2018年08月12日

「本来あるべき姿」について語っただけで「現実を知らない」と罵倒する人たち

いや、「理想と現実」でも「to be とas is」でも「目標と現状」でも、なんでもいいんですが。

課題を解決する為のごく基本的な手法として、ギャップ分析ってありますよね。「本来こうあるべきだよね」という理想の状態と、現時点の状態を比較して、その差異を課題として分析する手法。多分、どんな会社、どんな組織でも一般的に行うことだと思うんですが。

ギャップ分析を行う為には、当然のことながら手順がありまして、ざっくり言うと

1.To be(あるべき姿)を想定する
2.To be に対するAs is(現状)を把握する
3.To be とAs isの間の差分をギャップとして分析する
4.解決しなくてはいけないギャップの優先順を検討する
5.ギャップを埋める為の方策を検討する

という感じで、まあ1と2の順番は順不同というのが割と一般的なやり方だと思うんですが。

人間、絶対評価よりも相対評価の方が得意なものでして、単に今ある課題を挙げて解決策を考えるだけだと結構難しいんです。「ゴールはここ」「スタートはここ」「じゃあゴールにたどり着く為にはどうすりゃいいの」という順番で考えた方が、誰にとっても分かりやすい。だからギャップ分析は重要なわけです。

とはいえ、ギャップ分析を実際に進める際には、別に上の1から5を全部ワンセットでやらなくてはいけないというわけでもなくって、細切れに進めても、どれかを部分的に先取りしても別に構わないわけです。「取り敢えず今日はto beについての合意だけ取りましょう」とか、やります。全然やります。

「ある組織にとってのゴールがどこか」「あるチームのto beは何か」なんて、ちょっと考えて簡単に答えが出るものでもなくって、人それぞれ意識は違うし価値観も違うわけで、最初からピッタリ合う方がおかしいわけです。「誰が見てもto beは明確だろ」と思っていても、実はそう思っていたのはその人一人だけで、他の人は全然違うto beを思い浮かべていたりする。ゴールがあちこちに分散しているとゴール目指して走るのも結構大変なので、「To beについて議論する」というのはそれ単体でも重要な話です。

多分、ここまでの話はごく常識的なことだと思うんですよね。


ところで、最近特に医療の話をみていて感じたんですが、「本来こうあるべきだよね」という話をしている時に、何故か「現実を知らない意見」とか「現実を見ろ」という罵倒を投げたがる人がすごい多いような気がするんです。なんなんでしょうアレ。

言ってみれば、「取り敢えずto beを明確にしましょう」という話をしている時に、「お前らAs isをなんにも知らねーな!!As isの話しろよ!!」と叫んでるような人。いや、そりゃAs isの話も必要だし、As isとTo be両方そろってないとギャップ分析が出来ないのは確かですが、別にそれでTo beの話しちゃいけないってわけじゃないでしょうという。

止めなければいけないのは、「実際に施策を考える時にAs isを無視すること」であって、「To beについて議論すること」ではありません。本来こうあるべきだよね、という話をして、それについてのコンセンサスを模索するのは、それはそれでとても重要です。なのに、なんだか「To beについて話す」だけで親の仇のようにAs isを投げつけたがる人が、割と頻繁に観測出来るような気がしているんですよ。

To beの話をする人が、実際にAs isを知らないわけではありません。いや、中にはそりゃAs isを知らない人もいるのかも知れませんが、As isを明確に認識した上で、それはそれとしてTo beの話をする人もいるわけです。それに対して、一時的な上から目線を確保する為に、十把一絡げで「現実を知らない」とかいう言葉を投げつけるのは、私にはどうも妥当なことだとは思えません。

・「To beを考える」ことと「As isを把握する」ことは全然別の話であって、
・それぞれを個別に議論することはよくある話であって、
・前者の文言を見かけたからといって、脊髄反射で後者の議論をふっかける人はちょっと落ち着いた方がいい

簡単にまとめると私はそんな風に考えるんですが、皆さんいかがでしょうか。


今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 12:36 | Comment(2) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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