よく言われることなのかも知れないが、バラエティ番組の背景音として流される「笑い声」は、番組制作者が視聴者及び出演者を信頼していないということの一つの端的な例である様に思った。
背景音として笑い声を挿入するということは、「笑うポイント」というものを明示するということである。視聴者に「ここは笑うところですよ」という点を伝え、誘導する。音声による笑いの雰囲気作り。いや、効果的な演出といえばその通りなのだが。
意地の悪い見方をすれば、これには二つの意味が含まれる。
・笑うポイントを明示する必要がある→笑うポイントを読解出来ない視聴者が大多数である、と製作者が判断しているという意味。
・笑うポイントを明示する必要がある→出演者の技量では、音声抜きでの笑いを引き出すことは出来ないであろうと製作者が判断している、という意味。
正直、あまりいい印象がない。製作者には、演出抜きでも笑わせてやるという自信、あるいは演出抜きでも笑ってくれるだろうという信頼が欠如しているのではなかろうか。
私はそっち方面にあまり詳しくはないが、サイレント映画やサイレント漫画というものは、作る側にとっても視聴する側にとってもすっげえ難しいものであるらしい。サイレントものが名作である為には、製作者と視聴者の間に、「伝える」ということに対する高度な協調が必要だ。
そこから考えると、今のテレビ業界には、サイレントもの名作の境地を目指すということこそ必要なのではあるまいか。
結局何を言いたいかと言うと。
・チャップリンすげえ。
・トーキー前の時代の映画は何本かしか見てないが、そういえばなんとなく8ビット時代のゲーム作りの情熱と同じ様なものを感じた。制限されるが故のエネルギー、って結構大きいんじゃないかなあ。
・ヒッチコックいいですよねー。この場合サイレント関係ないけど。けど考えてみれば、農夫の妻とかミュートで観てみれば同じなのかも知んない。
なんかそんな感じです。
2009年04月01日

この記事へのトラックバック
私も基本的にいい印象はないですが、演出としては進化なのかなあ、とも思わなくもないです。
楽しく拝見させて頂いております。
笑い声による誘導は、過剰なテロップもそうなのですか、頭のお悪い方にも番組を楽しんで貰おうという弱者救済の意味が強いと思います。
みんなで観られるバリアフリーなお笑い。
そう考えるとあまり不快に思わず観られると思います。
私は無理ですが。
テロップもそうなのですか→テロップもそうなのですが
でした。
携帯からで失礼しました。
『録音笑いがあるとテレビの視聴時間が伸び、満足度も高まるというデータがあるとしている。この録音笑いは「社会的証明」の代表的なものである。』
人間の本能を利用した方法。以下の動画を見ていると笑いが出てきませんか。
http://www.youtube.com/watch?v=_Ha-ZrUPJ_E
http://toraqta.blog83.fc2.com/blog-entry-2865.html
手法ですから相当歴史があります。
笑い声誘導なしでホントに笑える芸持った人間がどれだけいるのか疑問だ。
いまどきてれびなんて
こんあところでいってもしゃあないけど
個人的には笑い声が追加されてる番組が普通のことになってるので、改めて快不快を感じることは稀です。
本当に面白い場合、笑い声に気が回ってシラける
場合がある。
マジでウザイ。
本当に面白い場合、笑い声に気が回ってシラける
場合がある。
マジでウザイ。
これはこの手法の発祥地であるアメリカでも同じこと。
それなのに何故不評なはずのこの手法が未だに使い続けられるかというと、単純に効果があるからです。
どれだけ個人が不快感を表明してみても、総合的に見て効果があるならそりゃあ使い続けるわな、という話。
人間は意外と入力に対して機械的に反応してしまうものです。
個人的には制作者の意識以前に、テレビ局の視聴率至上主義の結果なんだろうな、と思いますが。