2020年01月20日

俺にとってのインターネットと、昔からのゲーム環境の変遷の話

こんな記事を拝読しました。


「ブログはオワコン」と叫ばれて久しい。今思えば、「個人がインターネットでそこそこの長文を書く」という文化は、地上での鬱屈や呪詛といった負の感情と密接な関係にあったのだろう。日常生活で溜め込んだもの、あるいは、そこでは満たされない何か。それをインターネットに「見つける」ことで、バランスを保っていた。そんな世代が確かにあったと、私は信じたい。
しかし、現実とインターネットの距離が近くなり、あるいは同一となった今、「長文を書いてまで吐き出したい何か」は、鳴りを潜めたのだろう。もうここは相対的に、昔ほど「特別な場所」ではない。Tik Tok や Instagramでエモり合うのが、今の「インターネット=現実」なのだ。

特に結論が出る話とかではないですし、返歌にすらなっていないかも知れないですが、まあ書きたくなったので書きます。

なんとなくですけど、似たような思いを昔どっかでしたなーと思いまして、ちょっと自分で考えてみたらゲーセンの話でした。

皆さん、子どもの頃ゲーセンいってました?以前も一度書いたんですけど、私、近所に凄い好きなゲーセンがあったんですよ。キャビンっていうんですけど。

昔のゲーセンって、今から思うと物凄ーくピンポイントな、スコープが限定された遊び場だったと思うんですよね。ゲームしか置いていない空間。会話なんて一切ない空間。たばこ臭くって、時には妙なもめごとがあって、怖くって、けれどそこに行かないと絶対遊べないゲームがたくさんあって。「行きづらいしハードル高いけど、いざ行ってみると底抜けに楽しくって定住したくなっちゃう」くらい面白い場所だったんです。

狭いネタ程よく刺さる、って言いますけど、当時ゲームなんて日陰の文化もいいところで、だからこそ「ゲーマー」っていう自分の属性に妙な誇りと帰属意識を感じていたんですよね。学校やら家庭やらで色々うまくいかないことがあっても、取り敢えずゲーセンでゲームをしている間は自分は「ゲーマー」でいられた。すっごい大げさにいうと、ゲーセンって自己実現の場だったんですよね。

で、当たり前のことですが、時代は変わりますし、ゲームの環境も変わります。

個人経営の小さなゲーセンは、やがてメーカー経営のアミューズメントパークに収斂していき、街から姿を消していきました。

「ゲーセンでしかできないゲーム」は、一部の大型筐体ゲームを除けばほぼなくなり、大体のゲームは家庭で、あるいはなんならスマホで出来るようになりました。

オンライン環境が想像も出来なかった程に充実し、どんなゲームでも家庭でダウンロードし、自宅ですぐ遊べる時代になりました。
ゲームのプラットフォームも大きく変遷し、スマホでお手軽に遊べるゲームが大隆盛しました。

ゲーム自体、昔よりずっと一般的になり、子どもがやっても叱られず、大人がやっても白い目で見られない文化になりました。

ゲームが一方的な都合の良い悪役にされることも、昔に比べればずっと少なくなりました。(今でも全くないわけではないですが)

これら、ゲームっていう文化について言うと、大筋「良い方向」に変化してきている部分の方が大きいと思うんですよ。ゲームが昔より遥かに手軽に遊べるようになった一方、別にディープなゲームやコアなゲームが消えた訳ではなく、Steamとかインディーズのゲームとかにアンテナを張れば幾らでもディープなゲームが見つかります。ゲーマーとしては、過去に類を見なかった程ゲームにハマりやすい時代なんですよね、今。

ただまあ、「いい時代になったなあ」と思いつつも、ほんの少し、昔を懐かしむ気持ちもあります。びくびくしながらゲーセンに通って、ゲーセンでしかできないタイトルに目を輝かせて、50円玉リソースを全霊でつぎ込んではゲームの世界に魅せられていた時代。「いい時代だった」なんて一言じゃとても括れない、タバコ臭いし血なまぐさい時代でしたが、あれはあれでまあ楽しかったなあ、と。

それは単なる思い出。私の思い出だけの話であって、正直、別段「あの頃に戻りたい」とすら思わないんです。だって今新しいゲーム遊ぶの楽しいし、昔遊んだゲームも今遊んで楽しいもん。「これから俺はどんなゲームを遊べるのか」という未来に比べれば、昔のゲーム環境がどうとか、些細な話ではあるんです。

で、私は今でもゲームを遊んでいますし、ゲームっていう文化に育てられてきたと思っていますし、ゲームに心から感謝しているし、なにがしかゲームに恩返し出来るといいなあ、とも思っていると。そういうわけなんです。

***

私はブログを2004年に初めまして、それ以前から個人のwebページを作ったりはしてたんですが、まあとにかく色々書き散らしてきました。で、ゲームを取り巻く環境と同じような感覚を、インターネットにも感じているんですよ。なんか訳の分からんこと書いてる人たちがたくさんいて、お互いに手斧を投げつけあって、時にはわけのわからん炎上が始まって、去年までアルファだった人がいきなり綺麗さっぱり消失して。

あの頃から比べると、とんでもなくインターネットは身近になったけど、あの頃のアレはアレでまあ楽しかったなーと。ただ、「あのころに戻りたい」かというと、そりゃちょっと微妙だなーと。

匿名のまま好きなことを書けるという環境は確かに滅茶苦茶貴重であって、そういう意味でインターネットは今でもずっと私にとって「特別の場所」で、周囲の環境がどう変わっても、自分の中でのその位置づけになにかしら変化があったのかというと、あんまりそういう気もしないのです。

それはちょうど、私の周囲にゲーセンがなくなっても、ゲームが今でも私の一番の趣味であり続けていることと似ています。

冒頭記事で書いて頂いている、

n=1 が「許される」環境、それが、私にとってのブログなのだ。この日常を止めることなんて出来ない。


という言葉については全力で首肯するところなんですが、結局インターネットは昔より遥かに広くなったのであって、別段俺一人好きなことをだらだら書きなぐっていても、誰に遠慮することもないだろうと。

ブログはオワコンという人が何万人いようが知ったことではなく、俺はここで、俺にとってのインターネットで思いついたことを好きなように書き続けるし、読みたい人は読めばいいし読みたくない人は別に読まなければいいんじゃないの、と。

そんな風に考えているわけなのです。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 09:48 | Comment(4) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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