息子さんにせがまれて、布団の中で「こぐまちゃんとどうぶつえん」を読んだ。
こぐまちゃんとどうぶつえん
こぐまちゃんとしろくまちゃんが連れ立って動物園にいき、ぞうさんやかばさん、キリンさんやお猿さんなどを見物するという筋書きであり、ごくノーマルな古典絵本の名著である。あるのだが、しんざきはこの構図に絵本における動物間擬人化の格差を見た。
まず第一に、動物系の絵本においては、登場キャラクターである動物がある程度擬人化されていることが多い。擬人化の度合いの大小の差はあるが、大筋「人間の言葉で台詞を喋る」という時点である程度擬人化されているといっていいだろう。
絵本において「出現率、擬人化率、主演率」が高い動物、というのはおそらく厳密に統計をとることが出来る筈だ。
データなしの個人的な印象としては、「犬、猫、ウサギ、くま」の四種の動物が、頭一つ抜きん出ているのではないかという印象がある。まさに絵本動物四天王である。多分二位集団として「リス、鼠、虎、キツネ」辺り、更にやや遅れて「ヒヨコ(ニワトリ)、牛、馬、鹿、タヌキ、象、ライオン」辺りがひしめいているんじゃないかなあ、という気がする。(重ねて断っておくが、完全な印象論である)
この辺、対象年齢によっても若干かわってはきそうだ。一応、しんざきの観測範囲は3歳未満対象の絵本にやや偏っている、とお断りしておく。
これら、言ってみれば「擬人化常連ズ」から外れた動物達の扱いたるやどうだ。同じ動物であるというのに、かたやお洋服をきてお弁当を持って動物園にお出かけ、檻の中の動物達を見物し、かたや「かばさんしっぽふりふりうんちぴっぴっぴ」(こぐまちゃんとどうぶつえん内の描写)だ。なんだこの擬人化度合いによる扱いの差。まさに動物ヒエラルキー、動物格差社会、動物版持つものと持たざるものである。差別されし動物たちよ、団結せよ。いや、なんだかよく分からないが。
まあ格差の話はこの場合割とどうでもいいとして、「擬人化しやすい動物、しにくい動物」というテーマに関しては一考の価値がある気がする。
これまた印象論なのだが、「猿」や「ゴリラ」といった、霊長目に属する動物が主役の絵本を意外と見ない、気がする。というか、通常の動物絵本において、これらお猿さんズが擬人化されて主演をはっている絵本はどうも割合的に少ないんではないかという印象がある。勿論さるかに合戦を始め、全くない訳ではないとは思うが。
犬、猫に比較して人間に近いであろうお猿さんズが、擬人化される傾向が薄いのは何ゆえか。なんとなくだが、「余りに人間に近いと却って擬人化し辛い」という要素は結構あるのではないか。
もう一点、「鳴き声の印象が固定化されているかどうか」というのは結構重要な要素であるような気がする。
鳴き声はキャラ立ちに直結する。犬はワンワン。猫はにゃあにゃあ。これが擬人化された場合、絵本によっては時折「○○だワン」「××だニャア」といった台詞まわしが実装されることになる。
象はぱおーん。あるいは「△△だゾウ」とか。
ウサギは「○○だぴょん」。キツネはコンコン。鼠は「××だチュウ」。こういった「擬声表現が定着している動物」は、熾烈な擬人化レースにおいて一歩リードする要件を満たしているのではあるまいか、といってもクマって何て鳴くんだろうな。「こんなエサで俺様がクマー」って、アレ擬声表現なのかな。違う気がするけどまあいいや別に。
ということで、極めてどうでもいい話だったが一応まとめておく。
・くまちゃんが動物園に見物に行く、という構図に動物格差問題を見た気がするけどそんなたいした問題でもないのではないだろうか。
・「擬人化しやすい/しにくい」という軸は動物によってありそうな気がする。
・猿は人間に近すぎて逆に擬人化しにくいように思う。
・熊がなんと鳴くのかよく知らない。
・ほうれんそうマンは!ほうれんそうマンは豚業界の希望だったのにいつのまにか怪傑ゾロリに!
・ところでぐりとぐらはあれ「ねずみ」だったんですね。てっきりリスかと思ってました。
という感じで。
2010年01月11日

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当然のごとく印象論なわけですがなにか?
あと怪傑ゾロリなんかも、狸は影がうすかったような?