2009年04月13日

ところで、「感想文を評価する側」はどうなのよ?

ちょっと斜め上の話になるかも知れないが。

子供にも広がるコピペ症候群〜『考える』の空洞化(2)
子供にも広がるコピペ症候群…読書感想文を公開・学校提出用に丸写しを公然と認めるコピペ推奨サイトまで出現

学生のレポートや読書感想文にコピペが蔓延している、というお話。見た感じネット批判テンプレの延長に見えるが、まあそれについては今更だしどうでもいいや。

この手の話をする時、「評価する側」のスキルについて触れられているのを見たことがないんだけど、その辺どうなんだろうな。

当たり前だけれど、「書く」ことと同程度、あるいはそれ以上に、「書かれたものを評価する」ことは難しい。「文章について妥当な評価をする」スキルを身につけることは、「整然とした文章を書く」スキルを身につけることより、多分遥かに難しい。

知り合いの編集者さんから聞いた話なのだが。「ある作家さんが売れるかどうか」を評価することは、当たり前だが至難の業だ。それ以前、「その作家さんの文章が面白いかどうか」「その文章の表現力が豊かかどうか」を評価することさえ、新人さんには到底出来ることではないという。ある程度のベテランさんでも、「文章の妥当な評価」が苦手な人は決して珍しくない。多分これは、漫画の編集者さんでも同じだと思う(ちなみに、ブログや2ちゃんコピペの書籍化が一時期盛んだった理由の一つはこれだ。「Webである程度流行った」という確固たる評価基準があったことである)


ちょっと疑問なんだけれど、例えば小学校の教員さんで、「生徒の書いた文章を妥当に評価し、しかもフィードバックする」スキルを身につけている人って、一体どれくらいいるんだろうか。

少なくとも私の経験だけから言えば、小学、中学、時には高校と、それなりに力を入れた読書感想文を書いてきたと思う。それに対して、多少なりとも力の入ったフィードバックをしてもらった経験は、記憶にある限り一度たりともない。「文章的には正しい」というハードルを越えると、どうもその次がないのだ。「感想文」なのだから言っている内容や発想に正しい/間違いがないのは当たり前のことであって、では表現の技術レベルはどうなのか、どう書けば表現のレベルが上がるのか、となるとなかなかそっちの話にいかない。

言ってみれば、「感想文の感想文」になってしまっているフィードバックが大多数だった様に思うのだ。

折角、曲りなりにも子供が文章を書いてくる機会なのだから、表現手法とか話の展開方法とか説得力の出し方とか、そういった所で指導をする絶好のチャンスだと思うんだけどなあ。てにをはに間違いがなければ「良く書けています」ってなんスかそれ。生徒が抱いた感想に対する教師の感想なんて一行だっていらんだろ、交換日記じゃないんだから。というか極端な話、「どんな感想を抱いたか」なんて超絶どーでもいいと思うんだけど。重要なのはその次だろ。

そんなだから大学入ってから論文書ける子供が育たないんじゃないか、って私の経験だけで一般化する気はないのだが。


私自身は、いわゆる「コピペ」が良いことだとは決して思わないし、「コピペ」が蔓延している状況ではまともな指導もやりにくいのかも知れないとも思う。だが、例えば「コピペを自分のものにする技術」に長けている子供がいるとしたら、それはそれで表現技法のひとつなのであって、十分評価に値するんじゃないかとも思う。


一方にはズルを禁じてスキルを磨くことを要求し、他方のスキル向上について何も触れないというのは、聊か不公平なんじゃないか、という気もするのである。



posted by しんざき at 16:34 | Comment(4) | TrackBack(1) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
言葉遊びみたいですが、
国語の分野に「印象文」という言葉がなく、
絵画の分野に「感想派」という言葉がなく、(あるかな?)
音楽の分野に感想と印象の違いがないような気がしてきました。
Posted by てんてけ at 2009年04月14日 10:01
感想文を正しく評価できる教師がいるとすれば
中高一貫教育とかエリート育成型の学校ですかねぇ。
「てにおは」さえできてればOKというのは、
最近叩かれている一般の公立校の低いレベルを優先する
という教育に対応していると考えれば。
ただ東大合格率を上げる的なエリート教育だと
やっぱり読書感想文は軽視されるかもしれないですね。
Posted by 通りすがり at 2009年04月14日 12:44
印象を表現する感想文と、理論を積み上げる論文は、必要とされるスキルが全く違います。論文を書ける人間を育成するのに必要なのは、感想文の評価ではなくディベートなどの論理思考トレーニングでしょう。
Posted by LOCO at 2009年04月17日 00:52
>表現手法とか話の展開方法とか説得力の出し方とか、

そういったことを指導するのは、それこそ何か決まったテーマの作文、小論文の方でいいんじゃないですかね。
感想文は、題材の小説に喚起された二次的な創作物であるという視点に立てば、どれだけ面白いこと・読者(オトナ)の意表をつくような発想が書かれているかって評価をすればいいだけだと思います。

その意味で、大学生のレポートのコピペは全文コピーでなければどこをどう引用して組み立てるかというスキルが見られる部分もあるのでまだ許容できますが、感想文のコピペというのは許容できないというより、意味がない、ですね。
Posted by きんへい at 2009年04月21日 15:15
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