2019年09月05日

何年も塾講師をやっていて、「作者の気持ちを答えなさい」という問題を観測したことがない

いや、存在しない、って言ってるわけじゃないんですよ。世の中広い一方私の観測範囲なんてたかが知れてるんで、どこかでそういう問題が何度も出題されていた可能性を否定はしません。

ただ、そこそこ長いこと補習塾で学校の試験の対策やら復習をやっていた人間の所感から言いますと、少なくとも受験問題や定期試験問題のレベルの話で言うと、

・「この表現における作者の意図を答えよ」とか、「このエッセイにおける作者の考えを要約せよ」みたいな問題は割と見る
・けれど、例えば小説や物語など、作者自身の人格が関わらない問題で「作者の気持ちを答えよ」みたいな問題は観測したことがない

んですよ。

いや、エッセイや随筆、評論ならそれに近い問題あり得ると思いますよ?あれは、作者が自分の経験を元に自分の思考を書いている文章なんですから、そこで作者の考えが問題になり得るのは当然です。場合によっては、作者の感情とか意図というものが問われることもあるかも知れません。それはまあ、別におかしいことではありません。それにしたって、「作者の気持ち」という問われ方はあんまりしないと思いますけど。

ただ、よく引き合いに出される「国語でこんなクソ問題が出た!!」的なお話って、大体小説とか物語文における「作者の気持ち」じゃないですか。それって、そもそも問題として成立していないんですよ。だって、その文章の中に作者は「いない」んですから、文章の中から題意を満たす答えを見出すことが出来ない。問題を作る側にしても困るんじゃないですかね?

だからこそ、「こんなアホな問題を作る教師がいた」ということで話題になるんだろうと思うんですが、教師としても問題を作る際には当然「解き方」を想定しまして、「こんなルートで解いて欲しいな」「こんなルートで間違えて欲しいな」ということを考えますから、まるっと成立しない問題を作るっていうのもそこそこ勇気がいるだろうなー、とは思うんですよ。皆さん、試験問題って作ったことありますか?あれ相当色々考えないと作れないですよ。

ですので、「作者の気持ちを答えなさい」的な問題、もし存在するにしてもまあ結構なレアケースなんだろうなーとは思うんですが、webを見ているとまあ結構な頻度で「こんなクソ問題が!!」的な話題が持ち上がるし、やたら共感を集めているんですよね。あれ、俺の観測範囲ってそんなにズレてたのかな、みたいな。

国語のクソ問題は頻繁に流布されるのに、算数や理科や社会のクソ問題は頻度が低いような気がしています。いや、算数で言うと例えば「足し算や掛け算の順序ガー」とか「さくらんぼ計算ガー」みたいな、採点基準や解き方の方にまつわる話はちょくちょく見ますけど、「問題自体がクソ」ってあんまりみないんですよね。これ、「算数や社会や理科は、クソ問題を作るにも「クソ問題」と認定するにもある程度知識が必要とされるから、国語がお手軽なターゲットになってしまっている」みたいな状況なんじゃないかと邪推しちゃうんですけど。

一つ思うのは、恐らく学校の授業や教科書レベルで観る、「この時作者はどんな気持ちだったでしょう」みたいな、答えを必要としない一種の思考練習みたいなものが、「実際に試験に出されていたら」的な発想がどっかにあるんじゃないかなーと。当たり前ですが、授業と試験は別なんで、明確な答えを出す必要がない授業であれば、「作者の気持ち」を考えさせる内容ってあり得るんですよ。そこから発想された「クソ問題」ネタが毎回出る度に受けるんで、一種の定番の流れみたいになっちゃってるんじゃないかなーというような印象があります。

もう一つの可能性として、上で書いた、評論やエッセイを対象とする「作者の考えを問う」問題を解いた記憶がある人が、「作者の気持ちを答えなさい」的なネタと混同してしまって、「そういう問題出されたことある!」となってしまうのではないか、というようにも思います。

個人的には、学校の先生がすごーーく頑張ってるのって良く知ってますし、学校教育、あるいは教師の質を貶めるようなお話はあんまりよい気分にならない為、疑わしい話はあまり広まらないで欲しいなーとか思います。

先生ってただでさえ藁人形論法の対象になりやすいんで、「いやそりゃ変な先生も中にはいるけれど、案外皆ちゃんとしてるし頑張ってるんだよ」ということを、どっちかというと広めていきたいなーと思う次第なのです。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 12:35 | Comment(4) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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