2018年11月16日

さくらんぼ計算は、出来ない子を出来るようにするための最終兵器でした

これの話なんですけどね。

これ、大人が「くだらんこと」って言っちゃうのは分かるんです。6+7を計算する為に、なんでこんな面倒くさいことをするんだ?って思いますよね。実際、小学1年生の時点でも、「こんなこと何でするの?普通に計算すればいいじゃん」って思う子、結構いると思います。

ただ、このやり方自体は、一概に「くだらないこと」とは言い切れない。実際、算数の一番最初で躓いちゃう子にとって、このやり方が救いの糸になったりするケース、あるんですよ。

そもそもこれ、何のためにやるかって皆さん分かりますか?要は、「10を作れるペアを覚えましょう」「足す数を分解して、取り敢えず10を作りましょう」「残った数を10に足しましょう。そしたら簡単でしょ?」っていうやり方なんです。

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何度か書いてるんですが、昔、補習塾で講師のアルバイトをしていました。補習塾っていうのは、進学塾の対義語みたいなもんで、学校の授業についていけない子を救い上げることを主な目的とする塾です。

そこで知ったことが、「世の中には、想像以上に初歩の段階で勉強に躓いじゃってる子がたくさんいる」ってことでした。算数は特にそれが顕著でして、躓いたところを解決出来ないままなんとなく先に進んでしまって、あとから取り返すのが困難になる程負債を抱えてしまった子、たくさんいました。小5で二桁の掛け算が理解出来ない子もいれば、中学生なのに割り算の筆算が曖昧、という子もいました。

で、「元を辿ればここで躓いたね」っていうのを一つ一つ発掘して、それを最初の方から潰していくことが主要なミッションになるんですが、その一つのポイントとして「足し算の繰り上がり」「引き算の繰り下がり」って結構バカにならない頻度であったんですよ。つまり、早い学習段階で、「繰り上がり」っていうものをいい加減に済ませてしまったばかりにあとでめっちゃ苦労する、っていう子です。小4くらいでも普通にいました。

足し算の繰り上がりって案外バカにならない概念でして、子どもって基本「自分の指」を基点に計算するんで、10を超えない足し算、引き算はそんなに苦戦しないんですね。少し繰り返してると大体丸々覚えちゃう。「頭の中に回路が出来る」ってやつです。

けど、「10を超える数」を机上で計算するのって、いきなり子どもにとってのレベルが上がるんです。つまり、「数のやり取り」というのを頭の中でやらなくてはいけなくなるからです。

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「わかんない」ことに向き合うのって、すっごく辛いんですよ。しかも、学習の初歩の段階で、周囲がさくさく出来るようになっていって、うっかりすると先生にまで「なんでこんなことわかんないんだ?」って言われると、本人的にもすっごくストレスになる。だから、子どもによっては、6+8とかの問題の前で固まっちゃったりする。これがトラウマになって勉強自体嫌いになったりすると、更にリカバリが難しくなる。分かりやすい悪循環ですよね。

時間がない側の大人が、痺れを切らして「ほら、6+8は14でしょ?」とか言っちゃって、本人もなんとなくそれで宿題とか出しちゃって、誰も拾えないまんま学習段階が進んじゃう、とか凄いあるあるなんです。

実際、これを解決する方法って「数をこなして反射的に出来るようになる」しかないんですけど、数をこなすためにもハードルを下げてあげないといけないんですね。

その、「ハードルを下げる」手法って色々あるんですが、その一つがこの「さくらんぼ計算」なんです。私が塾で教えてた頃は、そもそも「さくらんぼ計算」とは呼んでなかったし、教えてない小学校も普通だったと思うんですけど、今学習要領とか変わったんですかね?すいませんその辺は曖昧なんですが。

このやり方、「10を作ることは出来る」「10に一桁の数を足すのは簡単」なんで、辛うじて「答えを導く」ところまではもっていけるんですよ。

これを突破口にして、とにかく数をこなす。で、パターン学習みたいな感じで、その内繰り上がりに対する苦手意識が消える。繰り上がりが分からない子を救い上げるための最終兵器だったんですよね。

ちなみにこれ、考え方自体はもっとでかい数とか、あるいは引き算にも応用できます。384 + 86を384 + (16 + 70)にしちゃう、みたいなやり方ですね。繰り上がりってとにかく引っかかりやすいところなんで、なるべく楽に計算できるようにしましょう、ってのは割とスタンダードな考え方なんですよ。

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勿論、これは「分からない子の為の補助器具」みたいなものなんで、別に強制する必然性はありません。分かる子は普通にやっちゃえばいい。それについて異存はありません。

ただ、小学校の先生ってのも大変な仕事でして、能力も要領のよさもバラッバラな子を30人とか一度に教えないといけないんで、一人一人の学習段階を細やかに気遣うって正直結構無理ゲーに近いと思うんですよ。私なんて3,4人でも十二分にしんどかったですもん。

そういう点で、「躓く子を出すよりは低い子に合わせる」という選択をとるのは、一つの止むを得ざるやり方だと思いますし、後々の応用範囲を考えれば「取り敢えずさくらんぼ計算のやり方はきっちり覚えておきましょう」というケースが発生することも、そんなにおかしな話ではないと思います。

まあ、こういうやり方もあるよ便利だよ、けど違うやり方でやってもいいよ、という方が教え方として理想だとは思いますけどね。結構難しいんですよ色々。

算数嫌いの小学生が、一人でも算数苦手を克服出来ますように、と祈らずにはいられません。うちの長女次女もぼちぼち繰り下がりのある引き算とかやってるんで、宿題を観ながらそんなことを考えていたわけです。

「さくらんぼ計算」自体は決してくだらないやり方じゃないよ、これを早い段階で教えるっていうのもアリだと思うよっていう話でした。

今日書きたいことはそれくらいです。






posted by しんざき at 12:07 | Comment(4) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月15日

BOSEのbluetoothイヤホン「SoundSportFree」が届きました

わーい。

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どういう経緯かと言いますと、先日スマホ変えたんですよ。XperiaのXZ2に。


で、XZ2って、普通のイヤホンジャックないんです。一応、同梱品にイヤホンジャックをUSB-cに変換するアダプタが入ってるんで、それ経由で繋げることは繋げるんですけど。

ただ、私、幾つかの端末でイヤホン使いまわすことが多いんで、いちいちアダプタつけたり外したりっていうのも煩雑だなー、どうせだからbluetoothイヤホン欲しいなー、けどどれも結構いい値段するなー、って感じで迷ってたんです。

で、ふと思いついてクレジットカードのポイント見たら、ポイントでBOSEのイヤホンが交換出来ることに気づきまして。私、基本的にポイントというものを有効利用出来ない人間なんでもう何年も溜めっぱなしだったんですが、こりゃいいタイミングだと思ったんで交換してみたんです。これです。



普通に買うと結構いいお値段するんですよね。いや、bluetoothイヤホンってどれも割と高いですけど。

折角買ったんで、軽く使用感とか感想を書いてみようと思ったわけです。ただ、しんざきは一応音楽奏者でありながら決してオーディオ機器に通じているとは言えず、特に音質とかについては(※素人の感想です)という注釈をすべてのテキストに付け加えた方が良さそうな有様ですので、その点については割り引いて読んでください。

1.充電周りとかケースとか


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こんな感じで、ケースの中にイヤホンが二つ、ぴたっと収まるようになっています。

これ、ケースがイヤホンの充電器を兼ねていて、ケース自体もUSB-Cで充電できるようになっていまして。ケースが満充電されていると、大体イヤホンを2回充電できるそうです。イヤホン自体の稼働時間は満充電で最大5時間。まあ、移動しながら音楽聴いたりゲームしたりする分には十分な時間である気がします。

ケース自体も結構高級感ありまして、オフィスの机の上にぽんっとおいておいても違和感がない見た目。大きさ的には掌に軽く握り込めるくらいで、ポケットに放り込んで移動する分にも苦労がありません。取りあえず、「スマートに持ち歩ける」という要件は完璧に満たしていると言って良さそうな気がします。


2.イヤホン自体とか音質とか

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肝心のイヤホンはというと。

作りは耳に押し込む感じになっておりまして、ゴムの部分にS/M/Lのパーツが付属しており入れ替えられるようになっている為、耳が小さい人・大きい人に関わらず、着用感はちゃんとフィットしそうです。少なくとも私について言えば、つけたままでも全然違和感がなく、動き回っても全く抜け落ちず、とてもいい感じに着用出来ています。スポーツしながら使うことを想定しているようなのでそこは流石という感じ。

ケースから取り出すと自動でペアリング準備状態になるようで、ペアリングはあっさり出来ました。スマホ用のコネクトアプリがあるのですが、別にインストールしなくても困りません。ただ、紛失用の位置情報追跡機能とかあるようなので、そちらを使う人はアプリを入れてもいいんじゃないかと思います。

音質は、すいません素人の感想なのでと断った上でなんですが、「めっちゃいい」という一言になります。今まで使ってた安物のイヤホンとは雲泥の差なのは当然のことながら、うっかりすると以前買った割とちゃんとしたヘッドフォンにも比肩するくらい、音がやたら綺麗に聞こえます。ベース音、ドラム音なんかもかなり強烈に響いてきまして、ああこの曲こんなにベース強かったのか今までごめんなさいという感じ。

bluetoothなので電波干渉なんかもあるのかも知れませんが、机の上においたスマホで音楽を流しながら作業する分には、全く途切れや雑音はありませんでした。電子レンジとか使ってたらどうか分かりませんが。

着用感についても、「ああ、ケーブルがないってこんなに楽なんだ」と軽く感動しました。ケーブルが絡まる心配がないというのもさることながら、何かに引っかかったり振り回されたり、ということもないのでストレスフリー。これはまあ、完全ワイヤレスのイヤホンならどれも同じですが、個人的には満足感がとても高いです。

一応、一部のスマホとペアリングをした時に左耳用のイヤホンから音が聴こえない時がある、みたいな情報を見ましたので、気になる方はFAQを見てみてください。私のXperia XZ2だと特に問題が発生しませんでした。



3.マルチペアリング

このイヤフォンを選んだ重要な理由の一つとして、「マルチペアリングの機能がある」ということがありました。つまり、複数の端末と同時にペアリングして、機器を切り替えられるらしいんですね。最大七台までペアリング出来るみたいです。

早速、ノートPCとスマホ両方にペアリングしてみました。

左側のイヤホンの後ろにファンクションキーがありまして、それを押すと「今ペアリングされている機器」を女性の声で喋ってくれます。もう一度押すと次の機器に順番に切り替わるという形です。

期待通りといいますか、この機能めっちゃ便利です。

上でも書いたんですが、私、イヤホンを複数の端末で使いまわすことが多いんですよ。移動中はスマホで音楽聴いて、ついたらノートPCに切り替えてゲームして、みたいな。なので、いちいち付け替えるのが結構手間になるんですね。普通のbluetoothイヤホンだといちいちペアリングを切らないといけないらしいのでその点も不便。

その切り替えがほぼワンタッチで、ペアリングしたまま出来るので、非常にあっさりと端末間での使いまわしが出来るようになりました。大満足。

ただ、切り替えの際には端末名を聴きながら切り替えないといけないので、台数が多くなってくるとそれはそれで煩雑になるかも知れません。私は多分最大3台しかペアリングはしないので多分大丈夫。


ということで、ざっと書いて参りました。イヤホンとしても結構お高いので、手放しにお勧め出来るかというと難しいですが、私のように複数機器でのイヤホン使いまわしをしつつ音質も出来ればいい方が、みたいな希望がある方は、ちょっとご検討されてもよいのではないかと思った次第です。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 12:21 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月14日

マッチポンプビジネスマナーを作ろう!

ビジネスマナーを作りましょう!

皆さん、読者や受講者に「そうだったのか!」「知らなかった!」と思ってもらえる題材に困っていませんか?

人間、今まで自分が特に根拠なく信じていたものについて、「実は間違っていた〇〇」という形で情報を提示されると、新しい方に大した根拠がなくても「そうだったのか!」と思ってしまいやすいものです。そういう情報はとても受けますしバズりやすいです。是非そういう情報をガンガン発信出来るようになりたいですね!!

今回特にお勧めしたい分野は「ビジネスマナー」です。

ビジネス関連のTIPSというのは、マニュアル体質の人にとって特に刺さりやすく、「役立つ情報」として拾われやすい分野です。バズ成功率も自然と高まるというものです。

え?マナーなんて最初からコンセンサスがあるものであって、新しく作るようなものじゃないんじゃないか、ですって?それがそうでもないんです。

ビジネスマナーは、作れる!!

手順は大略、以下のようなものです。

1.一般的ではないビジネスマナーを「発見」する、ないし既存のなんとなく定着している所作について否定する
2.それを大々的に「実は〇〇だった××」という形で展開する
3.それを見たビジネスマンが、「そうだったのか」と信じ込む
4.そのマナーを実際に行う人が増える、ないしそのマナーを聞きかじった人が他人に対して「それ実は失礼だよ」と指摘する
5.結果的にそのマナーがなんとなく定着する

マナーが定着してしまえば、それをネタに更に一稼ぎすることができます!なんならマナー本まで書けちゃうかも!!

一番重要なのは、まずなによりも「マナー発見」のパートです。


1.一般的ではないビジネスマナーを「発見」する、ないし既存のなんとなく定着している所作について否定する


これについて、全くの創作マナーを押し出すというのも不可能ではありませんが、リアリティの観点から言うとやはり何かしらの根拠が欲しいところ。

お勧めしたいのは、「ごく狭い範囲でしか通用していないローカルルール、ないし俺ルールを一般的であるかのようにゴリ押す」という手法です。一応、曲りなりにも実際に行われている風習なのですから決して創作ではありません!

名刺の渡し方、挨拶の仕方、書類の作り方。皆さんの周りに、「なんでこんなことやってんだ?」と思えるような、よく意味が分からない風習はありませんか?それ、「マナー発見」チャンスです!

「実は〇〇というやり方は失礼だった!!」「実際には××とするのがビジネスマナー!」「実は〇〇するのが常識だった!」「きちんとした会社ではこうやっている!(実例)」といった文章がテンプレです!ビジネスマンといっても、実際には自分の所作やマナーにそこまで通じている人ばかりではなく、「実は君のそれ間違ってるで」と言われれば案外ぐらついてしまうもの!そこに、実例的で「正しいやり方」というものを提示してあげれば、同じような自信ない人たちに大バズすること間違いなし!

こじつけ的に既存の言葉や所作に「失礼」というラベルを貼るのも非常に有効ですね!「日本人の95%が知らなかった常識」といったテキストがキーワードです!え?多数派が知らなかった時点でそれは常識とは言えないんじゃないかって?大丈夫、常識は人の数だけ存在するのです!

大きくバズったところで、NHKやらyahooやらに捕捉してもらえば更にしめたもの。そこを根拠に、更に当該マナーを展開することができます!マッチポンプマナーの完成ですね!

一つポイントとして、ビジネスマナーには「賞味期限」というものがあります。新しく展開したビジネスマナーは、一定期間で下火になる場合があります。賞味期限切れのビジネスマナーはガンガン否定して再利用していきましょう。過去の自分が言った言葉を否定することを恐れないこと!どうせ誰も「誰が言ったか」なんて覚えていません。

ということで、今日は「ビジネスマナーの作り方」についてお送りしました。参考になったでしょうか?

皆さん、最後まで読んでくださってありがとうございました!
posted by しんざき at 14:27 | Comment(3) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月11日

不倒城を初めて14年が経ちました

14年とかいうと割と長いような気がしますよね。


といっても、継続が力という状況でもなく、書きたいことが特に何もない時は本当に何も書かないのでブログが面倒になるということもなく、「やめていないから一応続いていることになる」というような風味も若干ございます。読んでくださっている皆さん、我慢強いですよね。すごいと思います。

記事数で言うと2133件書いたようです。特になんも掛けるものが思い浮かばない数字ですね。第一次ネオ・ジオン抗争が起きる予定なのが2133年でしたっけ?はてブについては私自身利用しているサービスということもあり、若干思い入れもあるのですが、今まで80000件以上のはてブを頂いているみたいです。ありがたいことです。レトロゲーム記事以外は割とどうでもいいのでレトロゲーム記事にブクマしてください。

流石に14年もやっていると、おそらくアクティブな個人ブログの中ではそこそこ古株の部類になっていると思うんですが、古株としてのなんか偉そうなことを言おうと思ってもあまり偉そうなことが思い浮かびません。誰かなんか偉そうなことを教えてください。パクリます。

一応節目ではあるので、ここ1年でどんなことがあったかをざっくりと振り返ってみます。

・ドラクエライバルズを始めた
・oneshotが面白かった
・イーアルカンフーを遊んだ
・ラクシャさんがとても可愛いと思います
・イーアルカンフーを遊んだ
・長女次女が小学校に入学した
長女次女が自分で絵本を読むようになったがまだ読み聞かせは卒業していない
・ゴールデンウィークの旅行が潰れた分、子どもたちはとしまえんやTDLに連れていった
・イーアルカンフーを遊んだ
・イーアルカンフーを遊んだ

大体こんな感じでしょうか。で、今はSteam版のmhwをやっているわけで、今年も色んなゲームを遊びましたね。引き続き、元気に色んなゲームを遊びたいと思います。

なんにせよ、不倒城は適当運営を旨としておりまして、次の1年も今年に負けないくらいの適当さをもって極めて厳格な適当さを維持していきたいと思いますので、読んでくださっている皆さんも適当によろしくお願いします。

あと、最近はBooks&Appsさんにも定期的に寄稿しておりますので、良かったラそちらもよろしくお願いします。



今日書きたいことはそれくらいです。






posted by しんざき at 00:44 | Comment(4) | 始めたばっか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月08日

我々はどこかで、「努力は無条件で尊い」から「適切でない努力をするべきではない」に思考を切り替えないといけない


例えばの話、「フルマラソンを3時間以内で走らないといけない」という、割と明確な目標があるとするじゃないですか。

ゴールが明確であれば、その為に通らなくてはならない過程、しなくてはならない努力というのも、ある程度明確になる筈です。

当然ながら、長距離走を走る為には長距離走を走る為のトレーニング法というものがあります。

最初はもう少し短い距離を走って、心肺能力を鍛えると共に自分にとって適切なペースを把握して。エコノミーな走り方を身に着ける為のフォームのチェックとか、一定のペースで走った上でスパートをかける訓練とか、まあ色々「適切な努力」というものがある訳です。

で、この時、当然「いやそういうトレーニングはしないよね」というものがある訳でして。間違っても、フルマラソンを走る為にベンチプレスをやったりはしませんし、素振り1000本やったりもしませんよね。まあもうちょっとマシなところで考えても、フルマラソン走る為に100メートルダッシュ毎日10本やりましょう、というのも、全くの無意味とまではいいませんが普通に考えれば不適切な訳です。

厳然たる事実として、努力には「適切な努力」と「適切でない努力」があります。そして、「適切でない努力」をするのは、多くの場合、単に消耗するだけであまり目的に資するところはありません。


端的に言ってしまうと、目標が明確な時、不適切な努力をするのは無駄、無意味です。


当たり前の話ですよね?

ところが、ごく当たり前のことの筈なのに、案外この「当たり前」が動作していないことがあるというか。この、「フルマラソン走らないといけないのに何故かベンチプレスやってる人」レベルに不適切な努力をしている人を、ただ「努力をしている」という一点だけで賞賛する向き、賞賛する人たち、あるいは賞賛を求める人たちというのが、どうも世の中には少なくない数いるようなんですよ。


これ、「努力」という言葉を無条件で尊いもの、貴重なもの、とする思考みたいなものが、かなり根深くあるような気がしています。

勿論、成長のある段階までは、「努力は無条件に尊い」ということにしておくべきである、という側面もあります。これは、「努力」というフレームワーク、それ自体を作る為です。

以前、Books&Appsの安達さんがこんなことを書かれていました。


「迷惑な被災地支援」と「結果だけでなく努力を評価すべき」の根っこは全く同じ

例えば子供に「結果がすべて」と、テストの点数ばかりを追求させ、勉強する努力を無視していたのでは、悪影響があるだろう。実際、
「テストで良い点を取ればご褒美をあげる」と
「本を1冊よんだらご褒美をあげる」
という2種類の声かけをした時、子供の学力向上に効果があるのはどちらなのか、という実験は、「努力を評価すべき」という結論となった。


メンタル的には、「頑張ることは偉い」というメンタルの基本構造とか、「努力」というものに対するイメージモデルみたいなものがないと、多分そもそも「頑張る」ことが出来ないんですよね。努力の基底構造というか、「努力をする」というスタンス自体を形作る為には、努力はそれ自体肯定されるべきです。

また、そもそもゴールが明確でない場合は、当然努力の方向性も明確にならないのだから、どんな努力をしても何かしらのステータス向上に資するものがある、という側面もあるように思います。

だから、例えば小学校の先生は、「努力は無条件に尊い」と教えます。これ自体は、精神力の筋トレのようなものでして、否定されるようなものではないと思います。


ただ、「何かのゴールに向けた努力」ということを考えた時、「不適切な努力というものも存在する」「不適切な努力をするのは、無駄な消耗なので避けるべきである」という風に、どこかのタイミングで頭を切り替えることが、恐らく必要なんじゃないかと思うんですよ。


「努力は無条件で尊い」というスタンスのまま大人になってしまって、色んなところで悪影響が出てしまっている人、というのが、多分結構な数いるような気がします。そういう人たちは、努力それ自体を評価しようとしますし、努力が評価されないと不満を持ちます。また、他者に分かりやすい形で「努力」を見せようとします。

そういう人たちが、往々にして「フルマラソンを走らないといけない場面でベンチプレスを始める」ようなことをします。webで良く見る例でいえば、不効率な作業でひたすら残業をしながら不効率な仕事を頑張ったり、被災地支援で望まれない支援物資を頑張って送ったりということが、その分かりやすいサンプルだと言えるでしょう。

一方、「不適切な努力は評価されないし、するべきでもない」ということが分かっていれば、「じゃあ「正しい努力」というのは何だろう?」「「適切な努力」というのは何だろう?」と考えることが出来ます。言い方を変えると、「ゴールにたどり着く為の適切なトレーニング方法」というものを自分で検討することが出来ます。

この切り替えって、どこかで絶対に必要だと思うんですよね。

私自身は、成長の途中でこの切り替えを行うとすれば、その一番いいタイミングは「受験」なのではないかなあ、と思っています。受験というのは、「実はその後の人生において致命的ではないけれど、主観的には人生懸けるくらい本気で勝負をすることが出来る」という、なかなか貴重な機会です。この時いい感じのアドバイザーがいれば、うまいこと「適切な努力とは何か」という形に頭を切り替えることも出来るんじゃないか、と思っているんですよ。

ただまあ、受験に限らず、「明確に決まった目標」「その目標にどうやれば到達できるか、という思考の訓練」があれば、割とそういう切り替えは出来そうな気がしますので、機会と時期を見て、自分の子どもたちにも「今、どういう努力が一番適切か?」というアドバイスをしてみたい、と思う次第なんです。

長くなりましたが、今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 07:00 | Comment(2) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月06日

子どもにとって「給食」は恐るべき強敵であるという話

大した話ではないです。

最近、家に帰ると、次女がまず喜んで報告しにきてくれることがあります。

こんな内容です。

「きょうのきゅうしょくはー、ななななな、なんと!!!(間)」
「なかないでー、へらさないでー、ぜんぶ食べられました!!」

と言われると、ぱちぱちぱちーと私は盛大な拍手をする訳なんですが。

これ、そもそも何でこういう報告が来るようになったかというと、次女にとって「給食」というのは一大強敵であって、夏休み前くらいまでは毎回給食の前に泣いちゃってたからなんです。

元々、次女にはややデリケートなところがありまして、大人から見ると「ちょっとしたこと」で泣いてしまうことがしばしばありました。

例えば、お絵かきで思うような線が引けなかった時とか。遊びに行くとき、持っていくつもりだったおもちゃを忘れてしまった時とか。

勿論、大人から見れば「ちょっとしたこと」であっても、子どもからすればそれは一大事なのです。なので、泣いたらその都度慰めつつ、少しずつ世界と自分の想定のギャップを埋められるようになるといいなあと思っていました。

で、小学校に行き始めて、何で泣いているかというと給食です。どうも、特に4月、5月の頃は、給食の前に毎回泣いてしまっていたらしいんです。

理由を聞いてみると、「食べきれるか不安になっちゃうから」ということらしくって。量を減らせば、食べようと思えば全部食べられるようなんですが、それでも涙は出てしまう様子。

最初は「先生によほどプレッシャーをかけられているんだろうか?」とちょっと心配したんですが、話を聞いてみるとそういう訳でもなく。まあ確かに「残さず食べられるように頑張ろうね」くらいのことは(全員向けの言葉として)言われているのでしょうが、無理してまで食え食えという感じでもありません。それでも、次女にとっては「給食」というのは大変なプレッシャーだったんです。

よく考えてみると、多くの子どもにとって、小学校の給食というのはほぼ初めての「自分用にカスタマイズされたわけではない」ご飯なんですよね。

例えば幼稚園のお弁当であれば、量も入っている食べ物も、割と柔軟にカスタマイズしてもらえます。勿論家庭の方針次第ですが、どうしても食べられないものは入れないでもらえるし、食べきれる量は大体親に把握されているでしょう。これは勿論外食の時も、自宅でのご飯の時も大体同じです。

そこに対して、初めて「(多少の調整は出来るものの)自分だけにカスタマイズされたわけではない、対集団用のご飯」に相対しなくてはいけないと。それは確かにめげてしまう子が出ても不思議ではないなーと。

次女、別に好き嫌いが多いとか、アレルギーで食べられないものがあるという訳じゃないんですよ。大抵のものは食べられる。ただ、元々小柄なのであんまり量が食べられない。その辺は当然、この先の成長との、栄養学的なせめぎ合いでもあります。

なので、奥様や担任の先生とも相談しまして、当面食べきれるように量は減らすけれど、少しずつ減らさないで食べられるようになれるといいなーと。そんな感じで見守っていたわけです。

すると、新学期になってのここ最近、「泣かなかった!」「減らさないで食べきれた!!」と報告されることが増え、ついには「今日はおかわり出来た!!!!」なんて言葉まで飛び出すようになりまして、まあ最近ようやく一安心、という次第だったわけです。

「毎日泣いてる」ということを聞いた時には、ちょっとこれ大丈夫かな、何か対策を考えないといけないかな、と慌てたりもしたんですが、今のところは、長い目で見ることにしてよかったなーと。

ニコニコ顔の次女を見てほっとした、という、それだけの話だったのです。

ちなみに、デリケートな次女に対して長女はかなりマイペースでして、実際食事中に気が散りまくるので食べ終わるのは次女以上に遅いんですが、本人今のところ何も気にしている様子はなく、「今日の〇〇はおいしかった」「××はちょっと嫌いだった」とか報告してくれます。こちらはこちらでゆっくり見守って参りたいと思います。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 08:57 | Comment(3) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月02日

Webで発言すると勝手に声が大きくなってしまうことがある問題

いやこれ、分かっている人にとっては常識だと思うんですが、定期的に注意喚起が必要っていうか、分かっていない人も常時popし続けるのがwebですので、言わずもがなを承知でちょっと書いてみます。

界隈をうろついていると、「ちょっとした独り言のつもりだったのに大炎上」という案件をよく見かけます。

「ちょっと自分の心情を吐露しただけなのに、何故かたくさんの人に呼び掛けたみたいなことになってる」という状況もよく見かけます。

ブログで、SNSで、「独り言のつもりだったのに」という言葉に類する発言はしばしば観測出来ます。実際、炎上発言の多くは、往々にして「不特定多数に対する呼びかけ」ではなく「自分ひとりの思考」だったりします(勿論、皆に賛同してもらえると思って狙って発言したら意に沿わず大炎上、というパターンもしばしばありますが、ここでは置いておきます)。

当然のこととして認識しておくべきなのですが、ブログだろうがSNSだろうが、基本的に、「自分の声が広まるかどうか」を自分はコントロールすることが出来ません

それは、
・多くのフォロワーを持ったインフルエンサーに、自分の声が拾われるかどうか
・自分の声が、それを受け取った多くの人の興味を引くかどうか
・受け取った人が、その声を拡散したいという気分になるかどうか

といった、自分のコントロール外の要素に依存します。勿論、自分自身が多くのフォロワーを持ったインフルエンサーであれば話は若干違いますが、そういう人はこんなことで悩まないと思うのでここでは除外します。

これは、当然のことながら「狙った発言でも広範囲に広まるとは限らない」ということですし、逆に「全く狙ってない発言でも広範囲に広まるかも知れない」ということです。

こればっかりは、オープンで発言しようとする限りは、実のところどうしようもないことです。自分の発言は、常にガンスルーされ得るし、一方常に大拡散され得る。勿論、「今の発言は、皆に呼び掛けた訳ではなく独り言のつもりだったんだ!!」と主張するのはその人の自由ですが、それで拡散を止められることはまずありません。

厄介なことに、webに限らず、「自分の言葉が、自分の意図通り伝わるとは限らない問題」というものもありまして、文章をどのように受け取るかは基本的に受け手主体の話であって、書き手がコントロールできる範囲は限られています。「本当はこういう意図だったんだ!!」と主張することは当然可能ですが、それが拡散された発言以上に拡散されるケースは希少です。

手前味噌ですが、以前、こんなことを書きました。


言葉は伝わらない。それはもう驚く程に伝わらない。これは、本だろうがブログだろうがテレビだろうが人狼会だろうが、およそ言葉を使ってコミュニケーションをとる際の、ありとあらゆる場所で頭に入れておくべき大前提だと私は考えている。


つまり、「自分の発言が広まれば広まる程、自分の意図通りでない読み方をされる可能性も増える」ということです。当然、文字数が少なければ少ない程自分の意図も伝えにくくなるわけで、発言の一部だけが切り取られやすいTwitterなんか、伝わらない度合はより一層顕著になるでしょう。

要は、

・自分の発言は、自分にはコントロール出来ない範囲で大拡散するかも知れない
・拡散されればされる程、自分の意図通りではない形で自分の言葉が受け取られる可能性も高まる
・それに対して文句を言うことは当然可能だが、その文句が広く認識されるかどうかは運次第

ということなんです。面倒くさい話ですよね。

とすれば、「拡散される可能性があることを承知して、リスクを受け入れる」か、「拡散された時のことを考えた発言をして、なるべくリスクを低減する」か、webで発言する以上はこの二択ということになるでしょう。少なくとも、「自分の発言は、いついかなる時でも大拡散され得るし、それについて文句を言っても無駄」ということくらいは、webで発言する以上はわきまえておくべきだと思うのです。

私自身は、今の「不適切発言だ!燃やせー!!」的な、世紀末世界観チックな潮流があまり好きではありません。発言は出来るだけ意図通りに伝わって欲しいですし、発言に対する批判は出来れば落ち着いてやり取りできるといいなあと思っています。エブリディ焼畑農業、炎上即垢消しが規定ルートみたいなwebはちょっとどうかと考えざるを得ません。

ただ、私自身の希望とは別に、現状webがこうなっている、ということ自体は仕方ない事実として認識するべきですし、認識した上で自衛するかどうかを判断するべきだと思っています。だからこんな、「何を今更」みたいな記事を書いた次第です。

皆さんが快適なweb生活を送れることを願って止みません。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 07:00 | Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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