2008年08月18日
レトロゲーム万里を往く その80 メタルマックス
つまりそれは、「はがねのつるぎ」を装備するか、88mm砲を積むかという、厳然たる壁だ。「ゴールドを稼ぐ」か「賞金を稼ぐ」かの、越えられない壁だ。
1991年という年は、ゲーム業界における文字通りの過渡期だった。
スーパーファミコンというハードが既に出現し、「ファミコンで出る予定だったあのゲームがSFCで」という噂がゲーム雑誌を跳ね回り始めていた頃。一方で、ファミコンのゲーム開発もいい加減煮詰まり、様々な「到達点」や「二番煎じ、三番煎じ」と言うべきタイトルが発売されていた頃。
PCエンジンもメガドライブもまだまだ現役で、一方任天堂はファミコンの普及台数を背景にSFCの勢力拡張を進めており、ハード間戦争が本当の意味で深刻だった頃。ラングリッサーが、マスターオブモンスターズが、イースIIIが発売されていた頃。ゲーセンにいけばストIIの筐体が立ち並び、対戦格闘ブームの狼煙が挙がり始めていた頃。
この時代を一言で言い表すとすれば、「新旧勢力の大乱戦」とでも表現するべきだろう。ハードにおいてもソフトにおいても、「王道」というべき方向はもうはっきりと示されており、世代交代の混沌を縫う様に、色んな開発者達がその「王道」に追随したり、二匹目三匹目のドジョウを狙ったり、ゲリラ戦を繰り広げたりしていた。
そんな中、メタルマックスは「アンチテーゼ」として出現した。
メタルマックス。近未来風RPG。1991年5月、データイーストより発売。ゲームデザインは堀井雄二氏と共にドラクエを手がけた宮岡寛氏であり、「竜退治はもう飽きた!」という「アンチドラクエ」的なキャッチコピーが当時話題になった。
「戦車を駆る」ということを起点とした独自のゲームシステムや、近未来風のとんがった世界観、当時としては常識外れに高い自由度、極端な様に見えて考えつくされたゲームバランスなどが人気を博し、SFCにおける「2」「リターンズ」の発売を経て熱狂的なファン層を獲得するに至った。
参照URLを挙げておく。
ゲームの背景に関してはWikipediaに詳しい。
Wikipedia:メタルマックス
画面に関しては、こちらのページから参照することが出来る。
メタルマックスシリーズ概要
さて、ゲームの話にいこう。
・「戦車」に始まり、「戦車」に終わるゲームシステム。
メタルマックスがアンチテーゼであり得た理由はたった一つ。そこに「戦車」があったから、である。
メタルマックスは、全編通して、「自分を鍛える以上に戦車を強化する」ことがメインテーマとなるRPGである。戦車に乗って戦えない場所も時にはあるが、ゲームの大半の場面において、主人公は戦車を駆ってフィールドを進み、アイテムを漁り、モンスターと戦う。ゲームの至上命題は、主人公を鍛えることではなく、ストーリーを追ってエンディングを見ることですらなく、「戦車を改造して最強にすること」なのだ。
実際の所、賞金首もフィールドモンスターも、うっかりするとラスボスすらも、より戦車を強くする為の「手段」でしかない、というのがこのゲームのとんがった部分である。全てはエクスカリバーを、OHCカルメンを、160ミリアモルフを入手する為の手段であり、エンジンの積載量を増やし、デカくて重い大砲を載せ、戦艦ばりの装甲タイルを張る為の手段だった。
RPGのキモはキャラクターの成長である。主人公キャラクターが、あるいは仲間が、レベルアップすることで強くなり、より強い敵を倒すことでカタルシスを得る。その「成長」という部分を、殆どそっくりそのまま「戦車を改造する」ということに置き換えたのがメタルマックスである。言ってみれば、「成長させる」その対象を主人公から切り離したことで、メタルマックスは既存の様々なRPGが求められてきた幾つもの制約から解放された。
戦車に乗れば生身の状態よりアットー的に強いのは当たり前のことである。つまり、戦車に乗れる状況であれば、普段より数段強い敵をがんがん出してもゲームは破綻しない。強い敵を出せるということは、強い武器を出してもいいということで、プレイヤーは「強くなる」カタルシスを序盤から存分に味わうことが出来る。それまで「主人公の成長に合わせて」展開を小出しにするという制約を、メタルマックスはそれ程要しないということになる。
一方、戦車から降りればアットー的に戦力が落ちることも当たり前のことである。つまり、「戦車を降りないと進めない」エリアを設定しさえすれば、当然の如く難易度は上がり、容易にゲーム展開のメリハリをつけることが出来る。105ミリキャノンを拾って辺りを蹂躙しようが、戦車を降りればただの人。マッドマッスルやアダムアントに大苦戦するのも、むべなるかな。
戦車というものを軸にした、主流RPGへの対抗。メタルマックスが発売当時アンチテーゼであり得た理由は、まさにそのメインテーマがあった故、なのである。
ちなみに、世界観というものもメタルマックスにおいてはひっじょーに重要な要素だと思うのだが、私が考える限り、メタルマックスの世界観を完成させたのはSFC版の2である。その為、今回は世界観や音楽には触れず、次項に回すことにする。
・竜か戦車か、ミニ四駆。
若干話が飛ぶが、ゲームとしてのメタルマックスは、二つのタイトルと比較することが出来る。RPGとしての比較対象に、「サンサーラ・ナーガ」。システムとしての比較対象に、「レーサーミニ四駆」。
サンサーラ・ナーガは、竜使いの少年を主人公にした、ファンタジー風の異色RPGである。押井守や桜玉吉が揃ってゲームに携わっていたというのも、今から考えれば感慨深い。「育つのは竜であって、主人公ではない」点、「竜が主人公よりずっと強い」点、「稀に主人公一人で行動しなくてはならない」点などが、メタルマックスのバランス調整と通底する部分だろう。
レーサーミニ四駆は、ミニ四駆好きな少年少女性別不明を主人公にした、ボードゲーム風ミニ四駆改造ゲームである。人生ゲームの様な様々なイベントをくぐって、主人公は自分のミニ四駆を軽量化したりモーターを変えたりグリスを塗ったり穴を開けすぎてぶっ壊したりしながら、色々なキャラとのレースに挑む。戦車の様々な「改造」要素に関しては、このゲームと共通する部分が多々見られると思う。
サンサーラナーガもレーサーミニ四駆も、底堅い面白さと奇抜な発想を特徴とする佳作であるのだが、いずれもどこか妙な味を漂わせており、メジャー路線からは外れていた。そんなところにも、メタルマックスと近いものがある気はする。
・メタルマックスとは、「男の子回路刺激ソフト」である。
まあそんなことより何よりも、メタルマックスの魅力の源泉は「雰囲気」だと思うのである。
どうのつるぎやはがねのつるぎではないのだ。大砲なのだ。武器の名前は「105ミリキャノン」であり、「165ミリロングT」なのだ。アイテムの名前はやくそうでもどくけしそうでもなく、「タイルパック」であり、「アルカリワックス」であり、「ドッグシステム」なのだ。乗り物は馬車でも気球でもチョコボでもなく、バギーであり、タイガーであり、Rウルフなのだ。これが燃えずにいられようか。
いつの時代も、「運転手さん」や「パイロット」に憧れる子供は尽きることがなく、「戦車」とか「車」とか「改造」という言葉に惹かれる子供がいなくなることもない。メタルマックスは当時、こういった「鉄の臭いに憧れる」少年達を魅了すること大であった。
ここで「戦車」に魅了された少年達の内何人かは、例えば後にアーマードコアやパンツァーフロントへと突っ込み、あるいはメタルサーガに快哉を叫ぶことになる。
と。随分長くなったので今回はこの辺で。
次回は引き続きメタルマックス絡みの話になる可能性が高い。続編にして到着点、「メタルマックス2」がタイトルに挙がる予定である。
この記事へのトラックバック
タイル数を犠牲にしてホワイトタイガーの防御をMAXにするか否か、とか
バトー博士に作ってもらう戦車はアビシニアンもいいけどレオパルドも捨てがたい、とか
いろんな選択肢を選ぶことができる
防御力の上げ方を工夫したらアビシニアンが最強なんでしたっけか。レオパルドの見た目にホレて、あればっかりでした。
ホワイトタイガーはちょっと強すぎましたよねー。それでも工夫の余地がたくさんあったのが凄いですが。
しかし野バス……もともと〇〇バス(一応伏字)ですよあれw
あれを戦闘用にするだけでも当時しびれましたね。
ああ、なんというかメタルマックスMMOとかでないかなあ……
何の変哲も無い地面に埋まってるてつくずとかバス停とか時には戦車まで埋まってて、それを掘り起こすのも一つの楽しみでした。
ハ○バスですね!分かります!(多分)
野バスは漢のロマンでしたよね。色んな意味で。
>リターンズが初めてさん
グラップラーとか、特に2では結構北斗の拳テイストが混じっていたと思います。
私も2が一番好きだったりします。一生ドラム缶はちょっとイヤだな、と思ってしまう辺りまだまだ鉄分不足ですが。