普通の鬼ごっこに飽きた時、「滑り台鬼ごっこしようぜ!」と言った子供の発想に感心した、という話と、ルールがゲームを形作る、というよりむしろ「ルール = ゲーム」なんだなあと実感したという話。
今日、奥様息子さん連れで菅刈公園にいってきた。
菅刈公園は代官山から程近い場所にある公園で、近所の小学校で大根か何かを育てているらしき農園と、アスレチックと一体になった様な広い滑り台がある。息子さんを滑り台の直上からすべり落とすという獅子千尋の谷ごっこをしていたら、横で3,4人の子供が走り回っていた。多分小学校に上がるか上がらないかくらいかの年頃だったと思う。
聞くともなく彼らの会話を聞いていて、感心した。彼らの遊びは、刻一刻と「ルールが変更されていく」のだ。
おそらく最初は普通の鬼ごっこをしていたのだと思う。その内「触っていれば鬼に捕まらないゾーン」というルールが出来たり、入ってはいけないゾーンというルールが出来たりした後、一人の子が提案したのが「滑り台鬼ごっこ」である。細かいところは聞いていないが、滑り台とその周辺のゾーンだけで鬼ごっこをするというルールであろうということは想像に難くない。
「滑り台周辺のみ」という制約を鬼ごっこに持ち込んだ時、ゲームにはどんな変化が起きるか。
・滑り台という地形の導入と、それをいかに利用して鬼から逃げるか・追い詰めるかというゲーム性
・リングアウトルール導入による鬼の回転率アップ
・滑り台という、一時的に自由に動けなくなるゾーンをどう利用するか、という戦略性のアップ
なんというゲーム性の向上。いや、本人達はそこまで考えていないだろうけど。
考えてみると、昔やったやった。私も色々やった。高おにとか氷おにとか、全ては「鬼ごっこのルール的な拡張」である。ルールを新たに付け加え、改変し、改善していくことによって、遊びはどんどん面白くなっていくのだ。
改めて実感したのだが、やっぱりゲームはルールの考案から生まれるんだなあ、と。鬼ごっこという遊びは、何一つルールの存在しない荒野に、「鬼」という存在を規定し、「鬼に捕まると鬼が交代」というルールを導入したことによって成立した、おそらく最も原始的な遊びの一形態である。そこに様々なルールが追加されることによって、缶けりだの、かくれんぼだの、ポコペンだの、様々なもっと高度な遊びが生まれ、ゲームが生まれる。
レトロゲームを見ていても分かりやすい。パックマンに、「重力」というルールと「トランポリン」というルールを導入した時、マッピーが生まれる。スクランブルに「パワーアップ」と「オプション」というルールを導入した時、グラディウスが生まれる。
時にはルールがきつすぎたり、緩すぎたりしながらも、あらゆるゲームはそうやって進化してきたし、今後も進化していくだろう。
鬼ごっこの話に戻ると、こうした「ルール = 遊び」を瞬間的に考案出来る辺り、やっぱり子供は遊びの天才なのだなあ、と。こういう能力は大事にしてあげるべきだし、色んな場所で発揮させてあげるべきだなあと改めて思った。
あと、様々なゲームを概観していく時、「そこにはどんなルールがあるのか」ということを集中的に考えながら考察していくと面白いなあと思ったので今度やってみる。
というか、やっぱ外遊び楽しいよ外遊び。むしろ混ざりてえ。
2008年11月15日
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それだけで白熱しちゃって30分とかもあったりしました…。
ルールの地域性ってありますよね。大富豪とか。
ケイドロとかドロケイとか
場所によってはアトヅケの意味も全く違ってくるのはびっくりしました。
実は未だにドロケイの一般的なルールがよく分かっていません。缶蹴りは一大ブームでしたが。
>napoさん
ギャンブルも多彩というか、花札とかも色々違いますよね。
マンションで鬼ごっこやって、エレベーター使って戦略性upしてすんごく楽しかったのを思い出しました。
(後で怒られましたが)