2009年12月07日

「一般化しないと情報の価値が上がらない」という錯覚

が、どこかにあるような気がする。


ライフハックもの記事とか増田とか見ていると、Webではどちらかというと特殊論よりも一般論の方が受けがいい様な印象がある。「誰かの個人的な話」よりも、「その個人的な話から導かれる、皆の為の一般論」の方が座りがいいというか、目に触れやすいというか、もっと端的に言うとブクマされやすい。


例えば「○○の為の×つの方法」みたいなものはその典型で、「誰かが考えて、その誰かにとって役に立った方法論をなんとなく一般化してみました」というものが多い気がする。ライフハックを否定する気は全くないけれど、その中には「個人的な問題を無理矢理一般化」したものが結構含まれている。


ライフハックに限らず、「綺麗にまとめる為に、個人的な問題を無理矢理一般化」という風潮は割とあちこちで見られる気がする。特殊な事例から一般論に帰納するという思考法は大事なものではあるけれど、特殊論で済ませても良さそうなものまで無理に一般化している記事を読む機会が結構ある(ちょっと断っておきたいのだが、一般論に落としこむこと自体を批判しているつもりは全くなく、重要なのは「特殊論で済ませても良さそうなもの」という基準だ。その基準が人によって違うことは一応承知している)。


そこから敷衍すると、「誰かにとっての特殊事例」よりも「人生における普遍的な一般論」の方が価値がある、という意識を持っている人が、それなりにいるんじゃないだろうか。


違うと思う。「あなたの特殊論」は、それだけで十分価値がある。それを無理して「皆の一般論」にする必要なんてないのだ、と、そんな風に思う。




この前結婚についての話を書いた時、実は私はそんなことを考えていた。

そして、Twitterの良さも、その「特殊論に対する懐の広さ」にあるんじゃないかなあ、ということもなんとなく考えている。
posted by しんざき at 10:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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