もあるでしょう。陽性のコミュニケーションが苦手な子に対する、記事からでは読み取れない工夫も色々とされているのかも知れません。例えば、実際にはにぎやかな場所と静かな場所が分離されていて、静かな場所は静かな場所としてちゃんと確保されている、みたいなこともあるのかも知れません。

ただ、この記事だけを読んで、「おっ、いい試みだな」と考え、単純にコピーする、図書館をどんどん「コミュニケ―ションの場」に変えていく。そういう動きをする時は、ちょっと立ち止まって考えて欲しいなあと。


一言で孤立っていっても、色んな孤立があるんじゃないでしょうか、と。

「安全に孤立出来る場所」は不要でしょうか、と。

新たなコミュニケーション空間が増えることによって、却って居場所を追われてしまう子もいるんじゃないでしょうか、と。

「コミュニケーションから離れたい」という欲求も勘案してあげてもいいんじゃないでしょうか、と。


その辺、ご検討いただけたらと思う次第です。


今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 08:03 | Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月14日

ところでイース8がめっちゃ面白いです

何度か書いているんですが、「今更」という言葉は不倒城では死語です。よろしくお願いします。


ということで、知人からイース8を布教いただきまして、最近始めてみました。めっちゃ面白いです、イース8。

イース自体は1の頃からファミコン版でやりまして、今でも定期的にイース1・2はやりたくなるんですよね。ファルコムさん、割とイース1・2については「これでもか」っていうくらいリメイクを出しているんですが、イース1・2の新作が出ると「あ、最近イース1・2買ってなかったな、そろそろ買っとくか…」みたいな謎のイース1・2購買欲が出てくるから不思議です。なんなんでしょうねアレ?習慣性物質でも含有されてるんでしょうか?

で、最近やったイースっていうと、イース7はそりゃもう面白かったんです。


イース7は、「滅茶苦茶な爽快感」という言葉で大体が表現出来ると思っていて、もう動かしてるだけですごい気持ちいい。キャラクターがびしゅっびしゅって動く。移動アクションがとにかく速くって、しかも習熟するごとにどんどんスムーズさを増していくんで、普通に街から街へ移動しているだけでも爽快感が得られるという、とんでもないアクション性の強みをもっていたんですね。

で、イース8なんですが、6時間程プレイした限りでは、「イース7の正当進化形」と言ってほぼ間違いないのではないかと。

6時間といってもまだゲームとしては全然序盤っぽいんですが、現時点で軽くレビューしてみたいと思います。

2018-01-14-221357.jpg

システムはほぼイース7と同様で、3人入り乱れてのリアルタイムアクション。聖剣2や3がそのまま進化してたらこうなったんだろうな、と思わせるようなシステムです。

敵をバシュバシュ切っている時の気持ちよさ、SPを貯めてどかーーんと敵をまとめて吹っ飛ばす爽快感は健在、というかむしろパワーアップしています。とにかく、ばっさばっさと敵に切りつけていく軽いチャンバラ感覚と、敵の攻撃をかわす、ガードする時の楽しさが爽快過ぎる。素晴らしいの一言です。

ゲーム自体は決して簡単な訳じゃないんですが、敵の攻撃を見切ってギリギリのタイミングで回避すると「フラッシュムーブ」や「フラッシュガード」が発生しまして、攻撃モーションに慣れれば慣れる程どんどん楽になっていくので、「オレ上手くなってる!!!」的な達成感は非常に良質です。これは、近作のイースに共通のだいご味と言ってしまっていいのではないかと。


ストーリー面では、イース安定の「船に乗ってたら難破して冒険の舞台にたどり着く」という、もう感動的なまでにお約束の展開で、無人島なのに故郷に帰ってきたかのような安心感すら感じさせます。船長からセイレン島の話聞いた瞬間の、「ああ…」という納得感すごい。

まあ、イースに斬新で重厚なストーリーなんて誰も求めてないでしょうし、この辺りで完全に「安定」「お約束」に振るスタッフの匙加減は正しいのでしょう。

今回、無人島でのサバイバル的な要素も追加されていまして、難破した乗客を集めて村を作っていく要素があります。資源を集めて村の設備を充実させていったり、乗客たちの依頼を聞いて仲良くなっていくのもなかなか楽しい感じです。

流石に自由度という点では、最近プレイしたゼルダBotWなんかとは比べようがないってのは仕方ないところ。それでも、ゲームが進んでくると、「今日はどこを探索するかなー」という選択の余地はどんどん広くなっていきます。正直マップ広すぎて迷う。


あと、グラフィックめっちゃ綺麗です。


2018-01-14-221259.jpg

イース7の頃も、私の感覚では十分綺麗だと思ったんですが、流石のPS VITAと言うべきか、PSPとはちょっと表現力が比べものになりません。どのキャラクターも表情豊か過ぎてすごい。

あと、なんか近年アドルがイケメンになり過ぎてませんか?

2018-01-14-223645.jpg

アドルってこんなさわやかイケメンでしたっけ…なんかもうちょっと武骨なイメージもあったんですけど…。

あと、まだ序盤なんでキャラクター全然出そろっていないとは思うんですが、貴族の令嬢であるラクシャさんはとてもかわいいと思います。

2018-01-14-221229.jpg

最序盤はかなりツン寄りのツンデレだったんですが、割とさっさと打ち解けます。チョロい感。いわゆるチョロイん。

「主人公のことをフルネームで呼ぶヒロインはチョロい」という法則がふと思い浮かんだんですが、今ぱっと浮かんだ類例は逆転裁判の狩魔冥くらいだったんで、もうちょっと研究を進めようと思います。あと誰がいましたっけ…

っていうか今回、序盤で「川で水浴びをしているラクシャを偶然覗いてしまうアドル」という、ラノベ感いっぱいの展開がありまして、イースにそういうのはどうかなーと最初思ったんですが、後から考えてみると何故かどんどん違和感が仕事しなくなっていきました。冷静に考えると、イースって昔からそんな感じだったような気もする…違いましたっけ?

2018-01-14-221810.jpg

イース2なんかは、「女の子じゃなくて男の子が空から落ちてくる系導入」だったんで、意外性といえば意外性はあったんですが、まあ深く考えないことにします。

まあなんにしてもラクシャさんはかわいいです。あとサハドもいい味出してる。

とにかく、

・アクションの爽快感
・ゲームに習熟するごとにアクション自体が楽になっていく絶妙なバランス
・施設や装備を充実させていく楽しさ、収集要素
・めっちゃ綺麗なグラフィック、BGM

については、現時点で全く文句のつけようがないところ。

一方、不満という程のことでもないんですが、

・回避アクションはイース7くらい長い距離をビシュッと移動してくれてもよかった気がする
・マップがかなり入り組んでいて結構迷いやすい(ミニマップは親切なので解決は出来る)

くらいのところは感じました。これについてはもうちょっと進めてからまた評価しようと思います。

今のところ、パッケージキャラである青い髪の女の子がまだ夢の中にしか出てきていないので、今後もキャラクターは充実していくのだろうと思い、楽しみに進めてまいろうと思います。

今日書きたいことはそれくらいです。








posted by しんざき at 23:00 | Comment(1) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月13日

「俺の文章大好き」以上にブログを続ける理由が存在しない、という話

ところで皆知ってるかも知れませんが、私は自分の文章が大好きです。

私は文章を書くのが好きですが読むのも好きでして、特に好きなのは自分が書いた文章を読むことです。割と残念な記憶力を有しているので、書いてから三週間もしたら自分が何を書いたか忘れます。程よく忘れた頃に自分の文章を読むと、いい感じに新鮮な気持ちで、「いい…」とか「完成度…」とか呟きながらニヤニヤすることが出来ます。

私のブログを一番楽しんでいるのは間違いなく私ですし、私の文章を読むだけでも私にとっては十分な娯楽です。勿論、「自分が好きなものを皆にも見てもらいたい」とか、「この漫画もっと売れて欲しい」とか、「皆にメタルマックスを買わせたい」みたいな動機も私にはありますので、読む人がいて下さればそれに越したことはありませんが、モチベーションの基底にあるのは圧倒的に「自分の文章大好き」という自己満足です。

つまり、私のブログには、一人圧倒的な良読者が固定でついている、ということになります。私です。

だから、仮にこのブログを読む人が私一人であっても、私はブログを続けるでしょう。というか、始めて数年はそういう状況でした。おそらく、「ブログを続ける動機」という点では最強に近いものだと思っています。

ただこれ、本来は皆そうなんじゃねえかなーと思うし、そうなれるんじゃねえかなーと思うんですよね。

すごいむかーーし、こんなこと書いたんです。

ひとり語りは面白いのかどうか、について。

「自分が読む自分の文章」というものは基本的に名文なのである。

自分が自分で読む程には、自分の文章は面白くないのだ。

これ自体は、単なる文章を書く上での大原則という話でして、「自分で読む自分の文章というものは基本下駄を履いているものであって、他人が読んだ時にも面白いとは限らないよ」というだけの話なんですが。

ただこれって、裏返せば、「自分には、自分の文章を楽しむ圧倒的な素質がある」ってことでもあるんですよね。大体において、自分くらい、自分を楽しませる文章を書ける人ってのはいない筈なんですよ。書いた人のバックボーンがダイレクトに脳内に入ってくる!!なんてスリリングなんだ!!!!ってなもんですよね。

っていうか、皆さん自分の文章って名文だと思わないですか?大体、自分が書いた自分の文章って自分にとっては名文になるものなので、恥ずかしがらずにもっと自分の文章は名文だって認めていいと思うんですが。

客観的に自分の文章を評価する、というのは極めて難しいです。自分でおもしれえ!と思った文章でも、他人が同じように感じてくれる保証は全くありません。むしろ、同じように感じてくれることの方が極めて希少でしょう。

ただ、別にお金をもらって書いているわけでもなし、個人の趣味としてのブログなんだから、別に客観視なんてしなくていいんじゃねーか?とも私は思うんですよね。私は楽しんで書いてますし読んでますんで、皆さんは勝手に楽しむなりクソだなーと思うなりしてください、止めません、って話なんですよ。


ただ、そこに、「PVを稼ぐ」とか「お金を稼ぐ」という指標が入ってきて、しかもそれがメインになってきてしまうと、途端にブログって苦しくなるんですよね。

だってうまくいかないじゃないですか、そんなもん。ブログで稼ぎましょう!とか言いつつサロンで稼いでるような人、少なくとも個人のレベルでは片っ端からいなくなったでしょう?よく知らないですけど、今は仮想通貨でもやってるんじゃないですか、そういう人たち。

収益とかPVとか、客観的な指標ってのはまあ残酷なもので、追いかければ追いかける程うまくいかないし、情況としてはレッドオーシャンもいいところです。今から収益をおっかけて、ダシガラの中でちょっとでも残ってる煮干しを探す、みたいな行動は正直あんまり割りに合わないように思います。

ブログで稼ぐなんてやめちまおーぜ、とか思うんですよ。

だからこそ、今だからこそ、「俺の文章大好き」という、一番の基底モチベーションに立ち返った方が、色々上手くいく人も多いんじゃねえかなーと。

こちらの記事を拝読して、そんな風に思ったわけです。



ブログはボトルメールみたいなものなので、流してればその内誰かに届くでしょう。

ただ、誰かに届くかどうかは正直副次的な問題であって、まず自分に届くし、自分に届いた自分のボトルメールを貪るように楽しむという、そういう変態的な行為も案外楽しいですよと。

そんな感じです。


posted by しんざき at 22:17 | Comment(5) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月12日

「チェイサー」の5巻がマジで面白い

超面白かったです。


いや、ゆーてもチェイサーは本誌に載ってる時は本誌買って全部読んでるので、話自体は把握してたんですが、やっぱ単行本という形でまとめて読むとまた格別だなあ、という話でして。

「チェイサー」自体については、下記記事で色々書いてるんでそちら参照してください。いや、今連載されてる色んな漫画の中でも、トップ3には余裕で入るくらい面白いと思うんですよ、チェイサー。


で、チェイサーは、勿論手塚治虫先生の同時代伝記とでもいうべき漫画であって、手塚先生の「チェイサー」である、同じく漫画家の海徳光一という人物を主人公としています。

チェイサーの面白さは、何と言っても「海徳先生が手塚先生を意識する時、「チェイス」する時のドタバタ感」という言葉に集約されると思うのですが、この5巻ではそこに重大な転機が訪れます。

つまり、少年漫画業界における手塚人気に陰りが出てしまい、一方海徳先生が「少年ジャンプ」で大ヒットし、作中の少年漫画人気では手塚先生を越えてしまうのです。

作中でも語られることですが、手塚先生には、一時期少年漫画業界での人気が低迷していたことがあります。1960年代後半から1970年代の前半、作風が厭世的になった頃ですね。

で、5巻の大筋はこの時期の話なんですが、海徳先生の方は、ちょうどこの時期に「俺のドラゴンボウル」というボーリング漫画を「ジャンプ」で描いて、これを大ヒットさせてしまいます。劇中、日本にボーリングブームを巻き起こした人物として、海徳先生は一躍時の人に。この辺り、実際にあったボーリングブームと絡めてくるあたりが、コージィ先生つくづく上手いですよね。

勿論この時期、手塚先生は「火の鳥」「奇子」「きりひと賛歌」なども同時並行で著していたわけであって、青年漫画の世界ではまだまだ物凄い存在だった訳なんですが、少なくとも少年漫画というフィールドでは、海徳先生は手塚治虫に完全に「勝って」しまう。

ところが、海徳先生の手塚コンプレックスは、解消されるどころか、うっかりすると更に悪化してしまうわけです。

元々手塚先生のインテリジェンスに憧れていたところのある海徳先生は、「おれのドラゴンボウル」が徹底して子ども向けの、いってみれば「おバカ」な漫画であることにコンプレックスを持ちます。「火の鳥」や「きりひと賛歌」を見て、「俺はこんなおバカなことを書いていていいのか!?」と葛藤しちゃうわけです。


この辺の葛藤の描写が、また上手いし超面白いんですよ。


この巻では、5巻におけるもう一人のメインキャラともいえる、ジャンプの編集者である日下(ひげ)氏が活躍します。彼のスタンスは単純明快。「少年漫画はインパクトと分かりやすさがなにより重要」「少年漫画で人気出たヤツが漫画業界で一番偉い」というのが彼の持論であって、時々ブレそうになる海徳先生を強引に引き戻すのは彼の手腕です。手塚先生のインテリジェンスに憧れて、「俺も少しはそういうのを描くべきなんじゃ!?」と迷う海徳先生を、「そっちにいかないでください!!」と無理やり引き戻すドタバタは素晴らしいとしか言いようがありません。「手塚賞」がジャンプに導入された時のやり取りなんかはもうニヤニヤが止まりませんでした。

日下氏は、「少年漫画にインテリジェンスなんて導入したら子ども読者を逃がすだけ」という思考で一貫しているんですよね。で、「俺のドラゴンボウル」が大人気なんで、彼としては何としてもそこを外したくない。あの手この手で海徳先生をおだてつつ、フラフラとインテリジェンスを追い始めようとする海徳先生を強引に引っ張り戻すわけです。


日下氏の、「「子どもっぽい」ことから逃げないでください!!」というのは、作中でもトップクラスの名言だと思います。


大体海徳先生、手塚治虫を意識するあまり、うっかりすると自作以上に手塚作品の方が気になっちゃうんですよね。一躍時の人となってしまった自作の人気に戸惑いつつ、むしろ「手塚治虫の凋落」という事象の方にショックを受ける海徳先生のキャラクターは、やはり今作最大の味です。俺のドラゴンボウル読みたい。


この辺、「少年漫画というフィールドでは手塚先生を凌いでしまった」海徳先生の戸惑いと葛藤、あと日下氏とのやり取りや日下氏の強引なフォローや路線誘導が、チェイサー5巻のハイライトであることは論を俟たないでしょう。日下氏という、一本筋の通った考え方というか、物差しが提示されるからこそ、海徳先生の葛藤や逡巡が余計に際立つんですよね。


で、5巻も終盤、「俺のドラゴンボウル」の人気にも陰りが見えてきた頃。手塚治虫はすっかり少年漫画業界での立場を凋落させてしまい、どの雑誌も手塚漫画を載せたがらない、というところまで来てしまいます。本質的には単なる手塚ファンである海徳先生すら、「少年漫画で生き恥をさらさないで青年漫画に集中してくれ」と言うくらいです。

さすがに海徳先生も、ぼちぼち「少年漫画では俺の方が上」という自信を持った時に、こんな話が伝わってきます。

「手塚先生がチャンピオンで連載を始めるらしい」
「チャンピオンの編集長が、「手塚の死に水は俺がとる」と言っている」

はい、この辺が、伝記ものの一番面白いところですよね。我々は、この後、チャンピオンに何が載るのかを知っている。

そう、「ブラック・ジャック」がついにその姿を現すのです。


というところで、5巻はここまで。いやーー面白い。面白いですチェイサー。展開もさることながら、単行本の引きのタイミングも絶妙。

取りあえず皆さん、「チェイサー」はまだ5巻しか出てませんし、読んでない人はちょっと騙されたと思って読んでみませんか?手塚治虫先生の伝記として読んでも、海徳先生という漫画家の出世物語として読んでも、ドタバタ感がすげー楽しめますよ。






気が向いた方は是非どうぞ。画像つけたいから貼ってますが、別に上のリンクから買わなくていいんで。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:25 | Comment(1) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月09日

今そこにあるネット私刑、あるいはネタさえあれば私刑を執行したい人たち

こんな案件を観測しました。今方々で話題になっている、振袖業者の話です。


ひどい話ですよね。人生一度の成人式の日にこんな案件に巻き込まれてしまった新成人の皆さまは心底お気の毒だと思いますし、状況から見てもある程度計画的な倒産だった可能性は高そうです。

一方で、同じ「はれのひ」でも店舗によっては、社長に連絡がつかず、給与も遅配する中で新成人の皆さまのフォローを精一杯行ったスタッフの方もいらっしゃったようで、こういった現場を支えたスタッフに対しては、賞賛の念を禁じえません。偉いなーと思います。


何にせよ、これが詐欺案件に該当する可能性はかなり高そうであって、民事ないし刑事案件になって速やかに法的措置が取られ、被害者が適切な補償を受けられることを願って止みません。


ただ、それとは別に、「またかよ」と思った案件がありまして。


はてブで件の振袖業者の社長名について、facebookのエントリーをピックアップする記事を見かけました。

それを見て、ふと思いついて社長名をぐぐってみると、まあ出るわ出るわ。

「〇〇の顔画像や経歴は?」
「現在の居場所を特定!」
「〇〇の嫁・子どもについて」
「〇〇の住所や顔画像を特定!」
(〇〇は社長名)

みたいなタイトルの記事がずらっと。アクセス流したくないんでリンクは貼りませんが。

これ、明らかにネット私刑ですよね?

百歩譲って、当該社長が自分で公開しているfacebookの情報をピックアップするだけなら(既にネットに公開されている情報なので)まだわかるんですが、何の関係もない家族や、家族が巻き込まれかねない現住所に関して、悪意満々の論調でWebに公開することが、私刑以外のなんなんだって話なんです。


以前こんなことを書きました。


まず、

「無関係だろうがそうでなかろうが、私人が事件の容疑者や身内に私刑を行うのは犯罪」

ですよね?ここブレちゃいけないですよね?

これ、そもそも嫌がらせの電話を受けているのは、事件の容疑者と何の関係もない企業なので、それはそれでひど過ぎる話なんですけれど、「たとえこれが本当に容疑者の関係者だったとしても、あるいは容疑者本人であったとしても、個人情報を晒したり、嫌がらせの電話をしたりするのは犯罪以外の何者でもない」というのは当然の認識としてみんなが持っておかないといけないと思うんですよ。
「件の振袖業者の社長の住所」と称されるものが、本当に誤爆でなくて本人の住所だとすら現時点では全く判断出来ないと思っていて、その点もし誤爆だったらまた新しいスマイリーキクチ事件が起きることについて誰が責任とるんだ、とも勿論思うんです。

今更いちいち言うまでもなく、webに一度拡散された情報を消去することは極めて困難というか、大抵の場合不可能です。仮にデマだった場合には、勿論なんの関係もない人の住所が大量の人に拡散されて、「この犯罪者!!」という罵倒が、何も罪を犯していない一般人に投げつけられることになるのでしょう。これを理不尽と言わないでなんていうの、という話です。


ただ、仮に誤爆でなかったとして、「私人が特定個人の個人情報を晒すのは私刑以外の何ものでもない、単なる犯罪」だということを、しつこかろうが何だろうが、我々は確認しておかなくてはいけないと思うんですよ。

日本は法治国家であって、罪を犯した人間がいたとしたら、きちんと法に基づいて裁かれなくてはいけません。その為にはちゃんとしたプロセスもあれば時間も要ります。そういうのを全部吹っ飛ばして、「俺たちで叩こうぜ!!」とかやり始める向きを、私は醜悪だとしか感じません。

仮に何か情報提供をしたいことがあるのならば、それは少なくとも警察に対してするべきであって、ネットで不特定多数にさらすことで発生するメリットなんて何一つ、本当に何一つありません。

結局のところ、こういう人たちって、「叩きやすい対象」が出てきたタイミングで、「ほれきた!」と私刑を煽っているようにしか、私には見えないんですよ。


なんなんでしょうね、この、「燃やしやすい藁人形」を発見したとたんに、わーーーっと集まってきて「さあ皆叩け!!」って煽り始める光景。これものすっげえグロテスクだと思うんですが。

「嫁・子どもについて」なんて、もう明々白々に、「一族郎党まで迫害しろ」っていう意思表示以外の何者でもないじゃないですか。本人に対する私刑だって単なる犯罪ですが、例えば罪もない子息の情報を晒そうとすることに、一体どんな正当性があるっていうんでしょうか?それで自宅にじゃんじゃん電話がかかって、家庭の1個も崩壊すればそれで私刑をする人たちは満足なんでしょうか。


この、「たくさんの人の憤り」を利用して広告収入を稼ごうとする手法、なんとか滅びてくれないかなーと思うばかりなんですが。

せめてネット私刑だという指摘だけでもしておきたいと思って、本日記事を書いた次第です。

悪質な計画倒産案件や詐欺案件が減少するのと同じくらいに、ネット私刑が減少することを願って止みません。


今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 12:32 | Comment(7) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月07日

今日のしんざきがゆるドミに行ってきたんですが「文絵のために」がやたら面白かったです 18/01/07

皆さんお疲れ様でした。


いやー今回も楽しかったですね。

今回はがっつり朝開催だったので、一日楽しくドミったり色々他のゲームをやらせて頂いたりしたわけでして、スイスドローの結果についてはまた改めてゆるドミ告知ブログの方でも書こうと思うわけなんですが。

一点、今回プレイさせていただいた「文絵のために」がやたら面白かった、というかシステムのすばらしさに軽く感動したのでちょっと紹介してみます。



いやこれですね、ゲーム開始当初は全く勝利条件も分からないし敗北条件も分からないんです。

「文絵のために」は二人でプレイする協力ゲームでして、三つのシナリオがあります。第一のシナリオ「文絵のために」はヒロインの文絵の死を避けるために主人公が奔走するループもの、という程度の事前知識はあったんですが、どんなゲームなのかはよくわかりませんでした。

で、このゲーム、プレイする二人がお互いに「相手の手札」をもって、その手札を順番に渡していくんですね。で、その手札を使用するか、それとも裏向きにして握りつぶすかは各々のプレイヤーの判断に任される。この時、カードの中身や使用判断については、お互い話し合ってはいけないんです。

で、上で書いた通り、ゲーム開始当初は何をすればいいかよくわからない。色んなカードを使うと何が起きるかを確認しながら、本当に二人で手探りで、ゲームの敗北条件、勝利条件を推理していかなくてはいけないんです。

文絵のためにすげえ面白かった

この加減が本当にものすっごい。「ループものアドベンチャーゲームのプレイ感」みたいなものが完全再現されてまして、一つ一つ、「これはフラグなのか?」「このフラグを立てるとどうなるんだ?」「このフラグは立てていいのか?」みたいなことを推理していくんです。

で、一回で文絵を助けられることってのはまずなくって、最初の内は大体失敗する。1ゲームは短くって、慣れるとせいぜい10~20分くらいで終わります。何度も失敗しながら、少しずつゲームの勝利条件を手探りしていく感覚が、まさにループものアドベンチャーゲーム。

ループものをアナログゲームで再現したゲームっていうと、他に「惨劇ルーパー」が思いつきますが、「文絵のために」はルール的にはずっとシンプルです。その代わり、一通りフラグの正体が分かってしまうと若干感動が薄れてしまう、という問題はあります。とはいえシナリオは三つありますし、何よりこれだけシンプルなルールでループAVGが再現できるのか…という感動がすごいので、これは一度味わってみられても良いのではないかと思います。

とにかく、ゲームを進めていくうちに分かっていく「そういうことだったのか!」感、また色んなループAVGのお約束をきちんと押さえている「分かっている感」は一見の価値あり。協力ゲーなんで、対戦ゲーが苦手な方にもおすすめ出来るかも知れません。ただ、アドベンチャーゲームについての最低限の経験はあった方が楽しめるかも。


その他、今回もしんざき長男が混ぜて頂いて色々遊んでいたんですが、なんか「テストプレイなんてしてないよ!」がやたら気に入ったようで、プレイしながらぴょんぴょんはしゃいでました。


ただこっちは私自分でプレイしてないんでちょっとコメントできません…横で見ている限りでは理不尽ゲーのような気がしたんですが、パーティゲーム的に盛り上がるゲームなんでしょうか。


まあなにはともあれ、今回も楽しかったですしまたやると思いますので、皆さんまた遊んでください。

今日書きたいことはそれくらいです。





posted by しんざき at 23:46 | Comment(0) | アナログゲームいろいろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月05日

webは結局権威主義へと帰着するのかも知れない

思考メモ。特に建設的な結論に着地するような記事ではないです。

こんな記事を読みました。

今の時代情報強者になるのはとても難しいと思った話(ダイエット編
いや、もう検索エンジンをどう使おうが正しい情報にリーチすんの難しすぎない?って話。

正直なところ、ここで書かれていることは大筋正しいと思っており、Googleの検索結果は現状、かなりの範囲においてひどいことになっています。

どの検索ワードでもこの検索ワードでも、

・何の根拠もないライフハックもどき
・どっかからのコピペつぎはぎ
・ワードサラダ的な意味が薄い記事
・twitterから適当に拾い集めたツイートまとめ

などが上位検索結果に目白押し。Googleがハックされ過ぎていて、広告目当て、PV目当ての大量生産記事が大氾濫しているというのは、既に今更の話でもあります。

そして、ぐぐってトップに出てくる無根拠な情報を、これまた無根拠に信用してよろしくないことになる人、というのもしばしば観測出来ます。医療のアレとかデマ関連のソレとか、まあ色々思い浮かべて頂けるかと。

かつては「ググレカス」と呼ばれていたところが、「ぐぐったら情弱」と呼ばれる日はすぐそこに見えている、というか正直そういう時代に既に片足突っ込んでいると思います。

勿論希望が全くないかといえばそういう訳でもなく、例えばGoogleは先日医療や健康に関連する検索結果を改善したことについて発表しまして、こういう動きがバンバン続いてくれればまだ状況は改善するかも知れません。ただ、残念ながら現時点では、大きく状況は変わっていないと言わざるを得ません。

こういう時代、重要なテーマに対して適切な情報を手に入れる為にはどうするべきかというと、多分現実的な方向性は大きく二つあって、

・Web以外に情報の裏付けを行うことが出来るアナログなノウハウを身に着ける
・信頼出来る個人や組織をフォローして、彼らが発信する情報を信用する

のどちらかになりそうなんですよね。

アナログなノウハウは、多分それはそれで重要だと思うんです。玉石混交って言えばアナログな書籍だって新聞だってそりゃ玉石混交ですが、世の中程度の差というものがあります。書籍は少なくともほぼ必ず編集者の手を経ていることは保証されている訳であって、玉石の混在率に関しては、少なくとも現時点のWebよりは遥かにマシです。「この出版社はヤバい」「この出版社はまあ安心」という見分けも、webよりはだいぶ難易度低いでしょう。

こういった、「Webだけに頼らない情報収集のやり方」については、どこかできちんと練習するべきだし、私自身ちゃんと子どもに教えてあげたいなーと思って、機会あるごとに一緒に図書館いって調べものしたりしてるわけですが。

ただ、そうは言っても時代の流れというもので、アナログなサーチ手段についても恐らくいつかは限界が来ます。そうなると、「信頼出来る組織・人」に情報の保証を求めるというのが、恐らく一番現実的な落としどころにならざるを得ないと思うんですよ。

例えば医療の情報について言えば、現時点で厚生省が発信している情報はほぼほぼ妥当でしょうし、信頼出来る医療機関、信頼出来る医師が出している情報をキャッチすることも可能でしょう。

「この人のいうことはまあ信用出来る」「この組織の書くことはまあ信用出来る」という形で、キュレーションを誰か、何かに仮託しつつ情報のフィルタリングをする、というのが、まずまあ妥当な落としどころなのかも知れません。


で、ここからがあんまり建設的でないくねくねした話なんですが。

「人」「組織」に信用を求めてそれをフォローするって、それ多分権威主義の入り口だよなー、ということが、私の頭からはどうも離れないのです。

勿論盲従する必要はないとはいえ、「この人のいうことは信用出来る」という、いってみれば「人」に対する説得力の仮託というものから、恐らく権威主義というものは始まったんじゃないかなあ、と。それって多分、かつて我々が、いや少なくとも私を含むWebの一部の人たちが、Webに求めたものからはかけ離れた形だよなあ、と。

かつて、権威主義を否定する夢をWebに託した人たちが、巡り巡って結局権威主義に帰りつくのか。


「誰もが同じ立場で価値ある情報を発信出来るweb」という一つの理想は、失墜したままもう戻ることはないのかな、と、一抹の寂しさを覚えるのです。

まあ、今は、Googleが検索結果の健全化をガンガン進めてくれることに期待しつつ、ゲーム系迷惑サイトとかNA某まとめとかできれば消滅してくれないかなーと神社に手を合わせるだけの日々なわけです。

今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 07:28 | Comment(6) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月04日

漢文学習がどんな役に立つのか、なるべく簡単に解説してみます

こんな記事を読みました。


日本よ、この期に及んで「古文・漢文」が必要だというのか

何の罪もない高校生たちが、「古文・漢文」という暗記ゲームを強制され、不当にも人生を左右されている。

おれは実学至上主義者ではない。学問が、社会に対して有益である必要はこれっぽっちもない。(中略)「役に立つ立たない」じゃなくて「好き」で学べるのは素敵なことだと思うし、好きな人のためにそういった場を用意するのは社会の義務だと思う。

それでも、それでも、それでも、

やっぱり「古文・漢文」は必要ですか? 納得のいく理由があるなら、是非聞かせてほしい。


えーと、この人の言いたいことを簡単にまとめると、

・古文・漢文というのは暗記ゲームであって、伝統や教養以上の実学的な意味はない
・そんな科目を受験の科目に含めるのは不適当ではないのか

ということだと思います。

これは多分、「古文や漢文って何の役に立つの?」という、よくある疑問に還元出来るのだろうなーと考えます。


そもそもの前提として、「役に立つ/立たない」という軸を勉強する意義に求めることは適当か、という話は勿論あります。

知識は、それを身に着けることそれ自体に意義がある、役立つ役立たないなんて関係ない…そういう人はいますし、そういう姿勢は正しい、尊いものだと思います。

ただ、それを承知の上でも、我々は一度は、きちんと「役立つ/役立たない」という土俵に乗ってあげないといけないと思うんですよ。

以前、こんなことを書きました。

「こんなこと勉強して何の役に立つの?」と聞かれた時、言葉を尽くせない大人が知性を殺す

大体において、小中高で勉強する科目なんて、殆どが「実際にめっちゃ役立ちますよ」という科目ばっかりなんですよ。それは、トレーニングとして役立つということでもありますし、実際社会に出てからめっちゃ使う、というものもあります。それをきちんと言葉にして伝えることは、大人の義務でもあると思うんです。

ということでこの記事では、古文漢文の中でも特に漢文に絞って、「何故漢文学習が必要なのか」ということを書ければと思います。


1.漢文学習はどんな役に立つのか

最初に結論から書いてしまうと、漢文というのは

「伝統や教養を身に着けるついでに、論理読解力の経験がめっちゃ積めるという超お得科目」

です。

教養というものはそれ自体確かに重要であって、しかも更なる教養にアクセス出来るスキルを身に着けることはとてもとても重要です。漢文は、それ自体「次の教養へのアクセスポイント」であり得ます。唐詩選とか十八史略とか、教養抜きにしてもめっちゃ面白いですよね。孫子とか韓非子とか原文で読めるんですよ?超面白くないですか?


けどですね、漢文って決して「教養」だけのツールではなくて、実際にドすげえ教育効果を持っているんですよ。

それは、「極めて短いスパンで、物凄い効率的に「言葉の繋がり」を追っていく練習を積めること」。一種の「読解力ドーピングツール」なんです。この点についてだけ言えば、漢文は明らかに現代文よりも効率がいいと思います。

例えばですね、何がいいかな。論語にしましょうか。


不患人之不己知。患不知人也。


すげえシンプルな一文ですよね。人の己を知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患うるなり、って読むんですけど。

これだけでも、このたった二行だけでも、「どの言葉とどの言葉が繋がっているのか」「どの字がどの字にかかっているのか」をすごーくちゃんと読まないと読めない、ってこと、分かって頂けるでしょうか?


この「不」って字はどの字にかかるんだ?

「患」は動詞っぽいけど、主語は誰なんだ?

不己知ってのはどういう順番で読むんだ?何を知ってるんだ?何を知らないんだ?



これですね、漢文ってすごい情報の密度が高くって、いちいちきちんと「言葉の繋がり」を考えないと、ぜーーったい文章全体の意味を読み解けないようになっているんです。どの言葉がどこにかかっているのか、細かいレベルまで全部必要になる。

その割に中高くらいのレベルだと凄くロジカルで構造的に堅牢な文章しか問題に出ないし、言ってること自体はシンプルで類推が容易なんで、コツさえわかってくればパッパとロジカルに読めるようになる。ちゃんと慣れることが出来れば、冗談抜きで論語なんて白文で全部すらすら読めるようになります。

この学習効果、結構物凄いと思いますよ。「文章の論理構造を読み解く」って、読解の基本じゃないですか?現代文どころか、英語でも、数学でも、社会でも、理科でも、他のどんな分野でも使っていくスキルですよね。それをすごーーく短いスパンで、ものすごい密度で反復練習出来るんです。

当たり前のことですが、難しいことをするには訓練が必要です。ややこしい言葉を読み解くには、論理構造を読み解く経験値を積まなくてはいけません。その点、「言ってることは簡単なのに、ちゃんと論理構造を読み解く訓練にはなる」のが漢文です。

つまり漢文って、「超短期読解力養成ギプス」として使えるんです。漢文が分かるってことは、イコール「言葉と言葉の繋がりについてきちんと理解している」ってことと同義、と言えるんです。



同じ勉強するなら、学習効率がいい科目をどんどん勉強していくべきですよね?

だから、科目としては本来すごーく重要だと思いますよ、漢文。教養にもなるし読解力のドーピングも出来る。超お得セットだと思いません?


漢文勉強することの直接的なメリットって他にもありまして、

・中国語がかなりの精度で普通に読めるようになる
・熟語の構造が分かって、難しい熟語の意味が推測しやすくなったり、類語や対義語が覚えやすくなる
・日本の古めの言語もある程度スムーズに理解できるようになる

この辺はかなり大きなメリットだと思います。特に3点目とか、法学部なら普通に昔の判例とか、法律文書読むのに使ったりするんじゃないですかね?法律文書なんてただでさえややこしい文章多いし、他の学部ならともかく、法学部だったら普通に漢文馴染むと思うんですが…。

あと、例えば「将来」みたいな熟語について、ああ、これは将に来らんとすの意味だな、みたいなことがナチュラルに分かって内心ドヤァ出来ます。


2.漢文学習の不幸な誤解

ただですね、冒頭増田も不幸な誤解をしてると思うんですけど、世の中、漢文のことを「暗記科目」って思ってる人って何故かすごい多いんですよね。これ、不幸なことだなーと。

確かに、漢文って読めるようになるまでに覚えたほうがいいことってありますよ。句法とか句形とか、不読文字とか特定語彙の解釈とか、まあある程度はですね。

悪いことに、中高程度の漢文だったら、暗記だけでかなりのレベルまで点とれちゃうんですよね。だから、学校教育も、「受験対策としての暗記漢文」みたいな感じになりがちなんだと思うんですけど。

レ点がどうとか一二点がどうとか、本来些末なことっていうか、漢文それ自体に必要なルールじゃないんですけどね。本来は、例えば簡単な白文から見ていって、「なんとなくこういう意味」「なんとなくこういう繋がり」みたいなところから、漢文っていう言語体系、漢文を読む楽しさを徐々に学んでいく、みたいなやり方の方がいいと思うんです。

実際、私が塾で「漢文さっぱり分からん」っていう子を相手する時は、「一回今まで授業でやってたルールは全部忘れよう」って言って、「なんとなく言葉のつながりを想像しながら白文を見ていく」ところから始めていました。それでしばらくすると「あ、漢文って案外難しくないじゃん」ってわかってくれた生徒も割といるんで、時間さえあればそっちの方がいいと思うんですよ。まあ、実際のカリキュラムではそうもいかないんだということは分かるんですが。

あと、「これ三国志に実際出てくる文章だよ!!正史だけど!!!」みたいな授業も、三国志好きな子には結構盛り上がりましたねえ。楽しみながら勉強できるといいんですけどね。

おそらく、冒頭の増田も、「ひたすら暗記する漢文勉強」しかさせてもらえなかったんじゃないかなー、と勝手に想像します。そういう教育自体には、改善の余地なしとは言いません。

ただ、「漢文は不要か必要か」って話に限っていえば、私は「明らかに必要」だと思います。だって効率いいもん。教養にもなるし。



まあ、なにはともあれ、私が言いたいことを簡単にまとめると

・漢文は教養になるうえに読解力のドーピングが出来るお得ツール
・読解力は全科目で重要なので、漢文の学習価値も割とハイレベルだと思う
・その他のメリットも割とある
・けど学校での学習形態には改善の余地もあるかもね

くらいになります。よろしくお願いします。


あ、古文についても色々似たようなことは言えるんですが、まああまりに長くなるので今回はこれくらいにしておきます。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 22:25 | Comment(17) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なんかスマホで不倒城見た時の広告が激しくなってるような気がする

どうもしんざきです。今日から元気に出社です。皆さん元気ですか?

以下はただの日記というか愚痴です。


私、いつもブログ書く時大抵PCから作業するし、自分のブログも基本PCからしか見ないんで、あんまりスマホでの表示とか気にしてないっつーか、注意してみてないんですよ。

ただ、この年末から正月はPC使えないタイミングが多かったんで、スマホでぽちぽちアクセスしてたんです。

そしたらまあ、なんか自動挿入されてる広告やたら増えてないですか?前こんなありましたっけ?

いや、以前は、画面真ん中くらいから下にスライドしていくフローティング広告が死ぬほどうざくって、どうもその広告はなくなったみたいなんで、その点は誠にありがたいことなんですが、なんか最初にブログ表示した時画面全体に広告が出たり、画面下の広告が大増殖してたり、見方によっては以前より悪質になっているような。

webの広告の何がイヤって、「書いた内容と何の関係もないコンテンツを画面に強制的に割り込ませる」のがイヤなんですよねー。しかもそれがエロ関係の広告だったりしたら頼むから死んでくださいと思わざるをえない訳です。

ただ、seesaaさんも収益を挙げないといけないでしょうし、こういう広告ないとやっぱりサービス継続出来ないのかなーとか。13年もseesaaでやってきたんで今更引っ越すのも面倒ですし、是非サービス継続は頑張って頂きたいんですが。不倒城の広告でどれくらい収益が上がってるのかよくわかんないんですが、その分払いますんで広告消してください、とかダメですかね?

しかしまあ、seesaaさんも永遠にサービス継続出来るかっていうとそういう訳でもないと思いますし、いざという時のブログ退避の可能性というか、退避方法の模索みたいなものはしていかないといけないかなーと思いつつあります。検索順位とかクソどうでもいいので、URL変わってもそれ程問題はないんですけどね。ただ引っ越しの手間だけがひたすら面倒くさい。

まあなんにせよ、seesaa様には広告非表示の有料オプション実装の可能性をご検討頂きたいなーと、そんな風に思うわけです。

一旦それくらいです。

posted by しんざき at 07:53 | Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月03日

銀河英雄伝説の10巻でなぜか私が一番ぶわっとくるところ


この話、以前友人としたところ、「え、そこ?」みたいな反応をされたので、ちょっと書いてみたくなりました。

皆さん、銀河英雄伝説は読まれましたでしょうか?田中芳樹先生につきましては、勿論毀誉褒貶ある作品もあるのですが、まず「銀河英雄伝説」全10巻 + 外伝4巻が名作であることについては、議論の余地がないところかと思います。10巻のラストとか、読み終わった後の余韻すごかったですよね。


で、銀河英雄伝説は、勿論割とカジュアルに人が死ぬ小説でして、田中先生は「作中からキャラクターが退場する場面」を描き出すことに定評がある作家なので、言ってみれば「泣き所」みたいなものも劇中あちこちにあるのですが。

何故か、私が一番ぶわっとくるところというか、私の一番の泣き所って、キャラクターが死ぬところではないんです。

それは、10巻の劇中、作中最後の大規模会戦であるところのシヴァ星域会戦が終わった後。


「戦艦ユリシーズは生き残った。ついに最後まで生き残ったのだ」


というたった一文。

私、なんかここで妙にうるっと来てしまいまして。これが何でかなあ、と。


なんというか、長い物語がついに終局を迎える感慨、その感慨がユリシーズに集約されている見事さ、とでもいうのでしょうか。

ユリシーズは、勿論作中では最も長い期間登場し続けた戦艦の一隻でして、初登場は1巻のアムリッツァ会戦です。「トイレを壊された戦艦」などというありがたくない仇名もつけられつつ、作中でもイゼルローン組の一種の象徴というか、精神的支柱のような扱いも受けています。色々紆余曲折もあるのですが、最終的には、帝国の旗艦ブリュンヒルトに対する、イゼルローン軍の旗艦のような扱いになっていました。

で、まあ、銀英伝においては数々のキャラクターが落命するのですが、それと同様、戦艦もまあ数多く沈むわけなんですよ。ヒューべリオンも沈みました。アースグリムも沈みました。リオ・グランデもク・ホリンも沈んじゃったわけです。

ただ、銀英って、10巻以前まではあんまり、「艦」に積極的に思い入れを抱かせるような描写ってあんまりないんですよね。勿論、トリグラフの話とかパーツィバルの話とか、艦の話自体はちょこちょこ出てくるんですが、それを展開的にそこまでクローズアップはしていない、というか。艦を感情の焦点にするような描写ってあんまりない、っていうか。

それが、この10巻の終局、最後の最後に、ブリュンヒルトでもベイオウルフでも、勿論ケーニヒス・ティーゲルでもない、「ユリシーズが」最後まで生き残った、というのが。ああ、戦い抜いたんだなあ、と。

本当に終わるんだなあ、と。ここまで頑張って生き残ったんだなあ、と。


読者が「物語の終わり」を感じるポイントって、多分人それぞれ違うと思うんですけれど、私にとっては文句なくこの一文だったんですよね。別段泣かせどころでもなんでもない、むしろ描写としてはさらっと、激戦の後日談程度の話しかされていないんですが、そんなさり気ないところにこの「最後まで」という一文を盛り込んでくるのが。

田中先生、本当にこういう一文が上手いなあというかなんというか。私にとって、長いシリーズの中でも最もお気に入りの一か所になっているわけなんです。


銀英伝、今年の4月から改めてアニメ化されるらしいですね。私、アニメに対してはあまり感受性が強くないんですが、これを機に今まで原作を読んでいなかった人も、ふとした機会に手に取って頂けるといいなあと。またおいおい、お勧めエントリーでも書こうかと思う次第なわけです。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 20:54 | Comment(2) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
このエントリーをはてなブックマークに追加