2020年07月08日

「〇〇を許さない空気」という言葉をちょっと批判されたくらいで発してしまう率

こんな記事を拝読しました。


「売れていないのは宣伝不足」 「もっと宣伝すれば売り上げも伸びるはず」
このような理論は正しいと思いますし、作者や編集者がそう考えるのも当然だと思います。
ですが、そんなクリエイター達に言いたいことがある。

そもそも作品の質が悪いから売れないのでは、と。

宣伝は大事だと思いますが「つまらない作品は売れない」という理論も正しいはずです。


続けて、作者と編集者に言いたいことがあります。

「つまらない作品、売れなくて当然の作品を「買ってください」と宣伝してどうするのか」ということです。


もう一点、合わせて作家の皆様に言いたいことは「読者に作品をつまらないと評価する権利を与えてほしい」ということです。

「作家は思っている以上に繊細です。水を与えなければ枯れてしまいます」

「心無い読者の批判で筆を折る作家がどれだけいることか」

「ラノベを批評したら作者に個人情報を晒された」

「合わないと思った人は何も言わずにブラウザバックしてください」

「ラノベレビュー動画が削除された」

「ライトノベルに評論家など不要」


ネットで検索すると出てきたページの見出しの文章です。とにかく今は批評を許さない空気になっている。それはとても恐ろしいことだと私は思っています。


上記の辺りの引用部分を読んで私が思ったことを簡単にまとめると、

・「つまらない作品は売れない」という側面を否定はしませんが、実際には「つまらない面白い以前に、そもそも読者に届いていないし認知されていない」作品の方が圧倒的に多いです

・面白いつまらないは個人の判断ですので、ある作品について誰かが「つまらない」と思ったとしても、それが他の誰かにとって「面白い」作品である可能性は絶対に消えません

・批評を許さない空気なんて存在しますかね…??

・「批評をしたらその批評に対して批判された」「批評に対する批判を見かけた」というくらいで、「〇〇を許さない空気」と言ってしまうのはちょっと無理があるんじゃないかと思います

・けど「〇〇を許さない空気」って言う時、「〇〇っていったら特定の誰かに怒られた」っていうくらいの原因だったってこと結構あるよね

以上になります。よろしくお願いします。

さて、最初に書きたいことは全部書いてしまったので、あとはざっくばらんにいきましょう。

まず、当然の前提というか間違いないところから始めるんですが、

「絶対的に、誰が読んでも面白い作品」が存在しないのと同様、「絶対的に、誰が読んでもつまらない作品」というものも存在しません。

面白い、つまらないというのは相対的な尺度であって、しかもその尺度は人によって違います。誰の手も経ていないweb小説やらweb漫画ですら、「刺さる人には刺さる」コンテンツが多々あるのです。

まして商業のライトノベルなんて殆どがちゃんと編集さんの手を経て商業ラインにのっているわけで、「誰が読んでもつまらない作品」などむしろ稀有でしょう。大体の作品は、「面白いところもあればつまらないところもある」「刺さる人には刺さる」という程度の面白さは担保されています。

ただ、世の中には、出版はしてみても数百冊も売れないで大爆死、みたいな作品が山のようにあります。刺さる人にすら届かない作品が山のようにあります。

読まれてないので、「つまらない」という評価すらされません。けれど、売れません。なんででしょうね?

それは、単純に「刺さる人に届いてないから」です。「面白い/つまらない」の判断をする為には、そもそも手にとってある程度読まないといけない訳です。

顧客が購買行動に至るまでは、

認知→興味・感心→比較・検討→購入・申込

というルートをたどりますが、現代の出版マーケティングにおいて、まずこの最初の段階、「認知してもらう」というところまでたどり着くのが一番難しい、というのは常識中の常識です。そもそも現時点ですら届いてないんです。そこでSNSでの宣伝機会すら奪われてしまっては、誰にも認知されず人知れず埋もれる作品は更に増えるでしょう。

・つまらない/面白いは人それぞれであり、そもそも認知されなければ評価されない
・認知されるためのハードルが一番高い

上記二点から、

「つまらない作品は宣伝するな」というのは端的に暴論です。

というのが一点目の話。

で、実は二点目の方がもうちょっと気になったんですが。

「読者に作品をつまらないと評価する権利を与えてほしい」

ということなんですが…「つまらない」ということを許さない空気なんて、実際のところ存在してますかね?

そりゃまあ確かに、「ライトノベルに評論家など不要」みたいな文言はぐぐれば出てきますが、それ以上に「××という作品はクソ」という文言もぐぐればザクザク出てきます。ちょっと試しに「ライトノベル つまらない」でぐぐってみてください。作品けなしてるテキストどんだけ見つかりますか?

こういう、「つまらないと評価している記事がいくらでも存在する」環境で、「批評を許さない空気になっている」って言われてもいまいちピンとこないっていうか、正直何の話をしてるんだろうと思っちゃうんですよ。

いや、ありますよ?批評に対するカウンターってのは普通にあります。「〇〇って作品が面白くない!!!!」って大声で叫んだら、確かに〇〇好きの人が大挙してやってくることもあるでしょう。もしかするとぷち炎上する可能性だってあるかも知れません。

けど、

「批判にカウンターが帰ってくることがある」
「探せば、批判に対する批判のテキストが見つかる」

っていう状況を、「〇〇を許さない空気」みたいに言っちゃっていいのかなあ?と。

批判をする自由があるなら、批判に対して批判を重ねる自由だってあるでしょう。それを、「批判を批判するな!」って話にしちゃうと、それこそ「批判に対する批判を許さない空気」ってことになっちゃいませんかね、と。

現在のポリコレ関連くらいまでいったら、そりゃ「〇〇を許さない空気」まで言っちゃってもいい案件も出てくるかも知れませんが、実際のところ、現状日本「〇〇を許さない空気」の「〇〇」に当てはまるものって、少なくとも言論に限って言えばそうそうないような気がするんですよ。「炎上しやすい案件」「燃えやすい案件」くらいならあると思いますけど。

もちろん、表現者ってものは百の賛同よりも一の批判・罵倒の方を心に残してしまうものですから、多少賛成意見があったとしても怒られの方にばっかり意識が言ってしまう、というのはありがちな話です。結果的に、「〇〇について書くといつも怒られが発生する!」「〇〇を許さない空気だ!」って言いたくなっちゃうこともあるのかも知れないですけど。それちょっとあんまり妥当じゃないんじゃないかなあと。

私の言いたいことをまとめると、大体そんな感じになります。


コンテンツの批判も、コンテンツに対する「好き」の表明も、気軽に出来る世の中であり続けるといいなあ、と。

そう考える次第です。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 23:39 | Comment(6) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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