当たり前の話なのかも知れないけど。
息子さんは、結構厳密に成功体験・失敗体験の学習をしている。つまり、「こういうことをすると怒られる」「こういうことをすると喜ばれる/褒めてもらえる」ということをいちいち記憶しているように見える。
で、最近息子さんが「気遣い」的な行為をある程度出来るようになった。
例えば奥様がテーブルに足をぶつけて痛がったりしていて、私が「ママ痛がってるよ?」とか誘導してやると「まま、いたいいたい、ないないよー」などといいつつ慰めたり背伸びをして頭を撫でたりする。抱きつくこともままある。
多分、この時の行動選択の基準は「自分がされた時嬉しかったこと」なんだと思う。単なる想像だけど。
で、奥様が「優しいねー」とか褒めるとにへらーーと喜ぶ。人が痛がっている横できゃっきゃ飛び跳ねている。
で、次から、特に誘導がなくても、似たような状況では自分から慰めにいく。たまに誤解して全然痛くない時に慰めにいったりもするが、まあそれはそれで、こちらが喜んであげると息子さんも喜ぶ。
つまり、「他人が喜ぶ」という報酬を受けることを成功体験として学んで、それを求めて「優しい」行動をとろうとしている、様に見える。成功体験の学習と、「他人が喜ぶと自分も嬉しい」という共感。多分ごく順当な成長なんだと思う。これが繰り返しによって身につくと、「自然と優しい行動がとれる」人になるんじゃないだろうか。
きっとそれはいいことなんだと思う。
そこから考えると、子供に「優しい行い」が出来る様になってもらいたいとしたら、子供の気遣いをちゃんと評価してあげる、目に見える形でちゃんと喜んであげる、というのが一番重要な気がする。感情を素直に出すのが一番重要な気がする。
「ありがとう」と言える様にしてあげたかったら、まず自分がちゃんと「ありがとう」と言おう。当たり前のことなのかも知れないけど、多分そういうことなんだろう。
以上、今後の心構えとして。
2010年02月08日
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ただ、気遣いとはまだ違う気がします。どちらかといえば条件反射のような。しかし、今後の様々な体験で苦しんだ時に、人が怪我をしたときにそれが「痛そう」から「痛かった」と認識が変われば、人の感じる痛みを自分自身で感じた時にこそ、優しさの大切さを理解するのではないかと思います。
もちろん、親としては経験はしてほしくても悲劇には合ってほしくない訳ですが。