2022年05月18日

三角関数の優先度がどうとか

・仮に三角関数が「特定の職業でしか使わない専門知識」だとして、それによって教育上の優先度が下がる、という考え方は妥当ではありません。基礎教育時代に学んだ知識は、それこそ「専門性の高い」職業への「入口」として動作するものであって、「専門性の高い」道を選んでから学び始めるのではコストがかかり過ぎ、その道への選択肢自体を狭めてしまう為です
・一方、三角関数を利用する分野というものは、物理学、工学、建築、土木、地理、システムエンジニアリング、モデリングやゲーム開発といったところから美術・デザイン、場合によっては日常生活にだって現れるもので、端的に言って「専門知識」として片づけるには応用範囲が余りにも広すぎます
・正直、「ちょっとでも理系知識が絡む職業なら全部」といってもいいくらい頻出の知識かと思われます
・更に、算数や数学というものは基本積み重ねの学問であって、どれか一分野の優先度を下げられるようなものではなく、何か一つ抜ければそこから先全箇所で躓く、と考えた方が妥当です
・つまり、「三角関数の優先度を下げる」というのは、「数学の優先度を下げる」ということと大筋同義になります
・ところで経済学とか金融工学というものは数学に立脚しており、数学を理解せずに経済学を理解することは非常に困難です。というか無理です
・どうするんでしょう

・上記を一旦すべて置いておいたとして、「学びの優先度」というものを「(現在の社会環境で)役に立つかどうか」という視点で考えるのは、特に基礎教育においては非常に危険かと思います
・何故なら、「役に立つかどうか」というのは非常に射程が短い考え方であって、当初「役に立たない」と考えられていた知識が後々世界を変えたことなどいくらでもあるからです(ハインリヒ・ヘルツが電磁波について「(研究を進めても)なにもない」と答えていたことは有名かと思います)
・要は「役に立つかどうか」という考え方自体が聊か視野が狭いです
・中高生の教育という、将来に渡って大変重要な知識の土台となるテーマを近視眼的な考え方で決めて欲しくないなあと心から思います

・更に上記とは別の話として、「何かを持ち上げる時、同時に他の何かを下げる」という論法は、正直あまり品が良くないし筋も良くない論法だと感じます
・重要性を指摘するなら別に単体で指摘すりゃいいと思うんですけどね

以上です。よろしくお願いします。
posted by しんざき at 22:44 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

車の運転滅茶苦茶怖いし、こんな怖いことをあの程度の教習でやらせていいのか、感も強い

先日、「車の運転は疲れるものなのかな?」というタイトルの匿名ダイアリーがブックマークを集めているのを見かけました。そんな過激な内容だとも思わなかったのですが、今見たら何故か消えていたので、アーカイブをリンクしておきます。


車を運転しない男性が、車を長時間運転してくれた彼女の感覚をいまひとつ実感できなくて不安になる、というような話でしょうか。「運転好きだけど終わった後は疲れる」というのはすごくよくわかるので、むしろ彼女さんの感想はごく当然で、深く勘繰るようなものでもないんじゃないか、と思いました。

以下は単なる雑感です。

しんざきは一応免許は持っていまして、旅行時にはちょくちょくレンタカーを借りて運転します。奥様がペーパードライバーなので、大抵の場合私が一人でずーっと運転します。1日数時間運転する場合も多いです。

上でも書きましたが、運転自体は好きです。

元々私の父が車関係の仕事をしていたということもあり、小さなころから車に乗る機会が多く、乗り物酔いとも無縁でした。「運転」という行為には男の子としての原初的な楽しみのようなものもあり、「自分の操作で好きな方向に乗り物が動く」という、ただそれだけで楽しさを感じることが出来ます。それに加えて、車それぞれにいろんな個性があり、運転している感覚も全然違うというのも面白い。オプション装備とか、更に男の子回路をくすぐってくれる要素もあります。


ただ、その上で運転しながら思うのは、「これよく考えるとめちゃくちゃ難易度高いし、恐ろしい行為だよな」と。


信号、歩行者、バックミラー、サイドミラー、道路標識、自車のスピードや状態、対向車、道路横の地形、道路上の障害物。運転中に目配りしないといけないポイントは山ほどあり、少しでも目を離せば何かしらのトラブルが発生する可能性がある。

更に、それらに視線を配りながら、自分が操作・管理をしないといけないポイントも山ほどある。ハンドル、アクセル、ブレーキは元より、ウィンカーやらヘッドライトやらバックライトやらサイドブレーキやらワイパーやら空調やら、これ人間が通常管理出来るUI規模なのか、と思うくらい管理しないといけないポイントは多いです。

もちろん慣れればこれらはある程度無意識でも出来るようになるもので、毎度運転する度上記のようにリストアップして対応しているわけでもないんですが、「慣れていればトラブルが減る」というわけでは決してなく、むしろどんな運転ベテランでも事故る時は事故ります。この時、全て自分の注意不足に由来する事故ならまだ納得出来るかも知れないですが、時には天災のような事故もあって、だからといって自分の責任がゼロになるわけでもない。

トラブルの大きさはよりどりみどりで、ただ物損だけで済めばまだしも、場合によっては人命が失われる可能性もある。当然、車には自分の家族も乗り合わせているわけで、家族が巻き込まれる可能性だってないとはいえない。基本的に、「何か起こった時」に責任をとれる範囲が、到底自分のキャパシティを越えているわけです。そりゃ保険には入るわけですが、お金で解決しない問題はどうにもなりません。

こうして考えると、改めて、「車の運転」ってめちゃくちゃリスキーで責任重大なことだなあ、とは考えざるを得ないんですよ。そりゃ、長時間運転すればどっと疲れます。むしろ疲れない方が不安です。

一方で、ここまでリスキーで重大なことに対して、「学び」「練習」の機会が限られ過ぎではないか、とは考えるところです。私確か一ヶ月くらいで免許とったと思うんですが、せいぜいそれくらいの研修期間で車には乗れてしまう。かつ、その後ずっと運転していなかったペーパードライバーでも、ゴールド免許で堂々と車に乗ることができてしまう。

これ大丈夫なのか、感ありますよね。そりゃ免許更新時の講習とか申し訳程度にありますけど、あれだけの講習で教習時の感覚なんて思い出せるもんか?

この辺、たとえば教習所でのペーパードライバー教習みたいな制度もあるにはあるんですが、結構なお値段がしてなかなか気楽に出来るものではないですし、もうちょっと「練習運転」が気軽に出来るような制度があるといいんじゃないかなあ、とは思った次第なんです。

自家用車さえあれば、免許試験場のコース開放なんかもあるんですけどね。車庫入れの練習とかもっと気楽にしたいんだよなあ。

皆さまにおかれましては、交通事故になど巻き込まれることも巻き込むこともなく、平穏無事な生活を送られることを心から願ってやみません。

今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 14:50 | Comment(3) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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