参照:シューティングゲームの無駄に悲惨な設定やストーリー
幾つか理由を妄想してみた。スレを細かく見ていないので既出かも知れないが特に気にしない。
・シューティングは基本的に、自機1機に対して敵一杯、という孤立無援自機無双の様な構成になる。この戦力差に説得力をつけようと思ったら、それこそ超絶背水の陣のような状況を設定せざるを得ない。
・アクションゲームの様な「基本的には等身大のキャラクター」が主人公となるジャンルと違って、シューティングは自機が戦闘機大、敵戦力は基本軍隊、場合によっては国家・惑星レベルという状況が多い。必然的に、設定のスケールもでかくなる。
・上記と同じ理由で、シューティングは「臨場感」「プレイヤーとの一体感」といったものを演出しにくいジャンルである。その為、設定のボリューム増大によって臨場感を補完しようという向きが強い。
・(率として)世界観がSFであることが多い。ディストピア設定はSFの基本である。
なんだ最後の理由。
シューティングのストーリーがやたら詳細だったり悲惨だったりすることは別段新しい話ではなく、例えばバンゲリングベイとかファミコン版のヴォルガードII辺りでも相当背景ストーリーが凝っていたりする。一種の伝統なのである。その伝統の形成理由としては、上の四つの様な項目は結構妥当なんじゃないかと思ったりするのだがどうだろうか。
まあ一言で言ってしまうと、「STGは開発者の妄想力を呼び起こしやすいジャンルである!!」とかそんな感じで。
ちなみに、敵味方の戦力比という話はよくよく考えると色々面白い話満載で、例えばプーやんでは豚お母さん一人で一体何匹の狼を虐殺しているんだとか、いっきの農夫はどう考えても特殊部隊か機械化戦闘兵だろうとか、妄想の余地が多くて楽しい。これについては項を改めてまたいずれ。
2009年09月09日

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ある程度の説得力を求めると御指摘の流れになるのでしょう。
でないと設定はどうしてもシュールになりやすいですよね。
シュールなものは
「Dr.トッペル探検隊」「ピストル大名の冒険」
「ザ・グレイト・ラグタイムショー」「ずんずん教の野望」
など印象に残ってます。
#発想が理解不能だ…だがそれがいい
ところでプーヤンは片仮名だと思います。
太ったパーマンを思い出しました。