2018年10月31日

格ゲーの話が散らかっている気がしたからちょっと整理したくなった

どうも、切り分けちゃうぞおじさんです。

先日、こんな記事を読みました。


これ、ざっと読んだ感じ、なんか妙に話が散らかっているような気がしまして、問題を切り分けたいという衝動に駆られました。

そもそも、皆さん微妙に「想定している格ゲーのシーン」も違えば「初心者の定義」も「越えなくてはいけないハードルの高さ」もそれぞれ違ったものを想定しているように見えて、そこが割と大きなギャップになっているんじゃないかなーと思われます。それらの問題は、勿論無関係ではないにせよ、埼玉と茨城と栃木くらいには離れた問題なので、面倒がらずに別々に考えた方がいいのではないかと思いました。

恐らくこの問題は、少なくとも次のようなテーマ立てに切り分ける必要があります。

1.格ゲーにおいて、「遊ぶ為に最低限覚えなくてはいけないライン」とはどこなのか
2.では、「勝つ為に最低限覚えなくてはいけないライン」とはどこなのか、誰に勝てなくてはいけないのか
3.「勝てないとつまらない」のラインはどこなのか
4.格ゲーにおいて、初心者が楽しむ為のインフラは存在するのか、そのインフラはどんなものか
5.今現在、格ゲーは初心者が楽しめるようになっているか

順番にいきましょう。


1.格ゲーにおいて、「遊ぶ為に最低限覚えなくてはいけないライン」とはどこなのか

まずここです。「基礎を覚えては?」の「基礎」の部分で、いきなり皆さん想定しているところがすれ違いまくっているように思ったのです。

元発言の方は、この「最低限の基礎」について、「レバーで移動、後ろでガード、キャラはこんなのがいる」と発言されているので、恐らく次のようなものを想定されているように思いました。

・移動の方法
・上下ガードの入力方法
・(恐らく)攻撃の方法
・各キャラのコマンド技等

なるほど、これは確かに「基本的な操作方法」に類するものであって、これに対して「敷居が高い」とか「初心者お断り」とか言われてしまうとちょっと困ってしまいそうです。どんなゲームでも操作方法はありますし、最低限プレイする為に覚えなくてはいけないラインというものはあります。

勿論操作するボタンの数、操作方法の多寡などはあるでしょうが、特別それに関して、格ゲーが飛びぬけて難しいということはないでしょう。世の中、それより操作が難しいゲームはジャンル問わず山ほどあります。バトルコマンダーとか。

「遊ぶ為に越えなくてはならない最低限のライン」を「基本的な操作方法」と考えるなら、格ゲーに批判すべき点は特にない、とまでは私も考えます。

ただ、「勝てなくてつまらない」という話と結びつけてみると。上記、「操作方法」を覚えただけのラインだと、多分ちょっとまだ足りません。つまり、操作方法を覚えただけだと勝てない。棒立ちに近いCPUになら勝てるでしょうが、対人対戦で戦うのはかなり難しいでしょう。

ここで、次のテーマが出てきます。


2.では、「勝つ為に最低限覚えなくてはいけないライン」とはどこなのか、誰に勝てなくてはいけないのか

これも結構難しい話なんですけど。じゃあ「勝つ為」にはどこまでやらないといけないのか、って話ですよね。

これ、「どのレベルを見るか」って話によって、どこまでやらないといけないのかって全然変わってくるんです。これは格ゲーに限りませんが、「勝つ為のテクニック」というものは物凄く奥が深くって、つきつめていけばどこまでもつきつめることが出来ます。しかもそれは、タイトルによっても変わってきます。

・そのゲーム固有のシステムの学習(ダストアタックとか、超必とか)
・自キャラの強い行動、強い攻撃の学習
・そのゲームのシステムを利用した効率の良い攻撃テクニックの学習(コンボとか特殊攻撃とか)
・ゲーム上の駆け引きの考え方
・キャラごとの立ち回りの特徴、強い行動の学習
・キャラごとの立ち回りへの対策
・コマンド入力の精度上げ
・相手プレイヤーの癖、特徴、それに対する対策

上記はほんの一部分なんですが。勿論、初心者同士やCPU相手に勝ち負けをするなら、下の方までいく必要は全然ありません。せいぜい「自分が使ってるこのキャラは大体こうやってると強い」くらいまで覚えれば十分勝負することができるでしょうし、それを「難しい」と考えるかどうかはその人次第、タイトル次第でしょう。一般的に、易しいレベルのCPU相手に勝ち負けをするまでのラインは、そこまで高くないゲームが多いような気がします。

一方、例えばゲーセンでの対戦とか、ある程度「知らない人たち」と対戦することを考えるなら、もうちょっと駒を先に進める必要があります。今現在トップクラスで活躍しているような人たちは、それこそ上記の更にずっと先まで突き詰めているでしょう。

つまり、「楽しむ為に、誰に勝ちたいのか」「楽しめないというのは、誰に勝てないと楽しめないのか」ということを考える必要があるんです。

ここで次の問題が出てきます。


3.「勝てないとつまらない」のラインはどこなのか

これ、結構難しい話だと思うんですよね。その人によっても、その格ゲーによっても、環境によっても変わってきます。例えばの話、「簡単なCPUに勝てたとして、それで楽しいのか?」という話です。

大体において、今「全然勝てなくってつまらない」という言葉を聞く時は、それは「ある程度慣れたプレイヤー同士の対人戦」を指していることが多いように思います。ここにかなり重要な断絶があります。

つまり、タイトルによって変わってくるとはいえ、「中級者相手の対人戦」を割と多くの人がイメージしているようで、そこにたどり着くまでの道ってのは確かにかなり長いんですよ。「中級者」というなら、少なくともそのゲーム固有のシステムは大体利用しているでしょうし、基礎的なコンボは大体抑えているでしょう。そこにたどり着くまでの学習のハードルが高いかという話をすれば、「そりゃまあ全くの初心者さんにとっては高いのでは」という話になると思います。

ここで、テーマはインフラの話題になります。つまり、「中級者といきなりぶつかるようなインフラかどうか」という話ですね。いきなり「中級者相手の対人戦」を強いられるような環境であれば、そりゃ初心者には優しくないでしょう。一方、達成感を感じつつ、少しずつ中級者に近づいていけるようなインフラがあれば、堂々と「格ゲーは初心者お断りじゃない!」と言えるような気がします。

この話題に入っている人の発言を見ていると、皆さん結構「ひと昔前のゲーセン」をイメージされている方が多いように思うんですね。例えば

・初心者が練習していてもすぐ乱入される
・上級者が初心者狩りをする

というようなことをおっしゃっている方は、格ゲー全盛期からその後の時代、格ゲーが「対戦台」とワンセットだった時代を想定して語られているような気がするんです。恐らく、最近あまり格ゲーをプレイされていない方が多いのではないでしょうか?

その点については、次の議論をすることができます。



4.格ゲーにおいて、初心者が楽しむ為のインフラは存在するのか、そのインフラはどんなものか

つまり、「初心者が初心者同士戦えるインフラはあるか」「初心者が勝ち負け出来るインフラはあるか」という話ですよね。これ、タイトルによっても当然変わってくると思うんですが。

これについては、「ゲーセンの対戦台は、既に格ゲーのメインシーンとはいえない」ということは指摘しておいてもいいのではないかと思っていまして。今現在、既に多くの格ゲータイトルが「通信対戦、及びそのインフラ」を整備していまして、対人戦が一番盛り上がっているシーンは多分そちらです。

対戦相手を選べなかったゲーセンの対戦台であればともかく、マッチングシステムがある程度ちゃんと機能しているタイトルであれば、「初心者同士」が楽しむ環境というのは存立可能ですし、実際今現在、結構な数のタイトルがそれを機能させている、ないし機能させるように頑張っているように思えます。勿論、乱入なしのモードというのも遊べますし、練習も出来ますし、トレーニングモードも大体のタイトルが備えています。

とはいえ、勿論問題がない訳ではないのです。



5.今現在、格ゲーは初心者が楽しめるようになっているか

ここに至って、話は「現在の環境」の話になります。これは正直、議論が多岐に渡って、ここで結論が出せるような内容にはなりません。

・格ゲー個別のマッチングシステムはきちんと動作しているか?
・通信対戦に、「初心者」は存在するか?
・「初心者」が達成感を感じられるようなインフラは存在するか?あるいは機能しているか?
・中級者、上級者以上ばかりがクローズアップされていないか?

これ、勿論タイトル次第なんですよ。ただ、今現在の格ゲーが「初心者も楽しめるようなシステム」になっているかというと、それは難しいケースも多いように思います。

つまり、「マッチングシステムで、ちゃんと初心者同士当たれるとは限らない」し、「そもそも初心者同士が当たる為には、初心者が通信環境に存在しないといけない」。例えば、マッチングに問題があって中級者や上級者と当てられてしまってボコボコに、みたいな話は今でも聞きますし、ランク騙りの上級者が初心者狩りをしている、みたいなケースもよく聞く話です。

また、「初心者にとっての達成感」というものも重要な話であるように思います。これも、タイトルごと色んな工夫をされていますが、やはり「ちょっとずつ上手くなることによって細かく達成感を味わえる」って重要な話だと思うんですよ。その一方で、中級者、上級者のシーンばかりがクローズアップされることによって、そのゲーム自体が初心者への敷居を高くしてしまう、という問題もあるかも知れません。

上記で、多くの人が「中級者相手の対人戦をイメージしている」というのも、ある意味「そのゲームのイメージ自体が中級者同士の対戦を核としている」ということに他なりませんよね。「初心者もたくさんいるよ!」というクローズアップって結構大事なんじゃないかと思うんです。

つまり、「今現在の格ゲーについて、初心者に優しいジャンルと言っていいかどうか」というテーマでいうと、「議論の余地があり過ぎるしタイトルによっても違うので一概には言えない」ということになるわけです。


ただ、上記のような議論をざーーーっと下敷きにした上で、一つ確実に言えることとして、

「格ゲーは、10年前よりは遥かに初心者に優しいゲームになっている」

ということは言えるんじゃないかと思います。対戦台じゃなくても対人が十分遊べるようになった、ってことだけでも滅茶苦茶でかいと思いますよ。少なくとも、かつてあったような「対戦台での問答無用の初心者狩り」みたいなものは、今、殆ど起こらなくなっていると言っていいんじゃないでしょうか。

もっと前は「基板でもない限り、ゲーセンにいかないと遊べません」というのが格ゲーだったわけで。初心者が入りやすくなったかどうか、という話で言えば、「昔よりは遥かに入りやすくなっている」と言えると思うんですよ。

しんざきもまあ、格ゲープレイヤーの端くれではありまして、ギルティとかスト5とか、下手ですがちょこちょこやります。格ゲーってやっぱ非常に面白いので、今まで敬遠していた人たちも、出来ることなら楽しめるようになって欲しいなーと思う次第ではあるんです。

格ゲー業界がより一層盛り上がることを願って止みません。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 07:00 | Comment(28) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月30日

「グリンピース」ないし「ドンパッパ」の競技レギュレーションについて

こんな記事を読みました。


私これ、何の話をしているのか瞬時に分かったんですが、周囲の反応を見ていると結構「え、これなんのこと?」みたいな人もいた模様。皆さん分かりましたか?

ここで「グリンピース」と言われているのは、別に環境保護団体の話ではなく、ジャンケンのルールを応用した手遊びです。地域によっては「ドンパッパ」とか「ドンセッセ」とか言いまして、ルールにも若干の地域差があります。

私が把握している「グリンピース」の遊び方は次のようなものです。


1.「グリンピース!」と言いながら、ジャンケンに基づいたグー、チョキ、パーの手を出す。

2.あいこになった場合は再度「グリンピース!」をやり直す。

3.どちらかが勝った場合、勝った側が、勝った手に基づいて特定の発声をしながら次の手を出す。

その発声は、「今出した手」と「次に出す手」の二パートに分かれる。次のようなものである。

「今出した手」がグーであった場合:「ぐりんぐりん」
「今出した手」がチョキであった場合:「ちょりんちょりん」
「今出した手」がパーであった場合:「ぱりんぱりん」

「次に出す手」がグーである場合:「ぐりん!」
「次に出す手」がチョキである場合:「ちょりん!」
「次に出す手」がパーである場合:「ぱりん!」

例としては、「ぐりんぐりん、ぱりん!」といった発声になる。この時、「ぱりん!」のタイミングでパーを出す。相手も同じタイミングで、グー、チョキ、パーのいずれかを出す。

4.どちらかが勝った場合、3を繰り返す。

5.あいこになった場合、あいこになったことが分かった瞬間に、「どん!」と発声する。

6.この発声が速かった方がゲームに勝利する。


要はこれ、基本的には「あいこになった瞬間の反応の速さを競う反射神経ゲーム」なのです。「ぐりん」「ちょりん」「ぱりん」のところはこれまた地域によって色んなバリエーションがありまして、古めかしい言い方だと「軍艦、沈没、破裂」とか「軍艦、朝鮮、ハワイ」なんてのもあった筈です。おそらく、かなり昔から存在する手遊びなのでしょう。

どうでしょう?皆さん、似たような手遊び、やったことありませんか?

ところで、増田はこのゲームで「自分より強い人に会ったことがない」と豪語しています。

奇遇ですね。私もなんです。


〇競技としての「グリンピース」を考える

そもそもこのゲーム、ちょっとルールを読めば分かって頂けると思うんですが、基本的に「相手にジャンケンを勝たせるゲーム」「相手の次の手を読むゲーム」なんです。意外と高度なんです。

つまり、ジャンケンの発声は「勝った側」が行うことになっているので、負けた側は「あいこになる瞬間」だけに集中していれば良い。余計な発声をしないで済む分ゲームに有利なんですね。なので、「可能な限り相手に勝たせる」「相手の次の手を読み、相手が勝った時、次にあいこにするように立ち回る」ということがゲームの基本となります。

私も増田とは同年代でして、正直もうすぐ40になろうかという年代の人間がじゃんけん系ゲームの強さ自慢をするのってどうなの?と思わざるを得ないところではあるのですが、私はグリンピースの10本勝負で、今まで負け越したことがありません

子ども同士、子ども相手の時には当然のことながら、大人相手でも負け越したことがありません。言ってみればグリンピースガチ勢です。

ただ、勿論ガチ勢はガチ勢とぶつかって初めて格付けすることが出来る訳で、お前は今までガチ勢同士で戦ったことがあるのか?と言われれば、正直首を縦には振れません。私が今まで戦ってきた相手は、子ども、あるいはグリンピースそのものにあまり習熟していない大人であって、井の中の蛙、と言われれば反論する術を持ちません。確かに私は井の中の蛙かも知れない。しかし、その蛙が歴戦王ドドガマルではない、という保証も誰にも出来ない訳です。

正直、このグリンピースって遊び滅茶苦茶熱い上に場所もとらない道具も要らない、実に素晴らしい競技だと思いまして、出来ることならガチ勢同士の天下一武道会でも実施したいところなんですが、唯一問題があります。これ、ちゃんと勝負するとしたらジャッジが必要なんです。
ジャッジは、以下のことを判断しなくてはいけません。

・ジャンケンがあいこになったかどうかの判定、その瞬間の把握
・「どん!」という発声が起きた時、どちらが速かったかの判断
・その他、不測の事態への対応

これ、熟練者同士だと「どん!」という発声も相当拮抗することが予想され、ジャッジの技量にもそれなりのものが必要とされるでしょう。B.Bの鷹の目ではありませんが、公平な判定を下せるジャッジは必ず必要です。

そこから考えると、「ガチグリンピース統一競技レギュレーション」としては以下のようなものが提案出来ます。

・競技のルール自体は上記1〜6のものを用いる
・競技は10本先取とする
・競技は対戦者2名、ジャッジ1名の3名で実施する
・ジャッジは、一回のグリンピース勝負ごとに勝者を判定する
・ジャッジが勝敗を判定出来なかった場合、その勝負は無効とし、再度その勝負をやり直す
・明確に発声を行わなかった場合、行わなかったものの敗北と見なす
・その他、全ての判定はジャッジに従う


こんな感じでいかがでしょうか。ガチグリンピース対戦、ワンチャンあるのでは?

これを読んで、多くの皆さんがグリンピースのガチ対戦に開眼してくださることを祈念します。ガチ勢が十分に集まったら、最強グリンピースチャンピオンを決める機会も訪れることでしょう。みんなグリンピれ。そして俺を打ち負かす程に強くなれ。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 16:40 | Comment(2) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カテゴリーに「書籍・漫画関連」を追加しました

久々にカテゴリーをいじりました。


いや、使う人がいるのかどうか分からないんですが、不倒城には一応記事のカテゴリーというものがありまして、ブラウザ左側のサイドバーから、そのカテゴリの記事をまとめて読むことが出来ます。

これ滅多にいじらないんですが、よく考えると漫画とか本に関する記事って結構頻繁に書く割に全部「雑文」カテゴリーにしてしまってまして、独立カテゴリーにしてもいいかなーと思ったんで、新しくカテゴリーを追加したわけです。過去記事もぽつぽつ移動しています。

以前の漫画記事を読んでみたいという奇特な方がいらっしゃったらご利用ください。

あと、更新頻度が高いカテゴリーが上の方に来るよう、表示順もちょっといじっています。レトロゲーム記事の更新頻度は謎ですが、当ブログはレトロゲームブログなので気にしないでください。

余談なんですが、「目次・記事一覧」は一番上にある割に、全部手動作成で作るの自体が面倒な為完全に死んでおります。seesaaさん記事の目次実装してください。。。手動であれ更新するのしんどいです。。。

取り急ぎ、一旦書きたいことはこれくらいです。
posted by しんざき at 08:12 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月29日

あなたが今すぐにswitch onlineで「ソロモンの鍵」を遊び始めるべき理由

皆さん、「ファミリーコンピュータ Nintendo Switch Online」遊んでますか?


オンラインサービスのついでにファミコンの大名作がswitchで遊び放題とか、端的に言って凄まじいお得度のサービスですよね。

私、「switchにも早いとこバーチャルコンソール導入しろください」とずっと思っていたので、今回割としれっとこんなサービスが導入された際には、正直驚愕して言葉を失ってしまいました。

勿論、ラインナップに様々な意見がつくのは当然であろうというところではあるんですが、ローンチ、および続発のタイトルに関しては、「全く外さないド本命」のゲームタイトルばかりが選ばれているといってまあ間違いないでしょう。

確かに、ゼルダだのスーマリ3だのバルーンファイトだのアイスクライマーだのダウンタウン熱血物語だのグラディウスだのといったタイトル群を見ていると、戦力的にはまさに「呂布と関羽と張遼と孫策が徒党を組んで大軍勢で攻めてきました」といレベルの圧倒的バリュー。今後もどんどんタイトルが追加されていくのは規定路線な訳で、現状利用しないのが勿体ないレベルに既に達しているのではないかと思うわけですが。

もし今の時点で、「この中からどれか一つ、絶対に遊ばないといけないゲームタイトルを挙げよ」と言われれば、少なくとも私の答えは決まっています。

それは「ソロモンの鍵」だ、と。


ソロモンの鍵。1986年7月30日、テクモよりファミコン版が発売。アーケードとファミコン版がほぼ同時にリリースされたタイトルでもあり、この年の2月に「テーカン」から「テクモ」に社名を変えたばかりのテクモが、「マイティボンジャック」に続いて送り出した一作です。

以前も一度書いたことがあるのですが、私はこのゲームを、「バブルボブル」と並んで「究極の固定画面型アクションゲーム」として考えています。また、「アクションパズル、というジャンルの一つの到達点」でもある、と思っています。

まずは、固定画面型アクションゲームについて考えてみたいと思います。


〇固定画面型アクション今昔

固定画面型アクションゲームというのは、今の言葉で解説すると「画面がスクロールしないアクションゲーム」です。といっても、勿論「スクロール」という機能の方が後から出てきたわけであって、「PONG!」でビデオゲームが黎明を迎えてからしばらくの間、ゲームといえば殆どが固定画面型でした。

多くのジャンルがそうであるのと同様、固定画面型アクションゲームも、様々なジャンル的枝分かれを経験しながら発展していきました。

例えば、「ヘッドオン」に始まり、「パックマン」で爆発的ヒットを記録して、ジャンルとして確立されたドットイートゲームの流れ。

PONG!を始祖に持ち、「ブレイクアウト」を始めとした数々の子孫を擁する、ブロックくずしゲームの流れ。

「ドンキーコング」をルーツ(SpacePanicという先達がいるとはいえ)として、「マリオブラザーズ」や「フェアリーランドストーリー」などを始めとする数々のスタンダードを送り出した、ジャンプアクションゲームの流れ。

そんな中、アクションゲームに「パズル要素」というものを重要なツールとして導入し始めた流れがあった、ということは言っていいと思うんです。

私が考える限り、「アクションパズル」の一つの萌芽は、1979年に出現した「平安京エイリアン」に見ることが出来ると思っています。四方八方から侵攻してくるエイリアン、それに対して穴を掘って迎え撃つ検非違使。どこにいくつの穴を掘るか。敵のルートをどう想定するか。あれは、間違いなく一つの「パズル要素」の導入でした。ロードランナーの直接的なルーツの一つ、と言ってもいいと思います。

一方、より純粋なパズルゲームに近い形のタイトルとしては、1982年の「倉庫番」の存在も挙げておきたいところです。静的な画面で、ブロックを動かして所定の場所に納める。これはアクションゲームというよりははっきりとパズルゲームですが、後々の作品に与えた影響については指摘するまでもないところです。ちなみに、セガの名作「ペンゴ」が発売されたのも1982年です。

そして、おそらくはっきりと「アクションパズル」というジャンルが確立されたのが、恐らく1983年。「ロードランナー」と「FLAPPY」の二大名作が姿を現したタイミングのことだったのではないか、と考えるわけです。

アクションパズルには、「アクション要素とパズル要素のバランス」というものがあります。アクションゲームとしての側面とパズルゲームとしての側面、どちらが強いか。例えば倉庫番ははっきりと「パズル寄り」のゲームですし、平安京エイリアンははっきりと「アクション寄り」のゲームです。

ロードランナーとFLAPPYの二作は、いずれも「アクションとパズル要素のバランス」が物凄く優れていました。敵との戦い、敵と追いかけっこして、時には地形やブロックを利用して倒して、というのはどう見てもアクションゲームです。一方、パズル要素、うーーんと悩んでステージをクリアしなくてはいけない側面もちゃんとあって、しかもそれがとんでもなく良質なのです。ゲーム史上、ここまで完璧な「バランス」をとったアクションパズルは、それまで存在しなかったと言っても言い過ぎではないでしょう。


ところで、ここまで出てきたタイトルの一つの共通点として、いずれも「ブロックや地形を削る・ないし動かす」というものをゲームの中核に据えている、ということが言えると思います。

ロードランナーは、地形を掘って穴を開け、それを突破口としてパズルを解いていきます。FLAPPYは、ブロックを動かして、時には潰して、パズルを解いていきます。これについては、ペンゴも、バベルの塔も、エッガーランドも、数々のアクションパズルに共通する要素です。

それに対して、「ソロモンの鍵」はどうだったか。

ソロモンの鍵は、ただアクションパズルとして完成度が超絶高いだけでなく、一つの革新的な要素をもっていました。

ソロモンの鍵は、恐らくアクションパズルゲーム史上初の、「創る」ないし「作る」パズルゲームだったのです。


〇何故なら、そこに換石の術があったから。

ソロモンの鍵は、固定画面型アクションゲームです。プレイヤーは、主人公の「ダーナ」を操って、ベルを取ると現れる妖精を助けながら、鍵をとって出口を目指します。

dana.png

これがダーナ君です。で、ステージがこんな感じです。

solomon_no_kagi_(j)0001.png

これだけ見ると、ソロモンの鍵は一般的な固定画面型アクションゲームと異なることがありません。ですが、ソロモンの鍵には、「換石の術」という、唯一無二、アクションパズルとしての最強の武器があります。

ダーナは、「ブロックを消す・削る」だけではなく、「ブロックを新たに作る」ことが出来るのです。

ダーナは、Aボタンを押すと杖を振ります。目の前に消せるブロックがあれば消します。何もなければ新しくブロックを作ります。使い放題です。

作ったブロックは、勿論足場に出来ます。

敵を閉じ込める、あるいは敵がこちらに来るのを防ぐことにも使えます。

地形を変更して敵のルートを誘導する手段にも、誘導した敵を落っことして倒す為の攻撃手段にも、当然ステージを突破していく為の移動手段にも、隠れているアイテムを探す為の宝探し用途にすら使えるのです。

物凄い可用性。たった一つのシステムが、ここまで縦横無尽、ゲームの全面に渡ってあらゆる機能を担った例は、固定型アクションゲーム全体を見渡しても稀有といっていいでしょう。言ってみれば、「普通の固定画面型アクションゲーム」が、換石の術というシステムたった一つで、「アクションパズルにおける金字塔」に化けたのです。

これまでのアクションパズルは、基本的には「動かす」「消す」ことしか出来なかった。

けれど、ソロモンの鍵は、「換石の術」というシステム一つで、そこに「作る」というとてつもない広さを持ったフィールドを追加してのけた。そこにあった「遊び」の広さはまさに天井知らずで、ただパズルゲームを解いていくだけでなく、何ならステージを全く違う形に変えることも、ブロック一つで簡単にすることだって出来るわけです。

アクションパズルにおけるソロモンの鍵の存在感の物凄さをご理解いただけるでしょうか。

「一つのギミックがゲーム全体を形作る」という点では、例えばバブルボブルのバブルや、あるいはR-TYPEのフォースにも通じるところがあります。まずは、アクションパズルというジャンルに触れるなら、一度は「ソロモンの鍵」をプレイしておいて決して損はない、とまでは言い切っていいように思います。


〇とはいえゲーム自体は相当難しいです

といっても、ソロモンの鍵は当時でも「高難度ゲーム」として認識されておりまして、全ステージ50面、自力で全て解けた人というのは決して多数派ではありませんでした。単純なパズル的要素もさることながら、中には宝探し要素、ノーヒントでの謎解き要素なんかもありまして、真のエンディングにたどり着くには並々ならぬ試行錯誤が必要でした。

当時、「誰にでもクリアできるように」という思想は全く一般的でなく、むしろ「ゲームをクリア出来る人はすごい」という扱いであったことが前提とはいえ、今の視点からすると相当なムズゲーバランスであることは正直なところでしょう。

ただ、例え全編クリアが出来なくても十分に「ソロモンの鍵」が面白いポイントとして、

・純粋にアクションゲームとして遊びやすい
・ブロックを作ったり消したり色々工夫しているだけで十分面白い
・敵配置が考え抜かれていて、考えれば考える程サクサク進めるようになる
・音楽がめっちゃ癖になる

という点は強調しておいてよいところだと思います。特に音楽。一見単調なようで、何故かスルメのように味が出てくるマジカルBGM。ボーナスステージのBGMの爽やかさは特筆すべきところだと考えます。


まあ何はともあれ、折角オンラインで配信されているわけですし、まだ未プレイの方は騙されたと思って是非起動してみて頂きたいわけです。ダーナくんが操る「換石の術」が、たった一つでどれだけゲームを奥深くしているか。味わって頂ければ幸いなことこの上ありません。ちなみに、同じテクモでいうと、「マイティボンジャック」もかなりの勢いでお勧め出来ます。まあ、最強のお勧めテクモゲーは「キャプテン翼2」なんですけど。


長くなりましたが、今日書きたいことはそれくらいです。













posted by しんざき at 22:38 | Comment(3) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月28日

【演奏告知】11/4、東山社会教育館 館まつりにて「ロス・ガラパゴス」が演奏します

演奏します。


日時:2018年11月4日 12:25 から40分程度
場所:目黒区東山社会教育館 レクリエーションホール
(東急田園都市線池尻大橋駅下車徒歩10分くらい)
演奏する曲:「コンドルは飛んでいく」とかEncuentrosとかEl Pitukoとかなんか色々
入場無料

毎年恒例の「館まつり」、今回もガラパゴスが演奏します。なんか毎回演奏枠を広げて頂いてまして、今年は40分とかもらっちゃってるんですがいいんでしょうか。なんか普通にライブのワンステ規模になってきました。

ロス・ガラパゴスはフォルクローレ、その中でも特にペルー・エクアドルの伝統リズムである「サンファニート」を好んで演奏するグループです。今回もサンファニートあり、カルナバルあり、シクリアーダあり、ガチガチの歌曲ありと、なかなかバラエティに富んだステージをお届け出来るのではないかと思いますので、お時間ある方はぜひご来訪ください。多分MCとかしてるケーナ吹きがしんざきです。

しんざきはケーナ吹きでして、ゲーム音楽なんかも色々と演奏しているんですが、やはりホームグラウンドはフォルクローレであることに間違いはなく、ガチのフォルクローレを演奏するとこんな感じなんだーというのも多分見て頂けると思います。


ということで、一旦これくらいです。


posted by しんざき at 18:47 | Comment(0) | フォルクローレ・ケーナ・演奏関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月19日

古いコンテンツを楽しむ為の資質というものがある

なんか最近、「古い漫画を今読んで楽しいと思えるかどうか」みたいな話が一部で盛り上がってました。

あるコンテンツを楽しめるかどうか、あるコンテンツを摂取して面白いと思えるかどうかというのは、完全無欠に「人それぞれ」であって、いいも悪いもありません。「面白い」「面白くない」は誰にも否定されてはならない、大げさに言えば聖域です。ドラゴンボールが面白くなかろうが、ブラックジャックが面白くなかろうが、それ自体は批判されるべきではありません。これは前提です。

何故か世の中には、「自分が好きなコンテンツを「面白くない」と言われると、自分が喧嘩を売られたと感じる人」が結構いまして、それは困ったもんだなあと思います。

まあ勿論、「あるコンテンツを楽しんでいる人たちの集まりに入ってきて、わざわざ「これ面白くねーよ!!」と水をぶっかけにいく」みたいなテロ行為も世の中にはありまして、こういうのについてどう反応するかはケースバイケースだと思うんですが。あれ何でしょうね、わざわざそのゲームの愛好者のスレ探し出して、そのゲーム全然面白くなかったって話し始める人。ちょっとテロリズム精神が強すぎると思うんですが。

ただ、いい悪いの話ではなく「向き・不向き」くらいのレベルの話で言えば、「こういう人は古い漫画を面白く読める頻度が高いかも」という、言ってみれば「古い漫画楽しみスキル」みたいなものは存在するかも知れないなあ、と思います。

例えば「絵柄に対する許容範囲が広い人」とか。「歴史的な背景を勘案することが出来る人」とか。古い漫画の絵柄が、現在の絵柄トレンドと合致しないことは当然ですし、「なんかこのストーリー見たことあるな」じゃなくて「ここがルーツだったんだ!」と思える人の方が古いコンテンツを楽しめるのも当然です。

「この時代にこれやっちゃうのかよ!!」みたいなところに感動出来ると凄く楽しいですよね。AKIRAとかマジすごい。あれ80年代とか信じられない。

とはいえ、私は漫画好きではありますが、漫画読みというよりはレトロゲーマーだと自認しておりますので、この記事では「レトロゲームを楽しめるかどうかの資質」に関してちょっと考えてみようと思います。

***

先に定義なんですが、ここでいう「レトロゲーム」というのは、仮に「1980年代〜1990年代初頭くらいまでのコンシューマー・アーケードゲーム」とさせて頂ければと思います。まあレトロゲームにも色々ある訳で、基本的にざっくりした話です。

「昔の名作、と言われるゲームを遊んでみたけど面白くなかった」という感想に接することは割と頻繁にあります。特に最近は、古いゲームがリバイバル移植されたり、switchオンラインで昔のファミコンタイトルが移植されたりして、接触機会自体もそこそこ多いのでしょう。

勿論タイトルやジャンルによって色々なんですが、敢えてその辺を四捨五入して、例えばamazonストア辺りを巡回して「面白くなかった」という感想の要素を抽出すると。

意外に「面白くない理由」というものはバラエティ豊富ではなく、大体以下のようなものを観測する頻度が非常に高いです。

・ゲームを進めるに当たって説明不足、何をすればいいか分からない
・難易度が高すぎる、不親切、クリアできるように作られていない
・グラフィック、ないし音質がしょぼい
・展開・ゲーム速度が遅くてイライラする
・ストーリー性が薄い、ないしストーリー性がない

この辺の話はむべなるかなというか。勿論グラフィックとか音とか、そもそもハードウェア性能に依存する要素についてはどうしようもないんですが。

一つ確実に言えることは、少なくとも1980年代くらいまでのゲームって、「クリア」や「エンディング」に対するスタンスが今と根本的に違うんですよ。

つまり、そもそも「クリア」というのはおまけ要素、ループゲームが殆どだった時代に表れた「一区切り、という機能」だったのであって、「プレイヤーをクリアまで導く」「クリアまでがワンセット」という思想が多分なかった。どっちかというと「クリア出来た人は凄い!」という感じ、タイトルによっては「クリア出来るもんならしてみろ!」というニュアンスすらあって、例えばクリアした画面を撮ってメーカーに送ると記念品が、みたいなキャンペーンまで頻繁に存在したんです。ヴォルガードIIとかフラッピーとか。懐かしいですよね。

要は、「クリア出来るように作られていない」ということがマイナス評価になっちゃう人にはちょっと苦しいかな、ってゲーム、多いと思うんですよ。ただしロマンシアだけは許さない、絶対にだ。

それに伴って、「説明不足」という要素も確かにあるかも知れません。説明書を読むことは勿論前提として、その上でも「ゲーム内でのチュートリアル」なんて殆ど存在しなかった。「そうびしないといみがないぜ」というのはアレ、結構親切な台詞なんですよ。私、アレ系でいうと「ジャングルウォーズ」の「こらこらパンツをはきなさい」っていう台詞が白眉だと思ってるんですが。

また、昔のゲーム、特にアクションゲームは「コンテンツ」というより「遊び」を下敷きに作られているということもあり、「操作感を楽しむゲーム」というものが多かったことも、一つ言える要素だと思います。マッピーとかパックランドとか、トランポリンで跳ねたり、ジャンプ台でジャンプしてるだけで面白かった。そういう、言ってみれば「手触り」みたいなものは、楽しめる人と楽しめない人で多分はっきりと二極化します。

ゲーム速度については正直「タイトル次第」です。速いゲームは速いし遅いゲームは遅いです。基本、RPGについては「移動速度」がネックになることが多いんですかね?アクションゲームやSTGではあんまりこの不満出ない気がします。

ただ、例えばスーパーモンキー大冒険とか、闘将ラーメンマンを遊んだ人が「このゲーム遅すぎるんやけど」というなら私自身全力で首肯します。ぶんぶん頷きます。

あと、昔は「スキップ機能」というものがあまり一般的でなかった、ということは言えるかも知れないですよね。デモシーン丸々すっ飛ばす、みたいのはまあありましたが、メッセージの早送り機能なんてほぼ見なかったですよね?あれいつ頃からでしょう、サウンドノベルとか、サウンドノベル派生のエロゲーとかですかね?

ストーリーというものについても、容量の制限があるのは当然として、そもそもストーリーって「おまけ要素」に近かったですからね。ゲーム上ではあまり表現されずに、想像や妄想で補完するタイトルが多かった。それはそれで楽しかったわけですが。

この辺つらつらと考えてみますと、「こういう人はレトロゲームを楽しめることが多いと思います」という要素、言ってみればレトロゲーム楽しみスキルは、大体以下のような内容に収束するのではないかと考えます。

・操作感、手触りを楽しむことが好きかどうか
・手探りでハードルを越えていくことに達成感を感じるかどうか
・自分のプレイを試行回数で最適化していくことが好きかどうか
・妄想力が高いか、ストーリーを脳内補完するのが好きかどうか
・「クリア」「エンディング」に関する比重が低いかどうか

勿論、「タイトル次第」な部分は極めて大きい訳であって、タイトルによってはこんなん一つも当てはまらなくても十分楽しめる、というケースが大アリなんですが。その上で、「上の要素に幾つか当てはまる人は、むしろレトロゲームをやらないと勿体ない」という言い方は出来ると思う訳なんです。


最初の方で書きましたが、近年、レトロゲームに触れる機会というものはむしろ増えているし、プラットフォームも充実してきているわけで。名作かそうでないか関係なく、「昔のゲーム」というものは一つのコンテンツとして十分扱えると思うんです。

今だからこそファミコン。ちょっとでも「向いてるかも」と思った人には、是非レトロゲームを触ってみて欲しいなーと。私も今後とも、全力でお勧めしていこうと考える次第です。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:00 | Comment(2) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月16日

ドラゴンボールは何故「桃白白前」と「桃白白後」で分けて考えるべきなのか


ドラゴンボールの話です。多分既出テーマも色々含まれてると思うんですが、気にしないことにします。

世の中には、「開始当初の方向性が大きく変わってしまった漫画」というものがあります。割りと数多くあります。

「開始当初は〇〇漫画だったのに、段々と××漫画に」というフォーマットを使うと、例えば〇〇には「日常」とか「冒険」とか「活劇」とかいう言葉が入って、××には「バトル」という言葉が入る例が、例えばジャンプ漫画では比較的頻繁に見受けられます。ブリーチとか幽白とか遊戯王とか、皆さん多分色んな例を思い浮かべて頂けると思うんです。

これが悪いという訳では全然ありません。漫画の肝はまず何よりも「面白さ」であって、「面白い!!」と感じる読者をどれだけ作れるかが勝負です。そういう意味では、「面白い!」と感じる読者が多い方に路線変更するのはアリアリ大アリの手段であって、文句を言うようなところではない。現在「路線変更」が記憶に残っている漫画は、その殆どが「路線変更が結果的に成功した漫画」である、という事情もあるでしょう。路線変更自体は別に悪いことではない。

ただ、個人の好みからすると「路線変更前の方が好きだったなあ」というのが出てきてしまうのは仕方がないことであって、時には「1話完結型で、色んな事件を解決していく人情ドラマの幽白も読んでみたかったなあ」とか、「ハードボイルド路線のままであんまり下ネタとか入らないシティハンター読んでみたかったなあ」という人が出てくることも、それはそれで無理からぬことだと思うんです。



ところで、凄い個人的になんですが、私には「バトル展開にならなかったドラゴンボール」はそれはそれで絶対に面白かった筈だ、という確信があります。今ほど人気が出たかというと多分出なかったろうけど、それでも、絶対に面白かった筈だ。

勿論、今更言うまでもなく、ドラゴンボールはバトル漫画の金字塔であって、ありとあらゆるバトル漫画に影響を与えまくっているお化け漫画でもあります。「強敵に出会う」「修行して強くなる」「その強敵を倒す」という超克の物語がいかに面白いか、それをあのクオリティで描き出していることがいかに物凄いことか、もはや議論は不要かと思います。

ただ、それでも。ドラゴンボールにはあるターニングポイントがあって、その「ターニングポイント前」の話も私は好きだったなあ、あのままお話が進んでいてもきっと面白かっただろうなあ、と私は考えてしまうのです。

まず、「当初のお話」から始めましょう。

***

ドラゴンボールは、物語開始当初、間違いなく「悟空と周囲のギャップを中核とした冒険活劇コメディ」でした。これについては議論の必要がないと思います。

つまり、悟空という「ちびっちゃい少年」「しかし凄く強い」「常識がない」というキャラクター。彼が色んな人や色んな問題に関わっていく中で、周囲がそのギャップに驚く、瞠目する、大騒ぎになる。それが、物語当初のドラゴンボールの主要な展開だったのです。

例えば、車を見たことがなかった悟空が、怪力で車を壊す。鍵を知らない悟空がドアを壊す。見慣れない文明物に対して悟空が珍妙な感想を漏らす。この辺は、文明社会に対する異邦人が活躍する、いわゆる「異邦人もの」ジャンルではごく定番の展開です。悟空の強さは、異邦人展開を描写する為のツールのようなものでした。

ブルマという「(比較的)常識的なキャラクター」は、その為に存在しました。彼女は、物語当初、悟空という存在がどんなに型破りな存在なのかを、読者に実にスムーズに教えてくれました。時には悟空の常識のなさに振り回され、時にはその強さに驚き、一方で彼をドラゴンボール探しというストーリー展開に引き込んでいく。「西遊記」という物語を遠い下敷きにしたこの構造は、それだけで十分読み応えのあるストーリーだったといっていいでしょう。

では、言ってみれば「奇想天外な冒険活劇コメディ」だったストーリーが、「強敵との戦いと超克」の物語になったのはどこなのでしょう?


私自身は、そのターニングポイントを「桃白白戦だったのではないか」と考えています。


勿論、桃白白戦の前に修行とバトル展開がなかったのかというと、そんなことはありません。悟空はヤムチャと戦いましたし、亀仙人の元で修行して天下一武闘会に参加しましたし、レッドリボン軍とカチ合ってホワイト将軍やブルー将軍と戦いました。

けれど、少なくとも私が考える限りでは、最初の天下一武闘会周辺の展開は、まだ「冒険活劇」の一部だったと思うんですよ。

例えば、天下一武闘会では、当初悟空の小ささを甘く見る相手が複数出てきます。予選の相手もそうだし、ギランもそうだし、なんならナムだってそうです。

レッドリボン軍編は、「小さな少年が武装マフィアを叩きのめす」という展開における「まさか」の爽快感こそが肝であって、そういう意味ではそのまんま、1巻や2巻の展開の延長です。マッスルタワーの1階や2階の展開なんて丸々「まさか」のカタルシス展開ですし、ムラサキ曹長との闘いはコメディ色の強いものでした。ホワイト将軍自身は、ガチンコだと全く悟空との勝負にはなりません。ブルー将軍との戦いも、どちらかというと絡め手と正攻法のせめぎ合いという感じでした。

何よりも、桃白白戦以前は、悟空には「超克の対象」がいなかった。

ジャッキー・チュンとの戦いは、強敵との超克というよりは痛み分け惜敗という感じで、負けてどうなるという戦いでもありませんでした。ピラフ一味にしても、ブルー将軍にしてもホワイト将軍にしても、どちらかというと「巻き込まれた先にあった障害」であって、そもそも「打倒しなくてはならない強敵」という位置づけではなかったのです。

それに対して、

・劇中初めて悟空が完敗する
・悟空がカリン塔で修行する
・修行して強くなった悟空が桃白白を圧倒する

という、いわば「修行と超克」のモデルケースともいえる展開を初めて読者の前に提示したのが、他ならぬ桃白白戦だった訳です。

この、「強敵が現われる→修行して力を蓄える、レベルアップする→激戦の末強敵を倒す」という展開は、その後何度となくドラゴンボールの劇中に出現することになります。

この後、直後のレッドリボン軍本拠地戦ではまだ多少のコメディ色があったものの(エレベーターを使わないで頭突きで上の階に上がる悟空とか)、その後の占いババ編、22回の天下一武闘会、ピッコロ編と、お話は徐々にコメディ活劇色を薄くしていき、連綿と続くバトル展開が始まったことを考えると、

「桃白白以前」と「桃白白以後」でははっきりとお話の性格が変わっている

ということは、かなり明確に言えると思うんです。

勿論私は、「桃白白以後」のドラゴンボールも好きです。ピッコロ戦も、サイヤ人編も、フリーザ戦も、その後の諸々も、それぞれに素晴らしいドラゴンボールだったと思います。

一方で、「桃白白以前」のドラゴンボール、悟空が非常識な存在のままであって、周囲が悟空の行動や強さに驚愕していた、あの「冒険活劇コメディ」も、それはそれで素晴らしいドラゴンボールだったと思うんですよね。なんならあの後、ドラゴンボールを集めてボラを生き返らせた後、元の展開に戻ってまた気ままにブルマたちと旅を続けるドラゴンボールも、もしかするとあり得たかも知れない漫画として、間違いなく面白かったんじゃないかと。

私はそんな風に考えているのです。

ちなみに、全然余談なんですが、桃白白さんは「初めて悟空に完勝した」「かめはめ波以外の光線技を披露した」「悟空の超克の対象になった」「その後のバトル展開のターニングポイントになった」ということのみならず、第23回天下一武闘会では「悟空陣営がどれくらい強くなったかの物差しになった」という役割まで担っており、ドラゴンボールの物語全般においても滅茶苦茶な重要キャラクターです。ただ自分で投げた柱に乗って飛んでいるだけが桃白白さんではない。皆さん桃白白さんのヤバさをもっと知るべきだと思います。

もう一つ余談として、この記事自体は「ドラゴンボールを先輩に勧められて読んでみたけど面白くなかった」という記事を読んで思いついたものなんですが、面白かった面白くなかったは完全無欠に人それぞれであって、他人がケチをつけることでは一切ないと思うので、当該の記事に関して言いたいことは特にありません。楽しめなくて残念でしたね、だけでいいんじゃないでしょうか。

今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 14:28 | Comment(11) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月15日

スマホを買い換えてXperia XZ2 premiumにしました 18/10/15

買い替えました。

スマホ変えました(ブログ用)

いや、ずっとAquosのSHL25を使っていたんですが、なにせもう変えたのが4年前ですので流石に色々とヘタってきていまして。

特にメモリ・容量関係の限界が近く、ちょっと大きなアプリを入れると全体的に挙動が怪しくなったり、アプリ自体カクカクしてしょっちゅう異常終了したりということが起きていたので、流石に変え時かと思った次第なんです。

SHL25自体は気に入っていたのですが、新型機のAquos zeroはソフトバンクでしか供給されないという話。じゃあ機種を検討するかってことで、

・メモリは6GBがいい
・画面はでかい方がいい
・国内メーカーの方がいい
・その他の条件にはあまりこだわらない

という点で考えていくと、「Xperiaしか残らねーのでは???」ということでXperia XZ2 premiumを選択しました。


取り敢えず、使わないサービスについては購入後速攻で一通り止めて、Nova Launcher ホーム入れてホーム画面を一通りカスタマイズ。大体環境が落ち着いたところです。

まあまだ数日しか使っていないところではあるんですが、第一印象として軽く使い勝手についての感想を書いてみます。


〇アプリの挙動、動作、サクサク具合

これについては期待通りというか、物凄いサクサク動きます。直前まで使っていたのが4年前のスマホなので、その分ハードルは下がっているかも知れませんが、多分それを差し引いてもサックサク。重ためのアプリ複数同時起動しても全く苦になりません。

私はそこそこゲームを遊ぶ方なので、スマホで遊んでみたいゲームも色々あったのですが、2GBのSHL25ではそもそもまともに挙動しないこともあって躊躇していました。演出が頻繁なドラクエライバルズくらいのレベルでも相当もっさりとしてしまっていたんですが、その辺は軒並み解決しまして、これで色々やりたいのにインストールすら出来なかったゲームが出来るぜーって感じでテンション上げています。取り敢えず「七年後で待ってる」とか星の数だけ物語とかやってみたい。

通信速度、電波の入り具合についても、都内での行動については一切問題を感じておりません。ただ、うっかりwi-fiを立ち上げっぱなしにしていると、移動中に謎のwi-fiを拾ってしまって通信が途切れることがあるのが困りごとと言えば困りごと、と言ってもAndroidというか色んなスマホに共通の問題なので特にXperiaは関係ありません。

まあ、「複数アプリ起動時の挙動が重い」「演出が多いアプリの挙動がもっさり」という、機種変更の最大の動機に関しては完全に解決されたものと考えていいと思います。


〇カメラ、音についての印象

正直カメラや動画についてはあまりこだわりがないというか、そこまで目が肥えていないんですが、「なんか凄い綺麗な気がする」という程度の感想はもっています。昨日のエントリーで花火の動画挙げたんですが、これ、まさに変えたばかりのXZ2で玉川花火撮ってきたやつです。光量不足の中、綺麗に撮れている、ような気がする。ただ、しんざきは違いが分からない男なので、どれくらい綺麗なのかは正直よくわかりません。

音については、MP3とか流した時の音色もさることながら、「遠い音がやたら聞き取りやすくなった」というのは言っていいように思います。家に電話かけた時、家側がスピーカー通信にしていて、若干声が遠くて聞き取りづらいこととかあったんですよ。それがかなりの度合い改善されまして、これは多分スピーカーの性能なんじゃないかと。


〇物理的な印象

「でかい」「そこそこ重い」という二語で表されると思います。

私はそもそも画面はでかければでかい程いいという方で、人よりも若干手が大きいので「でかい」ということはデメリットというよりメリットなのですが、コンパクトなスマホがいいという人には恐らく選択肢に載らないでしょう。重さに関しても、女性がこれを使い続けると多分そこそこ疲れるかな、という感じ。個人的には特に苦になりません。


ということで、折角スマホも変えたことなので、今までやりたかったスマホのゲームをザクザク遊んでいこうと張り切っている次第なのです。よろしくお願いします。

一旦それくらいです。


posted by しんざき at 06:54 | Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月14日

最近のしんざきが玉川花火に行った話と、モンハンの進捗状況 18/10/14

ただの日記です。

〇子どもたちと玉川花火にいってきました

久々に花火大会にいきました。すげー綺麗でした。

玉川花火すげえ

土曜日は奥様が夜練習で不在にしておりまして、私・長男・長女・次女の4人パーティ。玉川花火なんて超混み確定なわけで、私一人に子ども3人で行動するのはちょっと無謀かも知れん、とは思ったんですが、長女も次女も打ち上げ花火というものを近くで見たことがなく、昼前から「花火いってみたい!」と意見が一致しておりまして。

「あまりに混んでたら帰るから見られないかも知れんよ」というのは共有した上で、二子玉川に突っ込んでみました。

偉い混みようなのは予想していたんですが、案外長女も次女も頑張って歩いてくれまして、長女次女によく目を配ってくれた子どもリーダーの長男フォローもあり、立ち見とはいえかなりいい場所で花火を見物することが出来ました。結果的には3人とも大満足だった他、長男は「これ何人で作ったんだろうねえ」とか花火職人の仕事にもなかなか興味を持った由。いいお出かけに出来たと思います。

下記はスマホで撮った動画。なんか私の声とか子ども達の声も入ってますが気にしないでください。


で、19時の花火終了まで見続けていると帰りが殺人的なことになるのが予想できたので、子ども達とも相談した上で1830頃撤退。それでも駅についたのは19時頃になりまして、期せずして駅からフィナーレの花火が見れたりしました。

その後は近所のお気に入りお蕎麦屋さんで蕎麦を食べて、自宅に帰って就寝。楽しい週末でした。


〇モンハンWのストーリークリアしました。

いや、実は何日か前なんですが。

取り敢えず、任務の最後のクエストまでは全部終わりまして、その後のバゼルギウスさん二匹クエも完了。HR解放されまして、今は歴戦モンスターを狩って装飾品探しのターンに入っています。

MHWの全体的な感想についてはまた改めて書こうと思うんですが、取り急ぎざっくり箇条書きでここまでの感想を書くと、

・大変面白かった
・ソロに優しい作りで嬉しいようなちょっとヌルいかなーと思ったような
・いつも通り大剣メインの弓サブという感じでやったんですが、途中から「これ弓の方が圧倒的に早く討伐出来るな…」ってなることが多かったです
・特にバゼルギウスさん、大剣だと死ぬほど面倒だったのに弓だとなんかCSで移動しながらパシュパシュ撃ってるだけでいつの間にか死んでる
・一番苦戦したのはテオさんでした。テオ苦手
・ラージャンがいなくて悲しい
・採取が完全にストレスレスになっていて大変良い。採取関連バウンティが全く面倒じゃない
・バウンティのシステムもとてもいいと思います
・システム上の不満は本当に殆どないんだけど、唯一「画面が綺麗過ぎて当たり判定がよくわからんことがある」という点だけ若干気になりました
・ガジャブーの言語が全く見つからん。。。

取り敢えずそんな感じです。

取り敢えず、強弓珠を求めて歴戦オドガロンをひたすら狩ってこようとおもいます。よろしくお願いします。

今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 13:13 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月11日

子どもに残せることは、結局それが誰であろうと「ほんの一部」なのではないだろうか

残せることはほんの少ししかない。けれどそれはゼロではない。

そんなことを考えました。


ところが、どんなに「ギリシア人の家庭教師」をやってのけようとしても、父親ではやってのけられない部分があることに、途中で気づくことになった。
というのも、親は親という立場を逃れられないからだ。

親の側が、どんなに対等に子どもに接しているつもりでも、子どもからみた親は、社会のルールやテンプレートの元型(アーキタイプ)としての側面を免れない。

同じ”アドバイス”でも、親に言われるのと友達に言われるのでは子どもにとっての意味が全然変わってくるのも、子どもからみた親が”超自我”の座を司っているからに他ならない。
親には親にしか伝えられないことがあると同時に、親には決して伝えられないことも、またあるのである。

対して、「ギリシア人の家庭教師」には、そのような制約は無い。
「ギリシア人の家庭教師」は、兄貴や姉貴的な存在であり、幼なじみ的な存在でもある。
親代わりにはなれないが、親には決して伝えられないことを伝えられるのが「ギリシア人の家庭教師」という立場だ。


自分の話をします。

以前書いたことがありますが、私には兄が一人います。兄は、私よりも五歳年上で、私が小学校に入った時には既に小学校の最上級生でしたし、中学に入った時には大学受験にひーこらいっていました。

大体において、五年の懸隔というものはかなり大きなものでして、私は子ども時代、兄と対等になれたことは殆どありません。大筋、私が何かの遊びを覚えた時には、兄は既にその遊びを卒業している、ということが常だったと思います。

上記、シロクマ先生の書かれたことを読んで、私が最初に思ったのは、「ギリシャ人の家庭教師」の影響力はそこまで大きかったのだろうか?ということでした。あるいは、「ギリシャ人の家庭教師」には制約はなかったのだろうか?ということでもあるかも知れません。

私にとっての「ギリシャ人の家庭教師」は、おそらく兄だったろうと思います。私は兄と様々な対話をしましたし、兄がしたこと、兄が残したものに触れながら生きてきました。父母が留守がちだったこともあり、兄との接触時間は、身近な人間の中では一番長かったと思います。

兄の影響がなかったかというとそんなことはなく、間違いなくありました。色々とありました。例えばの話、私のゲーム趣味は元来兄の門前の小僧から始まりました。兄が買ったゲーメストを初めて読んだときのことは、今でも覚えています。あれは衝撃でした。

ただ、水面に落ちた波紋がどんどん広がっていくように、兄から受けた影響というものは「スタート地点」というものが大きく、それが広がっていく過程には、あまり兄の姿はなかったような気もするのです。入口を教えてもらった後は、私はある程度勝手にその世界にのめり込みました。多分、他にも色々教えてもらった「入口」はあったと思うのですが、私が選んだのはゲームと言う世界だったのです。

一方、私がゲームにのめり込んでいる間、兄はもっぱら受験勉強をしていました。実を言うと、私は兄と「ゲームで遊んだ」ことは殆どありません。5歳違いともなるとその実力差も圧倒的で、普通のゲームでは勝負になりませんし、勝負になる頃には兄はゲームどころではありませんでした。

私がもっと小さな頃の兄との対話は、断片的にしか覚えていませんが、やはりそれは何かのスタート地点だったのだろうなあ、とも思います。

そして、その「スタート地点」としての影響という話であれば、私は他にも色んなものから受けました。父から、母から。友人から。本から。新聞から。テレビから。ゲームから。何か一つのものが、他のどれかより大きく優越しているのかというと、どうもそういうこともなさそうに思うのです。

「誰かの人格に影響を与える」というのは、多分「小さなスタート地点を作る」ことの積み重ねなのではないかなあ、と、そんな気がしています。そしてそれは、頻度の差こそあれ、実は程度の差においては、あまり「誰が作ったか」に左右されないものなのではないかなあ、と。親だろうが、友人だろうが、兄だろうが、その影響は同じように小さく、同じように大きなものなんじゃないかなあ、と。

つまるところ、私の中での「文化資本のプリインストール」というものに対するイメージは、誰か一人が大きな波を立てるというよりは、色んな人が色んな小石を投げ込んで、その小石の立てた波が時にはぶつかり時には重なって、やがて大きなうねりを作っていくような、そんなものなのです。

勿論、周囲の環境によって、どんな石を投げ込むか、どれくらいの頻度で石を投げ込むかはある程度コントロール出来るのだろうと思います。ただ、投げ込まれた小石の波が大きくなっていくかどうかは、結局本人の選択次第、スタンス次第であるように思うのです。

昔の「ギリシャ人の家庭教師」にはそれ以上のことが出来たのかな?と、私は思います。もしかしたら出来たのかも知れませんが、案外、「他の人よりは多く石を投げ込むことが出来た」という程度のものだったのかも知れない、という気もします。そこはよくわかりません。少なくとも私に限って言えば、兄から受けた影響というものは、父や母から受けた影響と、度合いに関してはそれ程異ならないように思います。


つまるところ何が言いたいかというと、

「親が与えることが出来る影響は、勿論制限される」
「けれど、それは「親の限界」というよりは、誰だろうと関係なく、他者に与えることが出来る影響というものには多分限界がある」
「だからといって、与える影響が無意味だということにはならない」
「結局、受けた影響をどう育てるかは自分次第」
「周囲の人間が出来ることは、なるべくたくさんの良質な石を投げ込んであげること」

というような点に集約されます。

そういう意味で、私は「ギリシャ人の家庭教師」的なものを、それ程は要望していません。自分が子どもに作ってあげれる「スタート地点」は僅かばかりかも知れないけれど、それはゼロではない。そして、自分が作った「スタート地点」は、必ず他の「スタート地点」とも何らかの共鳴をして、最終的にはきっと、自分にとって望ましいものを選び取っていってくれるだろうと。

そんな風に考えているのです。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 23:06 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月10日

長男と二人で「地下謎への招待状2018」をクリアしてきました 18/10/10

ぶち面白かったです。


やるぞー #地下謎2018

SCRAP謹製、毎年恒例の「地下謎への招待状」。しんざき家では、長男が電車好きで乗り鉄ということもあり、毎年見逃せないコンテンツとなっておりまして、今年も私と長男の二人パーティで行って参りました。

私と長男も結構色んな謎解きをしていると思うんですが、「謎の面白さでは地下謎がトップ」という意見で一致しておりまして、毎年非常に楽しんでおります。今年も期待にたがわず、非常に楽しい謎解きをさせてもらいました。

簡単に、ネタバレのない感想を書かせて頂きます。

・例年通り、渋谷の定期売り場でキットを買ってスタート。メトロ一日乗車券込みで2200円。(+長男の一日乗車券が300円)
・ドトールで朝ご飯を食べたんですが、長男が「ドトールめっちゃ美味しい!」と感動してくれたので嬉しかったです。私もドトール好き。
・謎解きは、難しい問題もあり簡単な問題もあり、とにかく波乱万丈。大がかりなギミックがある謎もかなり多いです
・この後「どこの駅に行くことになるのか」というワクワク感が非常に良質です
・長男が、「この謎、たくさん電車に乗って考えたんだろうねえ…」としみじみ感動していました
・ただ、ある程度難易度はコントロール出来るシステムになっているので、謎解き初心者の方でもがんばればいける範囲だと思います
・お昼食べたり寄り道したり、あまり急いで解かなかったということもあるのですが、なんだかんだで5時間くらいはかかりました
・結構な距離歩きます。運動にもなって良い
・ただ、車いすの人にはかなりキツいだろうなーというのはちょっと気になった

というような感じです。道に迷ったりキットを落としそうになったり、まあ色々あったんですが、夕方になる前くらいに完全クリア。とても楽しませていただきました。

解けたーーー!!! #地下謎

しんざき家の話で言うと、今まで難しい謎を解くのはもっぱら私の役目になることが多かったんですが、今回は長男が閃きまくり、私が「うーーん?」と悩むような問題も普通に長男が解けたりしました。頼もしいやら悔しいやらです。思考力ついてるなあ。

これで、今までクリアした謎は以下のような感じになりました。

小田急道中謎栗毛・鎌倉江の島編

長女次女もだいぶ大きくなったので色々謎解き連れていってあげたい。

何はともあれ、地下謎は非常に良質なコンテンツですので、皆さんもお暇な土日なんかに、ぜひいかがでしょうか。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 07:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月09日

ところで「リボーンの棋士」が面白いのでかなりの勢いでお勧めします

もう皆さんとっくにご存知かも知れないんですが、ビッグコミックスピリッツの「リボーンの棋士」が面白いです。最初の頃は正直そこまで注目していなかったんですが、どんどん面白さが増してきていまして、今は「アオアシ」に次いで、スピリッツ購入事由第二位の位置を占めつつあります。


作者は鍋倉夫さん。ちょっと調べてみたんですが、どうもこの作品がデビュー作の方であるようです。

リボーンの棋士は、勿論タイトルを手塚先生の「リボンの騎士」になぞらえていると思うんですが、作品的にはそれを意識しているように思えるところは全くなく、実にストレートな将棋漫画です。ただ、「奨励会を年齢制限で退会した」いわゆる「元奨」の人物が主人公であることが、ストーリー上の大きな特徴になっています。ハチワンダイバーの菅田なんかも元奨でしたよね。

以下、折りたたみます。


続きを読む
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2018年10月04日

今日のしんざきのMHWの進捗 18/10/04

楽しんでおります。

現在上位後半、古龍捜索をやってクシャルさんは倒したところです。「三か所に古龍が」ってことだったので、てっきりクシャル、テオ、ナズチのドス古龍三人組だと思ったのに、なんかナズチさんだけ違った。今回ナズチさんいないんでしょうか?あとひょっとしてラージャンさんもいませんか?悲しい。

ネルギガンテさんと戦うまでほぼ下位装備だけでやっていたんですが、ギガンテさんで初の三乙を喰らい、流石にそこそこ厳しくなってきたのでぼちぼちということで装備作成を決意。

メイン大剣、サブでちょこちょこ弓というプレイだったところ、なんかやってる内に「なんか弓の方が討伐時間速いんですけど。。。」という感じになってきました。何でしょう、今回弓めっちゃ強くないですか?チャージステップで位置取りを変えながら溜め3撃てるのが余りにも強すぎる。「攻撃機会を選んで自分が攻撃出来る時に攻撃するゲーム」だった筈が、なんか普通に「相手のターンでも一切気にせずに撃ちまくれるゲーム」になってるんですが。

こうなったら、ということで普通に弓装備作っちゃいました。こんなんです。

20181004172843_1.jpg

ホントは体術の護石をレベル3にして、代わりに足装備をマグダラ脚にしたい。そうすると体術5・スタ急3・耳栓3が確保出来ます。けど鋼龍の宝玉がさっぱり出ない。あと、火属性の弓でジャナフ弓を作ろうとしたら、蛮顎竜の鋭牙が死ぬほど大量に必要で、ジャナフを何度狩っても全然そろわないんですがアレは何の嫌がらせなんでしょう?

まあ、装備作りはモンハンの花ですので、もうちょっと装備を整えてから先を進めてみたいと思っております。あと、装飾品がさっぱり出ません。

弓については、チャージステップを中心にした立ち回りは大分分かってきた気がするんですが、壁打ちの使い方がまだよくわかりません。あとチャージステップしながらのエイムが下手過ぎる。もっと的確に弱点狙えるようにならないとなーという感じです。


一旦それくらいです。

posted by しんざき at 18:21 | Comment(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月03日

俺たちは何故、周囲で誰も持っていないパソコンのゲームについて知っていたのか

そりゃ、

「あらゆる情報源を漁りたくなるほどゲームが魅力にあふれていたから」
「関連記事を読み漁るだけで十分遊んだ気になれていたから」

じゃないかなあ、と思うんですよ。


ちょっと私、この記事の元になった話を追い切れていないんで、背景の文脈をよく分かっていないかも知れないんですが、ちょっと懐かしくなったので一点だけ、

これについては全力で首肯します。

私は1979年生まれなので、1980年代後半は小学校低学年でしたが、「こんなゲームがマイコンで出来るらしい」「すごく面白いらしい」「けど遊ぶために何十万円もかかるらしい」というような話は大体知っていました。「Wizardry」も「ウルティマ」も、なんなら「マイト&マジック」も「バーズテイル」も、「ザナドゥ」も「ハイドライドII」も「夢幻の心臓」も知ってました。

何故かというと、当時の我々は「とにかくゲーム関連の情報に飢えていた」から。ちょっとでもゲームについての情報が載っている雑誌であればそれが何であれ面白かったですし、誰かがどっかからか手に入れてきて皆で回し読みをしていたからです。コンプティークなんて、当時は「エロ雑誌の一種」として認知すらされていましたが、エロ関係なくボロボロになるまで皆で回し読みしましたよ。ロードス島戦記のリプレイとかすげー面白かった。

だからこそ、「イース」にせよ「Wizardry」にせよ、「パソコンでしか遊べなかったゲームが、ファミコンでも遊べるようになった!!!」というのが滅茶苦茶に盛り上がる情報に化けたんだし、時には「ファザナドゥ」みたいな「アレ、思ってたのと違う…」みたいな悲劇も発生していたんですよね。いや、ファザナドゥ、あれはあれで凄い面白かったと私は思うんですけど。

手前味噌ですが、昔、こんな記事を書きました。


読むだけで遊んだ気になってましたよね。頭の中でゲームしてたし、それだけで満足出来たこともあれば、実物をやりたくてやりたくて仕方なくなることだってあった。

そういう意味では、「子どもはコロコロとかジャンプとかボンボンとか読んでたんだろ?」と思っている人がいたとしたら、「そうかも知れないけど、そうとは限らないよ」とは言っていいと思います。ログインやコンプティークはもとより、ベーマガだろうがポプコムだろうがテクノポリスだろうが、読むヤツは読んでました。


以下は余談なんですが。

これはある程度一般化して言えると思うんですが、子どもは「楽しそう」と思ったことについて物凄い貪欲ですし、凄い情報収集能力を発揮したりするんですよ。大人が、「子どもが観るコンテンツをコントロール出来る」と思っているとしたら、それは多分間違いなんです。ヤツらは、大人が見ていようがいまいがお構いなく、ありとあらゆる方法で色んなコンテンツに接して、それを楽しんで、時には衝撃を受けて、自分なりに消化します。

だからまあ、勿論大人が積極的に様々なコンテンツを提示する必要はないにせよ、「子どもが摂取するコンテンツ」について、あまり思い煩わなくてもいいんじゃないかと私は思うんですよねー。どうせ隠そうとしたってあいつら見つけ出しますし、受け取ったコンテンツはそれなりに消化してそれぞれ成長しますよ。皆さんも、昔からろくでもないコンテンツ摂取して、それでもちゃんと大人になったでしょ?いや、そうでもない、という人もいるのかも知れませんが。

まあ、昔マイコンゲーム雑誌とか皆で回し読みするの楽しかったよね、という、それだけの話でした。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:19 | Comment(8) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月01日

レトロゲーム万里を往く その144 ある格ゲーへの挫折と、20年ぶりの再会

単なる思い出話をします。長文なのでお暇なときにどうぞ。

1995年、9月のことでした。

当時は格闘ゲームがゲーセン中で湧きたっていた頃で、カプコンでいうとスパIIXが未だに遊ばれ続ける一方、「ストZERO」や「ヴァンパイアハンター」の対戦台が熱気に満ちていました。対戦台の後ろには順番待ちの行列が並び、ギャラリー専の人が張り付くことも珍しくありませんでした。

SNKでいうと、餓狼は「3」が出ていましたし、KOF95ではルガール・庵・京のチームがどの対戦台でも大暴れしていました。

私自身が主に何を遊んでいたかというと、5月頃にゲーセンに姿を見せた「天外魔境真伝」でした。私の持ちキャラはカブキ団十郎でして、派手な見た目とは裏腹に比較的地味なキャラ性能で、ダッシュからカブキ羅砕刃とカブキ烈空破の二択をかけることに命をかけていました。で、大抵読みを外して、相手のガード後に超必並みのダメージを(力王BCで)叩き込まれていました。

今から振り返ってみると、当時既に、「格闘ゲームタイトルの飽和」という現象は起こっていたように思います。色んなメーカーが、色んな格闘ゲームをゲーセンに送り出していました。一方、ゲーセンに通う客はそこまで爆発的に増えたりはしないので、対戦台が盛り上がるタイトルとそうでないタイトルにははっきりとした差が表れていましたし、そもそも対戦台が入らないタイトルも多数ありました。バーチャ2や真サムは対戦台に並ぶ客が引きも切らない一方、風雲黙示録やギャラクシーファイトで対戦出来たことは一度もありませんでした。

そこに、「マーヴル・スーパーヒーローズ」というタイトルが登場しました。


最初の印象は、「なんだ!!これ!!!やたらかっこいい!!!!!」だった、と思います。

マーヴル・スーパーヒーローズは、文字通りマーヴルのキャラクターを格闘ゲームの世界に叩き込んだゲームタイトルで、前作「X-MEN」の流れを汲んでいました。が、その演出、その完成度は、少なくとも私の目には、「X-MEN」のそれを遥かに超えているように思いました。


画面狭しと暴れまわる、ヒーローヴィラン、人外ミュータントの皆さま。

スーパージャンプと高速移動で、目まぐるしく変動する画面とキャラクターを追いきれない程のスピード感。

インフィニティジェムをめぐる駆け引きと、ジェムを発動した時の強力な効果。

攻撃を当てた時、必殺技を当てた時の絶妙な手ごたえと爽快感。


それら全てが、私にとっての「マーヴル」の第一印象だったのですが、私が何よりも強く引き付けられた要素は何かというと、とにかく「ボイス回りの演出がやたらかっこいい」ということでした。

特に「インフィニティスペシャル(いわゆる超必殺技)」回りの演出で顕著だったのですが、超必を発動した瞬間、マーヴルのシステムボイスは、やたらとキレのいい発音で「インフィニティ!!」と叫ぶのです。その後、相手にどかどかどかーーっとダメージを与えて、フィニッシュの瞬間には画面にばーーーんと踊る超必の技名。

私は今でも、マーヴル・スーパーヒーローズの演出を「カプコン格ゲーの到達点」だと思っていますし、あのゲームが後々の格ゲーに与えた影響は計り知れないと思っています。とにかく、ただ動かして、ただゲージを溜めて、ただ超必を相手にぶち当てる、それだけでマーヴルは十二分に面白かったし、物凄くスタイリッシュだった。「訳が分からん程かっこいい」という以外に、あのゲームを表現する言葉はいらないんじゃないか、とすら思っています。

マーヴル・スーパーヒーローズにコイン投入して、私が最初に選択したキャラは、どういう訳か「シュマゴラス」でした。

理由は既によく覚えていません。特段際立って触手好きなわけでもありませんし、当時私が使っていたキャラはどちらかというとスピード系キャラが多く、特に色物に傾斜していたわけでもありません。後から知ったことですが、シュマゴラスというキャラは、どうもマーヴルの中の人にとってすら「誰だっけ?」と思える程、原作での存在感に恵まれないキャラのようでした。

ただ、「マーヴル・スーパーヒーローズ」のゲーム中において、シュマゴラスが魅力にあふれたキャラだったことは断言出来ます。

こちらを見つめる一つ目のつぶらな瞳。ダッシュする時の素早いクモスタイルへの変形。変幻自在の通常技と必殺技。そしてなによりも、カオスディメンジョンの圧倒的な演出と破壊力。

私はどちらかというとSTG好きで、当時はおそらく「ストライカーズ1945」や「ゲーム天国」にハマっていた時期だと思うのですが、その合間を縫うように、私はマーヴル・スーパーヒーローズにコインをつぎ込み始めました。

マーヴルは、楽しかった。マーヴルは、派手だった。マーヴルは、触っているだけで感動出来た。

ただ、そこには一つだけ、大きな、とても大きな壁がありました。


私には、「エリアルレイヴ」がさっぱり入力出来なかったのです。


エリアルレイヴというのは、マーヴルの中核システムの一つであって、いわゆる空中コンボです。「エリアル始動技」を相手に当てると、相手は空中高く吹っ飛ばされます。間髪入れずにレバー上を叩き込むと、相手を追って大ジャンプした自キャラが、空中でガンガン連続技を叩き込むことが可能になるのです。

エリアルレイヴは、目玉システムなだけあって、極めてダメージソースとしての比率も高く、マーヴルの対戦は「どうやってエリアルに繋ぐか」のせめぎ合い、のようなところがありました。スパイダーマンが、ウルヴァリンが、マグニートーが、アイアンマンが、自由自在にエリアルを叩き込んでいる姿の格好良さは、皆さんもご記憶のことではないかと思います。

何故エリアルが出来なかったのか、ということは、今でもよくわかりません。おそらく、「ジャンプするのにもタイミングが重要で、ボタンを押すのにもタイミングが重要」ということが私の脳の許容量を超えていたのだと思います。元より私は大して格ゲーが上手くもなく、アクションゲームのへたっぴーさでは人後に落ちないと思っているのですが、それでもあれほど「このシステム全然使いこなせない」と思ったことは後にも先にもあれ一回切りだったと思います。

いくらコインをつぎ込んで練習しても、私はさっぱりエリアルを入れることができませんでした。ゲーメストを読んでやり方を覚えて、コンボルートをメモしてゲーセンに持ち込みまでして、それでもダメでした。私のシュマゴラスが、中Kで相手を空中に吹っ飛ばして、華麗に相手にコンボを叩き込むことは、ついに一度もありませんでした。

当然のこと、私は対戦ではさっぱり勝てませんでしたし、「重要なシステムの一つをさっぱり楽しめない」という重圧は非常に大きく、CPU戦すらあまり楽しめなくなっていきました。

このゲームはこんなに面白いのに。

このゲームはこんなにかっこいいのに。

やがて私は、失意の裡にマーヴルをやめてしまい、その後しばらく特殊コンボ系のシステムは苦手になってしまいました。例えば、ストZERO3のオリコンも苦手でしたし、ウォーザードの浮かしコンボも苦手でしたし、天草降臨の14連斬も苦手でした。一種のトラウマだったかも知れません。


これが、言ってみれば私にとっては初めての、「格ゲーでの挫折」でした。


私のこの苦手意識が克服されるのは、実に5年後。「ギルティギアゼクス」でダストアタックというシステムに出会った時でした。

何故、マーヴルでは出来なかったエリアルがギルティで出来たのか、というと話は単純で、ギルティでは「ダストアタックを入れた後はレバー上入れっぱなし」で、ジャンプをするタイミングについては全く考慮する必要がなかったためだと思います。私の不器用さでも、左手を全く考慮する必要がなければ、右手だけであれば処理出来たと。多分そういうことだったのだと思います。

あれから23年が経ちました。

つい先日、とある飲み会の待ち時間でふらっとゲーセンに寄った時、マーヴルの対戦台を見かけました。プレイしている人はおらず、オープニングデモが流れ続けていました。

私は何の気もなしにコインを投入して、ちょっとだけ時間をつぶそうと思ってシュマゴラスを選びました。cpu戦で最初にアイアンマンに当たりました。

皆さんご存知の通り、カプコン格ゲーのCPUは序盤比較的弱く、割とこちらの攻撃に当たってくれます。ちょこちょこと小競り合いをして、立ち中Kが相手にヒットしました。レバーを上に入れたら、上に弾き飛ばされたアイアンマンを追って、シュパっとシュマゴラスがジャンプしました。

コマンドは頭が覚えていました。中P中K、空中投げ、J大P、もう一回大P、

あ、

繋がった。

「マジか」と独り言が漏れました。嬉しいというよりむしろ唖然としました。かつて、あれだけ練習して、あれだけさっぱりだったエリアルが、何故かあっさりと繋がった。

といっても、当時の感覚を思い出してしまったのがむしろダメだったのか、その後もう何度か同じことをやろうとしてもさっぱり出来なかったわけですが。とにかく一回、たった一回だけ、私には、かつて出来なかったことができたのです。

実のところ、これが、これだけが、この記事を書いた理由です。

「昔はさっぱり出来なかったエリアルレイヴが、久しぶりにプレイしてみたら一回だけ出来た」というほんのそれだけの話です。

ただ、ほんのそれだけのことが、私にとってはかつての私の努力と失意に対する20年越しの敢闘賞のように思えたのです。

だから私は、今でも格ゲーを遊びます。ギルティを遊びます。スト5を遊びます。昔遊んで、しばらく遊んでいなかったタイトルにも、時折思い出したようにコインを入れます。ワーヒーパーフェクトに、天外真伝に、龍虎2に、神皇拳に、アシュラブレードに、マーシャルチャンピオンに。

皆さん、格ゲーやってますか? 昔、格ゲーやってましたか?

もしよかったら、ちょっと久々にコインを入れてみてはいかがでしょうか。もしかすると、昔は気づかなかった発見が、思いもよらない敢闘賞が、あなたを待っているかも知れません。

今日書きたかったことはそれくらいです。
posted by しんざき at 07:00 | Comment(1) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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