2019年09月30日

ダライアス外伝の「SELF」は何故最高なのか、あるいは「体験」はお勧めし切れないという話

Yゾーンだった。

今でも思い出せる。今でも、あの時の緊張、興奮、衝撃を鮮烈に覚えている。もしかすると、自機を動かしたルート、レバーさばきまで体に残っているかも知れない。流石に再現までは出来る気がしないけど。

何の話をしているかというと、ダライアス外伝の話だ。


何度か書いたと思うが、ダライアス外伝は私の魂のゲームであって、このゲーム以上にやり込んだゲームは今までなかったし、少し寂しいことながら、恐らく今後の人生を見渡してもこれ以上やり込めるゲームとは多分出会えないだろう。期間としては数か月だったが、その間にどれだけの密度でダライアス外伝を遊んだか、今から考えると空恐ろしい気すらする。

で、私が初めて最終ゾーンにたどり着いたのがYゾーンだった。何故Yゾーンだったのか、というのはややはっきりしないのだが、多分「ゲーメストお勧めルート」にそのまま従うのが癪だったから、とかそんなくだらない理由だったろう。

ゲーメストお勧めルートは「A→B→D→H→L→Q→V」でフウセンウナギをラスボスに選ぶルートで、確かにHゾーンのネオンライトイリュージョンとラスボスが鎮座するVゾーン以外はそれ程難しいところがないのだが、私は後々にもこのルートをあまり遊ばなかった。単に私がヘソ曲がりだからということもあるのだが、エンディングがバッドエンドっぽくて気に入らなかったということも多分あったと思う。

当時から私がお気に入りだったルートは、「A→C→E→I→M→S→Y」というルートで、スコアを狙うのに疲れるとちょこちょここのルートに切り替えて気分転換をしていた。そして、初めて最終ゾーンにたどり着いたのも、このルートを練習している時だった。

まず、ゲーセンの話から始めるべきだろう。

当時通っていたゲーセンは「キャビン」という個人経営のゲーセンで、そこの親父は一見大雑把なように見せて、実は案外細やかな工夫をしている人だった。店の入り口に近いゾーンはどの筐体からも音が鳴り響いていてやかましかったのだが、奥の方に入るとデモ画面が無音に設定してある筐体が集まっていて、人が少ない時には自分が遊びたいゲームのBGMを割と静かに聴くことが出来た。

ダライアス外伝もそこにあった。

ダライアス外伝のBGMは、驚く程シャープで、驚く程繊細で、それまでのSTGとは全く趣を異にしていた。そんなダラ外のBGMのすばらしさに、私は圧倒されっぱなしだった。

ちょっと前こんな記事を書いた。気が向いたら読んでみて欲しい。


このゲームの最終ゾーンは、無音で始まる。

Mゾーンで「タイタニックランス」ことべレムナイトと死闘を演じて、Sゾーンで「デッドリークレセント」ことカザミダイを屠って、「ついに最終ゾーンにたどり着いた…!!」と緊張していた私の前に広がっていたのは、一面緑の森と、紫の雲に覆われたステージだった。

無音だった。ただ敵の攻撃だけはやたら激しく、やっと青勲章をとってアームを補充し一息つく間もなく、次から次へと襲ってくる敵に対処しなくてはいけなかった。

ダライアス外伝は、ステージとBGMが完全に調和して、その二つでプレイヤーに世界観を見せつけてくる。圧倒してくる、と言っても良い。ついさっきまで、「投影」の重厚なメロディでカザミダイの美しい攻撃を彩っていたゲームは、一点してひどく冷淡な顔を見せてきたような気がした。

30秒程経つと、背景が美しいジャングルに切り替わり、密林の奇妙な花々の間をシルバーホークが進む。そして、静かに、余りにも静かに、最終面のBGMがプレイヤーの耳に届き始める。静謐なピアノのようなメロディにドラムの音、時折混じる女性コーラス。

それがSELFだった。

なんというのだろう。私の感想は、「ああ、そうなのか」だったのだ。

このゲームは、このステージで終わってしまうんだなあ、と。俺は行きつくべきところに行きついたんだな、と。このBGMが、ここでこういう流れ方をするというのは、それはそういうことなんだろうな、と。全てを収束させるということなんだな、と。

何の誇張も、何の衒いもなく、私はそう納得したのだ。そう納得せざるを得ない「収束」というものが、SELFという曲にはあった。およそ「シューティングの最終面のBGM」とは思わせない程の静謐さ。無音の数十秒が、美しい背景転換が、静かに流れだしたBGMが、プレイヤーにそう感じさせたのだ。

哀惜とも諦観ともつかない私の感情を前に、Yゾーンは更なる展開を見せ、やがてラスボス「オーディアストライデント」の前で鳥を飛ばし、虹を掛ける。今でも私は、STGの最終ステージとしてこれ以上に美しいステージを知らない。


だから、私にとって、ゲームBGMというのは「体験」なのだ。


ゲームBGM には、勿論、数限りない名曲がある。ただそれだけで聴いても美しい。ただそれだけで演奏しても胸が躍る。それは勿論素晴らしいことであって、「単体で聴いても最高のBGM」という曲を、私は何曲も知っている。

けど、それでも、例えばあの日、あの時私が感じた衝撃、私が感じた哀惜というものは、あの日、あの場所にしかなかったものであり。

それは、多分ダライアス外伝のCDを聴いて、「SELF」のメロディに感動したとしても、多分味わえないものなのだ。

何故ならそこには、ステージが始まってからの無音の数十秒がないから。無音の中での激しい攻撃がないから。


大好きなゲームBGMについて、色んな人に知って欲しい。色んな人に聴いて欲しい。そして、今更その為に、わざわざ「ゲームをやってみよう!」なんて無茶を言うことは出来ない。ダライアス外伝を今から始めて、最終ゾーンまでたどり着く為に、STGをやったことがない人にどれだけリソースを投入させなくてはならないだろう?

分かるのだ。当たり前のことだ。だから、「あの体験を味わって欲しい」というのは、最初から無理な話なのだ。


ただ、もしかすると、私の「お勧め」は一方で「ネタバレ」になってしまうんじゃないか、と。あの鮮烈な感動を誰かから奪い取ってしまうことになりはしないか、と。私は、心のどこかでそんな危惧を抱いている。

思い悩みながらも、今日もこんな風に、「それでも、SELFは最高なんだよ」ということを、誰かに伝えたいなあと思ったのだ。

今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 22:40 | Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

次女が「計算得意になる!」と張り切り出したので計算特訓を始めた

長女次女、小学二年生。次女は獣医になりたいので算数頑張るそうです。目標があるのは良いことです。

具体的には、「今のレベルより簡単な計算を大量に、時間を測りつつ毎日やる」というアプローチをとることにしました。昔公文をやっていた奥様の提案です。

長女の方は当初そこまで乗り気ではなかったんですが、次女がやっていることは長女も大体やりたくなるので、折角なのでということで二人一緒にさせています。ただし二人一緒にやらせると競争始めて気が散るのでタイミングをずらしています。

勉強は、基本的に「勉強しなさい」と言ってやらせても身にはなりません。言うだけ無駄です。親が出来る最大のことは「その気になっている時に環境を整えて習慣化させてあげること」です。上手く習慣化すれば良し、習慣化しなかったら向いてなかったかーと思って次の機会を気長に待ちます。

計算プリントは当初自作しようかと思ってたんですが、探してみると丁度いいのがあるわあるわ。取り敢えずこちらのサイトさんのプリントを使わせてもらっています。

引き算.png
こんな感じの問題がわんさかおいてあるので、適当な枚数印刷してあげます。今出来るレベルより多少下のレベルから始めてあげるのがポイントで、サクサク出来るので自信がつくし、お手軽なので嫌にならないし、基礎的なところがほぼ無意識で出来るようになるので今後も計算ミスが減る。基礎的な部分の取りこぼしも確認出来るという一石四鳥です。サクサク出来るようになったら段々問題のレベルを上げていきます。

で、毎回時間を測って記録してるんですが、一週間くらい経ったのでグラフにしてあげました。

特訓グラフ.png

普通にExcelです。Googleドキュメントにしようかと思ったけどどうせ家庭内でしか見ないのでやめておきました。取り敢えず「繰り上がりのある足し算」と「繰り下がりのある引き算」を1枚ずつやっているのでグラフが二本あります。そしたらきゃっきゃ喜び始めてこれはこれでモチベーションになったらしい。ついでにグラフの見方も教えてあげました。軸がなんかおかしいけど気にしてはいけない。

やはり「結果がすぐに可視化される」「一回の練習自体はせいぜい5分とかそんなもん」というのは割と継続し易いようで、取り敢えず三日坊主にはならなかったので、しばらく続けてみて、その内自分でプリント印刷まで出来るように環境を整えてあげようと思います。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:00 | Comment(1) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月26日

この件から「だから歩きスマホはやめよう」的な教訓を抽出するべきではない


「教訓を得るべき案件」と「教訓を得るべきではない案件」があると思うんですよ。

いやだってこれ、「危険なので注意するつもりで」とかいうのただの都合のいい理由付けでしょう。

記事中でも「複数の女性」って書いてありますが、要は相手選んでるわけですよ、これ。断言しますが、自分より強そうな男性になんて絶対体当たりしてない。多分、女性でも、大柄で見た目強そうな女性には体当たりしてないんじゃないですか。

本当に「危険だから」という理由だったら、相手を選ぶのはおかしい訳で、オラついてる男子高校生の集団にだって、ガチムチマッチョの男性にだって体当たりしてないとおかしい訳ですよ。けど、自分より弱そうな女性しか選んでないってことは、要は「弱そうな相手に体当たりをして気持ち良くなること」が目的であって、歩きスマホがどうとかなんて自分の中での体のいい正当化な訳ですよね。

うっかりすると、「こうしてれば歩きスマホをしているヤツが減るだろう」的に、単なる弱い者いじめを自分の中で正当化しちゃってるかも知れない訳です。自分がしていることが「警鐘」だと思っている。いじめをする側が、「いじめ」ではなく「迷惑なヤツをこらしめている」とか「目立たないヤツをいじってやっている」みたいな体のいい理由付けをしているのと同じです。

つまり、ここから「だから歩きスマホはしない方がいいよね」的な教訓を得てしまうことは、イコール「盗人にも三分の理」をわざわざ与えてしまっていることになる。こんなん、「弱いものを狙って暴力を振るうとか最低だよね」だけで十分だし、それだけで完結するべきなんです。

歩きスマホが良くないこと、するべきではないなんてこと当たり前ですよ?けど、少なくともその「教訓」を、こういう事件から得るべきではない。こういう事件に、「社会への警鐘」的な性質を与えてはいけない、と私は思うんです。

これだけの話ではなく、「被害者側にも責任が」みたいな言説って多くの場合そういう「得るべきではない教訓」になっちゃってるんで、私あんまりそういう言説に共感出来た試しがないんですが。うっかり勘違いしてこういう事件を起こしちゃう人って、結構な頻度で自分の中での変な正当化をしちゃっている訳で、そういう「餌」を与えるべきじゃないよなあと私は思います。


一旦それくらいです。


posted by しんざき at 19:27 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「峠鬼」の東宮が歴史上の人物で言うと誰なのか、及び作中の年代について考察してみた

承前。


峠鬼は大変面白いですし、実は日本史好きにもかなりお勧めですし、妙がめちゃ可愛いので皆読むといいです。



それはそうと、なんとなく記憶頼りで「多分これ壬申の乱のことだろうなー」と思っていたものの、ちゃんと確認していなかったことについて確認したので自分用メモとして書こうと思います。ネタバレに該当する部分もあるかも知れませんのでご注意下さい。

峠鬼では、作中に「東宮」という人物が登場します。小角の友人であって、岡本宮に居住していることが示されています。

東宮.png

東宮というのは皇太子の御所のこと、同時に皇太子自身のことも示す呼び方ですので、この人物は皇太子の一人であることが示唆されています。ちなみに歴史上の小角の生年・没年は「続日本紀」から読み取れる634年〜701年ですので、飛鳥時代の皇太子の内の誰かである筈です。

この他この人物について分かることとしては、

・出家しており、まだ還俗していない
・「近江の新都」という言葉がある
・東宮の台詞に「兄上と共に近江へ行ったものもいる」という台詞がある
・作中の時間軸で言うと未来の小角の台詞に「東宮が近江へ攻めあがる際に」という台詞がある

というようなものがあります。

で、飛鳥時代の「近江の新都」というと当然近江大津宮だと考えられます。手近な資料ということでWikipediaを引きましょう。


近江大津宮は、天智天皇が飛鳥宮から遷都した新しい都ですので、作中時代は天智天皇の治世であること、「新都」という言葉から遷都後それ程時間が経っていないことが強く示唆されます。ちなみに近江大津宮に遷都されたのは667年3月19日です。ただし、天智天皇は斉明天皇の崩御(661年)後しばらく即位しておらず、即位したのは668年です。

で、「東宮が近江へ攻めあがる」という言葉から、この後東宮が叛乱を起こすことが示唆されます。当然のこと、この時間軸で条件を満たす乱は一つしかありません。壬申の乱です。


壬申の乱は日本史上でも珍しい「反乱側が完勝してしまった戦い」なんですが、今でも様々不明な点がある乱であって、色々と面白いので是非書籍を読んでみて頂きたいのですが。個人的には倉本一宏氏の「壬申の乱」なんてお勧めです。解釈に際して賛否はあるものの、非常に細かく資料に当たられ、現地の観察に基づく記述も充実した名著です。


皆さんご存知の通り、壬申の乱は天智天皇の死後、皇弟であった大海人皇子が起こした乱であって、時系列で言うとこんな感じになります。尚、記載年代は太陽暦です。

671年11月:天智天皇が、自身の皇子である大友皇子を太政大臣とする。同時期、大海人皇子が大友皇子を皇太子に推挙し、出家する
672年1月:天武天皇崩御。大友皇子が天皇の後を継いで統治を始める(即位したかどうかは不明。弘文天皇は諡号)
672年7月:大海人皇子が挙兵
672年8月:大海人皇子が大勝し、大友皇子が自決
673年2月:大海人皇子、天武天皇として即位

ざっくりこんな流れです。大海人皇子は668年、天智天皇の即位時に東宮になっているので、「峠鬼」作中の描写とも矛盾しません。

ここから、「峠鬼」の東宮は歴史上の人物で言うと大海人皇子であり、イコール後の天武天皇であるということが分かるわけです。これが分かった上で峠鬼読むとまた色々、東宮の描写が面白い。「私もああした風習は古いと見ます」とか、天武天皇の治世とか考えると「あーーっ」てなります。

ちなみに、

東宮2.png

ここでいう「さらら」というのは、大海人皇子の妻でありかつ「うののさらら」という諱をもつ人物、つまり後の持統天皇であろうと推測出来ます。ひょこっとこんな名前が出てくるの超面白いですよね。

で、作中年代も、恐らく大海人皇子が出家した671年頃であろう、と推測は出来るのですが、これについては分からなかったこと、というかちゃんと確認出来ていない点がありまして、

・大海人皇子は出家後吉野離宮にいた筈
・ただ、小角は東宮に会った宮廷のことを「岡本宮」と呼んでいる
・これはおそらく後飛鳥岡本宮のことではないかと思われるのだが、吉野からは随分離れている
・また、大海人皇子が出家してから挙兵するまでの間には本来半年くらいしかタイムラグがないので、作中の描写にはちょっと短すぎる気もする

というくらいです。まあ、東宮が後飛鳥岡本宮に出向いていたとも考えられる(これは小角が「何故ここに!?」と驚いていることとも符合する)のでそんなに不思議ではないですが。額田王ゆかりの地でもありますしね。

時期的な話については、671年以前に大海人皇子が出家していたという解釈なのかも知れない。小角が「おぬし出家中の身では」と言っているということは、それなりに長い期間出家してそうですしね。

なので、この時期恐らく小角は30台中頃であろう、ということも推測できるわけです。しかしあれですね、当時次期天皇となる可能性もかなり高かったであろう大海人皇子と、令名があったとはいえ一介の道士である小角がタメ口で話せるというのも、作品上背景を色々妄想しちゃう要素ですね。

まあ、これらのことから考えると、作中世界において妙が皇后になるという未来もあり得たのかなーと思うと大変面白いですし、読者にこういう考察をさせたくなる峠鬼マジ面白いなーと改めて思うわけです。皆読んでください。

あと、上でも書きましたが壬申の乱については謎が多く、乱の原因についても皇位継承を争う戦だーという説もあれば持統天皇が首謀者だーという説、額田王(元々大海人皇子の妻であるが、天武天皇との間で三角関係があったという説がある)をめぐる確執だーとかいう説もあって色々面白いです。興味ある方は調べてみて頂けると。

更に余談なんですが、小角が言っている「道昭様」というのは、古代日本仏教史では極めて重要な僧である道昭さんですね。法相宗を日本に広めた方で、かの玄奘三蔵に師事した、というエピソードが著名です。

今日書きたいことはそれくらいです。





posted by しんざき at 05:38 | Comment(0) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月24日

ポエムって言葉が「かっこいいこと言いたいだけで中身も具体性もない文章」を揶揄する単語として定着しちゃったのが悲しい

タイトルで完結していまして、ただ「悲しい」以上の話は何もないんですが。

いやまあ、ちょっと試しに「ポエム」でググってみてください。時事ネタなんで数日したら検索結果変わってるかも知れないですが。


かなしい。

別にこのケースに限らず、基本的にwebで「ポエム」って文字列をみた時、それが本来の「詩」って意味でつかわれるのをあんま見ないんですよね。それは、大抵の場合、「不明瞭で中身がない文章」とか、「ただかっこいいことを言いたいだけで何を言いたいのかさっぱり分からない文章」を揶揄する為に使われる単語になってしまっているんです。

「詩文を貶めよう」という意図で使われている訳ではない、ということは理解しているんですよ。確かに、元より詩ってめちゃ多様であって、中には抽象的で難解な文章も、あるいは実際に不明瞭な文章も存在しますから、そういう「よく分からない」という状態を総括する言葉として便利であることは分かります。

ただ、一応詩文好きの端くれとしては、ポエムって言葉が便利な罵倒語として使われるの、悲しいなあ、と。

ただでさえ詩って理解され辛いのに、こういうのでますます詩に対する偏見が広まっちゃったりしないかなあ、と。

詩を好んで読む人とか絶滅しちゃったりしないかな、と。

そんな風に慨嘆してしまう訳なんです。

いや、「ただかっこいいことを言いたいだけの、不明瞭かつ何の具体性もない文章」を表す言葉として、もうちょっと適切な言葉ってないんですかね?昔「言語明瞭意味不明」なんて言われていた人もいますけど、なんかそういう分かりやすいヤツ。


そもそも詩が「不明瞭で具体性がない」文章の代表格みたいな扱いされちゃうの、個人的には非常に納得がいきませんで、それ萩原朔太郎とか読んでも同じこと言えんの?と。文学部におけるサバンナメソッドです。

萩原朔太郎、「月に吠える」も勿論とても良いんですけど、個人的には「青猫」が超好きなんで読んでみてください。青空文庫で読めます。


いやもう明るい詩もあれば陰鬱な詩もあるんですが、「憂鬱なる花見」とか共感する人多いんじゃないでしょうか?「ただいちめんに酢えくされたる美しい世界のはてで/遠く花見の憂鬱なる横笛のひびきをきく。」とか。これだけの非コミュ品性をこれだけ美しい言葉で表現できる人がいるか??

で、いやごめんなさい書いてて我慢できなくなった、やっぱ「月に吠える」も引かせてください。


例えば、だれもが恐らく国語の教科書で読んだであろう、「竹」。




光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるえ。

かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。



いやもうなんだろうこれは。どんな脳構造をしていればこんな言葉の並びを選択出来るんでしょう?「かすかにふるえ。」で一度文章を途切れさせているところとか、もうここだけで一本詩集を読んだくらいの余韻がありますよね。これがライブだったら絶対ここで一瞬ブレイクが入って、観客席がしーーんとなった瞬間に次の演奏が始まるヤツですよ。あーーもう超好き。

ただ、勿論詩というのは本来言葉遊びであって、中原中也だとか 室生犀星の詩が素晴らしいのは当たり前のこととして、ただ「そういうものでなければ詩ではない」という話でもないと思うんですよね。別に例えば私が何か文章を書き連ねて、あるいはそれこそ今書いているこの段落文章を指して「これは散文詩だ」と言っても、いやまあそりゃなんて下手くそな詩なんだよアホかよと言われはするでしょうけど、詩という世界はそれを排撃しない。詩って広いんですよ、そりゃもう驚く程広い。

だからこそ、本来とてもひろーーーい詩を意味する「ポエム」という言葉が、総体として何かを揶揄する言葉として定着してしまっている状況が、ただただ悲しいなあ、と。

それだけの話なわけです。

今日書きたいことはこれくらいです。

posted by しんざき at 15:41 | Comment(2) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月23日

「麻衣の虫ぐらし」がゆるふわ日常百合漫画かと見せておいて本気百合漫画だった

すいません、これも周回遅れの話かも知れないんですが、周回遅れはいつものことなので気にせず書かせて頂きます。

「麻衣の虫ぐらし」の2巻が出ていたので読みました。で、軽く衝撃を受けました。



その衝撃は、一言でいうと、「ゆるふわ農業日常 + 虫についてのうんちくメインのソフト百合漫画」かと思っていたら、あるタイミングから「虫の知識をアクセントにした本気百合漫画」へと怒涛の方向転換を見せたことへの衝撃です。なんというか、フライングバルセロナアタックを警戒してガードを固めていたらローリングイズナドロップを喰らったかのような、そんな衝撃を受けました。

まあ勿論雨がっぱ少女群先生の描く女の子は大変かわいいのですが、話はそれだけではありません。

「麻衣の虫ぐらし」は、少なくとも当初の漫画ジャンルとしては、「農業日常漫画」と言って良いと思います。主人公の桜乃麻衣(さくらのまい)は、入社一年目でリストラされて、ただいま求職中の女の子。友人の奈々子(通称奈々ちゃん)が祖父の跡を継いで営んでいるトマト畑をちょくちょく手伝いに来ています。

ここでは、「農作業の手伝いをする麻衣が色んな虫に出会って、それについて職業柄虫に詳しい奈々子が解説する」という展開が話のメインになります。三話まではニコニコで無料で読めるので読んでみてください。


お読み頂ければ分かる通り、奈々は「ちょっとヤンデレ入ってる、麻衣大好きな農業少女」であって、その奈々の虫知識とそれに対する麻衣の反応、及び奈々の好意に若干振り回されがちになる麻衣、というのが物語前半の定型パターンになります。地元の名士の娘である来夏も登場して、農業とそれにまつわるゆるふわ日常。ここまでなら、割とよくある、百合な雰囲気だけど実際にくっつくわけではない、あと非常に頻繁に入浴シーンが描写される、ほんわかした日常虫知識漫画と言っても大きく問題ないのではないかと思います。

で、ここからはちょっと作品のネタバレが入るので、軽く折りたたみさせて頂ければと思うんですが。





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posted by しんざき at 16:47 | Comment(0) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月22日

今日のしんざきと、首尾よく子どもたちが私の知らないコンテンツをたくさん拾ってきてくれるようになった話 19/09/22

長男:相変わらず信長の野望DS、たまにスプラトゥーン2、あと信長の野望から派生して見つけてきたらしく、「信長の忍」に最近ハマっています。


戦国もの4コマ漫画。一応存在は前から知っていまして、あ、この人の絵見覚えあるなーと思ったら近代麻雀で雀荘のサエコさん描いてる方でした。あと、前回書いた「峠鬼」を長男に読ませてみたら「面白い」「ちょっと蟲師みたいな感じ」と、ほぼ私と意見が一致しました。子どもと漫画の趣味が合うの超楽しい。

本人中学受験をするつもりで塾とか通ってまして、色々勉強もしながらなんで土日あまり遊んでられないのがちょっと可哀そうなんですが、まあそれも今年限りなので、受験終わったら謎解きとかも色々連れてってあげたいと考える次第です。

長女:なんか最近怖い話が好きらしく、子ども向けの怖い児童小説や漫画にハマっています。おばけずかんとか、あとちゃおの何かとか。


長女怖がりなんでこういうの嫌いなのかなーと思っていたんですが、逆に怖がれるコンテンツが好きになりつつあるようです。

長女は以前まではそこまで本を読まなかったんですが、最近は順調に読書にハマっており、夜寝る前も往生際悪く本を読み続け、電気を消そうとしたら「待って!今のページ覚えるから!」と言いつつセコくページをめくろうとする、と昔の自分を思い出すようで大変よろしいと思います。

次女:漫画及び児童小説。漫画で言うと、最近「本好きの下克上」がお気に入りで、図書カード持ち出して自分で買ってました。本好きの女子大生が、本を読む習慣が全く定着していない世界に転生してしまうお話。もとはラノベなんでしょうか。


私も読んでみたんですがなかなか面白く、原作も読んでみたいなーと思いました。転生ものっていっても本当に色々あるんですね。

児童小説で言うと、「氷の上のプリンセス」を読み漁っているようです。


これ、品薄なのか人気なのか、既刊がなかなか本屋に売ってないんですよね…結構あちこち本屋巡りをして探したりしていて、あー私も昔そういうことやったなーと感慨。


上記、どれも「私はもともと知らなかったコンテンツ」であって、以前からこうなるといいなーと思っていた、「本好きになった子どもたちが、私の知らない本や漫画を私に教えてくれる」という状況が実現しつつあります。超楽しい。

子どもと趣味の話をしまくれるというのは親として大変エキサイティングな状況でして、自分の古い感性を錬磨出来る機会でもありますし、単純に視点を広げるチャンスでもあります。今後も順調に濫読家に育ってくれて、本の置き場所や収納スペースに悩みまくれるようになると更によろしいなーと考える次第な訳です。

一旦それくらいです。

posted by しんざき at 10:19 | Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月12日

「峠鬼」における善の「同じなもんか」という台詞が大変にエモいという話

前回に引き続いて、峠鬼の話をさせていただきます。若干のネタバレが混じるので、出来れば2巻まで読んでから参照いただけると。いやマジで面白いですんで。峠鬼。まだ2巻までしか出ていないのも追い掛けやすくて大変高ポイントなわけでして。



前回もさらーっと紹介したんですが、峠鬼には「メインキャラ」と言ってよさそうな、主役格のキャラが三人います。

一人が妙(みよ)。大神への生贄にされそうだったところ、小角(おづの)に救われて、彼の弟子として共に旅をする道を選んだ少女です。根は真面目だけど行動力もあれば優しくもあり茶目っ気もあり、あと大変かわいい(かわいい)。

一人が役行者(えんのぎょうじゃ)こと小角(おづの)。複数の資料から実在が確認されている人物でして、続日本紀とか読んでみるとすげー面白いのでお勧めなんですが、近年の日本の創作でいうとやっぱ有名なのって宇宙皇子ですかね?宇宙皇子も今となっては古いのかな、南総里見八犬伝とかにも登場するんですけど。そういやメガテンにも出てたな。

この作品における小角は、まだ随分若く見えますし一見優男風なんですが、色んな人を救おうとする熱い男です。ただたまに大失敗もする。正直真白稗酒のエピソードについてはちょっとどうかと思いました。あれどういう導入だったら酒盛りに参加することになるんだ。

で、小角のもう一人の弟子、妙にとっては兄弟子にあたるのが、「善」な訳です。

で、この善、当初は「悪ぶっている少年」という風にも見え、結構妙にもぶっきらぼうというか、敵意を持って当たってくるわけです。

そんな彼の代表的なセリフの一つが、「同じなもんか」というセリフ。

善1.png

これ、妙の「同じお弟子でしょ」という台詞に対する反応なんですね。この時の善の感情は、いかにもな「不快」。後で分かることですが、「只人」に対してもとより警戒感と敵意を持っている彼にとって、妙からの「同じ」という言葉が非常に不快だったんですよね。なので、この時点では、それが妙個人に対する敵意として表れているわけです。

一方、この善の反応に対してろくにひるまないというか、うっかりするとそれ程気にもしていない妙も凄い。既に只者ではない。

妙4.png

「目と髪の色は違うけど…」気にするのそこだけかーーい!!というところも突っ込みどころとして優秀です。

この後も、多少憎まれ口は叩きつつも、善と仲良くなろうとする努力を止めない妙がいい子過ぎる。かわいい。

ところで、ここで多少ネタバレが入ってしまうんですが、この後妙は善と共にとある騒動に巻き込まれ、その際に善の正体と、彼の望み、彼の態度の理由を知ってしまう訳です。

この時の善の台詞が、

善2.png

この、「同じなもんか」という導入と全く同じ台詞を、こういう風に描写してくるのが本当に上手いなーと思うんですよね。この時の善の気持ちはどんなものでしょう。恐らく自嘲。自棄。そして、もしかすると羨望。自分がもっていない、自分にたどり着けないものを持っている妙に対する羨望。

ただ、妙が自分を傷つける「只人」と同じではない、ということも、間違いなく善は悟っていると思うんですよね。自分に対する慰めを必死に考えてくれる妙に対する感謝、というのも、恐らくは含まれているんだろうなーと。

そして、2巻。

いやこれ、本当に実際読んでみて頂きたいんですが、2巻でもすごーく色々なことが起きる訳なんですよね。さらっと表面的なことだけ書いてしまえば、「旅から外れて都に残ることになった妙が、やっぱり着いてくることになった」というそれだけなんですが、それに対する善の台詞が

善3.png

これ!!!!!!!

この笑顔!!!!!!!

なんだこのいい顔!!!!!!!

これが、やっぱり妙の「同じお弟子なんですから」という言葉に対する反応であることが、もう素晴らしい。本当に素晴らしい。

本来、善視点からするとほんの半日程度妙と離れていただけである筈なんですけど、この笑顔を見ていると、やっぱりどこか、それ以前に降り積もっていた時間みたいなものが、善の中には残っているんじゃないかなーという気がするんですよね。長い長い間、どこかで「夢だったらいいのにな」と思っていたものが晴れて、そして妙が今、目の前にいる。だからこそ、今まで散々ぶっきらぼうな仕草をしてきた善が、全てを振り捨ててこの笑顔を妙に見せているのではないかと、私はそんな風に感じたわけなんです。

善からすると、自分と妙はやっぱり違う。色んなところが決定的に違う。けれど、違うからこそ尊い。そんなメッセージがあるんじゃないかなーと。

というか、このシーンがあまりにもエンディング過ぎて、思わず「いいエンディングだった…」と思ってしまいそうになったんですけど峠鬼続き読みたい。幸いハルタでは既に続きが載っているらしいので何よりなわけです。ハルタも買おうかしら。

ということで、「同じなもんか」という一つの台詞が、三度に渡って善というキャラクターから発せられたことが、周辺の展開もあってもうただひたすらにエモくて素晴らしい、という話でした。皆峠鬼読んで下さい。

ちなみに善は、この少し前の「世話んなったな」のところの表情もめちゃ味わい深くていい感じなので単行本持ってる方は確認してみて頂けると。

あと完全に余談なんですが、念願の都について超はしゃいでいる妙がマジかわいい。

妙3.png

この後お姫様呼ばわりされてめちゃ嬉しそうなところ、善に止められているのも仲良さそうで大変微笑ましいです。その後、「ここに住みたいか?」の問答からの善と小角二人の表情も良い。まあ、後鬼様の「あれはない」という意見も良く分かるんですが。


更にぜんっぜん関係ないんですが、前回も描いた2巻の番外編、カシマ様とカトリ様が大変お気に入りなんですが、

カシマカトリ.png

この辺のショットもお二柱超仲良さそうで大好き。カトリ様のちょっとニヤっとした表情がめちゃいい。というかカトリ様のデザインマジ好き。見るからに雷神然としたカシマ様もいいんですが。

このお二柱、神話だとちょっと張り合ったりもしてるんですが、立ち位置からすると日本神話全体でも最強に近い筈で、そんなお二柱がいいコンビになってるの大変素敵ですよね。このお二柱にさらっと指示が出せる某女神様の造形も素晴らしいので再登場して欲しいです。

ちなみに、古事記と日本書紀を読むと多分この作品もっと楽しめると思いますので、そちらもお勧めです。ちょっと敷居高いとは思いますが現代語訳も出てます。



峠鬼面白いよね!!!!!!!!というだけの記事でした。よろしくお願いします。

今日書きたいことはそれくらいです。

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2019年09月08日

「峠鬼」がめちゃ面白いので皆買うといいと思います

試し読みから脊髄反射で買ってみたら大当たりでした。アンテナ低かった…8月に発売されてたなら発売後すぐ買うべきだった…



一話は無料で読めますので、取り敢えず騙されたと思って読んでみてください。一話の感じがお好きであれば、その先も大体いけるのではないかと思います。


いや、一話を読んでみて、「これ話の展開めっちゃ上手いな…」と思ったんですよ。作者の鶴淵けんじ先生は、実は今まで知らなかったんですが、スピンオフではない単体の作品としては、これが「meth・e・meth」に続いて二作目なんですかね?

まず、軽く作品紹介をさせていただきます。

飛鳥時代(おそらく)の日本。神代の空気が色濃く残っていた頃、人は未だ八百万の神々と寄り添って暮らしていました。

そんな中、舞台はとある村、ひとりの少女が神の生贄に選ばれるところから始まります。白羽の矢を立てられた少女の名は妙(みよ)。みなしごの妙は、その1年後、村の氏神である切風孫命神(きっぷうそんのみことのかみ)に捧げられる運命でした。

と、出だしは結構重ためな感じなんですが、実際の展開は予想以上に痛快です。

生贄が捧げられる神事の前日に村を訪れたのは、道士・役行者(えんのぎょうじゃ)とその供二人。これを端緒に、妙は自分でも思いもしなかった命運に巻き込まれていくことになります。

重要なことなので強調しておきますが、取り敢えずなによりかにより、主人公の妙がやたら可愛い

妙1.png

妙さん。この作者さんが描く女の子全体的にとても可愛いんですが、妙は表情も豊か、根は生真面目なのにお転婆なところもあれば心配性なところも仲間思いのところもあり、大変に好感が持てるキャラクターです。

妙2.png

この、「都へは行きますか?」の時の妙の表情とか超可愛い。

そして、飛鳥時代の道士といえば当然のこの方、役行者こと小角(おづぬ)。

小角.png

既にある程度の令名があるようなのでそれなりの年齢の筈ですが、この作品の小角様は割とお若いです。結構な男前に見えるんですが妙からの評価はあんまりよくない。というか、この作品における小角様は、勿論ヒーロー的な役割をこなすこともあるのですが、実際のところ結構抜けているところもあり、未熟なところもあれば思い悩むこともあり、一方困った人を見れば必ず手を差し伸べようとする、非常に人間臭くて熱いキャラクターです。

善.png

小角の弟子である善(ぜん)。彼も大変いい味を出しているキャラクターです。険がある目つき、荒っぽくてぶっきらぼうのように見える善ですが、その怪力やら能力やらを含めて、彼が何者であるのかの一端は第弐話で明かされます。

ちなみに、第壱話のメインキャラとしては他に「後鬼」という女性が出てくるのですが、この人の正体は壱話の作中でちゃんと明かされる上、その後の作品にもちゃんと絡んでくるので、まあまずは無料公開の壱話を読んでみてください。

「峠鬼」の展開は、基本的には「旅先での大神との接触、またその神器による騒動や怪異との顛末」をメインとして進みます。この時代、山とはすなわち「神」と同義であって、全ての山には神様がいたんですよね。

で、まず峠鬼の凄いところなんですが、このパワーバランスというか、ストーリー上の「神との接触」とそれの漫画的展開への落とし込みがとにかく絶妙

神様のお力は物凄いので、まあ基本的には、人間は神様の前に畏まり、その力に縋るしかない訳です。それは小角にしても善にしても同じであって、畏み畏みと神様の前に参るわけですが、時にはトラブルに巻き込まれ、時には神様の力をほんの少しだけ曲げて、ほんの少しの人を救おうとする。

この、「何でもヒロイックに解決するわけでもないけれど、かといって神様に縋るばかりでもない」っていうバランス感覚が、読んでいてとても気持ちいいんですよね。

この作品の神様って皆が皆妙に人間臭くって、重々しい神様もいれば、なんかやたらフレンドリーな神様も、何考えてんだかさっぱり分からない神様もいます。取り敢えず、小角に「お前ヒゲめっちゃ似合わんな?」とか言うアンインセキ様好き。「おぬしと言えどわし激おこも辞さんけど?」が名言過ぎる。

「旅先で出会う様々な怪異」と「日本的な世界観」という話で言うと、峠鬼のお話の構造はちょっと「蟲師」に似ているかも知れませんが、妙たちが出会う神様たちは蟲以上に危険であって、一方人間くさくもあります。人間くさい神様たちと彼らの周囲の人々を観察するのが、峠鬼の一つのメインコンテンツであることは間違いないでしょう。

で、その神器が引き起こす怪異と、それがお話に絡んでくる展開の収束具合が、また毎回毎回物凄い密度でまとまっているんですね。

無料公開範囲内なんでちょっとネタバレしてしまいますが、第壱話で言うと、僅か60ページ程の間に、舞台説明あり、妙と小角たちの出会いあり、妙と後鬼との触れ合いあり、切風孫命神様の登場からはもはや疾風怒濤の展開、SF的展開まで詰め込まれて、「こんだけの要素をどうやったらこのページ数にまとめられるんだ?」と圧倒されることしきりです。すごい漫画力(まんがぢから)だとしか言いようがありません。

ストーリー展開としては結構「なんでもあり」の部類に入るとは思いますし、やや凄惨な描写もところどころにはあるんですが、

・日本的怪異
・古代世界の旅
・土着の大神
・妙が可愛い

といった要素が気になった人にはまず適合すると思いますし、8月に1・2巻が同時発売されたばかりで大変追い掛けやすいと思いますので、是非手にとってみてはいかがでしょうと思う次第なのです。

というか、この漫画もっといろんな本屋さんで扱って欲しい。近所の本屋あちこち回ったのにどこにもなくて、最終的になんとか秋葉原で手に入れるというありさまでした。面白いんだから広めたいなーと考えるばかりなのです。あと早く続きが読みたい。

秋葉原で峠鬼買ってきたーー。地元の本屋どこも置いてなかった。。すげえ面白いのにもったいない

あと、全然余談なんですが、弐巻の最後には本編で出てくるとある神様を扱った番外編のような漫画が掲載されていまして、

クイナ1.png

ここで出てくるクイナがやたら可愛い上に非常にいい味を出している。「大変気持ち悪くあらせられるなって」も作中トップクラスの名言だと思います。

カトリ.png

あと、同じく番外編で出てくる、某超著名女神様のお供としていらっしゃったカシマ様とカトリ様、特にカトリ様がとても可愛くてこちらもいい味を出しておられると思います。小柄な女の子がやたらでかい剣もってる描写いいよね。なにせ神様だからリアリティを心配する必要も全くないぞ!!

というかこのお二柱、鹿島神社と香取神社の神様だとしたら、タケミカヅチ様とフツヌシノカミ様なんでしょうか。そういえば葦原中国平定で絡んでたな。


ということで、峠鬼のダイレクトマーケティングでした。よろしくお願いします。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 18:05 | Comment(2) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月05日

何年も塾講師をやっていて、「作者の気持ちを答えなさい」という問題を観測したことがない

いや、存在しない、って言ってるわけじゃないんですよ。世の中広い一方私の観測範囲なんてたかが知れてるんで、どこかでそういう問題が何度も出題されていた可能性を否定はしません。

ただ、そこそこ長いこと補習塾で学校の試験の対策やら復習をやっていた人間の所感から言いますと、少なくとも受験問題や定期試験問題のレベルの話で言うと、

・「この表現における作者の意図を答えよ」とか、「このエッセイにおける作者の考えを要約せよ」みたいな問題は割と見る
・けれど、例えば小説や物語など、作者自身の人格が関わらない問題で「作者の気持ちを答えよ」みたいな問題は観測したことがない

んですよ。

いや、エッセイや随筆、評論ならそれに近い問題あり得ると思いますよ?あれは、作者が自分の経験を元に自分の思考を書いている文章なんですから、そこで作者の考えが問題になり得るのは当然です。場合によっては、作者の感情とか意図というものが問われることもあるかも知れません。それはまあ、別におかしいことではありません。それにしたって、「作者の気持ち」という問われ方はあんまりしないと思いますけど。

ただ、よく引き合いに出される「国語でこんなクソ問題が出た!!」的なお話って、大体小説とか物語文における「作者の気持ち」じゃないですか。それって、そもそも問題として成立していないんですよ。だって、その文章の中に作者は「いない」んですから、文章の中から題意を満たす答えを見出すことが出来ない。問題を作る側にしても困るんじゃないですかね?

だからこそ、「こんなアホな問題を作る教師がいた」ということで話題になるんだろうと思うんですが、教師としても問題を作る際には当然「解き方」を想定しまして、「こんなルートで解いて欲しいな」「こんなルートで間違えて欲しいな」ということを考えますから、まるっと成立しない問題を作るっていうのもそこそこ勇気がいるだろうなー、とは思うんですよ。皆さん、試験問題って作ったことありますか?あれ相当色々考えないと作れないですよ。

ですので、「作者の気持ちを答えなさい」的な問題、もし存在するにしてもまあ結構なレアケースなんだろうなーとは思うんですが、webを見ているとまあ結構な頻度で「こんなクソ問題が!!」的な話題が持ち上がるし、やたら共感を集めているんですよね。あれ、俺の観測範囲ってそんなにズレてたのかな、みたいな。

国語のクソ問題は頻繁に流布されるのに、算数や理科や社会のクソ問題は頻度が低いような気がしています。いや、算数で言うと例えば「足し算や掛け算の順序ガー」とか「さくらんぼ計算ガー」みたいな、採点基準や解き方の方にまつわる話はちょくちょく見ますけど、「問題自体がクソ」ってあんまりみないんですよね。これ、「算数や社会や理科は、クソ問題を作るにも「クソ問題」と認定するにもある程度知識が必要とされるから、国語がお手軽なターゲットになってしまっている」みたいな状況なんじゃないかと邪推しちゃうんですけど。

一つ思うのは、恐らく学校の授業や教科書レベルで観る、「この時作者はどんな気持ちだったでしょう」みたいな、答えを必要としない一種の思考練習みたいなものが、「実際に試験に出されていたら」的な発想がどっかにあるんじゃないかなーと。当たり前ですが、授業と試験は別なんで、明確な答えを出す必要がない授業であれば、「作者の気持ち」を考えさせる内容ってあり得るんですよ。そこから発想された「クソ問題」ネタが毎回出る度に受けるんで、一種の定番の流れみたいになっちゃってるんじゃないかなーというような印象があります。

もう一つの可能性として、上で書いた、評論やエッセイを対象とする「作者の考えを問う」問題を解いた記憶がある人が、「作者の気持ちを答えなさい」的なネタと混同してしまって、「そういう問題出されたことある!」となってしまうのではないか、というようにも思います。

個人的には、学校の先生がすごーーく頑張ってるのって良く知ってますし、学校教育、あるいは教師の質を貶めるようなお話はあんまりよい気分にならない為、疑わしい話はあまり広まらないで欲しいなーとか思います。

先生ってただでさえ藁人形論法の対象になりやすいんで、「いやそりゃ変な先生も中にはいるけれど、案外皆ちゃんとしてるし頑張ってるんだよ」ということを、どっちかというと広めていきたいなーと思う次第なのです。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 12:35 | Comment(4) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月03日

我々は何故、キン肉マンの台詞に出てくる謎のカタカナ文字列を「笑い声」と判断出来るのか

ところでキン肉マン超面白いですよね。


勿論昔のキン肉マンも少年漫画の金字塔であることに疑いはないのですが、2011年から24年ぶりに再開された、「王位争奪編」以降のシリーズの素晴らしさと言えば、現在連載されている少年漫画全てを見渡しても屈指といってしまっていいように思います。ザ・マンと悪魔将軍の決戦熱すぎましたよね?

「完璧超人始祖編」が終わった後こんな記事も書いたんですが、


この後も連載は絶好調で続いており、現在続いているオメガ・ケンタウリの六鎗客との戦いも超絶熱い展開なので、未読の方はお願いだから読んでみてください。損はさせません。


ところで、ある日私が自宅でキン肉マンを読んでいたところ、横から覗き込んでいた次女がふといいました。

「パパ、この「グロロロ」って何?」

勿論この「グロロロ」というのは「完璧:零式」ことザ・マン、またの名を超人閻魔の笑い声(まあ笑い声っぽくないところでも使っていますが)であるわけでして、私は当然のことながら

「笑い声だよ?」

と返したのですが、その時ふと気づいたのです。

もしかすると普通の人は、台詞の途中でいきなり「パゴパゴパゴ」とか「ギラギラギラ」とか書かれても、それが笑い声だと判別出来ないんじゃねえか?と。

そもそも、この「グロロロ」という文字列を、我々が当然のように「笑い声」として認識出来るのは何故でしょう?

勿論それは、かつてのパルテノンやプリズマンのように、「変わった笑い方をする超人」が一般的に登場し始め、超人の特徴づけのひとつとして「個性的な笑い方」が定着したことを、読者が前提条件として了解しているから、です。

慣れているからこそ、わかる。要するに、キン肉マンの「笑い声」という表現は、一種の「暗黙の文脈」なのです。

ただ、ふと一巻からキン肉マンを読み直してみると、「意外と最初の頃は変な笑い方ってねえな?」と思ったのです。

キン肉マンやテリーマン、ロビンマスクのようなアイドル超人が変化球的なキャラづけをしていないのはまあ不思議なことではないとして、たとえば初期のキン肉マンを見ていくと、悪役よりのゴーリキであれ、カニベースであれ、スフィンクスマンであれ、アマゾンマンであれ、特に特徴的な笑い方はしていないのです。みんな「ふっふっふ」とか「ヒヒヒ」とか「グへへへへ」とか、まあ多少悪役っぽいのも見られるとはいえ、一般的に見られるような笑い方ばっかりです。まあ、ザ・フィッシャーズは二世でなんか変わった笑い方してましたが。

キン肉マンファンの間でも著名な変な笑い方としては、やはり11巻のミスターカーメン戦、ブロッケンJrに向かって発した「マキマキ!」でしょう。ただ、実際の展開中では、カーメンは「マキマキ―」と笑っている訳ではなく、「ククク」とか「ケケケ」といった笑い方を普通にしています。劇中での「マキマキ!」は笑い声というよりは掛け声のような使い方でして、カーメンの「マキマキー」が笑い声っぽく描写されるようになるのは、遠く24年後、完璧無量大数軍編でのことです。

ちなみに、後に肉ファンの間ではアシュラマンの笑い声として著名になる「カカカカー」ですが、順番としてはブラックホールの方が早く、10巻のキン肉マンとの戦いの時点で既に使っています。ただ、これも「笑い声」としてそこまで違和感があるかというとそれ程でもなく、知らなくても「まあ笑い声かな…」と普通に理解出来そうなラインです。

サンシャインの「グォッフォフォフォフォ」がぼちぼち微妙で、後の「夢の超人タッグ編」で初期のヘルミッショネルズもこれと同じ笑い方をしています。その後「クォックォックォ」とかも笑ってますが。

実際に「違和感がある特徴的な笑い声」が頻出し始めるのは実のところ王位争奪編でして、

プリズマン「キョーキョキョキョ」
キング・ザ・100t「グオホホ」
パルテノン「ギョギョギョギョ」
モーターマン「キキキー」

辺りは、ぼちぼち「笑い方による明確な超人の特徴づけ」と言っていいでしょう。

っていうかパルテノンは本当に何でこんな笑い方なんだ?パルテノン、荘厳かつ重厚そうな見た目に反して、笑い方も変だし戦う理由も報酬金目当てだしバイクマンにガソリン入れてるし、見た目と行動が釣り合ってない超人トップ3には間違いなく入ると思うんですけど。

ちなみに、この後「変な笑い方をする超人」の数はキン肉マン二世で激増しまして、クリオネマン「キョカー」とかデッド・シグナル「グギガー」とかウォッシュ・アス「ヒャイヒャイ」とかプリクランの「リリルラー」とか、「通常の笑い声のラインを踏み越えた笑い声」の枚挙に暇がなくなっていきます。後のザ・マンの笑い方である「グロロ」自体も、デストラクションの笑い声として登場しています。この二世の「特徴的な笑い声」という表現が、ほぼそのまま38巻以降のキン肉マンに「移植」されているのです。

ここから考えると、

・キン肉マンにおける「特徴的な笑い方は、初代の悪魔超人編くらいまでは実はそれ程多くなく、王位争奪編あたりから顕著になり始め、二世で完全に「特徴づけ」のひとつとなった

ということが言えるのではないか、と考えるわけなのです。

「キャラクターの特徴づけをどうやって行うか」というのは勿論軽視出来る話ではなく、当時のゆで先生が様々に試行錯誤した結果なのかなーと思うわけなのですが、超人のバリエーションを広げるうちに、「笑い方」という要素に着目される点があったのかなと想像するとなかなか面白くありませんか?

ちなみに、キン肉マン二世の連載が始まったのは1997年な訳ですが、これとほぼ同時期に、同じく弩級少年漫画である「ワンピース」も始まっています。ワンピースも、登場キャラクターの特徴づけのひとつとして「笑い方」を採用することが多い漫画ですが、もしかすると相互に影響しあったようなところもあるのかも知れません。

まあ、なにはともあれ私が言いたいことは「キン肉マン面白いよね!!」「というか、今連載中のキン肉マンもめっちゃ面白いので皆読むべきだよ!!38巻以降が連載再開後のキン肉マンだよ!!!」というダイレクトマーケティングだけですのでよろしくお願いします。

今日書きたいことはそれくらいです。








posted by しんざき at 21:54 | Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月02日

今日のしんざきと、ナゾゲーランドに関東豪楽連で出演したお話 19/09/02

〇ナゾゲーランドで演奏してきました

キャラゲーBGM演奏集団「関東豪楽連」。今回もお蔭様で楽しく演奏させていただきました。皆さんも楽しんでいただけていたら超絶幸いです。

今回のセットリストを書きだしてみますと、

1.SFCヒーロー戦記プロジェクトオリュンポス オープニング
2.SDガンダム GGENERATION-F BGM013
3.FC おぼっちゃまくん 南米ステージ
4.ドラゴンボールZ Sparking! NEO ソリッドステートスカウター
5.ファミコンジャンプメドレー(現代フィールド〜 街 〜過去フィールド)
6.聖闘士星矢メドレー(黄金伝説フィールド〜 完結編フィールド〜 完結編バトル)
7.ACジョジョの奇妙な冒険/空条承太郎のテーマ
アンコール:FC ゴジラ(地球のテーマ)

こんな感じです。

最初の方で比較的マイナーなタイトルがガシガシ並んでるんですが、特にGジェネの曲は死ぬ程かっこいいのでぜひ原曲も聞いてみて頂けると。一方、おぼっちゃまくんの南米のテーマはマジでよく出来ていて、メロディの出来もさることながら、構成とか曲の展開とかマジでフォルクローレです。この曲作った人絶対フォルクローレの勉強めっちゃしてる。一体当時何の音源を聴いたんだ。LPか?

ファミコンジャンプ、聖闘士星矢は安定のメジャータイトルとして、ジョジョはSFCかと思わせてまさかのAC版です。いや、世間的にはこっちの方がメジャーだと思いますが。そして、今回は関東豪楽連初のアンコールを頂きましたので、なんかその場のノリでゴジラを演奏しました。アレ即興で吹ける曲じゃねえ。

あと、私個人の感想なんですが、今回のゲーム朗読「狐の嫁入り 総集編」は、脚本がめちゃ良く出来ていてびっくりしました。昔話の展開を踏襲しつつ、力業でメガテンに持っていく剛腕に感嘆するほかなし。

次回ナゾゲーランドは12/15にあるらしいので、来たことがある人もない人も、是非おいでください!色々ごった煮で楽しいイベントです!


〇長女次女とつくし野フィールドアスレチックにいってきました

以前長男と来て以来、長女次女も前から来たがっていたので連れてきてみました。

長女次女連れてつくし野フィールドアスレチックきた!!!

50個のフィールドアスレチックが3つに分かれてお腹いっぱい遊べるつくし野フィールドアスレチック、まだ小学2年の長女次女には大変かな?と実はちょっと心配していたんですが、途中で弱音を挙げることもなく、高所恐怖症気味の長女も(時々こわいーー!とか言い出しつつも)最後までアスレチックを制覇し切るという、予想を覆す頑張りを見せてくれました。楽しかったみたいでなによりです。

フィールドアスレチック楽しかった様子

ただ、つくし野フィールドアスレチックにはたらい渡りだとかボート渡りといった「水の上を通るアスレチック」というものが複数あり、これがまた楽しいものの、長女は見事に一回転落してずぶぬれになりまして、うかつにも着替えを用意してなかったので少々大変でした。まあ暑い日だったんですぐ乾いたんですが、皆さん遊びに行かれる際はぜひ着替えのご用意を。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 13:47 | Comment(0) | フォルクローレ・ケーナ・演奏関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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