2018年11月30日

ビートマニア3rd Mix以来、およそ20年ぶりに音ゲーに戻ってきたという話

「Deemo」始めました。



いや、きっかけとしては全然大したことではなく、先日書いた通りBOSEのワイヤレスイヤホンを入手したのと、スマホを新調しましたので、今までスペック不足やら容量不足やらで出来なかった、割とがっつり目のスマホゲーにも手を出してみようかなーと思ったんです。今までも全くやってないではなかったんですが、Hearthstoneとかドラゴンクエストライバルズとか、ほぼDCGばっかだったんですよね。

で、上記リンクのゲームキャストさんの記事を見て、これ面白そうだなーと思ってDeemoをインストールしてみたわけです。最近、スマホのゲームを探す時にはめっきりゲームキャストさんに頼り切りです。

上記記事自体2013年の記事なので、遊んでる人には今更なんだと思うんですが、「今更」という言葉を辞書に載せていたらレトロゲームブログなんて書けたもんじゃないので特に問題はないです。

Deemoすげー面白いんですよ。勿論雰囲気もいいし女の子可愛いんですが、何はともあれゲームとして面白い。

ブログ用

システムは「ザ・直感的」という感じでして、上から落ちてくるノーツに、線と接触するタイミングでタッチするだけ。スライド操作もありますが、チュートリアル自体は5秒で終わるくらいシンプルです。

曲も、静謐な曲から楽し気な曲、美しいボーカル曲からポップな曲までバラエティに富んでまして、まだ最初のコレクションを一通りクリアしたくらいなんですが、ReverseとかWings of pianoとか超いい曲ですよね。追加で曲を購入していくシステムで、どの曲も非常にいい感じっぽいので今から楽しみです。

あと、このゲーム全体の雰囲気がやたらいいんですが、取りあえず何はともあれヒロインの少女が可愛い。

ブログ用

オープニング画面、兼移動画面。ピアノに向かっているのがDeemo、ピアノの右上に腰かけているのがヒロインの少女。タップすると色々喋ってくれます。どうも彼女は記憶を失っているらしいんですが、Deemoの名前を知っていることを自分で不思議がっています。

Deemo始めました

曲をクリアしていくとピアノの側の樹が成長していくんですが、その樹の成長具合でストーリーが進んでいくシステム。随所随所で入るムービーでのDeemoと少女も非常に可愛いです。画像は、樹が大きくなるところを想像している少女。

女の子がかわいいな?

ちなみに、各曲にはタイトルグラフィックがついていて、そのタイトルグラフィックでもところどころ件の少女が登場します。Saikaの和装とかめちゃ可愛い。

ということで、非常に楽しく遊びつつこの先の曲もストーリーも楽しみです、という話なんですが。

実は、個人的に、自分が音ゲーで遊んでいるって結構不思議というか、軽く感慨深いものがありまして。

実は私、一度音ゲーに挫折してまして、それ以来あんまり音ゲーってやってなかったんですよ。

もう20年くらい前、「beatmania 2nd mix」の頃は、実はそこそこやり込んでたんです。ハードテクノもやりましたし、散々苦労しながらSkaもクリアしました。当時はまだ難しい曲って言ってもたかが知れてまして、それでもうまい人自体が少なかったんで、ゲーセンによってはHouseくらいでもギャラリーがつくし、「Deep Clear Eyes」をクリアしただけで拍手してもらえたこともありました。今から考えるとのどかな時代でした。

ただ、元来リズム感皆無、アクションゲームへたっぴーな私では、反射神経だけで誤魔化すのも早々に限界がきまして。3rd Mixで「これは無理だ」と思って挫折しちゃったんです。

LUV TO MEを何とか撃破し、Attack the musicで息も絶え絶えになっていた私の前に立ちふさがったのが、Drum'n Bass「Super Highway」。いや、nine secondsも当然クリア出来なかったんですが。


当時既に、いくらコインをつぎ込んでもSuperHighwayのデジタルオルガンパートを突破出来ず、「こんなんクリアできるかーーー!!」と頭を抱えているさなか、上手い人達はSuperHighwayだろうがnine secondsだろうが楽勝で突破していってしまいまして、いや後のシリーズを考えればまだまだ全然ぬるい譜面だったのだろうと思うのですが、「無理や。。。俺に音ゲーは無理や。。。」となってしまってそれ以降音ゲーから離れてしまっていたんですよね。

その経験がある種のトラウマになっていた部分もあるんですが、まあぬるい難易度でまったりとぬるく遊ぶという選択肢もあったところ、随分長いこと離れてしまっていたなあと。

今回、久々に音ゲーに戻ってきて、あの頃のトラウマが昇華出来たような気になって、ちょっとこの記事を書いておきたくなった、という次第なのです。

勿論、もしかするとDeemoにも鬼譜面はあるのかも知れませんし、そこでまた挫折を経験する可能性は多いにあるのですが、まあ当面はDeemoと少女のまったりした雰囲気に癒されつつ、のんびりと音ゲーを満喫しようと考えているところなわけです。

取りあえずDeemoはとても雰囲気いいし曲めっちゃいいので、私のように音ゲーから離れていた皆さんにもお勧めする次第です。もう皆クリアした後かも知れませんが。

今日書きたいことはそれくらいです。



posted by しんざき at 07:00 | Comment(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月29日

浦沢直樹先生は風呂敷を畳めない訳じゃない、あまりにも「序盤力」が高過ぎるんだ

すいません大した話ではないんですが、某大風呂敷が云々という案件について「浦沢直樹か」というコメントが複数ついているのを見かけたので、ちょっと脊髄反射させて頂きます。

確かに、浦沢直樹先生の長編作品で、「話の締め方がちょっと肩透かし」という印象を受けることがないとは言いません。「あれ?これで終わっちゃうの?」と思うことがないとは言いません。直近だと、BILLY BATでは私も確かにそう思いました。ネタバレは避けますが、もうちょっと読みたかったなあというか、アレあの着地だったらあと2巻くらいかけて描写しても良かったんちゃう?と思ったことは否定出来ません。

ただ、少なくとも私の考えでは、それを「風呂敷の畳み方が下手」呼ばわりするのは、あまり公平だとは言えない。

何故かというと、そもそも浦沢直樹先生くらい「面白そうな風呂敷を広げることが出来る」漫画家はそうそう存在しない、と考えるからです。

そもそも、我々は何故、浦沢先生の長編作品を読んで「肩透かし」と感じるのでしょう?

その理由は明白であって、「序盤〜中盤にかけて膨らんだ期待感程には、終盤の展開が綺麗な着地を見せないから」です。

浦沢作品は、別に着地しない訳ではない。ゴールにたどり着かない訳でも、打ち切りによって唐突な終了を余儀なくされる訳でもないんです。全部ちゃんと終わってるんです。

ただ、序盤中盤で期待値が高くなり過ぎて、読者がその期待値を収束させられないだけ。Monsterも、20世紀少年も、ちょっとお話の性格は違いますがPlutoだってそうだったじゃありませんか?

期待を裏切られる為には、まず期待を膨らませなくてはいけません。普通の漫画では、まずそもそも、そこまで序盤〜中盤までで期待が膨らみません。「これどうなるのかな、どうなるのかな」というワクワク感が醸成されません。そこまで期待が膨らんでいなければ、ラストの展開が「普通」であったとしても、「肩透かし」「期待外れ」などと言われようもないわけです。

しかし、浦沢先生の長編漫画は、そのことごとくが「ラストが肩透かし」などと言われてしまう訳です。これ、「どんな長編を描いても、序盤・中盤で読者を物凄く引き込んでしまう」という訳であって、これ実は物凄いことをやってるんじゃないか?と思うんですよ。

浦沢直樹先生に対する私自身の評価は、


「面白そうな序盤・中盤を描く天才」


です。長編漫画において、ここまで外れなく、「面白そうな伏線」「先が気になる展開」をばらまいて、読者を夢中に出来る漫画家さんというのは、漫画界全体を見渡しても稀有なのではないかと思います。

そこから考えると、浦沢先生に対して「風呂敷をたたむのが下手」という評価を投げつけるのは必ずしも適当ではなく、「風呂敷を広げるの上手すぎ」「あまりにも高すぎる序盤・中盤力」という評価こそ正当なのではないか、と、少なくとも私は考える訳なんですよ。

ここ最近、ビッグコミックオリジナルでは浦沢先生の「夢印」が連載されている訳でして、先日までは何かよく分からないおっちゃんが誘拐してきた幼女に対して自分語りをしている漫画として認識していたところ、ちょうど最新号では大きく話が展開しそうな状況になっているわけです。夢印の今後を楽しみにすると共に、またワクワクする話を浦沢先生が描き出すことを期待すること大な訳です。

それはそうと、私自身が浦沢先生の漫画で一番好きなのは「パイナップルARMY」だったりします。アレ超面白くないですか?一つ一つの話が、浦沢先生の序盤中盤の構成力のまま突っ走り切るのですから面白くない訳がないんですが、主人公の豪士を始め、珍やらコーツやら、味があるキャラクター満載です。キートンもいいけど、パイナップルARMYっぽい短編集もまた読みたい。

あと、これも全然関係ないんですが、私の中で「終盤力最強」の漫画家は岩明均先生です。「七夕の国」とか「寄生獣」とか、何をどうすればあそこまで完璧な収束に出来るのか理解出来ない。七夕の国超面白いんで読んでない人は読んでみてください。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:00 | Comment(12) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月28日

ワートリの別役太一さんの仕事があまりにも物語上完璧過ぎて感動するしかない

正直別役太一さんのことを舐めてました。ここまで「出来る」キャラクターだとは思っていませんでした。マジでごめんなさい。

再開早々クオリティ高すぎて最の高であるワールドトリガーの話なんですが、完全に本誌で読んでいる人向きのネタバレアリ話でして、コミックを待っている方には以下記事を読むことを非推奨とさせて頂きます。早く出て欲しいですよね、19巻。マジ楽しみです。

ということで、以下は折り畳みます。





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posted by しんざき at 07:00 | Comment(3) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月27日

「ロックマン」シリーズに関する記憶と所感

先日、こんな記事を拝読しました。

力作エントリーでして、ブログ主様のロックマンシリーズへの愛をひしひしと感じます。素晴らしいと思います。

で、私自身ロックマンシリーズは大好きでして、Xと大体の無印シリーズタイトルをプレイしている身として、ちょっと個人的な所感を書いてみたくなりました。長文なのでお暇なときにどうぞ。

大した話ではないのですが、以下のような構成になります。よろしくお願いします。

・「ロックマンシリーズは難しい」というテーゼに対する自分なりの感想と記憶
・ファミコン版ロックマンのレベルデザインの物凄さについて
・ロックマンシリーズの曲めっちゃいい話と天地を喰らう2との関連について

順番にいきます。



〇「ロックマンシリーズは難しい」というテーゼに対する自分なりの感想と記憶

ところでそもそも、私「ロックマンシリーズは難しい」という認識自体がありませんでした。

私にあったのは、ブログ主さんも書かれている通り、

「ロックマンシリーズはタイトルによって難易度の高低差が激しい」
「ファミコン時代は、1からシリーズを経るごとに簡単になっていった」

という認識です。特にファミコン時代の認識は、当時大体のファミっ子が同じような感覚であって、「ロックマンって昔のヤツの方が難しかったよね」というのが支配的な感覚だったのではないでしょうか。同じカプコンでいえば、「魔界村」とか「闘いの挽歌」の方がよほど単純な難易度は高かったと思います。

ただ、ロックマンシリーズって、特にファミコン時代は大部分のタイトルがミリオンいってるお化けシリーズでしたので、「多くのファミっ子が遊んだことがある」「かつ、普通に攻略可能な範囲の」ゲームとしては難易度が高めだった、という側面はあるのかも知れません。魔界村とか、多分当時の小学生結構挫折しちゃってましたしね。ロックマンは、後述のレベルデザインの話もあって、「頑張って攻略しよう」と思える程度の難易度ではあった。

アクションゲームとしてのロックマンを考えると、2における「E缶の導入」と3における「スライディングの導入」というのがそれぞれ滅茶苦茶大きなターニングポイントだったのではないかなあ、と思っています。

E缶については冒頭記事のブログ主さんも詳述されているので割愛しますが、ロックマン3のスライディングってアクションとしてめちゃ強くって、

・何の制限もなく高速移動が出来る
・しかもその高速移動中、当たり判定が縮む
・一切タイムラグがなく次の行動に移れる
・操作が極めて容易

という感じでして、「スライディングという行動をとること」のデメリットがほぼ存在しません。特に3のスライディングは「通常移動要らねえ」レベルで強くって、敵の攻撃を避ける際にも、敵に攻撃する際の適切なポジションをとる際にも大活躍します。

「「スライディング」という操作の導入がロックマンというアクションをだいぶ簡単にした」という側面は、少なくとも3,4については割と当てはまるのではないでしょうか。

その後、6まで順調に難易度を下げていったロックマンシリーズが、SFCに舞台を移した「7」で急に難易度を上げてきた、というのも冒頭記事のブログ主さんと同じ認識でして、そちらについては割愛します。

ちなみに私自身の好みとしては、ロックマンシリーズの最高傑作って「9」だと思っているんですが、それについてはまた別途書きます。



〇ファミコン版ロックマンのレベルデザインの物凄さについて

ところで、ロックマンシリーズのレベルデザインはものすっごいです。1987年というあの時代に出来たゲームとしては、「オーパーツ」とまで言ってしまってもいい過ぎではないのではないかと思います。

私が考える限り、ロックマンシリーズのレベルデザインの凄さというのは、以下2点に集約されます。

・「弱点システム」を利用した、プレイヤーの習熟の誘導
・楽をする手段の豊富さと、それを選択するかどうかの自由

まず、皆さんご存知の通り、ロックマンには「倒したボスの武器を使えるようになる」というシステムと、「ボスにはそれぞれ武器の相性がある」というシステムがあります。「倒した相手の武器が使える」ということ自体十分わくわくしたのに、更に「ボスには明確な弱点が設定されていて、相性のいい武器を持ち込むと攻略がとても楽になる」というメリットがあったんですね。

たとえば、ロックマン1では、こういう相性順があります(厳密にいうとボスには複数の弱点があるので、下記の矢印以外にも相性順は存在するんですが、それは一旦置いておきます)。

ボンバーマン(ハイパーボム)→ガッツマン(スーパーアーム)→カットマン(ローリングカッター)→エレキマン(サンダービーム)→アイスマン(アイススラッシャー)→ファイヤーマン(ファイヤーストーム)→ボンバーマン

ロックマン2でいうとこうです。

メタルマン(メタルブレード)→バブルマン(バブルリード)→ヒートマン(アトミックファイヤー)→ウッドマン(リーフシールド)→エアーマン(エアーシューター)→クラッシュマン(クラッシュボム)

ちなみに、クラッシュボムは一応クイックマンに効くんですが、武器の挙動の関係上ちょっと当てにくいので、クイックマンはフラッシュマンのタイムストッパーで弱らせて後はロックバスターで倒すのが個人的なセオリーでした。フラッシュマンには普通にメタルブレードが効きます。

こんな感じで、「このボスを倒した後にこのボスに向かうと楽に倒せる」というルートが複数存在する上、ロックマンって結構「ステージごとの難易度差」が大きくって、簡単なステージ、難しいステージがあったんですよ。しかも、「簡単なステージのボス武器」が「それよりちょっと難しいステージのボスの弱点」だったりするように、本当にうまーく設定してあるんです。例えばフラッシュマンのタイムストッパーがクイックマンステージで有用だったり、比較的簡単なボンバーマンステージのハイパーボムがもうちょっと難しいガッツマンに有効だったり。

更にそれに加えて、マグネットビームとかアイテム2号とか、それぞれのステージにはボス武器以外に手に入るアイテムが存在していて、「このステージに行く前にこのアイテムを取っておきたい」というような要素もあって。

「エアーマンにはリーフシールドが有効だけど、ロックバスターでも普通に勝てるし、最初に2号とっとくとメタルマンステージでE缶とれるな」「そうすれば次にクラッシュマンが倒せるし、そしたらクラッシュボムでアイテムが回収できるな」みたいな攻略順アレンジも可能だったんです。

これによって何が起きたかというと、

・簡単なステージを見つけて順番にクリアしていくことで、プレイヤーの習熟度が段々上がるようになっていた
・しかも、簡単なステージを先にクリアすることが、後々のステージの攻略のカギにもなっていた
・結果、攻略順を自分で考えれば考える程簡単に攻略できるようになっていた
・更に、自分で合うようにある程度攻略順をカスタマイズできるようにすらなっていた

という、滅茶苦茶よく出来たゲームデザインを成立させていたんです。やってる内に勝手に上手くなるし、上手くなってくると自分でも色々工夫が出来る。理想のレベルデザインに近いと思います。

これ、物凄いと思いませんか?初代ロックマンが出た1987年って、ロマンシアとかエルナークの財宝辺りと同時期です。まだ「クリアさせるように作る」ということ自体が一般的でなかった時代に、「プレイヤーを習熟させて攻略成立に導く」という思想とレベルデザインを完成させていたのがロックマンなんですよ。まだ、初代「ロックマン」では若干粗削りなところもありましたが、ロックマン2、3になるにしたがって、この「攻略ルート構築」という遊びはより洗練されていきました。

「プレイヤーを導いて、攻略させる」という思想。これの嚆矢の一つとして挙げられるのがロックマンシリーズである、とまで言ってしまっては言い過ぎでしょうか。いやあんまり考えないで言ってるんですが。

この、「弱点をキーにした攻略順」という概念は、遠く「モンスターハンター」なんかでも導入される概念になります。

ちなみに、もう一方、

・楽をする手段の豊富さと、それを選択するかどうかの自由

について。

クイックマンステージにおけるタイムストッパーの位置づけなんか代表的なんですが、ロックマンって「プレイヤーの選択による難易度トレードオフ」があちこちに存在するんですよ。

クイックマンステージでは、ステージ途中、画面横から出てくる即死トラップが厳しくって、アドリブ避けには相当の腕が必要とされるんです。だから、タイミングと位置を覚えて上手いこと避ける、という攻略が必要だったんですが、この時フラッシュマンステージでとれる「タイムストッパー」を使えば極めて簡単に道中を突破できるんです。

ただし、その場合ステージボスのクイックマンに対してはタイムストッパーが使えない。クイックマンも相当の難易度を誇る強敵ですから、クイックマンとガチンコで戦うのはそれはそれで相当の難易度な訳です。

このように、「楽をする手段が複数ある」「ただし、それぞれの手段にメリット・デメリットがある」「その選択はプレイヤーの手にゆだねられている」という要素も、ロックマンはシリーズのあちこちに用意していまして、これも重要極まる「ロックマンの味」の一つになっていました。攻略カスタマイズの幅の一つとして、一点触れておきたかった内容です。



〇ロックマンシリーズの曲めっちゃいい話と天地を喰らう2との関連について

ところで、今更言うまでもありませんが、ロックマンシリーズって曲めっちゃいいですよね?私、特に3のマグネットマンステージとか、2のヒートマンステージとか大好きなんですが。

ロックマンシリーズってファミコン版でも結構曲の担当が変わっていて、例えば1,2の作曲者は「エリア88」や「マジックソード」の曲も手掛けた松前真奈美さんである一方、ロックマン3や4の作曲者は「ブレイジングスター」や「ブレスオブファイア」も手掛けた藤田靖明さんなんですけど。

いうまでもなく、ロックマン1や2の曲物凄い名曲ばかりだし、私エリア88のBGMも滅茶苦茶好きなんで松前さんのサウンドも最高なんですが、ここで一つ皆さんに聴いて頂きたいのがファミコン版「天地を喰らう2」の戦闘曲なんですよ。


この!!このロックマンテイスト!!!どこかに中国色も残しつつ、中華ロックとでもいうべきすさまじいメロディアスな展開、これ「最高」という以外の二文字が必要でしょうか?特に攻城戦の曲とか、決戦の曲とか素晴らしいという以外の言葉がない。

まあアレです、作曲者から見て色んなタイトルの曲を漁ってみるのも、その共通テイストを漁ってみるのも楽しいですよねっていう話です。あと天地を喰らう2いいよね!!1もいいけど!!!

ということで長々語って参りましたが、私が言いたいことを一言にまとめると

ロックマンシリーズはめっちゃ面白いので昔のタイトルも今のタイトルも皆積極的に遊びまくるべき

という一点だけであって、他に言いたいことは特にありません。よろしくお願いします。

今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 10:50 | Comment(2) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月26日

エンジニアにクソスペックのPCが割り振られていた現場についての個別事例について

n=3の話をします。

こんな記事を拝読しました。

なるほど、NTTの人材がGAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)に引き抜かれている事をNTT側は苦く思っているらしい。


という記載と、まさに




転職先はGoogleで今月5日からsearchのチームに参加しました。引き続きアウトプットしていく予定なのでよろしくお願いします。


という記載が味わい深いですよね。ブログ主さんの今後のご活躍を祈念するばかりです。

それはそうと、実は一点思ったことがありまして、それが

セキュリティに限らず、研究所以外の場所ではソフトウェアの開発をしているというのにメモリが4GBとか未だにHDDドライブを使っているとかそんな非人道的な環境での作業を強いられている部署もある

メモリとSSDの数万円をケチって何百万円分の人月稼働をドブに捨てているかという自覚を持てない人間が指揮を執っている可能性すらある

という部分についてなんです。

色んな退職エントリを読んでいると、退職事由の中でもそこそこの順位につけそうなものとして「PCスペックのクソさ」というのが結構観測出来るんですよ。

実際のところ、人件費に比べればPCのパーツ代金なんて吹けば飛ぶようなものでして、例えばメモリの話でいうと、きょうび8GBのメモリだって、安いやつなら5000円ちょっとで買えちゃうわけです。SSDだってSATAの480GBのヤツがせいぜい数千円です。1TBでも高くて1,2万ってところでしょう。




エンジニアのPCスペックってものは開発のパフォーマンスにガチ直結するものでして、遅ければ遅いぶんだけパフォーマンスはダダ下がりします。PCの前で処理待ちしている時間でも、刻々と人件費はかかり続けている訳なんです。単純な時間効率の話ばかりではなく、勿論待ち時間におけるストレスも、それで中断される思考コストも全くバカにはならないわけでして、「メモリ不足」なんて事象が発生した時点で開発現場として完敗している、と考えてよろしいのではないかと思います。

なのに、「開発メンバーにクソスペックのPCしか割り当てられていない」とか、「Eclipseの起動に5分かかる」とか、「ブラウザだけでメモリを使い切る」とか、今でも割とよく観測する話なんですよね。実際のところ、「エンジニアのPCに対するパーツ増強の費用」って、費用対効果で言うと滅茶苦茶高いレベルだと思うんですが、何故これを軽視している企業がしばしば見受けられるんでしょうか?

これは私個人の経験なんですが、「エンジニアにクソスペックのPCが割り振られており、しかもスペック改善を申請しても全然改善されない」という現場に行き当たったことが、今までで3回あります。内2回は出向先の現場で、もう1回はプロパーとしての社内での話です。

勿論、最終的には「開発メンバーのPCスペックに関する重要性を経営層が認識していないから」という要素に帰結する話ではあるのですが、個別の事例には一応の個別の事情がある筈です。内部で色々と情報を集めて、「何故エンジニアにこんなクソスペックのPCを割り振っているのか」については、それぞれの現場で一応の結論を出しています。その時のそれぞれの事情を書いておいてみようと思います。

もしかすると一般化出来る部分もあるのかも知れませんが、基本私個人の経験談でしかないことはご了承ください。

***
1.何故かPCスペックの高いPCが職位の高い順に割り振られている

私の私見ではこれがKing ofクソ案件だったのですが、どういう訳かPCのスペックごとにレベルが分けられている上、それが「職位の高い順」に振られているのです。逆だろそれ。

つまり、(今のPCで例えると)メモリ16GB、SSD1TB、Corei7 8700KみたいなPCが社長や専務常務のPCになっておりまして、プログラマーのPCはメモリ4GB、SSDなし、CPUもCorei3どころかうっかりするとPentium Mだったりする訳でして、役員は快適なネットサーフィンが楽しめる一方、エンジニアはPC起動をする間にコーヒー淹れに行って戻ってきてもまだログイン画面が出ていない訳です。

基本的に、席位置から社員番号から内線番号から、何から何まで「まず職位順」という発想で決めている現場でして、どうも差をつけられそうな要素全てを職位ごとの差をつけるために使っているみたいなんですね。で、PCスペックについても「職位が下の人間が上の人間よりいいPCをつかうわけにはいかない」という理由があって、「上の人まで全部のPCを変えないといけないから」などという意味不明な理由でパーツ換装が却下されたりしていた訳です。

これについては流石にアホかと思ったのですが、当然のことながらプロパーSEの定着率は最悪、辞めては入れ辞めては入れという感じでした。なかなか愉快な現場ですよね。

***
2.何故か「スペックが高いと仕事以外のことで使い出す」と思われていた

これもなかなかアホらしい話なんですが、「PCスペックに余裕があるとエンジニアが余計なことを始める」などという認識を上の方が持っていたケースがありました。つまり、「例えばEclipseとブラウザが同時に立ち上がってサクサク動くとネットサーフィンとか始めて仕事しないんじゃ」という疑念を持っている、という話ですね。これは数年前の話ですが、「マイニングが出来ないようにスペックを絞っている」などという言葉も実際に聞いたことがあります。

勿論複数のソフトを同時起動出来ることによって遊び出す人が存在しないとは言いませんが、ネットサーフィンを縛りたいのならばネットのポリシーで縛ればいいのであって、それをPCのスペックで縛り出すとかちょっと正気の沙汰とは思えませんでした。それによって防止出来るものと、それによって失っているものどっちが大きいの、という判断を誰も出来ていない訳で、これも相当に頭が悪い話だったと言ってしまっていいのではないかと思います。

***
3.PCスペックと人件費が紐づくという発想がなかった

これは上の二つに比べればまだ理由としてはまともだったんですが、つまり「PCスペックによる時間毀損」という話が問題として認識されなかった、ということです。

普通の頭で考えれば、社員が働いている時間は全てイコール人件費になる、という事実が理解されていいのではないかと思わないでもないんですが、どうも「一応は残業代を払っている」会社ですら、社員が働く際の時間効率という問題が問題として認識されなかったりするんですよ。「PCスペックの問題で待ち時間が」という話をすれば、「じゃあ待てばいいじゃん」という反応が帰ってくるわけです。ちょっと会話が難しい感じですよね。

お金がかからない「時間効率改善」という言葉は上の人たち大好きだったりするんですが、ちょっとでもお金がかかる場合それは途端に優先順案件になるわけでして、これもなかなか頑迷な職場だったと言っていいでしょう。物理的にプロジェクト終わらねーよこれ、という段になってようやくスペック改善が承認されたりしまして、それもなかなかタイミング的に微妙でした。

***

上記はいずれも数年以上前の話でして、現在どうなっているのかは不明です。また、勿論PCスペック以外の点も事情は様々で、ひどい部分もマシな部分もありました。ただ、エンジニアがぽこぽこ辞めていく現場であったことは疑いなく、何故その一点だけでも「PCスペックの重要性」が認知されなかったのか、正直私には今でも分かりません。

PCスペックの重要性、エンジニアの時間効率の重要性が、どの企業の上層部にも理解され、全てのエンジニアが快適なPCスペックで働けるようになることを祈念するばかりです。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 06:44 | Comment(6) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月20日

「〇〇はあるのに××がないのは何故なのか」系の考察に「いやお前が知らないだけでたくさんあるやん」というカウンターが一瞬で返される現象


に名前をつけたい。なんかもう名前あるんですかね?どなたか知りませんか?

仮にここで、当該現象に「知ったかぶり非存在考察」という名称をつけてみるとしましょう。ネーミングは適当なので気にしないでください。

知ったかぶり非存在考察は、大体以下のような要件を持っています。

・「××がない」という、非存在を考察の核にしている
・その上で、その「ない理由」をあれこれ考えている、あるいは「ない」ことを批判的に指摘している
・けど実際には「××がない」ということ自体が当人の観測不足、ないし単なる事実誤認であって、実際には××は幾らでもある
・「お前が知らんだけでいっぱいあるやん」という突っ込みが山ほどくる
・場合によっては炎上する

皆さん、こういう現象見たことないですか?結構webでは頻繁に観測されますよね。

そもそも、「ない」ことを考察の核にすることはかなりリスキーなんです。何故かというと、「反例一個で考察がおじゃんになるから」です。かつ、その「おじゃんになる」には、当人の観察力不足、観測範囲の不備指摘もワンセットになっている訳であって、論客としての信頼性にかなりのケチがつくことは避けられません。「何故××がないのか」ということを論じる際には、かなり入念な事前観測、ないし理論武装が必要になるでしょう。

まず第一に、「××は本当にないの?」ということを自分に問いかけることが重要なのです。「××がない」と感じた場合、それはかなりの確率で「単なる観測不足」なのです。

ちなみに、「××は何故少ないのか」だと多少緩和はされますが、これもリスキー度合はあまり変わりません。「少ない」ということ自体を証明する、ないし定義することが困難だからです。この場合、「少ないって具体的にはどう少ないんだよ?」という突っ込みが避けられないものとなってしまうでしょう。

それでも、人は「何故××はないのか」という考察に度々突っ込んでしまう。これは、一つには「あ、××ってないやん」という発見の衝撃が、当人にとってはそれなりに重く、また大きいものだから、ということもあるのでしょう。誤った発見であっても、それが発見であるというだけで一定の価値を持ってしまう、という話ですね。

ただ、「何故××はないのか」考察には、結構「釣り」も含まれているように思っておりまして。つまり、「実際には××が存在することを承知の上で、敢えて「何故××はないのか」を論じることによって突っ込みを誘引する」という手法ですね。

つまり、「知ったかぶり非存在考察」には「知ったかぶり非存在考察(真)」と「知ったかぶり非存在考察(偽)」の二種類がある

この二種類を見分けることはそこそこの困難事でして、基本的には推測するしかありません。「実際に知らないのかどうか」を確認することは普通出来ないからです。

例えば、私はこの記事を「知ったかぶり非存在考察(偽)」ではないか、と推測しています。

何故かというと、プロレスゲームはそもそもゲームのメジャーなシーンとは言い難く、どちらかというとマイナーなジャンルであって、そんなプロレスゲームを「たくさん」知っている元増田が、コナミの「日本大相撲」やボトムアップの「64大相撲」、あるいは「ああ播磨灘」「SDバトル大相撲」などの有名相撲ゲームをまるっと知らないというのも、ちょっとおかしな話だなーと感じるからです。この辺のタイトルは検索すれば一瞬で引っかかるわけでして、「××ってないよなー?」というのを全く調べていないというのも脇が甘い話です。

もっとも、これは所詮ただの推測であって、実際に元増田が相撲ゲームを二作しか知らなかった、という可能性を否定することはできません。

一方、こちらはちょっとガチっぽいかな、と感じました。


このまとめ自体は、非存在考察をスタート地点に、ちゃんと有益な考察にまで着地しているのですが、それはそうとスタート地点については「知ったかぶり非存在考察」と言ってよいのではないかと感じます。

これは飽くまで私の感覚なのですが、

「何かしらの思想バイアスが絡む」

かつ

「たくさんあるやん、という指摘を受けると、最初の非存在考察をなかったことにして「けど少ないし」とか「ちゃんと調べないと見えない程度だし」といったスタンスのスライドをする」

場合、ガチである可能性が高まるように感じています。


突っ込む側から見ると、「××は何故ないのか」という誤謬は非常に「ツッコミ誘因力」が高いです。つまり、「いやいっぱいあるやん」とついつい突っ込みたくなってしまう。これは何故かというに、

・考察を瓦解させるのが非常に容易だから(反例一つで瓦解させることが出来る)
・知識量的にマウンティングをとることが出来るから
・同時に「あれもある、これもある」的な、大喜利的な面白さに発展させやすいから

ではないかなーと考えています。元々炎上しやすいステージ立てなんですね。

勿論のこと、釣る・釣られるはネットの華ですので、これが悪いとは言いませんが、場合によっては「知ったかぶり非存在考察(偽)」にあっさり釣られるピチピチフィッシュ、的な立ち位置に置かれてしまうかも知れません。炎上PV稼ぎに易々利用されてしまうというのも面白くない話です。

皆さまには、「知ったかぶり非存在考察(真)」「知ったかぶり非存在考察(偽)」の存在については一応念頭に置いて頂き、快適なツッコミライフをエンジョイ&エキサイティングして頂きたいなーと考える次第なのです。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:15 | Comment(1) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日のしんざきがりんご狩りに行った後熱出してぶっ倒れてました 18/11/20

ただの日記です。

・りんご狩りに行きました

毎年恒例なのですが、信州は戸倉にりんご狩りに行っていました。

りんご狩りにきた!!

奥様ご実家が毎年2本リンゴの木を借りておられまして、毎年この時期に旅行を兼ねて狩りにいきます。いやこのリンゴ滅茶苦茶美味いんですよ実際。

今回は、私・奥様・子ども3人、あと奥様方父母と奥様の妹さんというパーティ。流石に義父義母は結構いいお年なので、若者ズがもっぱら収穫することになります。割と重労働です。

それに加えて、当然子どもたちもきゃいきゃい言いながらリンゴを取りたがりまして、写真は喜び勇んで脚立に登る次女。なんか、この「高いところに脚立で登ってリンゴを取る」というのが物凄い楽しいらしくって、子どもたち皆こぞって脚立に登りたがるんですよ。危ないから結構神経使うんですけどね。まあ喜んでくれたのはよしよし。

リンゴの木2本分となると最終的には結構な分量になりまして、これくらい取れます。

めっちゃ収穫出来た

これでも全体の一部なんですが、今回は200kg超取れたらしいです。出荷か。

これを全国各地の縁者にお歳暮としてお送りして、この日のミッションは終了。上山田温泉に湯伯しました。流石に結構くたびれていたんですが、長男が「卓球やってみたい」と言い出して、初めての卓球経験。面白かったみたいです。折角なので東京に戻ってもやらせてあげたい。

体力ゲージが付きかけたところで翌日。

18日は、私が所属している「キャラゲーオンリーゲーム音楽演奏集団」であるところの「関東豪楽連」の練習があったので、東京に戻った後皆と別行動になって練習してきました。

こちらは、多分12/23に演奏をお見せ出来ると思いますのでまた改めて告知します。今回は過去曲も含めながらですが、おそらくかなり面白い選曲になっていると思いますのでご期待ください。

で、練習が終わって打ち上げをやっている最中に何やら悪寒を感じまして、ちょっと早めに退散。うちに帰ったら8度3分熱が出てました。

その日は早々に就寝して、一晩経っても熱が下がらなかったので病院へGO。幸いインフルエンザではなかったのですが、熱が9度まで上がりまして、この日は会社を休んで一日寝てました。いやー風邪で会社休むなんて久しぶりですよ。

で、薬飲んで寝てたのが効いたらしく、今日はかろうじて復活して無事に出社しているという次第であります。大変でしたね。

取り急ぎ、土日の日記的なものはこれくらいです。
posted by しんざき at 07:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月16日

さくらんぼ計算は、出来ない子を出来るようにするための最終兵器でした

これの話なんですけどね。

これ、大人が「くだらんこと」って言っちゃうのは分かるんです。6+7を計算する為に、なんでこんな面倒くさいことをするんだ?って思いますよね。実際、小学1年生の時点でも、「こんなこと何でするの?普通に計算すればいいじゃん」って思う子、結構いると思います。

ただ、このやり方自体は、一概に「くだらないこと」とは言い切れない。実際、算数の一番最初で躓いちゃう子にとって、このやり方が救いの糸になったりするケース、あるんですよ。

そもそもこれ、何のためにやるかって皆さん分かりますか?要は、「10を作れるペアを覚えましょう」「足す数を分解して、取り敢えず10を作りましょう」「残った数を10に足しましょう。そしたら簡単でしょ?」っていうやり方なんです。

***

何度か書いてるんですが、昔、補習塾で講師のアルバイトをしていました。補習塾っていうのは、進学塾の対義語みたいなもんで、学校の授業についていけない子を救い上げることを主な目的とする塾です。

そこで知ったことが、「世の中には、想像以上に初歩の段階で勉強に躓いじゃってる子がたくさんいる」ってことでした。算数は特にそれが顕著でして、躓いたところを解決出来ないままなんとなく先に進んでしまって、あとから取り返すのが困難になる程負債を抱えてしまった子、たくさんいました。小5で二桁の掛け算が理解出来ない子もいれば、中学生なのに割り算の筆算が曖昧、という子もいました。

で、「元を辿ればここで躓いたね」っていうのを一つ一つ発掘して、それを最初の方から潰していくことが主要なミッションになるんですが、その一つのポイントとして「足し算の繰り上がり」「引き算の繰り下がり」って結構バカにならない頻度であったんですよ。つまり、早い学習段階で、「繰り上がり」っていうものをいい加減に済ませてしまったばかりにあとでめっちゃ苦労する、っていう子です。小4くらいでも普通にいました。

足し算の繰り上がりって案外バカにならない概念でして、子どもって基本「自分の指」を基点に計算するんで、10を超えない足し算、引き算はそんなに苦戦しないんですね。少し繰り返してると大体丸々覚えちゃう。「頭の中に回路が出来る」ってやつです。

けど、「10を超える数」を机上で計算するのって、いきなり子どもにとってのレベルが上がるんです。つまり、「数のやり取り」というのを頭の中でやらなくてはいけなくなるからです。

***

「わかんない」ことに向き合うのって、すっごく辛いんですよ。しかも、学習の初歩の段階で、周囲がさくさく出来るようになっていって、うっかりすると先生にまで「なんでこんなことわかんないんだ?」って言われると、本人的にもすっごくストレスになる。だから、子どもによっては、6+8とかの問題の前で固まっちゃったりする。これがトラウマになって勉強自体嫌いになったりすると、更にリカバリが難しくなる。分かりやすい悪循環ですよね。

時間がない側の大人が、痺れを切らして「ほら、6+8は14でしょ?」とか言っちゃって、本人もなんとなくそれで宿題とか出しちゃって、誰も拾えないまんま学習段階が進んじゃう、とか凄いあるあるなんです。

実際、これを解決する方法って「数をこなして反射的に出来るようになる」しかないんですけど、数をこなすためにもハードルを下げてあげないといけないんですね。

その、「ハードルを下げる」手法って色々あるんですが、その一つがこの「さくらんぼ計算」なんです。私が塾で教えてた頃は、そもそも「さくらんぼ計算」とは呼んでなかったし、教えてない小学校も普通だったと思うんですけど、今学習要領とか変わったんですかね?すいませんその辺は曖昧なんですが。

このやり方、「10を作ることは出来る」「10に一桁の数を足すのは簡単」なんで、辛うじて「答えを導く」ところまではもっていけるんですよ。

これを突破口にして、とにかく数をこなす。で、パターン学習みたいな感じで、その内繰り上がりに対する苦手意識が消える。繰り上がりが分からない子を救い上げるための最終兵器だったんですよね。

ちなみにこれ、考え方自体はもっとでかい数とか、あるいは引き算にも応用できます。384 + 86を384 + (16 + 70)にしちゃう、みたいなやり方ですね。繰り上がりってとにかく引っかかりやすいところなんで、なるべく楽に計算できるようにしましょう、ってのは割とスタンダードな考え方なんですよ。

***

勿論、これは「分からない子の為の補助器具」みたいなものなんで、別に強制する必然性はありません。分かる子は普通にやっちゃえばいい。それについて異存はありません。

ただ、小学校の先生ってのも大変な仕事でして、能力も要領のよさもバラッバラな子を30人とか一度に教えないといけないんで、一人一人の学習段階を細やかに気遣うって正直結構無理ゲーに近いと思うんですよ。私なんて3,4人でも十二分にしんどかったですもん。

そういう点で、「躓く子を出すよりは低い子に合わせる」という選択をとるのは、一つの止むを得ざるやり方だと思いますし、後々の応用範囲を考えれば「取り敢えずさくらんぼ計算のやり方はきっちり覚えておきましょう」というケースが発生することも、そんなにおかしな話ではないと思います。

まあ、こういうやり方もあるよ便利だよ、けど違うやり方でやってもいいよ、という方が教え方として理想だとは思いますけどね。結構難しいんですよ色々。

算数嫌いの小学生が、一人でも算数苦手を克服出来ますように、と祈らずにはいられません。うちの長女次女もぼちぼち繰り下がりのある引き算とかやってるんで、宿題を観ながらそんなことを考えていたわけです。

「さくらんぼ計算」自体は決してくだらないやり方じゃないよ、これを早い段階で教えるっていうのもアリだと思うよっていう話でした。

今日書きたいことはそれくらいです。






posted by しんざき at 12:07 | Comment(12) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月15日

BOSEのbluetoothイヤホン「SoundSportFree」が届きました

わーい。

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どういう経緯かと言いますと、先日スマホ変えたんですよ。XperiaのXZ2に。


で、XZ2って、普通のイヤホンジャックないんです。一応、同梱品にイヤホンジャックをUSB-cに変換するアダプタが入ってるんで、それ経由で繋げることは繋げるんですけど。

ただ、私、幾つかの端末でイヤホン使いまわすことが多いんで、いちいちアダプタつけたり外したりっていうのも煩雑だなー、どうせだからbluetoothイヤホン欲しいなー、けどどれも結構いい値段するなー、って感じで迷ってたんです。

で、ふと思いついてクレジットカードのポイント見たら、ポイントでBOSEのイヤホンが交換出来ることに気づきまして。私、基本的にポイントというものを有効利用出来ない人間なんでもう何年も溜めっぱなしだったんですが、こりゃいいタイミングだと思ったんで交換してみたんです。これです。



普通に買うと結構いいお値段するんですよね。いや、bluetoothイヤホンってどれも割と高いですけど。

折角買ったんで、軽く使用感とか感想を書いてみようと思ったわけです。ただ、しんざきは一応音楽奏者でありながら決してオーディオ機器に通じているとは言えず、特に音質とかについては(※素人の感想です)という注釈をすべてのテキストに付け加えた方が良さそうな有様ですので、その点については割り引いて読んでください。

1.充電周りとかケースとか


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こんな感じで、ケースの中にイヤホンが二つ、ぴたっと収まるようになっています。

これ、ケースがイヤホンの充電器を兼ねていて、ケース自体もUSB-Cで充電できるようになっていまして。ケースが満充電されていると、大体イヤホンを2回充電できるそうです。イヤホン自体の稼働時間は満充電で最大5時間。まあ、移動しながら音楽聴いたりゲームしたりする分には十分な時間である気がします。

ケース自体も結構高級感ありまして、オフィスの机の上にぽんっとおいておいても違和感がない見た目。大きさ的には掌に軽く握り込めるくらいで、ポケットに放り込んで移動する分にも苦労がありません。取りあえず、「スマートに持ち歩ける」という要件は完璧に満たしていると言って良さそうな気がします。


2.イヤホン自体とか音質とか

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肝心のイヤホンはというと。

作りは耳に押し込む感じになっておりまして、ゴムの部分にS/M/Lのパーツが付属しており入れ替えられるようになっている為、耳が小さい人・大きい人に関わらず、着用感はちゃんとフィットしそうです。少なくとも私について言えば、つけたままでも全然違和感がなく、動き回っても全く抜け落ちず、とてもいい感じに着用出来ています。スポーツしながら使うことを想定しているようなのでそこは流石という感じ。

ケースから取り出すと自動でペアリング準備状態になるようで、ペアリングはあっさり出来ました。スマホ用のコネクトアプリがあるのですが、別にインストールしなくても困りません。ただ、紛失用の位置情報追跡機能とかあるようなので、そちらを使う人はアプリを入れてもいいんじゃないかと思います。

音質は、すいません素人の感想なのでと断った上でなんですが、「めっちゃいい」という一言になります。今まで使ってた安物のイヤホンとは雲泥の差なのは当然のことながら、うっかりすると以前買った割とちゃんとしたヘッドフォンにも比肩するくらい、音がやたら綺麗に聞こえます。ベース音、ドラム音なんかもかなり強烈に響いてきまして、ああこの曲こんなにベース強かったのか今までごめんなさいという感じ。

bluetoothなので電波干渉なんかもあるのかも知れませんが、机の上においたスマホで音楽を流しながら作業する分には、全く途切れや雑音はありませんでした。電子レンジとか使ってたらどうか分かりませんが。

着用感についても、「ああ、ケーブルがないってこんなに楽なんだ」と軽く感動しました。ケーブルが絡まる心配がないというのもさることながら、何かに引っかかったり振り回されたり、ということもないのでストレスフリー。これはまあ、完全ワイヤレスのイヤホンならどれも同じですが、個人的には満足感がとても高いです。

一応、一部のスマホとペアリングをした時に左耳用のイヤホンから音が聴こえない時がある、みたいな情報を見ましたので、気になる方はFAQを見てみてください。私のXperia XZ2だと特に問題が発生しませんでした。



3.マルチペアリング

このイヤフォンを選んだ重要な理由の一つとして、「マルチペアリングの機能がある」ということがありました。つまり、複数の端末と同時にペアリングして、機器を切り替えられるらしいんですね。最大七台までペアリング出来るみたいです。

早速、ノートPCとスマホ両方にペアリングしてみました。

左側のイヤホンの後ろにファンクションキーがありまして、それを押すと「今ペアリングされている機器」を女性の声で喋ってくれます。もう一度押すと次の機器に順番に切り替わるという形です。

期待通りといいますか、この機能めっちゃ便利です。

上でも書いたんですが、私、イヤホンを複数の端末で使いまわすことが多いんですよ。移動中はスマホで音楽聴いて、ついたらノートPCに切り替えてゲームして、みたいな。なので、いちいち付け替えるのが結構手間になるんですね。普通のbluetoothイヤホンだといちいちペアリングを切らないといけないらしいのでその点も不便。

その切り替えがほぼワンタッチで、ペアリングしたまま出来るので、非常にあっさりと端末間での使いまわしが出来るようになりました。大満足。

ただ、切り替えの際には端末名を聴きながら切り替えないといけないので、台数が多くなってくるとそれはそれで煩雑になるかも知れません。私は多分最大3台しかペアリングはしないので多分大丈夫。


ということで、ざっと書いて参りました。イヤホンとしても結構お高いので、手放しにお勧め出来るかというと難しいですが、私のように複数機器でのイヤホン使いまわしをしつつ音質も出来ればいい方が、みたいな希望がある方は、ちょっとご検討されてもよいのではないかと思った次第です。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 12:21 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月14日

マッチポンプビジネスマナーを作ろう!

ビジネスマナーを作りましょう!

皆さん、読者や受講者に「そうだったのか!」「知らなかった!」と思ってもらえる題材に困っていませんか?

人間、今まで自分が特に根拠なく信じていたものについて、「実は間違っていた〇〇」という形で情報を提示されると、新しい方に大した根拠がなくても「そうだったのか!」と思ってしまいやすいものです。そういう情報はとても受けますしバズりやすいです。是非そういう情報をガンガン発信出来るようになりたいですね!!

今回特にお勧めしたい分野は「ビジネスマナー」です。

ビジネス関連のTIPSというのは、マニュアル体質の人にとって特に刺さりやすく、「役立つ情報」として拾われやすい分野です。バズ成功率も自然と高まるというものです。

え?マナーなんて最初からコンセンサスがあるものであって、新しく作るようなものじゃないんじゃないか、ですって?それがそうでもないんです。

ビジネスマナーは、作れる!!

手順は大略、以下のようなものです。

1.一般的ではないビジネスマナーを「発見」する、ないし既存のなんとなく定着している所作について否定する
2.それを大々的に「実は〇〇だった××」という形で展開する
3.それを見たビジネスマンが、「そうだったのか」と信じ込む
4.そのマナーを実際に行う人が増える、ないしそのマナーを聞きかじった人が他人に対して「それ実は失礼だよ」と指摘する
5.結果的にそのマナーがなんとなく定着する

マナーが定着してしまえば、それをネタに更に一稼ぎすることができます!なんならマナー本まで書けちゃうかも!!

一番重要なのは、まずなによりも「マナー発見」のパートです。


1.一般的ではないビジネスマナーを「発見」する、ないし既存のなんとなく定着している所作について否定する


これについて、全くの創作マナーを押し出すというのも不可能ではありませんが、リアリティの観点から言うとやはり何かしらの根拠が欲しいところ。

お勧めしたいのは、「ごく狭い範囲でしか通用していないローカルルール、ないし俺ルールを一般的であるかのようにゴリ押す」という手法です。一応、曲りなりにも実際に行われている風習なのですから決して創作ではありません!

名刺の渡し方、挨拶の仕方、書類の作り方。皆さんの周りに、「なんでこんなことやってんだ?」と思えるような、よく意味が分からない風習はありませんか?それ、「マナー発見」チャンスです!

「実は〇〇というやり方は失礼だった!!」「実際には××とするのがビジネスマナー!」「実は〇〇するのが常識だった!」「きちんとした会社ではこうやっている!(実例)」といった文章がテンプレです!ビジネスマンといっても、実際には自分の所作やマナーにそこまで通じている人ばかりではなく、「実は君のそれ間違ってるで」と言われれば案外ぐらついてしまうもの!そこに、実例的で「正しいやり方」というものを提示してあげれば、同じような自信ない人たちに大バズすること間違いなし!

こじつけ的に既存の言葉や所作に「失礼」というラベルを貼るのも非常に有効ですね!「日本人の95%が知らなかった常識」といったテキストがキーワードです!え?多数派が知らなかった時点でそれは常識とは言えないんじゃないかって?大丈夫、常識は人の数だけ存在するのです!

大きくバズったところで、NHKやらyahooやらに捕捉してもらえば更にしめたもの。そこを根拠に、更に当該マナーを展開することができます!マッチポンプマナーの完成ですね!

一つポイントとして、ビジネスマナーには「賞味期限」というものがあります。新しく展開したビジネスマナーは、一定期間で下火になる場合があります。賞味期限切れのビジネスマナーはガンガン否定して再利用していきましょう。過去の自分が言った言葉を否定することを恐れないこと!どうせ誰も「誰が言ったか」なんて覚えていません。

ということで、今日は「ビジネスマナーの作り方」についてお送りしました。参考になったでしょうか?

皆さん、最後まで読んでくださってありがとうございました!
posted by しんざき at 14:27 | Comment(4) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月11日

不倒城を初めて14年が経ちました

14年とかいうと割と長いような気がしますよね。


といっても、継続が力という状況でもなく、書きたいことが特に何もない時は本当に何も書かないのでブログが面倒になるということもなく、「やめていないから一応続いていることになる」というような風味も若干ございます。読んでくださっている皆さん、我慢強いですよね。すごいと思います。

記事数で言うと2133件書いたようです。特になんも掛けるものが思い浮かばない数字ですね。第一次ネオ・ジオン抗争が起きる予定なのが2133年でしたっけ?はてブについては私自身利用しているサービスということもあり、若干思い入れもあるのですが、今まで80000件以上のはてブを頂いているみたいです。ありがたいことです。レトロゲーム記事以外は割とどうでもいいのでレトロゲーム記事にブクマしてください。

流石に14年もやっていると、おそらくアクティブな個人ブログの中ではそこそこ古株の部類になっていると思うんですが、古株としてのなんか偉そうなことを言おうと思ってもあまり偉そうなことが思い浮かびません。誰かなんか偉そうなことを教えてください。パクリます。

一応節目ではあるので、ここ1年でどんなことがあったかをざっくりと振り返ってみます。

・ドラクエライバルズを始めた
・oneshotが面白かった
・イーアルカンフーを遊んだ
・ラクシャさんがとても可愛いと思います
・イーアルカンフーを遊んだ
・長女次女が小学校に入学した
長女次女が自分で絵本を読むようになったがまだ読み聞かせは卒業していない
・ゴールデンウィークの旅行が潰れた分、子どもたちはとしまえんやTDLに連れていった
・イーアルカンフーを遊んだ
・イーアルカンフーを遊んだ

大体こんな感じでしょうか。で、今はSteam版のmhwをやっているわけで、今年も色んなゲームを遊びましたね。引き続き、元気に色んなゲームを遊びたいと思います。

なんにせよ、不倒城は適当運営を旨としておりまして、次の1年も今年に負けないくらいの適当さをもって極めて厳格な適当さを維持していきたいと思いますので、読んでくださっている皆さんも適当によろしくお願いします。

あと、最近はBooks&Appsさんにも定期的に寄稿しておりますので、良かったラそちらもよろしくお願いします。



今日書きたいことはそれくらいです。






posted by しんざき at 00:44 | Comment(4) | 始めたばっか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月08日

我々はどこかで、「努力は無条件で尊い」から「適切でない努力をするべきではない」に思考を切り替えないといけない


例えばの話、「フルマラソンを3時間以内で走らないといけない」という、割と明確な目標があるとするじゃないですか。

ゴールが明確であれば、その為に通らなくてはならない過程、しなくてはならない努力というのも、ある程度明確になる筈です。

当然ながら、長距離走を走る為には長距離走を走る為のトレーニング法というものがあります。

最初はもう少し短い距離を走って、心肺能力を鍛えると共に自分にとって適切なペースを把握して。エコノミーな走り方を身に着ける為のフォームのチェックとか、一定のペースで走った上でスパートをかける訓練とか、まあ色々「適切な努力」というものがある訳です。

で、この時、当然「いやそういうトレーニングはしないよね」というものがある訳でして。間違っても、フルマラソンを走る為にベンチプレスをやったりはしませんし、素振り1000本やったりもしませんよね。まあもうちょっとマシなところで考えても、フルマラソン走る為に100メートルダッシュ毎日10本やりましょう、というのも、全くの無意味とまではいいませんが普通に考えれば不適切な訳です。

厳然たる事実として、努力には「適切な努力」と「適切でない努力」があります。そして、「適切でない努力」をするのは、多くの場合、単に消耗するだけであまり目的に資するところはありません。


端的に言ってしまうと、目標が明確な時、不適切な努力をするのは無駄、無意味です。


当たり前の話ですよね?

ところが、ごく当たり前のことの筈なのに、案外この「当たり前」が動作していないことがあるというか。この、「フルマラソン走らないといけないのに何故かベンチプレスやってる人」レベルに不適切な努力をしている人を、ただ「努力をしている」という一点だけで賞賛する向き、賞賛する人たち、あるいは賞賛を求める人たちというのが、どうも世の中には少なくない数いるようなんですよ。


これ、「努力」という言葉を無条件で尊いもの、貴重なもの、とする思考みたいなものが、かなり根深くあるような気がしています。

勿論、成長のある段階までは、「努力は無条件に尊い」ということにしておくべきである、という側面もあります。これは、「努力」というフレームワーク、それ自体を作る為です。

以前、Books&Appsの安達さんがこんなことを書かれていました。


「迷惑な被災地支援」と「結果だけでなく努力を評価すべき」の根っこは全く同じ

例えば子供に「結果がすべて」と、テストの点数ばかりを追求させ、勉強する努力を無視していたのでは、悪影響があるだろう。実際、
「テストで良い点を取ればご褒美をあげる」と
「本を1冊よんだらご褒美をあげる」
という2種類の声かけをした時、子供の学力向上に効果があるのはどちらなのか、という実験は、「努力を評価すべき」という結論となった。


メンタル的には、「頑張ることは偉い」というメンタルの基本構造とか、「努力」というものに対するイメージモデルみたいなものがないと、多分そもそも「頑張る」ことが出来ないんですよね。努力の基底構造というか、「努力をする」というスタンス自体を形作る為には、努力はそれ自体肯定されるべきです。

また、そもそもゴールが明確でない場合は、当然努力の方向性も明確にならないのだから、どんな努力をしても何かしらのステータス向上に資するものがある、という側面もあるように思います。

だから、例えば小学校の先生は、「努力は無条件に尊い」と教えます。これ自体は、精神力の筋トレのようなものでして、否定されるようなものではないと思います。


ただ、「何かのゴールに向けた努力」ということを考えた時、「不適切な努力というものも存在する」「不適切な努力をするのは、無駄な消耗なので避けるべきである」という風に、どこかのタイミングで頭を切り替えることが、恐らく必要なんじゃないかと思うんですよ。


「努力は無条件で尊い」というスタンスのまま大人になってしまって、色んなところで悪影響が出てしまっている人、というのが、多分結構な数いるような気がします。そういう人たちは、努力それ自体を評価しようとしますし、努力が評価されないと不満を持ちます。また、他者に分かりやすい形で「努力」を見せようとします。

そういう人たちが、往々にして「フルマラソンを走らないといけない場面でベンチプレスを始める」ようなことをします。webで良く見る例でいえば、不効率な作業でひたすら残業をしながら不効率な仕事を頑張ったり、被災地支援で望まれない支援物資を頑張って送ったりということが、その分かりやすいサンプルだと言えるでしょう。

一方、「不適切な努力は評価されないし、するべきでもない」ということが分かっていれば、「じゃあ「正しい努力」というのは何だろう?」「「適切な努力」というのは何だろう?」と考えることが出来ます。言い方を変えると、「ゴールにたどり着く為の適切なトレーニング方法」というものを自分で検討することが出来ます。

この切り替えって、どこかで絶対に必要だと思うんですよね。

私自身は、成長の途中でこの切り替えを行うとすれば、その一番いいタイミングは「受験」なのではないかなあ、と思っています。受験というのは、「実はその後の人生において致命的ではないけれど、主観的には人生懸けるくらい本気で勝負をすることが出来る」という、なかなか貴重な機会です。この時いい感じのアドバイザーがいれば、うまいこと「適切な努力とは何か」という形に頭を切り替えることも出来るんじゃないか、と思っているんですよ。

ただまあ、受験に限らず、「明確に決まった目標」「その目標にどうやれば到達できるか、という思考の訓練」があれば、割とそういう切り替えは出来そうな気がしますので、機会と時期を見て、自分の子どもたちにも「今、どういう努力が一番適切か?」というアドバイスをしてみたい、と思う次第なんです。

長くなりましたが、今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 07:00 | Comment(2) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月06日

子どもにとって「給食」は恐るべき強敵であるという話

大した話ではないです。

最近、家に帰ると、次女がまず喜んで報告しにきてくれることがあります。

こんな内容です。

「きょうのきゅうしょくはー、ななななな、なんと!!!(間)」
「なかないでー、へらさないでー、ぜんぶ食べられました!!」

と言われると、ぱちぱちぱちーと私は盛大な拍手をする訳なんですが。

これ、そもそも何でこういう報告が来るようになったかというと、次女にとって「給食」というのは一大強敵であって、夏休み前くらいまでは毎回給食の前に泣いちゃってたからなんです。

元々、次女にはややデリケートなところがありまして、大人から見ると「ちょっとしたこと」で泣いてしまうことがしばしばありました。

例えば、お絵かきで思うような線が引けなかった時とか。遊びに行くとき、持っていくつもりだったおもちゃを忘れてしまった時とか。

勿論、大人から見れば「ちょっとしたこと」であっても、子どもからすればそれは一大事なのです。なので、泣いたらその都度慰めつつ、少しずつ世界と自分の想定のギャップを埋められるようになるといいなあと思っていました。

で、小学校に行き始めて、何で泣いているかというと給食です。どうも、特に4月、5月の頃は、給食の前に毎回泣いてしまっていたらしいんです。

理由を聞いてみると、「食べきれるか不安になっちゃうから」ということらしくって。量を減らせば、食べようと思えば全部食べられるようなんですが、それでも涙は出てしまう様子。

最初は「先生によほどプレッシャーをかけられているんだろうか?」とちょっと心配したんですが、話を聞いてみるとそういう訳でもなく。まあ確かに「残さず食べられるように頑張ろうね」くらいのことは(全員向けの言葉として)言われているのでしょうが、無理してまで食え食えという感じでもありません。それでも、次女にとっては「給食」というのは大変なプレッシャーだったんです。

よく考えてみると、多くの子どもにとって、小学校の給食というのはほぼ初めての「自分用にカスタマイズされたわけではない」ご飯なんですよね。

例えば幼稚園のお弁当であれば、量も入っている食べ物も、割と柔軟にカスタマイズしてもらえます。勿論家庭の方針次第ですが、どうしても食べられないものは入れないでもらえるし、食べきれる量は大体親に把握されているでしょう。これは勿論外食の時も、自宅でのご飯の時も大体同じです。

そこに対して、初めて「(多少の調整は出来るものの)自分だけにカスタマイズされたわけではない、対集団用のご飯」に相対しなくてはいけないと。それは確かにめげてしまう子が出ても不思議ではないなーと。

次女、別に好き嫌いが多いとか、アレルギーで食べられないものがあるという訳じゃないんですよ。大抵のものは食べられる。ただ、元々小柄なのであんまり量が食べられない。その辺は当然、この先の成長との、栄養学的なせめぎ合いでもあります。

なので、奥様や担任の先生とも相談しまして、当面食べきれるように量は減らすけれど、少しずつ減らさないで食べられるようになれるといいなーと。そんな感じで見守っていたわけです。

すると、新学期になってのここ最近、「泣かなかった!」「減らさないで食べきれた!!」と報告されることが増え、ついには「今日はおかわり出来た!!!!」なんて言葉まで飛び出すようになりまして、まあ最近ようやく一安心、という次第だったわけです。

「毎日泣いてる」ということを聞いた時には、ちょっとこれ大丈夫かな、何か対策を考えないといけないかな、と慌てたりもしたんですが、今のところは、長い目で見ることにしてよかったなーと。

ニコニコ顔の次女を見てほっとした、という、それだけの話だったのです。

ちなみに、デリケートな次女に対して長女はかなりマイペースでして、実際食事中に気が散りまくるので食べ終わるのは次女以上に遅いんですが、本人今のところ何も気にしている様子はなく、「今日の〇〇はおいしかった」「××はちょっと嫌いだった」とか報告してくれます。こちらはこちらでゆっくり見守って参りたいと思います。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 08:57 | Comment(3) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月02日

Webで発言すると勝手に声が大きくなってしまうことがある問題

いやこれ、分かっている人にとっては常識だと思うんですが、定期的に注意喚起が必要っていうか、分かっていない人も常時popし続けるのがwebですので、言わずもがなを承知でちょっと書いてみます。

界隈をうろついていると、「ちょっとした独り言のつもりだったのに大炎上」という案件をよく見かけます。

「ちょっと自分の心情を吐露しただけなのに、何故かたくさんの人に呼び掛けたみたいなことになってる」という状況もよく見かけます。

ブログで、SNSで、「独り言のつもりだったのに」という言葉に類する発言はしばしば観測出来ます。実際、炎上発言の多くは、往々にして「不特定多数に対する呼びかけ」ではなく「自分ひとりの思考」だったりします(勿論、皆に賛同してもらえると思って狙って発言したら意に沿わず大炎上、というパターンもしばしばありますが、ここでは置いておきます)。

当然のこととして認識しておくべきなのですが、ブログだろうがSNSだろうが、基本的に、「自分の声が広まるかどうか」を自分はコントロールすることが出来ません

それは、
・多くのフォロワーを持ったインフルエンサーに、自分の声が拾われるかどうか
・自分の声が、それを受け取った多くの人の興味を引くかどうか
・受け取った人が、その声を拡散したいという気分になるかどうか

といった、自分のコントロール外の要素に依存します。勿論、自分自身が多くのフォロワーを持ったインフルエンサーであれば話は若干違いますが、そういう人はこんなことで悩まないと思うのでここでは除外します。

これは、当然のことながら「狙った発言でも広範囲に広まるとは限らない」ということですし、逆に「全く狙ってない発言でも広範囲に広まるかも知れない」ということです。

こればっかりは、オープンで発言しようとする限りは、実のところどうしようもないことです。自分の発言は、常にガンスルーされ得るし、一方常に大拡散され得る。勿論、「今の発言は、皆に呼び掛けた訳ではなく独り言のつもりだったんだ!!」と主張するのはその人の自由ですが、それで拡散を止められることはまずありません。

厄介なことに、webに限らず、「自分の言葉が、自分の意図通り伝わるとは限らない問題」というものもありまして、文章をどのように受け取るかは基本的に受け手主体の話であって、書き手がコントロールできる範囲は限られています。「本当はこういう意図だったんだ!!」と主張することは当然可能ですが、それが拡散された発言以上に拡散されるケースは希少です。

手前味噌ですが、以前、こんなことを書きました。


言葉は伝わらない。それはもう驚く程に伝わらない。これは、本だろうがブログだろうがテレビだろうが人狼会だろうが、およそ言葉を使ってコミュニケーションをとる際の、ありとあらゆる場所で頭に入れておくべき大前提だと私は考えている。


つまり、「自分の発言が広まれば広まる程、自分の意図通りでない読み方をされる可能性も増える」ということです。当然、文字数が少なければ少ない程自分の意図も伝えにくくなるわけで、発言の一部だけが切り取られやすいTwitterなんか、伝わらない度合はより一層顕著になるでしょう。

要は、

・自分の発言は、自分にはコントロール出来ない範囲で大拡散するかも知れない
・拡散されればされる程、自分の意図通りではない形で自分の言葉が受け取られる可能性も高まる
・それに対して文句を言うことは当然可能だが、その文句が広く認識されるかどうかは運次第

ということなんです。面倒くさい話ですよね。

とすれば、「拡散される可能性があることを承知して、リスクを受け入れる」か、「拡散された時のことを考えた発言をして、なるべくリスクを低減する」か、webで発言する以上はこの二択ということになるでしょう。少なくとも、「自分の発言は、いついかなる時でも大拡散され得るし、それについて文句を言っても無駄」ということくらいは、webで発言する以上はわきまえておくべきだと思うのです。

私自身は、今の「不適切発言だ!燃やせー!!」的な、世紀末世界観チックな潮流があまり好きではありません。発言は出来るだけ意図通りに伝わって欲しいですし、発言に対する批判は出来れば落ち着いてやり取りできるといいなあと思っています。エブリディ焼畑農業、炎上即垢消しが規定ルートみたいなwebはちょっとどうかと考えざるを得ません。

ただ、私自身の希望とは別に、現状webがこうなっている、ということ自体は仕方ない事実として認識するべきですし、認識した上で自衛するかどうかを判断するべきだと思っています。だからこんな、「何を今更」みたいな記事を書いた次第です。

皆さんが快適なweb生活を送れることを願って止みません。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 07:00 | Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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