茂木センセーがおかしくなっちゃったのは、必死で書いた本がぜんぜん売れないのに、テキトーに書いた本やテキトーな対談本が馬鹿売れしてしまったからだと思う。「バカ売れ」までいくとどうなのか分からないが。
必死に書いた本が全く売れないのに、テキトーに書いた本が何故かそこそこ売れてしまう、という事象は、実は全然珍しいことではない。よくある。
また、ブログに置き換えてみると、必死に書いた記事が全く顧みられないのに、テキトーに書いた記事にブクマがつきまくる、というのも、おそらくそれ程珍しいことではない。
多分、理由は単純だ。これは、「必死に書く」が「穴を塞ぐ」と結びついた時に発生する現象だと思う。
よく言われることだが、いいスピーチの要件の一つに「内容を深める質問が出ること」というものがある。「あれ、ここはどうなんだろう」という、ポジティブな形での疑問を聴衆に抱かせることが、スピーチの誘引力を高める。聴衆を引き込む。
同じことはブログにも言える。人を引き付けやすい記事は、ジャンルにもよるけど、必ずしも「完全無欠で隙のない記事」ではない。「どこかしらで読む人に疑問を抱かせる記事」だ。なんらかの突込みを誘発することが、記事を売るためのテクニックの一つであるともいえる。
ひとことで言うと、「多少穴があった方が読者に受ける」。この際、「上手い穴の作り方が出来ること」が、人をたくさん呼べる記事を書くテクニックの一つである、ともいえるだろう。よくいうところの釣り上手、専門用語でいうところの誘い受けである。
世の中には、「必死で書く」ことによって、自分の文章に空いた穴を次から次へと塞いでしまう人がいる。多分たくさんいる。
そういった人が書いた記事は、当然「隙がない」ものになるし、「面白い」ものになることもあるが、「たくさん人を呼べる」記事にはならないことが往々にしてある。あまりに気密性がいい家は風通しも悪い。適度に風通しのいい家を建てたいものだなあ、と思う。
「上手い穴」の開け方を身につけたいものだが、難しいなあ。
あ、ちなみに私の記事が基本穴だらけなのは、テクニックでもなんでもない、単なる素ですので。突っ込みはご自由に。
重い文章には重く返さなきゃいけない空気がある気がします。
重い内容でもそこそこレスが返るのは、身近な話題の場合ですね。政治・外交記事よりペット問題やアイドルの失言とか(笑)
ツッコミ待ちの(=多少穴のある)日記によくレスが返るのには同意ですw
釣り目的を思わしき(=過剰なまでに穴だらけの)記事もよく見ますし、実際レスやら引用やら付いてますから…きっとみんな突っ込みたいんでしょうね〜。
そのとおりですねー。
自分もそうなっちゃうのですが、特に理系(茂木センセーもそうですよね?)はそうなりがちなのかなぁと思います。
「間違いの余地の無い理論が良い」という教育を長年受けてきたので。
他人に自分の意思を正しく伝えようとしすぎて、とっつきづらい文章になっちゃうんですよね。
誤解を必要以上に恐れている、とも言えるのかなぁ。
上手い誘い受け文章が書けるようになりたいものです。
# 「多少穴があった方が読者に受ける」のと「高ポリゴンモデルよりも2Dドット絵に心躍らされる」のは根っこは同じなのかな、と思いました。
>重い文章には重く返さなきゃいけない空気がある気がします。
それはありそうですね。あんまり軽いコメントできない、みたいな。
ブックマークサービスはその辺ある程度敷居を下げてるとは思いますが。
>ツッコミ待ちの(=多少穴のある)日記によくレスが返るのには同意ですw
ボケにはツッコミより技術がいるそうです。難しい。
>keseraさん
>「間違いの余地の無い理論が良い」という教育を長年受けてきたので。
それは決してウソではないと思うんですが。記事はよしあしで読まれるとは限らない、ってことでもあるんですかね。
>「多少穴があった方が読者に受ける」のと「高ポリゴンモデルよりも2Dドット絵に心躍らされる」のは根っこは同じなのかな、と思いました。
ブログにおける妄想力を誘発してる感じでしょうか。