ちょっと古い記事だけど、
北野監督に聞く 新作映画「アキレスと亀」
今の社会はさ、子供に夢を持てって言うよね。でも、その気になった子供が結局悲惨な現実に遭ったりする。いつから、みな強制的に夢を持たされることになったんだろうと思うよ
この言葉だけとっても仕方がない文章だけど、ちょっとこの言葉が思考のトリガーになった。
悪いのは、「夢を持て」って言うことじゃない。「夢を持て」といいつつ、夢の方向性を制限することだ。「なりたいもの」「やりたいこと」を「夢のあるもの」と「平凡なもの」に分類することだ。自分の基準で「夢がないなあ」という感想を吐くことだ。
「サラリーマンになって会社の為に働きたい」という夢に対し、我々は時に「平凡な夢だなあ」という感想を抱く。「現実的過ぎてつまらないなあ」という言葉を頭に浮かべる。
一方で、「宇宙飛行士」や「パイロット」という言葉を聴くと、我々はどういう訳か安心する。「子供らしい、純粋な夢だなあ」という感想を抱く。
「職業に貴賎なし」と言うのと同じ口で、「夢のある仕事」と「そうでもない仕事」を区別しているのである。
この根っこには、子供に「夢を持て」と言う立場である大人自身が、「楽しくない仕事」という感覚を自分自身に刷り込み過ぎているという事実があるんじゃないだろうか、という気がする。
「宇宙飛行士」であるとか「アイドル」であるとか、自分の中で「仕事の辛さ」と切り離してイメージ出来る職業のみを、大人は「夢」として受容できる。そういう話なんじゃないかなあ、という気がする。
本当に子供に夢をもって欲しいと思うのならば、この職業にはこんな面白さがある、この仕事はこんなところにやりがいがある、というビジョンを子供と一緒に観てあげる必要があると思う。更にその以前に、職業に制限されない「社会に出る楽しさ」を見せてあげる必要があると思う。
大人には、自分の仕事が楽しかろうが楽しくなかろうが、精一杯の「楽しさ」を子供に教えてあげる責任がある。楽しくない部分なんて後からイヤでも分かるんだから、せめて子供の前では「社会に出た頼もしい大人」であるところを見せてあげるべきだ、と思う。
大人が楽しんでないことを子供が楽しみに出来る訳がないだろう、と。多分結論はそこに落ち着く。
今の私は、一児の父親である。今の私は、SEである。DBをいじくって色々やっているDB屋さんでもあり、それなりに苦労しつつも楽しく仕事をしているアプリ屋さんでもある。
一児の父親として、「出来ればこんな風に育って欲しいなあ」という程度のビジョンは、私にも当然ある。別にSEになって欲しいと思う訳でもない。
ただ、それはそれとして、「楽しく仕事をしている」姿は見せてあげたいなあと私は思っている。子供に問われれば、躊躇なく私はこう答えるつもりでいる。
「仕事超楽しいし、SE超楽しい」と。
親が子に愚痴の混じらない仕事の話を
してあげてほしいと思います。
聞かされる方はたまったもんじゃないですから(苦笑)
子供のころから、「夢を持て」に対しちょっと反意的なのだが、
「普通であることは大変意味のあることで、
普通に日々を生きている人が一番世の中素晴らしいんだ」
と思っておりました。
「普通」や「夢」の定義によって、意味するところは変わってくるけどさ。
僕は「夢」は実現しないと意味がないと思ってます。
そして、僕の場合「普通に毎日楽しく暮らす」という夢を今、
実践していると思っている今日この頃です。
バレリーナになりたいとか漫画家になりたいとか言ったら
そんな夢物語(笑)って言われた幼少の頃。
>そして、僕の場合「普通に毎日楽しく暮らす」という夢を今、実践していると思っている今日この頃です。
当たり前に思えることが案外難しかったりするんですよね。
>ぽ。さん
>夢がないっていわれてきたんだけどバレリーナになりたいとか漫画家になりたいとか言ったらそんな夢物語(笑)って言われた幼少の頃。
どうすりゃいいんだよ、って感じですね。
あんまり関係ないけど、漫画家はともかくバレリーナって狭き門なんでしょうか。