2023年08月31日

最近のしんざきのゲーム音楽演奏関連の話 23/08/31

ようやく涼しくなってきましたね。皆さん熱中症大丈夫でしたか?水分が足りない時はキャベツ太郎を摂取するといいらしいです。
本日は演奏関連の告知を二つ並べてみます。

〇9/3、阿佐ヶ谷はSoul玉Tokyoにて、「ナゾゲーランド」開催します

今回もキャラゲー演奏集団「関東豪楽連」にて演奏します。

開催場所:Soul玉Tokyo
日時:9/3(日)18時〜
料金:2,000円 + 1drink order
予約フォーム:こちら

ナゾゲーランドは例によってゲーム朗読あり、ゲーム音楽演奏あり、漫談ありクイズ大会ありと、割となんでもあり気味の謎のよろずゲームイベントなのですが、今回もしんざきはケーナ演奏で参加します。
いつもの「関東豪楽連」より若干人数は少ないんですが、演奏パワーはまさるとも劣らず、普段ならアニメ・漫画原作のゲームBGMを演奏することが多いのですが、なんと今回は普段の逆。「アニメ・マンガ化されたゲーム」をテーマに7曲くらいお送りしたいと思います。
プレステ初期の3D格闘ゲームとか、某8人の中からセレクトするロボゲーとかいろいろやります!お楽しみに!

ちなみに、ナゾゲーランド自体のテーマは「ファミコン40」。一体どんなネタが飛び出すのか私にもさっぱり分かりませんが、いつも通りの謎クオリティで色々とお送り出来ることと思います。
是非ご来場くださいませ。


〇「聖剣伝説」シリーズのBGMをアコースティック演奏するバンドの演奏動画が公開されました

こちらです。


今回は聖剣1〜3の曲から4曲セレクトしまして、ケーナ・テナーリコーダー・アコーディオンなどのアコースティック楽器を中心にお送りしており、しんざきはケーナを吹いています。現状の曲目はこんな感じ。





どれもいい感じになったと思いますので、良かったら聴いてみてください。個人的には特に3のマナの聖域の曲、「Decesion Bell」がお気に入り。
今後もいろいろアコースティック編成でやっていく予定なのでよろしくお願いします。


一旦それくらいです。



2023年08月29日

料理を始めて三年くらいで出来るようになったこと

この記事を書いてから大体3年くらい経ちました。

40歳で料理を始めてみたら「パソコンを起動できないおじさん」の気持ちがわかった件。

この3年くらいで何が出来るようになったかというと、

・カレーを作る時「カレー レシピ 初心者」でぐぐらなくてもなんとなく作り始めてちゃんとカレーが出来るようになった
・しゃもじを溶かさなくなった
・家の食器や食材の位置はほぼ全て把握した
・鳥のから揚げが作れるようになった
・というか揚げ物に対する抵抗感はほぼなくなって気軽に揚げ物が出来るようになった
・中華丼が作れるようになった
・味噌汁が作れるようになった
・パスタが作れるようになった
・チキンステーキが作れるようになった
・チャーハンが作れるようになった
・肉じゃがが作れるようになった
・低温調理器の使い方を覚えた
・カット野菜を買ってこなくても普通に家にある野菜を切って料理が出来るようになった
・事前にレシピを用意して買い物に行かなくても、なんとなく安そうな食材や、残った食材から適当に料理が作れるようになった
・妻が急に遅くなっても特に困らず夕飯が用意できるようになった

だいぶ進歩したような気がしますね。この辺は遠慮なく自画自賛していこうと思います。自画自賛には抵抗がない方なので。

後はなんでしょう、料理ってステップアップの方向性が良く分からないというか、どっちに進むとどうスキルが上がるのかとか、スキルテーブルみたいなものがいまいちよく分からないのですが、進歩したとは言ってもまだ全然長男に追いついてない(長男は高校生男子なのに、自分のおやつにパッと揚げ物作ったりめちゃ凝った夕飯を作るレベル)ので、今後とも精進していこうと思います。

よろしくお願いします。

posted by しんざき at 23:42 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月11日

今日のしんざきのOuterWildsプレイメモ 23/08/11 (DLC攻略中) (ネタバレ注意)

思考メモの為のOuterWildsDLC攻略日記です。
ネタバレが含まれると思われるので、OuterWilds・およびDLC未プレイの方には推奨しません。




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posted by しんざき at 11:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月08日

今日のしんざきが宮城〜岩手に旅行に行っていた話 23/08/05

行ってきました。大変楽しかったです。

駅1.jpg 駅2.jpg

余りにも暑かったので北に行こうかという話になりました。今回、長女次女はお祖母ちゃんのところに泊りがけで遊びに行かせてもらっていて目いっぱい堪能中、一方長男は諸々忙しくってあまり隙間時間もなく、長男もどっか連れてってあげるかーという話になり、私・奥様・長男の三人パーティでの行動になりました。

ちょうど奥様が宮沢賢治童話村のライトアップに興味があったのと、東日本大震災のあと復興した街がどんな風になっているのか見てみたい、ということだったので、仙台→花巻のルートを計画しました。
大体どんな旅行だったのか、という話をします。

〇松島に行きました〜一泊目
しんざき長男は海鮮料理好き・綺麗な景色好きで、「松島で海鮮丼を食べて松島を観たい」という希望がありました。旅の目的が明確なのはとても良いことだと思います。

ということで、仙台でレンタカーを借りて松島に行きました。まあ、乗り鉄の長男は「仙石線に乗りたい」と言いまして、仙台から別行動だったんですけど松島海岸駅で合流しました。

松島1.jpg 松島4.jpg
松島2.jpg 松島3.jpg

これは松島の一例です。関係ないんですが、私seesaaブログ19年くらい使ってて、未だにseesaaで画像をアップロードする時の正解が良くわかっていません。どうすりゃいいんだろうな。

松島はとにかくまあ綺麗で、私は仙台出身なんですが地元の名所にそれほど足しげく通ったわけでもなく、大変無責任に綺麗だな感に浸ることが出来ました。平日休みだったのであまり人がいなかったのも二重丸過ぎました。

松島には五大堂というものがありまして、五大堂に行くには透橋を渡らなくてはいけません。透橋というのは隙間から下が見える構造になった橋で、本来は下を見ることで心を静めるための橋なんだそうですが、私は少しでも足元に不安定さがあると大変わくわくしてしまう方なので、残念ながらあまり心は静まりませんでした。

松島5.jpg

そして美味しいものを食べました。あら汁が大変においしかったです。長男は海鮮串焼きを食べまくっていた由。

その後、仙台市の輪王寺に寄ってから秋保温泉に行きました。輪王寺って小さい頃行ったことがあるんですが全然記憶がなく、今回行ってみたら滅茶苦茶綺麗な庭園があり、しかもお客さんが他に一人もおらず貸し切り状態。大変贅沢な環境で庭園散策が出来ました。素晴らしかった。

輪王寺1.jpg 輪王寺2.jpg

奥様の話だと「君たちはどう生きるかに出てきた庭園そっくり」らしいのですが、私はまだ未見の為観ないといけないと思いました。

あと秋保温泉の「KOMOREBI gelato」という店でジェラートを食べました。これもまた大変冷た美味しかったです。

ジェラート1.jpg ジェラート2.jpg

この後宿に行くわけですが、このすぐそばの磊々峡がすごかった。すぐそばに何の変哲もない住宅街のような街並みがあるのに、ちょっと川沿いに入ってみると巨岩奇岩の嵐。「ポリゴンのスケール設定間違ってない?」と言わんばかりの物凄いスケールでした。

一応写真を撮ってはみたのですが、スケール感が全くこれっぽっちも活かせていません。こういうの写真で表現するのってどうすればいいのでしょう?この写真だとなんか普通の川みたいに見えてしまうと思うんですが、実際にはこれに写ってる岩、通常川で想像されるような岩の10倍くらいのスケールがあります。

磊々峡1.jpg   磊々峡2.jpg

その後秋保温泉の宿で飲み食いしまくって一日目終了。

〇仙台から名取に行って花巻まで北上しました〜二泊目

二泊目。仙台から岩手は花巻へと北上するというプランは最初からあったのですが、東日本大震災のその後に触れてみたいという奥様の要望、一方昨日に引き続き海鮮を貪り食いたいという長男の欲望を折衷しまして、名取はゆりあげ港の朝市を目指し、そこから花巻へ転身するルートにしました。

皆さんよくご存知の通り、名取は震災の津波の際、最も大きな被害を受けた町の一つです。「閖上の記憶」という施設がありまして、そちらで当時の被災者の人にも貴重なお話を伺えて、改めて当時の凄まじい被害が実感出来た一方、「ああしていれば、こうしていればという後悔は尽きない」という言葉が非常に重かったなあと感じました。

ゆりあげ1.jpg ゆりあげ2.jpg

そしてゆりあげ港併設メイプル館の海鮮丼の安定感。

海鮮.jpg

その後、やはり長男は「東北本線に乗る」と言って名取で我々と別行動、今度は花巻駅で合流することになりました。久々に150キロ程車で移動しまして、花巻で長男と合流→宮沢賢治記念館→一度宿に移動してチェックイン→花巻市街で焼肉食べる→宮沢賢治童話村でライトアップ見る、のコンボルート。

賢治記念館については先日書いたのでこちらご参照ください。


宿で温泉入って、新幹線で東京に戻り、その後西荻ゲームパワーに参加して聖剣伝説の曲を吹きまくるという、なかなかのパワープレイでしたが大変楽しかったです。超充実した三日間でした。

一旦それくらいです。




posted by しんざき at 16:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月06日

宮沢賢治記念館のちょっとだけ物足りなかった点と、ますむらひろし先生がガチだったという話

色々ありまして、花巻の宮沢賢治記念館に行ってきました。


こちら、旅行自体がどんなものだったかは別途日記として書こうと思っているんですが、取り急ぎ記念館の印象と感想について書いてみたくなりました。

・常設展示室と特別展示室に分かれていまして、常設展示室では体育館程の大きなホールの周囲の壁に、賢治関連の色んな資料が展示されていました
・常設展示室は大きく「科学」「芸術」「宇宙」「宗教」「農」のエリアに分かれていまして、それぞれのテーマに沿って、資料の肉筆のノートやら手紙やらスケッチやら賢治が愛用していたセロやらが展示されていました
・特に、「法華経に傾倒していた宗教家としての賢治」「農学に注力し農村の為に尽力した賢治」の展示に大きなスペースが割かれているように思いました
・それぞれのコーナーで、賢治の文学のバックグラウンドとなる様々な思想や賢治の心象に触れられるように思いました
・これはこれで大変見ごたえがありました、あったんですが
・個人的には、「賢治の文学とその解題」というテーマの展示がもっと見たかったなあと……いわば、「文豪としての賢治」というコーナーがもう一つがつんと用意されていて、そこで賢治の表現について色々な論考が見れることを期待していたのです
・いやもちろん、賢治肉筆の原稿とか色々見れてそれはそれで眼福だったんですが
・ただこれは私的な印象なんですが、文学者としての賢治の強みってその表現、自分の思いや心象を童話のような語り口でどのように表現していて、それをどんな言葉に変換しているかという点での強烈な独自性だと思っているんですね
・つまり「賢治のバックグラウンドが、賢治の文章にはどう活きているのか」というのが滅茶苦茶知りたいしすごーーく興味ある
・そこから考えると、賢治の法華経についてがーーーっと展示した後で、「じゃあその法華経への傾倒が、賢治の作品のこういう表現にこういう影響を及ぼしています」みたいなところを見たかったんだけどそれがなかった
・作品一つ一つの解題についてももうちょっと読みたくって、「銀河鉄道の夜に出てくるジョバンニの切符は、あれは時期的に考えると法華経と関連つけて解釈するべきだよね」みたいな説についても読んでみたかったんですが、そういう作品の細かい解釈や論説についてはあまり見られなかったと思うんですよ
・例えばグスコーブドリの伝記なんかも、あれ賢治の農学に対する情熱と経験が丸々ぶち込まれている強烈な農学漫画で、作中のクーボー大博士についての講義と考課とかもっと掘り下げられそうなのでそういうのも読んでみたかった
・「なめとこ山の熊」なんかも法華経の思想ですよね
・いや別に宗教観と作品を紐づけて欲しい、という話じゃなくって、単に「文学者としての賢治展をもうちょっと見てみたかった」「農学や宗教をどうせクローズアップするなら作品の解題とそれを紐づけて欲しかった」という話です
・まあ銀河鉄道の夜の特別展で、作品が四稿に分かれていてそれぞれのバージョンの特徴はこれこれ、みたいなのもそれはそれですごく面白かったんですけどやっぱり表現の解釈とかにあんまりは踏み込んでいなかった
・そこがちょーーっとだけ物足りなかったな……
・と思っていたら、併設のイーハトーヴ館の方で、何故か無料展示でますむらひろし先生が描いた銀河鉄道の夜についての展示がやったたんですけど、そちらが「ますむらひろし先生による銀河鉄道についての論考」みたいな感じでめちゃ面白かったです
・例えば、「銀河鉄道はロングシートなのかボックスシートなのか?例えば鳥捕りの「この席に座ってよろしいですか?」みたいな発言を見るとボックスシートっぽいけど、モデルの岩手軽便鉄道はロングシートの筈で、ジョバンニとカンパネルラが窓の外を見る時の描写とかでもロングシートと解釈するべきところもある」みたいなめちゃマニアックな話を延々としている
・ますむらひろし先生すげえ
・ちなみにジョバンニの切符についてもますむらひろし先生は大変直接的な描き方をされていて、けれどその描き方をするべきだったかどうかは分からなくて、みたいな話も大変面白かった
・ということでイーハトーヴ館のますむらひろし先生の展示超楽しかったです
・全体的にとても見ごたえのある展示だったことは確かなので皆さん行ってみてください

以上です。よろしくお願いします。
今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 11:38 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月01日

人生で一番長くゲームで競った相手の名前を知らないし声も聞いたことがない

昔のゲーセンって、「名前も住所も知らず、下手すると声を聞いたことすらない相手と、物理的に同じ空間で長時間同じゲームで遊んで過ごす」というのが当たり前という、不思議な空間だったなーと思うのです。

しんざきはシューター、というよりダラ外ダー(「ダライアス外伝」を偏愛していて朝から晩までダライアス外伝を遊んでいる人の意)でして、「ダライアス外伝」を偏愛していて朝から晩までダライアス外伝で遊んでいました。ダライアス外伝の息抜きには格闘ゲームやパズルゲームで遊ぶこともありましたし、奇々怪界や中華大仙といった、当時基準ですらレトロゲームとみなされていたタイトルを遊んでいたこともありました。

ダライアス外伝は超名作横スクロールSTGなのですが、ここではその話は一旦置きます。興味がある方はこちらでも読んでみてください。

レトロゲーム万里を往く その35 〜ダライアス外伝〜

1コインクリアの為のダライアス外伝講座

多くのSTGと同様、ダライアス外伝には「得点稼ぎ」という遊びがあります。敵を倒したりボスのパーツを壊したり銀勲章とったりすると得点が稼げる。それをなるべくたくさんとった人が偉い。そんなシンプルな遊びです。先日任天堂さんが「ファミコン国民投票」の企画でも「ハイスコアといえば?」って募集したりしてましたよね。

で、ゲームとwebが不可分のものになって、スコアが全国規模で可視化されるようになった現在ではちょっと理解されにくいかも知れないんですが、昔はハイスコアって店内でしか可視化されないものだったし、一期一会のものだったんですよ。

基本、大量に得点を稼いでランキングでトップをとって、クリアした後に自分のスコアネーム(ハイスコア用に入力する名前。多くのタイトルではアルファベット+記号で3文字まででした)を入力しても、そのスコアネームは閉店時に電源を落とされたら消えるものでした。ゲーメストやベーマガに日常的にハイスコアを送っているような店なら多少事情が異なりますが、大抵「その日、その時、その店で、そのゲームのハイスコア画面を見ないと確認出来ない」ものだったんです。

ただ、だからこそ、「自分のスコアが、その日別のヤツに抜かれた」っていうイベントがものすごーーく印象に残るし、滅茶苦茶な敗北感があったんですよね。「俺よりうまいヤツがこの店にいたのか……!!!」っていう、恐ろしく印象に残る敗北感。

今でもはっきり覚えているんですが、私が良く通っていた店では、私と同様ダライアス外伝をやりこんでいる人が、少なくとも3人いました。私のスコアネームは「SSI」と言うのですが、あとの二人の内一人は本名のイニシャルのようなスコアネーム、もう一人は私と同様アルファベット3文字でした。

そのアルファベット三文字のライバルを、ここでは仮に「TAI」としましょう。

ダライアス外伝がゲーセンに現れた当初、私殆ど即座にハマりこみまして、ボスのパーツを壊す稼ぎやランク上げについても割と早い段階で情報入手して(当時「パソコン通信」をやっていたことが大きいんですが、ここではいったんおいておきます)、ハイスコア争いにも早くから参戦していたんですよ。

当時のダライアスシリーズにはゾーン分岐のシステムがあって、どのゾーンを選ぶかによってスコアがだいぶ変わるんですが、当時はどのゾーンもそこそこやり込んでいました。ハイスコア画面は大抵「SSI」で上から下まで埋めつくされることがもっぱらで、少なくともそのゲーセンの中では、ダラ外で自分に勝てるヤツはそういない、と思いこんでいたんです。先述のイニシャルっぽい人に抜かれることはちょこちょこあったんですが、大抵はその日のうちに抜き返してました。

当時は私学生でしたので、学校終わってゲーセンに直行して、数時間ダラ外をプレイしてから帰って飯食って寝る、という生活が多かったんですが、ある時余りにダラ外がやりた過ぎて、夜もそこそこ遅くなってからゲーセンに行っちゃったんですね。


ハイスコア画面、全部「TAI」でした。


しかも私が一番やり込んでいた、そのまんまのゾーン選択で。当時の自分からすれば圧倒的なスコア差で。


衝撃でした。いや、全国スコアを考えれば自分なんかより上はいくらでもいる、ってことは当時でもわかっていたんですが、ただ店内スコアってやっぱそれと別枠だったんですよ。「ここは俺のホーム」という意識ってやっぱりありまして、自分はこの井戸の中では最強の蛙だと思ってました。ただ、そんな中でも自分より遥かにデカい蛙がいた、ということに、その時ようやく気付いた。

マジかーーー、ってなりまして。

それから、「日中スコアを出してから夜にスコア確認しに行って、全部スコアを塗り替えられていて全然追いつけなくて絶望して、親にバレて怒られる」という生活がだいぶ長く続きました。

何度も通ううちにその「TAI」さんが何者かということも個別認識して、実は日中にもちょくちょくKOFやヴァンパイアで対戦したりもしていた人で、後々には私の腕も上がってその人以上のスコアが出せたり、ゲーメストにスコア応募したり、一方やがてその人がダラ外をやらなくなってしまって気が抜けてしまったりもしたんですが、

ただそんな生活の中でも、私その人と会話したこと一度もないんですよ。多分人生でもトップクラスに「同じ空間で過ごして」「同じゲームを遊んで」「同じタイトルで競い合った」仲なのに、名前も知らないし住所も当然知らない、声を交わしたことすらない。

恐らく、格ゲーなんかで同じ経験をしている人はたくさんいると思うんです。むしろ、当時はそれが普通だった。「顔は知ってるけど話したことはない」相手なんていくらでもいた。

インターネットで「名前だけは知っているけれど会ったことはない」関係の人がたくさん出来てからも、あの濃密過ぎる時間とはまたちょっと違うかもな、と、あれはあの時あの場所にしか存在しない人間関係だったのかも知れないなあ、と。

先日、こんなまとめを読みまして、

わざわざ約束しないと会えない人が多すぎる。スーパーとか喫茶店とか好きな人達もっと生活の中に組み込まれてほしい

ふと、かつて「ゲーセンに行けばいつでも会えるけど、名前も声も知らなくて、今では生存確認すら出来ない」という相手を思い出して、書き残しておきたくなったと。


そんなちょっとした話でした。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 20:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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