思考メモ。特に建設的な結論に着地するような記事ではないです。
こんな記事を読みました。
今の時代情報強者になるのはとても難しいと思った話(ダイエット編
いや、もう検索エンジンをどう使おうが正しい情報にリーチすんの難しすぎない?って話。
正直なところ、ここで書かれていることは大筋正しいと思っており、Googleの検索結果は現状、かなりの範囲においてひどいことになっています。
どの検索ワードでもこの検索ワードでも、
・何の根拠もないライフハックもどき
・どっかからのコピペつぎはぎ
・ワードサラダ的な意味が薄い記事
・twitterから適当に拾い集めたツイートまとめ
などが上位検索結果に目白押し。Googleがハックされ過ぎていて、広告目当て、PV目当ての大量生産記事が大氾濫しているというのは、既に今更の話でもあります。
そして、ぐぐってトップに出てくる無根拠な情報を、これまた無根拠に信用してよろしくないことになる人、というのもしばしば観測出来ます。医療のアレとかデマ関連のソレとか、まあ色々思い浮かべて頂けるかと。
かつては「ググレカス」と呼ばれていたところが、「ぐぐったら情弱」と呼ばれる日はすぐそこに見えている、というか正直そういう時代に既に片足突っ込んでいると思います。
勿論希望が全くないかといえばそういう訳でもなく、例えばGoogleは先日医療や健康に関連する検索結果を改善したことについて発表しまして、こういう動きがバンバン続いてくれればまだ状況は改善するかも知れません。ただ、残念ながら現時点では、大きく状況は変わっていないと言わざるを得ません。
こういう時代、重要なテーマに対して適切な情報を手に入れる為にはどうするべきかというと、多分現実的な方向性は大きく二つあって、
・Web以外に情報の裏付けを行うことが出来るアナログなノウハウを身に着ける
・信頼出来る個人や組織をフォローして、彼らが発信する情報を信用する
のどちらかになりそうなんですよね。
アナログなノウハウは、多分それはそれで重要だと思うんです。玉石混交って言えばアナログな書籍だって新聞だってそりゃ玉石混交ですが、世の中程度の差というものがあります。書籍は少なくともほぼ必ず編集者の手を経ていることは保証されている訳であって、玉石の混在率に関しては、少なくとも現時点のWebよりは遥かにマシです。「この出版社はヤバい」「この出版社はまあ安心」という見分けも、webよりはだいぶ難易度低いでしょう。
こういった、「Webだけに頼らない情報収集のやり方」については、どこかできちんと練習するべきだし、私自身ちゃんと子どもに教えてあげたいなーと思って、機会あるごとに一緒に図書館いって調べものしたりしてるわけですが。
ただ、そうは言っても時代の流れというもので、アナログなサーチ手段についても恐らくいつかは限界が来ます。そうなると、「信頼出来る組織・人」に情報の保証を求めるというのが、恐らく一番現実的な落としどころにならざるを得ないと思うんですよ。
例えば医療の情報について言えば、現時点で厚生省が発信している情報はほぼほぼ妥当でしょうし、信頼出来る医療機関、信頼出来る医師が出している情報をキャッチすることも可能でしょう。
「この人のいうことはまあ信用出来る」「この組織の書くことはまあ信用出来る」という形で、キュレーションを誰か、何かに仮託しつつ情報のフィルタリングをする、というのが、まずまあ妥当な落としどころなのかも知れません。
で、ここからがあんまり建設的でないくねくねした話なんですが。
「人」「組織」に信用を求めてそれをフォローするって、それ多分権威主義の入り口だよなー、ということが、私の頭からはどうも離れないのです。
勿論盲従する必要はないとはいえ、「この人のいうことは信用出来る」という、いってみれば「人」に対する説得力の仮託というものから、恐らく権威主義というものは始まったんじゃないかなあ、と。それって多分、かつて我々が、いや少なくとも私を含むWebの一部の人たちが、Webに求めたものからはかけ離れた形だよなあ、と。
かつて、権威主義を否定する夢をWebに託した人たちが、巡り巡って結局権威主義に帰りつくのか。
「誰もが同じ立場で価値ある情報を発信出来るweb」という一つの理想は、失墜したままもう戻ることはないのかな、と、一抹の寂しさを覚えるのです。
まあ、今は、Googleが検索結果の健全化をガンガン進めてくれることに期待しつつ、ゲーム系迷惑サイトとかNA某まとめとかできれば消滅してくれないかなーと神社に手を合わせるだけの日々なわけです。
今日書きたいことはそれくらいです。