2008年10月07日

「不安を煽られたがる人」について。

ちょっと考えたくなったことがあったので、雑談的、というか思考のタネ的に。

人はパンのみに生きるにあらず
この部分は、そもそもこのエントリーの主眼じゃないとは思うけど。
安心よりも不安にこそ需要がある社会ですから(殺人事件が戦後最低を記録したと発表するよりも、刑務所が一杯だと語ることが好まれるように!)。
一般化出来る様な話じゃないと思うが、確かに、「安心出来る話よりも不安を煽る話を読むのを好む」人は一定数以上いる様な気がする。犯罪発生率についても、食料の自給率についても、最近で言うと汚染米の話でも、冷静に検証された「実はそこまで心配することないですよ」というデータよりも「煽る」内容の記事の方が受けていた様に思う。

受けない記事は、書かれない。メディア(この場合週刊誌とか)の文法の一つに「危機感を煽る」手法があるのを私は知っているし、その手法を実際に教わったこともあるし、何故そんな手法が存在するかというと「危機感を煽られる」記事がレスポンスをもらいやすい = 売れやすいからだ。これは雑誌や新聞ばかりではなく、Webでも痛いニュース辺りを見ていると分かる。


さてなんでかな、と。


考えたくなったテーマはいくつかあって、

・「不安を煽られるのを好む」という言葉で括れる様な性質は、本当に存在するのか。
・「不安を煽られるのを好む」という性質が存在したとして、それは普遍的なものか。それともなにかしらの集団である程度一般化出来るのか(例えば「日本人」とか「若年層」とか)。


一つには、何か当たり前のプロセスが積み重なった結果、そこに「不安を煽られるのを好む性質」というものがある様に見えているだけなんじゃないか、という疑念がある。

例えばの話、私は「不安を煽られた時の方がレスポンスがいい」ということを、「不安を煽られることを好む人がいる」というテーゼの根拠にしている。ただ、これはもしかすると当たり前のことかも知れず、「何かに安心した人はわざわざ「安心した」というレスポンスを返さない」というもうちょっと分かりやすい性質が、別の形で見えているだけなのかも知れない。なんか考え過ぎるとドツボにはまりそうだ。


まあ、「危機感を煽る記事が売れる」という傾向は、出版社時代とか思い出すと多分あると思うので、そこから考えると「危機感の方が安心感よりも強烈である」「強烈な感情を喚起されると気持ちいい人がいる」ということになったりするのかなあ。

と、ここまで考えてみて、昔似た様なことを考えたなあと思い出した。以下関連。

関連:人は何故、「読むと不快になる文章」をわざわざ読みたがるのか。
許せないブロガーと、怒れないブロガー。


いわゆるアジテーターって、つまり「負の感情を喚起するのが上手い人」なんだろうなあ、とか思ったりした。


で。「危機感を煽られるのが好き」という性質が存在したとして、これはある程度のグループで一般化出来ることなのか、どうかという話。

統計くそくらえでテーマを仮定すると、「日本人」ってグループで括るのが分かりやすいんだろうなあと思った。そういえば、前なんか似た様な文章見たな、と思ったら、これか。
昔「日本を侮るな」、今「米国を侮るな」
 いずれの章も痛快だ。第2章の「希望を語る大統領vs.危機を語る総理大臣」なんて、思わず膝を打ってしまうほど。
読んでないので、妥当な議論なのかどうかは知らないし、上記の話と関連するのかどうかも怪しいけど、まあいいや別に。まあ、確かにイメージとしては「危機感を語ることが好まれる→日本っぽい」という漠然とした印象はないでもない。

こちらについてはとにかく材料不足なので、このエントリーを基点に改めて考えてみることにする。取り敢えずここまで。
posted by しんざき at 22:04 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
危機感を煽るのが売れることを否定しない上で。話法の話。

つまり問題がないならば特に報じる必要がないわけで。ここは大丈夫、とかそういうことが当たり前となっている社会において、問題がある点を指摘することが良くなることにつながるということ。逆に大丈夫であることが大きなテーマになる社会はあまり望ましい状態でない。

アジテーターについて言えば、何かを変えようとする人たちであるから、革命すべき対象を指摘するしか方法がない。保守が現状の肯定から始まるのに対し、否定から始まるのが革新である。
Posted by g3 at 2008年10月08日 22:59
>g3閣下
>つまり問題がないならば特に報じる必要がないわけで。ここは大丈夫、とかそういうことが当たり前となっている社会において、問題がある点を指摘することが良くなることにつながるということ。

「問題が大きい」と考えられている問題について、冷静に考えるとそこまででもないよね、という情報を提示して落ち着かせるのも重要な情報だと思うけれど、そういう報道は多いだろうか。

>保守が現状の肯定から始まるのに対し、否定から始まるのが革新である。

それは全くその通りだと思います。
Posted by しんざき at 2008年10月09日 17:32
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