2006年02月06日
レトロゲーム万里を往く その52 「ジーザス」とAVGの履歴書
速雄:キャリー、キャリーじゃないか!一体どうしたんだ?
フォジー:誰かと勘違いしてない?
〜「SFAVGの系譜」(民明書房刊)より抜粋〜
任天堂倫理チェックの壁はこの頃から厚かった、らしい。
今回の万里はジーザス。及び、ファミコンAVGの流れというものにちょっと入れ込んでみたいと思う。長くなりそうなので二回に分ける。
ファミコンのアドベンチャーゲームには、幾つかの「佳作の流れ」とでもいうものがある。
基点をポートピア連続殺人事件において、例えばオホーツクに繋がる「刑事もの王道」の流れ。そこから神宮寺やファミ探に繋がる「探偵もの」の流れ。プロ野球殺人事件やさんまの名探偵などの芸能界ものの流れ。そして、デッドゾーンに始まり、ジーザスを経てメタルスレイダーグローリーに辿り着くSFものの流れである。
その他、例えばアキラや孔雀王などのキャラゲー系AVGとか、ふぁみこん昔話やえりかとさとるなどのファンタジー系AVG、ミシシッピーやシャドウゲイトなどのネタ系AVGまでもろもろ、つくづくFCのアドベンチャーゲームはバラエティに富んでいる。元々AVGというジャンルはハード的な無理を強いられにくい(キャラクターに大きな動きがない)上、シナリオ次第で幾らでも佳作が出来る。ハードの性能に合致していたということもあるだろう。
ともあれ、今はジーザスの話だ。
「ジーザス 恐怖のバイオモンスター」。SF風アドベンチャーゲーム。1989年3月17日、キングレコードより発売だが、原作はエニックス作の筈である。PC88版からの移植作で、極めて高品質の音楽・グラフィックと王道SFの雰囲気が好評を得た。
グラフィックに関しては、参照リンクを貼らせて頂こう。
http://www.h3.dion.ne.jp/~realrobo/game/j/jesus.htm
こちらのページから登場人物・攻略方法等々見ることが出来る。いまさらネタバレを気にする必要があるかどうか分からないが、一応攻略ページはネタバレなのでご注意頂きたい。
しかし、アレだ。恐怖のバイオモンスター。恐怖て。ハヤカワSF文庫のタイトルでも見ないよ、最近。一体誰がつけたサブタイトルだ。
副題に物凄い勢いの違和感があるという点においては、おそらく「アルゴスの戦士 はちゃめちゃ大進撃」とタメを張るであろう。何故移植の際に妙なサブタイトルをつけたがるか、と思わないでもないが、この辺りは開発者の心境を色々想像してみると楽しそうだ。
・芳花さんのキャラクターは本当にアレでよかったのか。
という話は後に回すとして。
「ジーザス」は正統派SFアドベンチャーゲームである。宇宙船という密閉空間に謎の彗星から現れた異星生物との戦い、という設定だけみるとまんま「エイリアン」だが、演出や雰囲気の出し方など、総合的なAVGとしての質は明らかにそれ以前のAVGと一線を画していた。
お話は、宇宙母艦「ジーザス」と探査艇「ころな」及び「コメット」の三つの舞台で進む。探査艇「コメット」が彗星からガスを採取した直後、コメットとの連絡が途切れる。主人公の速雄は「コメット」に乗り込んで何が起きたかの探索を行うが、そこでは・・・。というのがストーリーの概略だ。プレイヤーは、舞台が変わるごとにころころと変わる操作性に突き当たることになる。
この、舞台が切り替わることによってゲームの様相がかなり度合い変わってくるというのが、この「ジーザス」というゲームの一つのキモだろう。このゲームのちょっと前の時期からAVGに様々施されてきた工夫の、これは一つの典型である。
ちょっと、AVG自体の話にシフトしてみよう。
・AVG開発者の戦いの履歴。
敢えてファミコンAVGに限定して話を進める。
AVGの絶対的な肝は、当然のことながら「読んでもらうこと」である。
アドベンチャーゲームの根本はお話であり、テキストだ。推理小説と同様、最後まで読んでもらって初めてゲームとして完成する。途中で投げ出された推理小説と同様、エンディングを見てもらえないアドベンチャーゲームはどうしようもなく未完成品なのである。開発者達は、最後まで「飽きずに」遊んでもらうため、様々な手法を編み出すことに腐心することになる。
一方、ファミコンの「コマンド入力」というAVGの方式は、何をどうしたって飽きやすかった。ゲームである以上、何かしら「クリアする為の」努力はしてもらわなくてはならない。だが、AVGの最も基本的なインターフェイスはコマンド入力であって、アクションゲームの様なゲーム性は望むべくもない。
その為、AVGの基本的なゲーム性は「コマンド総当り」という形にならざるを得なかったのである。飽きやすいインターフェイスに、飽きさせてはいけないゲーム事情。この二つの闘いが、AVGの様々な演出の発展の歴史だと言っていいだろう。
一つ問題がある。この頃、何故開発者は「サウンドノベル」という、ゲーム性を希薄化させてお話だけに集中してもらう形にたどり着くことが出来なかったのか?
想像する他ないが、そもそも売れると思われなかったということが大きかったのではあるまいか。文字だけで動きが殆どないゲームなんて売れる訳ねえじゃんという認識が、おそらくファミコン時代には存在した様な気がする。
ファミコン時代全盛の人気ゲームはその多くがアクション勢に占められており、ドラクエ・FFなどのRPGの台頭から「ストーリー」が前面に出てくるまでにはかなりの時間がかかった。つまり、「ストーリーのみを楽しむ」という遊び方自体が認識されていなかった、という言い方も出来るかも知れない。この呪縛が「弟切草」の出現まで解けなかったとしても不思議ではない。
余談になるが、「ゲームブック」が生き残るニッチというものはここにこそあった、と私は今でも考えている。つくづく惜しい文化であった。
・続き物ということで。
今回は一旦ここまでで一区切り。総論から「ジーザス」始め、個々のAVGの各論にシフトしてみたい。ファミコン市場最高値を記録した某ゲームにも触れる予定であるので、まったりとご期待頂きたい。

この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック