少年漫画における「爽快感」の正体ってなんだろうなあ、というお話。
まず前提。少年漫画の肝は、どうやって読者に「読んでいて気持ちいい」という爽快感を提供するか、というところにあると思う。そして、その爽快感にはそれ程多種多様なパターンが存在する訳ではなく、基本的な部分では「落差を演出する」「マイナスの状態からプラスの状態へもっていく」という一言で要約出来るのではないかなあ、と思う。
例えば、主人公の前に強大な敵が現れる。主人公が大苦戦する。大ピンチになる(マイナスの状態)。 そこから、例えば仲間が助けにきたり、新しい技が閃いたり、戦闘中に突如髪が金色になって大幅パワーアップしたりして辛くも戦闘に勝利する(プラスの状態)。気持ちいい。
マイナスからプラスに飛躍することによって得られるカタルシス。これは「よくある」爽快感演出の一例だ。
例えば、「非常にイヤなヤツ」が悪役・敵役として登場する。読者に不快感を感じさせるような、様々な悪事を繰り返す。あるいは読者が感情移入するようなキャラを攻撃する、いじめる(マイナスの状態) そこで主人公なり、主人公の仲間なりがその敵役をしばき倒す(プラスの状態)。 これも、非常に「よくある」爽快感演出の一例だろう。
上記に関連して、「主人公の成長・実力発揮」が爽快感を構成することもままあるだろう。弱かった主人公が強くなる。例えばいじめられっこの少年が格闘技を覚えて才能花開き超強くなる、いじめっこを見返す。あるいは、周囲からなめられきっている主人公が物凄い実力者であることが判明して、周囲が瞠目する。こういった展開は、古くから少年漫画の王道を形成しているパターンの一つだ。これも、「マイナスからプラス」の落差を演出する手法の一例だと思う。
勿論、「落差」以外にパターンが存在しない訳ではないと思うが、こと少年漫画に関する限り、「マイナスからプラスへ」という基本パターンから大きく外れる「爽快感演出の手法」はそんなに多くはない筈だ。
「読んでいて気持ちいいかどうか」というものが、少年漫画の人気を決める重要、重大なキー項目であることは論を俟たないだろう。そこから考えると、如何に「落差」を大きくするか、マイナスの状態からプラスの状態への大逆転をどう描くか、ということは、少年漫画を描く上での重要なテーマの一つとなるのではないか。
簡潔に言ってしまえば、ポイントはマイナスを大きくするか、プラスを大きくするか、だ。「すっげーピンチ」とか、「超イヤな悪役」を用意するか。あるいは「主人公の超パワーアップ」だとか、「完璧な大勝利」だとかを用意するか。展開から外れないような無理のない形で、こういった「マイナス」「プラス」をどうやって作品に盛り込むかが、少年漫画の作家さんの腕の見せどころの一つなのではないか、と、私はそんな風に思う。
上記の「落差を生む爽快感のパターン」を、ちょっと一旦、単純な形でまとめてみよう。多分他にもあるだろうけど。
1.ピンチからの逆転勝利。
2.読者にとっての不快感からの脱出。
3.主人公の覚醒、成長、実力発揮。
さて、以上を踏まえて、もうちょっと具体的な話に移ってみる。
マガジンに「はじめの一歩」というボクシング漫画がある。1989年から始まっている長寿漫画で、かつてはいじめられっこだった主人公の幕之内一歩が、ボクシングを始めて日本フェザー級チャンピオンにまで成長する姿を描く。マガジンの看板漫画の一角であり、ボクシング漫画を代表する作品の一つでもあるだろう。
Wikipedia:はじめの一歩
で、私自身は、「はじめの一歩」が結構前から少年漫画としては「限界を越えた場所」にいるのではないか、と、そんな気がしている。展開のマンネリ化とか、その辺の話ではない。展開にマンネリを感じるかどうかは読む人次第だ。そんなことよりも、「落差を作る」ことが漫画の構造的に難しくなっているのではないか、と感じるからだ。
現在はじめの一歩は、「主人公が負ける可能性」を演出することに少なからず苦労している様に見える。
主人公の一歩は、かつて(作品の序盤)はいじめられっこ出身であり、成長過程であり、どの相手にもこの相手にも苦戦していた。しかし、「一発強打」という特性を与えられた一歩は、爽快感を演出する項目の一つである「大逆転」を演ずるに十分なキャラクターであった。一歩は次から次へと大逆転を繰り返し、試合の度に成長し、それが直接「はじめの一歩」の少年漫画としての面白さになっていた。
ところが、ある時点から非常に、はじめの一歩は「マイナスからプラス」の場面を作り出すことに苦労している様な印象を受けるようになった。
多分理由は幾つかある。
・一歩が日本フェザー級チャンピオンになるまでに強くなってしまい、「一歩が負ける可能性が十分に(少なくとも勝つ可能性よりも)大きく」「作品の展開的に戦わせることの出来る」選手が非常に少なくなってしまった。ぱっと出てくるのは宮田とリカルド・マルチネスくらいだろうが、どうも展開的な縛りがある様だ。
・しかも、一歩自身が性格的に油断をしたり練習を怠ったりするキャラクターではない為、上記と合わせて「ピンチ」を正面から演出すること自体が難しくなってしまっている。(現在一歩はマルコム・ゲドー、ウォーリーと、二人連続で変則ボクサーと対戦しており、いずれもその変則さにてこずる展開になっている。ノンタイトルマッチだけど)
・言い換えると、作品中で一歩は既に「説得力を持って負けさせられる(マイナスからの逆転という描写が出来る)」キャラクターではなくなってしまっている。
・では、爽快感パターン2はというと、例えばMr.サカグチとかゲドーとか、「こまかい」悪役はちょくちょく登場しているが、作品自体がリアル志向のボクシング漫画である為、(例えばワンピースのような)「巨悪を倒す」ような展開には元々しにくい。
・爽快感パターン3はどうかというと、一歩は既に作品中で十分に成長しており、しかも上には鷹村という「上限」が存在する為、劇的な成長・覚醒というものは描写しにくい。
というような感じで。そもそもが非常に描写力・構成力にあふれる漫画であり、漫画的な描写が全く衰えを見せていないだけに、余計に展開が窮屈そうに見えてしまうなあ、というのが最近の感想なのである。
それに対して、はじめの一歩は「視点の複数化」とか「エピソードの分散」とか、様々な方法で対抗しようとしている様に私には見えるのだが、この辺についてはもうちょっと一般化した形でまた別のところで考えてみたいと思う。
随分長くなったので今日はこの辺りで。
2009年10月08日
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タイトルマッチ負ける(病気又はデンプシーロールの副作用?)→克服→再挑戦→fin
みたいな構図で、あと2、3人と戦えばもうムリでしょう。
ヘタしても奪還屋みたいにはなってほしくないですけれど
けど一方で、格闘技漫画には、適度な格闘蘊蓄とハッタリをかませることで、
全くの新キャラ同士の試合であっても「こいつらどっちが強いんだ?」と盛り上がり、
噛ませ犬を潰してアピールするだけで「こいつはどれくらい強いんだ?」と盛り上がり、
単純なワクワク感を醸成できるという特性があると思う。
「一歩」もまた、ヒットマンスタイルからデンプシーロールまで、
質の良い蘊蓄披露とファンタジーを織り交ぜて、読者に「未知」の技術や戦いのあり方を見せ、
好奇心を煽り、驚きとともに「どうやったら勝てるのか」というハラハラ感を演出してきた。
けれども、格闘ロマンのネタになる「未知」の知識はいつかは尽きるものだし、
強さのインフレを続けると現実で通用してる蘊蓄に幻想を加えた程度では刃が立たなくなる。
さらに、作品世界内のボクシング界における既知の猛者は限定されてしまっているので、
「新たな強敵」は能力バトルじみた特殊技能を備えて強さをアピールすることになって、
それはそれで面白いんだけどなんだか昔と違う盛り上がり方になってしまう。
こういう傾向は「刃牙」なんかにも見られる問題で、
ジャンプ漫画でリアル風味格闘技路線のものが少ないのも、
現実の格闘技を題材に使うことの利点と同時に欠点があるからのように思える。
この場合の問題は、鷹村の強さが上限のはるか上いってることなんですがねw
鷹村vsホーク戦がまさにこれの最高傑作だったなぁ
今の一歩はただ単に展開がマンネリなのと、
敵キャラの描写が足りないんじゃないですかねえ
でも今やってる試合はちょっと期待している
未だ防衛戦をしている物語の進展のなさがつまらないんじゃないの?
色々あって挑戦者に回るかも!?
という展開の可能性があるから
まだまだ捨てたモンじゃないと思って見てる
一歩自身も一応、国内では最強クラスのチャンピオンではありながら
最強王者のリカルド・マルチネスと即対戦できるレベルかといえば
まだまだ差がデカイ(と、思われる)し、王者でありながら発展途上の挑戦者という立ち位置
対宮田は絶対無くなったわけじゃなし
対板垣ネタやハードパンチャー故の故障、選手生命、年齢的な劣化などもネタとして使えるとなれば
一試合にかける連載時間の長さもあるけど、
物語的には、まだ描ける内容は結構あると思う
少なくとも、主人公が(立場、精神的に)挑戦者であり続けるなら
少年漫画としては続けられる。
主人公も敵も強さの上限ラインに達してしまって
闘いが盛り上がらなくなってしまうという悩みを抱える中、
タフは強さのオールリセットという力技で乗り切ってますよ。
成功しているかどうかは言及を避けますが。
現在は二度目(三度目?)のリセットを経て、
この期に及んでケンカ空手の達人なんかと対戦するようです。
20年間も勝ち続けて未だに世界チャンピョンになれないなんておかしいだろ。
例えば武侠小説でよくある手法では、主人公が人生ドン底→奇跡のような境遇で絶世の強さを手に入れる→色んな要素で苦戦したり窮地に陥るとか
チャレンジャーが多様な「デンプシーロール破り」をトライすることによって
物語の演出を試みた。
が、その演出によって皮肉にも一歩の能力の万能性が逆に強調されてしまい、カタルシスの欠如へと繋がった気がします。
個人的には「判定まで持ち込まれて負ける」といった、打ち合いで負けたわけではなく戦略で負けたというような試合が一歩戦でもあれば
よりボクシング漫画として面白くなる気はするのですが……
長年のボクシング生活で身体がボロボロになりこれ以上続ければ危険と宣告された主人公は最後の挑戦に挑むと。