女性の「共感したい」って感覚が謎な件
一緒に泣くとか、「わかるわかる」って言い合いたいとか。
もう、意味が分からない。
なんで?
それ、何が面白いの?
共感してどうしたいの??
女性って・・・謎だ・・・まず、「女性」で一般化すると色々な弊害が出てくるから避けた方が無難じゃないかな、とは思う。「共感したい人」は女性に限らないし、そもそも性差がこういうところに存在するかどうかが凄く疑問である。
その上で。「共感」っていう単語は、実際に示している意味と字面が微妙にずれてきている様な気がする。
共感というものは、基本的には自己主張の変形である。
自分の感覚というか、「主張したいこと」「潜在的に自分も主張していること」と合致する言葉や立場を見た時に、「私もそう思っていた!!」という形での「共感」が発生する。この際重要なのは「思っていた」という部分であって、私「も」という部分ではない。相手の言葉が存在しよーがしなかろーが、自分はそう考えているのである。でなければ「共感」は発生しない。
要するに、「他人の言葉」をトリガーとして発生する自己主張が「共感」なのだ。発生源が違うだけで、中身は一般的な自己主張と何ら変わりない。当然、「心優しさ」であるとか「心の敏感さ」とは全くの無関係で、むしろ「自分が思っていること」をどれだけ明確な形に出来るか、という尺度と関わりが深い。
共感とは受動的なものではない。飽くまで能動的なもの、飽くまで「発信」だ。
そんで。
共感したり、同じ感情を共有できるって事は人と仲良くなるために重要なんだろう。「共感」することと、「共感を表現すること」は、実は全然別物なんじゃなかろうか、と思う訳である。
「共感」自体は上記の通り単なる自己主張だが、「わかるわかる」という言葉は別にわかっていなくても口に出せる。「一緒に泣く」際重要なのは「一緒に」という部分であって、必ずしも自分の考えと相手の考えが合致している必要はない。
要するに、こちらで必要とされているのは「共感」ではなく「共有」、相手との一体感なんである。誰かと一緒に同じ方向を向くのが気持ちいいというだけであって、自分が実際にはどっちの方向を向いているのか、というのはあまり関係がない。
だから、
共感したり、同じ感情を共有できるって事は人と仲良くなるために重要なんだろう。「共感する」ことは必ずしも重要でもない、と思う。「同じ方向を向くことに楽しみを見出せる」ということは、時として重要かも知れないけれど。
知識ではなんとなくわかるけど、感覚的に無理。
と、あんまりまとまってないけれど、取り敢えず思ったこと。
>そもそも性差がこういうところに存在す
>るかどうかが凄く疑問である。
この点に補足〜。
脳科学的には共感する脳力はハッキリ女>男です。
痛そうな写真を見せる、幸せそうな写真を見せる、悲しそうな(略)ってやると女性はより痛そうな顔、幸せそうな顔をしてみせるって実験があります。
女には子育てがあるので子どもの様子を感じ取るためより共感する力が必要で、男は狩りをするから共感力があると戦いに向かないため…というような説明を脳科学者はしています。(ただしソースは大学の講義)
補足どもですー。
>脳科学的には共感する脳力はハッキリ女>男です。
痛そうな写真を見せる、幸せそうな写真を見せる、悲しそうな(略)ってやると女性はより痛そうな顔、幸せそうな顔をしてみせるって実験があります。
おお、補足ありがとうございます。詳しくおっかけてみると面白そうな実験ですね。基準は表情なのかな。
上記文中で挙げている文脈に関していえば、「共感」が指している範囲がもうちょっと社会心理学的寄りな意味かなあ、とは思います。根っこは同じなのかも知れませんが。
でもって。
共感を表現しているのは単なる付和雷同で、別に感情を共有していたりするわけでない場合もあるのではないかと。
他人がそんなに簡単に分かるはずはないし。もちろん限定された分野において感覚が一致する場合もあるだろうけど、一般的にはコミュニケーションの1ツールと考えるのが適当に思える。
>遺伝子ではなく環境因子に由来する可能性を排除できていない気がする。
そういうのは色んな場面でありますよね。というか、生まれつきなのか環境によるもんなのか、ってすげえ区別しにくい気はする。
>共感を表現しているのは単なる付和雷同で、別に感情を共有していたりするわけでない場合もあるのではないかと。
付和雷同というか、コミュニケーションの一環として、ということなんじゃないかと思います。
>やさん
>「それは環境のデフォルトが違うだけで、実際の愛情の深さとは何ら相関ないんじゃないか」
全くその通りだと思いますが、おっしゃる通り人それぞれなんでしょうね。