確実にいえるのは、「何かを批判するのなら、その「何か」について出来うる限り知っておくべき」だということ。
大して読んでもいない本を、殆ど遊んでもいないゲームを、ちらっと見ただけのエントリーを、自分の想像で勝手に補って批判するのはとても礼を失した行為であるということ。聞きかじっただけのソースで、大部分を脳内補完してDisを展開するのは凄く危険な行為であるということ。
けど、「批判したいもの」というのは、第一感で「キライなもの」「気に入らないもの」であることが多いから、それを多く知ろうとする行為にはある種の苦痛が伴う。その苦痛を乗り越えるのは大変に難しい。ドラゴンズレアというゲームを批判する為に、ドラゴンズレアというゲームを最後までクリアしようとする行為にも似る(勿論、ドラゴンズレアというゲームが非常に入りにくいことは確かであって、その「入りにくさ」を批判するというのは無根拠な批判ではない。それはまた別の話だ)。
言い方を変えれば、そういった苦痛を乗り越えることが出来る人こそ、一流のひはにゃーである資格があるということなんじゃないかと思う。「徹底的なDis」というものはある種のコンテンツであり得る。対象についての様々な背景を頭に入れた上での批判は、対象者にも、周囲の人にとっても有益になり得る。
でも、実際問題「批判するところまで辿り着くまでにとても努力を必要とする」ということになると、批判の窓口が凄く狭くなるので、ある程度緩くても仕方ないのかなーとも思う。実際、山の賑わいというと聞こえは悪いが、世の中のDisがみんな「隙のないDis」になってしまったらそれはそれでつまらないような気もする。だから、まあ、今くらいで意外と丁度いいんじゃないか、という心境に落ち着かないでもない。
ただ、やっぱり心構えとしては、「Disは、可能な限り材料を集めた上で展開するべきだ」というものはもっておくべきだと思う。とにかく、「無根拠で見当外れな批判」ほど見苦しいものは世に数少ない。自分で轍を踏まないよう気をつけたいものだ。
ちなみに、私自身は何かが気に入らない時はなるべく研究してから批判しようと心がけているのだが、研究しているうちにそこまで気に入らなくもなくなることが大半なので結果としてあんまり批判という行為自体をしていないような気がする。それはそれで別に構わないが。
2009年09月14日

この記事へのトラックバック
良く受け止めれば、今までに培ってきた経験とか常識とか人生観でコメントしているんでしょうけど…
それより腹が立つのはメインキャスターで、
視聴者やコメンテーターより取材者に近い位置にいるし、番組構成にも意見が言えるはずなのに、
「○○って一体なんなの?!」と平気で言う。
知らない、解らないんならお前が取材に行けよ!
と思うのですが、知らないでモノを言うのがcoolなんでしょう。
同時に「文句言うなら自分でやってみろ」って言うのも避けるようにしてるかな。
他人の批判文を読むだけで知った気になって、批判してる人ってのは意外に多く、それは読んでみればすぐわかってしまう。
どうせなら、自分の率直な感想を出したいものだなぁ、と思う気持ちはありますね。
つーか、批判されるものの方が興味出ちゃったりすることもあったりして。
褒める時も同じような気の使い方が必要だと思っています。
お前はソースがないと自分ひとりでいるときは何も考えないの?
bot?
素の味ってものもあるでしょ
「どこで好きな作品を批判されてきたのw 涙目w」とでも言いたいのかな
ソースはカゴメ
政治や経済なんかを批評する場合はそれらについてよく知っておくべきだと思いますが、
ゲームやマンガなどのエンタメメディアに対して第一印象で批判するのはアリだと思います。
開発者は「ちゃんと遊んでから批判しろよ!」と言いたくなるかも知れませんが、
「じゃあちゃんと遊んでもらえるように作れよ」って事です。
ゲームやマンガにおいて、とっつきが悪い、というのは、それ自体立派な批判対象要素だと思います。
はじめまして、私はFCドラゴンズレアを1年半以上プレイしています。いわゆるドラレア中毒者です(笑)。通常ゲームはクリアしてしまうと別なゲーム攻略へとなりますが、このゲームのタイムアタックにハマッてしまいました。最初のころはクソゲー扱いの動画など、非常に不快な思いの時もありましたが、あれはあれで有りかなと最近は思っています。知人で3人がこのゲームをプレイしてますが、一人は良ゲー(私より速くクリア)、他の2人(一人はクリア)は重たい操作感、その他諸々でクソゲーと判断しています。要するにプレイする人の好みで○×が決まるような気がします。ところで最近このゲームが人気が出てきているような・・・(気のせいか?)
あれも理不尽ですよね。
その時に「これが本当の読書だな」と思いました。
本にはメモ書き、アンダーライン、付箋、折り目…何度も同じ箇所を読み返し、引用に間違いがないか、著者の真意を誤解をしていないか、など注意しながら読んでいた事に気付きました。
その上で、もし間違いなどが指摘されたなら、率直に修正、削除、謝罪するつもりです。
批判・批評というのは、どんなに声が大きかろうと、所詮は個人の一意見てしかない、と思います。