に名前をつけたい。何だろう、局外者シンドローム?
まあ、なんというんでしょう、自分や他の誰かに何かしらの被害が及ばない限り、たくさんの人が楽しそうなのは基本的にいいことなんじゃないかと思うんです。
勿論、「自分は何故楽しくないのか」を分析することは重要な思考法だし、それを外に向かって投げるのも自由だと思いますが。
ただ、わざわざ皆が楽しんでいるところに突っ込んでいって、楽しんでいる人達に向かって全力で水をぶっかけたがる人を見ると、ぬるま湯精神の保有者としては、何もそこまで特攻精神に溢れんでも、とか思わないでもない訳です。特攻戦法に士気使い過ぎだと思わないでもない訳です。Rホウ徳ですか君は。
ということで、しんざきはあんまり興味がないことはがんがんスルーしますけど、お祭り自体はもう幾らでも発生するといいんじゃないかと思いますよ。火事にならない程度に。
2009年08月10日

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なるべく客観視してまとめると
@他人が楽しんでいるのに自分が楽しめないと自分の感性が否定されたような気がする
A自分が楽しめないものが主流になるのを少しでも妨害したい
B単に嫌いなのでけちをつけたい
といったところでしょうか。
ABはともかく@は結構オタクには多いんじゃないですかね?
ギャンブル、音楽、娯楽、趣味、あらゆる場面で「楽しめないのは社会人としてどうなの?」「これを楽しめるのが大人だ」「大多数が楽しんでるんだからお前も楽しめ」と同調圧力がかかる。
だから好きでも無いのに好きな振りをしなくちゃいけないくなり、その対象が更に嫌いになる。
当たり前のことじゃね?
なのにこの記事のように「楽しめない奴が悪い」と結論づけてしまうのが、日本の諸悪の根源だな。
結局誰も楽しんで無いのに「空気」の為に全員楽しんでる振りをする。
残業問題、恋愛至上主義、無意味な付き合い、無駄な習慣・・全部NOと言えないから発生するんだ。
楽しめないのならスルーすればいい
こんなので盛り上がるお前らはダメ。と言う奴が一番悪いと思うけどね
自分が参加してる祭りを大きくするためなら手段を選ばない人たちって醜いというか
こんなものが何故面白いと思えるのか、この程度で何故笑えるのか、あんたらお手軽でいいね〜。と思ってしまう自分。口には出しません。
名付けて「あんたのレベルと違うのよ症候群」
前者は映画や小説などで、後者はスポーツとか祭とかみんなでわっしょいするもの
まあ前者は後者的な、後者は前者的な楽しみ方ももちろんできるけど
でもそれを区別しないと堂々めぐりになるよ
興味がない場合は意外とスルーできちゃうわけで。やたらと専門的でニッチな分野の素人研究してる人なんか見ても、「へぇ、すごいねぇ」で終わっちゃう。
ちょっとばっかり興味があったり、一度手をつけたけど、なんらかの形で楽しめない場合に、トラウマ的なものが植えつけられちゃうんじゃないかなぁ?
自分が楽しめないのを昇華できない、というか。
代わりの楽しみを見つけられない、というか。
個人的には強要されない限りはそういう心理状態にはあまりならんですね。
強要されると、非常にめんどくさい。「おれ、他のことしてるから、みんな楽しんでてね」っていってるのに「みんな一緒じゃなきゃ意味がない」とかね。
互いに楽しけりゃいいんじゃないかと思うんだけどなぁ。