そういえば仙水との最後の戦いには「目的」がないな、とふと思った。
今更このブログで時期を気にする人もおるまいが、考えてみればもう結構昔の漫画になった。幽遊白書の話である。
魔界の扉編。仙水編とも呼ばれる。幽助の先代の霊界探偵であった仙水が、魔界と人間界を繋ぐ界境トンネルを開いて人間界を丸ごと滅ぼそうとする。幽助一行はそれを止める為に自転車でトラックを追いかけたり、トラックに追いかけられたり、刃霧要の作画だけ妙に美形だったりする。
このエピソードは、ジャンプと色々ごたごたがあったと噂されるこの作品の、実質的なクライマックスといっていいだろう。
参照:Wikipedia:幽☆遊☆白書
今更ネタバレを気にする様な作品なのかどうか疑問だが、以下は一応ネタバレが含まれるので折りたたむ。
このエピソードの当初の目的は、「魔界に通じる扉が開くとエラいことになるので、扉を開こうとしている仙水を止めましょう」である。単純明快。で、色々と紆余曲折があって、この目的は「幽助の敗北と死」という形で失敗し、その後の対仙水戦は、残り3人、蔵馬・飛影・桑原による幽助の弔い合戦という形に姿を変える。
で、また紆余曲折があって幽助は復活し、窮地に立たされていた3人と仙水との間に割り込み、仙水との決着をつけるべく戦い始める。この辺の一連の展開は実に熱かった記憶がある。
さて、考えてみるとこの最終決戦には「目的」が無い。
魔界との扉はもうとっくの昔に開いてしまって霊界特防隊が塞いでいるところであり、一方「幽助の弔い合戦」という蔵馬・飛影・桑原の動機も幽助の復活によって当然消滅し、仙水と幽助との間にも別段怨恨が描写される訳でもない(一回殺されてるが)。そして、蔵馬・飛影・桑原を助けるという目的も、幽助到着時点で果たされている。仙水の側にも、別段彼らを殺す動機はないのだから(自分で言っている通り、仙水の目的は魔界へ来ること自体であって、飛影達の存在は何の障害にもならない)。
強いて言えば幽助の「ヤツとのケリは俺がつけたい」という一言があるくらいで、戦いにくい故の場所換えをバトル中に提案するなど、ある意味和やかなもんである。
ぶっちゃけた話、「必然性」という一軸だけで言えば、この戦いに理由はない。感情的なものはともかく、ここで話がお開きになっていたとしても、実務的な面では誰も(仙水も幽助もコエンマも)困らない筈だ。
展開:目的→結果を箇条書きにするとこうなる。
仙水対幽助 第一回戦:界境トンネルが開くことを阻止する→幽助敗退、目的失敗
仙水対幽助の仲間戦 :幽助の仇討ち→仙水テラチート(注:「設定上どうしようもない強さ」を表現するスラング)
仙水対幽助 第二回戦:決着をつける??→幽助覚醒チート過ぎワロス
この図が、少年漫画のバトルものの推移をそのまま表現している様な気がして、ちょっと興味深く思った。
ある程度一般化出来ると思うのだが、多くのバトル系少年漫画は「目的」「動機」を描写することに意を用いる場合が多い。バトルというのは何しろ非日常なテーマな訳であって、非日常であるからには非日常である理由が必要だ。「納得のいく理由」は作品の説得力、リアリティに直結する。だから、バトルもの漫画の作者さんは「戦う目的」を描写することにはかなり力を入れることが多い。その目的は、例えば世界を救うことだったり、家族や国や街を守ることだったり、何かの大会で優勝することだったり、新世界の神になることだったりする。
凄く大雑把に分類すると、バトルもの少年漫画における「戦う理由」は、大体三つくらいに分かれると思う。
・他者への献身的な目的(ex.世界を守る、魔王を倒す、誰かを助ける)
・個人的な欲求で、ある程度社会性をもっているもの(ex.金、女、名誉、自己鍛錬、復讐など)
・個人的な欲求で上記にあてはまらないもの(ex.「オラワクワクしてきたぞ」など)
当然のことながら、一番下が「単純な説得力」としては一番弱い。例として使われているドラゴンボールでさえ、最後の天下一武闘会を唯一の例外として、その殆どで「納得のいく理由」が描写されている。(余談になるが、3番目の「よく分からない個人的な欲求」がある程度積極的に採用される様になったのは、やはりドラゴンボール以降ではないかという気はする)
それに対して、仙水対幽助の最終決戦は、三番目の「よく分からない個人的な欲求」さえ積極的に描写しようとしていない。極端な話「なんとなく」という一言でまとめられそうな程、「バトルに対する動機」というものを排除するという、一種の実験の様なものがあの回では行われていたのではないか、と私はそんな風に思う。
ストーリー全体を見ても大詰めの、「俺たちはもう飽きたんだ」という台詞を樹に吐かせるまでの最後の最後の戦いで、「少年漫画的目的」を平然と排除してみせた富樫先生は、やはりそんじょそこらの漫画家ではないなと思ったりする訳である。最近はそもそも漫画描いてないけど。
まとめてみよう。
・一般的に、バトルもの少年漫画では「目的」あるいは「動機」がきっちり描いてあることが多い気がする。
・仙水と幽助の最終決戦は、そこから考えると色々と例外の様な気がする。
・「目的」「動機」の描写も多分時期によって分類出来そう。その内やってみる。
・刃霧要(あとその妹)の絵だけ妙に力入りまくってると思いませんか。なんですかアレ誰の趣味ですか武内直子ですか。(幽白の頃は知り合ってなかったかも知れんが)
・全然関係ないけどレベルE面白いですよね。目指せ甲子園編が好きです。
取り敢えずそんな感じで。
2009年04月15日

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冨樫作品はどれも、目的が希薄に描かれている気がしますね。
いやどれもあるのかもしれないが、非常に些細で純粋で、
それでいて納得感がある=不自然さを感じない、という気がします。
そこんとこが物語全体の、人間らしさ?みたいな雰囲気を醸し出しているような。
ちなみに我が家はレベルE第1巻だけ紛失してしまい、
非常に気持ち悪いことになってます。
買い直すか。。。
全力で同意。
「レベルEは富樫の最高傑作です」 ←ナ○ナのCM@世界の王風に。
あまり人気が出なかったためバトルものに方向転換させられ
雑誌の屋台骨といえるほど人気が出てしまったがために
週2時間睡眠体勢で望まないバトル漫画描かされストレスでスタッフを殴り
実質自分で連載打ち切ってコミケに現れ「もう無理ですやめます」と宣言した……
というような経緯が有り(ちょっとうろ覚えな部分もありますが)
だからあれは目的を排除する『技術』、というわけではなく、
最初から仙水編自体がはっきりとバトル漫画(少年漫画)自体に対する皮肉を目的として描かれてるかと。
幽助と同じ過去を持ちながら悪に転向した仙水のキャラクター設定(=裏幽助)から始まり、何より樹の最後の台詞に全て集約されますね
技術、というなら幽助を一度殺して魔族にした上で
その後これまで積み上げた少年漫画的価値観をぶち壊していく展開はウマいと思います。
幽助がライゼンに(人間を)「食えよ」と言ってしまったり
もう完全に少年漫画の枠は逸脱してしまっているのですが、
ただ、仙水編以降の展開があったからこそ幽白は名作だったとも個人的には思ってます。
作家名はまちがないでほしい。
「富樫」ではなく「冨樫」が正解。
レベルEの野球部編、ちゃんと超能力者がわかるようになっていることを最近知って感動しました。
・肌の色が白い→夜行性の人を省く
・去年戦ったことのあるチームのメンバーを覚えている→2年or3年
・最後の場面で顔が出ていない人
他にも要素はあったかも知れん(手元に本が無い)がとりあえずこんな感じで絞れる
×肌の色が白い→○肌の色が黒い
>コエンマ様とムクロさんも美形だったと思っていますがどうでしょうか。だめですか。
ダメじゃないと思います。ちょっと作者の愛が偏っている気がします。
能力バトル展開と連載終了の辺りはモロに少年漫画の傾向と限界に重なりますね。
ハンターでは美形キャラのジスパーやノヴが悲惨な目に遭いますし、
大概キャラクターは連載が続くほど美形になっていくのに対し、冨樫先生のデザインはシンプルになっていきますしね(面倒臭がりな性格もあるでしょうが)。
作者の愛という意味では熱血キャラのナックルが(ストーリー上の貢献度の割に)優遇されていた気がします。