2008年12月30日

一番面白い時に漫画を終わらせることが出来れば、それはなんと幸せなことだろうか。

ちょっと思ったこと。

『北斗の拳』を全巻読んだのだけど……
明らかに、テンションが激落ちしている感は否めない。同じ武論尊名義での『HEAT』も、後半のテンションがかなりひどかったけれど、そういうところに「連載漫画」の難しさを感じてしまった。漫画をどこで終わらせるのかについては、いろいろあるんだろう。「人気があるうちは連載を終わらせない」みたいな大人の事情的なものが。
あらゆる連載漫画において、ネタは必ずどこかで尽きる。これは、「人間は必ず死ぬ」という言葉と同じくらいの絶対的な宿命である。

勿論ネタの尽き方には色々あるし、漫画のジャンルによってもネタの尽き方は全然変わってくる。ストーリー漫画の場合、多くの例において「作者が以前から構想していた展開」が結末を迎える時が「ネタの尽きる時」だ。

直接知っている例がそんなにある訳ではないが、ストーリー漫画の漫画家さんは、大体の場合大雑把な「最終回までの」ストーリー構想を用意して日々の展開を描いている。そして、そこかしこに色んな「見せ場」的な場面を考えていたりもする。

北斗の拳は原作家がいる漫画だけれど、多分それ程事情は変わらないと思う。

又聞きの例だが、例えばある漫画家さんのストーリーノートには、「見せ場」のラフ画があちらこちらに書いている。ストーリーを進めていってこの場面でこんな絵を入れる。この場面でこんな台詞を喋らせる。そういった「見せ場」が連続していって、漫画家さんのストーリー構想はグランド・フィナーレを迎える。

そうして描かれた展開、場面というのは、確かに格好いいのだ。熱いのだ。漫画家さんの頭の中で散々暖められた「見せ場」は、イマジネーションと妄想力といったエネルギーに満ちている。ストーリー漫画を描く漫画家さんは、そういった「見せ場」を描きたくてたまらない。そういった見せ場を描く為に、話を先に進めたくてたまらない。勿論、話を進めるごとに、彼・あるいは彼女が考えたストーリーは結末へと近付いていく。


敢えて極端な言い方をすると、「漫画を終わらせること」が創作意欲の源泉となっている漫画家さんというのは、ストーリー漫画に限って言えば結構いると思う。


一方で、「漫画を続けさせようとする力」というものが、世の中には何種類かある。

例えば、読者の声。例えば、出版社・編集者の要請。例えば、漫画雑誌運営の台所事情やスケジュール。漫画家さん自身の生活、アシスタントさんの生活だって重大な要素だ。

漫画を続けさせようとする力と、漫画を終わらせようとする力は、基本的に背反する。漫画を続けさせる為に、編集者さんや漫画家さんは、色んなアイディア出しをする。本来「結末」があった後、あるいは「結末」に届くまでの間に、色んな展開を盛り込む。

そういったアイディアが大変に面白いこともあるし、そういったアイディアが新たな「見せ場」を作ることも、ある。勿論ある。その結果、漫画家さんのモチベーションに新たな火がつく場合も当然ある。これは、「漫画を続けさせようとする力」が良循環を生んだ例だ。


ただ残念なことながら、この業界において、そういった例はどちらかというと少数派な様だ。

アイディアには、「自然に沸いてきた」アイディアと、「頑張ってひねり出した」アイディアの二種類がある。そして、どういう訳か前者の方が面白かったり、エネルギーに満ちている場合が多い。その為、自然にぽんぽんとアイディアが沸いてくる人を天才と呼ぶ。


勿論例外もたくさんあるのだろうが、敢えて単純化して書くと、「漫画を続ける為」に頑張ってひねり出したアイディアは、「漫画家さんの頭の中に勝手に沸いていた」以前からのアイディアと比べるとアットー的にエネルギーに欠ける。何故なのかはよく分からない。後からモチベーションをかき立てる必要があるからなのかも知れないし、散々採掘された後の鉱山には当然いい鉱石が少ない、という事情なのかも知れない。

逆に言うと、「自然に沸いてきた面白いアイディアがどれくらい含まれているか」が、その漫画の面白さを決めるといってもいいのかも知れない。


例えば週刊誌連載の漫画において、「終わらせるつもりだったのに、編集者さんの意向で無理矢理続けることになった」であるとか、「人気が出たので当初の予定を大幅に引き伸ばして、間に山ほどエピソードを入れた」といった噂はちょくちょく聞く。その結果なのかどうか知らないが、「ある時から急にテンション落ちてつまらなくなった」という漫画の評判もしばしば聞く。

それは、「続けさせようとする力」が漫画をつまらなくしてしまった、悲しむべき例だ。読者に存続を望まれて続けることになったというのに、続けた途端に「つまらなくなった」という評判の大洪水が届いた漫画、というのも世の中には何作もある。連載漫画家の宿命なのかも知れないが、これは悲劇といってしまってもいい例だろう。


人気が出れば、続けさせようとする力が強くなる。続けさせようとする力が強くなり過ぎると、多くの場合漫画はつまらなくなる。


「惜しまれつつも円満に終わる連載」というのは本当に幸せな例だとつくづく思う。作者さんと、編集者さんと、読者さんと、誰が欠けても成立しない。漫画は三者の共有著作物だとずっと昔に聞いたことがあるが、もしかするとそういうことなのかも知れない。


永久に生きる人がいない様に、永久に続く漫画もない。だとすれば、漫画はいつ終わるべきなのだろう。

posted by しんざき at 14:20 | Comment(5) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
>「惜しまれつつも円満に終わる連載」
ジャンプの長期連載だとダイの大冒険ぐらいしか
思いつかないですね。
他の長期連載作品はみんなどこかしらそういった要素が含まれていると思います。
Posted by なあり at 2009年01月05日 21:15
キン肉マンも綺麗に終わった漫画だと思いますよ。
Posted by at 2009年01月05日 22:59
続けて欲しいけど続くとクオリティが落ちる。
ディレンマを解決するには第三の選択肢が必要になるのでしょうね。

新エピソードを、漫画家が考えて本誌連載のストーリーの中に入れるのではなく、別の原作者が考えてスピンオフ作品として掲載する、という試みをバキがやっていますが、これについてはどう考えていますか?(スカーフェイスやガイアのことです)

個人的には、けっこういい案だと思っています。
本筋のストーリーは予定通り進められますし、出版社側は利益を得られ、読者はその作品世界をより楽しめる。原作者が追加されるのでアイデアの枯渇も避けられます。
漫画家の作業量の問題は……アシスタント次第になりそうですが。
Posted by 牛乳 at 2009年01月06日 13:46
一度発表してから、ディレクターズカット版とか完全版とか称して、ストーリーの調整をしたものを発売するというのもありかと思いますが(未読ながらシャーマンキング、気まぐれオレンジロードなど連載と結末が違っているとの話を聞いたことがあります)
Posted by at 2009年01月07日 11:14
うしおととらはうまくおわったとおもう。
Posted by at 2009年01月07日 21:59
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