2018年01月03日

銀河英雄伝説の10巻でなぜか私が一番ぶわっとくるところ


この話、以前友人としたところ、「え、そこ?」みたいな反応をされたので、ちょっと書いてみたくなりました。

皆さん、銀河英雄伝説は読まれましたでしょうか?田中芳樹先生につきましては、勿論毀誉褒貶ある作品もあるのですが、まず「銀河英雄伝説」全10巻 + 外伝4巻が名作であることについては、議論の余地がないところかと思います。10巻のラストとか、読み終わった後の余韻すごかったですよね。


で、銀河英雄伝説は、勿論割とカジュアルに人が死ぬ小説でして、田中先生は「作中からキャラクターが退場する場面」を描き出すことに定評がある作家なので、言ってみれば「泣き所」みたいなものも劇中あちこちにあるのですが。

何故か、私が一番ぶわっとくるところというか、私の一番の泣き所って、キャラクターが死ぬところではないんです。

それは、10巻の劇中、作中最後の大規模会戦であるところのシヴァ星域会戦が終わった後。


「戦艦ユリシーズは生き残った。ついに最後まで生き残ったのだ」


というたった一文。

私、なんかここで妙にうるっと来てしまいまして。これが何でかなあ、と。


なんというか、長い物語がついに終局を迎える感慨、その感慨がユリシーズに集約されている見事さ、とでもいうのでしょうか。

ユリシーズは、勿論作中では最も長い期間登場し続けた戦艦の一隻でして、初登場は1巻のアムリッツァ会戦です。「トイレを壊された戦艦」などというありがたくない仇名もつけられつつ、作中でもイゼルローン組の一種の象徴というか、精神的支柱のような扱いも受けています。色々紆余曲折もあるのですが、最終的には、帝国の旗艦ブリュンヒルトに対する、イゼルローン軍の旗艦のような扱いになっていました。

で、まあ、銀英伝においては数々のキャラクターが落命するのですが、それと同様、戦艦もまあ数多く沈むわけなんですよ。ヒューべリオンも沈みました。アースグリムも沈みました。リオ・グランデもク・ホリンも沈んじゃったわけです。

ただ、銀英って、10巻以前まではあんまり、「艦」に積極的に思い入れを抱かせるような描写ってあんまりないんですよね。勿論、トリグラフの話とかパーツィバルの話とか、艦の話自体はちょこちょこ出てくるんですが、それを展開的にそこまでクローズアップはしていない、というか。艦を感情の焦点にするような描写ってあんまりない、っていうか。

それが、この10巻の終局、最後の最後に、ブリュンヒルトでもベイオウルフでも、勿論ケーニヒス・ティーゲルでもない、「ユリシーズが」最後まで生き残った、というのが。ああ、戦い抜いたんだなあ、と。

本当に終わるんだなあ、と。ここまで頑張って生き残ったんだなあ、と。


読者が「物語の終わり」を感じるポイントって、多分人それぞれ違うと思うんですけれど、私にとっては文句なくこの一文だったんですよね。別段泣かせどころでもなんでもない、むしろ描写としてはさらっと、激戦の後日談程度の話しかされていないんですが、そんなさり気ないところにこの「最後まで」という一文を盛り込んでくるのが。

田中先生、本当にこういう一文が上手いなあというかなんというか。私にとって、長いシリーズの中でも最もお気に入りの一か所になっているわけなんです。


銀英伝、今年の4月から改めてアニメ化されるらしいですね。私、アニメに対してはあまり感受性が強くないんですが、これを機に今まで原作を読んでいなかった人も、ふとした機会に手に取って頂けるといいなあと。またおいおい、お勧めエントリーでも書こうかと思う次第なわけです。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 20:54 | Comment(2) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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