この辺を読んで、ふと思ったこと。
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窪塚洋介が云々ってのはどうでもいいや。誰なのかよく知らないし。
上記参照先を読んで思ったことというのは、「感謝する」という感情について、人によって随分スタンスというか、敷居の高さが違うんだなあということである。
コメント欄が喧しくて面白い。
金払ってなんでありがとうって言わなきゃいけないわけ?君たちよく行くスーパーやコンビニでありがとうございますた って言って頭下げる?
俺はスーパーやコンビニで、いつも「ありがとうございます」って言って商品もらうよ?
普通じゃね?
残念ながらそれは普通じゃないと思います
金払った云々じゃなくて、ありがとうは言うのが常識だと思うんだが。
これって要するに、「感謝」という感情をもつのに必要なコストの差、ってことだよな。いい悪いの話じゃなく、ある人は「ありがとう」なんて感情はさくさく表出出来るが、ある人にとってはそんなに易く出せる感情じゃあない。
感謝するしないで議論になるというのもまあしょーもない話ではあるが、「感謝する」という行為に必要とされるコストというのも、割と千差万別なんだなあ、と。
というか、大抵の感情には「コストの個人差」というものがあって、ある人が他の誰かと交流する際の傾向というものは、殆どがこれで表せたりするんじゃないかなー、と、そんな風に考えたのである。
以前こんなことを書いた。
「嫌うスタンス」にまつわる色々。
「嫌いになる」ということにも、多分ある程度瞬発力というか、エネルギーが必要なんだと思う。
そもそも、「嫌うコスト」というものを感じない人がいるのかも、と。というか、「嫌いになるコスト」よりも「嫌いになる楽しさ」を強く感じる人がいるのかも、と。これは単に好みの違いだったりするんじゃないか、と私はふと思ったのである。
怒るのも喜ぶのも感謝するのも嫌うのも憎むのも同じなのかな、と。
多分私自身は、「感謝する」とか「喜ぶ」といった感情にかかるコストが非常に安い人間で、一方「嫌う」とか「怒る」といった感情にかかるコストは割りと高い人間で、それは私にとって幸運なことだったと思うし、息子さんも出来ればそういう風に育ててあげたいなあとも思う。思うんだが、まあ社会がそういう人ばっかりというのもあまり面白いもんでもないだろう。色んな人がいる中で、のらくら悠然と生きるスキルを身につけていってもらえればなあ、と思う。
感情にかかるコストっていう話は突き詰めると面白そうだなーと思ったけど、よく考えてみると心理学のフィールドなんかでは散々こういう話し尽くされてそうだなあ。今度奥様にでも聞いてみる。



やってる人が多そうというか、主な用途はそれじゃないでしょうか。